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2023-03-27 46:44

第百四十三回 文学は楽しいもの ゲスト:宮崎智之さん

ライターの宮崎智之さん初登場。話題のイベント「随筆かいぼう教室」のお話や、文学との付き合いかたについてなど、著作を絡めつつ雑談しました。弱さに着目し、いつも嬉しそうに文学と戯れているような宮崎さんの背景に迫ります。
随筆かいぼう教室: https://peatix.com/event/3528150
00:06
はい、こんにちは、ポイエティークRADIOです。お相手は私、柿内正午と、本日は特別ゲストでこの方です。
はい、ライターの宮崎智之です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
いっか、ひとまずそんな感じで。
はい。
オブザーバーで今、若書文庫さんと竹田さんもおりますが。
交互に今日は収録ということで。
そうですね。2本撮って、それをまとめてなのかどうなのかは、ちょっとまた後でって感じですけど。
今日は双子のライオン堂のスペースをお貸しいただいて、録音しております。
で、なぜこのメンツでやっているのかっていうところを、まずはじめに。
はい、じゃあ僕の方から宣伝させていただきますと。
4月8日ですね。4月8日の17時からですね。
僕と若書文庫さんがずっと、去年の12月から随筆解剖教室という企画を、ライオン堂さんのイベントでしていまして。
で、1回目は無料で配信しまして。
2回目は前回、作家の大棚旧志貝さんにお越しいただいて。
3回目を4月8日の17時から、土曜日から開催するということで。
その打ち合わせということで、まずここに集まり。
その打ち合わせと同時に、今回告知もしていただくということで、収録しようかということで。
どっちから収録するってことになって、僕がじゃんけんで勝ったので、僕から収録で。
あ、でもこれ更新の順番が違うかもしれないけど。
僕のほかにですね、若書文庫さんも出てきますので。
まずは僕から喋らせていただきたいと思います。
よろしくお願いします。
というわけでね、何度も言いますけど、4月8日土曜日17時から東京赤坂双子のライオン堂書店で会場もあり。
会場とオンライン。
ありで随室解剖教室というイベントを行いますので。
第3回ですけど、もちろんここから参加しても楽しめるようにしていきますので。
はい、そうですね。あ、言ったかな。第3回のゲストが。
あ、そうだ。
すいませんね、断言が悪くて。
いえいえ。
柿内昌吾さんに。
あ、柿内さん。
あ、柿内さんです。
これね、文字の人みんな言うんですよ。
タクシーで来たんですよ、ちょっと今日は焦って。
03:02
ラジオを聞いてきて、ちょうど柿内って言われるんですよねって話が。
あ、知ってたんですね。
知ってましたよね。
知ってました知ってました。
で、僕本当に小夢市間違いやすい人で。
で、市会業とかも多いんですよ。
全部読みが危ないから、カンペに書いてるんですよ。
だから、柿内さんだなってはじめまず思って。
でもというのも僕の知り合いに柿内さんっているんですよ。
絶対そうですよね。
逆にこれ柿内さんって間違いにくいなと思って。
思ったら逆を言ってしまいましたね。
柿内さんが正しいっていうのが逆転して柿内さんになっちゃったっていうか。
そうなんですよね。
この前山本ポテトさんとお話しした時も同じことを言ってました。
柿内、柿内って思って。
それだから普段の言う方じゃない方だ、じゃない方だって思ったら柿内じゃない方だって。
そうそうそうなんですよ。
柿内が頭に来ちゃって。
ちょうどね、そこ聞いてきた。
絶対これ間違いないでしようと思って。
はい、すいません。
いや、全然。
で、答えはどっちだかも分かりません。
柿内さんでしょ。
やめてよ。
こういうの本当に苦手なんだよね。
本当に僕やばいからね。
小夢市が出てこなくて。
洗濯機が出てこなくて。
書いてました。どれだったか忘れちゃった。
洗濯機が出てこないみたいな。違う、冷蔵庫が出てこなかったんだ。
そう、冷蔵庫が出てこない。
洗濯機冷たいやつみたいなことを言っているって。
わかりますけどね。
わかりますよね。
言いたいことはわかる。
まあそんな感じですね。
それで柿内さんにですね、なぜお越しいただいたのかというと、
まず第1回目がミニオン開催したと言ったんですけど、
なんと結構文芸系の話題としては多いと思うんですけど、
1300回、400再生くらい。
その時にツイッターで反応いただいたと。
そうですね、大変面白かった。
出たいというふうに言ったので、これはもういつか言わなくちゃっていうふうに思っていたのと、
あともう一つはですね、いろいろと連続講座なので、構成の企画とか考えていく中で、
初めからですね、随筆っていうのは、要するに小説とか詩歌とか評論とかっていうのは近代以降、
教科書とかにも国語弁談みたいなやつも取り上げられて、
あと文の芸っていう意味でも、批評の批評文とか小説を何だかっていうようなものが結構あるのに、
文芸の中でなぜか大きなジャンル、
近世とかまで遡ると、中世かな、中世まで遡ると、
連れてくださったとか、日本三大随筆とかってあるにも関わらず、
その大きなジャンルがなぜか教科書とか、
受験とか大学受験とかされたときに、日本近代史とかやったと思うんですけども、随筆とかって覚えなかったと思うんですよね。
06:07
多分三大随筆までだったと思うんですよ。
そういう意味では、文学っていうのは蓄積の上に成り立ってて、
その過去を参照することで今のことを考えるっていうのが文学の王道なのにも関わらず、
それは文芸っていうジャンルの中で随筆がそういう風になってないと。
一方で、今書きなさもあるんですよ。日記本とか書いてたり、随筆とかもいろいろ書いてたりすると思うんですけども、
端的に言うと随筆ブームみたいのが今来てるんじゃないかっていうような僕の見立てがあって、
それは商業出版でもそうですし、今度5月に開かれる文学リマとかでも、
やっぱり結構目立っているのは随筆本だし、そこからフックアップされるっていうか、
商業出版の方にスカウトされるというか、
そういうルートが出来上がりつつあるんですよね。
一方で逆に言えば若津文子さんなんかも言ってますけども、
随筆の新人称みたいなのがなくて、随筆家としてデビューみたいなのがなかったりすると。
そういう状況を整理しなくちゃいけない。
僕はやっぱり文学部で、基本的に文学がベースにある人間なので、
ある種随筆ブームとか現代随筆とかカテゴライズすることによっての弊害もあると思うんですよ。
実際カテゴライズされたがらないとか、何々系みたいな人も多いと思うんですけども、
逆にそうしないと過去を振り返ることが未来のことを考えるとできないと。
最近は言われなくなりましたけど、文壇にもブライ派とか白樺派とかそういうのがあったわけで、
それ良し悪し別として僕らはそういうものを体系的にある程度学んでそこから深く入っていけるわけだけども、
随筆というものはそういうことも特になく、
現在においてはというか今盛り上がってきてるんだけども、
ずっと有名人の書くものとか作家の方の書く余儀みたいな位置づけになっていると。
余儀が悪いかどうかは別としてあるんですけども。
そこはたぶんイベント当日に僕は結構突っ込みたいところだからね。
少なくとも随筆、エッセイストって名乗ってる随筆芯が少ないですし、
じゃあエッセイストにどうなったらいいの?といったときに特に。
そうですね、なるルートは特にもよかばないですよね。
ないですし、じゃあどういう風に学んだらいいの?どういう風に芸を、随筆の筆を成長させたらいいのかということもないと。
09:09
で、今回副題として文の芸を考えるという副題がついていると思うんですけども、
そこら辺をやはり、書きなりさんと一緒に考えていきたいと。
今、書き討ちとかけない、迷ってあるけどね。
カメライの時間がある。
今日ね、人と話してないんですけど。初めてなんで。
いや、いいですね。徐々に温まってきてね。
そんな感じで、じゃあ文の芸って何だってことを突き詰めると。
で、文の芸ってこうだという風には、どのジャンルにおいても言えないんだけども、
少なくともこういう風に考えれば、自分なりの文の芸について考えられるっていう資座みたいなのが絶対必要だと思うんですよね。
考え方がわかんないじゃないですか。
そうですね。足掛かりがまずどこにあるのかというところですからね。
実際、告知文を読んでもらうとわかるんですけども、今まで2回やってきた中で色々と課題が出てきてます。
一つは、これは和歌書文庫さんが特に僕よりも問題意識を持って考えていますけども、
一つは、随筆ってのはさらけ出すことなんです。
自分のプライベートとか周囲のものも含めてさらけ出すこと。
僕の言い方だと、素直に書くって言うんだけど、
でもそれは結構一方で危ういものでもありますよね。
そうですね。
やっぱりプライバシーの問題とか、例えば僕は子供がいるんですけども、
子供のことを書くときにデジタルタトゥーの問題とか、現実的にあるわけですよね。
ネットで書く場合でね。
そういうものとかも含めて、どこまで出したらいいのか。
出すならどういう芸が必要なのかというところが問題点として渋られになっている一つと。
そこで文の芸というものを、文体論でもあるんですけども、すごく詳しそうな。
いや、詳しくはないですけど、すごい興味があるところなので。
でも僕その話になると、これはイベント当日にお話しするんですけども、
すごいどんどん主語を大きくして話していくことになると思っていて。
自分でもどこまでやろうかなというのが思っているんですけど。
柿内さんが食いついてくれたところも、第1回目のやつで、文体論でしたよね。
そうですね。
何か1回、2回聞いて気になったところとかありました?
1回、2回聞いて、本当にこのイベントでお声掛けいただいて、文の芸の話でしますって言われたときに、
すごいバランスがいいなと思ったんですよ。
1回目で大枠の随筆と何かという話を、ある意味若松文子さんのお仕事を起点にしつつも、
12:03
宮崎さん側の歴史的なところでの整理みたいなところもある程度地ならしがされていって、
両輪で回っていたんですね、個人と歴史というところが。
そこで、前回の織田紀司会さんが出ていた回では、どちらかというと織田紀司会さん個人にグッとフォーカスを当てて、
一人の作家論でもあるし、その一人の文章についてのスタンスだったりというものを突き詰めていく。
前回はどちらかというと個人に寄っていくような内容だったかなと思っていたので、
次はおそらく僕がやるのであれば、僕の自己紹介の時間は本当に2秒でいいから、
とにかく歴史の話をしようぜという時間にできたらいいなというふうに個人的には思っています。
いやー、ありがたいですね。論客を呼ばなくちゃ、僕らも論がどんどん展開していかないので。
そうなんですよ。
かけないさんは結構、前回の織田さんは作家にフォーカスした理由というのは織田紀司さんが結構謎だからという。
いや、そういう意味では興味津々で聞きました。
そう、プラスあとネットプリントとかいろんなこの発信の方法を僕では考えつかないような方法を使われてやっている。
どういうつもりで出ていたのかというわけではなくて、どういう心持ちとかでやっているのかというところにフォーカスしたので、
今回はそこをもう少し抽象度を上げて、もう一回風呂敷を広げてみたいと思います。
広げてみたいですね。
第3回までしかまだ考えていないんですよ。
そうなんですね。
いや、あるんですけど、さっきも特に視野が。
まだここからどう展開するのか。
風呂敷を広げまくっていただきたい。
わかりました。もうワクワクしてきますね。
どんどん無責任とちらかそうという気持ちが非常にあります。
いろんなピースをいただいて、それを収束させていくんだろうけども、きれいにはいかないだろうし。
この随筆解剖教室自体が流動的な、今の現代に寄り添っていくイベントでありたいなというふうに。
いや、いいですね。すごいワクワクしています。
今も事前にLINEグループで、イベントに向けていろいろと論点を出したりとか、その場でも議論を始めてしまったりみたいなことをしてるんですけど、
もう楽しくて仕方がなくて、それが。
すごいあれですよね、それに文字起こしすればいいんじゃないかって。
もうこれでいいんじゃないかって気もしつつ、でもやっぱりイベントに向けてとっておきはとっておこうみたいなところは。
そうですよね。
あったりするので、スタートと同時に当日はワーワーやっていくことになるんじゃないかなと。楽しみにしています。
ありがとうございます。
というわけで、かなりいいイベントになるんじゃないかと思いますので。
15:02
なんか緩やかにね、ちょっとお話ししていければと。
そうですね。
思うんですけども。
そう、だから今日はちょっとその、随時の話を話し出してしまうと、おそらく本当に止まらなくなってしまうので。
僕今日宮崎さんときちんとお話しするのは初めて。
そうですね、立ち話し。
立ち話し程度で、少しお話は一度して。
そう、ツイッターとかで。
そうそうそう、ツイッターとか、ラインとかでやりとしてるんですけど。
なのでちょっとお互いの本の話とかを軽くしていきながら、こんなふうなことを今、宮崎さんの仕事に対して思ってますみたいなところをお話しできればよいかなというふうに思っています。
で、超えてくラジオのゲスト回の特徴として、これは和歌書文庫さんが初めて出た時もそうなんですけど、
ゲストを呼んでおきながら僕がずっと喋ってるっていうことになりがちなんですね。
なので、今日はそうならないように気をつけたいなとは思ってますけど。
いや、それはないよ。
宮崎さんやったら大丈夫だなって今すでに思っております。
僕はちょっともう、今年の目標はあんまり喋りすぎないという感じなんですけど。
分かりました。でも今日も今こう話しながらだんだん宮崎さんとおしゃべりするときのマンの取り方が徐々につかめてきました。
なんか多分僕は途中でも喋り出したほうがいいんだなっていうのをだんだん考え出しているので。
何にも気を使わなくていい人になろうと思っているので、ぜひ。
でもそれがすごいさすがだなというか、いいなってまず初めに思いました。
宮崎さんと初めてお会いして、ご挨拶させてもらって。
ありがとうございます。
なんかすごい、もっと怖い人とは思ってなかったんですけど、もう少しその、なんていうのかな。
でも神経質そうみたいなことは言われる。
なんか気を使わないといけないかもみたいなことを思っていたんですけど。
伝えられないですよね。
なんか初手からものすごい下からだったので、ちょっと僕はそこでまずびっくりしてしまって。
いや、実際ね、本当になんでもない人間ですから。
いやいやいや。
始まっちゃった。
なんでもない人間。
竹田さんとかもね、双子のライオン堂の竹田信也さん、しんじさんって言っちゃうんだけど。
俺たくさん解いてないんだよ。筋肉ないんだよ。
あの、しべのラジオとかも前日とかに来たりしますから。
でもそれ羨ましいんですよ。なんか僕もこのモヤモヤの日々読んでて、ピンチヒッターの話が、
というかなんだっけ、シックスなんでしたっけ。
6人の男で。
ベンチを温めていることの話とか出てくるんですけど、僕それすごい憧れるなと思っていて。
竹田さん、僕のことのピンチヒッターって読んでくれないかなっていうのを今、チラッと目配せしてるんですけど。
神様ばっかりいる。
代打だけは充実してる。
それもいいですよ。
でもなんだろう、こう、選ぶりたくないって言うわけでも別になく、
18:01
でもね、実際やっぱもう年齢が今49.1になったんですけども、
なんだかんだ歴を重ねてきちゃったところがあるから、
ライター40歳問題っていう、クリーダーズ40歳問題っていう、竹熊健太郎さんの本があるんですけども、
年下が増えてくるんですよ、一緒に仕事をするとか。
編集者も現場にいる編集者の方、30代の方とかがわりと多くて、
僕の同年代かそれ以上の方は、結構管理職になられてる方が多いから、
めんどくさくない奴になろうかなと思って、
実際僕めんどくさくない人間だし、すぐ忘れちゃうから良くも悪くも。
なんかそこら辺をちゃんと行っていかないと、
確かに見た目とかからするとちょっとね、神経質っぽそうに見えたりするっていうことも。
僕宮崎さんと初めて接触したのが、
パルコの上のほぼ日の広場のところで、
多分コロナになる前だったかな。
僕がプルストを読む生活の順番の2巻を竹田さんに追加で納品頼まれてて、
じゃあ直接パルコまで持ってきますよって言って持って行った時に、
ちょうどその時に店番で宮崎さんがいらして、
竹田さんがこの人あれですよ、吉田家に好きなんですよ、みたいな。
僕のことを紹介してて、それで宮崎さんがこれいいですよ、
いい本ですよって言って、フフフって言われたんですけど、
僕その時はこれ買わなかったんですよ。
確かその場では知らない本買いたかったから、
知らない本買うみたいなことで、これは買わなかったんですけど、
その時にすごい宮崎さんが、
なんかすごいシュッとした、それこそこの本に書かれてましたけど、
シュッとしたバンドマンみたいな方が、
フフフみたいな感じでこの本をお勧めされた時に、
すごいだからちょっと構えたんですよね。
なんかされのめしたやつが。
本当にね、なんでだろうね。
僕相当バカな人間だから。
いや、これ僕が悪いんです。
これなんか僕がすごいだから、そこでなんか何かを、
ちょっと僕そもそも割と屈折した、
鬱屈した人生を過ごしていたので、
シュッとした人を見ると一回敵だと思うみたいな悪劇があるんですけど、
なんかそれで反射で、なんかシュッとした上で、
なんか文学やってる人だと思って。
一回ちょっとそこで、なんか。
そうなんでね。
文学とかやってるとさ、本とか出してると、
先生とかたまに会ったことがあって。
だからなんか勝手にこっちがなんか、
距離を取っちゃうんですよね。
だからなんかそこは確かに、
なんかウケる側としてもなんかあるなって思って。
あの僕のね、図筆によくナギって言葉が出てきて、
象徴的にこう読んでいただくことが分かるんですけども、
ある私優としてナギって言葉をしてるんですけども、
イベントでね、これもうちょっと名前言っちゃったけど、
ある方、なんか読者の方が、
21:01
めんたけさんの図筆読んで、
子供にナギって名前つけました。
そういうプレッシャーだなと思って。
これ絶対悪いことできないなと思って。
軽犯罪とかに捕まっちゃいますねみたいな。
そうですね、捕まったらその瞬間に何か告げが押されちゃいますからね。
軽犯罪でもダメですよね。
なんかすごいチャチいことはできないなみたいなね。
でもやるならデカくですよね。
そう、やらないけどね。
でもまあ、なんかね、結構やっぱ本とか出してると、
ただでさえ謎の人間と思われるんですけども、
結構なんだろうな、
この本にも、
ヘンスマンをこの世界に熱狂したい、
っていう本を原動者で2020年に出して、
去年、モヤモヤの日々っていう日記本を出したんですけど、
そこにも書きましたけど、
結構ね、成長が遅くてバカみたいなやつだったんですよ。
そう、その話すごい面白かったです。
鼻が詰まってて、まだ自我が育つのが遅かったみたいな話が出てきて。
そうなんですよ。
ずっとなんか鼻が詰まってて、
今身長178cmもあるんですけど、
ちっちゃかったんですよ。
中学入りまで140ちょっとしかなかったと思うんで、
成長が3月ぐらいなんですよ。
成長が遅くって、ずっと鼻が詰まってて、
筑納消耗手術を36歳ぐらいでやったんですけど、
それまでずっと詰まってたんですよ。
でもその毎段階で、中学の先生から、
口で息してるから鼻で息しろって言われて、
結構ああいうアレルギスエビエンとかって、
中学くらいだったら治ってくるじゃないですか。
徐々に体が強くなって、むかつさが増して。
で、ちょっと鼻息ができたんで、
鼻呼吸したらパーって腰開いて。
すげえいい話。
人と自分は違うという時代の境界が始めてくる。
それまで人と自分は一緒だと思ってたんですよ。
それすごいいい話だなと思って。
結構そういう、なんだろう。
3月生まれで末っ子長男なので、
ずっと年下気質みたいな感じで、
すごく屈折した時代が育ったんですよ。
僕はそうですね。
言うてもそんなでもないんですけど、
なんとなく、なんだろう。
とりあえずシュッとしてる人が苦手だったんですよね。
シュッとしてるっていうか、ただ不健康だらけだって。
いやいや。
あの、なんか。
そうですね。
でもなんかそうかなる。
なんか結構僕はね、
よくライターとか物書きやってる人で、
あとバンドマンによく間違えられるから、
間違えられるからって当然のように言っても間違えられるんですよ。
そうですね。いろんなところに書いてましたよね。
すごくサブカルみたいな、
屈折した青春を送ってきたんじゃないかと思われがちなんですけど、
24:02
めちゃめちゃ素直な、すぐに育った男の子だったんですよ。
それはなんか読むとわかりました。
今もそうですけど、結構なんか、
割と我ながらに恵まれた環境だったなっていうか、
お父さんとかすげえいい人だったし、
亡くなっちゃったけどいい人すぎて。
父親とのエピソード、幼少期の頃のエピソードとか、
このモヤモヤの日々、平熱のままこの世界に影響したいもの、
両方出てくるんですけど、すごい良くて。
でもそこまでも多分、文化でバックボーンの話として、
自分で話していったほうがいいようなところかなと思うので。
でもちょっと一つだけ言うと、
お父さんの教育方針として、
あんまり勉強しろって言わなかったってところもあって、
それはお父さんがすごい超進学、
いわゆる超進学校ってあるじゃないですか、
中学一科の出身で、そこで挫折した人間なんですよ。
なるほど。だから学歴の競争みたいなところに。
勉強が嫌いになっちゃ困るって言うから、
あんまり勉強しろって言わなくて、本当に勉強しなかったんですよ。
大学受験で初めて勉強して、
しかも半年くらい前に勉強して、詰め込んで勉強して、
合格して入院したっていうぐらい勉強しなかったんですけども、
お父さんの教育方針として、
お父さん文学部に行きたかったんだけど、高度成長期だったから、
高学部に行かなくちゃいけないっておじいちゃんに言われて、
高学部に行って文学を断念した人だったから、
ちっちゃい頃から、僕はあまり勉強しなかったっていうのもあるんだけど、
詩の読み聞かせみたいなのをしてくれたんですよ。
いろいろやっていくうちに、どうやらこの人詩が好きみたいな話になってきて、
詩とか文章が好きって話になってきて、
読み聞かせだけじゃなくて、自分で暗唱させたりとか、
子供ってなかなか記憶力よかったですよね。
記憶力めちゃくちゃいいですよね。
僕は子供の頃、隣のトトロの全セリフ、頭から最初から。
そうそうそう、そういうやつ。
中原忠也が好きで、忠也をよく暗唱させられてて、
一時期ヤギの歌とアリシの歌、
詩集として参考されたものは全部入れたんですよ。
うん、すごい。ありますよね。
そういうこともあって、文学っていまだに結構、
お父さん71って比較的早い年齢になっちゃったんですけども、
いまだにお父さんと遊んでた記憶がすごく鮮明なんですよね、文学においては。
本当にそのお話を読んだときに、
前にそれこそ、吉田健一再びってさっきもちょっとだけ出てきた、
僕としては宮崎さんの慣れそうめん、そびれた本なんですけど、
これに書かれてる吉田健一論も、
割と楽しいものだというか、
肉体的な快楽というか協力的に楽しいものとして文学っていうものが、
27:00
吉田健一にとってはあったんじゃないかみたいなことを大分で書かれていて、
すごいそれを、このお父様とのエピソードを読んだ上で、
もう一回読み直すと、ちょっとグッとくるものがあるんですよね。
吉田健一が元々お好きっていうのが、多分僕の第一印象ですごく強く残ってるんですけど、
そこの態度って何なんだろうって思ったときに、
やっぱり本当にお勉強だったり教養として、
何か文学っていうものを修養みたいなイメージで詰め込んでいくっていうことじゃなくて、
あくまで初めから割とフィジカルに近い方向での楽しみとして、
喜ばしいものとして文章と接しているっていう態度が、
なんかすごい一貫してあるんだなっていうのがあって。
それはもうありがたい。親に感謝って書いてある。
吉田健一も、吉田健一はケンブリッジを仲大してるんですけども、
英語が堪能で、よく知られることですけど、
父親が吉田茂で、政治家になる前は外交官だったんで、
上海とか行っちゃったこともあって、英語がペラペラで、
そのシェイクスピアとかを原文で酔っ払いを断章して、
5Sに入っていたみたいな話っていうのがあるんですけども、
そんな感じのイメージっていうのがやっぱり吉田健一の中ですごくグッとくるところで、
なんかやっぱりこう、単純に口に出せたら気持ちいいとか、
割と快楽的な部分っていう文学ってあるなと思ってて、
ちょっと当日話そうと思ってたことを言うと、
割と文体とかも結構そういうところがあると思うんですよ。
友田トンさんがね、作家で出版社代わりに読む人をやってる、
肩こりが触れる文章みたいなのを書きたいみたいなことが言ってたけど、
僕もね、その小説すごくわかるんですよ。
なんか文章ってそういう作用ないですか?
一貫として同じ作用が生まれるような文章って結構僕の中であって、
すごいわかります。
採読結構するんですけど、
そういうものって文体とかに載せれるんじゃないかなと思ってて、
今すごいあらゆるところにトピックなんだろう、
今この文体について話したいんですが、
これはイベントに行ってしまう方しかいません。
楽しみですね。
実際僕は自分の文章を書くときにそれを結構計算してるんですよ。
だいたい自分の感覚だけど、
こういう風な言葉で、こういう言葉の運用をして書くと、
人間はこういう風に頭の回路が動くに違いない、
別に科学的なことじゃないですよ。
でも僕はね、
自分の頭の回路が動くときに、
運用をして書くと、
人間はこういう風に頭の回路が動くに違いない、
別に科学的なことじゃないですよ。
でもそれすごいわかる。
30:00
そこを本当にイベントのときにも具体的に掘り下げていきたいというか、
僕自身も普段書きながら、
一番考えているのって、
どこの推定どうですかみたいな話なので、
ちょっとあんまり言うとあれだから、
リズムとかね、
すごいぼやかしますけどね。
リズムとか言葉の単純なね、
漢字で書くのか開くのか、
開くのか開かないで書くのか、
でも全然比較イメージも違うし、
そういうとこも含めて、
結構できるんじゃないかと。
あと一点だけ最後しゃべらせていただくと、
最後じゃないかもしれないけど、
もう一つのトピックとして、
当日しゃべりたいこととして、
教養じゃなくてみたいな話が先ほど言っていただいたんですけども、
一方である程度の教養があったほうが、
文章を書きやすかったり、
もしくは読みやすかったりするっていうのはそうだと思っていて、
やっぱり僕が何か文章を読んで、
頭がこういうふうに作用して、
こういうふうに気持ちがなってきたっていうのも、
ある程度、
なんだろう、
データベース的な過去のインプットしたものがあるから、
そうなるわけですよね。
読みに関してはそうだけど、
書きに関してもやっぱり何かのバック文がないと、
まず書かれがないというか、
それこそさらけ出すというところに
高いなってしまうという部分があって、
そこに関して言うと、
よく後輩のライターさんとかから、
僕とか私はあんまり文化的なバック文がないんだとか、
詳しいものがないんだとか、
っていうふうに相談されることがあるんですよ。
でも、それ言っちゃ僕なんて何にも専門ないから、
文学って広すぎるでしょみたいな、
文学っていうか、
Cityは言葉と人間について考えてますみたいな話なので、
ほぼ全てってことですかね。
そう、ほぼ全てですからね。
人間の事象において全てのことを考えてるってことなんで。
でも、考えにあたってバックボーンにしてるものはあって、
それはさっき言った中のツリーだとか、
ずっと積み上げてきたものじゃないものもいっぱい含まれていて、
結構さっきも言いましたけど、
ボケッとした少年、青年だったので、
割と社会人になってから、
今41だけど、結構30、
本当に何かいろいろ体系的に築いていってるなって、
自覚が出てきたのは34歳くらいからね。
本当にすごい励まされる話だと思うんですよね。
それこそ宮崎さん書評とかのお仕事があると、
その対象の作家の作品は基本的に全著作を読んでから挑むみたいな話も
よくツイッターとかでもされてますけど、
たぶんイベント当日は、
いったいどんな風に読めばそんなに読めるのっていう話を、
33:00
さっきちょっと打ち合わせでチラッと聞いて、
僕と若田さんはすごいオーって来たんですけど、
それも無料のポッドキャストじゃ申し訳ないぐらいになって。
先輩に聞きまふるってのが一つですね、本人に。
言っちゃダメ言っちゃダメ言っちゃダメ。
じゃあどうやって読んでもいいかってのを聞いて、
それで自分でインプットしてきたと。
そんな感じですね。
だから結構自分が足りないなと思ってるところって重要だなって思ってて、
ちょっと話は変わるんですけど、
最近、ウィークポイントを伸ばすってことが大切だなって。
そう、その話もしたいですね。
思ってるんですけど、僕が中学校高校のバスケ部で、
はい、行ってましたね。
だったんですけど、
その顧問の先生が、結構中学校は強いバスケ部だったんですよ。
割とチップ大会であったなという人で。
顧問の先生が宮崎はウィークポイントを伸ばせって言ってくれて、
僕バカだから、なるほどと思って、
得意なところを伸ばせばいいんだなって思って、
ウィークポイントの意味分かってなかったんです。
全然逆に。
そう、受験の時に知って、学前と来たんですけども。
中距離のジャンプシュートが得意だったんで、
そればっかり練習したら、全然伸びなかった。
先生もびっくりした。
そうそうそう。
ウィークポイントという言葉に気づいたのは大学時期のようなので、
6年くらいは感じがしたんですけど、
でも結構40歳になって、
もう一度40歳になって、
あの言葉を思い出すことがあって、
やっぱりいろんなことを突き詰めてきてはいるんですね。
なんだかんだ文章のやつとか。
でも結構、今それに投資しても、
結構自分の中ではレベルアップしたなと思っても、
周りからすると結構小さなサイズだったりして気づかなかったりするんだけど、
極端に弱いところとかを鍛えると、
めちゃめちゃ伸びたりするじゃないですか。
今、吉川ひどみちさんと坂井太都さんがやっている読書会、
非哲学者による哲学者のための哲学読書会みたいな。
知られてこいを見えしました。
論理的なね、いわゆるクリティカルフィンティングみたいな、
クリティカルリーディングみたいなことを学んでるんですけど、
僕、文学ってもっと感覚的にとらえてるから、
吉田健一もちょっとそうだと思うんですけど、
なんかわかってしまったみたいな。
折れてきたみたいな。ピカーン。
アルチュードランボー、ピカーンみたいな。
思ってたんだけど、
でもその論理的なやつを全くやってこなかったから、
幼稚園レベルなんですよ、論理能力。
でも今まで第1期、今2期目の3回目まで、
36:02
2回目だったんですけど、
自分なりに幼稚園が今小学6年生くらいになってきたんですよ。
結構な伸びじゃないですか。
それそうですね。逆進がすごいですよね。
これが多分、社会人レベルになると結構いいんじゃないかなと思って。
なんなら社会人、大体みんな小学生レベルくらいですかね、その辺の。
でもそれね、堺講師にすごく褒められて、
宮崎さん素直ですねって。
やっぱり1回確立したものを壊したくないみたいな人が多いらしいんですよね。
確かに。それだとあんまり勉強ってあれですもんね。
でも僕はさっきも言ったように大したことない人間だから、
別に何かが加わったとしても、何か僕のものが壊れても、
嫌なこともないし、大したことないと思ってるから、
新しいことをやっていこうかなって、
最近40代超えてから思い始めて、
例えばお酒も辞めたしね、
34歳で、部屋の片付けも最近するようになったし。
モヤモヤの日々の中だと、1年ずっと片付けを失敗し続けてました。
引っ越して4年目くらいで初めて部屋を片付いてますよ、仕事見ながら。
じゃあもう本当にこの後にもどんどん変わってる。
すごい偉いな俺って思って。
偉すぎるでしょと思って。
でも例えば時間術とか全く学んでなくて、
未だにフリーランス10年目で定期日もなければ、
修行時間もないんですよ。
逆に言えばそれ時間術できたら俺結構すごくなっちゃうんじゃない?
みたいなところがあって、
伸びしろを伸ばすといいんじゃないかなって。
だから今手にしてないんだったらバックボーンを。
それチャンスだよみたいな。
ガンガン入れれるからみたいな。
そうなんですよね。
それこそいいポイントって自覚してるってことは、
そこ自分も足りないって思ってるから素直になりやすいですよね。
下手にこれはそこそこできるぞって思ってるところを
肩崩してもう一回最初から素直にやり直すより、
もしかしたら勉強しやすいポイントなのかもしれない。
少なくとも近代文学が大学で専門だったので、
近代文学と何かは一層されてるわけですよ。
でもそれを研ぎ澄ましていくよりも、
全く一層されてない人は近代文学が超伸びるじゃんみたいな。
それはすごい。
それはおそらく2日3日とかじゃ無理だけど、
10年とかではないぞっていう感触があって、
10年だとしても30歳でまだ40じゃんみたいな感じがしてるので、
そういう話も講じていきたいなと。
僕もそれこそまともに本を読み出したのは社会人になってから。
社会人って言葉あんまり好きじゃないんであれですけど、
就職してからなので、その辺りの話もしていけたら。
39:02
プルーストを読む生活とかも、
まさにそういう話も絡んでるんじゃないかなって
勘としては思ってて。
プルーストを読む生活は、僕がそれこそ、
ある意味鼻詰まりを直して肉から人間になっていくまでの話みたいな。
なるほどね。
だからそれをさらに一冊にしちゃってるのがすごい良いんですよね。
そう、だからプルーストを読む生活、
僕今、結構恥ずかしくて読み返せないんですよね。
前半部分とか、普通にまだよちよち歩きでぽやぽやしてるから、
危なっかしくて仕方が無くて。
今僕まだ途中までしか読んでないんですけど、
僕プルーストを読んでないんで、まともにはね。
読んだことはあるけど、読破してないんで。
これ自分の脳の中の伸びしろ発見みたいな。
プルーストインストールしたらいけちゃうんじゃないみたいな感じで思ってますね。
意識の流れっしょみたいな。
でもそれこそプルーストはいいところは、
死なれた時を求めてって、自我を確立していくまでの話なんですよ。
なるほど。
だからそれこそ最後に見出された私が出てくる。
まあ本当は即興に見出すんですけど、
文章としても、僕が順番に出した時は、
最後の2巻を見出された私っていう名前で出したんですけど、
あれはだから本当に、
いや、プルーストがここで発見したのはまさに近代的自我っていうもので、
もう前半部分でずっとぷやぷやして、
なんか公演でなんか嬉しくなってずっと傘振り回してるだけだった坊やが、
いつの間にか社交界でそこそこのパフォーマンスを発揮できる個人になっていくまでの話っていうところで言うと、
プルースト読みながら僕が今のこの、
僕としてある程度形ができてきたっていうのは、
わりとね、いい本だと思うんですよね。
冬として公演で傘振り回したって本当にわかる。
僕も振り回してました。
あの月の練習とかしてましたよね。
そう、出てくるんですよ、プルーストの最初のコメント。
主人公の語り手が生に目覚める時の考え方として、
なんかすごい、まだそのよくわかんないけどなんかエッチな気持ちになってきて、
なんかすごい嬉しくなって。
それが何かわからない。
森のこみつかなんか歩いてるんですけど、
向こうからすっごいとびきり可愛い子が来たら、
きっとその子が僕のことを手招きしてくれて、
なんかいいことしてくれるみたいな妄想にすごい急に楽しくなっちゃって。
でもその楽しくなっちゃった勢いで傘ブンブン振りました。
チッチッチッってずっと言い続けて。
わかるわ。
わかるわ。僕もやってたもん、小学校の時。
めっちゃ買ってたもん。
朝顔とか、アジサイとかを敵に見立てて。
そういうね、いいシーンがあるんですよ。
でも自我の確立っていうことも随筆っていうことに、
これから現代的な随筆を考えるときに、
どう現代的な自我を立ち上げるかって問題にもなってくるかなって。
なってきます。
うちのお父さんの名言で、
人に注目されるときは大体社会のものが空いてるところっていう名言があるんですけども、
なんかそういうことじゃないか。
それはちょっと今つながるかわからないですけど、
42:02
でもなんだろう。
その名言も。
今日宮崎さんとお話ししてても思うのが、
その吉田金一のお話だったり、
このモヤモヤするあの人だったりは、
どちらかというと対象がありきで書いてるもので、
一旦置いておくとして。
なるほど。
平日のままこの世界に熱狂したいとモヤモヤの日々に関しては、
ある意味、今宮崎さんがお話しされた内容が、
言葉を選ばずずっと擦られ続けるんですよ。
今のお父様の名言とかも、
多分3,4回は出てくるんですよね。
同じ話として反復されるんですけど、
それがある意味個人の記述の厚みとして成立してしまう。
ある意味、平日のままこの世界に熱狂したいと読んだ後にこっちを読むと、
ある意味こっちで書かれてた内容がほぼそのままこっちに直ったりもしてるんですけど、
実はその語り直しみたいなのは、
すごい大事なところなんだろうなと思っていて、
それはおそらく文体論だったり、
もともと今回の随筆解剖教室の大きな問題である、
本当にさらけ出さなきゃいけないのかみたいな話に、
すごい直接アクセスし得る取っ掛かりだと思うんですが、
ここは今深めにやめておきます。
今日そんなのばっかり。
とりあえず宮崎パートはこれぐらいにして、
そうですね。だいたい45分ぐらいなので。
じゃあこの後また、一旦ここで閉じましょう。
一応じゃあもう一度告知させていただいてよろしいですか。
もちろんです。
4月8日17時から、
ドクターのライオン号さんで随筆解剖教室第3回、
書きない松尾さんと和歌書文庫さんと私宮崎智之で開催します。
オンラインも募集していますし、
リアルテンポにも若干目ですが入ることができます。
前回ですね、結構すぐソードアウトしてしまったので、
今沖の方、すぐこういうのをやっています。
入学式とか入社式の後で忙しいかもしれませんが、
沖の方が人生を潤うと。
そうですね。
潤いますよね。
潤います。
なんかもうあれですよ、
もう終わったら会場でみんなでお茶飲みたい。
そうそうそうそう。
まどれるのこっちは。
まどれるのこっちは。
少なくとも今まで聞いたことのない議論が来るんじゃないかなという自信がありますのでよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
和歌曲も見れるんですか?
和歌曲も。
一応販売というか。
2週間ほど見れるので、
チケット買っておけば。
いわゆるマネージにやっといていただければ2週間で今は。
後からは買えないんですよね。
後からも見れるんですけど、
ちょっと遅れての購入になるので、
早めに話題が。
今のうちにきちんと乗っかっておいた方がいいですね。
さらに先になったらしばらく見えなくなる。
書籍化する予定があるので、
あんまりここが音声だけで残さないというのが一方心で。
それこそリアルタイムで聞いていただいたハッシュタグだったり、
45:02
実際のコメントだったりいただいたら基本的に答えるつもりでいるので、
僕らが一方的に喋るというよりは、
存分にね、いろいろこう、
それはどうなんだとか、これはどうなんですかみたいな。
これを参加型で一緒に作っていけると一番いいなと思います。
宮崎さん的には運動体的にね、
随筆とかを考えていきたいわけですよね。
そう、運動体。
言葉を新しく作っていくと考えているので、
今回のイベントとはちょっと違うので。
そうですね。
新しい文壇が今登場して、発生していっている。
新しい支援を立ち上げるという、
随筆復興って言っているんですけども、
ルネッサーとか、千年後とかから教科書に日本のルネッサー、文学ルネッサー、
宮崎智之さんがね、
旗振りみたいな。
受験生が書きないってちゃんと書けるか、書き討ちって。
書き討ちって読みがないでしょ。
そういうのを目指していますので、
ぜひ。
あと、純粋にこういう随筆がいいよとか、
随筆って読んだことないようになった人って意外といるらしいんですよね。
小説とかフィクションとか、
もしくは文字列書とか、
何か意味のあるものを読んだことあるけど、
結構無意味で、
とっくがりがないなっていうジャンルでもあるので、
そういう方も見ていただければ、
どんどんおすすめの過去に属する人や、
現在に属する人を紹介していきますので、
ぜひよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
というわけで、
V-TECH RADIO、
本日のお相手は、
私、書きないしょうごと、
宮崎智之でした。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
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