1. そろそろ美術の話を...
  2. #140 Nerhol 種蒔きと烏 Misre..
2025-09-13 1:04:14

#140 Nerhol 種蒔きと烏 Misreading Righteousnessについて 後編(Nerhol(ネルホル))

アーティストデュオのNerholをゲストに、埼玉県立近代美術館で開催中の「種蒔きと烏 Misreading Righteousness」展について伺いました。

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://sorosoro-art.vercel.app/ep/140⁠  番組の感想は、⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#そろそろ美術の話を⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ でお願いいたします。⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠番組公式Twitter⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠もフォローをお願いします!


Guest Profile

Nerhol(ネルホル)

  • グラフィックデザイナーの田中義久(1980-)と彫刻家の飯田竜太(1981-)により2007 年に結成されたアーティストデュオ


Show Notes

Nerhol(ネルホル)

展示について

サマリー

ポッドキャストでは、アーティストデュオネルホルの展覧会「種巻きとカラス」について詳しく語られています。作品は、来館者が持ち帰ることのできる和紙と種を用いており、体験を通じて記憶や関係性を育むことをテーマとしています。このエピソードでは、Nerholの作品やその展示における体験が語られ、アートと空間の関係性が強調されています。また、絵を描くことへの情熱や美術への興味がどのように形作られてきたかに焦点が当てられています。 ポッドキャストのエピソードでは、デザイナーの田中氏との出会いや、フィジカルな体験の重要性についての気づきが語られています。さらに、グラフィックデザインと彫刻の境界を超える作品づくりの過程や、初期の苦労を経て結実したプロジェクトについても触れられています。 このエピソードでは、Nerholのアート制作における経験や苦労、美術に対する関心が深まる過程が話されています。彼らのアートが海外で評価された背景や、相互理解を深めるためのコミュニケーションの重要性についても掘り下げられています。ネルホルの展覧会「タネマキとカラス、ミスリーディング、ライチャスネス」について、制作の過程やパートナーシップの重要性が語られています。

展覧会の概要
はい、アートテラー・とにのそろそろ美術の話を、この番組は私、アートテラー・とにが アートに関わる方をゲストにお迎えして、トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
今回は前回に引き続き、アーティストデュオネルホルの 田中義久さん、飯田リュウトさんをゲストにトークをしていきたいと思います。
ということで、後半もどうぞよろしくお願いいたします。 展覧会の話が入りきらなかったので、前半に引き続き、ぜひぜひということですけれども、改めて今開催中の展覧会のタイトルをよろしくお願いいたします。
はい、ネルホル、種巻きとカラス、ミスリーディング・ライチャスネスを サイトバケニッツ禁断美術館でやっております。
前半では伝えきれなかったんですが、この種巻きとカラスという名前のついた インスタレーション作品も今回あるんですよね。
これはどんな作品なんでしょうか。
手作りの和紙を、この展覧会用に作りまして、
一つは白い和紙、もう一つは黒い和紙で裏面が白い和紙という、その間に種が封じ込められている、本物の植物の種が封じ込まれていて、
それをそのまま水につけてもらえば発芽しますし、土に植えてもらえば発芽できるようになっているので、それを持ち帰ってもらうと。
持ち帰ってもらう時に自分がどちらの和紙をもらうか決めてもらって、
白い和紙を持って帰る時は白いシールを向かいの壁に貼って持って帰る。
黒いものを選んだ人は黒いシールを貼って持って帰る。
自分のところにその展覧会の記憶とかそういうものを持ち帰ってもらうというのもあるし、
置かれていた和紙がシールとしてそこに残されるということもあったり。
赤く当然来館者が一枚持っていたら減るけれども、その後シールは一枚増えていくという。
種を蒔いたら持っていかれる、持っていかれてなくなるけど何かが残る。
でもそれは後から来た人はそれが両方見える状況なので、
これは互換しているようにはわからないけれども、実際体験してもらえばわかる。
見るだけじゃなくて体験することでわかることもあるし、
みたいなことも伝えたかったし、
それを持ち帰った後、どっちを持ち帰ったかということを考えるきっかけにもなるし、
それをやって植物を育ててくれればまたそれは嬉しいかもしれないし、
いろんな関係性の作り方があって、
それを見方とか体験の仕方とか感じ方がそれぞれ違っているということを
すべて包括しているような、
一つの出ながらずっと続いていくみたいなタイミングを作りたかったというのが、
作品の設営と構造
ハガキの作品かなと思って。
今回このためにハガキは何枚作ったんですか?
1万枚ですね。
毎回おかしいんですけど、1万作ったんですか?
そうですね。
全部手作りで?
手作りですね。
でもそれは和紙屋さんの、
普段我々とお世話になっている方に相談して、
こういうのを作れないかというので作ったんですけど、
でも1万人の方が持って行ってくださったら、
無くなるということを考えると、
そこは空になってほしいなと。
確かに確かに。
無くなってほしいという。
確かに。
残ってしまうということは?みたいなことですもんね。
そうですね。
皆さんが皆さん持って行くわけではないんですけど、
でもやっぱり今井田が言っていた、
黒いシールか白いシールを貼って形跡を残していく、
用意された壁面があるんですけど、
そこにもいろんな傾向が出ているというか、
もう既にですか?
もう結構数千枚は貼られているので、
集積されている場所というか、
誰かの後を追ってそこに重ねにかかっている人とか、
できるだけ誰とも被らないすごい高いところとか、
すごい床とのギリギリのところに貼っている方とか、
いろいろいるんですよ。
いろいろサンプルが取れてきたわけですね。
ある種の集合体みたいな状態がもうできてきていて、
すごい面白いなと思って。
結構定期的に行かれているんですか?
お二人は今どうなっているんですか?
そうですね。行ってますね。
メンテナンスもあるし、
イベントもあったりするので。
これメンテナンスは何のメンテナンスなんですか?
ブランチっていう枝の作品があるんですけど、
それが来場者の方々にことごとく壊される。
これ注意喚起しなきゃダメですね。
何でですか?あの作品。
3回壊れたんです。
いやいや、4回。
4回壊れたんです。
足元に置いてあるからどうですか?
そうなんです。
床置きとか直置きだから。
本来はもちろん美術館なんで、
これ以上近づかないでくださいっていう。
撤回的なの?
撤回的なものとかシールをラインで貼ったりするものなんですけど、
これはどうしてもしたくないというか、
自分たちとしては、
そこの空間の隔たりを作りたくないっていうのがあって、
そうするとオノズとぶつかるというか。
自分で巻いたタネってあたりのタネですよね。
そうなんですよね。
これはちなみにどういう作品なんですか?
一見すると木の枝が置いてあるように見えるけれど、
そうですね。
ブランチって透けてるので枝が並んでるんですけど、
基本的にいくつかの空間に配置してるんですが、
並んで2本の枝がペアになって配置されているものが
数箇所あるっていう感じになっていて、
実は元々は1本の枝でできていたものを
細かく輪切りにしていく。
その輪切りにする際に、
1つ目の基数をAに、
偶数をBみたいな感じで。
ダルマ落とし的な感じでいうと、
1、3、5の1つと、2、4の2つと、
ああいう感じで輪切りにしてってことですね。
それを個別に分けて、
それを順列はずらさないで、
2、4、6、8、10みたいな感じで
並べていくと。
そうすると、1本の枝でできていたものが
半分ぐらいに縮小されて、
2本の枝が生まれるっていう構造になっていて、
ただやっぱり1本の枝から
順番に平均して落としていっているので、
自然界には見られないような、
同じような形の枝が並列される状態。
ただそれって基本的に1本の枝なんですけど、
2本になることによって
2本の枝っていう誤読が生まれたりとか、
あるいは自然物として、
枝は自然物なんですけど、
2本にすることで、
自然界ではありえない、
同じような形になって、
人工的な要素がそこに加えられているっていう。
じゃあ、逆説的に、
これを2本の枝って呼ぶことが
間違っているかっていう話になったら、
それも別に間違いではない。
ものとしては2本の枝ではあるけど、
そもそも1本の枝。
つまり、どこからそれを鑑賞して、
鑑賞されるかによって、
その枝の存在っていうものは
全く違う構造になるっていうのを、
2本っていうものに端的にすることによって、
捉えていく構造に、
彫刻を施すことで生まれる構造にしているっていうところが、
1つわかりやすいポイントというコンセプトですね。
千葉市美術館の時には、
普通に壁にかけて展示してありましたよね。
今回だからあえて床。
そうですね。
それも、もともとは壁にかけようと思ってたんですけど、
その床のカーペットを剥がして
積層した状態にした時に、
床が本当にすごく、
思っていた以上にいい空間になって、
この壁かけしていったものを、
床のほうがいいんじゃないって、
途中で設営中に変更したものですよ。
そうすると、今までは壁かけの枝みたいな、
つまり、ある種、もともと垂直に伸びる木材の枝なんで、
それが垂直ではなくて、
水平に並べたりとか、
あるいは縦軸に並べるだけではなくて、
横軸に平立化したり、
もっと言うと、上下を逆さまに配置したりとか、
二本を入れ子状態にしたりとか、
その行為をさらに床にすることで、
変化を伴うような構造が生まれて、
一気にこの枝の潜在価値を広げれたっていうのがあって、
実際、今回床の作品を多く買ったり、
壁面との関係を結ぶためにも創画してるんですけど、
枝がそれぞれの役割の間をつなぐ役割として機能してくれて、
すごく納得いく空間になったなっていう感じはするんですけど、
そのせいで床を置いたせいで、
ポイントとして効くところに置くので、
オノズと当たるというか。
でももう一つ床置きの作品というと、
黒川さんの店どころのガラスのファサードの
波々の局面のファサードがある部屋があって、
そのところにも床に作品がいくつか置いてあるじゃないですか。
あれは踏まれたりはしないと大丈夫ですか?
それは全然大丈夫ですね。
ちょっと足でこついちゃう人はいますけど、
本当にポジションがいいポジションに置いてあるので、
人が本当に石と石の間をちょうど通っていけるような感じで置いてあるので、
奥にも行きやすいし、
飛行機で見ても面白いしみたいな。
じゃあ大丈夫なんですね。
その置いてあるものを改めて説明してもらってもいいですか?
はい。
軽化木という石。
もともと木のだったものが、
すごい長い時間地表の中に埋設されて化石化したものを素材にしています。
触ると普通に石みたいになっています。
固くなっている。
固くなっている。本当にただの石なんですけど、
もともと木だったので、石鳥用のカッターで輪切りにすると、
中から年輪が出てくる。
その軽化木は軽石といって、
石を見るために、風景を作るために、
石の愛好家の人たちが、
石の外側を磨いたりして、
もともと木だった石だよ、みたいな。
庭石的に楽しんでいたんですか?
そういうすごくいい軽化木みたいなものを、
すごくきれいにしつらえて、
木の台座をつけて、
床の間に置いたりしていたものなんですけど、
そういうふうに削っていけば、
もともと木でやったことは、年輪が見えたりするのが分かったんですけど、
木の年輪を直接的に見せてしまうと、
すごく年輪ですよね、
分かりやすい状態になってしまうというのもあるんですが、
そこには、それを見れば、
すごく長い時間を感じるということは分かるんですけど、
それが今の状態まで続いているということが、
すごく大事なことかなと思っていて、
それで、軽化木の表面を鏡の状態にするために、
軽化木を少し削って、そこに鈴を流し込んで、
平滑的に削って、
人工的な鏡を石の表面につけると。
千葉市美術館の時は、結構見えている感じですよね?
あの時は見えていなくて、
切った断面を床に置いて、
下の方の床と上の階の床が軸譜を超えて、
3度されているという。
階数を変えて、
全く同じ配列ので、
オスメスじゃないですけど、
同じ位置で挟んでいる状態だったという。
その時も、みんなで想像してほしいと。
その年輪の部分が。
見たところで、
時間を考えることは、
そもそも年輪でしかないので、
できないし、
軽化木も何千年とかというレベルじゃなくて、
何万年、何千万年みたいなレベルの時間軸を持って化石化しているので、
そういったものを捉えることを想像したり誘発する行為って、
人によって全然違うじゃないですか。
見たとて、それを想像することもできないし、
でも逆にそれを想像しているのは、
その鑑賞者本人であって、
それがダイレクトに返ってくるような状況。
自分自身がそれを想像して、
時間を捉えようとしているということを、
考えてもらうための装置みたいにしていたところはあるんですよね。
先ほど飯田が言っていた、
ミスアンダスタンディングフォーカスというポートレートのシリーズ。
あれはある種のポートレートなので、
鑑賞者という被写体は人が固定されている状態なんですが、
そこに映し出されている顔は、
私たちが元々の素材で知っている顔とは全く違う顔だったりするので、
最終的に完成している人型のポートレートの顔と、
元々の本人は全然違う顔だし、
初めて見た人は被写体の状態の顔を顔として認識する。
すでにそこで毒が生まれていたりして、
そういったことがもう少しダイレクトに、
空間全体で感じ取れるような状況を考えていきたいとなった時に、
Nerholの作品と展示体験
鏡で常に環境だったり映り込む存在を変化させていくような作品を
リプレゼンテーションという名前で作り始めたところがあって、
そのリプレゼンテーションと経過木の表面というものが
一体化して空間構成された場所になるという感じですね。
僕が行った時はプレゼン内覧会で閉館後の時間だったので、
ちょっと夕方だったんですけど、
日中見るとまた違ったんだろうなと思ったんですけど、
光がもっと差し込む空間だろうし、
やっぱり見る時間によっても感覚は変わりますか?
かなり変わると思います。
もちろん風景がほとんどが窓ガラスで見渡せる空間だったりするので、
それがダイレクトに鏡面に映り込んで、
それ自体が変化していく状況もあるし、
あとは時間帯によって光の差し込みが全然変わったりするので、
同じ場所に立っていても鏡面が光り出したりとか、
自分自身が映り込んでいく場所が変わっていったりするんですよね。
あとは天気によっても全然印象は変わりますね。
どの時間もお勧めだと思いますけど、
お二人なりのこの時間お勧めだよがあれば是非是非。
自分の好きな時間。
朝ですね。
午前中タイム。
反映の時に大雨が降ってたんですよ。
雨が降っていると窓ガラスに水滴が結構溜まっていて、
もっとノイズが走っているというのがあって、
雨の日も結構綺麗だなと思いました。
今回のズロックはこの番組の時にはできているのかもしれないですけれども、
ズロックはどの瞬間の写真を撮るか決めたんですか?
天気風景の写真が載るわけですよね、ズロックが。
あります。
千葉でのカタログもそうなんですけど、
今回のカタログも非常に、
ある種、空間で人が滞在して体験していく感傷体験を、
本でできるだけ感じ取っていただきたいみたいなところがあって、
人って本当に空間にいると、
その作品一点を一つの方向から見るということはなくて、
いろんな高さだったり角度だったりからそれを読み取ろうとしたり、
あるいはもう一つ、先の作品との関係性を読み取ったりとか、
いろんな感傷体験をしていると思うんですけど、
そういうものが本一冊で、完全には無理なんですけど、
めくるという行為だったりとか、
ある種、本も時間を見ているので、
そういったものと、人の感傷体験の時間軸を合わせながら作りたいという感覚があって、
なので、1個の作品で1点だけ写真が載るということはほぼないんですよ。
いろんな角度から撮ったりとか、スケッチャーして撮ったりとか。
あとは、他の作品との繋がりを考えたり。
時間も同じことが言えて、
日曜日だけ撮り終わっているとか、昼だけでということはなくて、
何回も撮ったりしているんですよね。
それがある種、交差しながら展示風景として入れ込んだりするので、
本は本ですごく面白いものを見れるかなという。
展覧会、どれだけ好きな人でも1個の展覧会で、
2回、3回ぐらいしか行かないかもしれないけど、
他の時間が体験できると思うんですね。
しかできないことと、
やっぱり展覧会自体はどうしても終わりが来てしまうので、
タイミングよく来れる方はいいんですけど、
来れなかった方に向けて、
なるべく同じような体感をしてもらいたいなと思ってやっています。
美術への興味の起源
なるべく早く出来上がることを祈るのってことですね。
本当ですよね。
今、ないものの熱い語りがあるんですよね。
本当ですよね。
でも千葉はそういう風に考えながら作りました。
どうですか、千葉の担当者、今竹林さんがいますけど。
ズロクに関して。
ズロクはもちろんグラフィックデザインがやられているので、
どういうこともないんですけども、
私は改めて千葉と埼玉という2つの近しい距離にあるとおっしゃいましたが、
全然その会場の美術館の成り立ちも違えば、
持っている文脈も全く違うところで、
1人の作家が1年という時間の中で、
2つの全く異なる展覧会をやったっていうことが、
今、どれだけすごいことかということを改めて強調したいなと思いますし、
千葉をご覧になった方もぜひ、
むしろ千葉をご覧になった方こそ、
最短を見てもらいたいなと思っていて、
だから本当に、
ズロクは早く見たいなって思ってるんですけど、
その前に展示を見てもらうっていうのが一番いいな。
2つの展覧会を対比してみる面白さっていうのが、
本当にありますもんね、今回に関しては。
全くの別物だと思うし、
あとやっぱりすごく印象的だったのは、
それこそもう埼玉近備も何回も言ってます。
千葉市美も何回も個人的に言ってるんですけど、
改めて千葉市美ってこういう空間なんだなとか、
埼玉近備ってこういう空間。
もちろんネルホルさんの作品も楽しめるけど、
美術館がこういうとこだったんだって感じてたのが、
すごく印象的でした、どっちも。
多分それは空間を読み解いて、
制作されてるからなんだなってすごくよく分かって。
今後でもやっていくのは決まってたりするんですかね、
この個展とかは。
美術館でですかね。
いや、今は決まってないです。
でもまだやっていきたいですよね、今後もってことですね。
そうですね。
これはでも中部さんが新しい空間見つけてこいよっていう。
こっちへのプレゼントですかね。
こっちへのか。
もう1年後も見たいんで、僕。
来年も、ファンとして2026年みたいに早急に。
僕も見たいです。
早急に会場を見つけてきていただいて。
ぜひ見ていただきたいなと思うんですが、
ここからは改めてお二人の一隣りを聞いていきたいなと思うんですけれども、
この番組で毎回している質問がありまして、
いつから美術に興味を持っていましたかというのを聞いているので、
それぞれ聞いていただきたいなと思うんですが、
どちらからいきましょうか。
いいですね。
田中さんがいきますか。
私は美術っていう言葉は全く意識していなかったんですけど、
絵を描くのは本当に早かったんですよ。
本当に3歳とかから風景とか描き始めちゃいました。
普通の子供が描く絵じゃなくて。
風景側です。
意識していると風景を描こうと。
風景を描きに行ってたんですよ。山に登って。
3歳で。
風景が出てると。
残ってるかな。
その前は車とかも描いてたのは当然。
そういうのは全く描いてない。
最初から風景が出てる。
天才時代ですね。
うちがすごい田舎で、
親もちょっと変わってたんで、
もともと焚き壺だったところに家を建ててるんですよ。
噴水的にいいとかなんとかっていう話だから。
水はもうなくなってるんですよね。
ただあれなんですよ。
結構掘り下げていく普通に。
水源が下にある。
山にものすごい土を掘って固めて、
地流しして家を建ててるみたいな。
だから周りにまず家はなかったんですよ。
そこに住みたくてってこと?
そうです。
父親の考えでそこがいいということで、
そこに家を建てたっていう状態。
だから裏を見れば裏山というか、
周りは森みたいな。
元滝ですからね。
いろんな生き物を描いてたんですよ。
まずニワトリが40羽くらいいたんですよ。
ジャクチュウみたいな。
話しがいで飼ってたんですけど。
そのくらいになっちゃうんですかね。
そういう遊び方しかないっていう。
だから弁廷にあった上でなんですけど、
絵を描くのが好きだったっていうのはあるんですよね。
母方のお父さんがみんな画家だったりとかして、
家中に絵がたくさん飾ってあるっていう状態で、
モノロコンについた時点でそれを真似する行為になってた。
小学校くらいでもう絵描きになりたいみたいになってて。
親戚もそうだし、自然な流れだったんですよ。
みんな亡くなっちゃってたんで、
存在は話したことないんですけど。
師匠になる人はいなかったですね。
だけど絵はたくさん。
家にいっぱい飾ってあったっていう状態で。
絵描きになりたいみたいな気持ちになっているのを
父親に見透かされて、絵描くなみたいな。
ダメだったんですか?
ダメでした。
また田舎で父親もそういう画像師とか全然ない人だったんで、
絵じゃ食っていけないみたいな。
もうダメだったりなって。
それがものすごい辛くて。
本当に好きだったんで。
なんとかして絵みたいなのを続けたいっていう風にだんだん変わっていって。
それで見つけたのがデザインっていう。
職能として社会に認められてるっぽい。
実際認められてるか置いておいて。
っぽい職能があるっていうので、デザイナーになるみたいになって。
それ小学校の時にも?
いや、それ中一までかかりました。
中一ってデザイナーは早いっすね。
そういうジャンルすらあんまりわかってなかったので、
あんまり意識できてなかった。
デザインもジャンルもいろいろあるけど、やっぱグラフィックだったんですか?
絵に一番近いところ。
視覚的なっていうところでそこにたどり着いて。
デザイナーになるっていう。
それはお父さんはオッケーだったんですか?
そう、デザイナーはオッケーだったんです。
手に職があったっていうイメージなんだ。
職業っぽいっていうところだった。
でもそれは許してもらえたんです。
そっからすぐ美術系の方に。
でもそっからもグラフィックデザインの道に進んでいくってことなんですか?
実際にそれを始めたらすごい楽しくて。
グラフィックデザイナーっていうもの自体にすごく統制していて、
っていうあれだったので、
学生時代はずっとデザインのことばっかり考えてたし、
今でももちろんグラフィックデザイナーをすごく考えてる。
でもその頃はグラフィックデザインでやってた頃は、
美術館でまさか自分が展示すると思ってなかった?
全くそういうのは考えてなくて、
ただ単純に描いてるのが好きとかそういうレベルでしたし、
言ってしまえば飯田に会うまではほとんどそこから抜け出してないっていうか。
今は絵描かないんですか?
描かないですね。
描きたいもないんですか?
完全に描いてもいいんですけど、
むしろそこにもうこだわりがなくなっているというか。
なので飯田に多分会わなかったら、
そろそろ美術をまたぶり返してないと思います。
デザインと制作の関係
前半の時にはさらっと言われたけど、
飯田さんに会うって言ったってことですか?
いろんな人がいるわけですよ、世の中には。
いろんな芸術家もいろんなことがあって。
それも明確にあって、
飯田が当時作っていたのは、
本をカットする作品なんですよ。
で、本っていうのはデザイナーからすると
ブックデザインなんですよね。
だし、そこには文字が存在しているので文字組なんですよ。
しかも紙媒体で、それをカッターでスライスして作品だったんですけど。
で、また飯田を知ったきっかけが、
ひとつぼてんっていう、
ガーディアン・ガーデン。
リクルートとかやってる。
その章ってグラフィック部門なんですよね。
そこに出してて、
グラフィックの人じゃないように。
で、対象を取って、
それで知ったんですよね。
それを見た時に、どう考えてもグラフィックにしか思えなかったんですけど、
なんか筋を調べたら彫刻家って言ってるみたいな感じになって、
なんなんだろう?
どういうつもりで彫刻として取られてるんだろう?
グラフィック的目線から気になった。
それで、知り合いの知り合いぐらいの距離だったので、
その時に初対面?
初対面ですね。
その時の第一印象を覚えてるんですかね?
僕はデザイナーが嫌いだったんですよ。
デザイナーという職種が。
恋愛者みたいな。
お互い第一印象はあれだったけど、みたいな。
結構嫌な思い入れがいっぱいあって。
しかもそういう人もたくさんいたわけですよ。
田中さんだけじゃなくて、
いろいろ甘い言葉をかけてくれるおじさんとか、
そういうのもいっぱいで、
田中氏との出会い
ただ働きさせられたりとか。
そういう口がうまい人。
社会の先例をデザイナーという肩書きの方からたくさん受けたので、
またこの輩かと思って。
だけど歳が近いっていうのは、
そういう人からは声をかけてもらえなかったから。
しかも面白そうだったし、
行ってみようと思って行ったんです。
それがアーストコンタクト?
アーストコンタクトでした。
でもそこの後は、
あんまりこんなデザイナーの人いるんだと思って。
その時に田中さんに出会って一番すごかったのは、
今でもそうですけど、
デザイナーっていう人たちは、
いろんなものを、
とにかく知見が広いっていうことと、
とにかくそれを組み合わせたりしながら、
新しいものを作り出していったりとか。
あとは依頼されたものに対して、
プラスアルファ自分の何かを足して、
オファーされたものに対して答えを出していくっていうことが、
デザイナーなのかなとか、
もっと違う側があるかもしれないですけど。
どこかですごくコミュニケーション能力が高かったりとか、
ちょっと自分の中でのフィジカル性みたいなものを
失っている仕事なんじゃないかっていう
決めつけてたところがあったんですよ。
だけど田中さんは、
自分もその当時座っていた椅子の後ろに、
紙の棚みたいなのを作っていて、
いろんな種類の紙が入っている棚みたいなの。
それを自分の手で触ると、
これが何の種類かわかるみたいなことを言い始めたんですよ。
紙を触ると。
テイスティング。
紙テイスティングみたいな。
モンパイです。
触るだけで見なくてもいけるってことですか?
モンパイですからね。
麻雀みたいなものですね。
触り心地でわかる。
この紙は何とかだ、この紙は何とかだっていうのがわかっていて、
それを見たときに、
こんな人いないわって思ってて、
それはやばいと思ったんですよ。
確かに紙屋さんとかに行けばわかるかもしれないけど、
デザインでフィジカリライズされている人だったら、
なんか面白い話になるかもしれないっていうのと、
あとはもちろん本に興味があったりとか、
っていうのが全然違う人なんだなっていうのが、
わかった瞬間でした。
初期のプロジェクトと苦労
それで話してて、
この人だったら展覧会とか美術作品作れるって思って、
声をかけたんですよ。
でも美術作品を作るという感覚というよりは、
話してても、こういう感じで話して、
何、どういうことですかみたいな、
彫刻ってどういうことですかみたいな感じで話してても、
いまいち話が噛み合わなくて、
最初は。
その日初めて会って、
そのまま8時間ぐらいずっと話してたんですよ。
昼前ぐらいで夜になる。
酒とか飲んでた?
飲まずに普通に会話してて、
ずっと話が合わないんですけど、
徐々に疲れてるのもあるかもしれないですけど、
根源的な部分でつながるような感覚になってくるっていうか、
つまりそれはある種グラフィックデザインという文脈とか、
彫刻という文脈とかそういうことじゃなくて、
そもそも何がしたくて作っているのかとか、
もっと言うと何が楽しいとか、
もっと根源的に色の具が剥がれて、
なぜ作るのかみたいな、
そういうことを話していく中で、
ようやくつながってくるというか。
8時間粘りました。
普通話が噛みなかったら1、2時間で起きるってことはないそうだけど。
やっぱり知りたいはあったんですね。お互いなんか。
これは事実あると思うんですけど、
みんなも結局グラフィックデザインに興味があったと思うんですよ。
言ってはいたけど。
デザイナーになりたかったんですよ、初め。
そうなんですか。
予備校行った時に。
デザイナーになりたくて予備校行ったのに、
全然ダメで。
平面構成っていう試験が全然できなくて。
それで絵画を描けなくて、
彫刻を選んだっていうのがあったんです。
お互い何かあったんですか?
何かはあって、
でもそれがお互い理論武装的になっている部分が
どんどん剥がれていくことによって、
感覚値で、
紙という指示体というか、
媒体というか、
ものを背景につながっていける感覚みたいなのがあって、
じゃあお互いがいいと思う部分みたいな、
自分が得意とする部分というか、
お互いの面白い部分だけを
逆に組み合わせていったら、
一体何が生まれるんですか?
そこはもはやデザインとか美術とかという文脈を超えて、
そのもの自体に迫る何かみたいなことを
やってみたいって多分なってたと思うんですよ、若い頃に。
それでやってみたっていう感じ。
それで生まれた第1号は何だったんですか?
それは本を、
文庫分のサイズで本を作ったんですよ、まず。
1から。
でもそれは彫られるために作られた本で、
テキストも全部入ってるんですけど、
でもそれも最終的に彫刻されるためのテキストが入っていて、
それをAという本からZという本まで26冊作って、
それをAって彫り込んでいくみたいな。
そのAの文庫にAを彫る?
Aという形にする。
タイトグラフィー的にも見えるし、
長文的な立体性を生みたAというのからZというところまで
彫って作ったんですよ。
それはどこに発表するとかでもなくですよね?
まったくそういうことじゃないです。
ただやりたくてやっていて。
それを見て、さっき言ったギャラリストが
展示してみないかみたいになっていったっていう流れなんですけど。
そのメルホール第1号は今どこにあるんですか?
誰かが持ってるんですか?
僕らは1個所有してますし、
セミトラペラードデザインというウェブサイトを作ってる会社さんがいると、
そこに数点あるか。
評価と次のステップ
まだ千葉市民の展の中では出てないですよね?
出てないです。
本当に初著作というか終作というか。
本当のいつか大開庫展とかやったら出てくる可能性がある。
AからZ揃えましたみたいな。
どうなんだろう。
でもさっき辞めなくなって今みたいな話をしましたけど、
それを展示した時にすごく衝撃的な結果が待っていて。
僕らはお互いの良いところをみたいな感覚でやってるじゃないですか。
でもそれを展示した時に、
当然私の関係者とインギターの関係者が来るじゃないですか。
全否定だったんですよ。
グラフィックの方が彫刻から。
そうなんですか。
デビュー戦。
デビュー戦本当にすごいことになった。
ほろ苦い惨敗。
やっぱりデザイン業界の人がすると、
デザインじゃないって言うんですよ。
彫刻はもうチャラチャラした点なんかやってんじゃねーみたいな。
彫刻じゃないってなっちゃうわけですよ。
うわーすごい。
じゃあこれ何なんだろうみたいな。
二人では盛り上がったわけだもんね。
なんかすごいことになったなみたいな。
世界変えれるぞぐらいの気持ち。
それで辞めれなくなっちゃったというか、
答えが見つけられなかったというか、
これがじゃあ一体何なのかがわからなかったんですよ。
そもそもその存在が。
でそれを確かめるというか、
旅に出ちゃったみたいな感じというか。
それの後にじゃあこの二人でやってって言って認められた
次の何かカーニングポイントがどこだった?
そこから5年後ぐらいの。
そんなにかかるんですか?
いやあの潜ってしまったというか。
住む場所も変わっちゃったからと。
展示をしなくなっちゃったんですよ。
ずっと作ってたんですよ。
それまでは。
一個一個確かめていこうみたいな。
まずじゃあこの紙の厚みって何でしょうみたいな感じで、
それを説明というか、
理解するためにそういう習作を作ったりとか。
その立体物における視覚的な平面って何ですか?
ということが自分たちで理解するための習作を作ったりとか。
あと自分たちからもう一回一からやろうみたいになった。
それを順番にやっていく中で見えてきたものがいくつかあって、
もとよそこに時間だったりとか、
あと写真だったりとか、
紙の厚みだったりとか、
いろんなものが要素として見えてきて、
これを全部一体化するという作品が欲しいという風になった時に、
結ばれたのがそのポートレートのミスアンダースターに豪華する。
その組み合わせ。
でもそう考えると、
一発目にまぐれ当たりしちゃってたら、
そっちに進めなかったかもしれないですね。
そうですね。
もう最初からなかった。
それはそうだと思いますね。
これでいいやってなってたかもしれないし、
もしかしたらそこで終わってたかもしれない。
そうですね。
やっぱりあの一回の黒歴史とは言わないですけど、
みんなに言われたのは、
すごい良かったというか、
結果としてはどうですか?
あれがなかったら多分、
程々に終わっていたら、
そもそも一緒にやってないと思います。
お二人と本当に一緒にしちゃいけないなと思うんですけど、
僕もフォアライブがそうで、
一発目はあいだると二人でやってたのが、
受けたんですよ、クラスで。
人気者になったんですよ。
これを今度学年のみんなでやって、
クラス代表でやってくれって言ったやつが、
もうダダ滑り。
クラスのやつらからも、
お前らを代表にしたせいで、
うちのクラスは最悪だみたいになって、
もうすごいダメになっちゃった。
なので二人でもう一回ちゃんと
お笑いをやろうって言ってやったから、
そこから芸人を目指すまで行ったんですけど、
中学校の時に。
ダダ滑りを経験しながら多分、
その場の人気者で終わってた気がしてて。
心強く終われる。
そうそう。
全然一緒にしちゃいけないのかもしれないですけど、
苦労を一人でしてたら多分、
そこで終わってた気がする。
二人いたから、
自分だけじゃなくて、
二人としてこれを解決したいねって
多分あったんですよ。
それはもしかしたら、
お笑いじゃないですけど、
それが通ずるのかなって思っちゃいました。
でもそれほどに、
やっぱり歴史文脈というか、
背景っていうのは強固なもので、
そうじゃない存在っていうものを
受け入れる土壌って、
なかなかないというか、
そもそも今でも私、
ライクデザイナーであり、
美術家っていう風に名乗ってたりとか、
インナーの場合は大学の先生だけど、
大学の先生をやりながらサッカー活動してる人は、
それなりにいるからあれなのかもしれないけど、
そういう並走の仕方を、
今でももちろん、
あんまり良いと思ってない人は
いっぱいいると思うけど、
否定的に見られない環境になったのって、
本当最近だと思っていて、
やっぱり大谷選手ですら、
あれだけの人生を持ってたって、
ありえないみたいなことを
ずっと言われてたわけじゃないですか。
それぐらい、
いろんな隔たりっていうのは
いっぱい世の中に存在してるっていうのは、
2人でやることで非常に痛感させられて、
でも多分大変だったと思うんですけど、
次はやりやすいですよね。
だからグラフィックデザインと美術、
やるっていう人が出てきたときに、
やっぱもう先例の道を作ったからこそ、
多分次は続けるから、
やっぱり一発目って多分大変だなと思うんですけど。
そうですね。そういうふうに思って、
自由にやってもらえれば、
すごい良いなと思うんですけど、
なんかこれって、
もちろんミサンザ・スタンディング・フォーカスって、
ボートレートのシリーズをやったときは、
すごく思ったより良い評価をいただいたっていうか、
いろんな人に面白がってもらえたんですけど、
でも本格的に評価というか興味を持って、
Nerholのアート体験
実際に展示まで声をかけてくださった人たちっていうのは、
やっぱ海外なんですよ。
そっかそっか。
やっぱりそれはそれで、
面白がってくれるところまで行ったのかもしれないけど、
だからといって、
美術館で呼ばれるとかそういうことはないし、
あとどっちかっていうと彫刻とか、
美術っていうよりは写真っていう世界で、
興味を持ってくださった方は日本でいたんですけど、
本格的に興味を持って展覧会で呼んでくれたのは海外だったので、
先に日本で。
なのでやっぱりそれはそれで難しいというか、
やっぱり簡単じゃないんだなっていうのをすごい感じたというか。
あれ、日本の美術館で最初ってもしかして、
三瀬浜口ですか?
いや、21世紀美術館のプロジェクトルームっていうアペルトスシリーズが、
一つの部屋だけで、
若手がチャレンジをするみたいな。
あれが日本の美術館だったんじゃないかみたいな。
ポカよりも前ですよね。
2016年とか15年か16年くらい。
でもそこから考えたら本当に、
2年連続で個展って考えられなかった時期もあるわけですね。
全然考えられなかったですね。
むしろ本当にそういうチャンスをもらえてありがたかったというか。
そんなに別に黙って待ってるだけでは、
こういう風にはならなかったと思いますし、
コラボレーションの重要性
いろんなご縁というか、
いただいてつながれたっていう感じなので、
すごいありがたかったです。
最強のバディみたいな感じ。
バディ者として相棒とか見てる感じ。
いいですね。
小谷さんみたいに80くらい、70くらい走りたいですよね。
いいですよね、相棒。
相棒だと肩も変わっちゃいますからね。
みんな変わっていくっていう。
危ないデカビを目指したんですね。
危ないデカはね、僕好きだったんですよ。
兄が好きで、小さい頃から見てましたね。
サングラスかけないとダメですからね。
次のオープニングは2人で黒スーツ。
黒サングラスで出てくるといいと思います。
ガラス履きてね。
ちなみに私あれなんですけど、
飯田さんは美術興味持ったのはどこだったんですか?
本当に美術に興味というか、
高校が普通科の高校だったので、
進学先がないっていうくらい成績が悪かったので、
美術に行くしかないみたいなのが、
僕は商教法で選んでることが結構多くて。
でも絵は好きだったんですか?
絵とか工作が好きで、
小さい頃に家とか建ててるじゃないですか、
新宿とか、そこにすぐに盗みに行って、
大丈夫ですか?ちょっと待ってください。
全然昔でした。
たぶん実行もらってたけど盗んで、
それを母親に見つかって、
会社に行ってこいみたいなのが、
すごい今でも覚えてるんだけど、
それくらい木を釘で打つとか、
ノコギリで切るとか、
そういうのが興味あったんだと思うんですよ。
父親の鉄工場、
うちの祖父が鉄工場を戦後戦争から戻ってきた後、
沼津で会社立ち上げて、
息子たちのうちのいとこと、
親父がそれを引き継いでっていう会社をやってたっていうのがあって、
いつも洗濯物がすごい鉄臭い匂いしてたし、
今でも鉄工場の匂い嗅ぐと、
父親の匂いだなっていうのがあるくらい、
そういうものづくりする家家計だったんだなっていうのは思いますけどね。
だから、
勉強するのもいいけど、
本当に田中さんと一緒に手に食つけなきゃいけないなとか、
金稼ぐ方法を考えるっていうのは、
親方の祖父にはずっと言われてたし、
3人兄弟の長男だったんで、
父親は弟、
本家は弟なんで、
別に継ぐものとかそういうものはなかったんで、
もっと自由にやったらいいじゃんみたいなことを言ってくれてたのもあった。
だいぶ好きなことやらせてもらえてたなっていうのは、
今思えばすごくあるなとは思いますけど。
峡谷のジャンルで金鉱とか金属もあるじゃないですか。
親から金属に行きそうなのに、金属に行かなかったのはなんで?
金属は学生の時やっぱりやってました。
金属の作品で山作ったり、
金属と紙を使った卒業制作だった。
大学3年生の頃から紙を使った作品づくりみたいなのを始めてたんで、
それと田中に見せた作品とかは、
ほとんど大学3年生から4年生の時に作ったものを
補修作としてブラッシュアップしたので、
個展やったりとかしてたんで、
ほとんどその時の考え方があんまり変わってはないんですけど。
鉄の工房って卒業したら絶大的に環境を揃えるのがめちゃくちゃ難しいんですよ。
道具も高いし、場所もないっていう。
音とかね。
それをクリアするのは相当時間がかかるなと思ってたのもあって、
とはいえ実家に帰って親父の工場でやるっていうのは
ちょっと嫌だったところもあって、
卒業の時に田中が言ってたさっきのグランプリが決まって、
個展を卒業した次の年にやらなきゃいけないっていうのは決まってたんですよ。
そのための準備で半年くらいは実家に帰ってた時期っていうのがあって、
親父の仕事が終わるのが夕方5時くらいで、
そこから夜大体12時くらいまで親父の工房を使って作品作りをやるんだけど、
全然うまくいかないし、一人で制作することにも限界を感じてたりとかして、
その時に結構ユニットで作品作っているアーティストが結構何個か出てきた時期だったんですよ。
今ほとんどいなくなっちゃって、もう辞めちゃってる作家が多いんですけど、
それを見て叩かなくて羨ましいなと思ってたし、
個展を売られる機会なんていうのは僕らの世代でいたら多分恵まれてる方だったと思うし、
一人で作品作れる場所もあって、実家に帰れば相当恵まれてたとは思ったんですけど、
そうじゃない方法でもっと持続性の高いものを考えなきゃいけないっていうのを同時に考えたので、
紙を使った彫刻作品みたいなのをどんどんやるようになっていったのかなとは。
でもそれをやってなかったらやってないわけですもんね。
金属の作家さんだったら多分興味持ってないと思うんですけどね。
たぶんそこかしらでまたげる要素というか、
私の場合は紙を200段くらい棚作って網配してるみたいなことが何かしらで響いたっていうのもあるし、
作品から何かしらの背景として自分につなげてしまう要素を
彼が作っている作品から感じ取れてるみたいなのもあったんだと思うんですよね。
なので、たぶんそれがなかったらこんなに長くは持続できないと思いますし、
同じ指示体を使ってますけど、
ある種、同じだったら一緒にやる必要なくて、
全く一緒の価値観だったら一緒にやる必要なくて、
全然違う角度から自分たちが大事にしている素材とか指示体に対して向き合えるという共通項を持っているので、
互いにそういうことを話し合ったりとか、できる豊かさみたいなのに光ってるんだと思うんですよね。
コミュニケーションの方法
本当に出会うべくして出会った二人なんだなっていうのが分かりましたけど、
せっかくですので、お互い普段言えないことをここで言い合うとかどうですか?
結構言ってるんですよ。
でも実はまだ言ってなかったんじゃない?この番組。
ないですか?言い合ってますよ。実はカミングアウトする。
何でしたっけ?さっきはじめに言ってた、
ポニーさんに考えてもらうネタのツッコミは?
か論じるなよって。
これはどういうわけ?具体的に。
お互いがやってることが見えなくなることって誰しもあるじゃないですか。
例えば夫婦間とかもそうなんですけど、でもそれってすごい想像力が必要なんですよ。
相手が何してるかってこと。
なのでよく僕は田中が何もしてないみたいな気持ちはないんだけど、
そういう態度を取ることがあるみたいで、すっと怒られそうな時があるんですよ。
その時に、お前俺らってやってんだぞみたいなことを。
ふざけてるんですよ。マジでキレてる時は本当にキレるんですけど、
ヤバーみたいな時があるので、
か論じてるわけじゃないよって言いたいから、か論じるなよって言ってほしいっていう。
言ってほしい。
逆にこっちはわりと分かりやすいんです、やってることが。
だからすげえ時間かかってんなとか、連絡がなかったら忙しそうだねっていう言葉をふざけてくれるから、
めちゃくちゃ想像してくれてるなっていうのはあるから、すごいありがたいんですよね。
だからこっちからアピールしなくてもいいっていうか、
こんなに大変なんだよみたいなこと言わなくていいっていうか、
自ずと嫌いになることもないし、相手のことを卑下したりすることは僕の中でははっきり言って終わってる。
そういう思考は終わってるんですよ。
昔はあったんですか?そういう時期は。ちょっとあったけど。
昔はなんでこればっかり作ってたんだろうって。
あったけど。
でもこんだけ役割が違うことで緻密なことをやってるっていうのは、
僕もやっぱりデザインが好きだし、パソコンの作業とかやってると本当にうんざりするくらい嫌なんですよ。
でもそれをめちゃくちゃやってるし、逆に僕も俺がやれるより数百倍早いっていうか、
なんか任せてるところもあって、だからそのことについてはお願いしてる時もあるから、
だから申し訳ないなっていう気持ちもあるから、その反面俺もやらなきゃいけないなっていう気持ちになってて、
でもはしばしに大平だったりだったりとか、気が利かないことが多いので僕は。
繊細なんですよ意外と。
意外とっていうか繊細だって。
お前ふざけんなよって。
そういう態度は無くね?みたいな。
全くそれはないんだけど、そういう態度をしちゃってたら申し訳ないねって。
でもいい関係ですねそれは本当に。
本当にこの辺をトークで言ったんですけど、いい人間じゃないと基本的にできないって思うんですよ。
二人でやるも三人でやるも。
それはすごくお互いに分かってないといけないなと思ってて、
だからそういうのは時々ふざけてやりますけど、
本当は真剣にお互いに伝えてやるっていうことはずっとやっていくことを決めてるから、
大切にしていかなきゃいけないことだよねみたいなのは確認したいなと思いますけど。
今結成17年目って言ってましたよね?
そうですね18年目。
20年目に銀婚式的なのをやったらいいんじゃないですか?
夫婦はちゃんとやるじゃないですか?
デュオだとやるんですか?お互い10周年だなみたいな。
だから20周年にやったらどうしたらいいかな?
でもあれなんですよ、もはや二人でそのぐらいを続けていくっていうのは、
僕ら二人の話ではなくなっていて、
やっぱりそれぞれ家族もいるし子供もいるし、
これだけの時間を費やして制作していくってことは、
家族を巻き込んでるんですよ完全に。
これは面白いんですけど、
私の妻はちょっとリーダー寄りの性格をしていて、
リーダーの妻はちょっと私寄りの…
そういう人に聞かれるんだ!
身長もリーダーの奥さんはすごい背が高くて、
私の妻はリーダー君よりちょっと小さいぐらいっていう、
そういう状態になっていて、
なのでお互いの妻がお互いの旦那のことをよくわかってるので、
それによって理解される、共鳴したりとか共感してくれたりとか、
ご飯も一緒に食べてするんですけど、
そういうことで理解できることだね。
いやでも二人の夫婦のペアが、
似たようなペアが二つできたってことじゃないですか?
ブランチシリーズの話聞いてるのかと思いました。
結局同じところから立ててきたよみたいな話だった。
いやでも絶対違うじゃん。
チームさんは俺と似てるじゃんって言ったら怒られるし。
基本的なその交換的な部分が似てるってだけで、
もちろん全然性格は違うんですけど。
言いながら言ってますけど、
自分も相手のことを想像するのが苦手だったりとか、
相手を想像できるってすごく大事だと思っていて、
想像が足りてないんだったら、
ちゃんとコミュニケーションをしたり、
対応しないとダメだってことは、
じゅうじゅうこの18年で理解できてるので、
なるべくコンスタントに連絡を取り合ったりとか、
考え方とかそういうのを共有しながら
やっていくことってすごく大事だなと思っていて、
パートナーシップと制作の重要性
そういうことが至らないとか想像できてないことを、
お互いの家族が補完してくれたりするので、
時間もそうですけど、いろんな意味で、
自分たちだけのことでは収まらないみたいなことになっているので、
そういう意味で、
慣れた会話っていうのは、
してるようであんまりしていないというか、
きちんと作品を生涯かけて作っていくために、
ちゃんと向き合っているっていうところが、
根本的にはあるかなとも思いますね。
めちゃくちゃいい話が最後に聞けて、
よかったです。
その後に最後に、どうしようとしたらいいですか?
相方って呼ぶんですか?
どう呼ぶんですか?相手のことを。
相方って言う時あるよね。
そうだね。
相方なんです。
それもすごい難しい経験があって、
パートナーというか、海外に展示をしに行った時に、
当たり前のように夫婦というかパートナーっていう。
イギリスのギルバーズ&ジョージはそうですもんね。
ポートパートナーですかね。
日本よりもはるかに海外の方が二人組って多いんですよ。
当たり前のように行ったりとかする。
当時の時点で、今はどうかわからないですけど。
言い方が難しいんですよ。
確かに。
相方ってでも向こうでは伝わらないですもんね。
そうなんですよね。
パートナーじゃないよとか、結婚してないからねみたいなことを冗談で言うみたいな感じのことをしてたんですけど、
その制作をする上での存在っていうのをどう言えばいいかってすごい迷って、
結果的にでも相方みたいな言い方もするしね。
あんまり一緒にやってる田中さんって言ってない。
なるほど。
そこだけどうしても伝わったんで。
フリーだと二人でやってますみたいな。
でもあれじゃないですか、危ないでかもしれないし、これからバディーって言えばいいんじゃないですか。
バディーはいいよ。
相棒って意味で。
刑事ドラマっぽいから。
動物との関係。
どっちが犬だみたいな。
そうかそうか。
こういうところもありますよね。
でも刑事モノの二人組はバディーじゃないですか、向こうで言っても。
バディーは伝わるんじゃないですか。
デュオなんですけどね。
確かに確かに。
いやいやでもいろんな話を聞いてありがたかったですね。
展覧会の告知
本当にたっぷりいただきまして、改めて企画展の告知をよろしくお願いいたします。
ありがとうございます。
デロホル、タネマキとカラス、ミスリーディング、ライチャスネスは
改造埼玉県立近代美術館で今開催中で10月13日まで開催しておりますので、
ぜひご覧いただけると嬉しいです。
埼玉でしか見れない展覧会とですね。
そうですね。
ここでリスナーの皆様に素敵なお知らせです。
今回ご出演いただいたネルホルさんの埼玉県立近代美術館での展覧会チケットを
抽選でなんと10組20名様にプレゼントいたします。
パチパチパチパチパチ。
さあということでご希望の方は番組ウェブサイトのお便りフォームへご応募いただくか
ハッシュタグそろそろ美術の話をつけてXに投稿してください。
締め切りは9月23日。
当選された方には番組プロデューサーより直接ご連絡を差し上げます。
ということで皆様からのご応募心よりお待ちしております。
01:04:14

コメント

スクロール