1. ストーリーとしての思想哲学
  2. #139 反知性主義とはなにか?
2025-10-12 07:29

#139 反知性主義とはなにか?

サマリー

反知性主義は、知性に対する価値観や権威について問い直す哲学的な概念です。特にアメリカの文脈においては、権力闘争や文化資本の視点からその本質が考察されます。

反知性主義の基本概念
ストーリーとしての思想哲学。思想染色がお送りします。
反知性主義です。反知性主義という言葉は、本来の意味から離れて間違った意味で使われがちな言葉です。
よく聞くのが、アメリカでトランプ大統領が誕生したのは反知性主義の連中のせいだみたいな他人を罵倒する言葉として使われがちです。
ロジックが嫌いな人々くらいの意味で使われており、要はバカの代名詞として侮辱用語みたいに使われているわけですね。
本来の意味は全然違います。とはいえ、本来の意味もいろいろ分岐してはいるんだけど、
そもそもで言えば、リチャード・ホフスタッターという人が1963年に出版したアメリカの反知性主義という本が元ネタです。
アメリカの反知性主義の現代は、アンチ・インテレクチュアリズム・イン・アメリカン・ライフと言います。
アンチ・インテレクチュアリズムのインテレクチュアリズムという単語をAA辞典で引いてみて、それを日本語で言うと、
感情や感覚を抜きにして、ある問題に対して詳細に考えたり論じたりする力というのが知性主義の意味なんだけど、
これに反対するみたいな、ただ単に辞書的に言うとそういう意味になっちゃうんですけど、
反知性主義という言葉にも文脈というものがあります。
文脈っていうのは、そもそも知性というのは、権威と要因に結びつきがちなんですね。
日本で例えると、テレビでよく話題になっている学術会議ってあるけど、
ああいう偉い先生たちって権威の塊じゃないですか。
雲の上のような偉い先生の言うことは絶対みたいな雰囲気になりがちだし、
それはややもすれば独善的な権威主義に陥ります。
まず知性が権威の源泉になる、そして確立された権威がまるで特権階級的な扱いをされる、
この非エラルキーに脳を突きつけ知性に謙虚さを求めるのが本来の反知性主義です。
ただ難しいのは、アメリカの反知性主義って実はキリスト教の権威とか非エラルキーって文脈が強いんだけど、
出版されてからも60年以上経っているわけで、コンテクストが派生してきてもいます。
権力闘争と文化資本
そこで、ピエール・ブルデューのディスタンクシオンにおける反知性主義の使われ方を参照してみます。
以下引用です。
人格形成の場としてのスポーツを兼用し、文化芸術方面の教養を犠牲にしても、
政治経済方面の教養を重んじることは、
支配階級内及びプチブル階級内の知識人層が承認している諸々の価値を失墜させようとして、
支配階級内の支配層の人々が用いている様々な戦略の一部を成している。
これは、権力闘争というコンテクストにおける反知性主義の典型について述べています。
ディスタンクシオンのテクストはフランスの話であってちょっとわかりづらいと思うので、
めっちゃわかりやすく日本で例えると、
支配階級、つまりだいぶ裕福な家庭出身の人たちがずらーっといたとして、
そのグループでも、知識階級のグループと商売をやっている家庭のグループとに分かれるって言ってるんです。
日本で言うと金持ちにも、
JC、青年会議所に入っている中小企業の社長の息子みたいな人々のタイプと、
芸能人の子供とか音楽家の子供、
あるいは明治大正から先祖代々、教授の家系の子供みたいなタイプとがありますよね。
で、男性なら青年会議所にいるタイプはおおおにして、
スポーツが好きでゴリラみたいなビジネスマンでありがちだし、
文化芸術系の家庭出身者は色白で、なよなよしていて勉強が得意がちという典型的なペルソナがあると思います。
両者は別に仲が悪いわけではないんだけど、
権力闘争は無意識レベルで発生するという話は、
すでにブルデューの回で話したはずなんで割愛しますが、
無意識にお互い自らの優位性を主張するわけです。
で、ブルデューのテクストにあるように、
青年会議所タイプのマッチョな人たちは、
スポーツでこそ良い人格形成がなされると承認する。
と同時に、文化芸術方面の教養を犠牲にしてでも、
政治経済方面の教養を重んじる。
なんとなくイメージつきますかね。
中小企業の社長の息子がいて、
彼は学生時代ラグビーなどをやっていて、
画体が良く、本は主にビジネス書を読んでいる。
また付き合いのある経営者同士、
あるいは取引先とゴルフをしながら、
政治的な駆け引きを行う。
もしかしたら政治家に政治献金もしているかもしれない。
この手のブルジョア階級、
またはプチブル階級の人たちからすると、
文化芸術というのはあまり重要ではないんですよ。
文化資本に基づく知性を
相対的に重要ではないと位置づけるという意味での
反知性主義だということです。
言い換えると、そもそも知的エリートは、
冒頭に述べたように、その知性を権威の源泉として、
権威を後ろ盾とした特権階級のように振る舞ってきた、
という歴史があります。
しかしビジネスサイドの人間、
中小企業の経営人からしたら、
そんなものバカバカしいと考えるのも無理はありません。
だって中小企業って常にキャッシーフロー、
資金繰りのことを考えないと、
ふわたりを出すかもしれないし、
会社が傾けば社員にボーナスも出せません。
そういう現実的な問題、
社員の人生を背負っている責任感からしたら、
知的エリートの知性に基づく権威性って、
マジでどうでもいいじゃないですか。
つまり刑事上学的な理論やアートも悪くはないけど、
声を上げるとか、情報を拡散するとか、
そういうのだけじゃなくて、
実際に困っている人に物理的に手を差し伸べるだとか、
仕事を作って雇用してあげるとかしようぜっていうのが、
反知性主義なんです。
だって、学者たちが見落としている、
現場にいる人にしかわからないことってたくさんありますからね。
少なくとも、反知性主義という言葉は、
ロジックが嫌いな人という意味ではないという話でした。
というわけで今回はここまでです。
次回もよろしくお願いします。
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