1. そろそろ美術の話を...
  2. #073 連続Podcast小説 齋ちゃ..
2023-01-07 1:00:19

#073 連続Podcast小説 齋ちゃん 前編(日本画家 齋 正機)

日本画家の齋 正機さんをゲストに幼少期から芸大受験についてお話をお聴きしました。

https://sorosoro-art.vercel.app/ep/073 番組の感想は、#そろそろ美術の話を でお願いいたします。

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Guest Profile

齋 正機(さい まさき)

  • 1966年、福島県福島市生まれ。本名・斎藤正機(さいとう まさき)福島市立森合小学校、福島市立第四中学校、福島県立福島東高校(2期生)、東京芸術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業、同大学院修了。
  • 1998年、ふるさとの風景展(喜多方市美術館主催)で最優秀賞受賞を皮切りに、数々の絵画展で受賞。
  • 2003年、洋画の登竜門である昭和会展(日動画廊主催)にて、無所属の日本画家として初めて最高賞の昭和会賞を受賞。以後、福島の風景を中心に鉄道、花、人物などを描く新日本画としての世界を広げている。横浜市在住。
  • 神奈川県箱根町・芦ノ湖の「成川美術館」には、齋正機の絵画が約80点所蔵されている。

Show Notes

齋さんのページ

出演のきっかけになったClubhouseの番組

連続Podcast小説 齋ちゃん 前編

00:00
♪~
アートテラートニーのそろそろ美術の話を
この番組は私アートテラートニーが
アートに関わる方をゲストにお迎えして
トークを繰り広げるポッドキャスト番組です
本日は日本画家の鞘馬崎さんを
ゲストにトークをしていきたいと思います
♪~
ということで明けましておめでとうございます
おめでとうございます
収録はまだ年明けてないですが
配信は新年一発目の
ということでスペシャルゲストとして
お越しいただいておりますので
あれもう始まってるんだよね
はい始まってますのでよろしくお願いします
よろしくお願いします
改めて簡単に自己紹介を
そうですね
日本画家の鞘馬崎です
自己紹介といってもなかなか絵がないとね
紹介できないけど
一応年数的には昭和41年生まれ
1966年で
一応ね
太郎して東京芸大入って
日本画家をやってますってのが
単純に言うとね
ありますけども
ちょうどあれですもんね
去年も鞘馬崎の世界展が
富山家の富並美術館でも
個展もされてたり
福島県でもやりましたし
そういった意味では
美術館とかが今年は多かったかな
去年は多かったかなって感じで
本当に応募書中の応募書なんですが
何を言ってらっしゃる
なんとこの番組初というか始まって以来
逆オファーなんですよ
最初からホットキャラクター出たいって
言ってくださってて
そうなんですよ
あそう
そうですよね
っていう風に言っていただいて
そこはちょっと忘れたな
言っていただいたのが
社交じれだったかもしれないのに
ズケズケと今アトリエまで収録しに来てるという
状態でございます
だからねクラブハウスでね
そうなんです
だからそうだよ
俺今忘れてたけど
そうそうその時にあれだね
ボットキャストも呼んでねなんて言って
あれなの?あれがそうなの?
あれがオファーなの?
その後もなんかありましたよ
メッセージかなんかでいただいて
本当?ありがとうございます
今チラッと出たんですけど
そうなんですね
クラブハウスで前にもね
池永さんの回にもその話になったんですけど
クラブハウスでいろんなアーティストを招くっていう
トークの時のゲストで来ていただいて
だからお会いはしてないんですけども
その後も何度かお話しして
だから今日実は初めまして
初対面は初対面
でもなんか初めて会った気がしないですね
ってなんかこっちが言うのもなんなんですけども
なじみ深い顔だしね
あなたの顔もね
本当に改めてよろしくお願いします
すごく話してて楽しかったし
要はあれなんだよね
難しい話じゃない美術の話をしたかったり
でも時には難しい話もしたかったり
いろんなリズムがあるじゃない
03:00
でもそれってなかなか許される場所がないから
だからこれだったら僕サンプルでなんかね
作家としてそういうふうに話せれば
面白いかなっていうふうに思ってね
もうだからそのクラブハウスの回が
結構伝説の回みたいになってて
いやそもそもなんですけど
西さんから出ることになりました
で僕はまだ直接お会いしたことないんですけど
その西さんから話すレジュメが
こんなこと喋りますよっていうのが送られてきて
それをこう経由で僕がもらって
見たら項目が30項目あったんですよね
1時間番組なのに
絶対終わんないだろうなと思ってやり始めて
まあ一応やるかって言って
1回かぎりと思ってやってたのが
多分最初の1回目の時には
3、4項目ぐらいしかいかなかったんですよね
なんか幼少期から始めてって
なかなか日本画家 西政樹まで到達せずに
結果全部で5回かけてやるっていう
びっくりしたね
だってさあ合計5時間でしょ
5時間超えですよ
よく聞いてくれたなと思って
なんかファンの間では
連続テレビ小説 朝ドラみたいって言うしね
サイちゃんっていうような
アマちゃんじゃなくてサイちゃんみたいなのあったんで
だからそれが僕もすごく話は面白くて
でしかもこれもオンエアで言ったんですけど
僕の相方がサイさんも審査員を務める
絵と言葉の力点に出展したと
出品したんですよ
相方そんな絵描く人間じゃなかったから
どうしたのって聞いたら
そのクラブハウスのサイさんの話を聞いて
めちゃくちゃ感化されて
絵を描くようになったっていう
でももしかしたらやっぱり絵の世界って
どうしてもハードルが高く思えるじゃん
ちっちゃい頃から上手かったとか
すごく才能があったとか
そういう話が多いじゃない
意外と俺はそうじゃないし
結構そういった意味じゃ
親族にそういうね
画家さんもいるわけじゃないし
そういった意味じゃ
そういう形の人が画家になるって
どういうことなんだろうってことを
割となんかそれってね
まだ話されてないかなって気がしたのが
話してたら意外といろんな出来事あるね
そうそう
だから僕はその時に
これがポッドキャストだったら
ちゃんとこれが残るのになと思ってたんで
ちょっと今回は改めて
その話も聞けたらなと思いますし
サイさんの画風をね
プロデューサーからちょっと紹介してくれって
言われたんですけど
もう今の
もう始まったの5分ぐらいあると思いますけど
声を聞いたら
喋り口を聞いたら
わかっていただけると思いますけど
もうこのまんまの絵って思ってくださいみたいな
なんかこのほのぼのとした
この語り通りの
あのよく言われるのは
やっぱりその自分が記憶した
原風景とかそういう風景と
同じだって言われるんだよね
多分だから僕が求めてるものも
ほんわかしだと自分がどうこうってわからないけど
06:02
自分がこうだったらいいのになっていう風景を
やっぱり描いてるからそう思われるのかなって思って
基本的には後ほど話も出ますけど
故郷というか生まれ故郷の絵が多いですか?
いや生まれ故郷っていうよりも
多分生まれ故郷はもちろん好きだし描くけども
その何か小さい頃に感じた何かの
それを追ってんだろうね
だからそれが福島でもあり
多分いろんな人から自分の田舎でもあるんじゃないかって
言われるのはそういうところなんだろうね
なんか僕なんか言っても
団地で生まれ育ってるので
いわゆる田舎暮らしはしてないのに
なぜか西さんの絵を見るとやっぱり懐かしい
世代もだから言ったらちょっと違うわけじゃないです
でもやっぱ感じるっていうのは
多分そういうのが皆さんあるんでしょうね
多分そうじゃないかな
結局それは生まれ育った時に
本当にぼーっとした子供だったからなんだよ
僕がね
じゃあちょっとその辺りも今日は聞いていこうか
ということで今回はですね
クラブハウスで人気だった
連続テレビ小説「西ちゃん」をですね
ポッドキャストバージョンでお届けする
特別版にしようかなと思っておりまして
まずこの前半の回は
西さんが幼少期から現代に至るまでのお話の
事前にいただいたレジュメを持ちながらも
幼少から大体学生時代ぐらいまでの話かな
となると思いますけれども
ぜひこれをお話し伺っていけたらと思います
ということで連続ポッドキャスト小説
「西ちゃん」の始まりです
西ちゃん誕生 豊かな自然
美術との出会い
はいということでまずは
色々といただいた項目があるんですが
生まれ育った場所は青リンゴ畑
とにかく近くに清い水が
果物が
どういうことですかといいますか
僕生まれたのって福島市の中でも
果物で有名な場所だった
だから本当に僕が生まれた時の目の前も
青リンゴ畑だったし
だからどこまで歩いても
果物畑だったから
世界が全部そうだと思った
世界は果物畑だと思った
そうですよね 生まれたとこがそうなわけですもんね
たまに田んぼがあったりとかそういう形で
もちろん舗装道路なんてないよ
だけどそれは普通僕の年代だとあるはずなのに
だから多分そんなに
やっぱり舗装道路みたいのがなくて
だけどなぜかうちの前の道路は
ちょっと広くて舗装道路じゃないのね
それが刑務所道路っていう道路で
殺伐する人の名前がついてますね
なんでかっていうと
僕のそこの家の前が
ずっと突き当たりが福島刑務所だったんだ
そこまでが果物畑でずっと続いてた
だからそこの記憶から
やっぱり自分の中で
そういうね自分の感性みたいなのを
作ってたんだろうな
09:00
でもその青リンゴ畑があったんだ
とにかく近くに清い水があって
これはどういう
僕の生まれたところ
そして場所の名前が
岩城清水っていう
地名なんですか岩城清水までが
で隣は泉っていう場所で
全部水の湧き出る場所だったんだよね
それが果物を作る原因になったんだろうけど
だからそういった意味で水がいつもあって
湧き水がいっぱいあるから
僕が遊ぶのは湧き水のところでの
その水生生物水カマキリとか
ゲンゴロウとか獲るっていうのが
あれはあれだったんだよ
わりとずっと小っちゃい頃から
そういうものが流行ってたっていうのは
それしかなかったかな
それはお友達と遊ぶ時とか
そうそうそう
だけど僕自身は実は体がね
あんまり強くなくて
善息だったからね
じゃあ活発に遊び回るって感じはなかった
あと引っ込みジャーンだったし
本当に何やってもダメな人だった
それは昔、子供の頃から
自覚はしてたってことですか?
やっぱりね、鼻水いつも垂らしてて
それも青っ鼻垂らしてて
ほとんど口でしか息ができないぐらいの
そのぐらいやっぱり
どっかね体があんまり丈夫じゃなかったね
それでいて善息だったから
夜になると熱とか出したりするパターンで
だからどっか青リング畑の中にいたけど
それを意識したのは
寝てたことも多かったからかもしれないね
外で走り回ったら気づかないかもしれないけど
幼稚園にあんまり行った覚えないもんね
休んでたってことですか?
だから幼稚園行った覚えもないし
ただなんかそういう時ってさ
縁側とかに行ってさ
ぼーっとするしかないじゃん
今は多分テレビがあったり
ゲームがあったりとかあるかもしれないけど
それなくてってことですか?
結局テレビに行ったって
なんか俺本当に昔の人みたいだけど
テレビに来たのは小学校2年の時から
えー
ちょっと待って
昭和初期の話じゃないですよ
電話は小学校3年だからさ
あ、そうなん
じゃあもう本当にすることなく縁側で
ぼーっとしてたってことですか?
そうだね
本当にねただぼーっとしてたみたいよ
他人事の話
よく聞くんですか?その話を親とかが
いや、字を覚えるのも遅い
やっぱり話すのもあんまりっていうので
よく小1、小2のぐらいの時って
かなりそういった意味で先生も心配して
ほらIQみたいなの測るじゃない
ありますねテストはい
ダントツで悪かったみたいな
他の子は幼稚園で学ぶこともあるしって
ちなみにご兄弟はいらっしゃる?
兄弟はねうち兄が1人います
そのやっぱりお兄さんと比べられたのもあるんですか?
うちの兄貴は本当に勉強もできたし
12:01
活発だったし健康でね
全く解禁書を取るような
本当に健康そのものだったのに
俺はほとんどその前足だし
鼻はたらしてるし
背は低いし
口で息してるし
それはいいじゃないですか
口で息するわけもそうだけどさ
それでじゃあぼーっと見てたのに
なんかただ見てただけなのに
その時はもうやっぱ画家の片鱗は少しはあった?
多分これね意味もなく
その風景を味わうって書いてあるけど
多分そうだと思う
僕自身は画家としての素児は誰も持ってない
一族でも誰も持ってないんだけど
ただ映画に行くとさ
ほらあの日差しが強いでしょ
そうすると自分の目の前に手のひらを置いたりすると
透き通ってなんかキラキラキラキラキラってなるじゃない
手のひらを対応にのって
血筋が見えるわけですね
そんな記憶ばっかりがあるんだよ
風景見ててもやっぱ未速化すだから
何人かと遊びに行った時に一番後ろじゃない
そういうやることないから風景見てるでしょ
あとそういう水性生物でも
みんな一生懸命撮ってるじゃない
それをさやりたいけど俺容量悪いから
後ろでじーっと見てるとその風景見てるじゃん
そういう風景を見るっていう味わう時間が
そこにできたんじゃない
人より見てるんでしょうね
普通の子供よりってことですね
ぼーっと見れるんだよだから
ずーっと親が心配になるくらい
ぼーっと遠くを見てるような子供で
多分それが俺の画家の素地だったんだろう
大人の時には描いたりしてたんですか
ぼーっと見たものを
結局昔は新聞広告のチラシの裏に描くでしょ
それで描いてて
やっぱりそういったものが
何描いてみよう何描いてみようって
すごい描いてたって感じはあるよ
でも好きは好きだったの?描くのも
好きだったでも下手だった
それは子供っちゃ子供ですからね
小学校2年まで下手だった
3年になって急に
2年と3年の間
この絵を描いた3年の時に
今日今貴重な小学校から見つかったという
小学3年生の時の絵
そうなの
機関車を描いた絵ですね
それがねあれなんだよ
なんか小学校の先生が
毎朝15分間クロッキーっていうのを
毎日させる
授業で?学校でですか?
美大とかでもない?
美術学校でもないのに
訓練のように
やっぱり先生は美術好きな先生だった?
そうです
やっぱり多分専門が美術だったんじゃないですか
でコンテを与えられて
コンテ5色ぐらいのコンテを
なんか選んでして描くのね
15:02
それがなんかさ
だんだんだんだん描いてるうちに面白くなって
そしてだんだん描いてるうちに
やっぱり上手い人っているんだよ
もうその小学生の段階で
めちゃくちゃ上手い人っているんだよ
でも上手いって
それは上手いって評価するけど
絵が好きな先生って
上手いだけじゃ反応しない
あ~器用だなで終わっちゃうってことですか
そうで俺の絵を見て
なんかこういうのいいんじゃない?
っていう風に言われるようになるんだよね
へぇ~
だから友達の評価は高くない
だけど先生の評価が異様に高い
へぇ~
多分それは絵だけじゃなくて
多分文章から来てるんだと思う
僕文章を書くのが好きで
やっぱりそういうことを書くのよ
キラキラとか色とか透き通ってるとか
そういうなんかね
多分そういう今から考えると
そういう自分の描いてきた文章が
絵っぽい感じがするのと
それでもしかしたら注目してたりして
下手だけどなんかこの子っていう風に
思ったんだろうね勘違いして
でもあれですか初めてその友達とか
親とかを含めて大きな認められた瞬間というか
これまでずっとボーッと心配されてた最少年が
急に先生
通信棒悪いしね
これはでもじゃあ
やっぱりアサドラとしたらだいぶすごい人が
キャスティングしなきゃダメですね
この先生大事な人なんですね
親にも家庭を
あれだよね事業参加あると
帰った後怒られたりしてね
あんただけ
ぐたっと顔をつけてた
寝てたってことですか?
寝てないんだけどちゃんと真剣に聞いてるの
こうやって聞いてたのよ
机にこうツップしてたのよって
あとはなんかね窓を見なさいって先生が言って
みんな校庭の方の窓を見る時に
俺は窓って言ったら
廊下側の小さなドアの窓が窓っぽいじゃん
こうやって見て
みんなと反対だ
あっ合っちゃったねとか
ちょっとやっぱり顔は変わってたんだね
でもその絵がだんだん好きになってきて
どんどん自発的にも書くようになったと
だからそれがやっぱり色々書いてるうちに
上手いわけじゃないけど
好きなのはわかったんだろうな
それとあと自分の文章
文章は割と自分の中では好きに書けたから
それが何か相まって
絵を書きたいなっていうのと
文章書きたいな両方やってた感じ
ただ親は文章が得意だと
絶対思ってなかったみたい
でも本当だ
先生出会わなかったら気づかなかったですね
そうなんだ
その3年の時の3担任の先生の時だけ成績良くて
あとまた落ちてしまった
18:01
でもその時の成功体験は
自信になりますよねそれは
そうだね
それがでもずっとある意味でも
やっぱり自分の中でおっしゃった
成功体験でもあるし
それがベースにはなってんだろうな
でもその間ずっと
小学生になって
高学年とかになった時に
もう体力は戻ってきたんですか
体力戻ってきて
ただ背が小っちゃかったから
140代でずっと
小学6年生の終わりでも
141担任ぐらいだったね
まあすごい小っちゃいってわけじゃないけど
かなり小っちゃい方で
でやっぱり運動は
だんだんできるようになってきて
だからそういったイメージは
運動神経が悪いとか
そういうんじゃないんだけど
でもやっぱりどこかボーッとしてるから
とにかくみんなにボーッとしてるって
俺は真剣な顔してても
みんなによく言われたのは
なんでボーッとしてるの
いや俺は真剣な顔してるだけなんだよ
っていう子供だったね
その頃のあだ名とかって覚えてますか
あだ名っていうかね
あのね俺まさきじゃない
まさきってしかいつも言われるぐらいで
ちょっと叱られる意味じゃないけど
ボーッとしてんじゃねえよみたいな感じで
だからどっか命令系の発音だった気がする
でもそんな最初の少年が
中学生に入った時に
じゃああれですか
中学生になって
もうすぐ美術部とかに入るんですか
いやいやいや
結局やっぱりね
そこは運動とかそういうのもしたかったし
でも自分の中で中学生入って
はっきりとしてたのは
勉強しなきゃって本気で思い始めたんだよ
急に
それは多分うちの親父って国鉄の機関士なんだけど
中学校しか出てないんだよね
昭和5年生まれだから
たぶん昭和20年15歳だと
そういう戦後の混乱期で
たぶんうまく鉄道局に入れたんだよ
でも学歴がなくてそういうコンプレックスがあったから
俺にたぶんすごく期待したんだよね
でもうちの兄貴ってすごく勉強ができる人だったから
これも勉強しなきゃいけないなと思って
そこで頑張るんだよ
中学デビューですか
すごい中学デビューで頑張って
急になんか
本当にクラスでも土下だったのに
すごい頑張ったおかげで
かなりドワーッと登ってたの
すごいエネルギーで登ってて
本当中学校1年生なのに
1日10時間ぐらい勉強やってたんだよ
そのぐらい急に
だからものすごく極端だけど
急に目覚めた感じだった
勉強に目覚めたってこと?
勉強に目覚めたし
21:01
なんか急にそれが褒められるのが嬉しくて
褒められるとこなかったから
「まさきはまさきは」って
ぼーっとしてたまさきは
そう「鼻水垂らさなくなった」ってね
あれ勉強するようになったって
でも相変わらず友達と会うとさ
ティッシュ渡されたりしてさ
そんなに鼻出てる?
そう、鼻、神の鼻出てる
するような子供の子だったね
クレヨンしんちゃんの坊ちゃんみたいな感じな
でもそうかもしれない
あんな感じだった
でも勉強に目覚めたら
そっちの世界というか
勉学の方で行こうにはならなかった?
いや勉学の方で行こうと思ったよ
ところがところがどっこい
なんとここにありますね
「思春期の遅い完成・開花」
「『スター・ウォーズ』ともに勉強の成績 急落園」
これ僕が書いたわけではなく
西さんが書いてくれたやつを読んでるだけですから
なんですか? 『スター・ウォーズ』のせいで
いやいやいや
『スター・ウォーズ』のせいもあるんだけど
初めて映画見たのよ、中二で
それも遅いんだけどね
だから中二で初めて『スター・ウォーズ』を見たら
すごいのよ
見たことなかったんですか? まず映画
だって映画自体はね
その頃もテレビあったから
画面では見るけど
映画館で見た『スター・ウォーズ』が
すごいじゃない? 映像的に
うわーって思って
何かがあの時変わったんだよ
その後やっぱりラジオ
その頃から聞くようになってたから
ラジオで本当に『スター・ウォーズ』のことが
番組だったら全部録音したりとかしながら
すごく『スター・ウォーズ』にハマってたら
今度は映画にハマっちゃったのね
映画館に入り浸りになるようになった
『スター・ウォーズ』も『スター・ウォーズ』を
朝から見たら夜まで何度も見るぐらいになってた
そんなに好きなんですか?『スター・ウォーズ』
そうなの
『スター・ウォーズ』も大好きだし
結局また他の映画も見るようになっちゃって
また俺の悪い友達がいてさ
今も電話があるんだけど、時々
そいつが映画すごく見せてくれるから
今までない体験をそこでいっぱいするわけ
映画を見るっていう
それでそれで
せっかく中学1年から勉強して
成績が上がったのに
スーッて下がってくる
完全にダークサイドに落ちてしまった
落ちちゃいました
コーッて落ちちゃった
上がった時も見事に先生褒められたけど
落ちた時もみんなの前で
こんなに落ちたやつは見たことがないって言われるぐらい
すごいですね
極端なんだよね
だから勉強しなくなっちゃったってことですか?
勉強してても頭の中『スター・ウォーズ』
24:02
そんなに面白かったんですね『スター・ウォーズ』
だってあの頃やっぱり
僕は『帝国の逆襲』の2作目から見たんだけど
もうビデオがないから
1が見れないから
その後繰り返し2をいっぱい見たんだと思うんですけど
1はどのタイミングで後ほど見る?
1はずっと後だね
2ばっかずっと見てて
どうだったんですか?
2をたくさん見た人から見て
改めて1見たら
やっぱり1はいいなと思うな
3で俺びっくりしたけど
3作目で
「なんだこの、なんかさ、こういうお遊戯みたいなやつは」と思ってびっくりしたけど
だから出会ったのが3だったら下がらなくて済んだかもしれない
2、一番面白い2見ちゃったから
すごいやっぱりね
面白かったよ、キラキラしてたよ
あの宇宙船乗ってたよ、俺
原風景が変わっちゃいましたね、宇宙が
映画っていうものに興味を持って
その頃やっぱ本人も興味を持って
やっぱり『ダザイオオスモ』も含めて本当にダザイ被れもしてたし
だから急に勉強、急に軌道乗りそうだったのに
それを妨げるような生活になっていっちゃったんだよね
へー、その間は絵は、この画家の話はまだ出てこないです?
全然、もう絵は忘れてる
だけど文章忘れてないんだよね
やっぱ『スターウォーズ』を見て書いたりもするんですか?文章的に
文章もそうだし、やっぱりそういったものをうまく文章で伝えられる
だから僕自身は文章がすごく書くのが好きだった理由がそこにあったんだよね
じゃあもう成績急落しちゃったわけですけども、どんどん展開ですが
そしてここで来てますね
初恋は卓球との出会いに続く、そして美術と大石との出会い
ちょっと質問なんだけどさ、なんでほとんど美術の話じゃないね
全然いいんですよ、全然いいです
過去にそういう回もありますから大丈夫
ちょっと改めて読みますね
自分の性格がそういうものにハマるとハマっていっちゃうじゃない
そうするとやっぱり勉強をすごくしっかりしてるよりも
映画とかそういう興味を持ってくると、だんだん色んなものに興味を持ってくるじゃん
多分その時初めて感性が開いたもんね
だからそれは大事なことですよね
感性の花開くと女の子にも花開くんだよね
いいですね、ついに恋愛がここで、ヒロインが登場ですが
何があったんですか?
その隣の子がすごい可愛い子で
クラスの隣の席の子?
俺にだけ優しいんだよ
絶対勘違いです
みんなに優しかったらしい
でも優しいと思っちゃったんですね
27:00
もうキラキラキラキラしてて、スターウォーズと同じで
その子もキラキラしてて
そういった意味ではドキドキしながら毎日を過ごすような日々
そんなのは小学校の時にも全然まだ目覚めてなかったから
全くそんなことなかったのに
やっぱり目覚めるんだね
その子が卓球部だったのよ
その子が卓球でも結構推薦をもらえるぐらいの感じでやってる子だったの
すごいなって思って
俺自身は実は身体自身はそんなに悪い方であったとしても
身体の動き自身はその頃復活してて
運動もまあまあだったね
めちゃくちゃできるわけじゃないけど
でもやればかなりこなせるようになってたから
僕も卓球をっていうふうに思いながら
遊びぐらいでやってたっていう感じがあったかな
卓球部に入ったわけじゃないけども
卓球やってれば会話も増えるし
それでさ、やっぱりそうは言っても中学時代は映画とそのことで終わっちゃうんだけども
その子がね忘れられないぐらい好きになっちゃってね
かわいい子だったんだよ
古いかもしれないけど大田博美が好きでさ
声に弱いんだよね
あがったるい声でね
それで高校は一緒に受けようとすると?
高校は彼女は卓球宣戦で行ってしまったので
僕自身は勉強してきたけども
でも一応新学校にそこから少しだけ勉強して
一応は行けたのね
第一志望はダメになってて
結局は自分の中ではその後後半は頑張って
なんとかその高校に行けて
すぐに卓球部入りました
その子と同じ高校でもある?
これはでもあんまり大きな声で言っちゃダメだったな
ヤバいなポッドキャスだね
それで高校一緒に行って?
別の高校だけど卓球だったら出会うかもしれない
そのまま卓球少年になっちゃった?
そうなんです
それが出会うためには県でもその人たちの順位がついてたので
県大会に行かなきゃいけないと思って
今度は卓球の日々になって
そんなこと言っちゃダメですが単純ですよね
本当に単純
ここまでだったら脚本どうかしてると思われちゃうぐらい
単純な脚本
本当ねただのおバカだよね
だけどすごい卓球をやりました
30:00
僕は高1の時にたった1年弱しかやってないんですけど
本当に卓球命がけでやって
全部の試合のスコアも残ってるんですよ
どう攻めたらいいかっていう
まだ始めたばっかりなのに
コースまで卓球の台を描いて
そのノートとかそういうのはきれいに描くようになって
もう上手くなってたんだけど
無駄ではなかった
人体とか描くでしょ
卓球のラケット人体とか
どこのコースとか回転とか
その人に会いたいがために
そうそうそう
球も立体とかにするためにこんな風に
目をつけたりしてね
これやってすごく
もう家卓球の毎日で
朝早く行って卓球やって
そしてもう夜も卓球遅くまでやって
別の高校まで行って練習試合を
家帰ってきたら畳は擦り切れるまで
すぐすぐり出してたっていう
すごいですね
それでね
ちゃんと4回戦まで行けんのよ
半年で4回戦くらいまで行った
だけどその頃には大変なことが起こってまして
自分の高校の成績が
またですか
またなんです
さらに落ちて
せっかく勉強またやったのが
ワースト10ぐらいに入るようになってた
高校でね
新学校だったからみんな勉強頑張るじゃない
もう全然ついていけなくなった
卓球だけ待って
さっきのスターウォーズのにも思ったんですけど
なんで両立できないんですか
そうなんだよ
半々とか七三とか何回比率
何で毎回10-0にしちゃう
今の俺ならできる
だけどその頃はさ
ドキドキドキドキしてるからさ
会えたんですかその子には
4回戦とかまで
後から聞いたら半年で辞めたそうです
体を悪くして
高校行かずにどうなってるかわからないって話を聞いて
ただそれもねやっぱりいろいろあるんだけども
多分もっと調べればあれだろうけど
なんとなくそれも耳になんない
もう卓球に夢中になって
とにかく卓球をっていう風に
今度は思いすぎたんだろうな
そしたら今度はうちの親父同袋が大心配しちゃって
頼むから辞めてほしい
でもその頃はその子に会えたりとかない
卓球が好きになってたんですか
もう卓球好きになって
変な話だけど赤点なんてもんじゃない点数取り始めちゃって
もう全部が卓球に見えてたぐらいだった
全部やばいっすね
だから両親はこれもやめろと
だけどそういった意味じゃ
ちょっと僕も4回戦ぐらいまで行って
33:01
最後ケンランキング1位の人に戦った時に
あまりにも才能が違って遊ばれちゃったんだよね試合で
そしたらこれはこんなかなうもんじゃないなっていう風に
半年しかやってないと思って
だけどその時にちょっと自分の中で
これよりどっか充実感とやりきった感が
半年なのに思っちゃったんだよね
あまりにも勉強をやらなさすぎて
やっぱりやめようと
そしてやめてやっぱり親の期待にちゃんと応えなきゃって思い始めた
で高校2年で
まあ高校2年でやめて
今度は勉強に打ち込んで
部活動は高校の方針で入らなきゃいけないから
美術部にでも入っとくかっていう
そんな流れなんですか?美術部とともに
娘に聞かれたらヤバいよ
娘じゃ聞かせないようにしましょう
美術部との出会いですか?
そうなんです
ところがその美術部の出会いの時に
いきなり僕は美術部は本当はそんなにはっきりとやるつもりはなかったんだけど
なんか僕の中途半端な気持ちっていうのは
美術部の古本の僕の本当に恩師の先生である小原先生っていう先生に
見透かされるのね
お前はそういう中途半端じゃなくて
ちゃんと堅定に作品1点でもいいから描いてみろ
美術の世界ってそんなに甘いもんじゃないぞ
だけどお前やってみろっていう話でやって
それで作品を1点描いてみるわけ
そしたら畳1枚ぐらいの作品
50本の作品なの
僕は小学校の時絵は褒められたことがある
美術部に入って
これはまあまあ描けるんじゃないの?ってなって
ちょっと自画像なんて描いちゃったりして
描いてリアルに描こうと思ったら全然描けない
なおかつその先生が最初に言ったのはキャンバスじゃなくて
シーツを貼らせて
キャンバスは高いからか
でシーツを家から持ってこさせて
そしたら染み込んじゃって染み込んじゃって描けない
で何度も何度もそれで絵の具を塗り込んで塗り込んで塗り込んでやってると
おもむろいとんでもないくらいが出来上がったのね
周りのみんな上手なんだよ
1年から美術部だから
俺だけなんか暗い重いなんか下手な絵を描いて
ところがそれが賞を取っちゃったんだよ
それがですか?
そうそれがこの『Mの孤独』っていう絵なんだけど
今の作品とは全然違う
これはあれですねウェブページに載せますので
『Mの孤独』という作品
36:00
確かに暗い絵ですね
今の作品
これ自画像なんですか?
自画像です
これはじゃあ正木の絵
そうです
暗いですね
暗いでしょ
カモイレーよりも暗い作品
これね描いた時って僕
あのどっかちょっとダサいかぶれの時もあったから
それもあったけど
なんかね描きながら
なんで俺ってダメなやつなんだろうと思ってた時期があるね
それは卓球やると結局は勉強全然ダメになって
もっとやればいいけどでもやめて
親の期待に応えようとか色々思うでしょ
だからそういうどこかやりきれないところがあった中で
このまま終わっちゃうのかななんて思いながら描いてたら
真っ暗な絵になってきてね
これなんか孤独っぽくない?って誰かが言ったの
そうかこれは『Mの孤独』という名前をつけようと思って
そういう絵を描いたのね
そしたらもう絶対入選なんてしないと思ったら
他の人の方が上手いから
そしたら賞を取ってびっくりしちゃって
後から見ればわかるんだよこの絵は賞を取るなって
今はわかるんだけど
そしてその絵を
じゃあ僕がわからないけどいい絵なんだっていう風に思いがなって
実際賞を取ってしばらく見てなかったその絵を見たら
本当に下手で本当に
思い出で暗い絵なんだよ
俺ショック受けちゃって
あと思い出補正がされたんですねしばらく
親も賞を取って嬉しくて来たらこんな暗い絵でしたね
ちょっとがっかりしちゃって
育て方を間違ったんだろうなのかという話になったりもしたような感じだったのよ
だからただその中で
あれもうちょっと何かを描くっていうことに対して
やってみなきゃいけないなっていう風にどこか思ったんだよね
結局小原先生の言ってた
もっと中途半端じゃなくて
とりあえず描いてみて何を感じるかっていうところで
聞いたの何で賞を取ったかということを
そしたらちゃんと下手だからだと思う
下手なものをそのまんま
お前自身がこねくり回して
もがいたから人に伝わったんだっていう風に
言われてそんなので伝わるの?って
だからお前はもしかしたらそういう力があるかもしれないぞって言われて
もしかしたら何か僕の噂を聞いて
めちゃめちゃなやつだからね
本当ね赤天皇で取りまくってるような人だったから
そうかじゃあちょっと美術ってちょっとかじってもいいかなって
高校2年生で初めて思うんだよね
とりあえずみんなからデッサン力足りないから
じゃあ訓練しようと思って
卓球の時と同じで誰よりも朝早く行って
39:03
誰よりも夜遅くまでやってっていうデッサンの訓練をし始める
たった一人で僕新設校だったので2期生だから
ほとんど美術なんて誰もやってた人いなくて
その中で一人で自分で時間を決めて
朝行って昼の短い時間とか休み時間も行ってデッサンするようになって
そして夜もやるっていうんで
そういう感じになったら先生が急に本気で僕を叱るようになってきて
叱るってことは多分こいつを上手くしなきゃって思ったんじゃない?
でもよく言われたのはお前本当に下手だよってよく言われて
だけどやっぱり文章を書かせるといいから文章の方がお前がいい
だけどそれにどこか絵は追いつく時があるんじゃないかっていう話をされたりとか
し始まってそういうもんなのかなーなんて思いながら絵をやり始めたんだよね
それはもうじゃあずっとそのまま2年3年と続けていくってこと?
2年の時にそれで3年の時もそういった意味で
その研創を美術展で賞を取るんだけども
それであれもしかし何かあるかなーなんて思いながら自分の中で
でもお前何が一番書きたいって言われた時に
いや僕は何を書きたいかまではわかりませんって
明日までに何か書いてこいって言われたのね先生に
何を書いていいかわからないから
家帰ったら夜なんか家の中に盆栽があったのよ
よしこれだ!って盆栽書いていったら
お前は油井じゃないな日本画だなって言われて日本画になったの
そういう流れなんですか?
そういうなんかね僕の人生って本当に単純なんだけど
日本画なんて知らないんだよそれまで
でもなんかこれってもしかして日本画ってなんだろうって調べ始まったら
最初に見たのが工藤浩人の絵を見て
なんて綺麗なんだろうって
青森の作家さんでした?
そうそうそうそう
どっちかというと暗い作家ですよね
日本画の中では暗い感じの指揮長です
でも工藤浩人はさそういったって群青が美しくて
結構色幅あったと思うんだけども
でもそういった中からいろんなものが見えていくんだよね
日本画を見るようになって
これだけじゃなくて油井も見てたから
とにかく小原先生っていうのはものすごく美術に対して造形が深い先生だったの
だから僕が見るデッサンをしっかりやるでしょ
じゃあ教えますってこんな話し方なんだけど
分かりましたって
どう教えてくれるんだと思ったら
俺家でもデッサン開始するんだけど
僕の家まで行きますって
家まで来て僕の絵を見るじゃない?
42:01
うーんダメだって言って
パチーンって家の玄関を閉めて帰ってくる先生で
直接教えてくれるわけじゃなくてダメだってことだけ教えてくれる
ダメだって教えて
俺は泣きながらさ
先生ーって言ってどこがあるって
ああいう神経で描いちゃいけませんって
そうか俺は別なことを考えてあれがいけなかったのかと思いながらも
こうやって訓練されてたんで
一生懸命いろんなことをその時に教えられて
クロスハッチングが空が正気がどうこうこう
だからタッチのここのところこういうタッチで描くとか
鉛筆の腕の動きとかって
今考えれば変な動きなんだけど
左右に鉛筆持たせられて
両方で描くとか左右で
そのように鉛筆のタッチを訓練させられたり
上から下まで全部タッチをやらなさいと
わーって
スポコンの漫画みたいな感じになってます
あとはなんか考えられない感じの
僕の常識にはない感じのものをね教えられたの
とにかく線はフューチャーしてなくちゃいけない
フューチャー?
うん、線のこの流れの中で
溝のところのその交わったところに線の何か美しさがあるとか
そういう技術論をすごく言ってきたのね
高校生に言うと思えないことを言ってますよね
そうそう
例えばミキタモンが公園に来るとすれば
美術評論を連れて行かれて
「一つ質問しろ」って言われたりとか
高校生なのにその評論家のとこに
そう、訓練をさせられるの
すごくいろんな絵が好きになって
やっぱりいろんな絵を見るようになって
そしてセザンヌの位置
今の何をセザンヌは求めようとしているのか
問われた時に答えを用意していったりとか
あと、コエソルを平和、写実だけども
このハイライト線はどうやってかすれさせているんだろうか
そういうね、哲学的なことを言う先生で
だけどその先生ってすごい先生で
ものすごいいっぱい美大生も作ってるし
哲学をみんなに移行していった
自分の考えをすごく広めていった先生だった
もともとその先生は
実は漫画家として東京に行って
結核で帰ってきて先生になった
めちゃくちゃ上手な先生だったし
そういった意味じゃ
あまりにもすごい芸術家肌の
でも、突出した先生に出会った
そこで影響をいっぱい受けて
いろんなエキスがそこで習ったような感じ
ちょっと1個だけ気になったことがあるんですけど
勉強は大丈夫だったんですか?
勉強をやろうと思って美術部に入った結果
今、話聞いてるとまたデッサンに狂ってらっしゃったんですけど
45:02
勉強はちなみに
オシャレ通り
良機は泣いて「泣き言はやめろ」って言った
なんなら先生も来ちゃうし
もうね、暇があればクロッキーとデッサンですから
もうね、極端なんですよ僕
でも、そんな美術の道に入ったらだと思うんですけど
ここのドニャ、そして奈落の底へってあるんですけど
なんかもう純粉満々な感じしましたけど
奈落の底へってのはあれだね
結局、僕自身はその頃っていうのに影響を受けてたのは
やっぱり好きだったのは池袋モンパラナスの「ハセガワリコ」とか
その時の「トウニカ」はアイミツが好きだった
なんでアイミツが好きだったって言うと
先生がよく見せてたからなんだけど
なかなか渋いチョイスですよね
やっぱりそういった意味じゃあ
そこの部分ですごくそういう池袋モンパラナス見てたし
その頃「やすい賞」も勢いがあって
それこそ有本俊雄が賞を取るんじゃないかとか
もう洋画界でいわゆる「芥川賞」って言われてるあの賞ですね
「やすい賞」
金谷さんが「いつになったらやすい賞を取るんだろう」とか
思っててドキドキしてた時期なのよ
高校生なのもそう
そういった意味じゃあそういうものも見たりとか
その時にまた具体のことを思ったりとか
いろんなことが幅が広がっていくの
それはなぜかと先生が本屋さんまで連れてって
「芥川賞」って昔いっぱいあったでしょ
あんなかからここからここまでの芸術の見ていいけど
まだお前は売り絵的なものは見るな
早い?こっちはまだ早いよみたいな
芸術のここを読めっていうところを
ちょっとコアな方を
そう進められて
アメリカ中小表現史に含めて
その頃ロートレックが来てたから
ロートレックのポスター文化どうやって平面つなげてとか言ってみろとか
高校生と思えない
すごい読める
読めさせられてた感じなんでね
だけどそれが普通だと思ってたから
俺しかいなかったし
その期生で先輩もいないから
それですごく特訓されてて
俺は本当に芸大に行きたいってその頃思って
なおかつ自分自身でも日本画も好きになってたから
日本画もやってみたいってところで
だからすごい量の作品は描きましたよ
でもなんで奈落の底へ入っちゃうんですか?
その奈落の底っていうのは
勉強が奈落の底でもあるんですけど
そんな僕に受験、芸大許されるんです
両親が?
すごいでしょ
ある意味諦めたのか
腹をくくったのかですね、ご両親も
もう他人の先生も本当はね
3年の時の他人の先生は反対しなかったけど賛成してくれたけど
2年の時の他人の先生は「お前には絶対割れたな」って言うくらいだったんだけど
48:01
結局は僕自身芸大を受けることを許されて
てっきり俺は美術をやることを許されたのかと思ってた
そして行けました、東京芸大
一発ですか?
一発目、現役の時に受けました
ダメでした、やっぱり
そんだけ訓練してもですか?
もちろんやっぱり日本がなってみんな上手だしね
ダメでしたら気が済んだかと親は
もういい加減にやめてくれ
これで諦めてくれみたいな
もうお前は地元に残って美術はやめてくれっていう奈落の底になる
こんなに努力してたら親も応援してくれてると思ったらそうじゃなくて
親も退職でお金もなかったんだろう
この部分でもうやめてほしいっていうところで懇願されて
もちろん俺は泣いたよ、家でもしたよ
家でもしたらよくわかんないですけど
泣いたよまではいいけどもちろんしちゃうんですね
でもやっぱりここまで迷惑かけたんだったら
やっぱり親の言うように地元に残って
普通の方向に行こうかと、特に文章が好きだったから
先生になってほしいってのは親の願いだったけど
先生じゃなくて文学部あたりを受けようかな
受けたいな地元大学の文学部ないからさ
結局福島だと福島大学教育学部しかなかったから
やっぱり教育かなと思いながら
っていう風な形で老人が地元で勉強で老人をすることに
急に切り替えられちゃうんです
でも思い出してみて、俺は絵をすごいやってたでしょ
勉強どうでしたっけ?
そうなんですよね、なんか勉強が上がった要素がもうないんですよね
中1以来ずっと上がってない気がしてるんですけどこれはどう?
もうね、予備校行きました
それは予備校は美術系じゃなくて一般の予備校です
みんなそれなりにその前のうち勉強してるじゃないですか
俺はもう暗号ですよみんな
何をやってるかがわかんない
何をやってるんだか、みんな一から覚えていくんだと思ったら
みんなもうやってるのね
だからもう本当にね、暗号みたいでもう授業に出るのが苦しいんですよ
呼吸ができないくらい苦しくて
やっぱり申し訳ないけど行くことができなくて
一番近くの喫茶店に行くことになっちゃうんですよ
51:01
予備校に行ったふりをして
お弁当を持ちます、持たせられます
予備校行きます、お弁当を持ちます
そうして行くんですよ
毎日そこの喫茶店に行くもんだから
ママさんが「それだったらうちでちょっと手伝わない?」って言われて
もうずっといるからね、のてっとしてるから
そしたらママさんすごくいい人で
アルバイトではないんだけど
そうやっていろんな用事を言いつけてくれたりして
パン買いに行ったりとか
その時にコーヒーもちょっと入れたりとか
いろんなことをしていて
そうするとだんだん外のお客さんだったのが
厨房の中に入れるようになってくる
社員というか
だいたい来る人はみんな
営業の人とかが来て
カウンターがメインの店なので
僕はだいたい助手みたいに思えてくるでしょ
そうするとだんだんみんな遠慮なく言ってくるでしょ
話しかけてくるわけ
いろんな営業の人がいるんだけど
あの頃の営業の人で
喫茶店に昼間から入る人は
どういう人なのかわかりますよね
まあ競馬かバチンコか
あとは風俗の話をするのばっかりなの
また俺がその産だから
すごくからかうわけ
リアクション見て楽しんでる
男の人も女の人も営業してる
うまいから口がさ
俺なんか本気にしながら
みたいな感じで言ってるんだけど
それを見てたらだんだん
俺これでいいのかな
当初勉強して
ちゃんと会社に入ったとしても
こうなっちゃう人もいっぱいいるのも
見えちゃったわけですよね
社会人の変わった
だからママさんに
あんたここにいたんじゃダメになるよ
ママさんのせいでここにいるのに
なんか不思議な話だ
それでもうね
俺はやっぱり
頑張んなきゃいけないなっていう風に
だんだん思えるようになってきて
腐ってたんだけど
本当は映画できなくなって
それでやっぱり本気でやろうっていうことで
中学校時代勉強でね
10時間くらいしてた時期もあったから
そこに戻すの
苦しいけど戻すの
それこそロープで縛ったこともあったし
椅子と自分もですか?
そうやって頑張ろうっていう風に
思うんだけども
結局1浪目はやっぱダメだったのね
間に合わなかった
でも2浪目はしっかりと自分の中で
勉強しようってコンセプトを決める
本当にそれを遂行して
1週間に1ページずつぐらい
模擬試験が受けられるぐらいな感じで
54:01
すごく勉強するんだよね
頑張って頑張って勉強する
それを繰り返していったら
それなりに勉強できるようになってくるんだよ
後半だけどね
英語もできるようになってきて
でもやっぱり苦手科目が何科もかって
そして俺は思ったよりも数学とかできるけど
やっぱり英語はこれ以上伸びないとか
色々わかってくるんだよ自分のことが
そしたら色んなプランが自分に出てくるじゃん
センター試験までに
センター試験今はわの頃共通1位だったけど
頑張ってそれでちゃんと合わせるんだよね
その年
本当に二重点の決意で
ところがセンター試験その年
数学に僕はかけてたんだけど
数学は米印が初めて出た年
つまり2桁の答えを3桁の欄があって
2桁書いて米印を入れなきゃいけないっていう
パターン変えの年だったね
3桁とかきんないから答えが2桁だったら
ここは使わないよって見て米印を使う
偶然当たることはなくすためにやった手法なんだけど
俺単純だからさまんまとそれにやられちゃって
これまでの稽古ではないし
そこまで良かったの
そうじゃないはずだってそこをかけてたせいで
冷静じゃなかったんだろうね
どんだけ計算しても3桁にならないからパニックになっちゃう
何もやってそのうちどうなったかって
多分パニック障害かわからないけど
鉛筆を汗で握れなくなっちゃった
試験中に?
こうやってこうやってこうやって
いったけど
そこ数学が大失敗しちゃって
他それなりに取れたんだけど
結局はもうこれままでは総合点だから
その後1000点満点だったからね
じゃあ足切りになっちゃうということですね
足切りにはならないけど
もうこれではっていう点数になってしまった時に
うちの親父がそれを知って
もう真っ赤な顔をしてたんだと思うんだけど
もう見れなかったけど俺は
優しく
お前はどうする気なんだと
何になる気なんだと
俺は昔からね
そうなった時に
俺は昔から傾きだけが上手かったから
ハリキュー師になるって言ったんだよ
新しいの出てきちゃったんですけど
今まで伏線がないやつが出てきちゃったんですけど
もう受験は終わりだと思ったから
ハリキュー師になる方向に行こうと
その前にうちの親父も国鉄退職だったので
57:03
鉄道JRの退職だったので
ハリキューの何か持ってたんだね資料
それも見てたりもしたから
俺本当に肩もみだけはみんなの上手で
みんなの肩もみもみで
みんなで「お前は上手だね」って言われて
ハリキュー師になろうと思ったら
親はそれでOK言うと思ったら
逆だったの
「まさき、今、もうお前
今からでもいいから好きなことやればは」
っていう言葉とともに
なぜか俺をもう美術やっていいよって
3浪目の時に
急に2、3浪目になろうとしてる時
つまり2浪目で終わろうとしてたのに
今からでもやれって言われた
美術でいいよって意味だったの?
美術に帰っていいよって
突然
えぇ?って思うじゃないですか
俺はそこまで追い詰めたんだって思ったし
親にそう言われてしまったみたいな
後から知ったら小原先生が家まで
俺の家知ってるから
俺の家まで来て怒鳴り込んでくれたみたい
「あんたたちはまさきをどうしようとしてるんだ」
「あれだけ美術に賭けてたのに」ってことを
どうやら言ってくれたらしくて
それはもうずっと後
数年前に聞いたことだから
知らなかったから小原先生も俺が言ったと思う
卒業してからも交流はあった?
ありましたよ
あれはありましたけど
それも後から出てくるんですけど
先生はお病気されたので
でもそういった意味では
実は先生は僕のことをずっと気にしてて
やめたって言ったけど
やっぱりずっと気にしてて
美術をもう1回やらせたらどうだっていうことで
親もそこで腹をくくって
急に俺に優しく
好きなことをやれば
っていう言葉とともに
僕は許されるんです
ここからじゃあ行ったのかというのを
次回ですか?
すごい先気になりますけれども
東京に行くんです
さあどうなるかは
続きはまた次回ということでございます
さあということで
次回は東京に行った再三がどうなるのか
この続きをお話し聞いていきたいと思います
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