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2021-02-05 59:40

BC005『これからの「正義」の話をしよう』

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「功利主義」を学んで、哲学・倫理繋がりで「過去に挫折した本を読もう」って感じで読み始めたんですが、読み返してみて改めて長くて難しい本だと感じました。(当時挫折したのが頷ける)

章単位で見るとすごく面白いくてわかりやすい。ただ、1個1個のエピソードはすごく面白いけど、著者の主張をちゃんと理解しようと思うと難しい。(難しかった)

全体をしっかりと理解していないと著者の主張の論拠がはっきりとは見えてこない。そして、全体を理解しようとすると本のボリュームが多いので、理解しておきたい項目も多くて大変、という感じでした。

全ての内容が血肉になるまで理解できていないから、全部の話をうまく繋げることができない、みたいなイメージというのかな。

とはいえ、ある程度理解ができると、著者の構成のうまさに感服します。

この本は哲学全体の歴史を大きくなぞりながら、それぞれの考え方の弱点、批判点を挙げていき、最後最後に著者の主張を登場させて「ほら、こうすると全部納得できるでしょ」という話につなげます。

この流れを構成する際に、著者は「哲学の歴史・時間の流れ」を完全に無視して話を展開。(古代ギリシアのアリストテレスが登場するのは最終盤)

これが、実に見事。

著者の意見に賛同するかは置いといて、この構成で生で話をされたら仲間になっちゃうわ、という「プレゼン力」の点でもすごく参考になる本でした。

予備知識

10年前の自分は、以下のような予備知識なしで読んだため「よくわからなかった」という感想を持ちました。

同じような経験をしないためにも、私が「読む前に知っておいたらより楽しめたと思う」内容を簡単にまとめます。(全体をざっくり把握しておくとわかりやすさがかなり違う)

哲学の大きな時系列での流れ(この本で触れられている範囲)

古代ギリシア(B.C.400–300頃)にいた偉人。ソクラテス、プラトン、アリストテレス。(こういう人がいた、くらいがわかればいい)

19世紀イギリスの「功利主義」

「最大多数の最大幸福」というのが「道徳的に正しい」という考え方が生まれる。

同時期のドイツに「カント」という哲学者も現れる。

「本当の意味での自由とはなんなのか」ということを考えたり、ある行動が道徳的かどうかはその行動がもたらす結果ではなく、その行動を起こす意図で決まる、という主張などを行う。

1970年代の「ジョン・ロールズ」

正義とは何か。公正とはどういうことか、ということを「原初状態」という状態をもとにして考えるべきだ、という話をして「リベラリズム」が再び見直される。

著者はジョン・ロールズが言う「正義」というものが「これまでの正義」だと考えていて『これからの「正義」の話をしよう』と言っている。

「正義」と「善」と「道徳」

もう一つ日本語で難しいのが「正義」と「善」と「道徳」と言う言葉

「正義」は「Justice」の訳で、日本語でいう「法律的に正しい、公平」というような意味。

「善」と「道徳」と言う言葉は、ある意味「それがなんなのか」を考える行為こそが哲学で、哲学者によって「善とはなにか」は意見が分かれる。

(そしてここ最近の哲学界全体の流れとして、「善」と対する答えを出すのは難しいから、まずは「正義」について考えようとなっている印象)

と、こんな感じで捉えておくと考えやすいです。

あとがき

色々と学んで理解できたことをまとめていますが、まだまだ理解できていない部分はたくさんあります。

最近はこういった分野のことも少しずつ「Anki」を使って整理しており、時間が経ってからもう一度読んでみたら見え方が変わってきそうで、それもまた楽しみです。

これからの「正義」の話をしよう ──いまを生き延びるための哲学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) | マイケル・サンデル, 鬼澤 忍, 忍, 鬼澤 | Kindle本 | Kindleストア | Amazon



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面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト。第5回の本日は、これからの正義の話をしようについて語ります。
第1回、3回、奇数の回が僕が語ってるんですよね。
そうですね。
大雑把に1回目が経済の話だと思っていたら、倫理のことが全然わからないということがわかり、
第3回で、公理主義入門という倫理の基本入門みたいなやつを読みまして、
それきっかけで思い出したのが、これからの正義の話をしようという本。
本自体は2011年の11月に日本で発売されているんですね。
だいぶ前ですね。
僕は2012年の12月に買ったという記録は残っているんですが、
当時の印象というか、当時のことを思い出すと、
なんかあんま面白くねえなって思って途中で辞めてしまったんじゃないかという印象がありました。
そうなんですね。
これ、サンテル教授の講義がベースになっている本なんですけど、
NHKで白熱教室というのがありまして、第12回分ぐらいだったかな。
それがめっちゃ人気だったんですよ。
それは見られました?
見てないっすね。
そうか。それを見て、僕この本を読んだんですけど、
僕はどちらかというとすごく面白かった記憶がありますね。
もう一度読み返しまして、
当時なぜ俺がつまんないなと思ったかというとですね、
個々の事例はわかるし面白いんですよ。
ただ最後まで読み通してわかったのが、
全ての話は最後の最後のサンテル教授の自分の言いたいことをするための話に繋がっているんですよね。
で、その一個一個の理解が浅いために繋がらなかった。
今やっとちょっとだけ繋がるようになったんだけど、
でもね、部分レベルではわかっても、
全体をわかろうとするのはめちゃくちゃ難しい本なんじゃないかっていうのが読み終えた感想。
まあでも部分部分が面白かったら、それはそれでいいかなという気もせんではないですが。
これね、動画、今見られるかどうかわからないですけど、
すごい大行動の中でサンテル教授が口談一人に立って、
大学の政治哲学の講義をする。
それ自身がもうめっちゃ面白いですよ。
なんかこの人すごい上手いらしいですね。
授業がめちゃくちゃ面白くて、それで大人気で、
特に日本でこの本が流行ったから、
哲学というかこの正義論という分野というか、
コミュニタリアニズムと呼ばれるやつというのが、
03:00
なんか日本でも流行ったみたいな話は後から知ったのかな。
なるほど。あとちなみにこの本以降に、
ほにゃららの教室みたいな本が、
ハーバード大学のほにゃらら教室みたいな本がめっちゃ増えましたね。
めっちゃ。だからそのブームを作った本ですよね、この本自体が。
ただやっぱりそのサンテル教授の講義の面白さって、
一方的な語りかけじゃなくて、
こういう問題があります、あなたたちはどう考えますかって言って教師求めて、
生徒の発言を受けて、
それをうまいこと自分の進めたい議論の方に取り込んで、
全体を巻き込みながら話を展開されていくんですよね。
本もその方向ですよね。
やっぱりそういう講義のあり方に触れたことがある人が多分少なかったので、
多分人気あったんじゃないですかね、この本は。
なのでやっぱ単純に教師として素晴らしい人が書いた本で、
そういう意味で、だからきっと人気でわかったんですけど、
でもやっぱり難しかったですよ。
そうですね、だから多分一番難しいのは後半の章なんですよね、きっと。
9章とか10章とか、全員10章だけなんですけど、
後半にかけてサンテルさんが主張しているところにグーっていくんですけど、
そこの理解はちょっと難しいでしょうね。
ある意味では、今まさに彼の中で議論されていることなんですよね。
逆に序盤の方って、いわゆる古典的な哲学についての話なんで、
ある程度共通理解が出てるし、
いろんな人がその話を参照してるから理解もしやすいんですけど、
一番最後は彼の思想を理解しなければならないので、そこの部分が難しいでしょうね、きっと。
当時も多分なんだけど、なので6、7あたりまでは進んだんじゃないかっていう気がして、
その、読み終えてない印象だけはあって、
面白かったけどつまんなくなったという淡い印象なんですよね。
なので、やっぱどこかでわからないところが出てきて、
つまんなく感じたのではないかっていうふうに思っていて。
一つ前の本で、公理主義入門で、
位置づけとしては倫理学としての公理主義っていう捉え方だったと思うんですけど、
今回はもうバリバリ哲学なんですよね。
哲学でも、このサンデル教授は政治哲学を扱ってるんですよね。
政治哲学ってこれまた難しいんですけど、
この本って、現代が、英語のタイトルがJusticeっていう、正義っていうタイトルで、
What's the right thing to do?
正しい行いとは何か、みたいなタイトルですね。複題化。
だから、どこかな。
政治っていう分野において、
何をなされるのが正しいのかを考えるための基準点を作ろうっていう話なんですね。
06:02
そのために、過去の人たちがどのようなことを正しいと考えてきたかっていうのを
たどっていくっていうのが一応大きな話の流れになってますね。
改めて思うのが、自分が例えばリバタリアニズムという話だったり、
自由主義という話だったり、
そういうことをまず全然知らなかったということを改めてよく分かった。
なるほど。
例えば、ルソーの社会契約論、一般意識。
前回でも、ラシタさんに一般意識って知ってるかって聞かれて、知らねえって言ったんですけど、
歴史の中の立ち位置としての社会契約論なら分かるんですよ、自分の中で。
ただ、社会契約論とは何かって言われたら、何も知らなかった。
今回、読んである程度理解できたんだけど、
当時自分が知っていたのは、社会契約論がきっかけになってフランス革命が起こったレベルのこと。
そのレベルの人が読むと、やっぱりまずね、
それは小売主義までしか分かっていなかったので、
リバタリアニズム、リバタリアンというものもすごく分かっていなかった、
理解できていなかったということがよく分かりました。
そうなんですよね。リバタリアンとリベラルってちょっと違うんですよね。
リベラルっていうのは、一般的に経済は自由ではなく、個人としての自由を象徴するもので、
逆に共和党の方、右の方は、個人としての自由というものはすごく制限しようとするんだけど、
経済というものはすごく自由にしようとする。
そこをね、まずアメリカのなので、
俺、自分、今回の本を読んだおかげで、
民主党と共和党のポジションの違いというものも全然分かっていなかったということも、
改めて読んでみてよく分かって。
まあ、そうでしょうね。きっと。
ある意味、トランプさんはなぜあんな人気だったのかというものの、
その一部がちょっとだけ理解できたというか、
そういうことも、例えばそのリベラルと保守というものを分かっていなかったら、
全然分かっていないんだなっていうのも分かったですね。
うーん、なるほど。
まあ、なのでやっぱその、相当自分の知識というものが、
自分が好んできたこと以外何も知らなかったということを、
3冊じっくり読んで、すごく思い知らされた本でもあったのかな。
なるほど。
まあ、で、どうしようかな、本の中身でいうと、
そういえば、この本って、このブックカタリスト初めて、
初めて2人とも読んでる本ですね、そういえば。
ああ、そうなるんだ。そうか、そうですね。
ラッシュサスは10年前ぐらいに読んでるでしょ。
そうそう。で、その時、サンデルさんに結構ハマって、
彼の本をいくつか読んでるんですけど、
その中でもこの本は非常にうまく、
まあ、だから抗議なんで、
09:00
彼の最終的な結論に同意するかしないかは別にして、
歴史の歩みの紹介の仕方っていうのが、
この本でだいぶ深まったなっていうのは、確かにありましたね。
で、目次を見ると、1章が正しいことをすると。
で、2章が公理主義と。
で、公理主義は、ゴリさん、一応前回である程度掴んでやったと思うんですよ。
で、3章からリバタリアニズムと、
4章で史上と倫理。これは多分2つ関係してて。
で、5章でカントの話が出てくるんですね。
6章でロールズ。
で、7章でアファーモアティブアクションがあって、
8章でアリストデウスが出てきて、
9章で抽選のジレンマが出てきて、
最後、正義と共通全っていう話が出てくるんですけど。
まあ、その公理主義を除いた時に、
ゴリさんがこれの中で、さっき開けた中で、
面白いなとか、引っかかったところとかってありました?
引っかかったというかですね、
まず、3がリバタリアニズムということをよく知らなかったということが、
まずよく分かったというのと、
カントが言ってることがですね、結構面白かったんですよね。
カントはかなり奇抜なことをしてますからね。
本当に初体験なんですよ。
言ってみたら、この本がカント初体験みたいな感じなんですけど、
この本で読んだレベルだけで言えば、
そこまで難しい感じもしなくて、
特にね、本当の意味での自由とは何なのかっていう話。
例で書かれていたのが、アイスクリームでどれを食べようか悩んでいるのは、
自由に選んでいるのではなくて、
好みの味を見つけようとしているだけで、
これは自由に行動しているんじゃなくて、
自分の外側にあるものが下した決定に従って行動しているだけだっていう。
この辺りがですね、ちょうど佐々木さん記録って何の役に立つんですか?
っていう本についての対談をしている時にですね、
佐々木さんが無意識な行動というのは自由じゃないんですって言ってたんですよね。
これってすげえ名言だなって思ってたんだけど、
これも関東に基づいたものだったんだっていうことをここで初めて知り。
なるほど。
こういうところで、例えば自分も関東のことを知っていたら、
これはそういう関東の考えていることと近いですよねっていうところから、
話が広がったりとかできるんだなっていうことを思ったり。
この歴史上で哲学者っていうのは星野和音と言うわけですけど、
関東はその中でも外してはいけない人の一人なんで、
現代に続く哲学の思想の流れの中で、
関東を踏み外しているものはほぼないと言ってもいいぐらいの人なんで、
だから何かし絶対誰かは影響を受けているわけですね、この人は。
なので、前回の公理主義入門で関東は超絶難しいから、
12:01
やめといた方がいいぞって書かれてたっていう話なんですけど、
触りのレベルを持ってですね、思ったよりこの人は自分が興味を持てる、
興味深い人なんだなっていうのが、分かったのがまず中盤のハイライト。
でも実際、本は難しいです。読んだら分かりますけど、本は難しいです。
逆にこれはすごくサンデルさんがうまく紹介していると捉えた方がいいですね。
歴史に残るすごい人っていうのはやっぱすげえんだなっていうことが分かったっていう。
それは間違いないですね。
よくこんな理屈を言ってみたら自分だけで考えたわけですよね。
彼も歴史の上にはいますけど、かなり独特なことを祝いましたね。
この人も過去の天才は世界を変えるのを典型みたいな感じなのかなっていうのは、
感慨深いというか、すごいことだなって思いつつ。
あとはですね、ジョン・ロールズがあんまり分かんなかった。
ジョン・ロールズがね、この人たちに比べてもう少し現代に近い人なんですけども、
サンデルさんはロールズ的な考えに対立する軸として自分の考えを出してはるんで、
本来はもうちょっと綺麗に論を立ててほしいんですけど、
ページ数の関係というかコマ数の関係でそこまで詳しくはいけないというのと、
本屋さんに行った時にロールズの正義論という本があるんで、探してもらったら分かると思うんですけど、
クソ分厚いです。
読む気がなくなるぐらい分厚いです。
俺もね、読んでてね、憶測というかね、勝手な推測というかね、
言ってみたらジョン・ロールズとサンデルさんは戦ってる敵同士じゃないですか。
論的同士ですね。
なんかね、嫌いなんでね、あんま詳しく説明してないんじゃないかっていうね、
深読みができるぐらい、ジョン・ロールズに対しては本当になんか浅いんですよね。
ここだけすごく書いてあることが浅い。
まあ、しゃあないですね。後半の9章あたりに出てくるんですね。今ちょっと読みながら見てますけど。
ジョン・ロールズ自体はですね、6章がジョン・ロールズの話なんですよ、言ってみれば。
格差原理も出てきて、一応触れてはいるんですけど、
なんかあのめっちゃ否定したいんだけど、それを書いてしまうと否定しか書けなくなるので、
あんまできるだけこう、違反終わりとしか触らないようにしたんじゃないかって思える感じの書き方で、
特にこの人に関しては全然情報足りなくて、他の情報ソースを結構漁って読まないと、ここが全然わかんなかった。
たぶん最初にこの本を読んだ時につまらなくなったのは、たぶんこの6章あたりなんでしょうね、きっと。
思い返したらそうなのかもしれないですね。事例だけなら面白いんだけど、なんかここはやっぱり足りないんですよね。
確かにそうかもしれない。無知のベールって出てきました、この本の中で。
減少状態とか無知のベールっていう話をしていない、少なくとも強く書かれてはいない。
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そこがちょっと論点のポイントになってくると僕は思うんですけど、無知のベールってたぶん検索したらすぐわかるんであるんですけど、
法律とかを決める時に自分が今この自分である状態じゃなくて、どんな人間になるのかわからない。
あるいはどんな人間にもなり得ると考えて、自分で合意できるものを制定したら、正義にかなうんではないかっていう話なんですよね。
要するに例えば、今自分は白人で生まれてるけど、もしかしたら黒人になるかもしれないって考えた時に、黒人に不利になるような法律に同意することはないだろう、みたいな論立てなんですね。
非常に合理的な考え方なんですけど、それって難しいんじゃないかっていう反論がいろいろ出てるんですよね。
ギャンブルするやついるよねっていうのがまず代表的な批判ですよね。
一番原理的にあり得るのが、結局人間はそういう想像力を完璧に持つことができないのではないかっていう反論があり得るんですよね。
例えば、行動経済学的な知見で言えば、人間の思考力っていうのは限界があるわけで、無知のベールって、どんな人間になってもいいっていう無限の可能性を考えなければならないわけで、
それはそもそも無理ではないかっていう。すごく頭のいい人ならできるかもしれないけど、例えばそれを投票権を持つ一人一人に適用したときに、果たしてそれが正義として叶うことになるのかっていうのは無理じゃないかっていう話が、一応、まっとうな反論としてはあるかなと。
そういうときに、個人個人の判断じゃなくて、別の軸で考えたほうがいいんじゃないか、その別の軸の一つとして共同体っていうのがあるんじゃないかっていうことをサンデルさんは言いたいと。だから必然的に、ロールズの議論は彫刻されなければ、打ち越えられなければならない対象になるんですよね、これは必然的に。
その部分の掘り方が、読み終えてもいまいち納得できない。社会一般で見ると、ジョン・ロールズの評価はやっぱりめちゃめちゃ高くて。
ウィキペディア知識なんですけど、面白かったのが、人気がなかった倫理をもう一回復活させた人、ぐらいなニュアンスのことが書いてあったんですよね。
ちょうど自分の理解というものが、公理主義入門で、公理主義というので、J. S. Millあたりから脈々と続いてきたんだけど、正しいことは何なのかということ、良いこと、幸福とは何なのかということがわからなくなってしまったので、正義というものについて考えたほうがいいんじゃねっていう流れを作ったのが、ジョン・ロールズさんですよね。
おそらくそうですよね。幸福って一人一人違う上にそれでいいんだけど、正義はそれがダメなんですね。ダメだとされてるのが正義というか、何か絶対的な基準がそこにあって、それが例えば社会の中で動いていると、結果的に我々も幸福になるのではないか。あるいは全員の幸福をためることが正義ではないか。これは言われる公理主義の考えですけど。
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っていうもので、社会の不安定性の反転として正義化が求められているっていうことなんですけど、そうしたときに、これからの正義の話をしようっていうタイトルですけど、サンデーさん的には個人個人が判断して価値を最大化する考え方っていうのはダメで、コミュニティ、共同体の価値観を重視するほうがいいんじゃないかっていう話で、
結局一人一人が自分の価値を最大化する考え方っていうのが、いわゆる公理主義なんですね。だから最初に公理主義の話が出てくるんですね。公理主義の基づく考え方が自由市場主義。自由市場主義っていうのはアダム・スミスが古風論で言った、個々人が自分の利益さえ追求しておけば、なんとかすごい全体うまいこといくじゃんってことを言ったりするんですね。
それは結局ロールズのムチノベールと同じ構造になってるんですよね。個々人が自由に判断したらいいのではないか。でもさっき言った自由に判断したらっていうのが本当に自由に判断してるかっていうことをサンデーさんは言いたいわけなんですよね。それは実は他者の規律に従ってるだけではないかっていうことをエッセンスと言いたいから、あそこに感度が持ち込まれてるんですよね。
全体の組み立てとして流れをたどりながらも自分の論説を組み立ててはるんですね。これは読みながら。
ここまで理解すると、ようやくこれからの正義の話をしようというタイトルがすごく日本語として素晴らしいタイトルだったんだなっていうことがやっと理解できたんですよ。
これは抗議論だからこの形になってて、これからの正義っていうタイトルでも一応成立はしますけど、この議論調の感じは抜けてしまうんで、これだから非常にいいタイトルですね。
逆に言えば、例えば俺は当時ジョン・ロールズを知らなかったんですよね。正義の話ということを、そもそもジョン・ロールズが正義の話というのを盛り上げたというバックグラウンドがなかったんですよね。
その状態で読んでしまうと、受ける印象がすごい違うなっていう。
日本で言う正義と英語で言うジャスティスに感覚的な違いがありますよね。きっとね。
そう、言語の壁がまずあって、さらに知識の壁があって、逆に言うと、このジョン・ロールズをちゃんと理解した上でサンデルさんの話を聞くと、やっぱりその全体がちゃんとつながるんですよね。
で、ジョン・ロールズが理解してない上でこの本を読んでも、結局やっぱり個々の事例しか見えてこなかったということがすごくよく分かった。
最後にアリストリエスが出てくるんですよね。アリストリエスは最初の話、本来はトップに置くべき話なんですけど。
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そう、ここもね、やっぱり時系列を無視してて、自分の都合のいいアウトラインになっているっていうのが素晴らしいというか、すごいというか。
倫理の授業というか、学校の授業だったら時系列にしか並べないですよね。
でも、やっぱりサンデルさんの自分の言いたいことを一番的確に伝えるために、アリストテレスが終わる直前に出てくる。
ここら辺まで読んで、サンデルさんの意見はどこに、いつになったら出てくるんだってめっちゃ思ってましたもん。
ずっと解説ばっかりで、もう分からなさすぎるので、そのWikipediaなり、何なり、検索してなりでいろいろ読んでたんですよね。
で、サンデルさんはコミュニタリアリズムというものを主張している人だって書いてあって、いつになったらその話するんだろうなってずっと思ってて。
その話はもう10章の最後の最後だけじゃないですか、本当に。
それもね、多分ね、本を読んでて、当時10年前に分からなかった疑問に思ったことの一つで、結局この人は何が言いたいんだってすごい思ってたんじゃないかと思うんですよ。
なので全体が見えない上で読んでしまうには、分厚すぎて、ボリュームがすごすぎて、脳みそのメモリが足りなくなったっていうイメージなのかな。
ちゃんと脳内に一通りのことがインストールされた状態にならないと繋がらない。これをね、メモリに入れて読み切るのはちょっと大変すぎるぞっていうイメージ。
そういうことはあるんでしょうね、多分ね。パッパッと分からなかったら分からんって飛ばしていくとこの話の組み立てがついていけなくなるもんな。
事例一個一個は全部わかるんですよ。本当にそれが自分で、俺10年前読書を研究してすごい面白いなと思って。
一個一個の事例はいつ読んでも簡単だし分かりやすいし、読んだら確かにその通りだって思うんですよね。
これはすごく理解できる、納得できるって思うんですけど、そこを繋げるためにこの3日ぐらいは毎晩夜鍋して、何て言うんだろう。
ジョン・ロールズを調べて、カントを調べて。
そこの2つがね、分からないとちょっと難しいかなっていう感じがしますね。
で、ルソーの社会契約論に戻って。
そう、ルソーの一般意識っていうのも実はかなり分かりづらいんですよね、あれ。
分かったことはですね、公理主義入門は読んでみたら結構分かったつもりになったんですけど、これはもっと知らないと分からないということがめっちゃあるということがすごくよく分かった。
だからさっきも言いましたけど、倫理っていう中で語られてた話なんで、哲学になるともう一段ステージが広がってしまうんで、これ。
そう、経済学者の名前とかも出てきますからね。
結局政治哲学っていうのが、何か政策決定にとって何が正しいか正しくないかの基準を作ろうという話なので、だから実践と関わるんですよね、絶対に。
24:07
このことは正しいとして、人間的に正しいとして、結果経済がダメになったらどうするんですかみたいな反論にも応えていかないと意味がないというか、政治哲学として成立しないので、結構幅が広まりますよね、こういう話になると。
でね、なんかもう勉強すること無限にあるわって思って、あとはもう優先順位をどこにするか決めないとね、この分野はちょっと広すぎるんですよ。
そうそう、人文トラップですよ。人文の間か。
公理主義入門はなんかね、完結した感じがした。
はいはい、わかるわかるわかる。
あー、読み切ったぞって思ったんだけど、これはね、まだこことこことここは少なくとも、例えばそのジョン・ロールズに関しては完全に未完成で、
でもじゃあ、ジョン・ロールズを知ろうと思ったら、もうちょっと深くルソを知らないといけなくって。で、ルソを知ろうと思うと、ついでにフランス革命も出てきたりとかしてくるし、今度は。
そうやって、書店に行った時に読み台本が増えるわけですよ、これまたね。
むずいっすね。でもね、なんだろう、これは新しい体験だったなーっていうのは思うっすね。なんかね、初めて読書じゃなくて、読学だった気がする。
おー、なんかいいな、それ。
その読書はしたことがあるんだけど、なんていうんだろう、わかんないことをわかるまで努力をして読もうとしたという体験はひょっとしたら初めてなのかも。
諦めてやめていたかもしれないのが、きっとこれで話すって言ったからっていうセルフ締め切り効果?
つまんないとかじゃなくて、わかるまで読むんだっていう。で、月に1回ならやれるので、やろうというので、根性を出して読んで、これが読学なのかということが今ちょっと理解できたっていう感じですかね。
この本は逆にいろんな興味の濃度を伸ばす感じにはなってますよね。より詳しく調べたかったらまた自分でそれぞれ漁ってっていうような感じになってますから。
そうですね。前回はJ.S. Millの自由論ぐらいにしか興味は広がらなかったけど、今回はまずリバタリアニズムというものを知りたく、関東を知りたく、ジョン・ロールズを知りたくっていうぐらいには広がって。
だから倫理学の倫理と道徳に限っている場合って、自分がどう生きれば幸福かっていう話でそのままあるんですよね。個人の話というか。
政治哲学にグッといくと、良い行いとは何かっていう一般性が帯び始めるんですよね、問いの持ち方に。これが非常に話が膨らむんですよ。
コミュニティーの話とか社会の話とか、社会契約論の話とかって、私たちが生きているこの土台において個人がどう幸福を得るのかっていう話にちょっと射程が広がってしまって、
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この社会ってそもそもどう成り立ってんのかっていうふうにして、いろいろ読みたくなる、知りたくなることが増えるんですよね、これ。それが沼なんですけども。
ラシタさんは哲学詳しいですよね。
どうなんやろ。それでうんって言う人は多分いいと思うけど、詳しくはないですよね。
そうか。俺目線で見てっていう話なのか。
これ岡さんよりは読んでる哲学の本は多いと思うよ、っていうぐらい。
学生時代に大学でそういうことをやっていたとか、そういうのではないですよね。
一応僕理系なので。
言ったらなんですけど、理系の学校に行くとこんなことは全く触れないじゃないですか。
おそらくはね。
しかも人文系の面白いことは、何て言うんだろう。大体が頭の中で完結していることっていうのかな。
そうですね、確かに。
で、人文系を学んで思ったのが、やっぱり大体が頭の中で完結していることなので、
この人たちの考え方を理解するというだけで応用できるっていう言い方をするのかな。
そういうことがめちゃくちゃ増える。
そうですね。だから哲学者の仕事っていろいろ定義されますけど、概念を作ること。
新しい概念を作ることとよく言われてて、その概念っていうのが要するに考え方って言い換えてもいいけど、
考えるときの武器になるっていうちょっと攻撃的な言い方もありますけど、
それを取り入れることによって単純に知識が増えるというよりも、
物事の捉え方とか知的操作のバリエーションが増えるとか、そういう効果がありますね。
それが例えば物理、数学は理系にいてちゃんと勉強すれば役に立つということは理解できるんですけど、
役の立ち方が全然違うというのかな。
究極なこと言えば数学はその業界にいなければ役に立つ確率は低いので。
特に応用というか、先に進めば進むほどそうなりますよね。
ただ人文というものは割と生活に密接したレベルで学んでおくと、ストレートではないんだけどすごく役に立つ。
そうですね。だから例えばそこにある前提を疑うみたいなことは、手図学でないと見につかないんですよね。
というのが初めて勉強して、こんな面白い学問というものが世の中にあったんだなというのに結構感心していて。
こういう本を読む人は別に変わっている人たちはないんですよ。ただ単にこういうのが面白いから読んでいるということなんですよね。
しかもやっぱり面白いのに役に立つと思ったっていうのが結構すごいなっていう。
知的好奇心だけではなく、これを何の役に立つかって上手に話せるほど、俺はちゃんと理解はできていないんですけど、役に立つと確信することはできた。
30:05
なるほど。それはでも結構重要なことでしょうね。自分がどこから読み始めたのか。どこから始めて広がっていったっていうことは間違いないんですけど、何から入ったのかな。
それちょっと興味深いですよね。何がとっかかりだったのか。俺はブックカタリストか、言ったら。
多分だから最初に小説があり、小説を読むことが始まって、文学的な小説を読むことが始まって、そこで出てくる、文学小説の中にも哲学者の名前とか考え方とか、それを実際に読んでみたっていう流れかなと思いますね、きっと。
なんか印象に残っている本とかありますか。その分野で最初に読んだとか、これで影響が大きかったとか。
今、最初はそのいわゆる哲学、タイトルに哲学って入っている日本人が書いた本。だから入門書とか、なんか中学生、15歳向けのふにゃららみたいなのを結構最初の頃は読んでましたけど、一番インパクトがあったのは、ソクラテスの弁明っていうプラトンが書いた本と、あと方法序説っていうデカルトが書いた本がやっぱすごいなって、今でも思いますけど。
その原点を読んで面白かったってことですね。
別に全然難しくないんです。特にプラトンのソクラテスの弁明っていうのは、ソクラテスさんと他の人が議論しているのを読むだけなんですよ。
ソクラテスでしたっけ、書かなかったって人が書いたらダメって。
書き言葉を使うことによって人が頭を記憶するんじゃなくて、むしろ書き言葉に頼ってしまって覚えなくなるんではないかって言って書かなかったのがソクラテスで、その弟子がプラトンで、プラトンはそういうソクラテスと誰かが喋ってるのを書き写した対話編って言われてるんですけど。
実際にその通り一字一句を書いたというよりは、ソクラテスってこんな人だったよねっていう一つの想像というかフィクション的におそらく書かれてるんでしょうけどっていう感じでね。
プラトンの弟子がさっき出てきたアリストテレス。この3人が古代ギリシャ三大賢者。
あとはね、余談チックになるんですけど、倫理哲学で面白いなと思うのが、アリストテレスからめっちゃ時代が飛んで、次のヒマナ時代が来るまで哲学という分野は大きな業績を残していないということ。
おだしょー そうなんですよ。あれ年表作ると分かるんですよね。古代ギリシャから西暦を越えるまで結構空白なんですよ。
その時代はみんな、哲学は心に余裕がないとできないことなんだなっていうことをすごい思って。
おだしょー その頃はどちらかというと、古代中国あたりの思想はわりかし活発だったらしいですけど、古代ギリシャはなぜか途端に名前がないんですよね。
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おだしょー まあそうすると経済的なもの。いやもう、どうだよなあ。ソクラテスって、古代ギリシャの中でもポリスと呼ばれるような都市国家がいっぱいあって、実はそこで結構戦争とかもあったんですよね。
アテネで、戦争は起こってるけど奴隷になんかやらせていて、ある程度みんな暇なのでずっとくっちゃべってたんですよね。
おだしょー その言い方はちょっとひどいけども、いわゆる今で言うと貴族みたいな人たちと奴隷っていうのがいて、労働は奴隷のすることで立派な市民は頭を使って考えて政治に参加することが義務だみたいな時代はあったでしょうね、おそらく。
俺の言い方をあえてそういう言い方をするんですけど、アテネ、古代ギリシャの時代は奴隷がいるおかげで市民と呼ばれる人たちは超暇だったので、暇でしょうがねえから何しようかなって思ってしまったので、幸福について考えていた。
おだしょー それはさすがにあれだけど、結局その時代の市民って賛成権持ってて、議会に出て発言する人たちでいわゆる政治家だったわけですよね。だから彼らは人々がどうやって幸せになるかを考えなければならないという義務を持っていたと信じたいですけど、僕はまあわかりませんが、暇だっただけかもしれませんけども確かに。
ギリシャの覇権がなくなり、ローマに移り、いろいろあって、特にヨーロッパは経済、文明の発展がなかなか苦労していたので、次に流行るようになったのがようやく産業革命とかそういうことで富が蓄積されるようになるまで、西洋のその手の哲学というものに大きな変化がなかった。
中国とかも、古代にしかいないですよね。有名な思想家は。
西洋が活発になってきた後は逆になくなるというのはありますね。不思議なことに。
中国に関しては、さっきみたいな話でちょっとつながらなくてよくわかんないんですけど、中国の場合は逆に春秋戦国時代という、みんなずっと戦争してた時代に、あの頃は逆に面接一つで渡っていけたからその手の人たちがいっぱい出てきたということなのかな。
おだしょー 社会が混乱しているときに一つは教えを説く人がありがたがられるっていうのはまずあるでしょうし、取り立ててもらえる知識がある人はステップを上っていける。つまり奴隷と市民という二分じゃなくて、ちゃんと勉強した人は省に認められて軍師になるとかいうことがあったんで、ちょっと動機づけがやっぱりあるんじゃないですかね。
いろんな人が考えるということの。
ある程度進めると架橋ができてしまって、みんな官僚になってしまうので、そういう思想家みたいな人が出にくくなってきたのかな。
36:08
おだしょー ああ、なるほど。
まあ、完全に余談の歴史トークなんですけど。
おだしょー 余談の歴史トークで言うと、ヒストリエって漫画知ってます?
はい。多分一番新しいとこぐらいまで読んでるような気がするんだけど。
おだしょー それならいいです。知らんに言ったら読んでほしいなと思っただけなので、大丈夫です。
ちょっと話が戻るんですけど、この本の中で一番面白かったのは、ちなみに最後のサンデルさんの10章に出てくる同性婚についての話。
このアリストテレスの話まで全部繋がって、結婚に関しては政府というものは3つの方針を取れる。
一つは男女のみの結婚を許すこと。もう一つは同性同士の結婚をも許すこと。
そしてもう一つというのが、政府は結婚というものに関して全て承認という行為をなくしてしまうという決断ができる。
おだしょー そうですね。これは結構自分の中で衝撃を受けたというか、言われてみれば当たり前なんですけど、そもそも結婚ってなんで2人でしないといけないの?
っていうことですよね。
おだしょー すごい。結婚をするということ自体が道徳として縛られている。
なぜ2人でそんな独占契約というものを結ばせようとするということを、国家がそれを承認していいのか?
逆にリバタリアン、真のリバタリアンだったら、結婚という儀式というか、その仕組みを国からなくせっていうことが本当に正しいことなのではないのか?
おだしょー そこは感動的ですよね、要するに。結婚するかどうかの自由じゃなくて、そもそもその結婚ってどうやねんって問う自由があってこそ本来の自由っていう。
同性婚とかって正直対して別にどうでもいいというかあんま深く考えていなかったんですけど、そこにそういう考え方をすることで、
自分のしたい話にちゃんとつながっている国家の枠組みというものがその結婚というものを承認するかどうかという行為というものが、
もう言ってみれば文化に紐づいている行為であって、文化というか歴史かな。なのでその人は人との関係性でしか自分の正しいことという正義というものは決められないんだっていう。
その例え話で結婚で、あとさらに言えば、そっかそもそも結婚ってなんて言うんだろう、しなくてもいいというか仕組みをなくしてしまえばいいということは一度も考えたことがなかったんですよね。
だから結局、税制上の優位とか資本の財産の分配っていうのを全パートナーシップに認めれば、別に結婚する必要は、いや結婚でなければならない理由はどこにもないってことですよね。
39:04
そう、だから自分がいかに、別にそんなことに対して特に強い意見とか考えは持っていなかったけど、固定観念にいかに縛られていたかというのをこれを読んですごく思った。
それがやっぱ哲学の一つの仕事なんですね。やっぱり批判的に考えるということで。これ最初の方に書いてあったかな。講義のね、動画の講義の1話目、第1行目で、哲学っていうのは毒であるってサンデルさんは言うんですよ。書いてないかな、本の中では。
結局その毒によって、今までの物の見方が変わってしまうと。で、例えば今ゴルフさんが言ったような固定観念、社会がこうあるのが当たり前っていう考え方が変わってしまったときに、すごく逆に不幸になってしまうこともあるんですよね。
例えばそれは間違ってる、これはおかしいって言い続けると、心の中に不満がずっと溜まるじゃないですか。それよりは当たり前を受け入れてた方が、不幸さは減る。それの生き方が幸福かどうかは知らないけど、すごく悩むことは減ると。
だからそのうまく使うことで、新しい変えていく力は得られるけども、量を間違ったら結局いろんなものの不信になってしまう。
毒にあたって何もダメになってしまう、あるかもしれない。
前提を疑うっていう哲学の仕事っていくらでもできちゃうわけなんで。だから今自分が生きてるのももしかしたら違うって言おうと思えば言えちゃうわけで、そんなことをずっとつけたら精神やめますよね。
だから扱いは難しいんですけど、やっぱりその毒の力、ちょっと疑ってかかる力っていうのは哲学でないと得られないもんでしょうね、きっと。
不満足した豚よりも不満を持った人間でないといけないという、人間になると不満が出てきてしまうんですよね。豚だったら満足だったかもしれないことが。
その不満足を消すっていうことが良いとするならば、孔理主義で言ったらその方が孔理なはずなんですけど、それは本当にいいのかっていうことなんですよね。
そういう意味でもやっぱり孔理主義というのは今で言えばちょっともう古い学問ということになってしまうかもしれないですね。
だからその良いところももちろんあるんですけど、価値で測れないっていうのと、だいぶ前も言いましたけど、脳に電極させてずっと幸福ホルモンが出てたらそれ幸福やって言われたときに、どう反論していいのかっていう話なんですよね。
めっちゃわかりやすかったけど、やっぱり隙が多い分野、まだまだ考えが足りていなかった、もっと成熟させようがある分野なのかって感じですね、孔理主義に関しては。
42:05
2つあって、価値が幸福なり苦痛なりが快楽が、まず計量できる、計算できるっていう考え方そのものが、モデルとしてもちょっとあまりにも乱暴すぎるっていうのと、
あとそれに基づく自由市場主義っていう、個人が適切に行動したら市場が良くなるっていう、その個人がそもそも不合理な存在だっていうことを完全に忘却してしまってるんで、市場主義と単純な孔理主義っていうのは、人間っていうものの存在をちょっと高く見積もりすぎてる?
そこをちょっと人間っていうものの見方をアップデートしていかなあかんのですけども、その時に人間が愚かやから、じゃあ例えばAIに導いてもらおうみたいなのが、パタナーリズムの進化版みたいなものですよね、超パタナーリズムみたいなものですよね。
それでいいのかさっても、やっぱり人間っていうのが、例えば、お皿の色によって食欲が違うって話あるじゃないですか。青いとか緑だと食欲がダメみたいなんで、置かれた環境によって思考の働き方が異なるんだとしたら、その適切な環境に、適切というか良い環境に置くことで、その不合理な人間でも少しは合理的に考えられるようになるんではないかみたいな考え方で、ちょっとマシにしていくっていうアプローチももちろんあるわけなんですね。
だから、ここら辺がどう進むかはわかりませんが、やっぱりその旧来のホットキャー、上手いこといくっていうのは、いわゆるネオリベラリズムってやつなんですけど、まあ無理。それはまあ無理だろうと。結局、市場って失敗しまくってますからね。
例えば、需要と供給のバランスっていうのがよく出てくるんですよね。なんか人気のものが出てきたら値段が上がると。値段が上がると欲しい人が減るから、需要の増えるのを抑えることができるっていう話で、まあ上手いこといくねって話なんだけど、例えば日本でマスクが少なくなったときに、めっちゃ値段がかかって買いたい人が買えないとか、あとメルカリとかでマスクの箱だけ売る人が出てくるとか、自由にやったら結局そういうことになっちゃうわけなんですよね。
これは。だからやっぱり規制が必要って言うと、パターナリズム感が出てくるんですけど、何かはいるんでしょうね、きっと。
このね、さっきのまさに繋がるんですけど、こういうことを学んでおけば、転売屋がなぜ悪いのかということが、ちょっと俺は一言では説明できないんですけど、やっぱりなぜ悪いのかを説明するためには倫理を学ばないと、もう難しすぎる。
アリストテレスの話が必要ですね、きっとね。それを持つに値する人は誰かっていう話で、まあ転売屋ではないということなんですね。
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そう、なんかね、現代の悪目立ちしている人たちというのがね、そのいわゆるリバタニアリズムの行き過ぎたところっていうか、その人たちに文句を言うためには、この理論武装がいるんですよね。
だから、そういうアリストたちを嫌うのは、理論を身につけてしまった人たちにとって、アリストたちはすごいイライラするんですよね。そこの道はもうすでに俺ら検討してダメだって言ったじゃないか、みたいなことをしてあるから、イラッとするんですよね、きっと。
で、結構多くの人が感覚的にそれは何か間違っているような気がするって思っても、なぜ間違っているのかは整理して、うまく説明ができない。で、そのための武器になるという言葉になるんですけど、武器としてこのジャンルだなっていうのは発見というか思い知りましたね。
おだしょー 逆に言い方すると防具にもなるんですよね。つまりそういうことをすごく理屈立てて言ってきてるけど、なんか原理的に考えたら変だよねって反論できるってある種の防具じゃないですか。だからやっぱりそのために、むしろ防具的なほうの役割のほうが現代では強いんじゃないですか。この情報がクソみたいに飛び交う中では。
おだしょー まあね、簡単に怪しいサロンに行ってしまうことを考えたら防御力としてはいるかもしれない。
おだしょー だから結局怪しいのに騙されないっていうことって、当然お金を失うっていう被害があるじゃないですか。でもそれはまだ一時被害なんですよね、実はね。二次被害としては自分の価値観がそっち方向に染まってしまう。物事とか人の捉え方がそっち方向に染まってしまう問題があって。
人との関係性とか信用っていうのが共同体ベースじゃなくて自己の利益ベースになってしまう。あるいはその人がその人がその尊敬する人が儲かれば何でもいいみたいな方になってしまう。これ価値観なんで見えないんですよね、自分がそうなっているのが。お金を失っているのは通常見たらわかりますけど価値観が変質しているのってわからないんで。
しかもそういうのに参加すると周りの人からああいうのに参加する人なんやって思われるんですよね。だから社会的な信用の価値も減らしてしまうんですけど、それもまた残高が見えないものなんですよ。
お金よりやばいのはそっちですよね。
現代の場合特にそういうのがはっきり見えてしまうんで。それで失うものというか新しく生まれるものがそれで減ってしまうというか。あの人とあまり付き合いたくないよねってなってしまうんでね、やっぱし。
そこがね、そのきっかけとして素晴らしいなっていうのが一番の感想なのかな。単純に面白かったというものもあるし。
あと、これはって思ったのが、もう一回リバタニアリズムじゃないや、ジョン・ロールズさんに戻るんですけど、格差原理の話。
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人が生まれ持った社会的成功はほとんどが運だっていう言い方。あれを読むと救われる人というのがすごくいっぱいいるような気がして。
例え話で出てきたのが、ウッディ・アレンのスター・ダスト・メモリーっていう映画で、サンディさんとジュリーさんっていう人が出てきて。
どっちがどっちか忘れちゃったんですけど、タクシー運転手と超売れっ子コメディアンみたいなのがいて、
その超売れっ子コメディアンが地元に帰ってきて、タクシーに乗ったら、昔の友達がいて、お前めっちゃ売れててすげーよなーって言ってるんだけど、
その超売れっ子コメディアンが、たまたま今の時代というものは、面白いことを言うやつというのが高く評価される時代なだけで、
俺がすごいんじゃなくて、俺は運が良かっただけなんだっていう言葉。
確かジョン・ロールズさんは努力できることすら運だって言ってるんですよね。
そうですね。それも実際、くつくえの前に座ってコツコツ勉強できる人っていうのは、
遺伝的な要素はかなり強いでしょうし、もっと言うと家庭的な要素もあるでしょうから、
その努力できる土台っていうのは、その人のいわゆる自由意志だけで獲得されたものではないでしょうね。
っていう考え方は、結構、現代社会の暗い面というものを救い得る考え方じゃないかなっていう風にこれを読んでいて思って。
ある意味で、自分のせいじゃないんだって考えられるってことですね。
それはあんま悪く言ってしまうと、ただの無責任なダメなやつになってしまうので、難しいんですけど。
そういう意味で、ジョン・ロールズさんというのをもうちょっと知りたいなって思ったりもしたかな。
これね、ジョン・ロールズさんの原本に当たるのはまず無理として。
ああ、そうなんだ。
いや、別に本には言って、ブーツさん見てから判断してもらったらいいですけど、まあ積極的に思うとは思わないと思いますよ。
でもね、あんまりロールズさんの日本人が書いた改正書ってね、あんましないんだよね。見かけない。
ああ、そうなんだ。ウェブで調べる限りでも、あのね、ジョン・ロックと混ざるんですよね。
やっぱりなんか、その、正義論とか社会論の中でロールズが惹かれてるのは結構あるんですけど。
ロールズそのもの、NHKの100分で名著とかがあったら一番いいんですけどね。
あれはいいですよ。確かね、カントは出てたはず。確かカントは出てたからそこから行くといいと思います。
それぐらいだったらだいぶ読みやすいと思う。
で、サンデルさんをもし広げるんやったら、それをお金で買いますか。市場収入の限界って話。
さっき言った市場に全部任せてたらうまいこといくのって、たぶん嘘ですよねっていう話。
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で、特に重要なのが市場が人の道徳的な観点を壊してしまうっていう話なんですよね。
で、幼稚園の地獄の罰金の話が一番あれですけど。
だから結局お金を絡ませて何でも買えるってしてしまうと、そのものの価値そのものが人間の価値観として変質してしまうんで、あんまりよろしくないんではないかっていう話があって。
もう一個、こっちもちょっと学術書っぽいんですけど。
完全な人間を目指さなくても良い理由っていうのって、副題がね、遺伝子操作とエンハンスメントの倫理ってちょっと難しそうな感じなんですけど。
だから人間、良いこと、善とかを目指すときに、例えばあることができない状況とできる状況だったらできる状況の方が幸福だと仮に言えるとしますよね。
そうしたときにじゃあ自分の子供を作るときに遺伝子操作をして、より健康な、より能力のあることを作ることは幸福につながるっていう論に対して、本当にそうかなって言ってるのがこの本です。
めっちゃ現代的なやつですね。現代の問題を、もう一個先の問題を考えるにあたって。
生命理学論ですね、これはだから。
簡潔に言うと、そうしてしまうと、人間の性っていうのが、性って生まれるっていう字ですけどが、与えられたものとかいう感覚じゃなくて、むしろ自分が作ったもの、所有物になってしまう。
それは結局その生命の価値そのものを既存してしまうのではないかっていうので、だからこれさっきの史上の倫理家と同じ話ですね。
だから結構全体的にサンデルさんはその論調です。
今思ったけど、やっぱ今の時代になって、いろんな学問が合体してきている感じがするなぁ。
遺伝子考えるにして、遺伝学の人たちが哲学で考えないといけない問題が出てきて。
でも最近よく言われているのは、学問がそれぞれ再分化して専門化して、同じ学問の領域ですら隣の部屋でやってることが理解できひみたいなのがあって。
そうなると当然、生命工学と哲学のブリッジングっていうのはかなり難しいことになりますよね、きっと。
そのあたりは難しいですね。今の時代にリベラルアーツというものがもてはやされているみたいな言い方をしているので、そういうところで幅広く学ぶということが広がっていったら良いんですかね。
理想としてはね。
こんな難しいことを余裕がないとここまで学んでいられないっていうのはすごい思ったですね。
学べたらいいし、学ぶべきだと思うけど、学ぶことを前提として何か制度を組むと、人間に完璧さを求めすぎてるというか、そんな風にはならないだろうなと。
54:03
だからさっき言ったマンガとかベースで興味を持って広げるとかいうのが良くて、働く細胞っていうマンガもあるんですけど。
人間の体めっちゃよくわかるやつね。
あれも結構、科学的な知識を講義帳で説明するんじゃなくて、マンガのわかりやすい形でつなげているところがあって。
教科書を読んで学びましょうというよりは、そういう形でサブカルチャーに侵食する形で広がるのが一番広がりやすいような気がしますね。
実際、学術とか記憶の話で言っても、その辺よく見てるんですけど、テキストじゃなくて図で覚えろっていう、そっちの方がはるかに効率いいぞっていうのは言われてるんで。
そうですよね。テキストを読むより表とか図とか絵とかを見た方が効率よく記憶がしやすい。
そこをもちろん動線にして、その入り口以降はそれぞれのテキストを読むのはいいんですけど、段階的に最初はそれから入って、
次にNHK百分の一名町入って、新書で入門してそれぞれの本に入っていくぐらいの階段が設計されていると良いかなという感じがしますね。
大体大きな流れが分かってまとめると、ギリシャの最初の頃に哲学というものが始まったのは古代のギリシャなんですよね。
その後にJ.S. Mill、ジェレミー・ベンサム、ちょっと後にカントさんってフルネーム何でしたっけ。
エマニュエル・カント。
エマニュエル・カントあたりの経済が発展してきた頃に、公理主義に代表される分野と、古代のギリシャの哲学があって、公理主義というものがあって、
俺の認識なんですけど、そこから一時、哲学という分野がちょっと盛り下がっていたところに、
ジョン・ロールズさんがその正義というものを考えようということで、再び哲学という分野が盛り上がり、
そこに反論するという形で出てきたのが、マイケル・サンデルさんみたいな形なんですかね。
サンデルさんがさっき言ったように、生活に密着した形の哲学というか、私たちが何かを考える上の土台で、
あとフランス現代思想というのがありまして、それはまた別個で現代的な盛り上がりを見せてるんですけど、
それはまた別の話なんで、とりあえずここではやめときますが、それはそれでまた別ルートがあります。
別ルートね。サンデルルートじゃない方もあるってやつね。そっちはまだ未知なので、何も分からずっていう。
でも何冊かの本を読んで見事に繋がるっていうことが、ちょうどいい感じに体験できて良かったですね。
なるほど。ちなみに、カントの言った話の自由の話で佐々木さんのあれが出てきましたけど、佐々木さんは心理学系統じゃないですか。
心理学系統というのはラカンという方が有名で、実はラカンって前回名前を出したハガキが届く届かへんみたいなので、届くって言った方の人なんですね。
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そのラカンって欲望というのは他人の欲望であるって言ってあるんです。同じことです。実はここまで繋がるんです。
このルートも繋がるんです。だからそっち方向を広げると、今度はラカン佐々木さんルートっていうのも精神分析ルートっていうのもまた広がってます。
やっぱあれですね。古代からどんどん分野が細分化して、いろんな切り口で勉強ができるというのも面白いところかもしれないですね。
哲学という見方が結構ここでも経済学者は出てきたし、心理学はここでは出てきていないけどきっと関わっているし。
哲学って総合学問というか、ホニャララとは何かを通った時点でもうそれは哲学になってしまうので、あらゆる分野に顔を出しますよね。
人文系の基本とも言えるとも言えなくもないのかな。
スタート地点であり、今でもずっと基礎で。さっき言ったように、ある分野をまたぐことって哲学の仕事なので。
だから財前線を走るのもやっぱり哲学っていう感じがしますね。
そうですね。そういう意味で、とっかかりとしてこの本は10回ぐらい読んでもまだ難しいというか、逆に言えば何回読んでも面白いんじゃないかっていう印象を受けました。
正直だいぶ分かってないんで、これはもう1回ちゃんとノートをまとめて、ノートの内容を覚えて1年後ぐらいにもう1回読んでみたら、どう印象が変わるのかっていうのはちょっと今やってみようと思っているところです。
1ヶ月あったけど、しっかり理解するには時間が足りなさすぎた。
全てをここに費やせば1ヶ月になるんだけど、かもしれないけど、その日常生活を送りながら1ヶ月で学びきれる内容ではなかったけど、読めるようにしているのはやっぱりそのサンデルさんのすごいところですね。
ある程度部分部分はつかめるようになっているっていうのはさすがです。
大体今回はこういう感じでしょうかね。
では感想や質問などがあれば、Twitterでハッシュタグ、カタカナ、ブックカタリストをつけてつぶやいていただけるとありがたいです。
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それでは今回もお聞きいただきありがとうございました。
ありがとうございます。
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