声を思いを世界中に届ける、こえラボ。
経営者の志。
こんにちは、こえラボの岡田です。今回は、講演・研修プロデューサーの山本忍さんにお話を伺いたいと思います。
山本さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
まずは山本さんの授業内容から教えていただけるでしょうか。
はい、私は講演・研修の業界のいろいろなサポートをさせていただいています。
講演会・研修の企画、そして実際に商品として企業さんや自治体などに講演・研修をお届けすること。
自分自身が講習として登壇する傍らで講師になりたい方とか、自分の思いを届けたい方々を実際に私の方で伴奏をさせていただき、
稼げるところまで、うちにもお客様がいらっしゃるので、デビューの場も作るように、しっかりお金として稼げるようにさせていただくのが私の主な仕事です。
講師の方も結構いっぱいいて、いろんなジャンルの方もいらっしゃると思うんですが、なかなか苦労されている方も多いんじゃないかなと思うんですけど、
その辺りってどういったところが山本さんのプロデューサーだと変わってくるんでしょうかね。
はい、例えばですね、私のパートナー講師という言い方をするんですが、このパートナーになっていただいている講師の方には、元サッカーの日本代表の方もいらっしゃるんですね。
元々その方っていうのは、やはりご自身の経験談をアスリートというのはどうしても伝えたいっていうことがあって、
そうするとですね、結局、買う先の人たちのニーズと自分が届けたいことにギャップが生じまして、
一般的にやっぱり日本代表ワールドカップまで行ったような方々って、ちょっと私たちとは違う。
大谷選手もそうですけど、とても私たちとは違うよなってことで、結構惹かれたりとか話をちゃんと聞いてくれないっていうことがあったのが、
パートナー講師の方でもいらっしゃるんですが、そういう方の声を、その方の経験、思いをですね、
なぜ企業さんにマッチするように、こういうふうに伝えたらいいんだよとか、こういうところを企業が求めてるっていうのを、
私自身がやはり現役で講師としてさせていただいているので、ニーズとかウォンツというものがちょっとわかっていますので、
その方の声をきちっと、例えばマネージメント型に落とすとか、
テーマワークの話に戻すとか、あるいはリーダーとして失敗したことを逆に伝えることで、
今管理職で悩まれている方が、今自分は失敗していると思っているけど、こういう経験というのはこういうふうにつながるんだなというふうに気づきを得ていただくとか、
そういうふうに本当に話、中身、人生の経験をすべて稼げる状態にするっていうのが、
私のやっていることですね。
矢本さんはこういったプロデュースされるようになったきっかけとかあるんですか。
はい、私はですね、今の株式会社Amazeというちょっと面白い名前の会社をやってるんですが、
これはもともと私全く会社の経営者になるつもり全くなくて、
公演会社、公演業界って公演会社さんがエージェントというもので結構ですね、成り立っている業界であるんですが、
そこのですね、ある会社の社長が一緒に講師をデビューさせる、そういったビジネスやらないって声をかけてください、
私やる気なかったんですけど、今でも覚えてるんですが酔っ払った勢いで声を叩いて、わかったよって。
そうなんですね、きっかけはじゃあそんなところで。じゃあやり始めてどうだったんですか、その後は。
全くうまくいきませんでした。
そうなんですね。
ですけれども、ただちょっとこれはスピリチュアル的なお話になると思うんですけども、扉って結構開くときってスッと開くんですね。
何の苦労もなく自分がこの道に行くんだっていうのは、自分が知らないうちに扉って開いてると思ってて、
そのときって何の壁もなく、どんどん出来上がってきちゃうんですよね。
私はまさに会社の設立がその状態で、資本金も全くなかったんですね、もちろん。何もやるつもりなかったので。
なんですけども、おじが突然応援するって言ってポーンってくれたりとか、本当に会社の設立は何も苦労なくあっという間に出来上がってしまって。
それが逆に私は、人に自分が取り残されて周りの画面が変わっていくようなイメージで、どんどん前に押されるような感じで。
それで出来上がったので、本当に最初は一番最初の売上、たぶん2年目ぐらいであられで4万円ぐらいかな。
全然苦労しますよね。
凄かったです。本当に常に周りのせい、人のせい、他席で。
もう人に対して、あの人が言ったから始めたのにうまくいかないとか、あの人がやってくれって言ったからやったのに、何でこんな風になるんだとか、全部が他席で私は生きてました、その時は。
そうなんですね。じゃあそこから何か変わるきっかけとかあったんですか。
ある時に本当にもうトラブル続きになりまして、実は文春報の取材を受けたこともあったんですね。
一般文春の記者からいきなり電話がかかってきて、私がちょっとその講師のマネジメントをしていたあるすごく有名な文化人の方が非常にトラブルメーカーで、その方のトラブルを起こしたっていうことをクライアントさんから聞きつけた文春が私に取材依頼を申し込んできたっていうのがあったんですね。
それでもう私はそういうことがすごく続いてたので、もうこれはたまったもんじゃないと思って、今でも覚えてるんですけど、本当事務所を借りてたんですが、机を一人でバンって叩いて、こんなの私の人生じゃないって言って、どだったんですよ一人で。
その時に、どんなにお金持ちの社長になっても自分の心が変わらない限り、これは幸せは得られないなっていうことに気づいて、やっぱり現実は自分で作るものだし、守護を自分にして生きることが絶対大事だなってことにそこで気づいたんですよね。
そこからやっぱり整えていこうということが、まだね、もちろん発展途上なんですけど、私自身の取り組みが始まったというか学びが始まったという感じで。
具体的にはどんな取り組みをやって変わっていらっしゃったんですか。
もちろん、いろいろな自己啓発でかなりのお金を費やして、いろいろな自己啓発は今も受けてますけれども、そういうのをやったりとか、あとはその中の一つで、私ずっとサッカーなんですけどね、主にね、日本代表クラスの選手のマネジメントをしてた時代があって、
やっぱりアスリートって真偽体というのを非常におもんじる人たちで、この今に集中して、よく不老状態とか言いますけれども、今に集中する状態でやっぱり自分のパフォーマンス最大限に発揮するっていうことを、私も彼らとやっぱりこう触れ合うときに学んでたので、