2023-12-03 04:36

#46 人類の呪われた部分2

哲学者バタイユによると人類は呪われている。その〈呪われた部分〉の前提となる構造の話です。

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ストーリーとしての思想哲学
思想染色がお送りします。
前回は呪われた部分ということで、戦争と飢餓のお話をしました。
ここにさらに疫病が入ってくるという話をします。
疫病というのは、ペストや天然痘などの伝染病のことですけど、
伝染病っていうのは、集団に対して襲いかかるという性質を持ちます。
歴史を俯瞰して見てみると、病気にかかった集団というのは、大げさではなく、
7割とか8割が死亡することがかなりあります。
これ、やばいですよね。
街の7、8割が生き残るのではなく、7、8割が死亡するという記録がいくらでも残ってます。
さっき集団って言いましたけど、人類の集団とは、
農耕が始まる前、最終狩猟生活をしていた時なんかは、
例えば50人とか100人の血縁をベースとした小さな集団が点在しているという形でした。
点在しているというのは、離れたところに点々と群れが形成されているということですね。
だから、小さな小集団が疫病でほぼ全滅すると、
その群れ、あるいはその周辺の群れが全滅して、
疫病の流行は割と収まるという形でした。
でも、地球人口が増えて、人口密集値っていうものが形成されて、
さらに人口密集値間の交易が開始されると、
疫病はあらゆる集団に伝播していくことになります。
これは直近でコロナウイルスがあったから直感的にイメージしやすいかと思いますが、
疫病の被害は人口過剰であればあるほど大きくなります。
都市っていうものが人類の歴史に出現して以降、
疫病の脅威はますます大きくなりました。
都市というのは人口の過剰な密集です。
これも過剰性が破滅と結びつく一つの呪われた部分です。
この過剰っていうキーワードはジル・デュルーズっていう哲学者もよく使うんですけど、
人間というのは本質的に過剰な存在なんです。
そもそも人類は繁殖能力が高いから、人口爆発が起こりやすくて、
その土地の資源を食い尽くしてしまうっていうのもあるし、
ただ、そういう悪いことばかりではありません。
過剰性にも良い面っていうのはあるわけでして、
過剰性がなければ文化は生まれません。
美術とか演劇とか、もちろんハイカルチャーに限った話ではなくて、
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文化一般というものは本質的に過剰なものですよね。
美術なんてものは何ら生産的なものではありませんし、
何十時間もかけて油絵の絵の具を湯水のように使って絵を描くって、
考えてみれば極めて非生産的な行為です。
でも、非生産的な過剰性が良いんだっていうのが馬太夫の哲学でもあります。
これを思考性って言うんですけど、
最も高い思考の存在の思考で思考性。
この見事な非生産的な行為こそが思考性、
つまり栄光をもたらすのだっていう哲学です。
人類は呪われた存在である一方、
その呪いは祝福でもあるっていう良義的な性質を併せ持っているという話でした。
また人間とは本質的に過剰な存在であるという話でもありました。
ジョルジュ・馬太夫は僕が個人的に最も好きな哲学者でもありますので、
いずれもっと詳しくやりたいと思います。
今回はここまでです。
次回もよろしくお願いします。
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