1. ストーリーとしての思想哲学【思想染色】
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2024-07-14 06:04

#78 ブルデュー1 ディスタンクシオン

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ストーリーとしての思想哲学
思想染色がお送りします。
今回から、ピエール・ブルデューというフランスの社会学者・哲学者について扱います。
ブルデューは1930年生まれ、2002年まで生きていた人なんですけど、ブルデューの著書で最も有名なのは、何と言ってもディスタンクシオンです。
ディスタンクシオンとは、フランス語で区別という意味で、英語で言うとディスティンクションのことです。
この本は、1979年に出版されたフランス社会をモデルにした社会分析の本です。
今から45年も前の本だし、なおかつフランスをモデルにしているから、現代の日本と距離のある部分もあるはあるんだけど、それでもなおめちゃくちゃ面白い本です。
簡単に言うと、まず文化資本というものがあるよねと言っています。
資本って言うと土地とか生産設備とか、資本主義社会において貨幣を獲得するための資本財のことを指すのが普通だと思うんだけど、
資本ってもっといろんな種類があるよねと言っていて、文化も資本と同じように親から子供に受け継がれるという性質を持っている。
だから文化資本と呼ぶべき無形資産があるよと言っています。
で、文化というのは文化的思考のこと。
要するに趣味が良いとか趣味が悪いとかってことなんだけど、文化的な趣味の良さと各人が所属する社会階層との関係を分析して、社会階層と趣味との関係を表しました。
上流階級は親も子もクラシック音楽とかアートに親しみを持っているが、労働者階級はそうではない的なことを定量的にサーベイしたということです。
さらに趣味の良さというのは立ち位振る舞い、食べ物の趣味、服の趣味、アートや映画の趣味、スポーツの趣味など様々にわたる趣味があるわけですが、いずれも趣味が良いとされるものもあれば、趣味が悪いとされるものもあります。
このね、上流階級がたしなむ趣味は良い趣味、労働者階級がたしなむ趣味は悪い趣味という、そういう区別を僕たちの社会はしているよねと指摘しているわけです。
本のタイトルであるディスタンクションとは、区別という意味のフランス語だと言いましたが、タイトル通りこれは区別に関する本です。
趣味が良いものと趣味が悪いものとに区別がなされており、それは上流階級や労働者階級といった階級と対応している。
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詰まるところ、上流階級は自分らの趣味を牽引付けして、趣味が良いものとみなされるように飾り立てるし、労働者階級にはそんな余裕はないから、そのようにはなっていない。
結果として、上流階級は趣味が良く、労働者階級は趣味が悪いという構造を構築されて、文化的な支配を受けてしまう。
これは見えづらいけど間違いなく一つの権力闘争だし、批判を受けづらい権力闘争であると。
上流階級は趣味が良い、それゆえに労働者階級を導く資格を持っているのだという、そういう支配の仕方もあるんだとディスタンクシオンはこういう内容の本です。
はい。
これね、二重に認識しづらいと思うんですよ。
二重というのは、まず個人の趣味の良さ、センスというものは物質的なものではありません。
単純に人のセンスというのは目に見えないから、認識もしづらいというのが一つ。
次に、上流階級は趣味の良さでもって労働者階級を支配しているなんて、突拍子もないように思えませんか?
それだけ聞くと被害妄想のようにも聞こえるし、陰謀論的なような感じもします。
何より当事者である上流階級の人たちも別にそんなことは考えてないと思うんですよ。
趣味の良さで支配してやるぜなんて、そんな漫画の悪役みたいな人は現実にはいません。
だからこれは無意識的な支配の話なんですよ。
無意識的に、上流階級は自分たちの文化的思考を高尚なものとして、
一方で他の階級の思考を帝族とみなすことで、自らの優位性を強調しているし、
その高尚な我々が帝族な人々を導くのだという上流階級の振る舞いは、
意識的にではなく、マジでナチュラルにやっているという話をしているわけ。
だから四証言で整理できますよね。
今言ったように、X軸に目に見える、目に見えないという軸があって、
Y軸に意識的、無意識的という軸がある。
ブルデューは目に見えず、かつ無意識的なものの話をずっとしているから、
だから二重に認識しづらいというわけです。
じゃあ、本のあらすじの話をしたので、次回からその内容に入っていきます。
次回に続きます。
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