1. ストーリーとしての思想哲学
  2. #91 続・なぜ人を殺してはいけ..
2024-10-13 05:14

#91 続・なぜ人を殺してはいけないのか 個としての合理性

サマリー

今回のエピソードでは、個人として振る舞うための合理的な戦略、特にオウム返し戦略の重要性について語られています。この戦略を適切に実行するには、他者からの認識が不可欠であると伝えられています。

オウム返し戦略の重要性
ストーリーとしての思想哲学
思想染色がお送りします。
前回の続きで、今回は類ではなく個、個としての人間としてはどう振る舞うべきかという話も一応しておこうかと思います。
最初に言っておくとめちゃくちゃ嫌な話になります。
人間の嫌なところをつまびらかにするような感じになるけど、
ぜひ、価値判断したいという気持ちをエポケーして、構造理解の話だとして聞いてください。
ゲーム理論的にも、類としてだけではなく、個人としても、最強戦略であるオウム返し戦略を採用すれば、得をする確率は最大化できるわけです。
でも、人はなぜ戦争するのかの回でも言ったけど、
オウム返し戦略には、やられたら必ず報復するという断固とした報復措置が準備されていなければならないというのが意外と忘れられがちかもしれません。
というか、ここがゲーム理論の肝だと思うんだけど、
ホモサピエンスの挙動がゲーム理論的な性質を持つということはつまり、
相手が弱くて報復してこないことがわかっている場合、裏切った方が期待値が高くなるから、
長期的には必ず誰かに裏切られてしまうということなんですよね。
もちろん全ての個体がゲーム理論通りに動くわけではないけど、
人間は人生全体を通して何百万回何億回という他者との接点を持ちます。
思考回数が無限に近いような膨大だから、最終的には理論値に着地するよね。
いかにもありそうだなと思ったのが、
ゲーム理論を個人としての行動指針として自らに採用したとしたとき、
他者と協力する、他者に親切にするということばかり意識するというのがありそうだなと思った。
それ自体はものすごく大事なことなんだけど、
ゲーム理論の肝として他者に親切にするのは当たり前で、
その上で報復措置が準備されている人だと他者から認識されていなければ、
オウム返し戦略は完成しないわけですよ。
他の個体から反撃や報復ができない個体だとみなされてしまうと、
個人としての振る舞いの理解
オウム返し戦略が成立していないから、
その人は人生全体としていずれ誰かに裏切られて損をしてしまうということになります。
自分としてはオウム返し戦略を取っているつもりでも、
他者から見れば協力だけして裏切りはしない戦略を取っている個体というふうに見られてしまうから。
で、ゲーム理論において協力だけして裏切りはしないっていう戦略ってまして弱いんですよ。
ものすごく嫌な話だけど、裏切りを一切行わない個体というのは、
報復ができない弱い個体というふうに他者から認識されてしまうから、
ゲーム理論は相手やってのものですから。
相手から見たら自分はどういう戦略を取っているように見えるかという視点がないといけません。
これって意外と盲点になりそうな気がしたので、個としての話の補足として付け加えてみました。
だからといって、攻撃的な個体として振る舞えばいいというわけではありません。
そうすると今度は逆に、裏切りだけして協力をしない個体というふうに他者から見えてしまうから、
それはそれでオウム返し戦略が成立していません。
あくまでも、基本的には他者に協力する親切な人だが、
裏切られた場合は断固として報復する人だと見られなければ、オウム返し戦略にはならないという話でした。
この戦略は野生のチンパンジーにさえ通用するそうですから、
一個人としても採用する価値は普通にあると思います。
あと、人間がよくやることとして、理論とか概念をそのまま理論通り概念通り、
理論のまま概念のまま理解するっていうのはあんまり得意じゃないみたいで、
それを道徳とか倫理みたいな物語形式にして、自らに落とし込むっていうのが得意みたいです。
具体的には日本人だったら、ゲーム理論的な行動様式を、
例えば、輪を持って尊しとなすが、一方で人の道に外れた行いは許さないみたいな、
道徳の形式で表現しているということが多いかと思います。
今回はここまでです。次回もよろしくお願いします。
05:14

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