1%のこだわりの重要性
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今回のテーマは、「その1%に本気でこだわれるかで勝負が決まる」というテーマでお話をさせていただきます。
1%のこだわりというものが唯一のみを作り出すか、昔言ったことがあるんですけど、
この1%という小さな小さな数字単位、聞こえるかもしれないんですけど、そのレベルにまで本気でこだわるかどうかって、
めっちゃ成長か成果を分けていく上では重要なポイントなのかなと僕一人個人では思っています。
なぜかというと、些細なことだったりとか、そんなのわざわざこだわらなくていいでしょうとか、
そこの部分とかそこの細部とかその表現にわざわざ時間かける必要なくないっていうところにまで、
いやここは自分にとってめちゃくちゃ大事なポイントなんでって言って、こだわれる人ってめっちゃ強いよねっていう個人的にはすごく思ってるんですね。
そういう人がもっともっともっともっと増えてくれるとめっちゃいいんじゃないかなって僕は思っていて、
意外とここをないがしろにするというか、なあなあにしちゃってる人ってまあまあ多いんじゃないかなと僕は思っています。
意外とここまではいいかみたいな妥協とか、妥協が悪いわけではないんですけど、
妥協が悪いわけではないが、もっとそここだわれるようにもっと100%だったらいけるよねってところ、
まあまあまあ今だったらしょうがないかみたいな感じで、とりあえず投げやりにしちゃうパターンってちょこちょこあるんじゃないかなと思うんですよ。
それを、なあなあじゃなくてめっちゃいいイメージとしてちゃんと作れた時ってすごい可能性とか、いろんなできることの幅が広がるんじゃないかなと思ってる。
だから僕個人としてはその1%へのこだわりみたいな、絶対にこれは譲らないぜとか絶対にこれは大事にするぜってポイントをできるだけ増やし続けること、
これが成長成果っていうところを作っていく上では非常に重要なんじゃないかなって僕個人では常に思っています。
こだわりを持つことの意義
皆さんはここまでその細部へのこだわりっていうことを意識されている人もいると思います。
これはめっちゃこういう部分はすごい大事にしたい、こういうところは自分の中ですごくイメージがあるからここは絶対に譲らないぜみたいなポイントって、
それぞれ個人個人には多分あると思うんですよ。
あると思うが、そこにさらに1%制度でめちゃくちゃこだわれるか、本気でこれめっちゃ自分の中では絶対にここは譲らない、ここは何が何でも自分にとっては絶対に大事なポイントやでっていうところをもっと増やしてほしい。
もっともっともっといろんな細部にこだわってほしいと僕は思っています。
なんでこんなことを僕が言うかというと、僕の中でもその1%のこだわりっていうところが足りてなかったなって反省する。
特に店舗とかのね、店舗経営って本になってくるんですけど、そこの本ではどうしてもちょっとこだわりが欠けていたというか、もっとここはこだわって1個1個丁寧に積み上げる、もっとここは細かく分解できるだろうってところをないがしろにしてた。
うん、まあいったみたいな。とりあえずなんとかなるっしょみたいなノリで、ちょっとないがしろにしていた部分っていうのが正直あるなって思っていて。
そこが、そこのせいでこうちょっとしたボロだったりとか、なんかせっかくの可能性っていうものが失われていたみたいな部分って僕はすげーある。だからめちゃくちゃ悔しい。
それを本気でこだわっていれば、もっともっと全然違う未来っていうのはあったんじゃないかなと思う不思議は結構あるんですよ。
だからなんだろうな、自分の中では反省点というか、もっともっとテンポとか含めてこだわれるポイント、小さな細かいところってあった。そこをちゃんとやってるだけで
もっと成果が出るポイントって全然早かったりしたんじゃないかなっていうことって往々にしてあるから、そういうのが悔しさとして僕の中ではある。
だから今回のテーマにしました。結局僕は人前ではこうやってね、こだわろうぜと丁寧に丁寧に行こうぜと言ってみながらも、自分の中でその一個一個の授業、一個一個の授業や経営単位で細部までこだわりを持ってていたか、
もっとこのポイント、もっとこの部分まで自分はすごい大事にしてやりきれていたかというと、素直にやりきれてましたと言えるかというと
ちょっと言えないところもあるよなっていうのが素直に悔しいなっていうふうに僕の中では思っています。
素直に悔しい。だからもっともっと細部にこだわって、細部に細部の細部までこだわりを持ってやれること、なせることをちゃんと丁寧に積み上げるってことを
これからもっともっと意識していきたいなというふうに僕個人としては思っている次第でございます。
だからこそ皆様への注意喚起でもあります。
そう、だから1%ぐらい、そんな1%程度こだわらなくたっていいじゃんっていうパターンってまあまあまあね、普通の人たちとかからしたらいいじゃん、そのぐらいっていうところってあると思うんですよ。
でもそこをやっぱりちゃんとやるぜと、やっぱりちゃんとこだわるぜって言って、その狭い狭いこだわりの部分まで
制度と自由のバランス
1個1個ちゃんと緻密に積み上げることっていうのは将来の自分を救うなって思うんですね。
最初は確かにね、なんか自由の方がいいって思うかもしれないけど、その細部にこだわって丁寧に丁寧に作った先に、その作った城の中での自由があると僕は思っています。
だから最初の城から自由を求めてやっちゃうんじゃなくて、最初は緻密に1個1個丁寧に丁寧に基盤土台をちゃんと積み上げるかのように丁寧に1個1個重ねていく。
そしてそこの上で見えた景色の中で自由さを得るって方がいいんじゃなって思ったんですよね。
だからなんだろうな、このこだわりって部分を捨ててはいけない。
なあなあにしたりとか、まあいいじゃん80%ぐらいで、じゃなくて100%の気持ちで取り組んで結果的に80%の出来だったらいいと思うんですけど、
いいよ80%の出来でっていう思いで80%ぐらいで取り組んでたらその制作物は40%ぐらいにしかならないので、
100%を作るつもりで取り組んで、まあ完成形80%ぐらいじゃないかなーみたいな感じな状態で、
で結局出そうみたいな、それぐらいをずっと繰り返していくと、いつの間にかそれが本当に100%精度のレベルにまでクオリティを作り上げていくことができるんじゃないかなというふうに思いますね。
クオリティを求める目って人それぞれと思い知る日々。
ああ求めすぎなんかない。いやでも本当はもっとできるはずと思う。自分を否定しなくていいんだと言っていただける。
それがすごく嬉しい言葉でした。そこをね追求していいことだと思うんですよね。
自分の中で大切にする。いいじゃんここまででじゃなくて、いや私はもっとこういうこだわりを持ちたいって思うのはすごく大切なことだし、
すごく成果を出していく上では必要なことだから、一個一個ちゃんと緻密に積み上げるぐらいの気持ちで向き合ってあげるっていうのはすごく大切なことなのではないかなと、
僕一個人としてはすごく思いますね。その1%に本気でこだわりこだわりこだわり抜いたその先が真の成長とか変化に繋がっていくんじゃないかなって僕は思ってるから。
最初はね、うわぁ大変だなぁと思うかもしれないけど、そこのしんどさやそこの面倒さを超えるぐらいこだわりまくった先に見える景色って
すごくいいものなんじゃないかなって僕は思ってますんで。まあきっと皆さんなら大丈夫でしょうと僕は信じています。
皆さんだったらそこにこだわりを持てると。こういうのを聞いて一個一個ちゃんと積み上げようとちゃんと
なんか一個一個丁寧に運用しようとそう思える方々のレベルだったら大丈夫です。きっとこだわりを持って一個一個丁寧に丁寧にやることができる。
今日の話を聞いて自分ならこうしよう、自分ならもっとこういうことができるってきっと理解できる方々だと僕は思ってます。
だからこの話を聞いていやいや適当でいいんだよっていうふうに思わないでほしい。なんかその適当っていうのは
なんかその枠組みの中の丁寧な中で適当にやるってのが正しいんじゃないかなってなんか最近思ってて。
僕も元々はすごい特に店舗経営とかの方は割と自由とか任せていたんですが、そうするとやっぱ暴走というか
秩序が乱れるというか。なんて言ったらいいんだろうね。学校とかさ、保育園とかでさ、ルールってのがあるからなんか
拘束とかルールがあるから子供たちの成長が縛られるんだって言ってすげー訴えられる。
親御さんとかってすごくいたけど、でも学校のルールや保育園とか含めての子供たちに課しているルール、枠組みっていうのは
そこの決められた枠組みの中での秩序を作った上で、そこの上で自由を作っていくっていう
いい枠組みなんじゃないかなって最近一つ思ってるんですね。 拘束とかでさ、まあなんか例えば
スカートの長さはこんぐらいまでとかさ、髪の毛を染めるのは2ブロックはダメだとか、いろいろ意味わからないルールがいっぱいありますよ。
確かに今と時代錯誤されているルールってのはいっぱいあるから、そこはちゃんと見直すべきだと思うんですけど
そんな全てのルールを取っ払って、完全な自由を子供たちに与えた時に起こることって無秩序の世界なんですね。
それは自由ではなくて無秩序なので。 だからちゃんとその決められた枠組みやルールっていうその基盤の中での自由を求める
っていうことが大切。 これはこの1%のこだわりっていうところのその適当さとかここまででいいやって
妥協点を作るとか、その完璧主義になるなみたいなものもそうで、完璧主義っていうのは無駄な100%を求めることですけど
こだわりの重要性
100%の世界の枠組みがない中で80%でいいやって言えないわけですよね。 だからちゃんと100%の枠組みを1個1個
綺麗に丁寧に積んだ中で 100を求めていくが80%ぐらいの完成度だよねっていう状況で落ち着くっていうのが
正しいんじゃないかなというふうに思いますね。 表現者をサポートする側として本気で向き合った先の本当に楽しいに出会えると思うんです。
明日のコンサートの演出、今日のリハもギリまでこだわります。 頑張ってください。
そういう1個1個のこだわりとかの部分がきっとね、 観客とかお客さんのいい笑顔を作るでしょうからね。
なんかそんな感じが僕は再現しています。 だからこそ鉱山上とか僕のやってる鉱山のステップとかもそうですけど
その1%のこだわりって部分はちゃんと捨てないでいようと思っています。 ちゃんと細部までみんながより満足してくれたり、よりいいじゃんこれって思ってもらえるような
追加のものや新しい仕組みとか新しい取り組みっていうのをもっとガンガン増やして 多くの方々がこれめっちゃいいじゃんとか
これ最高じゃんみたいなところをしっかりと作り切るように頑張って頑張って もっともっと深いものを作るために自分も頑張ります。
今日伝えたいのは本当にシンプルに、昨日改めて店舗経営の部分を見直していた中で
やっぱり意外と大ざなりにしてたというか、なあなあにしてた部分って 僕の中ではすごいあったんだなっていうのをめちゃめちゃ反省したんですよね。
もっともっと本当はこだわらなきゃいけなかった。 もっともっとやれることをちゃんとやり切らなきゃいけなかった。
もっともっと自分っていうものは何かとちゃんと見つめ直した必要があった。
それを見つめ直しきれてなかったなと素直に思ったので。 だからやっぱりそこの細部までちゃんとこだわりを持つこと。
1個1個丁寧にここまではこうする、ここからはこうしたい とかまでをしっかりと自分たちの中で作り上げていく、積み上げていくことこそが
真の成果とか変化っていうのを作っていく上でも めちゃくちゃ大事なんじゃないかなっていうのを今日が思った次第でございました。
クリティカルシンキングの手法
らしさを追求する本当そうです。 ということで最後に1%のこだわりの部分をより細部
細分化できるための枠組みを簡単にご説明して終わろうかなというふうに思います。 こだわりって
なんか 一つ方向性を間違えると頑固なやつになるんですね。
こだわりって正しい方向に行ったら素晴らしいこだわりになるんですけど 間違った方向に行くとさらに頑固なやつ、間違ったことにこだわりを持っててそれを
直さないみたいな。こだわり、TTPにこだわるみたいな。 そりゃこだわりじゃねえだろみたいな。
間違ってる方向はこだわりじゃねえって話なんです。 頑固って言うんですよね。でもTTP、どれだけTTPを綺麗に再現するかみたいな。
確定になった瞬間にそれはもうらしさとかこだわりではないってなってしまうので その自分にとってのこだわりであるかどうかっていうものをちゃんと判断するための
考え方ですね。それを1個軽く紹介して終わろうかなというふうに思います。 何かっていうと僕の放送を聞いている人は耳たこ、Dラボとかメンタリスト
ダイゴの話を聞いている人にとっても耳たこなんですけど 僕はそれはクリティカルシンキング
っていうものでしかないかなと思っています。 うざいやつになる危険性あるので気を付けてください。これを解決するのがクリティカルシンキング
って言って、多角的思考法、言い方を変えて批判的思考っていうふうに捉えます。 これは何かっていうと自分のやっていることに対してもう一人の賢者でもいいから
なんか別人みたいなのを心の中に立てて、そいつに永遠と批判してもらうっていうテクニックです。 クリティカルシンキングと呼ばれる手法は多角的にいろんな
物事から多面的に見ることをクリティカルシンキングというんですが、それの中でも一番簡単にできる手法と
言われているのがサードパーソンセリフトークっていう言葉だったりするんですよ。 第三者のように振る舞う。例えば私はこれは大事だと思っている
じゃなくて、ソータはこれを大事だと思っているみたいな感じで、私はとか we とか私とか
i, we みたいな you みたいなんじゃなくて、全部を第三者的に捉えるっていうのがサードパーソンセリフトークって言うんですけど
だから自分の名前でもいいし、苗字でもいいし、あだ名でもいいからソータは〇〇をしている。 ソータは今イラついているみたいな、こんな感じの言い方をすると一個客観的に見れるんですね
自分ってそんな言うほど周りから見てイラついてるのかみたいな。 俺はイラついてるんだよっていうと、俺はっていうなんかその自己認識というか自己意識
潜在意識、潜在意識みたいなのは僕嫌いなんであまり嫌ですけど、自分のその意識みたいなものと一致しちゃうんですよね
でもソータはイラついてるっていうと客観的に一個外の枠組みで見れるから、あれ本当に俺はイラついてるのか?みたいになれる
だからそのこだわりの部分で、私はここが大事だと思っているじゃなくて、ソータはこれを大事だと主張しているみたいな
できるだけ誰か別人が言っているかのように、3人称として抜くんですよね
その時にそれは絶対大事なこだわりだよな、誰が見てもって思ったら、それはきっとあなたにとっては大切なこだわりでしょうし
それなんかキモくね?ってなったら、それはこだわりじゃなくてただの英語だったっていう違いを捉え直すことができるみたいな感じで
こうやって枠組みのフレームを変えてしまうっていう手法があるんですけど、これが僕はおすすめだなと思っています
なのでぜひね、このクリティカルシンキングとしてのサードパーソンセリフトーク、めちゃくちゃ簡単なんでぜひやってみるといいんじゃないかなというのが今日のメッセージでございました