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はい、始まりました。アートテラー・とにスのそろそろ美術の話を。この番組は、私アートテラー・とにスがアートに関わる方をゲストにお迎えして投稿するポッドキャスト番組です。
本日、年内ラストのゲストをお迎えしております、雑誌芸術新聴の編集長、吉田明子さんです。今回一体どんなトークになるかお楽しみに。
ということで、吉田さんどうもよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
僕がゲストを出演、言うというのは多分初ですもんね。どっちかというと、雑誌に呼んでいただく側なので。
そうですね。記事をお願いすることが多いから。
初の逆の立場なので。知り合ってたぶん長いことは長いんですけども、意外とその経歴とかをちゃんと伺ったことないので、改めて伺ってもいいですか?
はい、実は私は最初からもちろん芸術新聴にいたわけではなくて、そもそも新聴者に入る前はSEをやってたんですね。
そうなんですか。
そうなんです。気が変わりやすくて、もっと遡ると、高校生ぐらいの時は獣医さんになりたいと思って、獣医系の学校を受けたんだけど、落ちて気が変わって、次は数学をやろうって。
そんな風に気が変わるの?自分から数学。
気が変わって、そのままSEの道に行ったんですけど、また気が変わって出版をやりたいなと。
でもだって、理系から文系みたいなことですもんね。そこから言ったら真逆。
ただ本は子供の時から好きで読んでたんですよ。だから自分の中で出版に行きたいというのはあまり違和感はなかった。
自分の中では延長線上にあって、それでところが転職をしようにも、全く出版というものがよくわからなかったので、専門学校が水戸橋にあったんですけれども、会社に勤めながら夜専門学校に行って、出版とは何ぞや、何をやるのかということを、取材の仕方とか講演記号の書き方とか、すごく手法的なことを習ったんです。
出版の中でもどんな分野に行きたいというのはあったんですか、その時点では。
その時点では、書籍の方に興味があったんですけど、専門学校に入る前は。ところが入っていろいろ勉強をしだすと、雑誌の方が楽しいなというふうに思うようになって、そのまま雑誌をやりたいと思ったんですけど、そんなすっとんきょうな転職をする人を雇ってくれるところってないんですよ、基本。
はい、でしょうね、と思いますよね。今、編集長になってるから、ふんふんって聞いてるけど、これ学生がもし言ってたら、おいおいって、この就職経験ない俺ですら言うと思います。そんな世の中甘くないよみたいな。
夢追い人ですよね。
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でもそれで最初から新調者だったんですか。
いや、それでその専門学校の卒業生たちがいろんな編集部に知ってるわけですよ。そのツテをたとって、ライターをいろんな雑誌でやってたんです。
へー、最初は。
最初は。そのいろんな雑誌の中の一つに、新羅という新調者が以前出してたネイチャー系の雑誌があったんです。そこのライターがスタートなんです、この会社の。
へー、最初はアルバイトじゃないけど、社員じゃないところからスタートしてるんですか。
ないところだから、フリーライターですよね。
そっから入ってるんですか。
そっからどうして社員になれるんですか。
それがですね、新羅が休館になっちゃったんですね、いきなり。
そしたら大変運がいいことに、その新羅の編集部の人が、書籍部門の部長さんに、この子に何か仕事をやってくれと。
すごい良い話です。
すごい良い話でしょ。で、そこでアルバイトとして今度は入るんです。
当然その時はSEはもう辞めてるんですよね、フリーライターになって。
フリーライターになって、アルバイトとして入って。で、アルバイトから契約社員、社員。で、じゅんぐりに上がっていったんです。
島耕作みたいな話を聞いてる。
変な話だから、僕も芸術新書さんって何回か、要するにライターではないけど、ライター的な立ち位置で連載してたわけじゃない。後ほどはゆっくり喋ると思います。
それがじゃあ芸術芸術なくなったからって言って、吉田さんがこいつ使ってやってくれよみたいなことですよね。
そうです、そうです。
絶対ないじゃないですか、そんなこと。
今聞きながら思ったけど。
でも最初に、新ら終わってからの、それからどういう雑誌をやってたんですか。芸術系にいきなり行ったわけではないってことですか。
ではないです。最初のその書籍部門っていうのは、小説以外何でもやりますっていうような書籍部門だったんですね。
エンタメ系で、例えばビートたけしさんのムックを作ったりとか、そういう雑誌的なものも作ってる部署だったんです。
でその後、もともとJTB出版が出して、JTBパブリッシングが出しているタビという雑誌があるんですが、そのタビの出版権を新庁舎が買い取るんです。
お前は新らやってたから、4色雑誌の経験があるから、タビに行けって言って移動させられる。
本当にタビに出たんですか。
タビに出ちゃう。
で、タビ編集部に6年ぐらいいたのかな。
でもそこからどうして芸術新庁になるんだろうっていうのが、全然本人も読めなかったですか。
読めないです。ある日突然、君は芸術新庁に移動だって言われるんです。
当然会社なので、普通に人事異動があるじゃないですか。それでポコって。
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でも芸術は好きだったんですか、それまで。
好きではあったんですけれども、実際に芸術新庁に入ってみたら、好きっていう程度で立ち打ちできないっていうことに。
他の編集部員を。
もう皆さんが研究者みたいな状態になってるんで、みんなの喋ってることがなんだかわからないっていうような。
じゃあそんな状態で入ったんですか。
そんな状態で入るんですよ。
でも言ったらだって芸術新庁ってこの新庁舎のいろんな雑誌の中で言ったら、結構格が上の方の。
専門的な部署ですよね。
意外と中の人は変わってないって感じですか、編集長以外も。
いや、変わっては長い人もいますけれども、他の部署から、例えば習慣新庁から移動してきた人とかもいるんです。
でも僕が一番面白いのは副編集長。
あれはもう20何年か。
ものすごく長いです。一番長いかな。
でも最初に芸術新庁行けって言われたときに、よっしゃって感じだったんですか。それとも今言って戸惑いの方が多かったんですか。
いや嬉しかったです。
よくわかってなかったんで、あんな綺麗な雑誌に行けるっていう風に勝手に盛り上がってきてみたら、
でもその中で吉田さんになってから変えたこととかってあるんですか。
多分それこそ私があんまり美術の専門家ではなかったがために、もう少し柔らかく伝えることをしようよっていうのはあったんですね。
もちろん移動したときにいきなり編集長ではなくて、普通に別の編集長がいて勉強していて、2014年に編集長になるんですけれども、その時点でちょっともうちょっと簡単。
簡単って言うと変だけど、入りやすい感じで美術、芸術を伝えていけるといいなという風に変えようとはしたっていうのはあります。
多分その頃から僕が関わりになっていたと思うんですけど、そこからよく読むようになっているわけですけど、その前の芸術専長って結構硬かったんですか。
硬いという印象が私にはありましたね。
誰向け、やっぱり美術ファン向けというか。
コアな本当に、美術に対する基礎知識がそこそこある人たちに向けてっていうのがあるんで、ここのとこ説明省いても分かるよねっていうところから始まる。
全員みたいな感じ。
がちょっと私からするとですけれども。
外部から来たからこそ分かるんですね。
そうですね。
その感じが。
ちょっと中級編、上級編だなと。
じゃあ今の芸術専長と初級編というかもう。
初級編、中級編、上級編をやる時もあるんですけれども、これは明らかに入門編としてやりますっていう風に決めて作るっていうことも多いです。
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じゃあ今までのコアな美術ファンもターゲットだけど、本当に初めて美術に触れる人っていうのもターゲットにして。
はい。
年代とかって何かターゲット層ってあったりするんですか?
本当ですね、不思議なことに年代、美術の好き嫌いみたいな限りなく趣味に近い世界って年代ってあんま関係ないじゃないですか。
はいはいはい。
10代でも好きな人は好きだし嫌いな人は嫌い。
よく雑誌を作る時にこれは30代女性向けですみたいなことをやるんだけれども、それができにくいんですよ。
この雑誌。
この雑誌に関しては。
全ての人が好きな人はもう年齢関係なく好きっていう風になってくるので。
じゃあ読書アンケートみたいなの見ても本当にいろんな世代の人が。
世代が多いですが、やっぱり40,50代が一番多いのは多いです。
要するに美術館に来てる層ですよね。
そうですね。
美術好きの層がってことなのか。
20代はね、雑誌がちょっと高いというのもあるけれども、あとは学生なんかは、美大芸大の学生さんなんかは学校の美術館で読んでるみたいなところがありますね。
なるほど。
買ってくれとはちょっと言いにくい高いかな。
値段って変わってないですか。
当然物価であると思うんですけど。
物価で変わってきてはいますけれども、そんなに大きく変わってないと思います。
でもだって全編基本カラーなわけじゃないですか。
そうじゃないページも当然あるけど、やっぱりこの金額じゃないとってことですよね。
本当はね、もっと上げないと無理ですね。
やっぱりそうなんです。
カメラマンさんだってすっごい撮ってますもんね。
はい。
1枚のためにも。
確かに。
まあでも今回今ちょうど収録戦は2020で12月なんですけど、あれですよね、今出てる12月号が三島由紀夫特集。
全然、要するにジャンルとして本当に美術だけじゃなくて文学とか、あとその前が漫画でしたもんね。
はい。
岩層の。
このジャンルは何か決めて、いろんなジャンルやろうっていうのはバラそうっていうのはあるんですか、なんとなく。
同じジャンルだけを続けてやろうっていうのはやっぱりないんですけれども、これはね、ものすごくうちはネタなんですけど、中にいる人間の好みなんです。
うちらが企画を決めるときって、例えば印象派を絶対にやらなきゃいけないとか決めてるわけじゃないんですよ、その美術だったらこれをやらなきゃいけない。
やりたい人がやりたいことを言うわけです。
漫画をやりたいっていう提案をすると、あ、それ面白いね、三島やりたい、あ、面白いね、みたいな感じで進んでってしまうので。
これって年間スケジュール的に出すんですか、どのタイミングで決めるんですか。
1年先ぐらいまでは見越して決めてるんですね、というのは準備に恐ろしく時間がかかるんですよ。
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であるがために、ちょっと先の展覧会の情報を見据えながら、この時期にこのタイミングで展覧会できるね、あるいは展覧会と関係ないこの企画やろうねっていうのを1年先ぐらいまで考えながら。
じゃあこの今の12月の段階でもう来年のスケジュール決まって、もう何やろうみたいな。
これどれぐらい採用率なんですか、企画どれぐらいみんな出してくるんですか。
採用率。
何本ぐらいみんな出すんですか。結構一本、三島一本で来るんですか。
それはないですね。
さすがに2、3個ぐらいは。
2、3で済まないんじゃないかな。
7、8本ぐらい多分バンと出して、2、3本いくかな。
基本はでもじゃあ1人が担当するんですね、三島独習って言ったらもう。
まあ当然サブとかもつくかもしれないけど。
企画者がまず1人絶対に担当する。でもう1人サブでつけます。
ただサブと言っても名ばかりの企画者ではないっていうだけであって、作業量は半々なので。
確かに。大変ですねそう考える。
大変なんです。
吉田さんも出すんですか。
私もたまに出しますけど今はあんまり特集を絡むこともないですし。
ほとんど出さなくなったかな。
これ今言える範囲でそんなアイディア出してくるのかみたいなぼつネタはどんなのがあったんですか。
なんじゃそれも当然あると思うんですけど印象残ってる。
これはっていうのあります?
えー。
でもこれで新人の方でも出せるんですか。
誰でも出せます。新人でも企画してももちろんいいですけど。
これはっていうやつってなんかあったかな。
吉田さんの中でジャッジはどこですか。これ売れそうなのか。
それともこの人がこの部員がやったら面白いものできるなっていう方を取るのか。
どこでジャッジするんですか。
それが売れそうはもちろんあります。
あとはこれ意外とみんな知らないから新しいんじゃないかっていうのがあったりはしますよね。
例えば売れそうだとフェルメールだと売れそうってなるじゃないですか。
ところがフェルメールも何度もやってしまってもう私たちはネタ切れしてるわけですよね。
この方向性もやったこの方向性もやった。
っていうと他の何か切り口を見つけてこなければいけないからむしろそれは編集側と編集者担当者はとても辛い。
そしてフェルメールをやりたいわけじゃないのにフェルメールはこの時大きな展覧会があるぞやれと。
みたいなことは起こりますよね。
15:00
どうしよう。
ちょっとモチベーションのところで。
あれもやっちゃってこれもやっちゃってどうすればいいんだ。
確かに。
だから北斎とかも結構この5年間で見ると北斎とかも何回かあったな。
ありましたね。
5歩もありますよね。
5歩もこのところはあんまりやってないですけれども昔はよくやってました印象派は。
逆に最近印象派が少ないですよね。
やっぱりそういう理由なんですか。
言うだけ言ってカットもあり得ますね。
印象派は売れません。
そうなんですか意外に。
だって印象派の展覧会は未だに。
展覧会はものすごく入るんですけど雑誌とか本が全体的に売れないんです。
おそらくそれは印象派に対する知識を世の中の人がものすごく持ってしまった。
もう必要ない。
だから別に今更そんなに好奇心そそられないわって本物は見たいけどっていうことなのではないかと思われますね。
逆にゲイシンさんでちょっと毎年必ずあるんじゃないかなと思ったのが旬画とかワイン説とは何かとかちょっとエロティシズム系が1年に1回ぐらいある感じがする。
入ってきますよね。
これは意図的なのかたまたまなんですか。
エロ系をやろうねっていうのはみんな全員の頭の中になぜかあるんです。
そうなんですか。これはヒットするんですね。
ヒットしますね。
これまでも考えてる。
エロ系ってものすごく幅が広いんですよ。
写真もできるし絵もできるし彫刻もできるしっていろんなジャンルで持っていける面白さもあって。
まだ鉱脈がいっぱいあるんですか。
そうなんです。料理のしがいがある。
編集者としてはこっから切ってやるみたいなことができるので面白いんです。
でもやっぱりお話がかかっていると編集者がどれだけ面白いと思えるかが結構大事なとこはあるんですね。
フェルメールもどうしようって。
苦しひって作るのもやっぱり編集者としてはやらなければいけないことかもしれないけどやっぱりこうやって作ってやるっていう意欲が出た語なんかは面白いですよね。
ここ数年の中でそういう感じで作ったものの中でそんなにこれヒットするのかなと思いながらもその熱意がすごいからやらせてみたら結果これ跳ねたなみたいな特集ってありますか。
印象的な回で。
仁義なきっていうシリーズがあるんですけれども。
聖書。
聖書を広島弁で翻訳して伝えましょうっていうのがあってそれは当然キリスト教絵画を見たいと思ったら聖書の知識がないと何が書いてあるかわからない。
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でも聖書を読むのは本当に大変。
だからざっくり教えてあげましょうっていうのをキリスト教で広島弁で。
ヤクザ映画風に紹介しようと。
実際に聖書の世界って残虐なシーンもいっぱい出てくるのでぴったりなんですね。
ところがあまりにもふざけすぎていて、芸術伸長、他の雑誌でもしやったら受けるかもしれないけど、芸術伸長の場合は難しいのではないかと。
いちかばちかっていう感じでやったらとても売れて第二弾も出したっていう。
そうか旧約聖書のバージョンの後が新約になりましたもんね。
このオンエアが今年12月に流れるんですけど、次の号もあるんですよね。
そうです。
聖書に関係してますもんね。
そうなんです。
次の号は。
2021年1月号。
1月号。お上品なんですけれども、神山キリスト教会っていう世田谷にあるツイッターがとても人気の。
楽しく紹介するんですよね。
その方のツイッター部の方に案内人に監修者として立っていただいて、ものすごいゆるくざっくり。
ゆるいなんですね、テーマが。
でもこれを読むと宗教がわかりやすくなるってこと?
わかりやすくなるっていう。
でもやっぱりこれもさっきおっしゃったように、当然アートファンから見ても楽しいけど、アート興味ない人が入る入り口をっていうところな。
と思います。だからその美術を、キリスト教絵画を見ようとか関係なく、なんとなく聖書って何なんだろうっていうだけでも読んでみると、
こういう人がいたのかとか、こういうふざけてるのかっていうのがわかりやすいかなと思いますね。
人物のキャラクターに今回焦点を当てて切っていくので、そのキャラクターにまつわるエピソードが絵画になってるわけじゃないですか。
その教えを絵画にするっていうのが宗教画ですから。
なのでバカバカしいエピソードを拾っていくと意外とキリスト教絵画がわかるっていう。
なるほど。でもちょっと楽しみですね、それは。
面白いと思います、これは。
こういうシリーズも他にですか、あと例えばこの芸術品庁ってバックナーバー買えるじゃないですか。
でももう売り切れちゃったGOとかあるんですか、ここ最近。
ここ最近、もしかするとですね、コロナのせいの巣ごもりかもしれないんですけど、売り切れが多かったんですよ。
今年、コロナ以降しかも。
超重ギガのGOが超重ギガ特集を7月号でやってますね。
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これはもうすぐ売り切れちゃいました。
今年中にってことですもんね。
今年の7月号だから6月25日発売のGOですよね。
その次のGOの7月25日発売8月号のいつか行ける日のためにとてつもない絵っていうのも、これもバカ売れしたんです。
これ売り切れて、全部どれぐらい刷られてるんですか?
今3万部ぐらいなんですけれども、業界的には9割いくと完売っていうんですよね。
その完売モードにその2個バタバタって。
またコロナの話ちょっと後でもゆっくり伺うとして、去年とか一昨年とかでこの回すごいヒットしたのはあります?
去年ヒットしたのは禁断のヌード写真集。
やっぱこんなのありましたね。
これは明治時代から現代までの写真表現のヌードだけなんですけど、よく売れましたね。
これ今まで買ってない人買ってるなっていうのも分かったりするんですか?定期購読じゃない人買ってる?
買ってるっていうのが分かるのと、調査をするとですね、普段は男女比が購買者の半々ぐらいなんです。
8人ぐらいになったりしますよ。
それはもう当然男子が。
禁断のとか弱いのが禁断ですね。
あれはどうですか?カトリー・スチンゴさんが登場してくれた回。
はい、老人力ですよね。あれもすごく人気が出ました。
横尾さんでしたね。横尾さんと2人で対談。
だいたい画家さんは長寿の方が多いですね。
そういうテーマだったんですよね。長寿の方が。
あと漫画の回とかで流行ったなとかあります?
去年の2019年7月号の萩尾本さんの特集もこれまたすごく人気でした。
これは何でやることになったんですか?何周年とかあったんですか?
それと展覧会があったんです。原画を見せる展覧会があって、それに合わせてやりましょうということで。
ただ、萩尾さんの特集をさせてくださいというのはですね、
担当者が3、4年前からさせていただけませんかというお願いをずっとしていて、
展覧会があるので、じゃあその機会にやりましょうかっていう風に進んだ。
そういう超キースパンのものもあるんですね。
超キースパンのものもあります。
あと逆に言いづらい方はもう言わなくてはいけないと思うんですけど、
この回はねなかったなっていう印象深い回はありますか?思ったよりも。
思ったよりもはねなかったヒット作はですね、ゆる川アート万博ですね。
24:06
ちょっと待ってください。これ俺絡んでません?少し。
ちょっと待ってください。それは何か聞かなきゃよかった。
これ俺寄稿しましたね。
しましたね。
4ページだか何だかやりました。
そうですか。意外とその回。
これはですね、世の中ではゆる川が人気じゃないですか。普通に。
そうすると、もともと美術の世界だって、昔からゆる川表現というのはあるので、人気だろうなと思ったんですよね。
日本美術のゆる川だけではなく西洋美術のゆる川とかも特集したんですよね、この回。
で、日本のゆる川表現と西洋のゆる川表現を両方見ることによって、裏テーマとしてはやっぱ日本だよねっていうのを見せたかったんですが、なぜか芸術新調の読者はこっちに行かないんだなぁ。
あれ本当ですか。これ僕多分、ゆるミュージアムキャラクターを紹介したんですよね。
日本全国の。
ちょっとコラムを書かせていただいたけど、あ、そうですか。こんな流行りそうなものなのに。読めないもんなんですね。難しいですね。
これは行けるだろうと思って、あれっていう感じのものでしたね。
あれなんですよ、さっきの禁断のとかみたいにキャッチーな方がっていうのもあるんですか、このキャッチコピーの妙というか。このキャッチコピーだからいけたなみたいな。
結構芸人さんってキャッチコピーすごい。僕印象的にダリってダリみたいなのありましたよね。
お恥ずかしい。
堂々とダリ点がちょうど安い頃に合わせて、どストレートにダジャレ言ってきたなみたいな。
ダジャレは編集部員がみんな好きですね、どちらかというと。
そういう感じなんですか。
ダジャレにしようと考えている編集方針があるわけではないんです、もちろん。勝手にみんながそっちに走っていっちゃう。結果そういうタイトルのものが上がってくる。
これって吉田さんがいらっしゃるまでの固かった時代っていうのはあんまりそういうタイトルではなかったんですか。昔から芸人の流れというか。
芸人の流れとしては、そういうちょっとユーモアのあるものをタイトルにするっていうのはずっとあったと思います。
中身は硬いけど、コピーは結構昔から。
なんか印象残っているコピーとかありますか、今振り返ってみて。
なかなかダリってダリダリ勝つものはないですよね。今度かっちょいいカチョーガっていうのをやってみるっていう話はふざけて編集部内でしてたけど、ダメだよねきっとねっていう。
27:04
面白いですけど、それで売れなかったら悲惨ですよね。かっちょいいカチョーガでやっちゃったら。
吉田さんが企画したものってありますか。
企画したものとして一番印象深いというのが、ものすごく初期のやつで恋する春夏っていうやつを特集を。
これが2010年の12月なんですね。私が移動してきたのが2009年の4月の人事異動だったんですけれども、芸術新聴って移動してきたばっかりの時って企画の立て方とかがよくわからないから、誰かのサブについて勉強するんです。
ずっといろんなものを勉強してメインを張るんですけれども、初めてメインを担当したのがこれだったんですね。だからすごく記憶に残っていて、こういう春夏のことを勉強しようとすると、どうしても江戸絵画を学ぶじゃないですか、これだけじゃなく。
そうすると、その後に繋がる。そこで勉強したことが、じゃあ2019年2月、出来そうな日本美術史をやったんだけど、やっぱりそういうふうに勉強したものが溜まってって企画が作れるようになる。
なるほどなるほど。ちなみにこの恋する春夏展って、春夏展ってちょっと大きな展覧会があったじゃないですか、数年前。それよりも全然前。
はい、それはね、芸術伸長は80年代に最初の春夏特集をやってるんです。ところがその後、90年代終わり頃もやってるのかな、そのくらいまで。ぽっかりやらなくなるんですね。
なぜかというと、80年代っていうのは春夏を持っているということを美術館が公表してなかったんです。隠してたのまだ。言えなかった。持ってたとしても。そのために個人の在野の研究者のコレクションで特集を組ませてもらってた。
あ、そっかそっか。美術館が借りられない。借りられない。誰が持ってるかもわからない。ところがその研究者の方が、メインでよくお願いしてた方が2人、ご高齢だったことになってなくなっちゃったんです。そしたら全くできなくなっちゃったわけです。
春夏特集がもう画像がないから。
ところが国際日本文化研究センターが春夏を集め出して持っていることを公表し、ちゃんとアーカイブするようになって、あそこにものがあるから作れるんではないかということがわかり、やってみようと。
30:17
で勉強していくと、昔は春夏って男女関係なく楽しんでたし、かなりユーモアのあるふざけたこと企画もやってる。マネーモンとか小っちゃい人物が人の行為を覗き見して、小人が見てるみたいな。そういうふざけたものとかもあって、意外と楽しいな。
いわゆる今のポルノとはちょっとまた違ってる。
また違う。でそれをやってみようというふうにして、その後2013年12月に大英博物館で春夏展があったので、その時もまた特集をする。それは大英の時はこの時に勉強した知識が役に立ってる。
つながっていくんですね。
つながっていくんです。だから他の編集部員も、とにかくやたらめイタリア美術の企画ばかり立てる人とかっていうのは、知識が溜まっていって、この知識とこの知識を組み合わせると、この企画ができますねっていうのは、みんなそれぞれに。
みんなスペシャリストになっていくんですね。
なんか特化していく。
何人いらっしゃるんですか?
私を入れて9人です。
結構いろんな企画立てれますね、そう考えると。
そうですね。
ちょっとぜひ来年のも注目していただきたいなというふうに思うんですが、ここでいよいよ、僕が連載を担当していた漫画点評チクチク美術部について話をしてほしいということで。
はい。
2015年5月号から2018年3月号まで担当させていただきました。
ざっくり僕から言いたいんですよね。
そもそも点評っていうのが、展覧会の評論を副編集長がずっとやってきたけど、今の点評はヌルすぎるみたいなことを言い出して、ちょっと忖度してるんじゃないか。
なぜかというと、画像を借りるときに構成が入るんですよね。
それをないようにするには漫画イラストレーターに書かせて、構成通さなければいいんだっていう発明を思いついたらしく、その日に多分出会ってきて、
トニーさんやってくれないかみたいなことで始まったんです。
だから僕と井野さんっていうイラストレーターさんで展覧会に行って、展覧会をしかもチクチク批評するっていう連載だったんですけど。
これはどういう話で吉田さんのところに上がったんですか。
それはもう本当に企画会議でこういうことをやりたいんだと、副編が。
で、みんなうわー面白そうっていうのは、当然私たちからしたら、おべっか記事ばっかりではつまらないじゃないかっていう。
良いものは良い、悪いものは悪いってちゃんと批評することが大事だっていうのはみんな思ってるわけですよね。
33:05
だからもう万々歳で通りましたね。
この時にもう僕ってなってたんですか。
これ私なんか勝手に勘違いしてたんですけど、副編とトニーさんと井野さんがお酒を飲んで決まった企画だと勝手に思ってたんですけど全然違うんですよ。
違うんですよ。だから電話かかってきました。高山さんから。
でも最初からその3人、トニーさんと井野さんと副編で考える、やるっていうのは最初からでしたね。
なんで僕になったのかすごい疑問で、今も別にそんなに売れてないし、今もなんか底辺にいますけど、その当時本当に知名度が美術界でもほぼなくて、しかも原神さんに出るのが多分これが3回目なんです。
一番最初が銀座のガローの定談だったんです。
それこそこの前ゲスト出演いただいた日同の知恵子さんと坂宮ガローさんですよね。
僕だったんですよ。3人定談するっていうんで、別にまだ覚えてるんですけど、その3人で喋る。
僕そんなに銀座のガローにそんなに詳しくないけどなんか呼ばれて喋って。
当時なんかそんなに雑誌も出たことないし、ラジオも出てないしぐらいの時に、まあでもあの刑事審議所に乗るんだって言ってすごい気合い入れて、なんか盛り上げなきゃと思って喋った。
カメラマンさんがずっとバタバタと言ってたんですよ。実際は日同ガローさんで撮影だったんですよ。取材だったんです。
でその後にカメラマンさんが知恵子さんに、どの写真使いますかみたいな感じでたくさん見せてたんです。
でこれがいいわねみたいな。でその後相模が原田さんとかにも見せて、これでどうですか。
で僕のところに来たら2枚しか写真がなくて、どれにします。いやもうほぼ同じ顔。全然俺撮ってねえじゃんと思ったけど、まあそうだよなみたいな。そんなもんだよね俺はと思って。
そこはもう全然そういうもんだと思ってたのを覚えてるんです。でその次が原田マンさんとのトークショーだった。
施政堂でやった。その次がこれなんで、なんで本当僕だったんだろうっていうのはすごい疑問。
そもそも副編となんで知り合いになったんですか。
多分、多分ですけど、その時には多分吉田さんもいらっしゃって、施政堂でのなんかのパーティーで名刺交換。
多分ギャラリー関係だと思うんですよ絶対。施政堂ワードホールだったのを覚えて。こんなことやってますみたいな話は多分した気がするんですよ。
だから本当に、だからあれじゃないですか、その僕ってなった時にあれはなかったですか?編集部からこんなよくわかんないやつにやっていいのかみたいな。
全くなかったですね。なんでだろう。あ、トニーさんか面白そうだねっていう感じだったんですよね。
36:00
まあでも感謝してるのが、この連載中に僕はそれまで働いてたコンビニのバイトのコンビニが潰れて、仕事がなくなったんですよ一回。
でどうしようかなみたいな。まあそんなまだまだ稼げてなかったんで、バイトはだからまあギリギリしなくていいかなぐらい。
だからなんかギリギリ家賃払いしたのに、今度は家が立ち抜きになったんですよ。ちょっと建て壊すみたいな。
でその分、その時の7月ぐらいに言われて年内に壊します。だからその間のもう家賃いらないって言われて、あとはいくらか引っ越し代包んでくれるって言われて、円満な立ち抜きだったんですけど。
で今の場所に引っ越すんですけど、その時に収入を申請する時にないわけですよ、アートテラって。定期の収入が。
で一回家が借りれなくなるギリギリまで追い込まれた時に、芸術新聴でこういうのやってますって言ったら審査通ったんですよ。
だからあの時チクチクなかったら今のところ住めなかったんで、それはものすごいチクチク美術部に感謝してるんですけど、ただチクチク美術部のせいで出勤になった美術館が3館ぐらい。
あ、3館で住んだんですね。
そうなんですね。だからプラスとマイナスの点を見かけたら結構どっこいどっこいかなみたいな。
これでも最初は多分真ん中のページで一色だったんですよね。
はい。
それが2年目からカラーで裏拍子になったじゃないですか。あれはなんでそこまでこう。
それはね年季だったからです、連載が。
え、そうなんですか、連載。
そうなんです。でカラーにしようと。で、後ろから芸術新聴を読ませる雑誌にしようってバンって後ろに持っていったんです。
今聞いてめちゃくちゃ嬉しいんですけど、一切連載の反響のこと聞いたことないんですよ、副編集長。だから多分俺もだし井野さんもそうだと思うけど、何の手応えもなくやってたと思うんですよ。
反響あったんですか。
反響あったんです。もちろん業界の人たちからもいろいろ言われましたし、読者の方は純粋に喜んでくださるんですけども。
ほんとですか。それで3年も続いたんですね、じゃあ。
そうなんですよね。さすがに3年続いたらなんていうのか、取り上げる感が決まってきちゃったっていうのは、広げないっていうのかな。
マスコミがつく、新聞社とかテレビ局がつく大きな展覧会って、お行儀が良くて突っ込みどころがないんですよね、比較的ね。
ハメを外してくれないもんだから、どうしてもハメを外してくれそうなところばっかりになってしまうっていうのがネックで、そろそろかな。
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あと僕が印象的で覚えてたのが、広島現代美術館に個人的に取材に行ったんです。そしたら広島の方がチクチク美術部読んでますって言ってくださって、ありがとうございますみたいな。
西日本には来ないから、みんな西日本読んでたら楽しく読んでますって言われた時に、なんか嫌い受けない対岸の舵として楽しんでた西日本語みたいな。
移動距離もありましたよね。もう関東近郊から出れなかったから、確かに関東圏でやってましたもんね。
西エリアを攻めればよかったんですかね。
地方は安全圏と乗り込んでた。
富山県美術館でも仕事したことがある。水木、富山水木美術館の学芸人さんもやっぱり、うちには来ないくらいで思ってました。
だからチクチク美術部から入った人は、僕のことをすごい嫌な奴と思ってた。チクチクする嫌な奴と思われてたんで。
だから僕が普通にブログで、普通に好意的な記事を書くと、「あれ?普通に褒めてくれるんですか?」みたいな。俺、褒めない人と思われてたのかってくらい。
なるほどー。
だって結局、アートテラーってアートを広めたくてやってるのに、だから一応僕はバランス取った感じで書いてたんですよ。
批判もするけど、でもここよかったよね。ちょっと副編集長が褒めたところ全部赤文字で消してくるんですよ。
単純に俺、嫌な奴みたくない。バランス取ったはずなのに、みたいな。
どんどん過激になっていったような気がします。最初の頃よりもっともっとエスカレートしていきますよね。
あと僕が印象的だった回は、文化村ザミュージアムのイーター・ラビット展を取り上げた回があって、この回で僕が5年付き合ってた彼女と破局したことをネタにされた。
それは飲み会で言ったのがネタにされたんですけど、一応結婚するかもってことを親には伝えてあったんですけど、親はゲイシンを通じて破局したことを知る。
嘘。
そうなんです。わざわざ破局したいとは言わなかったから、ゲイシン読んで、あれ、別れた。ゲイシン通じて知られたっていうのも印象。
もう丸裸ですね。
丸裸で結構、墓場まで持って行こうと思った秘密を三井記念美術館が時刻絵展ワンダーランドの時にカミングアウトさせられて、それがもうネタになってた。飲み会で言っただけの話なのに。
うちは週刊新聴という媒体を持っている会社なもので、あ、これは使えるぞって言うと危険ですね、飲み会は。
42:00
本社の写風なのに撮れましょう。
ああ、でもそうか、絵は反響あったんですね。ちょっと今あんなって改めて。
やっぱり面白いっていうか、新鮮だったと思うんです。
なんかもう普通に展覧会を紹介して、出品作ならこれが素晴らしいとか、展示のスタイルがこれが素晴らしいっていうのが、比較的どの媒体でも同じことを書いているっていう中で、
そういう見方をするんだっていうのは新しいですよね。
あの時に言ってもらえたらもっとラバさんが、なんでこれ言われなかったんですかね、反響あるよっていう。一切聞いてなかったですね。
残念でした。
そうです。でも今聞けてよかったです。ありがたいなと思う。
ちなみにあとあれですもんね、芸術新聴さんで僕が空手を張る企画を今でも何度か、美術館トライアスロンという。
1日何巻巡れるか。
何巻巡ったんでしたっけ?
19巻。
19巻巡ったんだ。
この多分チクチク美術部卒業記念企画として、カラーで12ページぐらい特集を組んでくれて。
はいはい。
大特集ですもんね、あの時。
すごかったですね。
本当に走ってましたもんね。
だからこれ動画じゃないんじゃないですか。
もったいなかった。
ルールが1巻につき30分滞在する。5分見て終わりとかじゃなくて、まず30分絶対なきゃいけないっていうのと、公共交通機関しか使っちゃいけないというルールの中で、東京で何巻巡れるかっていうチャレンジで、朝9時の国立科学博物館から始まり、夜10時の森美術館まで13時間。
ノンストップで。
でもあれはトニーさんが悪いんじゃないかな。
トニーさんがもともと、そうですよね、提案したから楽しそうだなと思っちゃって。
だからあれは別に僕も悪いと思ってない。
いやただきつかったのが、ベニミュージアムっていう南青山にある美術館から、次の会場が森アーツセンターギャラリー、六本木るざです。
で、この距離でいうと多分1キロ以上あると思うんですけど、これをタイムスケジュール的には7分で行かなきゃいけないって言われてて。
で、副編集長とカメラマンが一緒に回るんですけど、基本的にタクシーで先回りするんですよ。
だから僕が30分滞在してさえ行きますってなった時にはもういないんですよ。
で、動画じゃないから、どこで写真撮られるかがわかんないから打ち合わせをするわけです。
そしたら六本木ヒルズのママン、でっかい雲のところにカメラマンがいるから、そこを通過してる時を撮るから。
だからそこはカメラ見ないように。
言われて、わかりましたって言って僕は次回になって走るわけですけど、
もう西麻布とか走ってる時、俺なんで走ってんだろうね。誰もいない中一人で走り続けて。
それでその雲の横をスッと通ったら、今フラッシュ叩かれたから今写真撮ったなって思って、
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はぁーって思って足を止めたら7分走り続けてきたから。
そしたら副編集長が後ろから来て、僕の背中をグッと押して、まだ走れみたいな。
写真撮られたからオッケーじゃねえぞみたいな空気で、結局休まないままずっとやったから、
もう薪に巻いて結局2、30分余っちゃったんですよ。
っていうオチだったんですよ。だからもう一回行けたよねみたいな。
だからあれは僕のスケジュールではそんなに急がなくてよかったのに、
なんかすっごい走らされ続けてっていうのが印象的でしたけど、
まあでも楽しかったですけど、あれですよね。
で今度2019年には芸術祭トライアスロン。
そうなんです。あの美術館のトライアスロンがあったので、
だったらもうちょっと広範囲にしても行けるんじゃないかと。
愛知トリエンマールと瀬戸内国際芸術祭と岡山芸術交流かな。
この3つを3泊4日で巡るっていう。
そうなんですよね。たまたま同じ時期にやってるっていうのも素晴らしいし、
まあ方向はね、北海道と九州とかじゃないから。
東京から西の方にこう行けば。
ちょっとずつ西に向かってるだけだから。
これはあれですよね。吉田さんの発案ですよね。これは僕が言ったわけですよね。
でもそれは美術館トライアスロンがあったのでヒントになってます。
これはすごい僕はありがたい話だと思うし、やっぱり光栄だったんですけど、
ただびっくりしたのはもう決まったからって言ってオファーが来たんですよ。
企画会議通ったからみたいな。
いや普通まずキャスティングする時にこれやれるって聞いてから企画会議通したのかなと思ったら、
企画会議で僕がやる前提で話が進んで、
もう通ったから大丈夫みたいな感じだった。
そうでしたっけ。
それはね、美術館トライアスロンの続編だと思っちゃったから。
だし、しかもあれですよね。
まあそれはしょうがないですけど、吉田さんが本当は同行するはずだったのに、
ちょうどそのタイミングで入院されて。
それは狙ったかのようにね。
いやあれきつかったですよ。
3泊4日がきつかったというよりは、
締め切りのせいで結局翌日に原稿を書かなきゃいけないみたいな感じで。
そうでしたね。
それが一番きつかった。
3泊4日で許してもらえない感じの。
まだまだ続きがあるぞと。
まあでもなんかありがたい話だなと思うんで、また体張る企画があれば僕は何でもやる。
考えないといけないですね。
そうですね、体張る担当だと思っておりますので、何かあれば。
そううちね、編集部がなかなか高齢化しておりますので、
体力勝負は全部お任せで。
さあということで、でもあれですね、
今年2020年はいろいろ大変だったんじゃないですかということで、
先ほどもちらっと出てきましたけど、コロナ禍で雑誌が大変だったんではないかと、
その辺をちょっと伺えたらなと思っております。
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展覧会、企画によっては展覧会と連動して、
この時期に長寿ギガ展があるから長寿ギガ特集をやろうとかって考えて企画を立てるじゃないですか。
さっきチラッと長寿ギガとかしてたけど、これ本来だったら東博でやったわけですね。
そうなんです。
それに合わせた企画だった。
企画。
で、よりにもよってコロナが流行り始める頃に、
ダダダダッと展覧会連動企画があったんです。
そもそも4月号がロンドンナショナルギャラリー展に合わせてロンドンナショナルギャラリーの特集です。
で、5月号が東博の着物展に合わせて着物の特集を。
で、7月号に長寿ギガ。
3回連続だ。
だったんです。
4月号の段階では3月25日売りだから、2月の半ばにはもう編集作業に入ってるんですね。
で、その段階では危険かもね危険かもねっていうのはあったんですけど。
また展覧会が開かれないかもねってことですよね。
そうですそうです。
展覧会無理かもっていうのはあったんですけど、そこでもう差し替えるっていうのは間に合わないんですよ。
時間的に。
もう新しい企画にできないという。
できないんですよね。
で、それはなぜかというと私たちは取材を2ヶ月前ぐらいにやってるんです。
実際ロンドンに行かれたってことですね。
ロンドンに行ったのなんて2019年の秋頃ですので、もうずっと前に行って準備をしてここに合わせてきてるんですけれども。
で、発売になる前に開幕延期がもう決まっちゃったんでしたね。
で、その後、着物特集が控えていたんですけど、その時点でも。
東博が一番最初に締まりましたもんね。
そうなんです。
あの時には。
で、着物特集はそうは言っても、もうちょっと先だから開くかもねっていう希望的観測を持っていたんだけど、やっぱりダメだったと。
で、長寿着がの時はさすがにもうダメだと、これは無理だ。
延期にきっとなるに違いないと思いながらも、でも長寿着が人気だからせっかくこれまで企画を進めてきて取材も済ませて準備したんで出してみよう。
で、出したらとても売れた。
で、ロンドンとかは意外と苦戦したんですか?
ロンドンも着物も売れたんですけれども。
意外とそんな展覧会に合わせて皆さん買うっていうよりは。
よりは。
単純に興味持ってやってください。
だったんだなっていうのがちょっとびっくりで終わったんですよね。
で、その後に展覧会に合わせるとかどうとかの前に取材ができないっていう状態になっちゃったわけですよね。
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人と会えない。
はいはい。
それでもう最後困ったのが8月号。
この特集、現地を体感保存版いつか行ける日のためにとてつもない絵というやつですね。
もう私たちは何も企画ができない、取材ができないから新しいことができないので、
芸神って1950年の創刊なのでストックがものすごいいっぱいあるんですよ。
過去の海外特集から絶対に日本に持ってくることができない天井画であるとか壁画であるとかっていうのを見に行こう。
いつかコロナが終わったらっていう特集にしよう。
これでもってことは8月号は本当は違うやつをやる予定だったのがあったってことですよね。
違う特集だったんです。
北海道をやろうと思った。
それはウポポイが今年。
それに合わせてウポポイもやりつつ北海道を旅しようみたいな。
全然旅なんかできないような企画だったんです。
何なら北海道が頼りさもんね。
そうなんです。
でも
これはじゃあどのタイミングでこのとてつもない絵に切り替えようになったんですか。
切り替えになったのはですね、
5月ぐらいかな。
8月号とか7月に出るわけですもんね。
7月に出るわけですよね。
2ヶ月で準備したんですか。
そうなんです。ものすごい特急で準備をして、全員で分担して描いたんです。
ストックといっても過去20年ぐらいのいろいろな私たちがヨーロッパで取材してきたものの集大成みたいなものなので、
いくつかは今残っている編集部員が取材しているものがあるんです。
そのいったことのある人たちにも、
はい、あなたはこのページ、あなたはこう、みたいな。
で、分担してわーって作ったっていう。
これまだ買えるんですか。
これはですね。
ほぼ完売。
バックナンバーを置いてくれている大型書店とかならあるかなっていう感じで。
ぜひチェックしていただくかも。あとはもう図書館とかで見たい人はぜひ。
でも8月号以降もやっぱりその急遽の企画もやっぱあるんですか。
何気に急遽ではないんですけど、三島幸男特集も当初の予定では入ってなかったんです。
そういうのもあるんですか、今回。
そうなんです。この8月号以降、後半ですね、12月号に至るまでの特集は全部変わったんです。コロナのせいで。
できない、できない、できない、できないっていうので。
それで、それはその展覧会に合わせて10月号で予定してたとかっていうものも全部展覧会が動いちゃったから。
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それで三島が11月25日が有効期だということで、じゃあやってみようと。
それこそ10年以上前かな、三島特集をやってるんです。
なのでまた担当者が過去とは同じことができないと頭を抱えながら作って。
これじゃあ今後も、今まだ取材はあんまりできない。
海外は基本できてないですね。
これはやっぱり来年2021年以降のスケジュールにも影響出てるんですか。
今は2021年以降の仮で企画は決めていますが、展覧会連動がもしかするとダメになるものは出てくるかもしれないっていうのはありますよね、今後のことで。
これやっぱりこれまでにないぐらい雑誌界にとっては大打撃というか、衝撃。
衝撃的でしたよね。
特に海外から作品が来るっていうのがもう絶望的になったじゃないですか。
ボルストン美術館展がもうそもそも中心になっちゃったりとかって。
そういうことが起こるんだっていうのがやっぱりびっくりしちゃって。
来年も海外から来る展覧会だともしかするとダメになる可能性もあるかなという、ゴワゴワしてるところは。
まだ見通せない状態ではあるんですよね。
でもそこでも雑誌は作り続けなきゃいけないわけですよね。
逆にそれをちょっと分かった上で芸術に注目すると、興味持てるかもしれないですね。
これが突然変わった特集だっていうところまで分かってもらうとすごいですよね。
確かに確かに。
ぜひ見ていただきたいなと思いますが、もうあっという間にお時間がやってきましたので、これ以降の話は続きということでございます。
次回は年末最終回の年末特別編となっております。吉田編集長と一緒に2020年の美術展を振り返っていきたいと思います。