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ストーリーとしての思想哲学
思想染色がお送りします。
今回は、〈呪文〉というものについてです。
前の回で、〈詩〉について喋ったけど、〈詩〉と〈呪文〉って似ています。
〈呪文〉と聞いて、何を真っ先にイメージしますか?
ゲームとか、児童文学、漫画作品などでしょうか?
もしかしたら、ドラゴンクエストの攻撃呪文を真っ先に連想するかもしれないし、
あるいは、ハリーポッターの何か有名な呪文を連想するかもしれません。
いずれにも共通することは、〈呪文〉っていうのは、
遠回しでよくわからない謎の言い回しをしますよね。
例えば、ハリーポッターだったら、
物を浮遊させる呪文に、〈ウィンガーデム・レビオーサ〉っていうのがあるけど、
あれは翼っていう意味のウィングに、高いっていう意味のラテン語のアーダース、
それから、軽くするっていう意味のラテン語のレビオが組み合わされています。
ハリーポッターはイギリスの作品ですけど、
ヨーロッパではもう日常的には使用されないラテン語を用いることで、
謎な漢字が演出されているというのが見て取れます。
このように古い言葉、古語を用いるという方法であったり、
聞き慣れない外国の言葉を用いるという方法であったりするけれど、
呪文というのはどうやら神秘性が大事になるようです。
呪文というのは、一言で言えば、
通常の物理法則を超えた力を得るための祈りだという風に定義することができます。
そのためには、精霊とか神とかいった、
ことわりの外にある存在と交信する必要があるわけですね。
そして、ことわりの外にいる存在と交信をするためには、
神秘性をまとった言葉が用いられるべきだと信じられているというわけです。
これって形式とすると、詩と同じですよね。
日常の文脈から切り離された存在として、
言葉を紡いで、ことわりの外にある超越的な存在にアクセスしようとするっていうのが、
呪文でもあり、形とすると詩でもあるという風に言えそうです。
前回、詩というものについて話しましたが、
こういう難しいというか、分かりづらい概念というのは、
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いろんな角度から見ることで、その概念理解が進むかと思いましたので、
別の角度からも、呪文と詩っていうテーマで喋ってみました。
同じような発想で、次は否定神学っていう、
キリスト教の神学っていう観点と、詩っていうテーマで喋ってみたいと思います。
今回はここまでです。
次回もよろしくお願いします。