エピソードの紹介
やったりましょうがない、今日も。
あと3分ほどで開始するので、お待ちくださいね。
今日、プレミアムリスナーの日だから、それの宣伝もしなきゃですね。
そうだそうだ、あと2分。
焦らずは、コツコツ頑張りましょうがない、今日も。
どうやっても、みなさんが好きそうな曲の解説だから、きっとみなさんイエーイってなりそうな気がするけどな。
あと1分ほどで開始いたします。
じゃあ、録音開始してやっていきましょう。
本日も、改めまして、よろしくお願いいたします。
よいしょ。スタート。
どうも、ソウタです。
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はい、ということで今回はですね、毎週火曜日は歌詞解説シリーズということでですね、
歌詞解説、毎週火曜日には歌詞をね、
おはようございます。
とある有名アーティストたちの歌詞を分解していくことで、
僕らの比喩表現やね、言語化みたいなところとかっていうところが増えていくと。
そしてその感情表現とか、その人の心を共感する言葉が増えるから、
リール動画の質が上がっていくということがありますので、
個人的に僕の好きな歌だったりとか好きなアーティストをね、
厳選してそこを自分も理解することで、
僕自身はですね、歌うこととかね、もともとアッカープラスサークルにいましたし、
カラオケとかもね、好きな人間ですので、
歌うときの歌のね、歌詞の理解っていうのはやっぱり次のね、
歌の表現力にもつながると思ってますので、
ここが自分のね、私利私欲と自分のメインのために、
それぞれやるということが目的となってますので、
本日も話していければと思うので、よろしくお願いいたします。
トゥモローネバーノーズの魅力
うーんと、YouTubeとかのライブの方が声が遠い。
マジか。もしかしたらちょっとWi-Fiの調子かもしれないですけど。
よくいつも言うんですけど、メインはボイシーのライブの方ですからね。
一番いいマイクとか使ってるのはボイシーとかのライブの方なんで、
こっちは映像としてほぼズレがないから映像で見ていただきながら、
理想は耳で聞くのはボイシーのライブで聞くのが僕はお勧めかなっていつも思ってるので、
はい。また結構みんなそうしてますよね。
ライブで映像を流し見しといてボイシーで聞こえてきたことに対して、
普通にYouTubeでコメントしてる人たちが多いので、
よければそういう流れでうまく活用してくれるといいかなって思ってます。
よろしくお願いします。
ということで、今日解説するのはまさにケンゾーさんがおっしゃってた
アラフォー世代が好きそうな曲のトップ中のトップに入ってきそうですね。
Mr.チルドレン。ミスチルを毎回やった時とかにも
この曲にしてほしいとか、名もない歌とかそっち系とか、
これか名もなき歌かみたいな感じだったんですけど、
本日の解説はテモロ・ネバーノーズっていう曲ですね。
どちゃくちゃ有名なミスチルの曲かなと思っていますが、
でもなんだろう、平成の曲でもあるのかな。
ここの曲の本日は解説をメインでさせていただければと思います。
もちろん1994年の楽曲になりますので、
僕自身は1ミリも生まれてないということで、
生まれる前の曲ですね。
だけどなんでお前知ってんのっていうところになるかもしれないですけど、
ここには一個理由があって、
僕さっきも言った通り大学の時にアカペラサークルにいたんですよ。
これありがたいことにスカウトされて入るっていう、
みんなが憧れそうな感じで入り方をしたんですけど、
これの時のうちの大学のエースのグループがあったわけですよ。
最強グループですね。
最強グループがこの歌を歌ってたんですよ。
テモロ・ネバーノーズ。
これハモネプリまで行ってたんで、
それのせいで別自演になったんですよ。
この曲を聴くときにそのバンドグループの
このテモロ・ネバーノーズを聴くのは、
意味がわからないぐらい上手っていうので、
強烈なインパクトがあって、
これ誰の曲だろうっていうのを知らないまま、
そのハモネプリで出るレベルのグループ、
うちの大学のグループを見て、
何この曲、誰の曲だろうと思って後付けで
あ、これミスチルなんだって知ったっていうような流れになります。
この曲を昔からよく親に聴かされてて、
みたいなパターンではありません。
うちの家系そんなミスチルを、
たぶんうちの母親ミスチル好きだったけど、
そんなに僕にミスチルをめちゃめちゃ聴かせるような
タイプじゃなかったと思うんでね。
僕ミスチルで知ってる曲そんな多くないんですよ。
花火とか、
あ、なんだ、
でもあれだ、
ワンピースのね、
ワンピースフィルムZとかのエンディングとか、
あとは、
君の水蔵を食べたいの主題歌のひまわりって曲とか、
むしろ平成とかバキバキに僕生まれた後の曲しか知らないから、
ミスチルの昔系の曲あんま知らないんですよね。
正直、はい。
ハモネプ見てた?
おお、じゃあ見たことあるかもしれないですね。
っていうところで、
その後付けでミスチルのトゥモロネバーノーズとか、
あといろんな人のカバーとかを聴いて、
めっちゃいい曲って思って入りました。
なので僕この曲歌詞とかが好きで入ったとかじゃなくて、
ナチュラルにメロディーラインで入ってるパターンなので、
バックナンバーとか割と歌詞が好きでっていう風に入りやすかったんですけど、
トゥモロネバーノーズはメロディーラインから入って、
今日、僕だからあんまめっちゃ歌詞知ってるわけじゃないんですよ。
歌詞の深い意味
僕自身楽しみにしながら歌詞解説をしていければいいかなと思ってます。
タイトルのトゥモロネバーノーズってことは、
明日は誰も知らないってことだから、
結構僕が言ってるような未来なんてどうせわかんねえから、
今日という一日を全力で生きろみたいな楽曲なんだろうなっていう想像はしてるんですけど、
話していければと思います。
じゃあまずA1番からですね。
とどまることを知らない時間の中で、いくつもの移りゆく街並みを眺めていた。
なるほど。
とどまることを知らない時間の中で、
そうですね、時間ってのは、時間を止めることは誰にもできないですからね。
100%止める、謎々に出てきそうですよね。
どんな状況になっても止めることができないものってなんだ、みたいな。
時間、みたいなね。
いくつもの移りゆく街並みを眺めていた。
これ、先週の電車の窓からと似てますね。
移りゆく街並みを眺めていたと。
幼すぎて消えた帰らぬ夢の面影をすれ違う少年に重ねたりして。
不快ですね。
幼すぎて消えた帰らぬ夢の面影を小さい頃に見た夢ってことですよね。
消防士になりたいとか、プロ野球選手になりたいみたいなような夢。
幼いから消えて。
帰らぬ夢の面影を。
一生それを大人になった僕たちがプロ野球選手になりたいなんて言えないし、
警察官になりたい、消防士になりたいなんて絶対言えないですもんね。
だからそれは帰らぬ夢の面影になるんだ。
表面綺麗ですね。
さすが櫻井さんとしか言いようがないような。
帰らぬ夢の面影。
幼すぎて消えた帰らぬ夢の面影。
すごいな。
しかもそれをおって言ってることは、
幼すぎて消えた帰らぬ夢の面影という名詞にしてるわけですもんね。
すげえな。
これだけでワンシーンが浮かびますもんね。
ちっちゃい子に描いた夢は。
すれ違う少年に重ねたりして。
たまたま家に帰ってくる自転車の道とかで、
自転車で部活でバック背負いながら、
彼氏彼女かわからないけどっていう帰る。
そんな人とすれ違ったときに、
あの頃はそんな夢を抱えたいたよなっていう風に重ねたりする。
自分はもう歳をとってしまったと。
小さい頃から大人になるまで、
この変わっていく街並みをずっと見てきたと。
大人になるにつれて、
昔はこんなんなんもなかったけど、
大人になるとこういうのできちゃったなとか、
こういうの増えてきたなみたいなね。
あの時イオンはこんなんしかなかったのに、
今はすごい有名になっちゃったなとかね。
いろいろあるわけですよね。
そういうところで、
そんな夢を少年に重ねていったという部分が最初なんですね。
最初から深いですね。
バックナンバーとはまた違いますね。
やっぱミッシュルのこの歌詞って。
バックナンバーってなんかストレートだけど淡い、
ちょっとこうなんだろうな。
なんかこう、
ふてくされてない。
なんだろう。
まっすぐじゃない。
こう、
青年感というか。
なんかこう、
本当に普通にいそうな青年感だけど、
やっぱミッシュルの歌詞って主人公って感じがしますね。
バックナンバー脇役って感じがするんだけど、
ミッシュルはすごい主人公っていう感じの歌詞ですね。
しかも昭和だもんね、この曲。
ん?
1990年は昭和じゃねえわ。
平成、平成6年ぐらい?
ん?
違うわ。
平成、平成3年か。
ん?
平成3か4ぐらいですね。
ギリ平成の楽曲って感じか。
すみません。
もろもろ歌詞以外の脱線しまくってますけど。
面白いですね。
はい。
次。
無邪気に人を裏切れるほど何もかもを欲しがっていた。
分かり合えた友の愛した女でさえも。
その時期っぽいですね。
はい。
つまり、
これは昔の自分とか若気の痛みってことだよね。
だから、
少年の頃に戻っていくと、
無邪気に人を裏切れるほど何もかもを欲しがっていた。
簡単に、
自分のためだったら仲間なんて切り捨てられる。
友なんて捨てられる。
裏切れる。
ちっちゃい頃ってそういうところの罪悪感ってそんなにないですからね。
確かにって感じがする。
分かり合えた友の愛した女でさえも。
これはちょっと平成っぽい。
1990年代っぽさの歌詞ですよね。
今そんなことしたら、
まあまあLINEとかでいにつないじめに会えそうですけど。
この頃ならそういうものはないでしょうからね。
まだジェフォンとかそういう感じじゃないですか。
償うことさえできずに、
今日も痛みを抱き、
夢中で駆け抜けるけれども、
まだ明日は見えず、
勝利も敗北もないまま、
孤独なレースは続いていく。
深いですね。
まあ、
償うことさえできずに、
今日も痛みを抱き、
夢と孤独のレース
夢中で駆け抜けるけれども、
まだ明日は見えず、
ってことは、過去を行ってきてしまった、
ネガティブなこと、さっき言ってたような、
いろんなミスったこととか、
いろんな良くなかったこと、夢描けなかったこととか、
っていうものは、夢見た少年に対して今の自分は、
その少年の頃の自分に償いはできねえと。
そしてそれを叶えられなかった、
自分自身というものに対して、
なんだこれ悔しいなと、
クソみたいな感じに痛みを抱き、
で、それでも、
今日を全力で駆け抜けてるけど、
結局明日なんか見えないよね。
だって時間っていうのは止まんないけど、
明日までは連れてってくれないからね。
勝利も敗北の名前もないまま、
孤独なレースは続いていくと。
確かに。
今日という一日は、別に、
今日という一日に関しては、
勝利も敗北もないですもんね。
そして永遠と続く、
孤独なレースっていう。
深すぎますね。
ちゃんと一番のものを伏線回収してる。
うん。
勝利も敗北もないまま、
孤独なレースは続いていく。
結局今の自分自身というのは、
何にも償えない。
そして、
今日という一日は過去を抱いてきた、
夢を叶えられなかった、
自分としての痛みを抱いて、
でも今日を全力で駆け抜けなきゃいけない。
でも時間は止まってはくれないけど、
進んではいくが、
明日までは連れてってくれないと。
だからそれも、
しかも今日という一日の今この瞬間っていうのは、
別にこの現時点では勝利も敗北もねえと。
そして自分自身というものに対しての
本当の意味での孤独なレースっていうのは
永遠と続いていくんだよというのが、
サビの意味合いですね。
深っ。
2番。
争いと忘却のサイクル
人は悲しいくらい忘れていく生き物。
愛される喜びも寂しい過去。
ほう。
確かにそうですね。
人は悲しいくらい忘れていく生き物。
昔のね、細かい詳細とか、
小学生の頃は死ぬんじゃねえかみたいに思ったような
悲しい体験とか悔しい体験とかも、
今も鮮明に100%精度で思い出せるかといったら
思い出せないですからね。
しかもね、
現実味で心理学の要素で言うんだったら
エビングハウスの忘却曲線つって、
一日でほぼほぼ忘れますからね。
人ってのは。
悲しいですけどね。
愛される喜びも寂しい過去も。
つまり一番の言っていたような、
自分の欲のために満たしたようなものとか、
失敗したっていうそんな過去も、
全て忘れていってしまう。
今より前に進むためには争いを避けて通れない。
そんな風にして世界は今日も回り続けている。
この曲ネガティブですね。
今より前に進むためには争いを避けて通れない。
そんな風にして世界は今日も回り続けている。
戦争を意味してますもんね。
つまりお互い分かり合えたりとか、
何か交渉とかをするためには、
必ず争いがあるよねと。
戦争なのか、交渉なのか。
今の外交関係とかトランプ関税とかもそうですけど、
その頃この時代はトランプもクソもないけど、
むしろトランプタワーで有名になった頃だと思うんですけど。
そんな風にして、
今世界ってのは結局今日も回っているよね。
つまり何かしらの解決のためには、
何かの争いがある。
そんな風にしてでも世界ってのは、
今日も結局動いているんだねっていうかしら。
2番、サビ。
未来への希望と挑戦
果てしない闇の向こうに、
おおおお、手を伸ばそう。
誰かのために生きてみても、
おおおお、つぼろねばノース。
心のまま僕は行くのさ。
誰も知ることのない明日へ。
そんな最悪すぎるような状況であっても、
果てしない闇の向こうに手を伸ばしましょうと。
果てしない闇っていう、
ここで初めてあんまり現実的じゃないような表現になりましたね。
ここまで結構わりかし比喩表現はあっても、
わりかし現実味のあるような表現だったけど、
果てしない闇っていう表現は、
かなり比喩として強いけど、
前の歌詞とかを想像するに、
果てしない闇っていうものは、
多分誰も想像のできない未来の話なんでしょうね。
争いとか含めての、
1994年から見るなら、
今の2025年の今日っていうのは、
果てしない闇じゃないですか。
失われた30年みたいな。
そういうところの向こうに手を伸ばそうと。
誰かのために生きてみても、
明日は来ねえよ。
結局誰かのためにとか、
何かを解決するためにって言うよりも、
自分自身のために生きようぜってこと言ってんだよ。
すごいな。
心のまま僕は行くのさ、
誰も知ることのない明日へ。
心のまま僕は行く。
つまり、誰かのためとかじゃなくて、
自分のために生きようぜと。
1番で、これは無理だって言ったけど、
それでもやり続ける意味あるよねってことで、
誰も知ることのない明日へと進み続けていくよっていう歌詞になっています。
すごいですね。
えげつないですね。
優しさだけじゃ生きられない。
別れを選んだ人もいる。
再び僕らは出会うだろう。
この長い旅路のどこかで。
ここまでずっと言ってくれて、
優しさだけじゃ生きられない。
つまり、誰かのためになんてだけじゃ生きられない。
だから別れを選んだ人もいる。
これは恋愛関係なのか、
仕事関係なのか、
友情とか関係なのかわからないですけど、
確かに優しさっていうだけじゃ僕らは生きていけない。
人のためだけに生きていたら、
自分が死んじゃいますからね。
それの結果、別れを選んだ。
さよならっていう人もいる。
でも、きっとそうやって別れたとしても、
再び僕らはどこかで出会うんだろう。
だってこんな自分の人生、
長い旅路っていうのは人生っていう意味があるんですよね。
この人生のどこかできっと、
僕たちはまた何かしらのきっかけで出会うんじゃねえかって言って、
スタッフさんに入ってくるんですね。
果てしない闇の向こうに手を伸ばそう。
言えることない痛みなら、いっそ引き連れて。
さっきの果てしない闇の向こうに手を伸ばして、
言えることない痛みなら、いっそ引き連れて。
過去も引き連れて、
未来に向けて手を伸ばそうぜってここで言ってんだ。
応援歌ですね、最後は。
そんな果てしない闇っていうのは、
その未来、見えない未来とか危ない、わからないような未来に対して、
その過去を引き連ってたんですよね、一番で。
でもそんな過去を引き連ってたお前も、
それを引っ張ってけと。
椅子引き連れて、
その辛いものだって抱えていいじゃねえか、
未来に向かって進んでったって言ってんだ、これ。
少しくらいはみ出したっていいさ。
夢を描こう。
誰かのために行ってみたって。
Tomorrow never knows.
少しくらいはみ出したっていいさ。
そっか、だからその過去の良くない自分とか、
でも本気で夢を描いていて、
そして悪いこととか、
自分のためにって言って全力で生きていたけど、
大人になった自分は、
そういうのは常識としてダメだろうって言って、
正義や常識ってものに抑え込まれて、
まるで正義、他人のためみたいな、
見せかけの正義というか、
っていうものをやってたって、
意味ねえよと。
そんなことくらいだったら、
その夢を持った自分のエゴの自分を引き連れて、
はみ出したっていいじゃねえかと。
せっかくだったら今日夢を描いていこうぜと。
誰かのために生きてみたって、
どうせ明日は来ねえんだからと。
心のまま僕は行くのさ、
誰も知ることのない明日へ。
最後めちゃくちゃかっこいいっすねこれ。
最後あれだもんね。
店長するもんね。
店長した状態でこのラッサビ行くの。
ラッサビかっこいいっすねこれ。
すごいな。
これは1,2番主人公って感じですね。
やっぱ歌詞が。
そんな風にして誰かのために生きてたって意味ねえから、
自分の過去とか描いていた夢や、
誰かを傷つけることかもしれないエゴを連れてって、
行こうぜとはみ出していったらいいじゃねえかって。
どうせ誰かのために生きるよりも、
自分のために生きて、
誰も知ることのない明日へ進んでいけ、
という歌詞が
このトゥモローネバーノーズの
全体像なのかなと
僕は勝手に解釈しました。
ある程度の年齢を超えると若者の色っぽいに
落ち入りできないので、こういう哲学的な歌詞が
よくなってきます。
確かにミステリー哲学的ですね。
高4くらいの時この歌が好きすぎてずっとピアノ
弾いていました。
ピアノ僕も小4までやってましたからね。
トゥモローネバーノーズの歌詞は
なんとなく
僕の勝手な解釈というか
見てみた上での
僕なりな
イメージとして捉えたのは
やっぱり
まずミスター・チルドレンという
桜井さんの歌詞というのが
そもそも
自分の人生
自分というものを
主人公に置いている。
桜井さんの楽曲って
誰かを主人公に置いて
誰かを
思い描きながら
脇役としてバックナンバーがいるぜ
みたいな感じな歌詞なんですよ。
常に。この主人公がいて
この主人公に対して語りかける俺
みたいな。それを内省している
俺みたいな感じな
歌詞が多いんですけど
ミスター・チルドレンはドストレートに
俺って感じですね。主人公っていう感じがする。
とてつもなく。
そして
この頃ミスター・チルドレン
桜井さんってこの当時
20代ぐらいじゃない?
トゥモローネイバーノーズが書いてあるとき
1994年で。今多分
50とか60いってないぐらいになると
20代
もうちょいか
50いくかいかないかぐらい
そんな風になるんじゃねえかな
みたいな感じなところですよね
うん
ってなると
なかなかいろいろ
あれですね。自分に対して
気づきが半端ないですね
なんかこう
つまり社会人
というものになって
誰かの正義とか
人のためになんかしろ
みたいな風に言われて
抑圧されてみたいな
それでなんだろうな
夢なんて捨てて?
だからなんだろうな
昔僕漫画解説で
左利きのエレンっていう
広告の
僕ちょうど1年前ぐらいですか
左利きのエレンめっちゃガチ欲しい
今でも絶対に読んだほうがいい漫画なんですけど
左利きのエレンが
何か夢を失って
全力で日々生きるかどうか迷ってる
皆さんとか
何かもっと全力を出したいという人は
絶対読んべき漫画ランキング
ありましたよね
夢を追いかける重要性
大人になるまでに
いつしか描いた夢は
現実を見ろと
夢を描けと言われていたのが
いつの間にか現実を見ろにすり替えられる
そんなような表現が
エレンの
手紙に書いてあったじゃないですか
でもそんなんじゃだめだろって
いいじゃねえかもっとお前ら夢
持って描けよっていう
伝説の詩があるんですけど
まさにそこだな
って思います
エレンのあの
最後のメッセージと
トゥモローネイバーノーズの伝えたいことが
すげえ一致してる気がするんですよね
主人公を捨てて
誰かのために
脇役として生きて
人のため誰かのためとか言って
生きてるけどもともとお前
そんなんじゃねえだろと
昔はもっと夢描いてたじゃねえか
もっともっと
悪いことかもしれないけどもっと
自分のために生きてたじゃねえかと
でそれを
しかも本当はそういう性格のくせに
社会人だからとか
何か決められた常識とか規格によって
誰かのために
生きなきゃいけないっていうことで
無理矢理生きてるお前みたいな
それ意味ねえじゃんみたいな
どうせ明日なんて誰にだって
わかんねえんだから
もっと自分のために生きろよみたいな
そんな感じの強烈な
イメージがある楽曲ですね
平成の曲って割とそうかもしれない
まあ確かにサパンとかも比べてそうですね
主人公って感じしますもんね
それはまあこの令和の今も
一緒なんじゃないですかね
うん
わかんない
ちっちゃい頃から人のためにっていう思いが
強かったりとかの人は関係ないかもしれないけど
子供はね誰しもが
自分自身に対してやっぱ夢を見て
自分という存在
が
大切
自分のためにって言って全力で生きていた
それがいつの間にか
現実を見ろとすり替えられて
まあ今を見なきゃいけないみたいになったけど
それってでもどうなのみたいな
いいじゃないか主人公のように生きたって
みたいな
っていう
気持ちがこもった
そんな思いや願いまで乗ってるような
なんかそんなメッセージが
見えるような楽曲やなと思いました
カラオケと音楽の変化
うん
何よりも
メロディーラインめちゃくちゃおしゃれですからね
この曲
カラオケで歌うときは最初から
-2で出てくるので
原曲キー予約をしないと
ちょっと2個か3個下がった状態で出てくる
これは最後に
カラオケ裏話ですけど
なんで
徳永秀明とか
あと
ミスチルとか
ここら辺何人かがあれなんですよね
これ普通に入れようとすると
最初から-2とか-3で入っちゃうんですよ
なんでかっていうと
昭和とか昭和平成時代の時に
いわゆる
A5って呼ばれる
ラを超える
ドレミファソラのラを超えるようなレベルで
地声で引っ張ってるような歌詞は
あまりにも高すぎるから
カラオケで原曲キーで歌える人がいない
っていうことで
もともと-2にしてたりとか
3にして歌いやすいように
-2にしてたってのが
裏背景であったんですけど
今の現代のアーティストはいかがですかと
サウシードッコー
フィシャリヒエダンディズムやミセスグリーンアップルとかしかり
ここら辺なんてもはや
Cを超えてDとかの曲を
地声とかミックス声
ってバレたら出してきますからね
D5っていう
ドレミファソラCドレみたいな
Cドレと3音まで上がっていくみたいな
世界になってしまって
しかもそれをマイナス予約がない
マイナス予約であるという
風になってきているので
もはや昭和の頃の人たちは
泣きたいみたいな感じの世界になってますが
まあまあまあ
そう
ちょっとしたカラオケの裏話で
ミスチルのトゥモローネバーノーズが入れようとすると
-2か3くらい出てきて
これはさっきの果てしない闇の向こう
O O O OのOが
一番高いんですよ
誰かのために生きてみたって
とかの
Cですね
ドレミファソラC
ここら辺の高さを地声でガーンって当ててるんで
あとずっと高いから
っていうので下げるっていう
そういうようなお話でございました
この頃くらいから櫻井は絶頂
闇気に入る
そうなんだ知らんかった
櫻井さんの歴史とか
あんま知らないからね
昭和の男性ボーカラー
引っかかった
まあそうですね
そんなにサザンってめちゃくちゃは高くないし
そこだったんで
昔の曲だからみんな
昭和の曲は歌いやすいっていうのは
今度は脱線しすぎですけど
昭和の曲が歌いやすいのは
まずメロディーラインの動きが
緩やかであることと
音が高くないこと
現代の令和は
技術と声質のレベルが上がりすぎて
動きが飛び飛び
夜遊びなんて
曲じゃねえだろみたいな
ボーカロ曲みたいな感じになってるから
すごいよねって言われてるという話でございました
最後の参考になるかは知らないですけど
とにもかけにも
トゥモローネバーノーズは
非常にいい曲というか
僕としてはミスター・チリドレンとして
同じく
トゥモローネバーノーズみたいなもんですけど
一番何だろうな
何も考えなくてよかった大学1,2年生
コロナ前の頃の
コロナ前の頃の
僕自身のある意味
青春みたいな時ですかね
大学3年生からコロナになっちゃって
大学4年からこういう副業みたいなものを
始めてるので
本当に大学1,2年っていうその一番の青春
スカウトされて
入って
大学生なのに
夜な夜な音楽室とか
部屋のところで練習したり
音合わせしたり
毎日のようにずっと同じ曲を何回もリピしたり
自分の声で何回も確認したり
っていうあの時の青春の
一番すごかったリーダーたちの
代表曲だからものすごく
印象残ってるっていう楽曲が
このtomorrow never knowsでございました
そんなに語れないって確かにね
30分ぐらい語ったんだ
まぁまぁまぁ
テーマいただけたらそれぐらい話せる
っていうことが分かりますね
カラオケを前提の歌
昇華から聞いて楽しむ歌に変化したのでしょうか
そうですね
洋楽は自分たちが歌えるプロの歌手を楽しむ曲が多いので
日本の音楽芯がそちらに近づいたかも
いい考察ですね
そんな気はしますよ
ここら辺こと語りすぎると
僕それもそれでずっと話せるんで
一旦切りますね
ありがとうございました
ということで