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ストーリーとしての思想哲学
思想染色がお送りします。
夏と死の匂いの考察
今回のテーマはタイトルの通り、夏に死の匂いを感じるのはなぜなのかということなんですが、
昨日それについて考えてたんですよ。
YouTubeを見てたらレコメンドでノスタルジーを感じる系の動画が出てきてなんとなく見てたんだけど、
夏っていう季節は死の気配がするじゃないですか。
お盆があるのは夏だし、怖い話、階段も夏にするよね。
感覚的なところで言うと、
うだるような暑さの中、蝉が鳴いている。
虫たちや植物たちが命を燃やし尽くそうとするところに、生と死の両方を感じる。
あるいは、真夏の強い日差しが足元に濃い影をつくる。
眩しい光と濃い真っ黒な影のコントラストが、この世界において、生と死がくっきり隣り合わせだということを強調する。
そのことによって死の気配も濃くなる気がする。
と、こういう感覚ってあるよね。
これ、なんでかなって考えてたんです。
だって、どちらかといえば、冬の方が死の気配を感じそうじゃないですか。
冬は植物は枯れるし、虫の声も聞こえないし、
冬は基本的に田んぼや畑から食べ物も収穫できないから、普通に餓死する可能性もあります。
冬の方が死んでる感じがするけど、にもかかわらず僕たちは、夏に死の匂いを感じるのはなぜか。
境界の概念と妖怪
これ、妖怪する、溶けるっていう言葉から読み解けるなぁと思ったんで、その話をします。
妖怪は、溶けるに解決の甲斐の妖怪。
夏に妖怪するイメージを感じるのは違和感ないです。
暑いから、氷やアイスはもちろん溶けるし、汗だくになることを溶けそうとか言うよね。
それに、食べ物などの有機物はすぐ腐っちゃいます。
腐るということはグズグズに溶けてしまうわけだから、夏イコール妖怪する季節です。
で、溶けるという現象をちょっと難しく言うと、秩序が妖怪するということだと言うことができます。
エントロピーが増大するというか、例えば、さっきの氷やアイスクリームなら、凍った状態が秩序あるまとまった状態になります。
食べ物なら腐ってしまえば秩序を失って、もはや食べ物ではなくなってしまう。
だから、溶けるというのは秩序が妖怪するわけです。
ここに境界の概念を差し込むことで読み解きます。
境界は世界の境目のことだけど、境界の概念については僕たちは以前すでにやりましたよね。
まだ聞いていない方は、117回から119回までのを聞いてみてください。
つまり、夏とは秩序が妖怪する季節であるわけだから、境界が曖昧になる季節なんです。
夏の暑さで食べ物が腐ってグジュってなって液状化すると、どこからどこまでが食べ物だったのか、どこに境目があったのかわからなくなるように、夏は境界を曖昧にさせます。
境界が曖昧になるとは、民族学的には、あちらとこちらの区別がつきづらくなるということを意味します。
あちらというのは、あの世、彼岸、異界などと呼ばれる世界。
こちらというのは、僕たちが暮らす生きている人間、聖者の世界。
境界が曖昧になると、これらが混ざるように感じるわけ。
2つの世界が混ざるということは、本来行き来できない、異なる世界に行き来できてしまうというイメージを想起させます。
だから夏には、死んだ人間が生きている人間の世界に入り込んでくるように思えるし、逆に生きている人間が死者の世界に迷い込んでしまう、
回遺に遭遇するイメージを想起させる。
このことが、僕たちが夏に死の気配をイメージする理由だと思います。
まとめると、夏という季節に直接死を感じるわけではなく、
夏という季節は秩序が妖怪し、境界が曖昧になる季節であると感じる。
そして、境界が曖昧になると、死者の世界と聖者の世界のような、普段交わらない異なる世界がどこかで混ざるイメージを覚える。
そのことによって、異界から死者や回遺、死そのものが自分の世界に侵入してくるイメージを同時に想起させるため、
夏に死の匂いを感じると。
こういう二段階方式で、夏と死とが象徴の世界で結びつけられるから、
夏には死の匂いを感じる、死の気配を感じるという話でした。
やっぱ境界の概念はおもろいですよね。
なかなか面白い考察ができたんじゃないかなというところで、今回はここまでです。
次回もよろしくお願いします。