1. ストーリーとしての思想哲学
  2. #90 なぜ人を殺してはいけない..
2024-10-06 07:21

#90 なぜ人を殺してはいけないのか 類としての合理性

サマリー

今回のエピソードでは、人を殺してはいけない理由を哲学的に探求しています。黄金律やゲーム理論を通して、個人の意義と人類全体における道徳の必要性について考察しています。

人を殺してはいけない理由の探求
ストーリーとしての思想哲学
思想染色がお送りします。
今回は、なぜ人を殺してはいけないのかというテーマです。
これって疑問としてはめちゃくちゃよくある疑問で、一般論として、仮に子供からこの疑問を投げかけられた時、どう答えればいいかみたいな議論ってすごくよくあると思います。
でも僕がこれまで見た一般的な議論の中では、人を殺してはいけない納得できる理由があんまりなかったものだから、今回これについて考えていきたいと思います。
一般論としては、キリスト教をはじめとする様々な宗教や哲学で、普遍的に見られる黄金率っていうのが、よく引き合いに出されるという印象があります。
黄金率とは、他人から自分にしてもらいたいと思うような行為を人に対してもせよという道徳です。
言い換えれば、人からされたくないことは自分も人にしないようにしようという道徳です。
こういう道徳は古来よりあるから、人類のルールとして、それはやっちゃいけないんだよと、こういう回答が一番一般的かと思います。
要するに、道徳に反するからダメという答えです。
あるいはこの道徳にもう一歩踏み込むと、人にはそれぞれ人権というものがあり、一人一人が大切にされる権利があるからっていう風に答えることもできるかと思います。
まあ、人間はみんなが大切な存在であり、人にはそれぞれ大切な家族や友達がいて、その人がいなくなったらみんなとても悲しみます。
だから誰かの命を奪うことは、その人だけじゃなく、その人を大事に思っている人たちにも大きな悲しみを与えることになる、だからダメなんだと、こういう回答もよく一般論としてあるかと思います。
でもそれだと、家族や友達が一人もいない人だったら殺してもいいのかとか、
社会制度の中に人権がビルトインされていない未開社会でだったら殺人は肯定されるのかとか、
またいろんな角度から反論ができてしまいます。
どうしてこういう反論が可能かといえば、議論のレイヤーが合っていないからいまいち納得感がないんだと思います。
人間という生き物には、子っていうレイヤーと類っていうレイヤーの2つのレイヤーがあります。
人間は今81億人いるらしいですが、個人の子、子というレイヤーは81億人の中のたった一人という意味です。
このたった一人に注目するというミクロなレイヤーが子という概念です。
一方で類、人類とか魚類とかの類ですが、類っていうのは81億人いる人類そのものに注目するというマクロなレイヤーのことです。
なぜ人を殺してはいけないのかという議論をするとき、子と類のレイヤーがごっちゃになっているように思えるんですよね。
というのも、なぜ人を殺してはいけないのかって本当は、なぜ人類は同族殺しをしてはいけないという道徳を持つに至ったのかという、極めて類的な疑問が本来的な出発点でしょ。
この疑問をよく紐解くと、マクロレベルにおける人類が黄金率という規範を持つに至った根拠を尋ねているわけだから、答えもマクロレベルであるべきです。
先ほどの人間は一人一人が大切にされる権利があるからとか、その人だけでなく家族や友達まで悲しい思いをするからっていうのは、ミクロレベルの回答なんですよ。
まあ別に間違ったことは言ってないですけどね。
ただ、類としての根拠を尋ねているところに、子としての根拠を回答してしまっているから、ロジックとしてはいまいち繋がっていないです。
カール・マルクスも人間のことを類的存在と言いましたが、じゃあ類的存在としての人類が同族殺しをしてはいけない根拠とは何でしょうか。
ゲーム理論と道徳の関係
これはゲーム理論で説明ができると考えています。
第60回の、「人はなぜ戦争をするのか?」の回でもゲーム理論の話はしました。
もしまだ聞いていない人はそちらを先に聞いてほしいんだけど、現実に近い複雑な条件を与えたゲーム理論においては、
オウム返し戦略が基本的に一番強いということでした。
1回1回、相手に協力をするか相手を裏切るかという選択をするっていうゲームにおいては、
自分からは先に裏切らず、相手が裏切ったら報復を行うというオウム返し戦略が最終的に最も得をする最強戦略だという話をしましたよね。
このゲーム理論の話を、なぜ人を殺してはいけないのかというテーマに当てはめると、
それが戦略上弱いから、わざわざ弱い戦略を取ると自分や全体、みんなが損をするからだということになります。
対人関係とは大まかに、他者と協力をするか、あるいは裏切るかの二択で、自分のベネフィットを最大化するというルールのゲームです。
こういうゲームルールなわけだから、ルイとしてのホモサピエンスはね、ゲーム理論っていう理論の発明がなされる前から、
経験的にオウム返し戦略が一番強いと知っていたということだと思うんですよ。
昔の人だってバカじゃないから、理論的裏付けはないが、でも経験的にどう考えてもオウム返し戦略が最強だって気づいていたと考えるのが自然です。
で、ゲーム理論におけるオウム返し戦略を、宗教とか道徳における黄金律という形で表現して、その道徳という形で表現された最強戦略が、いまだに僕たちが守るべきものだとして継承されていると、
系譜的にはこのような構造にあると考えられます。
はい、類としての人間が比較的道徳的な挙動をすることが多い理由についての話でした。
もうだいたい話したんだけど、類としての挙動について話したから、次回は子としての挙動についても一応話します。
次回に続きます。
07:21

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