水平線の歌詞解説
今日は歌詞解説シリーズなので、水平線で行きます。
知ってますかね?水平線って言われて、「おぉ、和楽曲や!」って知ってる人は、バックナンバーファンですね。仲良くなるそうです。
知ってる人が多いか。これのちょっとしたエリートやったりとか、どういう糧でできたかとか、話します。
もうそろそろ始まりますね。
水平線の歌詞解説待ってました。意外と待望の歌詞解説なんですね。
バックナンバーといえばっていう一つというかね。コロナのところですからね。
よし、じゃあ録音開始してやっていきましょう。
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今回は歌詞解説シリーズでございます。
歌詞解説シリーズのファイアル。
今日はバックナンバー水平線を語っていければいいかなと思っています。
バックナンバーといえば元々は高根の花子さん一強だったんですよ。
バックナンバーといえば高根の花子さん、もしくはクリスマスソングみたいな。
こんな感じの時代の中、突如として全てを塗り替えていった伝説の楽曲が、僕は水平線という楽曲だなと思っています。
バックナンバーファン歴も長い。僕ら一家、岡田家ですね。
バックナンバーにとっては水平線という曲がすごく大切な曲になっているかと言われると、
時代的に、もうすでに僕大学3年になっちゃっていたので、ちょっとずれているところはあったんですけど、
でもすごくいい曲だなと思うし、ライブ行った時に水平線が流れた時とか感動的だなって感じたので、
この水平線というものがそもそもできた理由だったりとか、そこから学びる歌詞の部分だったりとか、
そこを今日は解説していければと思いますので、最後までお付き合いくださいませ。よろしくお願いいたします。
コロナの影響と曲の背景
ということで早速やっていこうかなと思うんですが、
そもそもこの水平線というバックナンバーの曲、今現在カラオケランキングでもかなり上というか、
多分一番人気かバックナンバーの中では不動を誇っているこの水平線という楽曲ですが、
そもそもなんでできたかというところですよね。これはコロナに完全に起因しています。
コロナに起因しているんですね。コロナウイルスが大入りした2020年頃ですね。
あの頃に一番大きかったのが確かね、高校野球とか甲子園とかが片っ端から中心になっていったはずなんですよ、あの時。
高校生と体育祭や修学旅行、体育祭修学旅行、そして大会とか委員会とか、春の大会とかも全部潰れていくというような状態になって、
あの当時高校3年生とかだった人たちは夢を追いかけられなかったんですね。
2021が高校2、3の人はそのタイミングで夢を追いかけることができなかった。
僕らの3個下、3個と4個下ぐらいにあたりする人たちがちょうどそこの時代なんですよね。
2020年コロナに高校でぶち当たるっていうパターンの人ですね。
そういう人たちがいました。
僕はその時大学3だったんで、1、2年で遊びまくって、3からやべえ後輩に奢んなきゃと思ってたらコロナになったんで、
よかったよかったってなっちゃったんですけど、よくはないですよ。
もちろんよくはないけど、なんか仲良くなれなかったのは悲しいですからね。
うちの大学そういう縦がみんな仲良いのがよかったのにっていうのはあったんですけど、一旦置いといて。
水平線っていうのはそれでなんでできたかっていうと、群馬かどっかの高校生たちがバックナンバーに手紙を書いたんですよね。
僕たち私たちはこうやって今大変な状態になってますと。
今こうして私たちは苦しめられてるとは違うけど、今思うようにできてない状態ですと。
だからどうかバックナンバーの皆さんに何か一つ心として何か残してほしいですみたいなメッセージを持っていったもの。
そしてそれをイオリさんがそのまま出した。そのままというかその曲をそのまま出したっていうのがこの水平線という楽曲のできた背景なんですよね。
これバックナンバーの水平線のミュージックビデオの概要欄に書いてあるものをちょっと読ませていただきますね。
新型コロナウイルス感染拡大は私たちの生活に大きな影響を与え、バックナンバーとしても心苦しい選択を強いられてきました。
それはライブ中止とかフェス中止とか大量発生しましたからね。
そんな中、インターハイ全国高等学校総合体育大会が史上初めての中止という決定が下され、
それまで開催に向けて尽力してきた運営を担当する高校生たちからバックナンバーに手紙が届きました。
学生時代に自身も陸上競技インハイを目指していた清水よりは、
今年のインターハイの開催県が地元群馬県であったこと、開会式でシスターが演奏される予定だったことを知り、
何か彼らや彼女たちのためにできないかを考え、急遽制作し完成した楽曲が水平線です。
本来インターハイの開会式が行われるはずだった本日8月18日に公開いたしますということが書いてあるんですね。
清水よりのメッセージ
泣けますね。
群馬県民の僕からしたら、これらへんはいろいろと来るものがありますよね。
群馬県民だった僕にとって。
インハイが群馬の年だったのか。
清水よりがインハイを目指していたというのは、群馬県民のバックナンバーが好きな人にとっては有名な話で、
僕がずっと言っている通り、清水よりというボーカルと、
ボーカルの清水よりがまさにこれを書いている。
いよりさんと同じ中学生なんで、
中学校に全国大会とかが出ているぐらいの人たちのものって、
写真が飾ってあるんですよ。
うちの中学校から全国大会に行きましたみたいな。
それの陸上の400×4かな、
400×4だったけど100×4かなんかで、
いよりさんが乗っているんですよね。
写真にあるんですよ。
楽譜に飾られてたんですよね。
てのもそうだし、
新しい恋人たちにっていう曲、
今後どっかで歌詞解説やりますけど、
あれのMVにも陸上で走っている姿とかあるし、
高校も実際、いよりさんはインハイを目指して陸上の、
強かったかわからないですけどね。
伊勢崎商業が強いか知らないけど、
に行っていたという話を知っているので。
買い替え式でシスターね。
シスターも本当にいい曲ですよ。
先週はベルベットの歌っていう曲を解説しましたけど、
僕はシスターも超大切な曲ですね。
ベルベットの歌は、
深い闇から這い上がっていくという、
辛い時にも乗り越えられる、
という何かのきっかけを作ってくれるのがベルベットの歌で、
シスターは毎日の仕事とか何気ない理不尽みたいなものよりも、
清々しく乗り越えていこうぜみたいなことを教えてくれる曲がシスターですね。
ここら辺も解説はしていきます。
皆さんはバックナンバーを好きにさせることが僕の仕事ですので、
違うか。
とにかくバックナンバーの解説は大事になってくるので、
やっていきますと。
そして、2020年8月18日に公開して、
今2億7600万回再生ということで、
はぁ、2億かい。
ということで、
そこら辺のアイドルとか海外アーティスト並みよりも回っているという、
とれずもない良い楽曲ですね。
そして、いよりさんの、まだ歌詞に入らないのかという話ですけど、
いよりさんのここに書いてある言葉、
というか、いよりさんの文体表現ってすごくこう、
インスタグラマーである僕らが台本作成する時に本当に参考になるんですよね。
ちょっとそれを文章読ませていただきます。
費やし重ねてきたものを発揮する場所をなくすことは仕方ないから、
とか、悲しいのは自分だけじゃないから、
などの言葉で到底納得できるものではありません。
選手たちと運営の生徒たちに向け、
何かできることはないかと相談を受けた時、
長い時間自分たちの中にあるもやもやの正体と、
これから何をすべきなのかが分かった気がしました。
先人としてなのか、大人としてなのか、
野暮なセリフを探してしまいました。
俺たちはバンドマンなので、
慰めても励ましてでもなく、音楽をここに置いておきます。
いや、かっこいいですね。
なんでこんな文章を書けるんでしょうね。
本当にすごい。
なんでこんな文章を書けるのかわからないくらいかっこいいですよね。
皆様これくらいの台本を書けたら、
バズるというか共感というかね、
多くの人を引き込むようなことができるんじゃないですかね。
すごい歌詞感な、すごい言葉だなと思いますね。
先人としてなのか、大人としてなのか、
野暮なセリフを探してしまいますが、
俺たちはバンドマンなので、慰めても励ましてでもなく、
音楽をここに置いておきます。
いや、見つからないでしょ、こんな言葉。
すごいよな。参考になりますね。
というのが、とにもかくバックナンバーの水平線という楽曲でございます。
ということで、そんな曲の歌詞。
ここには結構ね、しらすたさんとかも結構いろいろ、
今回解説するからと関係なしに、
コロナウイルスの影響
分析というか、歌詞を深く考えることはあったんですけど、
改めてですね、見ていければと思いますので、よろしくお願いいたします。
ということで、早速なんですけど、
まずは、できるだけ嘘はないように。
どんな時も優しくあれるように。
人が痛みを感じた時には、自分のことのように思えるように。
これ水平線の前提が、さっきあった通り、
辛い時というか、なんか理不尽だった。
本当に理不尽と言ったらいいのかな。
やろうと思っていた夢というものがなくなったとか、
これの前提としてあるのは、コロナウイルスというものは、
一つの正しさ。
どれが正しいか、どれが間違いかなんて分からないっていうものが、
一番辛かったことだと思うんですね、バックナンバーにとって。
バックナンバーじゃねえ、全員にとって。
例えば、大会を開催することとか、
ライブをすることの正義っていうものや正解っていうのもある。
それによって、コロナウイルスの接触みたいなものとか、
いわゆるソーシャルディスタンスって当時言ってましたよね。
っていうものの正義を潰すことになるし、
それは逆もしっかりなんですよ。
ソーシャルディスタンスの正義を取るなら、
バンドマンや高校生たちの夢というものの正解を潰すことになるっていう、
どちらも正義でどちらも正しい。
でもそれは、片方にとって正しいものであって、
双方にとって正しいものではない。
それは本当に水平線のように遠く光っているその姿として、
対比構造として見えるよねっていうのが、
この曲の前提としての世界観だと思っていただけるといいかなって思ってます。
希望の崩落
ということで、最初の歌詞が、
できるだけ嘘はないように、どんな時も優しくありるように、
っていうのはまさにそのまんまですね。
だから、優しくありたいし、嘘はない。
つまり本当にしょうがないんだっていうところとか、
悔しいなら悔しいって言った方がいいしみたいな、
感情ってものを隠すなよってことを言ってるんですね。
人が痛みを感じた時には自分のことのように思うように。
これはつまり、バックナンバーとしての立ち位置ですよね。
陰廃とか全国大会とかが開催できなくなったっていうことの、
高校生や学生たちの痛みっていうのは、
大人だったりとか年齢の高くなった僕らにとっては、
関係ないっちゃ関係ないけど、
でもそれはきっと自分のことに思えるように。
上野もそうですね。
そういうところで悲しんでる人たちに対して、
嘘なく優しくありるように言おうぜと、
いうふうに言っているっていう感じですね。
今の前提の世界観を言った上で、
この後のサビ前とサビを聞くとすごくイメージが伝わると思います。
次。
正しさを別の正しさでなくす悲しみにも出会うけど。
これがそのまんまの表現です。
正しさを別の正しさでなくす悲しみにも出会うけれどってのが、
さっきあった片方の正しさを取ると別の正しさが消えるっていう、
そういう悲しみにも出会いますよっていうことをここで言っています。
水平線が光る朝にあなたの希望が崩れ落ちて、
風に飛ばされる欠片に誰かがきれいとつぶやいている。
水平線が光る朝ってことは、この海の遠くのところから、
水平線から朝日が昇っていくっていう時に、
つまりこの朝日が昇るというその日が一日経つということには、
僕ら、私たちの夢や希望というものが崩れ落ちるんですよ。
この対比怖ないですか?
水平線が光る朝にあなたの希望が崩れ落ちて、
僕らの希望が崩れ落ちる。
つまりこれも、正しさを別の正しさでなくすということを、
極限の比喩で表現しているんですよね。
水平線が光るっていうものは、どんな場合でも朝日が昇るってものは、
人にとってはすごくいいことやきれいなことに見えるけど、
そのとてもいいことが起きたような瞬間に、
僕らの希望というもの、大切にしているものが崩れ落ちると。
そしてその希望という崩れ落ちた希望が風に飛ばされる欠片。
これもまたすごい表現です。
この希望が風に飛ばされた瞬間に、
それを見た誰かがきれいとつぶやいていると。
そんな希望というか、一生懸命作ってきた希望というもの、
つまりこの高校のインターハイで頑張ろうと思っていた僕たちの希望というものは、
日が経つにつれて、
それはこのまさに8月18日の開会式の次の日の光る朝に、
その希望は叶わないと崩れ落ちると。
でもそれに頑張ってきたその希望というか、
信じてやってきたその希望が風に飛ばされるけど、
でもその頑張ってきた努力や頑張ろうと思ってきた結晶や、
諦めないで向き合おうと思っていたその世界観、
その努力は誰かにとってはきれいだというふうに言えるんだよっていう。
心の見えない部分
いやー泣けますね。
すごい歌詞ですね。本当に。
っていう意図です。
これは僕の解釈ですよね。
正しいとは限りません。
次。悲しい声で歌いながら、
いつしか海に流れ着いて光って、
あなたはそれを見るでしょう。
見るでしょう。
つまりこの骨を飛ばされて、
希望が崩れ落ちた時に悲しい声で歌っていると。
いつしか海に流れ着いて光って、
この崩れ落ちた希望が風に飛ばされたものが、
いつか海に流れ着いて、
それはもしかしたら水平線の遠く先で光るかもしれないと。
あなたはもしかしたらそれを見るかもしれないねっていう。
深い。深すぎて怖いですね。
っていうようなものが1番のサビまでの歌詞となります。
ここからが2番の歌詞となります。
この2番の歌詞はですね、
僕今でも鮮明に覚えてるんですけど、
うちの母親がですね、
確かね、校長先生の最後だっけ?
違うよ、校長の最後じゃねえよ。
教頭か担任官だっけ?
担任官だっけ?
何かの校長通信だっけな?
後でこれは当人に聞いてください。
何かの学年通信か学校通信かなんかで、
この水平線の2番の歌詞を確か書いてたんですよね。
それを生徒たちに配ってたんですよ。
生徒たち、児童か。
小学校だから児童たちに配ってたんですよ。
2番のところのこれから言う歌詞のところを
確か1回学校通信が何かにやってたよね。
それぐらい大事な歌詞というか、
僕もここはすげえなと思ってます。
後で本人に聞いてください。
細かい話は。
でも絶対に出してたはず。
この話はしたからね。
ということで、その2番の
特に僕も同じくめちゃめちゃ好きというか、
すごく大事な、
つらいとか大変だとか、
戦死のベルベットのところとか、
大切な時とか、
心っていうものを振り返るときに、
必ず聞いてほしいというか、
大切にしてほしい歌詞ですね。
卒業文集か。
そうだよ、卒業文集の校長メッセージだ。
ありがとうございます。
校長のメッセージか。
この歌詞、
この曲の中でも
抜群にすごい歌詞をしてますね。
というのが2番の最初です。
言います。
自分の背中は見えないのだから、
恥ずかしがらず人に尋ねるといい。
心は誰にも見えないのだから、
見えるものよりも大事にするといい。
いや、しびれますね、これ。
やばいですよね。
こんな歌詞、どうしたら書ける?
いや、これ、
これ、
どうしたら書ける?
言ってるだけで泣けてくるですね。
自分の背中は見えないのだから、
恥ずかしがらず人に尋ねるといい。
これはつまり、自分の背中はそう、
僕らは背中っていうものは見えない。
つまり、いっぺんというか、
僕らの前を向いているときの中には、
見えないものがあるよと、
一つの世界観として構成されている、
僕らっていうこの一面というか、
表側の側面しか見れないから、
自分のつらいとか、
つまり、表に見せているピエロ、
道化師みたいなものですよね。
この人前で見せる僕らっていうものは、
本心なのか、
それともそれは演じているのかわからないと。
うん、そう。
それに対して、
そんなものに対して、
背中っていうものは、
僕らから見ること、
僕たちは見ることができないから、
それはもっと恥ずかしがらずに、
人に尋ねるといい。
つまり、つらいっていうものは、
人前では大丈夫だよとか、
しょうがないよって言ってるけど、
それは本当にしょうがないのか、
つらいのかわからない。
それは背中から、
背中で実はつらいって書いてあるかもしれないじゃないですか、
その人にとっては。
でも、だから自分はもっと恥ずかしがらずに、
人にもっと聞いたらいいんだと、
その見えない部分は。
心は誰にも見えない。
これはもう本当にそうで、
背中は見えない。
背中は人にとって見えるけど、
見えないものなんですよね。
背中は自分からは見えないもの。
こういう一面の側面は、
人に尋ねたらいいんだよって、
人にわからないものは、
ちゃんと聞きたいんだよと、
つらい時は大変だと言えばいいんだよと、
っていう。
でも、心は誰にも見えない。
これはつまり、
心っていうそのものは概念というか、
何だろうな、
あってないもの。
日本人は心というものを、
心の価値を重視する
あると考える仏教の文化ですけど、
そこらへんも一旦置いておいて、
そういうのは人から見えるものではないと。
だから、
見えるものよりも大事にするといい。
そう。
外の体とか見えるものとか、
人に尋ねりゃ分かるものなんかよりも、
心は見えないんだから、
見えてるものよりも大切にしろ。
つまり、
それで自分たちの夢が叶えられなかった、
っていうその辛さや、
あのー、もどかしさ、
っていう、
この何か乗り越えたいっていう、
そのきつさっていうものを、
見えるものよりも、
もっと大事にしてあげようよっていう、
そういう思いが乗ってるんですね。
いやー、
いやー、深すぎて。
いやー、怖いですね。
本当にすごい。
毎日が重なることで、
会えなくなる人もできるけれど、
つまりこれも、
会えなくなる。
これはコロナウイルスとか、
何かのソーシャルディスタンスとかで、
どんどん離れていってしまうとか、
どんどん隣になってしまうってことを、
表現しています。
で、こっから2番のサビに入るんですけど、
これは、
完全に1番と対比されているので、
それぞれを解説した後に、
それぞれを比較しながら、
解説をしていきます。
透き通るほど淡い夜に、
あなたの夢が一つ叶って、
歓声と拍手の中に、
誰かの悲鳴が隠れている。
透き通るほど淡い夜、
っていうその、
もう澄んでいる夜に、
あなたが落ちるっていう瞬間に、
夢が一つ叶うんですと。
つまり、
暗くなった瞬間に、
あなたの夢っていうものが、
一つ叶ったと。
つまり誰かが勝利した時、
歓声と拍手っていうものっていう、
誰かが優勝する、
誰かが勝つというものっていう、
その中には、
誰かの悲鳴が隠れている。
つまり誰かを、
優勝というものは、
つまり誰かと勝負して勝つということは、
その中には、
勝ちたくて勝ちたくて、
人生捧げていた人の悲鳴が隠れていると。
うん。
そして耐える理由を探しながら、
いくつも答えを抱えながら悩んで、
あなたは自分を知るでしょう。
耐える理由を探しながらいくつも答えを抱えながら悩んでいく。
これはつまり、
この一つ夢が一つ叶って、
歓声と拍手の中に、
誰かの悲鳴が隠れているっていうのは、
さっきの勝負って言い方もすれば、
こんな言い方をすると、
コロナウイルスというもので、
ソーシャルディスタンス、
子どもたちがそんなので、
勝負したりとか大会とかで、
接触するのはダメだという、
大人の夢が叶った瞬間に、
大人たちが、
よかった、これで委員会とか含めて、
子どもたちが何かするとか、
ソーシャルディスタンスになるコロナだから、
外に子どもたちが出るのはダメだ、
っていう歓声と拍手の中に、
高校生や子どもたちの、
頑張りたかった、
できようと思ったのに、
叶えられなかったという悲鳴が隠れている、
という言い方もできるんですね、これは。
対比される夢の実現
というか、多分そっちが正しい。
そして、子どもたちは、
そこに対して、
耐える理由を探す。
そんな心というものが、
出来上がっていない状態の中で、
なんでこんなことにならなきゃいけないんだ、
っていう理由を探しながら、
いろんな答えや理不尽さというものに対して、
それを答えを抱えながら悩んで、
そこによって、
自分自身って何なんだろう、
自分って何なんだろう、
ということに知るよね、っていう。
これが2番のサビとなります。
そして、水平線の
特にすごいなというか、
こういう系の楽曲では、
激レアなんですけど、
1番のサビと2番の歌詞で、
完全に対比構造になっています。
つまり、ここは主人公が逆転している、
という言い方ができます。
つまり、片方の主人公は大人、
もう片方の主人公は高校生、
という言い方ができたりもします。
1番が、
水平線が光る朝に
あなたの希望が崩れ落ちるんですよ。
何かの光が昇っていくときに、
希望という、
もしかしたら、
もしかしたら、
この大会が開催できるかもしれない、
という希望が崩れ落ちる。
これは8月18日の夜に
この曲が公開され、
それが19日に、
朝日が昇った瞬間に、
それはもう開催されない、
という18日の朝という
捉え方もできますね。
それが、希望がかなわなかった
ということを表現している。
一方、もう2番が、
透き通るほど淡い夜に
あなたの夢が一つ叶っちゃうんですよ。
完全に対比構造ですね。
そのような、
本当だったら開催する綺麗な日の夜、
そこに開催しないという夢が
一つ叶ったと。
理不尽さを乗り越えるメッセージ
1番の2、2つ目。
風に飛ばされる欠片に
誰かが綺麗と呟いている。
その崩れ落ちた希望が
風が飛ばされながら、
綺麗と、諦めというところですよね。
というものになっている。
2番が、歓声と拍手の中に
誰かの悲鳴が隠れている。
風に飛ばされる欠片というものは、
悲鳴という言い方ができますね。
誰かの悲鳴を見ている時に、
綺麗と呟いている人がいると。
歓声と拍手、風に飛ばされる、
歓声と拍手、逆ですね。
ここはちょっと表現として逆ですね。
悲しい声で歌いながらいつしか
海に流れ着いて光って。
ここは耐える理を探しながら
いくつも答えをかけながら悩んで。
ある意味ここは表現としては
逆転性という感じですね。
あなたはそれを見るでしょう。
あなたは自分を知るでしょう。
逆転性の歌詞みたいなところの
表現になっているという感じですね。
という。
そして、
次がラストのサビ。
ラストサビ前ですね。
誰の心に残ることも、
目に焼き付くこともない今日も、
雑音と足音の奥で、
私はここだと叫んでいる。
うん。
この今日っていうね、
8月18日かな。
この陰廃の日っていうこの8月18日は、
本当だったら、
誰かとかいろんな人にとっての
人生というものを決める
大切な日だったかもしれない。
その日が、
結局誰の心に残ることもなかったし、
目に焼き付くこともない。
そんな一日になってしまったと。
そんな今日だったとしても、
雑音と足音の奥で、
ここはもう本当に一人私がいるよと、
私はここだと叫んでいる。
自分はここにいるんだと。
その今日でも、
自分はここなんだと諦めないぜ
っていうことを言っています。
最後に水平線が光る朝に
あなたの希望が崩れ落ちて、
風に飛ばされる欠片に
誰かが綺麗と呟いている。
悲しい声で歌いながら
流れ着いて光って、
あなたはそれを見るでしょう。
あなたはそれを見るでしょう。
という歌詞で終わるのが
水平線という楽曲となります。
という楽曲でございました。
すごいですね。
深く考えさせられる
歌詞やなというか。
これから来るメッセージは
高校生たちに向けては
こんな理不尽で
こんなありえないこと
みんなにとっての人生が
一つ欠けていたものが
できなくなるという
悲しみ悔しさってものは
あるかもしれないけど
その理不尽さに負けんなと。
それを乗り越えて自分を知ることで
俺たちはここにいるんだぞと。
どんな時もバックナンバーって
俺たちは変わらずに
ここにいるんだぞってことを
高校生たちには伝えようと
思っている歌詞でもあり、
俺たちは
お前らが言っていた正解は
誰かにとっての不正解だぞと。
大切な子供たちの未来を
消す声だぞと。
本当に大人である俺たちが
そんなことに対して
子供たちを圧迫させていいのかと。
もっと応援してやれよ。
もっと寄り添ってやれよみたいな。
俺たちにできることを
子供たちに向けてやってやれよ
っていうような強烈な強い
メッセージ性を感じる楽曲やなと思います。
深いですね。
本当に深いですね。
想像というか
考察をすれば
いくらでもここは深掘って
出てくるかなと思います。
人によって。
本当にここは多分
コメント欄とか
が実際のリアルな人たち
っていうのが
きっと書いてるんですよね。
ここにあるコメントで
特にいいね数が多いものとかも
コメントみたいな
ところが残っているんですが
まばたき公開時のインタビュー。
まばたきね。
いよりさん
例えば自分のすごく大切な人が
自分のお気に入りのマグカップを
割っちゃったとします。
大抵の人はお気に入りのマグカップが
割れちゃったことに対する
ショックや怒りの感情が
湧いてしまうと思う。
でもそういう時に大切な人が
水平線の意味と意義
怪我をしていないかを
真っ先に心配できる人でありたい。
そういうものじゃなく
大切な人に降りかかった雨に
傘をさせることだ。
これだからマグナムはやめられない
っていうものに1.2万いいねが
ついてるんですけど
おっしゃる通りですね。
深い。
本気で生きてる人というか
自分の作り出した
生み出したものに対して
プライドというか
絶対的な思いを持ってる人たちと
紡ぐ歌詞って
やっぱり誰にも真似できない
僕がよく
自分の信念で生きろとか
自分らしさを持てって言ってるし
唯一無二っていう言葉を
言ってきてるんですけど
本当の自分らしさって
やっぱり出てますよね
こういうところに。
この歌詞を他の人が
真似できるわけがないし
イオリさんじゃないと
出てこない言葉や
出てこない表現や
この歌詞だけを聞いたとしても
バックナンバーだと思える
っていうこと
これはやっぱり僕らは
今一度見直さなきゃいけない
というか
考え直さなければいけないことの
一つかなってすごく思いますよ
台本を作ってバズらせようとか
そういう目的論ではなく
こういうことが
この歌詞と
この楽曲そのものが
結果を物語ってるというか
たった一人
その高校生たちとかを含めての
その人たちを救いたい
という思いで
残したこの楽曲
そしてこの水平線は
バックナンバーの表題曲と
呼ばれる中で
唯一円盤化してません
つまりCDになってないんですよ
これだけ
元々はストリーミングすら
されてなかったです
このミュージックビデオだけ
置いてあるというぐらい
そういうプライドや信念とか
自分たちの大事にするものは
やっぱり僕は
バックナンバーというものに
どれだけ救われてきたか
という感じですね
以上でした
音楽と共感
皆さんの中に
水平線というこの楽曲が
学びというよりかは
表現力というか
自分というものを
出すというものに対して
出す目的論というか
というものとかを作っていく
そんなようなきっかけになってくれたら
いいんかなという風に思ってます
そうだったんですか
代表作だと思ってました
バックナンバーにとって
この曲は代表作じゃないです
元々はストリーミングすら
出す気もなかったし
そして今でも円盤はないです
バックナンバーってアルバムとか
ちゃんとCD円盤化とか
ちゃんとやってるんですけど全部
唯一やってないはずですよ
その理由はバックナンバーの
ここに書いてある通り
ここに残しておく
という言葉ですよね
僕たちバンドマンにできることは
残しておくことだって言って
それをCDとか何かで売るとか
工業収入とかを得よう
なんて気が本当になかった
だから結局たぶん
この水平線には
YouTubeでも
広告設定がされてないはずです
一番回ってるけど
広告設定もされてないし
本気度が伺えますよね
ただこの2020に公開されて
明らかに再生回数とかは
人気を博している楽曲ではあります
バックナンバーってものの
最後にせっかくだから
そこらへんちょっと語ると
バックナンバーというものの
メジャーデビュー曲は
花びらという楽曲です
初めてテレビ番組に出た演出
演出で歌った曲は
青い春という曲ですね
青春の曲
そして2016年ぐらいまで
インディーズメジャーデビュー初期は
高根の花子さんだと思います
間違いなくね
2016年以降は
クリスマスソングかなと思っています
今2025まで来て
バックナンバーといえば
って出てくるのは
水平線って人もいれば
クリスマスソングって人もいれば
水平線って人もいれば
中にはもっと前のインディーズ時代の
花束っていう曲だったりも
するかもしれませんね
これぐらいバックナンバー
っていうものは
誰かの人生の
何かその大きい出来事や
辛い出来事があった時の
その最下層の思いに対して
共感する曲が
存在しているってことの
証明だと思います
そうっていう
だからかっけえなと
ということで
いかがでしたか