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  2. #66 「哲学」ってやつが面白そう
2022-04-05 15:15

#66 「哲学」ってやつが面白そう

哲学に最近ハマっています。

◉A SCOPE 「橋詰第三郎さんの、哲学の話が出てくる回」
・Spotify
https://open.spotify.com/episode/7vqI43LcjGKRoO5yWbyRud?si=edad90fc26484b64

・Apple Podcast
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◉ニューQラジオ
・Spotify
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・Apple Podcast
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んんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんん
結構歴史に触れるようになってからで、私のポッドキャストでも以前に歴史と公共事業の話とか行政区分の話をしてたんですけど、
このポッドキャストを始めたのも結構歴史コンテンツに触れ始めてからなんですけど、歴史を知っていくとですね、やっぱり哲学っていうものがいろんなところで登場するんですね。
で、さらに自分の興味が具体化したのは、哲学って何なのかっていう私の中での長年の問いに自分なりにがてんがいって、それで、
「ああ、それを哲学って言うんだ」って思ってからですね、かなり興味がどんどん膨らんでいるという感じです。
で、その哲学とは何かっていうものにがてんがいったきっかけは、先日のポッドキャストアワードっていうね、
1年間のポッドキャストの番組を表彰するイベントがあるんですけど、日本テレビがやってるのかな?ちょっとわかんないですけど、
それで、ベストナレッジ賞っていうのを受賞した2つの番組があって、1つはゆる言語学ラジオ。これ私は以前タイトルコールをモノマネしましたけど、
もう1つがですね、アースコープっていう、こっちも私大好きな番組なんですね。そのアースコープのタイトルコールもモノマネしようと思ったんですけど、
まあいいや、それは置いておいて、そのアースコープの中で橋爪大三郎さんという大学院大学自然館教授とかっていうちょっと肩書きの方ですけども、
キリスト教の専門家の方としてその会にはゲストとして登場されていて、その橋爪さんがキリスト教から出発した西洋哲学、
ちょっと正しいかな、キリスト教をベースとして生まれた西洋哲学って言った方がいいのかな、について語っていたんですね。それでね、すごく私はああそうかと思ったんですね。
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で、その橋爪さんが言っていた言葉を元に私なりの解釈で哲学とは何かっていうのを話そうすると、まず人間には主観と客観ってあるよね、みたいなところから始まるんですよ。
主観と客観がある。主観っていうのは、私はリンゴが好きだけどあの人はみかんが好きで、僕はアボガドが好きだけどあの人はアボガドが好きじゃないとか、
主観っていうのはその人それぞれの思い、気持ちですよね。で、客観っていうのはそれに対して誰から見ても同じように言えること。
例えば、手に持っているものを離したら落ちるとかは客観ですね。誰から見ても確かに落ちると。
あと、雨が降るときはだいたい曇ってるとかも客観ですかね。
それから、人間は贈り物をもらえると大概嬉しいとかも客観かな。
ちょっとこの辺主観と微妙なところだけど。
というように、主観とは別に客観、これを別の言い方すると理論的、論理的な思考とも言えると思いますね。
理論的な、論理的な思考っていうものが人間には宿ってるって言うんですね。確かにそうですよね。
自分が好きかどうかって感じるって話と、理論的に客観的に考えて何がどうなるかっていうのを予測したり考えたりするってことは結構別だよねと。
で、私は今までの人生でそんなに、まあ気にしてはいたけどもわけてなかったような気もするけれども、橋爪さんがおっしゃるですね、哲学っていうのはこの客観にかなり注目をするってことみたいなんですよね。
で、これがキリスト教学と関わってくるのは、その時の西洋哲学の中では、この客観っていうものは神様が与えたスーパーアプリなんだっていうことを橋爪さんは言ってたんですけど。
「論理というものを使うことによっていろんなものを考えることができる。自分勝手にみんなが感じる主観とは別に、誰にでも共通していることだったり、確かに起きているものを洞察することができる。観察することができる。
だからこれによって真理っていうものを見つけに行くことできるんじゃねえかっていうのが哲学なんだよ。」そんな感じのことを言ってたんですね。
で、「あ、そうかと。客観思、洞察、論理的思考、こういうものを使って真理を追い求めるのが哲学なのか。」と思ったんです。
で、それよりも前に私聞いたことがあって不思議だなと思ってたのは、昔の大学ね。ヨーロッパに大学って言われるものができた頃は、全てがフィロソフィー、哲学として位置づけられてたんです。
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理系の文学もフィロソフィーの一部、社会学もフィロソフィーの一部、理系も文系も両方、哲学の一部だよ、派生だよって言うんですよね。
「なんで理系と文系が全然違うものが哲学なんだよ。」って。哲学なんて理系って一番遠いんじゃねえかと私は当時思っていましたけれども、その橋詰さんの説明を聞いて非常に納得したわけです。
論理的思考を使って客観視を使って洞察や観察をして真理を追い求めるっていう思考プロセスを自然現象に当てはめると、これが自然科学になるわけですね。サイエンス。
サイエンスって言った時は、自然科学のことを割と、科学とか言った瞬間にもそれは自然科学のことを日本でも海外でもかな、いう気がしますね。
で、これも哲学なわけですね。客観的思考を使ってるから、論理的思考を使ってるから。で、この同じようなアプローチを人とか社会とか、例えば制度とか、そういうものに向けて使うと、これが社会科学というものになるんだということだっていうことですね。
それでなるほど確かに、洞察をする、論理的に考えるっていうことによって理系と文系が繋がるっていうことですね。あ、そうだったのか。そういう意味で同じことをやっていたのか。そういうふうに考えるとなおさらですね。
私なんかはもう学生の頃から理系大好き人間で、数学と物理が大好きだった。で、今でもそれでエンジニアという仕事をやってるわけですけど、
今エンジニアって言うとね、結構ITエンジニアのことをエンジニアって言いますけど、私は機械エンジニアを一応辞書してますが、まあとにかく技術者やってるんですけど、理系の人間です。
ただ、ぐっとね、その哲学っていう上位概念がブリッジしてくれることによって文系っていう学問も身近に感じられるし、その上位の哲学っていうものに興味が湧いたというところなんです。
そこで、そこでですよ。ポッドキャストを最近は探すわけですね。新しいものを知りたいと思ったら哲学って検索するんです。
そうすると、ニューQラジオっていう、ニューQのニューはカタカナです。QはクエスチョンのQ。ニューQラジオっていうポッドキャストが引っかかりまして、これがめちゃくちゃ面白いんですね。
そこでは、これはセオショージっていう会社、セオさんって方がやってるセオショージっていう会社がなんかあるみたいで、それはデザインとかもやってる会社みたいなんですけど、そこの活動の一環として、ニューQっていうマガジンを発行していて、
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そこに絡めて、2018年かな、19年くらいからポッドキャストがアップされていて、面白いんですよ。2019年くらいからですね。
3人くらい登場人物がいて、セオさんと今井さんと永井さん。その3人がいろんな問いについて語るんですね。
その中でも、公共性とは何かとかね。結構、健康に関わる、街づくりに関わるような問いなんかもあって、とても面白いんですけど、その話はちょっと今度後にしたいと思って。
私が最近哲学に興味があるよっていう話は、そんな話でだんだんですね、自分の仕事にもちょっと関係してくるなって思ってる部分があって、
それっての入級ラジオで公共性っていうものについて考えてる回を聞いて、なお思ったことなんですけれども、なおってか、いっそ思ったことなんですけど、
だから客観的論理的思考って我々仕事の中で普段からやってるんですよね。そういう意味では。
それで真理にたどり着こうとしてるかっていうとちょっと違ったりもしますけど、だけど、使っているっていう。
だから思考のアプローチ的には、我々健康の関係者って結構慣れてるんじゃないかなって思って、
単純にマニュアルに従って処理をしているわけじゃなくて、新しい課題とかまだ誰も解決してない課題がそこにあって、
例えばこのエリアは洪水が多いとか、例えばここは人口が減少しているけどどうにかしたいとか、そういう問いに対してみんなで解決策を考えるわけですよね。
それがプロジェクトとして、例えば発注者さん、国交省とか自治体さんが発注されて、それを受注契約した技術者だったり、専門の人間、私たち建設コンサルタントは、
それを解決すべく頭を巡らして考えるわけですけど、そういう時に論理的思考って使っている。
それを使って哲学に私がさらに興味を持ったのは、問いを立てるっていうことが哲学ではとても大切なことみたいなんですよね。
社会が変わっていって、人口動態も変わっていって、コロナウイルスみたいな感染症が広がって、暮らしの前提条件が変わって、
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そういった時に、そもそも僕たちに必要なものって何なんだろうか。街に必要なものって何なんだろう。
税金の使い道の理想形って他のタイプもあるのかとか、公共って何なのかとか、これに行きおり話してたことですけど、
そういう、そもそも我々が一旦前提条件のように置いて、それを既に出発点としていろんなエンジニアリングとかプランをしてたわけですけど、
自分たちが足を置いていたベースとなる前提条件をもう一回問うてみるとか、もう一回疑ってみるとか、もう一回考えてみるみたいなことがどんどんこれから必要になる気がして、
それをやることってかなり哲学が参考になる。もしくは哲学そのものだったりするのかなという関連性の匂いを感じたので、
それでですね、私は建設コンサルタントという立場から哲学というものに今関心を寄せているということなわけですね。
で、この入級のセオ・ショウジでやっているのか、それともメンバーの今井さんや永井さんが個人的にやっているのかもしれないんですけど、
哲学対話っていうものがあって、哲学対話っていうのは一般的にあるらしいんですね。哲学的にいろんな問いを考えてみよう、あるいは問いを生み出してみようみたいなことかな。
問いを発展させてみようとか、問いを深めてみようとか、そういう対話があるらしくて、永井さんはね、その街づくりの現場でも結構やるって言ってましたね。
うちの街の良さとは何かとか、良さって何かとか、街って何かとか、なんかそういう風に深まっていくのかもしれないですけど、
だからね、健康っていう業態とかかったこともあるかもしれないですね、永井さんも。
という感じで、哲学対話っていうのを永井さんは特に結構講師をやってらっしゃる方みたいで、健康のでもやってみたいなーってちょっと思って、
ちょっとこれ実現するか私はわかんないし、それは本当に永井さんにお願いすることかもわかんないんですけど、哲学対話イベントみたいなのを、
今3月の暮れになりましたけれども、年度が上げて4月以降、ちょっとこの健康のあれプレゼンツでそんなイベントできるかなー、できたら面白いなーみたいなことを考えています。
とかいうところで、哲学ということについてちょっとお話ししてみました。
入級ラジオの注目の回とかについてはちょっとまた別撮りでご紹介をしたいと思っていますが、
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今日の今回はこれで一旦終わりたいと思います。どうも最後まで聞いていただきありがとうございました。
(♪ポンッ)
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