1. ストーリーとしての思想哲学【思想染色】
  2. #79 ブルデュー2 〈ハビトゥ..
2024-07-21 07:19

#79 ブルデュー2 〈ハビトゥス〉

サマリー

ブルデューの思想哲学では、ハビトゥスという概念が最も重要であります。ハビトゥスとは個々の方が生まれ育まれた環境によって形成される心理的傾向を指しています。ハビトゥスは無意識的に行動や思考に影響を及ぼします。特定の環境や文化の中で自然に身につけるものです。

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ストーリーとしての思想哲学
思想染色がお送りします。
前回、ディスタンクシオンのあらすじの話をしたので、今回から本の内容について話します。
ハビトゥスについて
ブルデューが提出した概念で最も重要なのは、ハビトゥスという概念であると思いますので、ハビトゥスの話から始めます。
まずざっくり言うと、ハビトゥスというのは、生まれ育ちがその人が何に親しみを持つかを結構な割合で方向づける、この方向づけのことです。
心理的傾向と言ってもいいかもしれません。
これね、めちゃくちゃ伝えるのが難しいので繰り返しますね。
辞書的には、ハビトゥスとは過去の経験の中で、形成された成功の体系のことを指します。
成功というのは、性質の性に方向の向かうという字と書いて、成功と読みます。
そもそも成功として、似たような状況で生まれ育った人同士って、振る舞いや認識の仕方が似るじゃないですか。
これは似たような環境で生まれ育った人をグルーピングしてモデル化するという全体の傾向の話なんですね。
個別具体的なNイコール1の事例について扱っているわけではなくて、学問だから、
社会全体として似たような状況で生まれ育った人同士って似てるよね、というところからスタートしています。
で、なんで似ているかというと、ハビトゥスという心理的傾向がある。
それは完璧に体の隅々にまで馴染み切った心の方向性であり、
心と体の中に刻まれた一種の刻印のようなものがあるからだと言います。
僕はこんなイメージでハビトゥスを捉えていますっていうことで、僕のイメージを伝えます。
まず人型をイメージしてください。
人の形をしたイラストがあって、そのイラストは枠線は黒で、中は真っ白に塗りつぶされている。
枠が黒で中が真っ白な人。
この真っ白な人間のイラストっていうのをまずイメージしてみてください。
この真っ白な人間の中に、大小様々なベクトルが1000個くらいある感じです。
ベクトルというのは矢印で表されますね。
真っ白い人間の中に、大小様々なベクトルの矢印が1000個くらい入っていて、
そのめちゃくちゃたくさん詰まっている1000個くらいある矢印の相対が、
その人の傾向性、成功を決めていっているという感じです。
小さい子供の頃には、その人の方向性、ベクトルの矢印はそんな1000個も入ってないんだけど、
だんだんと子供から青年へと成長していく過程で、
様々な経験を家庭の中とか生まれ育つ中で積んでいく中で、
その矢印がどんどん増えていって、
大きな矢印はますます大きくなっていくし、
すごく時間をかけながら体中にベクトルの矢印が増えていって、
その人を形成していくと、こんなイメージで捉えています。
ハビテスは無意識的に行動や思考に影響を与えるものであり、
長い時間をかけて形成され、特定の環境や文化の中で自然に身につけられるものです。
文化資本とハビトゥス
例えば上流階級の家庭に生まれ育った人は、
上流階級特有の話し方や行動様式を自然と身につけることが多いです。
また、音楽や美術などの文化資本豊かな環境で育った人は、
芸術鑑賞の仕方をごく自然に身につけているから、
だから高い感受性を持つことが多いとか。
まあでも、そりゃそうだろうという感じではあるよね。
本の中では、文化資本豊かな環境で生まれ育った趣味の良い人のことを通人、通な人と呼んでいます。
日本語だと、行きな人とかとも言うけど、
この通とか行きっていうものは、そもそも文化資本との親しみ深さを基礎とするものです。
そしてそれは、文化作品や教養人と何度も繰り返し接触を持つことが前提とされます。
要は、親とか親の友達が教養人だと、
子供の頃から弟子と師匠との間に見られるような長期の接触をしているのと同等の効果があるわけで、
身体的かつ無意識的に、子供は教養人の振る舞いをコピーすることができます。
これがですね、結構怖い意味を持ちます。
通とか行きっていうのは、子供の頃から身体的にコピーするものであり、
学校教育によって事後的に得ることは難しい。
芸術は理論的にその規則や構造を学習することはできるけど、
そういう学校的、本の中では学校的っていうのはスコラ的っていう表現がされてますけど、
学校的に文化資本を身につけても、
身体の隅々にまでハビテスが行き届いていないから、どうしてもぎこちなくなってしまう。
したがって、文化資本に乏しい家庭に生まれ育った者は、
そのぎこちなさゆえに通な人、行きな人になるのがすごく難しいということです。
まだ途中だけど一応言っておくと、ディスタンクシーンは別に上流階級を褒め称える本じゃありませんからね。
この後、この構造に対する通列な批判が来るんだけど、
でもこういう構造は確かにありそうですよね。
僕も上流階級の知り合いなんてほぼいないですけど、
数少ない上流の人の話を聞いてると、
子供の頃から教科書に載っているような人が普通に家に遊びに来ていたとか聞くし、
そりゃ趣味も良くなりますわという感じがします。
通な人、通人というのは、
大体において自分の判断の原理をはっきりと表現できないものだそうです。
それはつまり、理論的に獲得したわけじゃなくて、
身体的に体得しているからなんですよね。
この構造を利用して、
趣味の良い人らは趣味の悪い人に権力闘争を仕掛けているんだという話に続きます。
では次回に続きます。
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