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#10_連帯_身体知的哲学
2026-09-20 10:30

#10_連帯_身体知的哲学

後半、精神的にグロいです

人によってはしんどいかも?

↑警告はしました

 

自分自身によるスターがついていますが、誤操作です

ご容赦のほど

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00:08
田舎社労士さだきちの路傍観察日記 第10回 連帯
分け合って都会の会社を退職したさだきち。 よくさだきちゃんって呼ばれるんですけど、日々をぼーっと観察して、考えたことをお話しするポッドキャストです。
10分くらいで終わります。
横須賀に住む知り合いというか、友人というかを訪ねようと、娘と都営浅草線から京急に乗ったんですね。
最寄駅は安神塚、三浦安神の安神ですね。安神塚だったので、金沢八景でどんこうに乗り換える予定でいました。
夕方だったので、だんだん混んできて、あの辺ベッドタウンなものですから、帰る人はいっぱいいる時間帯だったんですね。
横浜から親子が乗ってきたんです。最初はね、気づかなかったんですよ。
でも、なんかイライラした大きな声を出す人がいるなと思ってそっと顔を上げると、おそらく10度くらいの知的障害の女性がとても苛立って大きな声を出していらっしゃいました。
そばを見ると、私同等年代くらいの知的障害の女性を年老いた母親が眺めていました。
お母さんと目があって、明らかに疲れて、もうどうしようってなってるんです。
慣れてはいるとは思うんですよ。疲弊?泥?みたいなすごく嫌な表情だったんですね。私にとっては。
なんか察しました。この状況でしんどいだろうなって。
03:07
これはちょっとかわいそうだなと正直思ったので、上大岡で娘と私2人分の席を譲ることにしました。
上大岡の駅は、急行が止まって乗降が結構あるんですね。
私は急行に乗って金沢駅で降りるつもりだったので、上大岡はその急行が止まる3つぐらい手前の駅になります。
なので上大岡の駅で乗降の人の流れがある状況で席を2人分譲ることにしました。
タイミングさえ間違えなければ、他の乗客にも迷惑にならずにある程度スペースを空けて、人の流れに沿って席を譲ることができます。
タイミングを合わせてスイッチしました。
私は金沢駅で降りるつもりだったので、そんなに疲れてない、短い空間は立てる体力がありました。
娘もずっと東野作成の時から乗っているので、体力は回復していました。
お母さん、どちらまで行かれます?
いや、潮入りなんです。
あ、じゃあ向こうですね。お譲りしますよ、みたいな。
軽く打ち合わせをして、上大岡でスイッチしたんですね。
私たちは急行1駅、2駅分立てばよかったし、彼女たちは少しの間でも足を休めることができました。
私がお腹空いたよーってこぼしてたので、娘にね。
その年老いたお母さんが、私たちが金沢八景で降りる時にパンをくれました。
2人ともいい子にこしてて、よかったなと思いながら、ありがたくいただいて予定通り金沢八景でどんこに乗り換えました。
たぶん連帯できたのかな。お母さんと子供の組み合わせ同士みたいなところがあって、その場はよかったのかなって思っています。
ただですね、私がこの体験をして思い出したのが、ちょっとここからとてもグロテスクな話になるので、
グロい話が苦手な方はご退場していただいた方がいいかと思います。警告はしました。
06:08
グロ画像の話でして、とっても綺麗な絵なんですね。
登場人物は2人の美しい少女です。プールにいます。
その2人の美少女が首輪をはめられています。
プールに沈められているんですけど、2人の首輪は鎖でつなげられています。
鎖の長さが調整されていて、どう調整されているかというと、プールの底にある輪に鎖が通してあるんですね。
鎖は動くんです。
まず、ギリギリプールの水面に、どちらかの首というか息ができない、それぞれの高さで鎖が調整されています。長さがね。
グロいと思いませんか?
この2人の少女が一番長く生きられるとすれば、互い違いに補給をすることです。
でも、どうせ酸素は足りなくなります。長くは持たない。
本能的に酸素を求めて、2人の少女は戦うことになります。
そうなれば、1人は生き残れます。ただし、もう1人は亡くなります。
グロいですよね。これがとても美しいタッチで、水と美少女という組み合わせで描かれています。そして鎖。
有名なグロ画像だと思うので、ご存知の方も多いと思います。
なんでそのグロ画像を思い出したかというと、連帯ってそういうものかもしれないなって思います。
私たち親子と、その知的障害の女性と、年老いて母親の親子。
2組の親子は電車の中で連帯を成立させたかもしれない。負担を分かち合うことができて、
09:00
より負担が少ない方が、より負担が大きい方の負担を吸収することで、少し私たちは延命できました。
でも、両方とも疲れるってことに変わりはありません。
いつか両方とも倒れる、休まなければ、そういう未来が予測されます。
それでも私たちは連帯しようとするのかな。
たとえ首輪が外せなくても、最後の瞬間までその装置に抗おうとしてしまうのかなと、その体験を通じて思いました。
体感的にそう思いました。
稲川シャロー氏佐田吉のロボー観察日記、第10回連帯。
この話の続きはまた明日。またね。
10:30

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