クリスマスと家族の重要性
どうもリツトです。普段はAIに声を提供して稼いだり、イベントの司会をしたり、運営をしています。
今日なんですけれども、家族デイです。ファミリーデイ。皆さんはクリスマスをどう過ごしますか?
クリスマスはね、家族を大事にする、大切にするというものなんですよね。
そもそも彼女とイチャクラするための時間ではないと、そこはしっかりとご理解していただきたいと言うんですね。
世界中の男女の方々に、家族を大切にしろと、彼女の前に家族やるがいい、というところをしっかりとお伝えさせていただきます。
まあ今日はそういう放送なんですけれども、僕はですね、妹の誕生日が実は12月25日っていうね、クリスマスの日なんですよ。
クリスマスの日は、ちょっとあの深夜バスとかの関係で、なんかちょっと高知に上手い具合に戻れなさそうだったんですね。
プラス5万円ぐらい乗せないと帰れないっていう感じだったんで、それだったら今日行きます、みたいな感じで
21日って、まだ誕生日当日じゃないんですけれども、お祝いに行くということでね、今日祝ってきました。
今収録段階では、21日日曜日のですね、夜9時30分ぐらいですね。その時間に今これ収録しています。
今日はまあ家族とね、会ってきてこうだったよ、ああだったよっていうね、お話ししたいなと思っております。
今日ね、そうだなぁ
感謝の意識
まず、普通にやっぱ
同列が皆さん家族に会った時に感じることって、まあ人によって様々だと思うんですけれどもね。
僕は結構家族っていう存在は、あのどういう存在なのかっていう考えを僕、昔は持ってなかったんですよね。
でも今はなんかちゃんと持っていて、家族とはいえ、まあ一応他人ではあると
違う人間ではある。それでお互いを尊重し合ってですね、お互い自立して、まあ一人の責任ある大人として行動している中でですね
まあそのDNAがね、あの流れを汲んでいるというところで
助け合ったりとかですね。育てていただいた恩は返したりとか
で、なんか困ったことがあったら、まあ責任ある大人の範囲内で助けたりとかね
家族だからなるべく助けるっていうところがね、やっぱ僕は持ってるんですけれども
まあ最終的には自己責任だなっていうことで、自分の人生は自分の人生だからというような感じですね。
まあ一人一人の大人人生っていったものを立ててですね、尊敬しつつ
もうお互いに言いたいことは言って進んでいくって、まあそういうものなんじゃないのかなって最近はよく思います。
はい、なのでなんか、もう親に甘えるとか、逆に親がこっちに甘えてくるとか
今はもうそんなにないんですけれども、昔はやっぱり甘えていたなっていうところもありましたし
まあ別にその甘えると頼るっていうのは全然違うことで、まあ頼るのはね、いいと思うんですけれども
別に断られることもあるんだろうなっていうふうに思いつつですね、僕も断るときは断るし
そこらへんは冷静にね、まあ一人の大人として見ているわけですよ、人間としてね
まあそんな中でいるんですけれども、やはり親にはですね、感謝しながら過ごしているといったところがあります。
まず自分自身への感謝をして、次に家族に感謝しようと。これがですね、神社で僕が感謝の祈りをするときにですね
その時の順番なんですね。で、まあやっぱり家族を大事にした方がいいよねと
僕の人生も何か振り返ってみると家族を大事にしたあたりから好転しました。
はい、家族を大事にする前はね、あんまりね、いい人生じゃなかったというか
そんな感じだったんですよね。 親に感謝しだしてからですよ
なんかいいふうに人生運んでいってるなってなったのは、親に感謝しようって明確に僕が決めた瞬間があったんですよね。
そもそも僕はしっかりと親に感謝しながら生きるという意識を持って生きていませんでした。
まあそれはそうですよね。その子供の頃からそんな崇高な思考を持ちつつ生きている子なんて果たしているのだろうかっていう感じなんですけれども
感謝はね皆さんどっかで感じているかと思うんですが、明確にちゃんと恩返ししながらとかちゃんと感謝しながら
生きようとか過ごそうって思ったのって皆さんはいつでしたか?
生きる喜び
まあ案外早いのかもしれませんね。僕は明確に思ったのはやっぱり日本に帰ってきてからですかね。
実家に帰ってきてからになりますかね。それまでは自分のことでいっぱいいっぱいだったし
まあ言うてアメリカにいたんですけど、全然帰ってこれなかったしね。長期休暇なんて
1回、2回取れたかな?1回取れたくらいじゃないのかな?
でしたね。ほんの1日とか2、3日ぐらい帰ってきた感じでしたけれども
今ではねその日本にいるんで、まあ僕がアメリカにいて、心配かけていた分といいますか
会うようにはしてますけどね。
やっぱり
まあそうですね、家族を大事にしようという意識は持っているし、感謝を
感謝の気持ちはみんなあると思うんだけれども、やっぱりそれを行動で示さないと伝えられないなっていうところが
僕はすごい思っていましてですね。うちのおばあちゃんとかも結構
毎回手紙を書いたりしてくれてますし、誕生日の時に辛い時こそ頑張りみたいな
主にそういうメッセージなんですけれども、うちのおばあちゃん哲学者なんでね、なんか
それでめっちゃ文章書くのうまいんですよね。SNSやったら最強になれちゃうんじゃないかっていうぐらいのおばあちゃんなんですけれども
言語可能力と言いますか、人柄がすごいと言いますかね。まあおばあちゃんはねさすがに高知に来たりとか名古屋に来たりとか
もう体がね、年が、恩年が捉えているので無理だなっていうところがありまして
まあ会える時に会っておこうかっていうことで、今日急行会いに行ったんですよね。そうしたら案外元気でしたね
案外元気でしたね。まあでもやっぱりおばあちゃんも体悪くなっちゃってねみたいな話をしてて
いつまで生きていられるか、みたいな感じだったんで。おばあちゃん死んじゃうのか?って
おじいちゃんは死んじゃったんですよね。もうおじいちゃん死んでるんでそのだいぶ、何だろうな
まあ死というものが身近にある状態だと思うんですよね。うちのおばあちゃんね。いつ死ぬかって、明日は我が身みたいなね。ガチでそんな感じだと思います
僕が今日、もう本当に思いつきで、そういえば会いに行こうってなった時に、なんか会いに行ったんですけれども
ちょっと実家とは離れたところにいるんだよね。会いに行ったら会った瞬間になんか、来てくれてありがとう。なんか涙が出てきた
とか言って、急に泣き出したの。急に泣き出す?みたいな。どんだけ嬉しかったねみたいな
でなんか、おばあちゃんの表情を見たら、なんかね、生まれたての少女みたいな感じでね
幼稚園児みたいな感じの少女の純粋な笑顔の表情がですね、そこにはあったんですよね。もうおんとし88か90歳ぐらいだと思うんですけれども
そんな感じのすんごい明るい表情してて、おばあちゃんで僕少女みたいな表情するんやなーって
すごかったね。なんか本当に生きてるっていう感じの表情してたんだよね
不思議なもんだね。なんか死がめちゃめちゃ、僕の家族の中では死が一番近い存在と言っても過言ではないんですけれども
死に近づくごとになんかその生きる、なんかもっと生き生きするのかなというふうにも思いましたね
死を意識した分だけ人は生き生きするっていうのは本当にそうだなと思っていて、僕もなんか
アメリカとかで死ぬような、本当に死にかけたっていうことの後にやっぱ人生見る目変わりましたもんね
そんなおばあちゃんはもうなんか人に会っただけで、お孫か孫に会っただけでちょっと喜んで泣いちゃうみたいな
ぐらいに、なんか幸せを感じたのか喜びを感じたのかっていう感じでしたけど、まあすごい幸せそうな表情してたんですよね
だから会いに行ってよかったなーって本当に思いましたね。別に僕はちょっと思いつきで行ってみるかみたいな感じだったんですけれども
まあ子供の頃からだいぶお世話になっているしね。昔はなんか日本舞踊を一緒にやったりとかしてて
一緒にステージに立ったりとかしましたね
で、やっぱりおばあちゃんが嬉しそうな表情をしたから
感謝の重要性
なんか俺も生きててよかったなと、なんか俺と会ってくれるだけでこんなに喜んでくれる人がいるんやっていうのもね
なんか新鮮な感じでしたね
まあ自分が生きててね、それで会うだけで喜んでくれる人がいる、涙ぐんでくれる人がいるっていうのはね
それこっちにとっても嬉しいというか、まあ驚きでありますし
まあ本当に会いに行ってよかったなと思います。ただこれ僕が会いに行かなかったらですね
まあ行動に移さなかったらですね、やっぱりそのおばあちゃんもそういうふうに感じることも幸せに感じることもなかっただろうしね
その会いに行かなかったからね
でも会いに行ったからこそ、そこで幸せを実感すると言いますか涙ぐむというね
タイミングがありまして、来てくれてありがとうということで元気でねっていう感じで送り出してくれたんで
今回もね、非常に嬉しかったなと思いますね
で、なんか
なんかおばあちゃんが、まあ言っちゃうとなんかおばあちゃんが結構なんか別に僕はそんなこと思ってないんだけど
おばあちゃんがなんかちょっと待ってって言ってね、あのちょっと1万円を渡してくださったんですよ
ありがとうございますと
別になんかよこせともなんとも言ってないんですけれども
ただ会いに行ってなんかいつもありがとうで本当に
数分の挨拶に行くぐらいの感覚でちょっと立ち寄るかみたいな感じで言っただけなんですけどね
なんかまあ喜んで、まあ私は使わないから、まあ渡してくれようとしたらなんか自分のために使いようって言ったけど
私はもう使いどころがないでって言って、まあまあ確かにって言っていいのかみたいな
確かにとか言っていいのかみたいな感じなんですけど、まあ確かに使いどころがなくなるよなっていう
どこにも行けずに別にそのネットで何かをやるっていう趣味もないし別にスマホ持ってるわけじゃないからね
テレビ見るぐらいだったらそんなにお金もかかんないし、だから使いどころがまあまあないのはわかるんだけどみたいな
それで渡してくれて、いや申し訳ないねって思いつつ、なんかその1万円でなんだろうな
まあ交通費にもなるとは思うんだけれども、またあのおばあちゃんに会いに来るお金にしようと思いましたね
まあこんなに喜んでくれるんだったら、そんなに生活が困っているとかそういう状態じゃなかったら
僕はまた気軽に会いに行くためのお金として使わせてもらおうって、なんかそっちの方が綺麗だし
おばあちゃんのサプライズプレゼントみたいな感じになっていいかな、いいお金の使い方かなって思ってですね
まあ受け取っておきました
人との関わり
やっぱ人の思いはしっかり受け取っておこうと思って会いに行くんですよ
別にお金をもらったからまた会いに行くとかそういうわけじゃないんですが
また何かそういう気前の良さって言うんですかね
人を喜ばせる、お金じゃないじゃないですかこういうのって
お金じゃないところで人の役にどのように立てるだろうかみたいなところも僕はやっぱ考えるところがあるので
今回ですねおばあちゃんのこの気前の良さという人柄の良さっていったところをまためっちゃ勉強になったなっていう
人との関わり方というか人に会って喜ぶっていう感情とか動作とかちょっとしたお話とかが
人の心をねちょっと浄化したりとかまた幸せの輪を広げていくことに繋がるんだなっていうところを勉強してですね
今日はまた実家に帰ってきたっていう感じですね
はいですわー
めっちゃ勉強になるよね なのでまあ本当にいろんな人に会うっていうことはね非常に大事なんですけれどもまた身近な
人にですねまた話して
まあ関係を構築し続けるというかね 大切にし続けるというところもまた一つ大切なんだなっていうのを実感した日でございました
皆さんいかがでしょうかねクリスマス まあまさかと思いますけれども彼氏や彼女とかとねイチャイチャするわけじゃありませんよね
家族を大事にするんですねそうですよね皆さんは家族を大事にすると 皆さんだったら家族を大事にするかと思ってるんですけれども
ねっ 家族を大事にしてクリスマスとかに会うのかそれともまあ
正月とかね親戚に会ったりする人もいるでしょうしね そういったところでの出会いっていうのがあるかなと思いますね
皆さんはどういうクリスマスが正月を過ごされるのでしょうか まず人もね
コメントとかもしくは自分の発信とかで教えてほしいなと思ったところでございます その時はねぜひ感謝を伝えるためには行動しようというところで改めて
まあ呼びかけさせていただこうかな 共有しようかなと思いました感謝は行動で示せ
立都でした 当たれ