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  2. #250 英語を喋るにはコレっ!..
2024-09-02 20:10

#250 英語を喋るにはコレっ!(英会話のFES よしこさんインタビュー1/3)

毎月、第1&第3月曜日は、私の周りの農業や農業関連のことで面白いことをされている方にインタビューをする "キラ農さん、いらっしゃ〜い✨" のコーナーです!

今回は、初の非農業者!!

英語を使いながら、農業とも繋ぎを持とうとされている山本良子さん(よしこさん)へのインタビューです💕
本日から3日間にわたってお届けいたします。
英会話教室の経営をしながら、コミュニティラジオのパーソナリティもされているよしこさんに、英語の極意を聞いていきましょう🎶

1回目の今日は、よしこさんが英語に触れるキッカケや、アメリカ留学のころのお話を伺っています!

英語に興味のある方、留学をしてみたい方、お子様に英語を学ばせたい方など必聴です✨

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00:06
みなさん、おはようございます。野菜がつなぐひととひとハーティッチファーム代表もとです。
本日も、農業と学びで心も懐も豊かにするチャンネル、始めていきたいと思います。
この番組は、国内最大手エンジニアイング企業で17年間世界を飛び回っていた企業選手香川基文が、
40歳を機に脱裸収納した経験をもとに、農業、ビジネス、キャリア、学びなどについて話すチャンネルです。
はい、みなさんおはようございます。今日は久々に、きらのうさんいらっしゃいのコーナーの復活でございます。
復活というか、久々にインタビューを受けてくださる方を見つけられたので、それでインタビューをしておりました。
今回のご相手というのが、農家の方ではない初めての出演者の方で、
土地池農家市、私の住む農家市で英会話のスクールを開いている吉子さんにインタビューをすることができました。
ちょうどね、私と丸山さんがインスタライブを行った時に、その会場を提供してくれた方なんですけれども、
コミュニティラジオのパーソナリティもやられている吉子さん、そこでつながることができて、
今回英語という切り口から興味がありましたので、吉子さんの今までの編歴を含めてその辺をお聞きしております。
英会話に興味がある方、留学に興味がある方なんてのは、今回のインタビュー面白いんじゃないかなと思います。
ちょっと農業とは違う切り口のインタビュー、どうぞお楽しみください。
はい、それじゃあ皆さんこんにちは。
今日はですね、英語の使い手、山本吉子さんのところへちょっと来ております。
というのは先日、私コミュニティラジオの方に万丸農園の丸山さんと出演させていただきましたが、
実は左後ろに丸山さんもいるんですけど、今日は吉子さんへのインタビューということで、
そこのコミュニティラジオのパーソナリティをしてくださっている山本吉子さんに、
今日は逆に私がインタビューしてしまおうと思って、今、吉子さんのオフィスの方へ来させていただきました。
今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
山本吉子さん。
03:01
はい、こんばんは。
こんばんは。
おはようございますですかね。
いえいえ、関係ありません。今現在夜8時を回っておりますので、こんばんはで言いかせていただきます。
はい。
ちょっとじゃあ簡単にまず自己紹介からよろしいでしょうか。
はい。
よろしくお願いします。
ご紹介いただきました。
FM儲かパーソナリティをしています。
そして本業は英会話のフェスというところで英会話講師をしています。
山本吉子です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
さすがですね、パーソナリティさんなのでもう発音がきれいなお言葉が。
そんなパーソナリティの吉子さんに、今日はですね、ちょっとあの、私の最近ちょっと飛ばしちゃってますけど、
キラノーさんいらっしゃい。このタイトル、後ろ左後ろで転げておる丸山さんに苦言を呈されておるんですけれども。
キラノーさんいらっしゃいのコーナー。
今日はギャラリー言いますからね。
ギャラリー言いますからね。
ちょっと後ろに雑音入ってますが、皆さん気になさらずに。
キラノーさん、キラッと光る農家さんの略でキラノーさん。
今日農家さんじゃないんですけど。
ラジオ仲間ということで。
ラジオ仲間、音声仲間、そしてこの後ちょっと聞いていきますが、英語の使い手でもある吉子さんに英語関係のお話も今日は深掘りしていこうかなというところで、
農家さんじゃないけれども、初の農家さんじゃない家庭のインタビューということでお送りしていきたいと思います。
ダラダラと枕、言葉、枕はこの辺にしておいて。
それじゃあちょっと実際に山本吉子さん、吉子さん?吉子さんって大丈夫ですか?吉子さんと呼びまして。
ちょっと今までの経歴不明、いろいろと深掘りしていきたいなと思うんですけれども、
現在はもうかしの方で英会話教室も開きながらパーソナリティもされているということなんですが、
ちょっと聞いたところによると、40代前半の頃にこちら農家に戻られてきたUターン組ということで、
その辺の全職も含めた経歴をですね、簡単にちょっとした情報として教えていただければなと思いますので。
ざっくり。
私実は出身が山口県生まれで。
そうなんですか?
そうなんです。
Uターンじゃなかった。
でも育ったのは山口県生まれ、栃木県もおかし育ちです。
育ちがもおかしなんですね。
お母ちゃんもおかしです。
私も情報真っ白で来てもらいますので、一緒に驚きますので。
そうなんです。うちの両親が山口県のもので、高校2年の3学期から留学して、
約3年半くらいアメリカのミネソタ州に留学してました。
高2の頃留学したんですね。
06:00
それで帰国後に21歳くらいですかね。
一応地元で輸出業務を担当して、大手で一応働いて。
地元というのは山口県?
おかしです。
それはもうおかし?
もうおかしです。
そうなんですね。
ずっとこちらなので、そこで働いてたんですけど、やっぱりこの環境がコンサーバティブな。
どめどめのドメスティックになってましたね。
それで物足りなくなって、25、26くらいの時ですかね。
もう上京しようと思って、東京に出ることを決意して。
その後、東京に出られるんですか。
一回だから地元で働いたんですよね。
20代前半は。
そうなんですね。
そうなんです。
なるほど。
でもやっぱりなんか違うなと思って。
上京したけど。
東京に出て、初めて外資系の会社で営業アシスタントをして、しばらくグループアシスタントとかそういった仕事で勤めてたんですけど、
いろいろ転職もしたりして、転職する時の人材紹介会社とかに勤めることになって、ご縁があって。
そこに人材紹介会社のアシスタント業務で入って、最初アシスタントだったんですけど、コンサルになってみたらとか言われて、
営業の方にもちょっと興味があったから、コンサルもいいかもなんて言って、営業、コンサルタントの方に変身して。
コンサルタントは?
コンサルタントっていうのは、要はアシスタントではなくて、転職相談者ですね。
人材アシスタントのコンサルですね。
企業さんに紹介したり、転職希望の方に会ったり、面談をたくさんするような感じですね。
企業さんにも挨拶行ったりとかいうようなところで、そういった仕事をしてたんですけど、
しばらくリクルーティング業界は転々として、同じようなコンサル業務をやってたんですけど、
やっぱり体調を崩したりとかして、それで天気が訪れたので、
もともと上京したときに興味があった資格で、
チャイルドマインダーっていうのがあるんですけど、イギリスの資格なんですけど、
要は託児所を開業できるというような、子どもを預かれる。
ベビーシッターって言った方がわかりやすいかもしれないですけど、
ベビーシッターとはちょっと違った、託児所をいつかやりたいなぁなんて思っていて、
それでその資格を生かして、個人事業主でアメリカ人のお宅に訪問保育をやったりとかして、
訪問で保育をやってたんですね。
それをしばらくしてたんですけど、
託児に戻ってくるきっかけとなったのが、私の個人事業主で働いてたっていう、
09:00
気楽な、気楽ではないんですけど、自由な身だったので動きやすかったっていうのと、
あとうちの夫がちょっと転職をしようかなっていう話になっていて、
彼もいろんな業界でずっと同じような業界にいたんですけど、
ちょっともういいかなみたいな感じになって、
2人とも私の病気がきっかけで、もうちょっとやりたいことやって、
もうちょっとゆっくりのんびり暮らしたいよねみたいな話になって、
それでじゃあ託児行くみたいな感じで言って、
私たち夫婦でゴルフが趣味なので、
ゴルフ場もたっぷりあるし、
じゃあうちの実家の方に戻ろうかとか言って、
夫と2人で託児県に、私はUターンで彼は移住みたいな感じで、
それが託児県に戻ってきたきっかけです。
旦那さんはこちら出身じゃないけれども、それをきっかけに来てくれたと。
そうです。
ありがとうございます。
なかなかいろいろと点々とされてくる。
そうですね。
留学もして、上京もしながらの、最終的にまた託児に戻ってこられたというところで、
ちょっと今の経歴のところで英語に関わるところもありだったんですが、
後任の時にミネソタに留学した。
これは自分から行きたいという感じで。
そうなんですよね。
お家族で別に。
家族ではないです。単身留学ですね。
後任の時に行って。
英会話レッスンを外国人の先生に受けていて、それがほぼプライベートだったんですけど。
後任の時に英会話レッスンを受けてらっしゃった。
うちの母が習っていた先生のところで、ベビーシスターをしている方が英語の先生だったんですけど。
その方に英語を習っていて、学校の授業の英語よりも英会話の方が楽しいと思ってしまって。
すごい。
これ楽しくて、あっちの方が勉強しがいがあるみたいな感じになってきて、
学校の授業が本当につまらなくなってしまったんです。
わかる。
学校の英語の授業のつまらなさ。
そりゃわかる。
けど、すごいですよね。
後任の頃に英会話教室とか先生から受けるということは、
やっぱり英語に興味がすでにその頃もあったということなんですか?
たぶん完全にうちは母の影響が大きいと思います。
うちの母親が昔から、私が小さい頃から英会話レッスンを受けていた人で、
自分ご自身が。
自分ご自身が。
母が。
家で、よく昔あったラジオ英会話のカセットテープ。
12:00
あれがずっと流れていたりとか。
あと、自分もアメリカンクラブとかっていうところでレッスンを受けていたりとか、
母はしていたので、英語に興味がある母を見て育ったみたいな感じなんですよね。
自分で年齢がいくと、ちょっと私もやってみたいみたいな。
自然にそういう環境だったんですね。
なんか楽しそうだなと思って。
楽しそうにやっているのが、やっぱり影響しているんですね。
それは大きいかもしれない。
高校になった時には、もう留学しようって決めていたというか。
そうですね。一応、県立高校で新学校と言われている地元の学校じゃないですか。
神奈川県の地元同じようで、男子校と女子校で。
あの学校って、高校2年で進路を決めなきゃいけないような状況ですよね。
そうですね。文系理系もいろいろありますしね。
私がいたところも国公立、私立文系みたいな感じで大きく分けると2つに分かれていて、
私は私立文系を選んでしまったので、それ以外道がないんじゃないかと思ってしまって。
英語しかということ?
本当は、もっといろいろチャレンジできる状況があれば、
本当は私は小学校の時は10位になりたいと思っていたので、確実に理系が必要な仕事なのに、
でももう文系に行っちゃったし、その道は閉ざされている。
それは英語をやりたくて私立文系に行ったのではなくて、どちらかと言えば
数学が苦手かもしれない。
あるある。
そっちを選んじゃったから。
自分の成績的に確実にこっちではない。
それで私立文系コースに行っちゃったので、
これは英語系とか文系の面でそういう勉強が増えてきているし、その授業ばかりだし、
じゃあもう英語を強めていくしかないのかなと思いながら、
やっぱり一番英語の会話の方に興味があったので、
でも受験勉強じゃないんだよなと思って、
そしたら何かうちの母も昔やっぱり自分が留学したかった人なので、
いいんじゃないなんて言って、ノリがすごい。
なるほどね。
それでもうパパパパッと決めてしまったって感じですかね。
高校時代の留学って1年ぐらい行って、
要は高校2年で行ったら、もう1回戻ってきてから2年3年、
1年遅れて卒業っていう感じになるんでしたっけ。
それが多分一般的だと思うんですけど、
私の場合はもう留年というか、1年下のことをやらないで済むために、
単位を提出して、一応認められたんで、
皆さんが3月に卒業している中、
私は7月とか8月末ぐらいに卒業という形で、
ちょっと半年がずれているけど、それで卒業できる。
私の学校が6月まであったので、6月まで行って、
15:03
それを提出して、一応単位が認められたんですよ。
向こうの学校でのカリキュラムの単位が日本でも当てられたんですね。
それに関しては、そういうことをやったのが第1号ですよ。
おお、すげえ。聞いたことなかったです。
そうなんですよ。私の時代の上にもいたんですよ。
留学されて戻ってきた方がいて、たまたま私のクラスにいて、
その方もミネサタ州行っていた方で、
同じ知り合いのところから行っているから、話を聞いていて、
彼女は戻ってきて、日本の大学を受けるために
受験勉強もしっかりしていたんですけど、
私は戻りたくないと思って、何とかして卒業できないかなと。
そのまま高校卒業みたいな。
単位を提出してみました。
そうなの?そういう方法があるんですね。
そうです。
じゃあ戻ってきたら、また日本で高校生活というのは基本なくて、
そのまま高校卒業して。
一回卒業して、その後に語学学校にまたアメリカで行って、
戻ったんですか?
戻ったんです。それで語学学校に行きながら、
いろんなトッフルとか取って、大学に入ってって感じですね。
向こうで入ったんですか?
向こうで。
そうなんですか?
そうなんです。入るのは簡単なので。
ガツガツの英語。ガツガツのイングリッシュユーザーじゃないですか。
だから入るのは簡単なんですけど、結局ちょうど私が2年生くらいになるときに、
阪神淡路大震災の年で、うちの父の会社とかもサラリーマンだったんですけど、
全体的にみんな言及とかになっちゃって、経済的に厳しくなりずっとあって、
じゃあ一回帰国しようかって言って、
私はなんとなく帰ってきて、一回働いて、自分でお金貯めて、
もう一回休学して戻ろうかなと思ってたんですけど、
帰ってきたら帰ってきたで、日本で働くのが楽しくなってしまって、
そのまま働くという。
なるほど。その時に働いてたのが輸出業のそこで、
文化で働いてたってことなんですね。
そうなんです。
高2で行って、卒業のために一回帰ってきたけど、また大学で行ってというから、
3年半くらい?
そうですね。3年半くらい。
いやでも、学生の頃にやっぱりアメリカで生活するって、
すごいなんか大変だなって思うんですけど、
言葉の面とかも、やっぱり違うじゃないですか。
学生の使う言葉とか。
大学はほぼ本当に勉強してたと思います。
ずっと読んでたんじゃないですか、何かを。
何かを。やっぱり大変なんですね、卒業生。
本当に大変で、幸い本当に素敵なアジア人のアメリカ人に出会って、
18:02
その方がすごいエディタインになりたいとか言って、
英語を得意としてたアメリカ人で、英語をきれいに使う方だったんで、
私のペーパーとか全部見てもらったりとかして、
すごいラッキーだったんですけど、
それでも本当に大変でした。
今考えたらよくやったなと思うぐらい。
やっぱり大変なんですよ、向こうの大学って。
全然頭に入ってないですけどね。
とりあえず卒業タイムを取ることが一生懸命で。
打ち込まなければみたいな感じで。
すごい。
そうだと思います。
また向こうはやっぱりディベートみたいな、
そういう意見付き合わせるみたいな、
そういう講義もあるんですよね。
それについていくのめっちゃ大変そう。
静かな生徒だったと思います。
そこはね、そこにガチガチ戦えるほどの。
嫌いですよ、やっぱり。
いくら3年いても、
あのアメリカ人たちの生徒の中に、
ディベートに一緒に入り込もうっていうのはやっぱり難しいですよ。
もちろん英語喋れるけれども、
マインドが違う。
やっぱり、いざという言葉が出てこないですね。
だからもう言いたいことは先に誰かが言ってしまうので、
それについていけないんですね。
あやぐりみたいな感じで、
そういう人に乗っかって、私もそう思いますみたいな。
同じようなことを繰り返して、
かぶせさせてもらうみたいな。
難しかったです、本当に。
いや、思い出しちゃった。
嫌だった?大変でした?
大変でした。
学生のね、そんな大変な頃もありながら。
それじゃあ今日1日目はですね、
アメリカの頃の大変だった記憶も思い出したところですが、
ちょっと2日目、次回からは、
また日本に帰ってきて、
そういう英語を使ったお仕事もしながらというところで、
さらにその先の保育とかね、
そちらにつながっていくような、
そういうところを聞いていこうかと思いますので、
また明日もよろしくお願いします。
See you next time!
20:10

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