知らないを知ることの意義
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はいということで今回のテーマはですね、知らないを知るを続ける人のみ見えるものがあるというテーマでお話をさせてください。
どういうこと?っていう話に聞こえるかもしれないんですが、どういうこと?って言わない人もいるか、
結局今日の話は知らないを知れっていう、自分の中の知見の分からない、知らない、見たことない、体験したことないっていうものを知ることっていうのが、
結局自分の人生の軸とか自分のフィルターだったりとかを広げていくたった一つの方法なんじゃないかなっていうふうに思います。
これは知らないを知るっていうのは人から聞いて知るではなくて、自ら体験して知る時のみ成長があると思っています。
例えば僕は今ねフランチャイズっていう形で店舗経営ってものをね、
いくやってるんですけど、これもしかもフランチャイズの中でもほぼゼロから一緒に作ってきたっていうところのね、
あの自負があるというか、本当にね、なんか形が作られているフランチャイズじゃなくてゼロから本当に仕組みを一緒に作ってきたみたいな感じなので、
すごくほぼゼロ一の店舗経営をやったようなもんなんですけど、まあなんかそれをしたからこそ語れることってものすごくあるし、
成長したことってすごくあるけど、そんな経験をした僕がどれほど皆さんに対して、
じゃあマネジメントとかアルバイトのこととか採用とかって話をしたって、皆さんはなんかへーそうなんだすげーってなるけど、別にだからって知見が広がるわけではないですよね。
こんなような感じで知らないを知るっていうことって実は、なんか人から聞いたりとか教わるから知らないを知ることができるんじゃなくて、
自ら体験し、自ら新しいことに挑戦し、自ら知らないを知るための勉強するという積極性のある行為を行った人のみがたどり着くことのできるたった一つの方法なのではないかなというふうに僕は考えています。
皆さんも食わず嫌いしてたりとか、なんか体験してないのに否定していたりとか、やったことないのにわからないって言っていたりとか、
そういうものっていうものを知ろうとする、体験しようとする、やってみようとするということを実際に行動に起こしたという事象をやりきった人のみが見えるもの、気づけるもの、学べるもの、変化するものっていうのはすげーあるなっていうのを素直に感じています。
新しい視点の重要性
なんかこれってよく言われるかもしれないけど、今一度ね皆様、頭の中そして心の中に振り返ってみてほしいんですよ。
やったことないとか、これ調整してないなっていうことをどれだけ今年やれましたかと。もう11月も終わりじゃないですか。12月ラスト1ヶ月なんですけど、今年1年、自分のリアリティのある行動という軸の中で、
知らないを知るっていうことのためにやった行動ってどれぐらいありますかね。自分の中で知らないを知ろうとするためとか、これを新しい挑戦で新しい体験だという思いでチャレンジングしてみたものっていうのがどれぐらいの数、皆様の辞書の中には増えていますか。体験としての辞書です。
聞いたとか見聞したとか教わった辞書じゃなくて体験した辞書として、今年新しく挑戦した新しく知ることができたもの、知らないを知れたという実体験ベースでの事実っていうものが皆様の辞書にどれぐらい溜まっていますかね。
その辞書の数だけ皆様は新しく見える景色が増えたんだと思います。僕もそういう感覚で物事を今すごく捉えるようにしていて、なんだろうな、1年前や2年前だったらこういう感覚で一つの辞書を捉えていたんだけど、今新しいそういう知見とかを知って実体験ベースで体験したからこそ、
今過去起きたものに対して受容できたりとか違った捉え方の視点でもう一度物事を見直すことができたりとかもあるんですね。素直に。2年前とかの一番調子についたりとか、ギラギラやってた頃の自分だったら否定していたものを今は肯定するわけではないけど受容できるみたいな。否定ではなく受容ができるみたいな。
これって何が変わったかというと、自分にとって知らない世界だったり知らないものとか、自分にとってわからなかったものとか見えなかったものっていうのを実体験ベースで知り、見えるようになったから、あの当時は見えずに尖ってたけど、今は受け入れて素直に大事だよね、そういうしてマリオネットを見つめ直すことができるっていう。
こういうものが増えていくと、いろんなものへの許容度っていうのが上がっていくんですよね。いろんなものへの気づきや許容度とか、その視点が増えていく。
これは狭い視野だったりとか経験値が少ないと、その視野でしか見えないからそこにもう全フォーカスになっちゃって、正か不かみたいになるけど、知らないを知るとそこに正不っていう正解か正しいか間違いかという判断すら必要がないってことに気づけたりするわけですよね。
あれは間違ってる、正しいじゃなくて、新しいことを経験して知ることによってあれは正しいとか間違いとかでもないんだということに気づけたりとか、全ての失敗は成功のもとみたいなものも一つだと思うんですよね。
その一瞬一瞬はパンってこうだって思っても今この瞬間には需要ができるみたいな、そうっていうような感覚、これってすごく大事なものというか、今一度否定しているものがあるとか絶対ダメだと思っているものがある人は一つ考えを深めると肯定できたり需要できたりするものってあるんじゃないかなと思っています。
知識だけだと知った気で決めつけてしまう。体験すると想像だけでは見えなかった細かな部分も見える。本当そうですよ。
例えば、一つわかりやすい事例とかで言うんだったら、ちょうど2年前のこの頃に僕は唯一無二のアカウント設計という言葉を言い始めました。
唯一無二が自分自身を作り出すみたいな放送をちょうどしたのが2年前なので、2年前が一番調子乗ってたと思うんですけど、あの頃は本当にTTPとか真似するものっていうものに対して否定でしかなかった。
そんなことしてる奴らはもう生きる価値ないんだろうみたいなぐらいなことを言ってると思います、多分あの頃は。
今の僕はどう捉えてるかっていうと、別にもちろん今もTTPする人は良くないと思ってますよ。良くないと思ってるんだけど、そこにあるのは自覚的にTTPをしてるんじゃなくて、無自覚的にTTPをしてるんだなっていうパターンが大いにあるなってことを受け入れられるようになったんですね。
その人が悪いんじゃなくて、その人の置かれていた環境が悪いっていうだけなんじゃないかっていうことですよね。
分かりやすく言ったら、万引きや犯罪をすることを当たり前にしているご家庭や地域で生まれたら、何のためらいもなく犯罪ってするじゃないですか、万引きとかって。
そういうようなもんだと思うんですよね。その人がたまたま置かれた環境や場所がそういうものをゼトしているからやってるだけであって、その人が意識的、意図的にやっているとは限らないんだと思うと、
その人に気づきを与えてあげれば変えることができるんじゃないかっていうふうに思うこともできるわけですよ。
でも昔はそうじゃなくて、そういうことをしてる奴ら全員終わりだみたいな。みたいな一方向性の決めつけっていうのが強かったな。
そういうのは今、人生観レベルで知る、知見が増えることによって理解し、需要し、進めるようになったなっていう一つかなってすごく感じますね。
YouTubeとか見ててもそうですよね。知った気、わかった気になるけど、やってみて初めて出てくる疑問点とか悩みがあるんですよね。そうですよ。めちゃくちゃあると思うんですよね。
例えば僕のこのボイシーとかを毎日のようにインプットして、そしてこれを実質、行動性みたいなところっていうのをしっかりと意識的にやり続ける人。
そういう人は多分大きく変化とか大きく成長とかいろんな気づきにつながって変わってきてると思うんですね。
知らないを知る重要性
そうすると、知らないってものを知って、また新しい視点とか、またどうしようか、またじゃあどういうのが必要なんだろうかみたいなところとかっていうものを考えるきっかけにもなったりすると思うんですね。
そういうのをやり続けてると、どんどん見えない景色が見えるきっかけになってくるっていうところですね。
これをとりあえず見てます、とりあえず聞いてますとか、とりあえずインプットしますだけだと、わかった気になってるだけ。
僕は昔からエッセンシャル思考の話とか、課題の分離の話とかしてるけど、それが事実できてる人ってどれぐらいいるかっていうと、あんま証拠はないんじゃないかなって思うんですよね。
だからそれをちゃんと実践しようねっていうのはもちろんそうなんですけど、何やともあれ、自分の実体験ベースで知らないを知るための行動を起こし続けていくってすごく大事なんじゃないですかっていうご提案でございますね。
これって当たり前なような気がして、でも実践したらものすごく大事な部分なんだろうなって僕は強く思っている1個です。
なんかそうだね、僕反省もありますこれは一つ。
昔の自分自身は知らないを知ろうとはしていたが、確かに知ろうとはしていたけど、知らないのに決めつけている部分が多すぎたんですよ。
知らないからこうだ、わかってないからこうだって決めつけて、そうじゃない人を排除するみたいな考え方を正直不素直に持ってて、その頃の僕を聞いて僕のことが嫌いになった人は世の中にいるでしょう。
あの頃強すぎましたからね。
そういうのも含めてこのボイシーというプラットフォームには残っている。
何たっても960放送近く、もうすぐ960超えるんじゃないかね。
960放送以上残ってきて3年間近く毎日更新始めた一番調子に乗ったあの日から今日までを毎日ずっと上げ続けてきたから僕の偏見がわかるわけですよ。
どう変わり、どう学び、どう知見が増え、どう言ってることが変わってきたかっていう。
そう思うと、知らないを知ってきたんだな。
実体験に基づく行動
酸いも甘いもってなるのかね、わかんないですけど。
いろんなものを知った結果、なんだろうね。
インスタグラムというところのギラギラさや強さってところは、あの当時の方が強かったのかもしれないけど、
人間性とか気づきとか、自分自身という事故に対しての向き合う面とかは、
大きく今の方が向上して改めて向き合えるようにはなってるんじゃないかなって思いますね。
それはすべて知らないを知るっていうことに対して素直に向き合い続けたからかなって思います。
それをずっと、特にここ1年とかやってきたから、
今はもう一個上の視点、もう一個新しい視点で見つめ直したり、振り返ったり、
自分自身として改めて見つめ直したりとか、っていう風にできてるんじゃないかなっていう風に素直に思います。
ていうことですね。
なので、振り返ってみればってやつ。本当そうですよ。
もちろんね、人生経験という人生の量だったら皆様よりは全然僕は体験が少ないというか、
まだ所詮25、来月ちょうどあと1ヶ月と2日後に26になるんですけど、
まだ26年ぐらいしか生きてない。
中でも特にこの直近の2、3年で大きく自分自身というものの価値観や考え方が変わってきた人間だからこそ、
まだまだ未完成な部分や未熟な部分っていうのがすごく多いなっていうのは日々感じます。
私、今も知らないを知るってことを日々通して、悩んだり迷ったり、壁にぶつかったり、深く考えなきゃいけないなって思ったりとか、
っていう、足掻きもがき苦しむっていう日々ではあるんですけど、
でも、そうですね、やる気はないと思ってるんで僕も頑張りますし、
なので皆様も知らないを知るっていうものに対して聞いて終わりではなくて、
実体験ベースの行動軸でやり続けてほしいなというふうには個人的には思っています。
やっぱりやるっていう具体の行動に移すからこそ変わることってめっちゃあると思うし、
実体験するから分かることってあると思うんで、
どんなものも知らないって言って否定するとか分からないって言ってそのままにするじゃなくて、
やってみようとか、挑戦してみよう、チャレンジしてみよう、向き合ってみようって思って、
前に進める人が本当の意味で成長や変化っていうものにもつながったりとか、
何か新しい築きっていうものも作れる、そんなきっかけになるんじゃないかなっていうのを、
今日の最後のメッセージとして終わらせていただければいいかなというふうに思っています。