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ストーリーとしての思想哲学
思想染色がお送りします。
前回、笑いに関する古典的な三大理論っていうのに触れました。
これ以外にも、まだ他の哲学者でも笑いについて考察しているっていう人はいるんですけど、
他の哲学者も紹介しておきますと、アンリー・ベルクソンっていうフランス人がいて、
1900年にまさに笑いっていう題名の本を出してます。
このベルクソンっていう人は、時間の概念について研究したことで有名な哲学者です。
この笑いっていうタイトルの本では、
笑いの基本的構図は人間的な生と機械的な仕組みとの対比の中にあるっていう風に言いました。
どういうことでしょうか?
これは、生きる人間の中に何らかの機械的なぎこちなさが見出される時、笑いが生じるっていう理論です。
逆に言えば、人ならざるものに人間的なものが見出される時、笑いが生じるっていう意味なんですけど、どうでしょう?
これもチャップリンとかミスター・ビーンみたいな喜劇は、
人間のアクターがわざと機械みたいな動きをして笑いを取るみたいなとこがあるから、
この辺ちょっとはある程度は説明できるかと思うんですけども、
でもね、漫才とか落語とかの説明まではできてないんじゃないのかなっていう風な気もしています。
ただし、これはつまり、人間的な機械、あるいは人間的なロボットっていうのは面白いし、
笑いが投げかけられるっていう、この提前には結構面白いところがあると思います。
というのも、今はロボットとかAIの時代じゃないですか。
だから、ただ答えを返すだけのAIロボットより、
人間的なロボットの方がプロダクトとして愛されやすいし、受け入れられやすいっていう可能性を、
この時点でベルクソンは理論的に示唆しているっていうことになります。
言ってしまえば、ドラえもんのような人間的で不完全なロボット、AIを作った方がいいよっていうのを、
ベルクソンが1900年に書いた本から読み取れるよねっていうのが、面白いなっていうふうに思うんですけど、
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またこれを逆に言うと、これを逆転させると、いわゆる怖い、ちょっと恐怖を感じるAIとか、
嫌われやすいAIになるっていうことですよね。
だからドラえもんの逆みたいなことになるのかな?
つまり、常に完璧な回答を返す、感情が安定したAIが嫌われるし、怖がられるんでしょうね。
人間みたいに感情が不安定なAIの方が、多分ユーザーから好かれるんじゃないかと思います。
これ結構、僕は面白いなって思うんですけど、
感情が安定しなくて、ちょっと情緒不安定なくらいのロボットとかAIの方が、
おそらく人間のユーザーからは好かれるんじゃないのかなと。
これ以外にも多分いろいろなパターンがあるんだと思うんですけど、
このいろいろなパターンっていうのは、SF作品だったりとか、あとは漫画とかなんかからも参照できそうです。
で、こういったフィクション作品がいろいろなロボットのパターンっていうのを、
すごいいろんな種類いろんなパターン考えてて、
これを参照することで、愛されるロボットっていうのが作りやすくなるんじゃないのかなと思います。
その場合、漫画とかアニメだったら、日本がすごいたくさんのコンテンツのストックを持ってるから、
ここの部分では、日本が最先端にいけそうな気もしてるんですけど、どうでしょうか。
はい。
ということで、笑いについてのヨーロッパでの話はここまでにします。
次回は、笑いについての日本人がどんな考察をしてたかっていう、日本の話をしていきたいと思います。
では、次回もよろしくお願いします。