YouTubeへの感謝
YouTubeの感じがまたおもろいですね。
いろんな、また新しいデータが取れそうです、これで。
そういえば、皆様、ご視聴いただきましてありがとうございます。
助かっております。
じゃあ、さて、今日も頑張りますかね。
YouTube、皆様、感謝感謝です。
見事ありました。
まあ、クソ長いですもんね。
長い動画見て、コメントまでくれて、ありがとうございます。
ほんと素晴らしいですね、そういう人たちは。
いや、感謝ですよ。
割とマジで感謝してます。
いやー、あとは、
ここからはまたYouTubeの戦いですけど、
やれること一生懸命やって、
いいもん、皆さんにより感動してもらえるような、
いいコンテンツ、頑張って作ります。
あと、20秒、30秒ほどで始まるので、
ご準備のほどいただきますと幸いでございます。
よいしょ。さてさてさて。
やりますかね。
よし。
じゃあ、録音開始してやっていきましょう。
本日もよろしくお願いします。
どうも、Sotaです。
このチャンネルでは、フォロワー数1万人以上をたくさん配信するステップという構図を運営したり、
フォロワー数1万、5万、10万、そして20万人を超えるような
インフルエンサーのマネージャーズのサポートを行うエスロードを運営したり、
メンズ美容サロンのフランチャイズオーナーとして、
僕にしかできないような一時情報のみを厳選したトップッチクラジオとなっております。
皆さんが知って本当によかったって思う情報のみを厳選しようとの決心もありますので、
よければフォローのほどよろしくお願いいたします。
有料スクールを超える学習教材、Sotaのインスタ大学、今だけ無料配布中。
ライブ限定クーポンも現在無料で配布しております。
そちら送付でSotaのAIBotも併せて無料でプレゼントしています。
どちらの詳細は概要欄のリンク、およびQRコードをチェックのほどよろしくお願いいたします。
論理より感情の重要性
今回は9割が勘違い、AIに勝つには論理より感情が必要な理由ってテーマでお話をしていきます。
今日AIの日じゃねえだろって思うかもしれないですが、
水曜日はいつも通りAIやるんですが、
今日はボイシーのハッシュタグがAIに代替されないスキルっていうところだったので、
改めて感情っていう部分、とにかくこの感情っていうところを
今日はフォーカスをしてお話をしていければいいかなと思っている次第でございます。
なんでこのテーマなのかっていうことをご説明させていただきますと、
多くの人が論理をAIにすごく頼るというか、
言語化スキルが大事だ、言語化だ、言語化だ、言語化だっていうところを思い詰めた結果、
前も言ったんですけど、作られた言語化っていうものがあまりにも今の時代は増えているんですね。
比喩表現、メタファーとかも、いやこれあなた考えてないですよねみたいな、全然違うやんみたいな、
メタファーが出てきたりとかってなっちゃう、AIに任せてるから、
あなたの言葉に見えてあなたの言葉じゃないみたいなパターンが増えたよっていう話をしたと思うんですよ。
ってことはですね、これからAIにかつ、もしくはAIに代替されない存在になるためには、
人間性というね、すごくかっこいい言葉で言うと非合理的な存在、非合理な状態っていうのが、
これからはスキルとしては求められていくよってことですね。
これめっちゃ大事なことですよ。合理的な人ではなくて、非合理的な人がこれから求められていくっていうのが、
正直僕が個人としてはめちゃめちゃ思っていることです。
なぜかというと合理的な意思決定や合理的な判断、合理的な意見、合理的な発言、言葉、言語化、何かの出来事、これら全て合理的なので、
昔の行動経済学の本で言うんだったらエコンという、人間じゃなくてエコン、全て100%合理的な意思決定ができる、
ダニエル・カーネワンさんという最強の心理学、行動経済学者の博士が提唱したエコンという存在になってしまうんですね。
行動経済学というのは心理学と経済学が2つ関わっているんですけど、これに言われるエコンというのは100%合理的な意思決定ができる存在なんですよ。
この合理性というもの、つまり例えばなんだろうな、これはこういう風な理論で言ったらこっちの方が絶対に得だからこうするっていうものを100%合理として判断ができる人というのがエコン。
そしてヒューマン、これは僕らなんですけど、これは非合理的な意思決定を行います。
有名な言葉で言うとバイアスに支配されたりとか、その時の感情だったりとか、その人との人間関係や前提条件によって本来だったら合理性で言うんだったら選ばないような意思決定を非合理的に行う存在、これらをヒューマンという風に言います。
てことはですね、僕らはAIに任せれば任せるほど合理的な意思決定ができるようになっていきます。合理性としてはね、素晴らしいもの。しかしこれはAIなんですよ。
てことは、僕ら特にSNS発信者とかは非合理的な意思決定をできるようにならなきゃいけないということになるわけですね。
だから僕はアカウント設計とかコンセプト設計もそうだし、リール動画とかもそうだし、マネタイズとかもそうですけど、非合理的な意思決定をさせること、非合理的な考え方を持つことこそが全てのコンテンツとして色や味わいだったりとか、その人のらしさっていうものが僕は出るんじゃないかなって素直に思っています。
なので論理性をできるだけ捨てていくことがこれからの時代ではすごく重要なのではないかと思っている。
だからいかにして感情的な状態になれるか、感情的な状態になれるかとかいうよりかは、自分の心に従えるか、心が合理的になりすぎないかっていうのはすごく僕は大事なんじゃないかなって思ってるんですね。
なんで私のことフォローされたんだろう、なんでこの投稿がバズったんだろうってことを合理的に考えすぎていったら、もはやそりゃAIが考えりゃいいだろうっていう世界にどんどん収束していくんですね。
そんなことはAIが考えりゃいい、そんなことはAIが決めりゃいいだけの話だろうっていう理屈に収束していってしまうんですね、これからは間違いなく。
だけど僕らがやらなきゃいけないこと、僕らが求められていることっていうのは非合理的な意思決定なんですよ。
AIとの関係
なんでそんなこと考えつく、普通の人ってそういうふうに思わなくね、みたいな非合理的な意思決定というものが行われることによって、そこに味わいとかその人らしさとか、その特定の限定性のいわゆる人間的な魅力っていうものがそこに現れるっていうふうに僕は感じてるんですね。
つまり何がさっきから言いたいかというと非合理性というもの、感情というものを僕らは捨ててはいけない、むしろ大事にしたほうがいいんですよ。
普通そんなことを考えないだろうっていうものを、いかにして当たり前に合理的にできるかということをむしろ大切にしていく姿勢っていうのがこれから求められる時代になってくるかなというふうに思っています。
だから皆さんはもっと自分の非合理的な部分、非合理な意思をもっと尊重してください。
全然いいんです、それで。
なんで私こんなことしちゃったんだろう、全然いいんですよ、大事です。
全然これ合理的じゃないじゃん、いいんです、合理的すぎると死にます。
僕も周りからしたら僕のやってることってめちゃめちゃ合理的でし、僕のやってるボイシーとか何か頭で考えてるのは全て合理的および言語化、論理性で全て生きてると思われがちなんですが、
僕は全く合理的に生きてないと自分では思っています。
は?って思うかもしれないですけど、全然僕合理的じゃないんですよ。
合理的に生きるんだったら、何度も言ったらこの朝のライブなんてやらないほうがいいんですよ。
毎日のボイシーなんて講座内だけで喋ればいいんですよ、合理的に考えるならね。
合理的に全てを言えるんだったら、全て講座だけで物事を喋ればいいし、
もう全て合理で考えるんだったらもっとね、ゴリゴリに僕はインスタで、インスタとかもそうですけどもっとなんか、
僕の講座性がこんなにできて、なんでこんな講座性が成果が出るかわかりますか?
その秘訣をここでお伝えしています!みたいな感じなことをやったりとか、
ゴリゴリなビジネス運用とかしたほうがほんとはいいんですよ、本当はね。
ただなんか僕が、そういう情報詳細屋みたいな、ドス黒い感じがいけすかない。
最近そのドス黒さが、ドス黒く見せなければドス黒くないだろう、みたいな理論、理屈になんか最近なってきて、
やってることめちゃくちゃドス黒いのに、なんかちょっとキラキラ、平和感があるから、それはドス黒くない、みたいな謎な世界が見えてきてるけど、
僕はそうなりたくないから、やってる。合理的に意思決定をするんだったら、それしたほうがいいんですよ。
いがにして合理的に意思決定をするんだったら、それしたほうがいいけど、僕の中の感情が許さない。倫理っていうもの、これは感情が出てくるんですよね、みたいな。
そんな感じですよ。
昨日インタビューを受ける機会があって、なんでコンサートやろうと思ったのかと聞かれたとき、それっぽいことを言おうと言語化してみたけど、振り返りと、なんでだろう、面白い、そう、やりたいで速決したな。
私がやる理由は後からいくらでも作れたけど、根本ワクワクしたから、どっぷり感情派だな。
それでいいんですよ。ワクワクしたからとか、やってみたいからとか、人生経験になるからとか、全然いいじゃないですか、そういうの。
衆一な言語化なんていらなくて、そういう理屈じゃないもの。
それがやっぱり僕ら人間、ヒューバンに大きく求められているものなんじゃないかなって思ってるし、
AIは寄り添ってる風はできるんですよ。寄り添ってる風、見た目感情的なことをやっている風は最近できますよね。
ジェミニとか、ジェミニの2.5フラッシュとか、チャットGPT5および4オムネとかは、悩んでると寄り添ってくれたりとか、まるでコーチングしてるかのように振る舞ってはくれます。
ただそれは、振る舞っていることを合理的にやってるだけなんですよ。向こうは。わかります?
感情的なように合理的に振る舞ってるんですね。
感情的に見せた方が、この人間はもっと聞いてくれそうだなっていうことを合理的に判断してるから、寄り添ってる感を出してるだけであって、いつも合理的にやってるだけなんですよね。
AIというものには100%合理で動いてるわけで、今の最先端のAIの人たち、サム・アルトマンとかも明言している通り、寄り添っているような回答はできるが、感情というものを数値ベースで全て計算値としては出されていないわけですよ。
計算として、人間はありえない行動を取っちゃうわけですね。
なぜかというと、合理的であることが正しいという前提条件を置かなければ、AIは全て答えを出すことができないんですよ。
数学というものは、世の中にとって数学は美しいと。僕は数学専攻ですから、他の人よりもこういう感じで数学を語る権利はあると思ってるんですけど、数学という学問は美しい学問と言われてるんですね。
なぜかというと、数学というのは必ず答えが存在しているわけですよ。答えのない問題はないと言われているから、未解決問題というミレニアム問題が1億円とか出ちゃうわけですよ。
未解決しないことがほとんどないものが数学という世界。
だから、AIというのは数学です。極限の数学。つまりAIというものは、全てにおいて答えがあるという前提条件をもとに動くんですね。
だから、寄り添った方がいいという答えにたどり着いているから寄り添っているだけである。
どんな条件下においても、1たす1は2なんですよ。1たす1は2であることが正解ということを前提条件においてないとAIは機能しないんですね。
わかります?これ言っていること。めちゃめちゃ大事なことです。
僕ら数学で言ったら大数学、僕の専門でいわゆる大学4年間の教育学というものと、もう一個数学としてさらに専門としてゼミとかで学んだのが僕、大数学という世界なんですけど、
ここでは必ず定理定義という、公理と呼ばれるものまでを作る。前も1回話したことがあるんですけど、公理という世界まで行くときに必ず前提条件を作るんですよ。
これは何かというと、足し算があるから引き算がある。足し算と引き算という演算があるから掛け算が出来上がる。掛け算があるから割り算がある。
指則演算があることによって、初めて分数、小数とかが出来上がってくるんですね。
AIと人間の違い
前提条件を基にして一個一個が合理として出来上がっていくことで、これがこうであることは正であるか不であるかというものを全て作っていくという学問が大数学なんですね。
これがAIにそのまま使われています。これが正であるならこうであるという風になっていく。
何をこんな遠回しに大数学なんかを入って説明しているかというと、つまりAIという世界では必ず答えにたどり着くようになっているんですね。
例えば男性と女性が好きになったら告白する、そして付き合う、結婚する学生であるということを前提条件に置いてないとAIは機能しないわけですね。
だけど人間はお互いが好きである、でも付き合わないみたいなパターンがあったりしますよね。
回避型とか依存型とか自立安定型みたいなそれぞれの愛着スタイルによって全く違う意思決定をしたりとか、いやいやそんなんだったら告白すればいいだろみたいな時にも告白しませんみたいな意味不明な意思決定をすることがあるわけですよ。
これって非合理的なんですね。それすることが正しいか正しくないかすらわからないみたいな。
っていう意思決定のずれみたいなものが歪みとして起こるわけですよ。これはAIは無理なんですね。
ということが起こることがあるよという前提条件を置くことによってAIは初めてそれっぽいことを言ってくるけど、でもそれをAIは別に感情的な理解としては起こってないわけですよ。
合理的に理解をした上でそれっぽいことを表現するだけに過ぎない。
だから結局僕らは非合理的な感情性による動きとか感情の揺らぎとか歪みですね。
この歪みの部分をSNSで出そうよって話なんですね。
SNSで出そうぜっていうふうに思ってますね。
寄り添っている、チャットGPGの話ね。
最初に肯定を入れることで後々こちら側のアイディアクリエイティブが引き出されるからそこを狙って肯定するんだろうなとか。
AIは本当に頭良すぎですからね。IQ高すぎるんで。
普通にIQ135とかって、IQ120で上位10%って言われるんだけど135って10個離れてて、IQで20くらい離れてて会話できなくなるみたいな話だったと思うんで。
意味わかんないレベルにいるっちゃいるんですけどね。
でも合理的なんですよ。めちゃめちゃ合理的。
ただ僕らは非合理的なんですよ。とにかく非合理的ですよね。
僕もそうですよ。みんなから合理的に生きてるように見られるかもしれないけど、一ミリも合理的に生きてない。
非合理的で決定ばかりして、それで大失敗したりとか、何してんねんっていうことをやったりするわけですよ。
今回のYouTubeを開けるとかも非合理的すぎるんですね。合理性で考えたらね。
とか、いろんなものがあるわけですよ。
でもそれもそれで味になるし、面白いなって思ってるし。
僕はこうやって意味不明な挑戦というか、他の人がやらない挑戦を僕なりのやり方でやっていることが大きな価値になると思ってるんで。
つまりこれもいわゆる歪みと非合理的な部分だと僕は思っていて。
つまり合理的に考えたらやった方がいいことを捨てて、非合理的な手段を取り続けることによって、
ある意味、だいたい不可能性な存在になっていくっていうふうな考え方ができるんですね。
なんかちょっとそれっぽい答えに近づいてきましたね。意味わかりますか?
つまり非合理的な意思決定とか、普通の人がやらないようなことを合理性としては全くもって矛盾しているようなことをやり続けることによって、
だいたい不可能な存在になっていくんですよ。
皆さんの好きな言葉ですよね。僕の発信を聞いている人にとっては追い求めているものなんじゃないですか。
だいたい不可能。他の人に真似されないものになっていくんですね。
そしてその非合理的なものっていうのが集合地としてされることによって、
遠回しになるけど他の誰もが経験しない経験になるし、
その非合理性がそれについてを伝えたり発信することが、
その人にしか言えない言葉や表現になって、コンテンツとしての価値クリエイティブになっていくわけですよ。
あら皆様大好き。これこそが唯一無二のアカウント設計の部分なんじゃないでしょうかね。
皆さん僕に最近よく個別相談とかでも、
自分なりのコンセプトが分かりませんとか、どんな発信をするか分かりませんってくるんですけど、
大事なのはここなんですよ。
あなたが持っている非合理的な部分って何ですかと、
だいたい不可能性な部分って何ですかっていうことを追求し続けた結果、
無駄だったり遠回しだと思っていることや、意味がないだろうと思っているような、
非合理性としての外枠の部分がこうして価値になるよっていうことが、
めっちゃ大事なんじゃねっていうふうに思っています。
そこを今日は話として理解をしていただけると、
めっちゃいいんじゃないかなっていうふうに個人的には思っています。
つまり、本当に唯一無二のアカウント設計とか、
自分らしさっていうものを合理的に考えようとしないでください。
いいですか。
自分のアカウントとか、唯一無二とか、僕が言ってるね、
だいたい不可能なアカウントの存在になるとか、
自分らしさとかを出すってことを合理的に考えちゃダメです。
だって、あなたという一個人の存在が合理的に生きてるかって言われたら、
合理的じゃないでしょ。
非合理的なあなたを作っていくこととかを考えて、
合理性ではなくて非合理性として考えていかないと、
意味がないよっていうことですね。
感情と共感の創出
YouTube分けたことを合理的に考えてやってるのかと思ってました。
合理的に考えるんだったらYouTubeは分けないほうがいいですよね。
動画のコンテンツ投稿も多くなるしとか含めてですけど、
非合理的なんですよ。
つまり人はコンテンツが多ければ多いほど動画を見るわけではない。
感情的な要素っていう部分がすごいかかってくるわけですよね。
一つの動画にまとまったほうが嬉しいとか。
それ非合理の部分なんですよ。
非合理。
だから人は合理的に考えるんだったら投稿が多いほうがいいだろう。
人はYouTube動画が上がったら見るものであるという合理性を考えるんだったら、
それぞれをクリックしたほうがいいよねっていう部分になってくるわけですよ。
たださっき言った通り人間というのはそもそも非合理的であるから、
僕も非合理的な手段を取らなければいけないということなんですよ。
人の共感とか感動とか、
そういうものは合理的に作られるものではないってことなんですね。
とにかく言いたいのは。
わかりますか?
これがめっちゃ大事。
だからリール動画とかもここで感動させようみたいなことを合理的に考えたって、
感動しないよってことです。
この台本だったらみんな共感してくれるかな?
合理的に考えるなって。
非合理的に考えてる中に感動や共感が生まれるんですってことです。
だからこの論理より感情なんです。
AIで論理として感情っぽいことを作った時点で、
それが感動を生まないんです。
ってことを今日は覚えておいていただければ、
今後の運用にも生きるんじゃないかなというふうに思っている次第でございました。