社会不適合性とは
おはようございます、おはようございます。
じゃあ、開始まであと3分ぐらいなんでね。
もうちょっとだけお待ちください。
今日何曜日だっけ?今日土曜だ。
土曜っすね。
もう25日。
頑張んないとだな、どこに。
おはようございます。
毎朝の楽しみです。ありがとうございます。
地味にね、こういうところで聞いてますよとか、結構楽しみにしてるんですよって声が本当にありがたいですね。
改めて頑張んなきゃなと。
本当に次回になります。
じゃあ、あと30秒ぐらいしたら始めますね。
よし、残り10秒後です。
じゃあ、本日もよろしくお願いします。
録音開始して始めていきます。
どうも、ソウタです。
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はい、ということで今回のテーマはですね、社会人経験がないからこその不適合性っていうところのテーマでお話をしていければと思います。
毎度お馴染みですが、僕自身はですね、社会人経験というものがほとんどありません。
そういうところがあるので、それのおかげさまってか、めちゃくちゃの不適合性を結構持っているなと、
ちょこちょこ自解するというか、定期的に思うタイミングがございましてですね、
それの振り返りというか、自解も込めまして、今日このテーマに設定させていただければなと思ってますので、よろしくお願いします。
自由と独自性の重要性
まあ割とですね、皆様にとっては当たり前だろ、そんぐらい常識だろって呼ばれるものを、僕はあんまり常識として持ち合わせなかったりするんですよね。
例えばなんだろうな、僕のよく知らないこととかで言うと、名刺交換とかのルールとかマナーとかもあんましよくわからないですし、
紙座下座もよくわからないとか、基本能力が欠落してるんですよ。
ある意味、それで自分が生きていくために、こうして今みたいな働き方っていうのを選んだというか、
そういうことを知らなくても大丈夫とは言い方が違うけど、知らなくてもなんとかなる働き方っていうものを選択してきたのかなと。
今改めて振り返ってみると思うわけですね。
だから今日皆さんに伝えたいのは、周りの同調圧力によって不適合性を本来自分も同じように持っているのに、
それを抑圧されて無理やり適合するように生きてきてしまった人たちっていうのは、
もしかしたら社会不適合に生きてもいいんじゃね、この業界はっていうふうに一種思ってるってことです。
どういうことかっていうと、適合者というか普通はこの業界だと、
このSNSとかインスタグラムって業界だと普通とか適合してる人って、ある意味普通だから目立たないんですよね。
目立たないし、正直外れなことや行動や行為っていうものをしないから割と普通で終わっちゃうんですよ。
でもある意味僕は不適合であり、たとえどんだけ上の人だろうか上司だろうが、
納得いかないこととかはどんな場合であれ歯向かってしまうっていう癖があるし、
あとは僕は人の舌につくとか、ぺこぺこするとか、社会人マナーとか常識みたいなものに縛られてしまうっていうものが僕は極端に苦手なんです。
そもそもが苦手なんですよね。やった方がいいと分かっててもできないみたいなパターンの人間なんだろうなって思います。
これは一種ある意味メンタリスト大愚を長年見過ぎてるっていうのもあるかもしれないですし、
あとは自分がトップでやりたいっていうところが強いんだろうなって思います。
あと自由の選択肢、自由が縛られることはとにかく僕の中ではきついんだろうなっていう理由なんだろうなって思ってるので、
改めて僕って会社員向いてねえなって最近つくづく思いますね。
決められたルール通りにやるとか、先輩が通ったら挨拶するとかみたいな、そういうマナーみたいなのは割と難しいというか、全然できないみたいなっていうパターンの人です。
とはいっても例えば部活動の先輩とかに対して礼儀正しく挨拶というか、僕そういうのでも生きてきてないんですよね。
先輩とは友達のような関係、後輩とも友達のような関係みたいなので生きてきちゃったんで、
私結局高校の時は部長とかやっちゃってたしみたいなパターンだから、やっぱりそういうものがいい意味でも悪い意味でも欠落してるなって振り返ると思うんですね。
だからこそ、だからこそなのかもしれないですけど、こういう場での統率力、リーダーシップ力というものは、それの欠落の結果、今この場では強いと思うんですよ。
みたいな感じで、何かしらを何かしら失って何かしらの能力がパコって出ることによって、異質性って言ったじゃないですかね。
っていうものが強く出ることによって、その人らしさとかその人じゃないと言えないものっていうのが色濃く強く現れるんじゃないかなって思ってるんですね、僕は。
だからその色濃さというか普通じゃない、通常時は出てこないような色の濃いような深みだったりとか、
その人じゃないと出せないような深さ、色の濃さっていうものはある意味普通じゃないっていうことによって生まれるものなんじゃないかなっていうふうに思うんですね。
この普通じゃないっていう普通じゃないの種類は、いわゆる能力的な普通じゃないではなくて、
社会的得意点の意義
何かしらに何かちょっと違うよねって言われている部分とかっていうものを持っているなら、
そのちょっとずれている部分とかはむしろ強く色濃く出ちゃってもいいんじゃないかなっていうふうに何となく思ってるっていう次第です。
それがSNSしかり、このいわゆるインスタグラムとかこういうこっちの業界で生き残るにはそれぐらい何かちょっと違った道筋みたいなものとかを持っている人とかの方が割と強みとして出るんじゃないかなって何となく思ってるっていう次第でございます。
何かこれって言い方間違えると何か悪いことしたっていいだろうみたいになっちゃうから、それとこれとはまたちょっと別ではあるんですが、
とにかく何だろうな、僕は本当に社会人経験が欠落してるんです。ガチで欠落してるパターンです。
だって新卒フリーランスとほぼ同職に近いような感じで、もともと教員は社会を知らないっていうふうにメンタリスト大学に言われてからこういう道に来たって話はよく知ってる通りですが、
学校の先生っていう職業が社会を知らない通り、僕もその社会人というものを本当に知らないんですね。
学校の先生になるためのことと、そこでの教育実習しかしてきてないので、いわゆる細かなことは全く知らない。
実際にそれが違うからって一般職に入ったけど、それも2ヶ月で、そこでも不適合性を表して辞めているみたいなパターンの人ですからね。
だからもう社会人経験を全く持っていない、この良い意味でも悪い意味でも、どれだけ目上の人だろうが年齢が上の人だろうが、言いたいことは言うみたいな。
この異常性というものがある意味、突飛出た結果、こういうコンサルティング的な教育業というものに向いているという状態が出来上がっているだろうし、
昔はよりそれが強く色濃く出ていたというか、昔の色濃さはすごかったじゃないですか。
めっちゃ強く言う時には思いっきし言ってたし、すごい怖い言葉とか強い表現とか使ってたじゃないですか。
でもそれが得意性というか普通じゃない得意性を持っていたから、ある意味それは強みとして輝きを持っていたのかなと思っています。
それが今弱くなってきているわけではない、それがまた違うことをやり出してリバランスされているという感じが近いと思うんですけど、
それでも今はまた得意性として、結局そこの経験の無さはもちろん続いているので、
常識的に考えたらどうなんて言われることが僕の中にはなかったりすることは結構往々にしているなとすごい思いますね。
でもそれが結果、その色濃さというかその人にしか出せない味や色になったりするから、
それはそれでいいんじゃないのって思うし、普通であろうとしなくていいんじゃないのっていうことが僕の今日言いたいメッセージかなというふうに思っています。
倫理観を度外視するけど犯罪を犯した人にしか味わえない世界観、感情、思考回路がありますよね。
それも超絶個性。まさに結局はそれも一種。
そういう意味合いで捉えるなら正しいじゃ正しいかなって思いますよね。
だからなんか普通であろうとしなくていいというか、結局その社会的得意点っていう得意っていうのは特徴の特異に異なるって書いて社会的得意点と呼ばれるこれが色濃く強く出ている人ほど、
そのSNSではその人にしか出せない輝きが出ていると僕は結構思うんですよ。
極端な話ですけど、いい例か悪い例かわかんないけど、YouTuberのヒカルとかだってその社会的得意点が極限にまで出てるからオープンマリッジなんてことを言えちゃうわけじゃないですか。
社会的常識性っていうのが仮にでも1ミリでもあったら言わないっていう選択肢を取るのが皆さんからしたら普通言わねえだろってみんな言ってたんですけど、
社会的得意点が高いからああいうことを言えちゃうわけですよね。
でもああいうことを言えちゃうから、あの強いキャラとそこに対する強烈的な普通じゃないよねっていうところが出て、
あの人にしか出せないコンテンツになっていってるのも事実なんですね。
っていうのが最近感じる。これが社会的得意点っていう。
常識性からずれてて普通そんなことしねえだろっていう。
普通というものからずれてることによって、それはそれで一つの味になってしまうのがこの業界。
むしろ普通であればあるほど、この業界はそこの輝きが出てこない。
事実、これも良い悪いは一旦置いておくんですけど、
スシローのペロペロ事件とかを言ったらこれって今でもみんなが認知してるぐらい有名になってしまった事件だったわけじゃないですか。
これはダメですよ。本当ダメなんだけど。
社会的得意点の重要性
でもSNSで認知を取るということのウェイトの一点においては、そこって社会的得意点は高かったから、
多くの人の多くの記憶に残ったことだけは事実なんですね。
ここのバランス調整っていうのは必要。
だから私は何もないんですよね。
この2ヶ月間個別相談ちょこちょこ載っていた中で、すごく何度も何度も聞いた言葉が
私には特に何もないんですよねっていう人たちっていっぱいいたんですけど、
これが常識性を持ち合わせて、世間一般の常識っていうのが身についた結果そうなってるんだとしたら、
社会的得意点を持っている人ってむしろ強みになってしまうなぁとはすごく感じてるっていうお話ですね。
社会人経験が社畜経験なのがなんだかなと思います。
結局でもそういうことになっちゃうんですよね。
営業に揉まれろみたいなさ、
顧客とかクライアントには手土産を持って行けみたいな、
手土産を持っていくことで喜ばせろとか、
そういう常識とか託しは先に何たらとかよく言うじゃないですか。
必要なんだと思いますよ。
そういう常識が必要なんだと思う。
必要なんだと思うけど、
僕はできないっていう。
どんな人が相手でもそれ分かんなくやっちゃうんですよねっていうところは個人的にある。
っていうのはある意味それを正当化したいわけではない。
ダメなもんはダメなんですけど、
ある意味でもそこが全部均一化されて何も個性のない人間になったら本当に死ぬんだろうなっていうか、
多分僕っていう存在が本当に見られなくなるんだろうなと思うんですね。
僕のコンテンツとかをこうやって紹介してくれる見てくれる人たちの共通で、
僕がその社会的得意点で結構強く色濃く出てるから、
僕のことを知ってくれて、僕のことを見てくれてるんだと思うんですよ。
得意点が高いから、普通じゃねえから。
っていうので、他の人たちも社会的得意点っていうものをちゃんとイメージしておかなければいけない。
っていうのはちょっと感じますね。
営業、警察どこもそう。
営業と社会的マナーの関係
そういうところが多いですよね。
結局だから、
2B、B2Bって呼ばれる法人2法人の案件とかだと結局営業出身の人の方が強かったりするのは、
そういうマナーとかを身につけて気に入られるための何かを上手く上手にやってる人たちが多かったりしますよね。
常識の強者への媚びではないか。
実際はそうなんですけど、
実際そうだけど、結局そうされることが好きな経営の方々もいるのも事実なんですよね。
これがまた難しいところでね。
僕みたいな得意点が高いせいで、
いやいやいや、そんなのされる方が気持ち悪いわ、
なんかこいつわざとやってきてるなって感じるタイプもいれば、
そういうことを俺様にやってこないこいつって何だ、舐めてるのかって思うパターンもいるわけですよ。
どっちもいるんですよね。
どっちもいるからこの業界、
この業界じゃないか、それはその経営者、営業系の方なんですけど、
それはどっちもいるから、
本当に心から難しいなって思いますよね。
人ってそれぞれじゃないですか。
僕にとっての得意点の変な部分は、
それが逆に欠落しきっちゃってるので、
分かんないんですよね。
シンプルに分からないっていう。
こうした方がいいわ、分かってても、
じゃあそれをしたからなんなんみたいな、
ふうに思っちゃうから、
っていうやばすぎるパターンで。
っていうこと。
人が何で喜ぶかって人それぞれ本当そうなんですよね。
だから今日伝えたのは何かっていうと、
そっちの話にちょっと行っちゃったんですけど、
元の方に戻すと、結局重要なのって、
ある意味、
普通じゃない状態っていうものを、
ある意味大事にしてもいいんじゃないのって思いますね。
超型にはまって生きてきたのに、
逆にそういう人羨ましいなって素直に思います。
逆にお互い苗物でたりだと思ってて、
その型っていうものが、
もはや身に染み付きすぎちゃって自然にできるって、
生きるっていう上では得すると思うんですよね。
結局。
僕らみたいな超社会不適合のパターンの人間って、
生きる上ではめちゃくちゃ損するわけですよ。
分かんないんで。
わざやんなきゃよくないとか言ってたら、
いやいやいやいや、
こいつああいうところでそんなこともしてこなかったぜとか言われたら、
もう終わりじゃないですか。
僕の方が損をしやすいんですけど。
ただ、この生き方してよかったなとか後悔はないですけど、
そういう社会的マナーみたいなものは本当に分かんないし、
それをこれから分かることはいずれ来るのか、
どっちなんだろうなって思いながら日々生きてます。
マニュアル化されるからいいわかん。
まさにですね、型にはまれば安心するし仲間が多い。
そんなメリットある。
いやそうだと思いますよ。
僕はそこの常識とか社会的マナーみたいなものが、
完全な欠落。
ガッチャン、バラバラバラみたいな状態で生きているので、
その分得することは少ないと思いますね。
損することは多いけど、
その分こういう場でのある意味、
奨学力というか人を引っ張る力だったりとか、
こういう場での得意点っていうものが高くなっているのも事実。
だから人は何かを得れば何かを失うっていう
オールトレードオフみたいなものなんだなとは
すごく思うなってお話でございました。
僕が普通になればなるほど、
皆様にとって僕の魅力は消えていくんだと思うんですよね。
僕が普通じゃなく、普通じゃない生き方をして
普通じゃないことをやり続けるから
僕の得意点が高くなって
僕のことを楽しんで見てくれたりとか
信用してくれたりとか
面白いなと思ってくれるのと一緒で
SNS発信っていうのも同じってことですよ。
だから全て得意点がない
トレードオフについての考察
普遍的なよくある伸びそうなレシピのやり方をやっている人よりも
得意点が高くぶっ飛んだレシピをやっている方が
面白くなるわけですね。
常識がないみたいな。
包丁を切る時の包丁の切り方とかの
この切り方のマナーがなっていない人の方が
マナーがなっている人よりも
得意点が高くなるから見られるみたいな
のと一緒ですね。
コメント欄では包丁の持ち方損なんで料理を名乗るな
とか言ってくるマナー好きな奴らがいるけど
でも得意点が高いから見られているのも事実であるっていう
こういうイメージですね。
あなたはどっちを取りますか?みたいな
パターンなお話でございました。
予定調和なるか突き破るか
まさにですね。
今の包丁の事例は分かりやすいと思うんですけど
正しい、世間一般上の正しいはそうだけど
そこが欠落してずれている人の方が
得意点が高くなるから
コンテンツとしての消費や見られるとか
印象に残るという面では
後者の方が高くなるんですね。
ヒカル、ダイゴ、ヒロユキ、ホリエーモン、シカリ
ここら辺ってそういう面での
いわゆる一般常識のマナーというものの
欠落性や得意点が高いから
多くの人がそこに対して意見はするが
みんなコンテンツとして見ているのも事実なんですよね。
だから僕ら一般人も
ある意味そこのマナーだったりとか
いわゆる基礎基本みたいに呼ばれるものの
欠落性というものや
得意点が大きくなるというところ
というのが
なればなれほど結局それは
コンテンツとして消化されるし
面白いなって言われるし
いいなと思ってもらえたりする
ということですね。
あなたはどっちを選びますかと。
普通で何も言われない
でも生きる上では得をする方を選んで
SNSでは普通、何もない生き方を選ぶか
生きづらくはなるけど
その分SNSとかこういう業界では
一つ得意点が高くなって
見られるコンテンツとしての生き方ができるか。
前者後者どっちが正しいはないと思うんですね。
僕はこんなテーマにして
俺が正しくてお前ら間違ってるとか
そういうこと言いたいんじゃなくて
これ全てはトレードオフだよって思ってる。
ナチュラルにトレードオフなんだろうなって
思ってるってことを
この場でお伝えしたかっただけです。
だからどっちもどっちなんだろうなって思ってます。
普通に生きるからこその幸せって
めっちゃあるのも事実じゃないですか。
だけどその分得意点がないから
普通に生きるっていうところ。
そこに対して得意点を作って
多くあるからこその生きづらさや
損してきたことがたくさんあっても
一つこういう場での極端なまでな異常点が出来上がって
ある意味人を信じてもらえたりとか
引きつける魅力性というものが上がるっていう
この2つこれはどちらも確実なる
トレードオフの関係性なんだと思うんですね。
だからさっきも言った通り
両方メリットとデメリットがあるし
何度も言う通り
皆さんが僕のことを聞いてくれたり見てくれたりするのは
その社会的得意点が
僕は多分普通のインスタグラマーより高すぎるんですよ。
僕私は一般のこういう家庭を経て
お子さんを育ててきてとか離婚してとか
そういう得意点じゃない
純粋にいろんなものの常識性が欠落している
得意点があったから
どんだけ年齢が上の人に対しても
容赦なく言うことは言う
強く言うみたいな
その得意点がこの人は嘘を偽りなく
素直に思ったことを言ってくれるんだ
っていう得意点を作り
コンサルとか教えるっていう面での
信用性というものが繋がったと思ってるんですね。
だからどっちを選ぶかみたいなものなので
社会不適合性の理解
僕はこれからも社会不適合者であろうと思ってます
ではなくて
僕はそこに対して
得意点を隠すことはしません
っていうことですね
無理なものは無理ですと
僕は納得いかないものは納得いかないと
言っちゃう節があるので
もうどうしようもないと
いうことなんで
その返し皆さんには
嘘を言ってまで
何かを皆様を
慰めるようなことはしない
と思います
だから僕は
うちの母との
講座戦には既に達した
毎月のポッドキャストでも言った通り
いいんじゃないですかって言ってるのは
本当に僕いいと思ってるっていうのは
ここもある意味
さっきの不適合性の一種でもあるんですよね
そこはもっと褒めてあげたほうが
みんなが喜ぶよねっていうことよりも
素直に自分が思ったことを言ってるだけなんで
いいんじゃない?みたいな
いいんじゃないですかっていう
それは本当にいいと思ってるよっていう
のとかも全部それに一種なんだろうな
って思ってる
だからこれは
自分は一つの個性であり
得意点だと思って
それをわざわざ直すこと
さっきみたいな
いいんじゃないですかとかの部分とかも
一種の自分のアイデンティティだと思って
生きていこうかなって思ってる
っていう次第でございました
これを多くの人は
コンプレックスと捉えちゃったりしがちですからね
でもこれって僕も
いわゆる今の僕の今日の話って
この得意点っていうものと表現して
自分のアイデンティティだっていうことを
ある意味自己認識した上で
こういう働き方をしてるから
これがアイデンティティとして
形成されてるだけであって
何度も言うと
僕が言ってるこの話を
いわゆる普通の会社員として
そんなことをしたら
僕は明らかに潰される人間ですよ
やばいじゃないですか
今言ってることって
だから適材適所だと思ってます
だから僕の言ってることが
僕の言ってる
このアイデンティティみたいなものは
皆さんでいう
皆さんの職場とかで
僕みたいなアイデンティティの人間がいたら
意味嫌われるし
孤立するし
嫌味言われるし
すごく悪いことされる可能性が高いじゃないですか
このアイデンティティ関連っていうのは
だからそれは
一種コンプレックスっていう風になる可能性の方が
高いですよね
教育者としての適性
適材適所
持ち合う持ち合うっていうのは
素直に思ってますね
ありがたいです
嘘で慰めるのは一時的に褒められるけど
前には進めないし
本当にそう思ってるかと
逆に信じられなくなっちゃう
だから僕はいいんじゃないとか
ダメなものははっきりとダメっていう
最近のリール添削日を見てても
皆さんも感じますよね
ダメなものはダメっていうんで
そこに乗り越えてきてくれる人は
強いですけどね
コンプレックスだらけ
適応できたそれ全部言われました
適応そうだよね
適応無理ですよね
僕はナチュラルに完全に不適合型なんで
だから逆に教員向いてたんでしょうね
教員っていわゆる
大学を移る社会を知らないので
社会不適合でいいんですよ
学校の先生って
いわゆる必要な人間関係なんて
その場の学校の上下関係だけであって
あとは生徒との関係性で
常に自分が上下関係で
自分が上下関係で
常に自分が上にいられるから
別に不適合でも何でも問題ないんですよね
っていうのがある意味
本当に僕は教員向いてたんだろうなーって
何度も思いますね
残りの人生を謳歌しようって
4歳はむしろ学校の先生やっても
いいんじゃないかと思うぐらいな
風に思い始めてますけど
っていうようなお話でございました
ちょっと余談が過ぎましたが
何度も言う通り
僕の今日の話は
俺が正しいぞっていう話ではありません
適材適所だよっていう
その場合によって全ては
全てはその環境と場合と場面によって
それが強みとして出ることもあれば
大きい大いなるコンプレックスとして
デメリットで出ることも
両面として存在するから
あなたはどこを選びますかと
いうふうなことを
訴えたかっただけでございます
なので皆さんも不適合者になれ
ということではありませんので
そこだけはご了承いただければ
と思います
以上でございます