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2024-05-05 10:02

2024年5月5日

20204年5月5日の日記です。本浄寺・拝鈍亭/柳亭こみち/宮田陽・昇/崇徳院/友田とん『『百年の孤独』を代わりに読む』

#声日記

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2024年5月5日、そろそろ過去になりますが、
今日はゴールデンウィークかつ、普通に日曜日でもあり子供の日でもあるんですけど、お休みで。
天気も良かったんで、出かけまして、昼頃から出かけまして。
ちょっとね、最近もう暑くなってきたんで、新しく夏服も買い足そうと思って、自由に行って、半袖のシャツとかを買ったりしつつ。
で、夕方あたりから、雑志ヶ谷と五穀寺の間にある本庄寺というお寺。そこでですね、落語会が開催されるということで行ってきまして。
行くと、拝殿邸っていう、拝見二部位で、三遊邸とかの邸で拝殿邸という建物が建ってて、作曲家の拝殿にちなんで付けた名前っぽいんですけどね。
建物の中に、それこそ拝殿のイラストみたいなのが飾ってあったりして。
で、どうやらそのお寺の住職が音楽とか、それから予選芸とかが好きらしくて、その建物で定期的に落語会とか、講談の会とか、クラシックの演奏会とか、そういうものを企画して開催してるらしいんですけど。
今日見に行ったのが、劉邸小道師匠と、それから宮田洋翔先生という漫才コンビの方々と、その会だったんですけど。
これ珍しいのが、劉邸小道師匠というのは、宮田翔先生と実際にご夫婦なんですよ。
実際にご夫婦なんだけども、小道師匠は落語協会という協会に所属していて、翔先生は落語芸術協会という別の団体に所属してるんですね。
だから、通常の寄せ工業では小道師匠と宮田洋翔先生って同じ会に出ることがないんですよ。別々の協会に所属なんで。
なので、今回は協会の枠を飛び越えて、夫婦共演する会という、そういう珍しい会だったんで、結構楽しくて。
お客さんも多分、定期的に会をやってるから、周辺の地域のお客さんとかもついてるんだと思うんですけど。
店員83名って書いてましたけど、空席もあまりないぐらいの、いい感じの人の入りで、すごい盛り上がってて楽しかったですね。
で、竜手小道師匠がやすべえ狐と、それからストクインのお嬢さん番かな?という2席をやってまして。
ストクインという話がね、もともと古典落語で、ある若旦那が偶然たまたまで会ったお嬢さんに恋煩いをしてしまうと。
でも、名前も聞いていなくて、どこに住んでるかも知らなくて、手がかりとなったのは、お嬢さんから手渡された、
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セオハヤミイワニセカルルタキガワノという、ストクインの和歌の一節が書かれたその短冊だけであると。
それを手がかりに、お互いに芸術している職人とかが、その若旦那の恋煩いの相手を探す、みたいな、ちょっとそういう話なんですけど。
この小道一生のバージョンでは、話を恋煩いのお嬢さん側、若旦那じゃなくて、お嬢さん側に移して、完全に創作して作った話で、
お嬢さん側も若旦那に恋煩いをしていて、どうにかして若旦那を探そうとする、みたいな話になってるんですけど。
その中で、バーヤであったりとか、それから大旦那の女中さんであったりとか、落語の中に登場することはあるんだけれども、
そんなにメインどころとして活躍はしないような女性のキャラクター、そういったものを中心というか、活躍できる場をちゃんと作るっていうのは、
小道一生はかなり意識的に落語の中の登場人物の女性の比率を上げよう、みたいな。
女性が活躍する話を古典落語をアレンジすることで作っていこう、みたいなことに取り組んでる方なので、すごい面白い話だなと思って見てました。
結構ね、バーヤのキャラクターがとても良くて好きでしたね。
あとは、宮田陽生先生も、普段寄せだと15分ぐらいの持ち時間なんですけどもっと長く長尺でやられていて、結構いろんな寄せでよく聞くネタもありつつ、
最近の時事ネタの話もありつつ、せっかくの夫婦共演の場なので、ご家族の話を絡めたネタとかもありつつ、色々と楽しく見れましたね。
定期的に落語化やってるらしいので、ハイドンって場所はわかったんで、最初どこら辺にあるのか今うち迷っちゃったんですけど、
今後また良さそうな回があったら見に行こうかなと思いましたね。
なのでまた良い場所を一つ、本当にたまたまXでこういう回ありますよっていうのを見かけていただけだったので、
また気にして情報をチェックしておこうかなと思いました。
あとですね、今日の話題というかトピックスでいうとですね、
これがすごいのはですね、友田敦さんの100年の孤独を代わりに読むという、
友田敦さん、代わりに読む人という一人出版レーベルをやられていたりして、代わりに読む人という雑誌を作ったりとか、
それから自分でも短調をいろいろ書いたりとか、それから編集者として和歌書文庫さんのウロン記号とかそういういろんな本出されてますけど、
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その中で一番最初にこの活動の原点となった友田敦さんの自主制作本である100年の孤独を代わりに読むという本があるんですけど、
これが早川文庫から文庫化されると。いわゆる大手の出版社の商業、出版の中で文庫化されるという。
これがすごい言うたら大事件ですよ。自主制作本なんで部数も限られてるし、
でもめちゃめちゃ面白い本で。ガルシアマルケスの代わりに100年の孤独を読むと。
読んでいるうちにいろいろと友田さんの頭の中で過去の思い出とか、過去に見たテレビの映像とか、
あとそれからドリフのコントの映像とかね、その他諸々の記憶が想起されていて。
またその100年の孤独の内容に戻って、かと思えばまた友田さんの記憶が浮かび上がってきてみたいな感じで、
その100年の孤独の内容と友田さん自身の記憶とか、その様々な思考というのがすごいシームレスにあちこちに行き来するような感じ。
僕はイメージとしてDJが2つ曲が回ってて、繋ぎ目がわからないように2つの曲を繋ぐような感じで、
DJミックスみたいな感じで、その100年の孤独の内容と友田さんの思考みたいなものが繋がったり、行ったり来たりするみたいな、そういう風な読み口で。
でもやっぱり本を読むという読書体験というのは、その文章を読みながらその文章から想起された別のこととかも思い浮かべることは普通にあるわけで、
それがある意味生々しくとはいえユーモラスに文章に書き留められているという点で、すごく面白い、そしてまか不思議なエッセイなんですけど。
このエッセイが自主制作本ながらすごく面白くて、これが早川文庫でよりいろんな人に読まれる形になるというのはめちゃくちゃいいなと思いましたね。
柿内さんもXで投稿されてたんですけど、もともと著名な人が作った人じゃなくて、
友田さん自身も自分で作ったものをいろんな本屋さんに営業行って売り込みに行ったりとかして、
自分で販路を開拓しながら、全く無名のところから本屋さんに置いてもらうようになっていって、
また現在の活動までつながっている最初の一冊でもあるので、
これが自力で開拓して販路を作ってみたいなものをやってきた人がとうとうその作品が商業に乗ったっていう。
大手出版社が出してくるようなその範囲に乗っかってきたというか、
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その本の面白さを認めざるを得ないところまで持っていったみたいなのがすごいなみたいな。
そういう感動もありね。
なのですごくこれからまた友田さんの文章を読んで、何じゃこの本はと思う人がたぶんいっぱい増えると思います。
マジで僕もなんだろうこの本、すごい面白いけどなんでこんなことになるんだろうっていうふうにちょっと思いながら読んだ本でもあるので、
すごいそれは楽しみにしています。
またちょうどカルシア・マルケスの100年の孤独自体も新潮文庫から出るタイミングなので、
それに合わせて一緒に読むのも楽しいかなと思います。
僕はまだ100年の孤独本体の方は読んでないんで、ちょっと楽しみですね。
また100年の孤独を読んでから100年の孤独を代わりに読むとまたたぶんいろいろと面白さが分かってくるんだろうなというところもあるので、
ちょっと楽しみにしております。
といったところで今日はこのあたりです。
おやすみなさい。
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