1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #190 哲学と倫理は違う?ロー..
2024-02-21 50:57

#190 哲学と倫理は違う?ロールズが論じた正義の原理

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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00:05
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回から正義についてやってたんですけれども、今回はロールズでしたっけか、という方の正義について、より具体的なところを見ていくというところでした。
はい、その通りです。ロールズさんという人がですね、正義論っていう本を書いたんですけど、
これが現代、僕らが生きている時代の正しさとか正義とか、
それも前回、兄貴と話したけど、正義の味方とかヒーローという意味でも正義というよりは、
社会的にとか、世の中でどんな風なものを正しいとするかとか、どういう風な法律っていうものがいいとされるかみたいな、
結構そういう風な考え方というのが、この土台が正義論という本にあると言われてるんですよね。
なので、ちょっと大きな正義という話というよりは、もうちょっとこの社会の中での正義とか、あるいは政治とか法律とかね、
もしかしたらあと兄貴が詳しいというか、好きなのかな、経済みたいな話あると思うんだけど、
詳しいかは知らないけど、
大学でやったと思うんですけど、そういう風なものの前提になれる正しさみたいなものって、
結構このローズルーズの正義論というところから出てきてるんですよね。
じゃあかなり今の社会の正義とか法律を規定する、かなり根本なんだ。
すごい広い意味での正義哲学というジャンルがあったとしたら、この人が割と実践的なところは作ったよ、みたいな土台をね。
そうだね、規定するというとまた違って、それこそアリストテニスみたいにそこから全部の哲学が出てきましたというよりは、
ロールズが書いたことによって議論の的が絞られたというか、
そういう風に話していけば、正義についてちゃんと話せるというのもあるし、みんなが気づいて、
ロールズを批判する人もいれば別の議論を立てる人もいるから、
ロールズだけが正しいというわけじゃないんだけど、ロールズの正義論を土台にしていろんな議論が巻き起こってますよ、みたいな、そんな感じなんだよね。
ああ、それはすごそうだね。
そうそうそうそう。
面白いんだよね。
うん。
なので今日はちょっとそういったロールズの話とかしていこうと思うんですけど、
これもね、さっき言った岩波の辞典でもちろんロールズっていう名前を引くことができるんですけど、
実はそこにはロールズは倫理学者として紹介されてるんですよね、哲学者じゃなくて。
03:03
また違うんだね、そこはね。
そう、哲学、そうそうそう。
で、これ何?っていう話なんだけれども、ちょっとこの後もちゃんと見ていくんですけれども、
いわゆるロールズの場合ね、やっぱり正義っていうものを、いわゆる抽象的な、なんだろう、正義とは何かとか、
悪とは何か、みたいなことじゃなくって、
具体的な社会とか政治の場っていうものにおいて、正しいものとか正義ってなんだっけっていうことを考えてるんですよね。
ああ、そっか、そこがちょっと哲学と倫理の差みたいな感じなのか。
そうだね、結構ね難しいところではあるんだけれども、
逆に言うとロールズの正義とかを考え、これが1971年に出てる本なんですけど、
その時代ってむしろ哲学的には、まさにさっき言ったような正義とはとか、
正義っていわゆる文章の中でどんなふうに言い表されるのかみたいな、
そういう実生活とか世の中とは切り離さずのところで議論が行われたらしいんですよね。
なるほど、なるほど。
そうなると結局、それどんだけ言っても僕らの生活よくなんないよね、みたいな話があって。
とはいえ課題はいっぱいあるでしょ、正義にまつわるね。
そうですそうです。
ロールズの場合はそれをちゃんと乗り越えよう、しかも学問的に乗り越えようみたいな話を持って、
この正義論という本を書きましたと。
そうなの?
うん、という感じなんですよね。
当然自分の思いつきを書いたわけではなくて、前回にお伝えしたようなロックとかルソーとか、
やっぱりそういう哲学者の影響も大きくあるし、
あるいは公理主義というものを乗り越えようみたいな、そういう発想もあったらしいんですよね。
はいはいはい。
そういう意味では、例えば大学で哲学を専門的にやってましたみたいな人ではないという意味では、哲学者ではないと言えるかもしれないんだけれども、
ちゃんと哲学的な流れとか思想的な歴史みたいなものをちゃんと踏まえた上で、
自分の関心のある倫理というか正義というものについてきちんと世の中で発信しましたよと。
そういうような人なんですよね。
そうなんだね。
当時からいわゆる倫理学みたいなのはあったのかな?
そこがまさに面白くて、
結構この1950年ぐらいのアメリカだと、そもそも倫理学学問なのかみたいな問いがあったんですって。
なるほど。学問なのかと倫理はとそもそもね。
そうそうそうそう。
哲学と何が違うのかっていうね。
っていうのもあるし、要は自然科学みたいに観測して、これはHという元素とかあるいはそこの中にも原子核と原子があってとかっていうふうに見えるならさ、学問としてみんなで参加できるじゃん。
06:07
なんかどこか原子学とかでやったなっていうか、学問の学問と言える。
原子学もそうそうそうそう。
まさにその学問の基礎って何?みたいな話なんだけど。
倫理学ってそもそも良いとか悪いみたいな話って、人によっても当然違うし場所によっても違うしみたいなことがあったときに、
学問としていわゆる共通の基盤に乗せれるのって話から出てくるわけなんですよね。
それがもう1950年ぐらい?
50年ぐらい。
割と最近の話なんだろうね。
そうなんだよね。
だから実際、ロールズの博士論文があるんだけど、このテーマっていうのはまさに倫理学の知の根拠、初根拠に関する研究っていうものらしくて。
まさに倫理学を根拠づけるっていうところから頑張ってるんだよね。
すごいね、自分がやってるのは真っ当な学問なんですよってことを証明するってことも同時進行でやってた人がいると。
面白いね。
ただやっぱりこんなことを考えましたじゃなくて、学問としてちゃんとこれがみんなで議論できるぞとか、学術的な流れの中に乗ってるぞみたいな。
そういうところを打ち立てるってこと自体が難しかった中でやっぱりそれをやったっていう。
そういうすごさがあるんですよっていうふうに書いてて、読んでて思ったね。
なるほど。じゃあすごい歴史的な、まだ日が浅いかもしれないけど、すごい人なんだね。
やっぱり正義といえばロールズみたいなのは、もちろんそこの批判とか乗り越えっていうのは全然あるんだけど、ロールズ抜きには勝たれないってところはあるみたいだね。
倫理学は今は学問としては認められてる?
今はバッチリあります。認められてると思う。
まだ認めてない人もいるかもっていう話はある?
わかんない。その学問として認められてるのは何を指すかちょっと難しいなと思ったけれども、普通に倫理学部とかもあるだろうし。
そういうのはあるんだね、じゃあちゃんと。じゃあ一応学問でしょ、それは。
そうですそうです。みたいな感じになっておりますよと。
でね、さっきちょっとロールズが過去のロックとかルソーを踏まえたツアーと公理主義を乗り越えたって話をちょっとしたんですけど、
まさにね、結構当時のアメリカとかイギリスとかではですね、いわゆる公理主義っていうものがすごい強かったらしいんですよね。
はいはいはい。
これちょっと前回も簡単にお伝えしたけれども、少しだけ詳しくお伝えしていきますと、
09:00
公理主義ってよくある最大多数の最大幸福みたいな感じで、
いわゆる社会の幸福を最大化するのだと、それが善だみたいな話だよっていうのは結構皆さんも歴史の教科書とか倫理の教科書とかでやったかなと思うんですね。
なんとなくベンサムの名前は聞いたことがあるかなみたいな。
ベンサムとかミルとかっていたと思うんですけど、
これっていわゆるなんとなくコンセプトみたいな感じじゃなくって、やっぱり実際に政治とか法律っていうところにも影響を与えていくんですよね。
これを元に法律が作られちゃったってこと。
作られちゃったというか、作ったってことだね。
分かりやすいんですよ。やっぱり植えてる人がいるんだったら、そういう人たちに行き渡るように食料を分配しようとかっていうのも、公理主義的には考えやすかったりします。
いわゆる政治の仕方と社会とか民主主義的な世の中の在り方って全然リンクするんだけれども、
これ前回兄貴もちょっと触れてくれたと思うんだけど、やっぱり公理主義っていわゆる少数派とか、意見の弱い人っていうのを排除するロジックっていうのが結構その中にあるんですよね。
最大公約数的な考え方をしちゃうから。
最大公布だからね。
出てきた答えから外れる人の方が多い可能性もあるっていうね。
場合によってね。
もちろん個人と社会っていうのは同じ方向向いてて、例えばご飯食べたい、みんな植えるのは嫌だっていう時に、じゃあ植えを少なくしましょうっていうのはまあいいんだけど、
例えば個人の幸福と社会の幸福が対立する。
社会的にはこういうことが望ましいけど、自分は全然別のことをしたいっていう時にそれを抑え込まれちゃうとか、
あとは社会の中で少数派と多数派の対立。
大多数の人は、例えば今でもあるけれども、男女ってものがあって、男女で結婚すべきと思ってるんだけど、
例えばやっぱり男性、男性、女性、女性同士とか、性別でもそもそも男性と女性だけじゃないよねってなった時に、
そんなことはおかしいとかって言われちゃうとしたら、やっぱりそれって社会全体としては幸福っぽく見えるかもしれないけど、
やっぱりその割をまさに食ってるとか不幸せになっちゃってる人がいるという時に、
こういう主義だとやっぱりそれを救えないみたいなのができちゃうんですよね。
なので、やっぱり高齢主義っていうものはもちろん便利だしいいんだけど、
やっぱりすごく怖いというか抑圧的なものじゃないかっていう思いがロールズの中にあったんですよ。
12:01
理論的に見たらすごい良さそうだけれども、実際そこからはぐれた人間の不幸せを考えると結構危ないぞっていうね。
だからやっぱり実際ロールズの高齢主義は個人の多様性みたいなものをやっぱりちゃんと目を向けてないぜみたいなことを言ってるらしくて、
もちろん現代の高齢主義はもうちょっとそれを発展させてとかちょっと違和感があると思うんだけど、
当時の1950年とか、正義理論があったら70年くらいの高齢主義だとやっぱりこれは乗り越えられるべきものだと。
逆にさっき触れたようなロックとかルソーみたいな社会契約説みたいな、
もともと人間というものがあって、それがどう社会を営んでいくかっていうときにお互いに契約をするんだみたいな考え方。
これを復活させて新しいその正義、公正としての正義みたいなものを打ち出すんだっていうのが、
このロールズが正義論っていう本でやろうとしたことだというような感じなんですよね。
なるほど、なるほど。
でもすごくどっちも僕らに馴染むと思うんだよね。
やっぱり世の中全体が幸せであれみたいな話と、
でもやっぱり自分がそこから漏れたら嫌だなみたいなのって結構感覚的にあったりするじゃないですか。
そうだね。
やっぱりそういうのは結構この辺りの公立主義とかロールズのこういう社会契約説的な考え方とかっていうので、
学問的にはというか、層的には土台がちゃんとあるんだよね。
なるほど、その社会契約説的なのが1950年代ぐらいになってくると、
大変ちょっと個人というよりも国とか民族みたいなのが大きな方に増えてきちゃって、
またちょっと個人の幸せってなんだっていうふうにまたちょっと戻ってきたみたいな感覚なのかな。
そうだね。でもやっぱり20世紀ってやっぱり戦争の時代じゃないですか。
やっぱりアメリカはもちろん第二次世界大戦やって、アメリカは勝った側だけれども、
当然最大幸福だ、社会の最大幸福だって時に、
じゃあ全員戦争に行けみたいな議論っていうのはやっぱりまかり通っちゃったりするわけですよね、そうなると。
っていう時に本当に社会ってそれでいいんだっけとか、
その戦争が終わった後やっぱり社会を立て直していく時にいろんな移民の問題とかもあっただろうから、
そういう中で例えば少数派が排除されるとした時に、
それっておかしくねみたいなことって結構切実な問題としてあったんじゃないかと思うんですね。
ほぼほぼ。
だから多分、ごめんちょっと兄貴が今言ったことをあんまり考えずに喋ってしまってるんだけど。
15:01
ちゃんと話聞いて。
聞いてごめんなさい。喋りたいこと喋っちゃったよな。
だからなんていうか、ごめんちょっと兄貴何て言ってたっけ。
社会契約説と法律主義の関係だね。
また順番で言うと社会契約説の方が先に出てきたと思うんだけども、
それをもとに国だったりとか社会ってものがどういう風に、
いわゆる王様とか絶対君主みたいなものを排除した上で、
個人個人が集まって、
絶対的なものを抜きにして社会を一丸でいくとはどういうことかということを、
社会契約説のもとに多分いろんな形実現してきたと思うんだけども、
ただその結果多分またそれがうまくいかないことがあって、
ちょっとまた個人個人同士の契約っていうよりは、
全体的にそのまとまりとして、
個人じゃなくてそのまとまり、まとまった社会契約説みたいなものをもとにまとまった全体が、
今度は全体が良くなるにはこういう的な考え方をすると、
その全体が良くなるよねってやった結果、またこぼれる個人が、
例えば例変というか少数派だったりとか、そこに出てきた弊害が、
またちょっと個というか多様性、社会契約説みたいなものが、
また見直されているみたいな、その一回転している感じがするのかなというイメージ。
そうだねそうだね。
そこは揺れ動く感じだよね。全体とか社会というものを重視するか、
個人というものを重視するかという中でグラデーションがありますよと。
本当にきわけまでいっちゃうと、いわゆる個人主義で社会なんて関係ないとか、
自分だけでアナーキズム的な感じでもあるし、逆に言うと全体主義で、
僕のために自民を尽くせみたいなのもあるし、
そういう中のグラデーションの話って思うと理解しやすいかもね。
それは戦争というものは全体主義的な振る舞いのあるに最たるものというか、
そういう振る舞いがどうしても必要になってしまうというとこの1950年代は、
そこはまたひと段落ついた時代でもあったという感じだよね。
ある程度ね。
そういったある種背景とか、いろんなグラデーションがある中で、
ロールズが一番何だったのかという話をより少し詳しくしていくんですけど。
さっきも言った通りで、ロールズの社会観というのは、
そもそも人間、個人というのはいろんな幸福感というか、
そういう価値観を持っていていいよというところからスタートするんですね。
かつ彼ら彼女ら、その人たちというのは平等であって、
その人たちが自分たちの社会の根本的な仕組みを討論するぜというところから、
18:01
舞台がスタートしていきますと。
いわゆるこれを原初状態とかって言ったりするんだけど、
いわゆる最初から王様とか奴隷とかがいたら、
結局その世界ってそもそも人と人というものが色付けされちゃってるじゃないか、
みたいなことを考えるんですよ。
なのでまずはみんなが全く同じ地位というか、
平等だというところをある種モデル的に考えて、
そこからどんな正義とか契約が出てくるかなというふうに考えますと、
これはルソーかな、いわゆる白紙説みたいな、
生まれたときはみんな白紙であるみたいなところにも近いと思うんだけど。
あとは社会契約説的な話とホップスの話と似てるよね、最初の。
逃走状態みたいなね。
槍放たれた人間がいた場合みたいなね、そういうシミュレーション的な。
そこを多分踏襲してるのかもしれないね、その試行実験的な。
私はそれが科学的というかゼロベースのここから始めるよというところをちゃんと定義してあげて、
そこから考えたときにこの議論って分かるよね、分かんないよねみたいな話ができるというところなんだよね。
ゼロベースのところ、みんなが平等で過ごしてるよというところから始めたときに、
ロルズはこの状態から最終的に2つの正義の原理が全員の合意に基づいて承認されるであろうということをまある種論争していくんだよね。
2つありますよと。
すごい緻密なものがあるらしいんですが、結論だけざっくり言っちゃうと、
1つ目は基本的な自由ですね。
例えば政治的な自由とか精神的な自由とかね。
これを平等に分かち合うことが何よりも望ましいんだというのが1つ目の正義的な話ですと。
これはもちろん批判もできるし、ロルズもそうやって何か価値観じゃないのとかっていう話も実際あるようなんですけれども、
これ何を言っているかというと、
例えば基本的な自由とかそれがある種全員に平等に配分されていない状態と考えると、
結局それが誰がどうなるか分からないから、自分が他者に強いてあげられるとか、
もちろん自分が他者よりも地位が上になるとかっていう話もあるんだけれども、
それが分からないよねっていうふうにまず考えますと。
そうするとやっぱり人って基本的にはリスクを避けていくものだから、
例えば最低限みんな平等で危害を無前提にというか、
言われもなく危害を加えたり加えられたりしないよねっていうところに、
21:03
ある種落としどころがあるよねっていうふうに考えるんだよね。
ここで言う自由、さっき政治的精神的自由というふうに表現はされているんだけれども、
ここで言う基本的な自由っていうのは、
生存の自由というか、ホップスの言うと社会契約説に近いイメージかな。
お互い殺し合っちゃうと社会成り立たないじゃんっていうの。
もうちょっと生存よりは上の次元というか、
そうなんだね、生存の自由というよりは政治とか精神だから、
いわゆる不当な理由で抑圧され遠くされないとかっていうのもあるだろうし、
ある程度社会的なものって前提にしてるんだと思うんだよね、ロールズの場合。
原初的なところから想像するけれども、
ある程度もっと人が集まって社会を形成してるみたいな、
殺し合うとかそういう原始的ではないって話ね。
本当に森の中に話しましょうっていうよりは、
ちゃんと街というか社会がある中で、
まず全員人がポンと出たときに、
その中での例えば役割の違いとか仕事の違いとかあるけれども、
少なくとも政治的に誰かを圧制するってことはないし、
精神的に誰かを抑圧して監禁していざみつけてるってことはないよねみたいな。
財産とかを守られるというか、不当に盗まれたりとか、
搾取されたりしない、そういう意味でのいろいろな自由、
うちらがあえてイメージするのは自由って感じだね。
そうですそうです。
なのでこれっていうのは言われてみれば、
もちろん細かいことはいろいろあるかもしれないけれども、
それはそうだよねってなるような話なんじゃないかなとは思うんですよね。
正義の一つ。
そう、正義の一つ。
原因一つ。
これでいわゆる基本的な自由っていうものが平等であるというのが、
一つの正義になったわけなんだけど、
実社会を考えると当然さっき言った所有の権利とかあるわけだから、
当然所得とか、いわゆる資産とか、
社会的な地位とか、やっぱり政治的には誰かが大統領で、
誰かが一般市民だみたいな話も当然あるので、
こういう格差とか不平等ってどうしても発生しちゃうねっていう風に言うんですよね。
あらゆるものが平等がいいわけじゃないっていう風にロルズは思っているので、
そうするとその現象状態の人たちは、
いわゆる基本的な自由はみんな平等なんだけれども、
でも現実不平等じゃんと。
24:01
この不平等どうするっていう風な議論が行われて、
その結果として2つ目の原理が承認されるんだっていう風に、
ロルズは話を展開していくんですよ。
その原理何かっていうと、
これが2つの内容からなっていて、
1つ目は不平等とは言っても、
全員に平等な機会を与えた上で、
公正な競争の下、生じた不平等っていうのは良しとしようと。
2つ目は、とはいえ社会の中で最も不遇な生活を強いられている人、
そういう人がいた場合には、
その人々の境遇を改善することが必要だっていう、
この2つをみんな合意するよねっていう風にロルズは言います。
なるほど。
これよく世の中的にある言葉だと、
機会の平等と結果の平等とかって言ったりするんだけど、
機会の平等っていうのは、そもそもゲームというか、
試合に参加できますかみたいな話で、
例えばお前は眼鏡かけてるから、
今僕も眼鏡かけてるからそういう人だけなんだけど、
だから眼鏡かけてるからこの試合には参加できませんとかって言われた時に、
それってめちゃくちゃ不平等じゃん。
まあね。
今日はそういう風に、
何か別に肌の色であれ性別であれいいんだけれども、
そういうもので、そもそもチャンスがなくなるっていうことは良くないよね。
だからそういうことをなくして、
全員が平等な機会を得て、
公正なある種競争に参加できるっていうところは、
みんなで認めましょう。
これが正義ですよねって話をします。
あと結果の平等っていう話は、
いわゆる不遇の人の生活を良くするみたいな話じゃないんだけれども、
まさにこっちはどっちかというと、
最低限の生活とか生存の権利みたいな話に近くなってきて、
そういうのは、
何かお社会で生活を営んでいくときに、
当然そのいろんな不平等というか格差ってのは生じますと。
ただそれが著しく差がありすぎて、
例えば上の人はすごい幸せだけど、
下の人たちはもう餓死する寸前みたいな世界っていうのも良くないよねと。
それは悪なので、
そこをちゃんと実践するような仕組みっていうのも、
正義としてちゃんと確立させましょうみたいな、
そういうことを言ってるわけですよと。
なるほど。
これも結構理解しやすいというか、
割と僕らとしても常識的な関係に近いんじゃないかと思うんだよね。
まあそうだね。
どうかなこの2つ。
27:01
まあそうだね。
確かにこのロールズの言う現象状態から、
どうやってこの2つが導かれたかというプロセスが
聞かないと何とも言えないところではあるんだけれども、
うちらの日本だけを想像しても、
結構これはある程度機械の均等というものは
たぶん進められてるだろうし、
あとは憲法だったりか、
基本的人権、人間らしい生活を営む権利。
ああそうだね。
文化的最低限の生活みたいなのが、
25条とかだったっけ。
まさにその話なのかなと思う。
そうだね。
あとやっぱりこれも教科書だと思うんだけれども、
男女雇用機械均等法みたいなのってあるじゃないですか。
あれも1980年くらい確かできてた気がするんだけど、
やっぱりそういうのもこういうふうな考え方というか、
こういうふうな社会が望ましいよねって
前提からできてるものなはずなんですよね。
不平等。マジで不平等じゃん。機械のみたいな話だね。
そうそうそう。そうですそうです。
やっぱり一方で言うと女性っていうものが、
今でもそうかもしれないけれども、
そもそも慣れる仕事が限定されているとか、
そもそもそういう試合とかゲームに参加できませんみたいな話、
っていうのを自制していきましょうっていうわけが、
こういう時代にはすごく活発に行われたわけなんですよね。
やっぱりロールズの話っていうのが、
全部がロールズから生まれてるってわけではないんだけれども、
わりと世の中的な流れに対して、
こういう正義っていうものは大きく2つがあって、
この自由っていうものを平等に分かち合ってるって話と、
こういう格差っていうものも、
一定限度は強要するけど、
それで大きくなりすぎちゃったものは、
ちゃんと是正しようねみたいな発想っていうものは、
かなり根本的なものとして、
やっぱり世の中に強要されてるよっていう話ですね。
なるほどね。
正義っていうものをロールズなりになのか、
きちんと学問的なのかは一旦置いておいて、
きちんと因数分解をしましたよって、
理論の土台を作りましたよって話なんだよね。
うん。
うんうん。
そうそうそう。
確かにでも、
誰かに平等とか正義って話すと、
確かにこの機械の平等を反映してるのか、
結果の平等を反映してるのかみたいなところって、
混同しがちな気がするもんね。
そうそうそうそう。
気づかないうちに。
うん。
平等がいいって言うけど、
結局世の中は不平等じゃないからって感じで、
すぐに議論がかみ合くなっちゃうので、
いやいやそうじゃないよっていうところを、
ちゃんと整えてあげたよって話なんだよね。
30:02
うん。
なんでこの2つの原理っていうものに、
原始状態の人々っていうのが合意するんだっけって話なんだけど、
結局は人々って結局自分がどの程度の水準で生きていくかとか、
自分何が起きるかっていうことを、
いわゆる見通すことはできないですよねっていう前提があるんですよね。
うんうんうん。
これはまさに無知のデールみたいな言葉で言ったりするんですけど、
要は自分がそれこそ、
いわゆる王様みたいに豪華な生活ができる可能性もあるかもしれないけれども、
いわゆる最底辺の地位に陥る可能性ってのもありますよねと。
うんうん。
いろいろ考えた時に、やっぱりそれでも安心安全に生きていくとか、
やっぱり自分の生活を向上させる機会があるとか、
やっぱりそういうことっていうのは基本的に合意するよねと。
うんうんうん。
あくまでも想像ではあるんだけれども、やっぱりそれを否定して、
いや、俺は最底辺になったとしても全然生きていくんだとか、
他人に強いてあげる可能性があったとしても、
他人を強いてあげる側に回りたいみたいな人がいるかもしれないけれども、
やっぱりそういうことを考えて社会を作るよりは、
そうじゃない、みんながちゃんとそういうお互いの権利とか、
自由というものを尊重するような世の中だとした時には、
この2つってのは正義として定められるよね、
っていうようなことを言っていくんですよね。
そうね。そんな弱肉強食の世界はちょっと辛いね。
多くの人ってそうだよねと。
この辺りが批判のポイントで、
それって、まあ、経緯そうかもしれないけど、
一応理想じゃない人間もいるじゃねえかみたいなことっていうのは言ったりはできますよと。
ただまあ普通に合意とかディスカッションとかで考えると、
やっぱり誰もが権力者にも奴隷にもなる世界とかっていうよりは、
ちゃんとそこが一定均一化されている世界の方がいいんじゃないかっていうところに、
一定ちゃんと合意できるでしょうと。
そんな話をロルズは考えていくんだよね。
まあそうね。人間もその段階減ってきてるはずだしね。
ある程度ね。そうそうそうそう。
弱肉強食の。
逆戻りじゃんみたいな。
そうそうそう。
その結果ね、多分ね、王様とかも作ったのかもしれないしみたいなね。
まあね。そうそうそうそう。
だいぶ戻るなってなっちゃうよね。
ね。だからそれは辛かろうということで、
やっぱりこう、無知のデールとか原子状態とは言っても、
ある程度その社会とは何かとか、
その社会がどういうものが望ましいかっていうものが一定フワッとある中で、
ただ自分自身に関する情報が一切ないとか、
自分がどんな地位とか、
いわゆる不具合な世界で生きるかわからないっていう中で考えた時には、
33:00
そういう結論ってある種妥当だよねみたいな。
まあそういうことを言っていくんだよね。
これってもちろんね、
ちゃんと議論を持っていけばめちゃめちゃ緻密だって話はあるんだけれども、
結論だけ聞くとちょっと素朴だし、
結構ね、いろんな批判とかもやっぱり受けやすいんですけど、
逆に言うとそれだけ分かりやすくて協力だからこそ、
このロールズの後にいろんなこの正義に関する議論が沸き起こって、
そもそもやっぱり正義とは何かっていうような抽象的な話だけじゃなくって、
僕らはどういう社会を目指すべきなのかとか、
社会ってのはどういう風に運営されるべきなのかとか、
そういうことがちゃんと地に足ついて議論ができるようになりましたよって感じなんだよね。
なのでこんな風にして、
大まかにはいわゆる公理主義的に、
まずは世の中の最大幸福が最大多層をどんどんガンガン目指していくんだっていうことではなくて、
その中で生まれる不平等とか、やっぱり知りたげられている個人とか、
集団というものにもちゃんと目を向けるような、
理論というものをちゃんと考えていきましょうよみたいな、
そういうふうな形で公理主義というのは乗り越えるというか、
ある種違う軸としての正義というものを打ち出しているというような感じですね。
はいはいはい、なるほど。
確かにここでいうと乗り越え、全然違う、
公理主義とは全然違う話なのかなって最初思ったけれども、
ちょっと包み込んでいる感じがするね、このロールズの話は。
そうだね、うんうん。
だからもちろん、別に社会人としては別かになった方がいいよねっていう感覚は、
ロールズも多分あっただろうし、
もちろん資本主義的な流れでいくとやっぱり世の中では、
年々成長していくと拡大していく。
個人的にはその価値観というのはもう無理だろうと思っているし、
そうじゃないよねって人もいっぱいいる。
現代でいうといるとは思うんだけど。
無理じゃろうとね。
無理じゃろうと、そうそう。
永遠の拡大なんか無理じゃろうと。
みたいな話もあるんですけど、
1970年代というところからすると、やっぱりロールズの話っていうのは、
すごい議論土台を与えてくれたし、
そういうところから、僕らが今ある種、
常識として思っている、
男女の性別の差によって仕事の機会が奪われるとか、
参加できないものがあるみたいなものって良くないよね。
アファーマティブアクションとか言ったりすると思うんだけど、
積極的にそういう格差があるとしたら、
是正していきましょうみたいな話っていうのは、
やっぱり世の中のかちこちに見られるかなと思うんだよね。
例えば、女性の管理職の割合を高めようみたいな話とかって、
36:00
あったりするわけじゃないですか、企業においてもね。
これもいろんな意見とか議論はあると思うんだけど、
さすがに現代、今24年の世の中において、
管理職にふさわしいのは男性だから、
男性の方がいいんだとかって何も考えずに言う人って、
ちょっとどうなのよとかってなっちゃうじゃないですか。
政治家でもそれでも失脚しちゃうような時代ですかね。
そうなのよ、時代だからね。
でもやっぱりこれってまだ30年前、
僕らがちっちゃい頃とかって、
まだそういう話ってあったんじゃないかと思うんだよね。
そうだね、たぶんそういうことで、
さっきの男女雇用機会均等法っていうものが、
まだ出始めぐらいの時だったんじゃない?
でもある程度それが浸透しだして、
やっぱり人の価値観ってのは変わってないとか、
まだまだ追いついてないみたいな時代。
そこからさらに20年経って、
やっぱり常識的にも、
そういうことを言う人ってちょっと、
流石に時代についてこないみたいな話とか。
世の中的にちょっと良くないことを言っちゃったみたいな話になってきてると思うんだよね。
さらにさ、もっと前、
要は100年とか200年前とかっていくと、
そもそも性別の違いによって、
職業選択の不平等があるみたいなことって、
そもそも問題ですらなかったというか、
それが当たり前すぎて問題にすらなってなかったと思うんですよね。
まあそうね、性別どころか生まれでとか、
そういうのもあったりするんですよね。
それこそさ、死の交渉とかもそうだけど、
いのやっぱり仕事に就くのが、
常識的にそれ以外のことを考えられないみたいな話もあったんだろうし。
親の食料を粗末につくのが当たらないみたいな。
そうそうそうそう。
だからやっぱり、
それが良い悪いというよりは、
世の中に今どんな問題が起きてるんだっけとか、
まだ問題として捉えられてないかもしれないけど、
本当はこれって課題だよねっていうのをちゃんと捉えて、
そこにちゃんと理論を加えて議論できるようにしたみたいな。
そういう凄さというか、
実際にそこから変化を巻き起こしたというところの、
実力がある論として、
この正義論というものがあったんだなというのはめちゃめちゃ感じるんですよね。
はいはい、なるほどなるほど。
なので、新しいことをお伝えするというよりは、
僕らが今持っている正義とか世の中的な正しさというものの、
根っこの議論として、
こういうのがあったよという話を今回はしてきたんですけど、
この辺りって何だろうな、
逆に当たり前すぎて、
そうだよねってなっちゃってる感じからどうでしょうかっていう感じなんだけど。
39:04
当たり前というかそうだね、
でもこの辺りに原理があるんだなというのは全然知らなかったし、
前回話したようなさ、
正義の反対はもう一つの正義であるみたいな、
ちょっと哲学的な話をするとそういう話に行きがちなのかなと思ったんだけれども、
確かに今回のロールズの話でいうと、
本当に現実問題じゃ、
うちらはどうやって社会を作っていくのかと、
生きていくのかという話にすごく、
ちゃんと社会と密接につながった正義論というかね、
それこそがたぶん倫理なのかなというのを今回感じたんだけれども、
そうだね。
おはようこそ君はどうだった?これ見てみて、
この正義に関する、
あと倫理でも言うけど、
何か発見だったりとかはあったのかな?
そうだね、
結構どっちかというと自分の中の変化の方が大きかったなと思っていて、
次回もちょっと触れるんですけど、
今日話したような話って、
中正正樹先生という方がいらっしゃるんだけど、
その方の現代哲学の最前線という本で結構語られている話もあるんですよ。
また次回触れるんだけど、
その本を実は1年前までたぶん読んでたんだけど、
全然入ってこなくてというか、
全然面白いと思えなかったのよ。
そうなんだ。
それこそ正義とは何かみたいな、
そういうことの方が知りたいとかって思ったのに、
社会ではとか、
政治ではとかってなった時に、
これは別に知ってもしょうがねえなみたいな、
政治家になるわけじゃねえしなとかって思ってたんだけど、
でもやっぱり1年くらいまたいろいろ過ごしたとか、
いろんな議論をしたり、
前回もまさに他社という話をしたと思うんだけど、
他社がやっぱりどうお互いの関係性の中でとか、
社会との関係性の中で生きていくかって考えた時に、
こういう話って大事だなっていうふうに、
自分が逆に思えるようになったんだよね。
なるほど。
だから実は他社をやった時に、
正義っていうテーマを扱おうっていうのも、
あんまり元々はイメージ湧いてなかったというか、
そんなに深まらないかもなって思ったんだけど、
でも改めてちゃんとやっぱり他社と生きていくとか、
社会でちゃんと生活していくって考えた時に、
大事だなと思って、
この点を取り上げたいと思ったっていう。
自分の側の変化の方が大きいかも。
なるほど。はいはいはい。
やっぱりどうしても今日はロールズの話をしたけれども、
やっぱりこれってあくまでも西洋的な原理であって、
42:03
全然違う正義もあっていいじゃないですか。
そうだね。
今回のロールズの正義っていう話で言うと、
前回の哲学的にというか、
正義の概念みたいな話ってやっぱりちょっと次元というか、
全然別の話だと思ってて、
今回のロールズの正義っていうものについては、
割と明確な主観というか、
誰が語っているかの誰なというのが存在している気がするんだよね。
確かにね。
そうするとある程度社会を構成していく。
それが国の政治機関なのか行政機関なのかわからないけど、
割とそういう目線から見た時に、
こういうふうにした方がいい。
あとはもちろん、
こういう地位とかに問題になっていた、
そこで暮らしていく人々の目線も入っているとは思うんだけども、
そこはどっちかというと、
ちょっと受動的な目線が入っていると思ってて。
受動的。
何だろうな、受動的というか、
ここまでだったらいいよとか、
弱肉強食が好きな人でも、
いわゆる機会が均等で、
その結果がある程度、
100%じゃないにせよ勝ち負けがつくのであれば納得。
理由に沿るわっていうぐらいのルールを、
ローズの考え方をもとに設計すれば、
弱肉強食強い人たちが反乱を起こさない。
弱肉は出ていかないとも考えられるし、
いわゆる負けちゃう方、弱肉強食弱の方を考えると、
それでのたれ死ぬ、飢えてしまうっていう人が、
仮にこういう市民とかだと言いづらいかな、
仮にでもいたとして、
そういう人たちって仕方なく犯罪を起こすでしょ。
盗んだり殺したりしないと生きていけないみたいな。
生きていけないからね。
それもある意味社会問題。
いわゆる社会から考えると、
それは問題だから、それは避けなきゃいけないっていう、
結構課題もあって、
このローズで言う2番目に、
ある意味最低限の結果の平等化、
弱肉強食がこぼれちゃった人も死なずに、
ある程度最低的な生活をできるというところを保証してあげないと、
犯罪率が増えたらやばいやんと。
例えばね。
45:00
あとは反乱起きるかもしれない。
そういう人たちが潔泊して危ないかもしれないみたいな。
そういうのを考えると、そこをうまく包み込むみたいな。
そういうすごく現実的な、
だからこそ理由理っていうのかもしれないけれども、
これを哲学的な整理のように持っていくと、
いやいや、必ずしもそれは正解じゃないでしょ、
それはあなたの意見でしょって言われちゃう。
あるとは思うんだけれども、
とはいえ、ここまで今のね、
うちらの感覚にすごい近いことが、
1950年か、
70年かな?
そんな最近か、70年か。
そう、だから50年前なんだよね、言っても。
でもそれでいうと、
さっきの憲法の最低限度の云々っていうのは、
この前に作られてたのかな?
そうだね、憲法の方が前だね。
それはまた興味深いね、
その考え方が前後してると思う。
そうそうそう。
それでいうと、さっきハイトが言ったようにね、
場所によってその正義感というかね、
違うというのが、もしかすると憲法を作られた時にはまた、
さらに原理理由みたいなものがあったのかもしれない。
って思えたし。
もしかすると、
日本が作った憲法か知らんけども、
どこかでやったそういうのは、
あったのかな?っていうのはね。
まあそうだね。
確かになんかすごい、
正義っていうのを語る時の、
確かに、どの部分ですかあなたは?みたいな。
うんうん。
それ確かに、
解像度を上げてくれるのはすごい重要というかね、
大事だなと思う。
そうだね。
そしたら今の兄貴の話を聞いてても、
すごく民主主義的な正義だなとは思うんだよね。
うんうんうん。
やっぱりこの中には、
いわゆる王様が国を統治するとか、
宗教的指導者の方が偉いみたいな話っていうのは、
もちろん文明的にはあんま出てこないんだけど、
やっぱりそういうものは、
お前らの正義だって俺らの正義じゃないっていうことで、
対立とかも生んでしまうけれども、
少なくともこの民主主義的なものとして、
正義というものを理解したときに、
こんな議論があるねとか、
こんなふうなことを座言すると、
そんなにずれずに話せるよねみたいな、
とこっていうのはやっぱりすごく大事なんじゃないかなって思うんですよね。
確かにそれ言うと、
もう締めの辺りなんだけど、
前回も言ったけど、
コテナ城で民主主義の歴史みたいなところを、
それこそ社会契約説を話してくれたんだけど、
その中にルソーの社会契約論のところで、
やっぱりさっき入ってもらった、
王様がとか宗教者が統治するみたいな考えから、
やっぱり脱却してるわけですよ、そこで。
ルソーの時に自分たちではね、
48:03
自分の自由が担保されるためには、
自分以外の人が自分たちの統治者であったとはならないみたいな、
そこをどう実現するかみたいな話があったみたいな話を聞いて、
なるほどって思ったんだけど、
そこがすごい抽象的すぎて、
じゃあそれどうするの?みたいな。
それが理論的に正しい。
自分たちの自由を保つためには、
自分たちで自分たち自身を統治するしかないというのは、
その通りなんだけど、
じゃあどうやるの?っていうのも課題で、
橋を張って確かにと思うんだけど、
そこに一定の指針みたいなものを、
このロールズの正義観、
正義観、価値観。
価値観って言うとあれか怒られるか。
まあそうだね、正義論だね。
正義論で一定の方法論の具体的なものを提示しているのかな、
職涯系民主主義みたいなものを実現していくにあたっての方法論。
どうやるのやっていうのが、
誰も多分答え出せなかったりとか、
こういう主義でいいんじゃね?
いやちょっと違う、やっぱ漏れるみたいな。
やっぱりまだまだ試行錯誤の段階で、
その中で一つのベターな考え方が出てきたのかな、
みたいな、そういうふうにちょっと見えたね。
そうですね、本当にそうだと思います。
というような感じで、今回ロールズの正義論を見てきたんですけれども、
次回目、ざっくりではあったんですけど、
次回はこのロールズのある種議論を経てというか、
それを踏まえて、
その後にどんな議論が正義に関して巻き起こったのかを見ていきたいと思います。
もと言うところ、ロールズの議論ってどんなふうに批判されたの?とか、
ロールズ以外にどんな正義の考え方があるの?みたいな話だよね。
へー、なるほどなるほど。
そういうのをやっぱり知っていることで、
それもやっぱりどうしても民主主義の中とか、
ちょっと西洋的な価値観の中の話になっちゃうんだけれども、
その中ですらやっぱりいろんな多様性というか、
そういう考え方があるので、
そういうのを知っていることで、
より現代に生きる僕たち、私たちというのが、
正義というものを考えることの指針というか、
そういう視野の広がりというものを得られるんじゃないかなと思っているので、
ちょっとそこはまた皆さんと見ていきたいと思っております。
はい、わかりました。
ロールズの正義論を受けて、
どういうふうにさらに正義というものが語られてきたのかというところを見ていきたいと思いますので、
引き続き楽しみにしていきたいと思います。
では次回もよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
50:57

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