1. ストーリーとしての思想哲学
  2. #110 マイケル・サンデル2 ..
2025-02-23 06:33

#110 マイケル・サンデル2 〈正義〉と共同体主義

サマリー

マイケル・サンデルは共同体主義について論じ、リベラリズムとの対立を示しています。また、ジョン・ロールズの正義論と無知のヴェールの概念に焦点を当て、その社会的影響を考察しています。

共同体主義とリベラリズムの対立
ストーリーとしての思想哲学
思想染色がお送りします。
マイケル・サンデルの続きで、共同体主義の話です。
共同体主義っていうのは、共同体、コミュニティに重きを置く考え方です。
カール・マルクスも、人間は類的存在って言ったように、
人間という存在は、群れで生きることが前提された生き物なわけで、
村とか町とかの中にある、お互いに助け合うことができるコミュニティと、
本質的なところで深い関わりがあるっていう考え方です。
その逆が自由主義、リベラリズム。
リベラリズムは、個人の自由を追求しますから、共同体を解体します。
村の敷いたりとか、住んでいる町の自治会とか、
そういうのって面倒だし煩わしいから、個人の自由を追求する立場からしたら、
そんなものはやりたくないわけです。
そういうわけで、共同体主義と自由主義は対立しがちです。
そんな中、だいたい1980年代前半あたりに、
リベラル・コミュニタリアン論争という論争がありました。
コミュニタリアンっていうのは、共同体主義者のことですね。
そのリベラル・コミュニタリアン論争の最も主要な登場人物が、
共同体主義者としてマイケル・サンデル、
自由主義者として政治哲学者のジョン・ロールズでした。
余談なんですけど、リベラル・コミュニタリアン論争っていうと、
言葉だけ見るとまるで右派と左派の論争のような印象があるかもしれません。
でも実際は、登場人物はほとんどが左派、もしくは中道左派だから、
これはあくまでもリベラル派同士での論争ということになります。
ロールズの正義論
はい、ジョン・ロールズ。
ロールズには正義論っていうかなり社会にインパクトを与えた本があって、
正義論への反論という形でリベラル・コミュニタリアン論争は行われています。
ロールズの正義論においては、正義と善とを区別します。
その上で、正義は善よりも優越するとしました。
というのも、善っていうのは良く生きるということで、
良い生き方って色々な種類があります。
例えばキリスト教の信仰的な良く生きるということ、
あるいは芸術的な良い生き方、
それから家族を大事にするというタイプの良く生きるということ、
各々が人生において何を良しとするかは多様ですから、
何が一番良いかというのは決められません。
だから一つの秩序ある社会を成立させようとした時、
善はなかなか根拠にしづらいんです。
それに対して、一つの秩序ある社会を成立させる時に
必要となる原理を正義と呼びます。
したがってその定義からして、
正義は秩序ある社会の根拠になり得るし、
正義は善よりも優越させないといけないということになります。
確かに論理的にはそうなるなって感じで、
説得力がかなりありますが、
コミュニタリアンたちはこれに反論します。
ロールズは社会秩序の根拠となる原理、
正義について考察する中で、
無知のヴェールという原種状態を仮定した上で論を展開します。
無知のヴェールというのは、
簡単に言うと絶対にポジショントークをしないということです。
例えば正義というものを考える時、
自分がある程度裕福だったら、
無意識にある程度裕福な人が
有利になるようなことを言ってしまうかもしれません。
例えば教育こそが正義であるとかね。
実際は教育、つまり勉強という分野で競争した場合、
貧しい人よりも裕福な人の方が有利になります。
貧しかったら親の仕事の手伝いをしたりとか、
兄弟の面倒を見たりとかで、
勉強する時間自体が相対的に少なくなるとか、
そういう非対称性がありますから。
あるいはもっとウエットな話で、
特にアメリカのような他民族国家ではそうだけど、
各人にはナショナルオリジンがあるじゃないですか。
黒人とか中国人とかユダヤ人とか、
そういうナショナルオリジンに対して、
普通人は民族的な誇り、
ある種のプライドを持っているものですから、
そういうのもやっぱりどうしてもバイアスとして働きます。
もちろん悪気があるわけじゃないんですけど、
人間ってこういうバイアスやポジショントークを
どうしても捨てられないわけで、
だからこそそういうバイアス、ポジショントークを、
もう冷徹なまでにやめて、
正義の原理を深掘りしましょうっていう、
こういう態度が無知のベールです。
そのようなプロセスを経て、
ロールズが考えた正義っていうのは、
まず一つ目が平等な自由、
それから二つ目が機械平等です。
あらゆる善に対して優越できる正義がこの二つ。
もう一回言いますね。
あらゆる善に対して優越できる正義は、
一つ目が平等な自由、
二つ目が機械の平等です。
これはもう僕たちが今聞いても、
確かにそうだなって思うくらい妥当で、
真っ当なことを言っている感じがするくらいですから、
当時はもうすごいインパクトを社会に与えたそうです。
なんだけど、サンデルは特に無知のベールの部分、
つまり正義というものを同質するための
方法論の部分に対して反論しました。
ここで一旦切って、
次回、リベラル・コミュニタリアン論争の中身に入っていきます。
次回に続きます。
06:33

コメント

スクロール