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#11_チェーンブレイク_身体知的哲学
2026-09-21 10:26

#11_チェーンブレイク_身体知的哲学

いつものように回数を間違っていますが、

正しくは第11回です

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田舎社労士さだきちの路傍観察日記第10回 チェーンブレイク
ロケあって都会の会社を退職したさだきち、よくさだきっちゃって呼ばれるんですけど、日々をぼーっと観察して考えたことをお話しするポッドキャストです。
10分ぐらいで終わります。今日は、チェーンブレイクということで、最近知ったんですけど、チェーンブレイカーっていう故障があるらしい。よくわかんないんですけど。
世代関連差、虐待とかの世代関連差をその台で止める人のことを言うらしいです。その概念が正しいかどうか、その学術的な裏付けがあるかどうか、私はちょっと存じ上げないんですけど、それでもなおとてもいい概念だなと思います。
で、ですね、私のおじいちゃんが多分チェーンブレイカーだったなっていう話をします。私のおじいちゃん、つまり父の父ですよね。
洋作と言います。満州事変に参加したそうです。1931年くらいかな。5年くらい兵隊として千代目に行っていたそうで、うちの父は4人兄弟なんですが、その間ですね、兄弟ができていないんですね。
父は末っ子なので、ずいぶん年の離れたお姉さんがいて、その2人のお姉さんの間が非常に空いています。5年くらいやっぱり兵隊にとられていた間、当然子供は作れないので、4人兄弟なのに兵のお姉さんがずいぶん上という兄弟構成になっています。
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なのでですね、おじいちゃんは満州事変に行って帰ってきました。そのことが何を意味するかっていうと、残念ながらうちのおじいちゃんは戦争で人を殺したでしょう。暴力も振るったと思います。
暴力も振るわれ、そして暴力を振るったと思います。それが戦争ってものだから、そこはおじいちゃんのだけの責任ではないんですけど、時代関係の交渉は大まかにはなりますが、
大陸で旧日本陸軍が広日ゲリラに対して行った三航作戦、殲滅作戦みたいな、人海作戦だったかな、なんかありまして、それがですね、3つの方針からなっています。
殺し尽くし焼き尽くし奪い尽くす。広日ゲリラに対する作戦とはいえ、可烈な作戦であったことはそうなんだろうな。私は実はメンタリティ的にはどちらかというと、右よりです。
ただ、こういう暴力が行われたという、おそらく行われたです。それは認めざるを得ないと思います。
私のその進路は、今回の話には関係ないのでいいとして、戦後、洋作じいちゃんは、中国のこと、戦争のことをほとんど、というか、全くと言っていることを語らなかったそうです。
絶対、じられたまま、何か暴力的なことはしているはずなのに、それを私たち家族には話さなかった。で、中国の体験、中国での体験のことを聞かれる。中国は泥の国だ。すべてのものが泥でできている、としか言わなかったそうです。
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洋作じいちゃんはとても優しい人だったそうです。優しい人だったそうですというのは、私が生まれた直後に、60代で癌で亡くなったからです。私は赤ちゃんだったので、当然、洋作じいちゃんのことを知りません。わざわざ見に来てくれたそうです、私の顔を。
で、ですね、その洋作じいちゃんの戦後の仕事というのは、石川県の出身だったものですから、じいちゃんは。産幹部の非常な壁地に住んでいる人たちに物資を販売する与老津屋さんだったそうで、大戸産品で、山合の地域を巡っては、移動コンビニみたいなものをしてたそうです。
その仕事をずっと続けて、そして60代で亡くなりました。ちょっと雑なんですけど、そんな感じで、洋作の戦後のことを私は聞いています。
父はですね、私の父は、我が父ながら非常に人格的に優れた人で、怒らないです。本当に穏やかな人です。おそらく、洋作じいちゃんは、うちの父に暴力性を伝えませんでした。
もう一人、父の兄がいますが、その兄にも暴力性を伝えませんでした。
洋作じいちゃんが、自分の体のうちに暴力性を閉じ込めて、戦争の産花を放さなかったことで、我が家は戦争の後一生という苦しみから逃れることに成功しました。
洋作はチェーンブレーカーでした。早い段階で私たちを戦争の産花から救いました。我が家の平和は維持されました。
今、我が家がとても平和で幸せなのは、洋作の努力によるものが大きいと思います。
でも、その中で、洋作がどんなにPTSDに苦しんだかというのは、現在の私から見て想像を絶するようなものです。
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もちろん、満州事変あたりは、日本軍が割と有利な展開だったので、たまたま洋作は生きて帰ってきました。
でも、あと5年ずれていたら、洋作は帰ってこなかったかもしれません。
そしたら、私の父はいませんでした。洋作が帰ってきて、なおかつ自分の戦争体験を語らなかったことで、我が家の平和は維持されました。
実は、これには後日談があって、私の英会話教室での体験というものがあるんですけど、その話はまたしたいと思います。
田舎シャロー氏、貞吉のロボ観察日記、第10回チェーンブレイク。この話の続きはまた明日。またね。
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