1. そろそろ美術の話を...
  2. #079 運や縁に身を任せつつ、..
2023-03-11 52:47

#079 運や縁に身を任せつつ、美術の仕事に携わることについて(中村屋サロン美術館学芸員 太田美喜子)

中村屋サロン美術館学芸員 太田美喜子さんをゲストに中村屋サロン美術館で働くに至る経緯や、新宿中村屋でのおすすめメニューについてお聴きしました。

https://sorosoro-art.vercel.app/ep/079 番組の感想は、#そろそろ美術の話を でお願いいたします。

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Guest Profile

太田美喜子(おおた みきこ)

  • 国立西洋美術館、東京国立近代美術館の非常勤を経て、2002年からニューオータニ美術館で学芸員を務める。14年、中村屋サロン美術館の開館に伴い同館の学芸員となり、中村屋サロンの画家たちの企画・研究を行う。

Show Notes

中村屋サロンについて

学生時代の話題

美術に係る仕事を始めてからの話題

太田さんの関わった展示について

新宿中村屋でのおすすめメニュー

中村屋サロン アーティストリレーについて

00:00
♪~
はい、アートテラートニーのそろそろ美術の話を
この番組は私アートテラートニーがアートに関わる方をゲストにお迎えして
トークを繰り広げるポッドキャスト番組です
今回は前回に引き続き
中村屋サロン美術館画芸員大田美希子さんをゲストに
ご経歴を交えつつ美術についての話を続けていきたいと思います
♪~
はい、ということで前半お疲れ様でした
お疲れ様でした
どうでした前半やってみて
あ、楽しかったです
楽しかったですか?
なんかさっきチラッと聞いたら収録忘れてたっていう
はい、収録してることをつい忘れて話してしまいました
全然大丈夫後半もぜひ忘れながらやっていただければと思います
あの画芸員さんのゲストの方にはいつもこの質問からしてるんですけど
いつから美術に興味を持ってましたか?という
子供の頃から見ることも描くことも好きでしたね
小学校って学校でいっぱい絵を描くことが多くて
で、描いたのを先生が勝手になんかのコンクールに出品しちゃったりとかして
そうするとなんかいつの間にか少女が来てこれなんだろうみたいなことが結構あったりとか
天才少女じゃないですか?
いえいえ、天才少女ではなくて自分ではただ好きだった
見るのはすごく好きでしたね
美術館とかに行ってたってことですか?
美術館は子供なんでね、親に連れてってもらわないとなかなか行けない
日展とか連れてってもらった覚えがあります
お二さんちなみに出身はどちらの?
千葉県
そうなんですか、千葉はどちらですか?
千葉県の今流山市に住んでるんですけれども
生まれは東京なんですけどね
もう1歳になるかならないかぐらいで千葉県に来て
一番流山市が
流山なんですよ、お二さんの出身が千葉の八千代なのに
近いですね
近いけど意外と繋がりはない
接点はないですね、なかなか行かないです
行き来はないですよね
流山と野田と柏はちょっと千葉の中でもちょっと違うエリア
ああそうですか、松戸とかの辺は
常磐線エリアと総武線のエリアで
ちょっと生活が違うから
近くて遠い存在みたいな感じですか
千葉だった
美術館行くって言ったら上野とか行ってた?
上野ですね、上野に行ってんとか
でも私ね子供の頃の美術、絵を描いてる時に
忘れられない思い出が2つあるんですよ
1つは多分中学3年生か4年生ぐらいの時だったと思うんですけれども
中学?小学校?
小学校の窓の外、校庭の向かい側に
古いお寺があって、ちょっと小山のお寺で
木がいっぱい生えてて
03:00
紅葉がすごく綺麗なんですよ
紅葉の時期になると
子供たちはみんな窓のところに行って
絵の時間は紅葉の山を描くわけです
それが毎年多分描いてたと思うんですけど
確か4年生か3年生のあたり
女性の先生に私が描いてる絵を見て
水彩で描いてたんですけど
絵を見て
これは子供の描く絵じゃないわねって言われたんです
それはいい感じで言われた?それとも嫌な感じで言われた?
私子供で、子供じゃない
絵って言ったら子供の出す色じゃないって言われて
でもいまだにそれはちょっとわからないんですけど
多分子供らしくない色合いだったのかなと思って
それはなんかやっぱりずっと残ってて
日展で色んなの大人の絵を見てたからかもしれないですねもしかしたら
どうなんでしょうね
それとあと小学校5年生か6年生の時に
先生に古い仏像の美術雑誌か合集かなんかを見せられて
この仏像を描きなさいっていうのがあったんです
もちろん水彩画で描くんですけども
モノクロの大きな本だったんです
多分美車門展とか多門展とかそういう仏像だったと思うんですけど
それを見せられて前においてみんなそれを見て描くわけです
それが同じことを全部のクラスでやってたらしく
それで描いてだけどモノクロなんで
みんなグレーとか焦げ茶とかそういう色で描くわけなんですね
そういうのが各クラスで行われていて
最終的に卒業を間際体育館にそこから各クラス10人ぐらいピックアップされて
選抜された人だけでそれが貼られたんですよ
そしたら私だけ色がついてたんです
グリーンの深緑ですかねで仏像を描いて
バックが黄色に近いのベージュみたいなので塗ったの覚えがあるんですけど
私妹がいるんですが妹がそれを見て後で
お姉ちゃんだけなんで色がついてるのって
自分でも意図的にあれ緑にしようと思って
それとも気づいたらそうなさがあるんじゃない
勝手に色つけてたんでしょうね頭の中で
なんでそうなんです私だけ違ったなーって言って
いまだにでもそれ他の日から言われるんですよね
その時のタイミング
一人だけ違った
共感覚的なこととかとは違うんですか?色が見えちゃうみたいなのあるじゃないですか
06:01
共感覚っていう言葉を知ったのはずいぶん大人になってからなんですけど
私は共感覚のちょっともしかしたら
少し下がりぐらいのところはあるのかなっていうのはあります
日常でも感じるときとか
音に色がついてるっていうのあるじゃないですか
私は色っていうのもあるし
映像がぐるぐる回るっていう感じ
っていう曲を聴いてる
それはクラシックでも別にポップスでも何でもですか?
クラシックが多いです
例えばどんなのが見えるんですか?
風景が見えたりします
運命とかジャジャジャーンって
例えばワムナを聞くと
黄金の彫刻みたいなのが上からバーって降ってくるとか
あとは
例えばブラームスのピアノコンチェルトを聞くと
自分が空中に浮いて
田園風景とか教会とかを見て
教会の中に通ってフレスコ画とか
そういう風景が頭の中を流れるとか
めっちゃお得ですね
普通に聞くだけだと音でしか楽しめない僕と比べたら
感覚も楽しめるんですね
それを別に特別なこととしては感じてなかったんですけど
共感覚っていう言葉を知ってから
これもそんな良いものなのかなってちょっとは思ってます
モノクロの見た時ももしかしたら色を受け取ったのかもしれないですよね
モノクロのテレビ昔からモノクロだったじゃないですか
私は子供の本当に小さい5歳とかそのぐらいの時モノクロテレビ見てたんですけど
多分勝手に色を付けて見てたと思います
それもお得ですね
カラーにしなくてもいいですもんね
モノクロの写真とか見てもカラーで見れたり
今はないんですか?
あんまりそういう意識は知ってなくて
モノクロを見てそれがカラーに見えるとかそういうんじゃなくて
イメージ?
イメージ、自分の中で勝手に色を決めてるのかな
それこそ仕事で学芸員の仕事やってる時に
相馬国交さんとかの写真とか出てくるわけですよ
なんとなく色が見え
頭の中で浮かんでるって感じですか?
勝手に色付けてるところがあるかもしれない
09:00
自分勝手に付けてるんだと思います
美術の世界に行くべくしていく人みたいな感じが
このまま美術の世界に行くんですか?
美術の世界に行くっていう意識は全くなかったですね
小学校で色々と書いて
中高とどういう感じだった?
中高は部活に熱中してまして
吹奏楽部です
全然?でも音楽だった?
音楽、でも小学校の時もリコーダー部とかに入ってて
音楽はずっと好きでした
そっちの世界に行く感じではなかったんですか?
そうですね
中学高校3年間楽器を吹いていて
高校卒業する時に楽器を吹かなくなる日常って
想像がつかなかったっていうのを覚えてます
中高はちなみに楽器は何をする?
中学の時はフルートを吹いてたんですけど
高校が女子高で
女子高だと木管楽器に集中しちゃうんですよ
中学から上がってきた人が入ろうとすると
木管楽器が多くて
マリネットフルートっていっぱいいるんだよね
なので誰か違う楽器やってくれないかってなった時に
別にプロになるわけじゃないし
いろんな楽器やってもいいかなと思って
じゃあ私、金管行きますって
高校ではトロンボを吹いてました
そうなんですね
そのまま行って
音楽の楽器吹かない生活になるんだと思ったけど
音楽の楽器吹かない生活になったってことですか?
そうですね
そうなんですよ
大学はどちらに?
日本の大学では定教と立教と2つ行ってるんですけど
それとも学部というか?
国文学や
別にその学芸員っていうのはないんですか?その段階では
はい
美術の世界ってわけでもない?
美術の世界ってわけでもないです
音楽ってわけでもないし
私は音楽の全般は好きでしたけど
それはそうではなかった
それで仕事にしようではなかったんですか?
そうなんです
どういう経歴があったんですか?そこからどういう転機というか
私は一回仕事をしてまして
就職してるんです
それは何系の仕事?
それは出版なんですよ
出版で勤めた経歴がありまして
ちょっと体調を崩したこともあり
あとは自分のやりたいことがやれなかったこともあり
そこが転機となって
やっぱり好きなことやりたいよなって思って
フランスに行きました
だから失敗したら辞めて
そのフランスは何をしに行った?
フランス語と美術史を学びました
12:00
フランスで現地で?
はい、現地で
なんて読んだらいいんですか?
横文字すぎて僕は読めないんですが
場所はエクサンプロバンスという大学なんですけど
セザンヌが通った大学なんです
本当にセザンヌが通った?
そこでフランス語と美術史を学びました
ってことはフランス語はあまりできないと言った?
でもフランス、私フランス好きだったんですよね
フランス語も大学でとってましたし
フランス語は好きだった
一応日常会話できるくらい?
できるか
最初にパリの語学学校に2ヶ月3ヶ月くらい通ってから
プロバンスになりました
大学では何年くらい?
社会人になっているので
年齢そこそこいっているわけですよ
今思えばペペなんですけど
あの当時は私はかなり年いっているという意識だったので
とにかく1年勉強してそれで帰ろうって決めてたんです
1年間だけ行くって言って
親に1年間行くから帰ってくるからって
1年経って
でもやっぱり痛いじゃないですか
痛いんですよ
良かったですよフランス行ったら楽しいし
自分の好きな地だし
自分ももっと勉強したいし
だけど1年間って決めてたしなと思って
とりあえず帰ろうと思って
帰ることにしたんですね
もしどうしても行きたかったらまた行けばいい
っていう気持ちで半分行ってる
次また行くぞの気持ちで帰ってきた
次の日に西洋美術館で非常勤の募集をした
帰ってきた次の日ですか?
帰ってきた次の年に
ちょうどその頃西洋美術館が企画展示室を作る
リニューアル中で閉館してたんです
今までのコルビジェの建物以外にそこを使わずに
地下に
あそこを作っている時で閉館している時だったんですね
運よく整備が私を拾ってくれたんです
フランスで学芸員資格取ったんですか?
日本で取りました
そこで西洋美術館の学芸員として入ると?
非常勤で
もうフランスに帰るのがなくなっちゃった?
そうなんですよ
それから今に至って
学芸員になって今に至って
まだその人生の中でフランス2回目は行ってないことになっている?
2回目は毎年行けてない
15:00
コロナで行けてないですけど
毎年は行ってましたね
勉強のためにフランスに行くのはない?
行ってないんですよ
運よくというか運命というか
だからあの時にやっぱり帰りたくないって言って残ってたら
整備に入ることもなかったんで
もしかしたら学芸員になってなかったかもしれない
その時西洋美術館ではどういう感じで入ったんですか?
非常勤で展覧会をやる感じなんですか?
学芸家なんで
いろんな研究員のお世話ですか?
なんでしょうね
細々した手伝ったりとかしてました
西洋美術館何年くらい?
西洋美術館は学芸家に3年いて
その学芸家の中の保存修復のところに
その後1年くらいいました
フランスではちなみにフランスの美術史の勉強で
はいそうです
で卒論的なのも1年も
卒論というか1年しかいなかったんで
卒論は特になかったんですけど
ギスタブ・モロ好きなので
モロの研究をしてました
まあ1年なんでね
まあそんな大したわけではないですけど
でもそこで学芸員になりたいなあでもあったんですか?
フランスの段階では
フランスの段階で
美術に関わりたいなとは思ってましたけど
学芸員っていう頭はあんまりなかったですね
学芸がすごく狭き門っていうのは知ってましたし
ポストの数が少ないですしね
きっちり大学から美術史を学んだ人もたくさんいますし
なりたい人も多いですし
なので美術に関わる仕事はしたいとは思ってましたけど
具体的に学芸員っていうのはなかった
へえ
でもその西洋美術館の非常権によって
倍率どれくらいだったとかって聞いてるんですか?
わからないです
結構狭き門ですよね
そうですよね
わからないです
どうでしょう?あんまり
運が良かったんです本当に
拾ってくださってありがとうございますっていう
その時にやった展覧会で記憶に残ってるとかあると
あれはもし一緒に残ってるなってなりますよね
そうですね
ピカソと子供の世界展とか
そういったものもやってましたし
あと
クロードロラン
クロードロラン!クロードロラン!
クロードロランですか?
クロードロランが私の初めての
外からじゃなくて中側から見た展覧会が
クロードロランの理想の風景の展覧会だったんです
なのでそれはすごく
印象深いですね
展示している時も見に行ったりとかしてましたし
そうですね
でもそしたら
18:01
それで学芸員
非常勤とはいえ学芸員になって
学芸員じゃないですよ
学芸員じゃないですよ
非常勤です
でも学芸員みたいな
自分も展覧会やりたいなみたいな欲というか
そういうのが出てくるようになったんですか?
そうですね
美術館に入ったら
美術館の中で働きたいとは思いますね
そこからどうなっていくんですか?
その後に東京国立近代美術館の
非常勤をやらないかと言われて
それで国立近備に行って
そこで1年くらい働いたんです
その時に東京都のとあるホテルの
持っている美術館の学芸員を
探しているんだけれども
即戦力が欲しいというので
私に声を掛かったという
国立西洋美術館なら近備がちょっと気になったのが
フランスで勉強されて
西洋美術も分かるんですけど
近備ってフランス美術じゃなくて
どっちかというと日本の近代洋画が多いじゃないですか
そうですね
その時は何をされていたんですか?
フランス美術という感じじゃなかったですか?
東京近備では
講演会をやった冊子を作っていたんですね
編集して過去のものを
それを主にやっていました
そういう業務をやっていました
とあるホテルは名前を出して大丈夫ですか?
もうないそうなんですね
クローズしてしまった美術館なんですよね
たぶんそのとあるホテルの美術館
僕も行ったことあるんですけど
あれですよね
フランス女性画家の美術館ですよね
そうですね
フランス美術と日本画を持っている美術館で
そこの西洋の方を私が担当していました
そこは学芸員デビューですね
何年くらいそちらにいましたか?
そこは12年くらいいました
そんなにでもありましたっけ?
そうですね
多分開館して20年以上は運営していたと思うので
そうなんですね
ありましたよねその美術館が
その時の思い出というか
最初の自分の人生一発目展覧会は覚えているものなんですか?
人生の一発の展覧会は
それもすごい変わった展覧会でしたね
どんなのだった?
日経日本画大賞という
今でも続いてますね
続いてます
あれ上野でやってました?
上野の森美術館でやってました
第4回までは美術館でやっていて
その担当をしていました
でももう西洋じゃない?
西洋じゃないですよね一発目
美術館に所属すると
自分の専門とかそういったものは
21:00
全く関係なくなりますね
小さければ小さい美術館ほど
全く
でも自分の人生の中で
最初の自分が好きに企画もして
これやりたかったの一発目は覚えてますか?
それはですね
覚えてます
それもねまたちょっと
いろんな画作をしてやれた展覧会なんですけれども
これが長い名前なんです
ジャポニスム版画展
浮世絵に魅せられた芸術家たち
リビエール・ブラングイン・ウルシバラ・モクチュー
これは多分見てる気がします
見てくださってます?
リビエールをそこで知った気が
アンリー・リビエール
フガ36系のエッフェル塔版
そうなんです
エッフェル塔36系
その作品も美術館の書道作品だったんです
なのでエッフェル塔36系を使った展覧会を
定期的に何回もやってはいたんですね
なのでアンリー・リビエールは
そこの会社の上の人たちも
自分の書道作品を知っている
あまり一般的に有名ではないけれども
持っているから知っていたんです
ブラングインとか
ましてやウルシバラ・モクチューは
知らないんですよね
ここで私が本当にやりたかったのは
ブラングインを関わらせた
ウルシバラ・モクチューという人の
木版画家なんですけれども
その展覧会をやりたかったんです
ブラングインはフランク・ブラングイン
イギリスの国立西洋美術館の
松片さんとつながりがあった人ですよね
この人の作品とウルシバラさんの作品を
それは借りてきたとおりですか?
日本にあったものを集めたんですね
ウルシバラ・モクチューさんという人は
もともと版画師だったんですよ
自分で書くわけじゃなくて
掘る先生?
そうなんです
もともとはそういう人で
イギリスに行って
主にブラングインと親しくなったんですけれども
絵をもとに木版画を作る
そういう関わりがあって
職人さんといわゆるプリンターとしての活動
そうなんです
いろんな画家さんとそういうことをやっていた
なおかつ自分のオリジナルの版画も持っていた
花のすごくきれいな版画なんですけれども
その外国との関わり
特にブラングインを中心にした関わりということで
ウルシバラ・モクチューを出したかった
だけれどもこれがOKになる確率はほぼないんですよ
知らないのかという問題
そうなんです
そういうのがあって
それをどうにかできないかなと覚索したのが
24:01
まずリビエールを先に持ってきて
リビエールもあるよ
リビエールに関わらせてブラングインと
ウルシバラ・モクチューがあるよというので
展覧会のOKを古文の先生とかに根回ししたりして
OKにさせて実現した展覧会
ウルシバラさんのご遺族なんかともつながりが持てて
そこからすごく貴重な資料をお借りすることができて
でも資料がないので調べるのが大変で
日本では全然ままならなくて
ロンドンで調べました
ウルシバラさんの展覧会はその後も見たことがないので
多分日本最初で最後的な感じ
あれだけ大きく取り上げたのは
多分今までで最初で最後だと思います
ただブラングインなんてその後整備で
ブラングイン展やりましたよね
そこの一角にウルシバラ・モクチューとの関係のコーナーが作られていて
そこでも私もちょっと協力をさせていただいて
整備にも恩返しができたなと思って
でもそこまでウルシバラ・モクチューを紹介したかったっていう
出会いとかはあったんですか?
たまたまなんですけどガローさんが持っていらして
すごく面白いなと思ったんです
もともとFL東36系持っていたことで
ジャポニスム的な展覧会って多くやってたんですね
なのでそういう側面からもちょっと面白いなと思って
ウルシバラ・モクチュー絶対やりたいなと思って
その時のお客さんの反応とかって覚えてますか?
お客さんはやっぱり少なかったですかね
ただ美術師でジャポニスム学会とかってあるんですよね
先生たちとか見に来てくださって
そういう西洋のジャポニスムの方をやっている人たちと
浮世絵をやっている人たち
日本側と西洋側と両方の人たちが結構見に来てくれて
よく集めたわねとか
真淵先生に言われたりとか
前の西洋美術館の館長さんにも言われたりとか
これは自分でもよくできたなと思って
その時集められるものの精一杯だったんですけれども
やれてよかったなと思って
あとからも大英博物館の方からも
その時のズロックってお金がやっぱり予算が取れなくて
もう冊子というものしか作れなかったんですよ
カタログ作るお金がなくて
冊子のこのお吸いの中にぎっちり情報を入れ込んで
27:00
図版もこんな小さくなっちゃうけど
とにかく入れ込んで
カタログの図版より文章を
文章とそんなようなものを作ったんですけど
大英博物館からもぜひ欲しいと言って
連絡が来て
もうほぼないんですけど送りますみたいな感じで
興味を持ってもらったので
それはでも誇りというかすごいですね
だから『うるしばら目地』を研究すると
世界的にメキコ大田が出てくる
そんなに大々的なあれではないですけれども
多分今までで一番大きく取り上げたんじゃないかなと
そう言われると改めて見たくなっちゃって
今この美術館はないですが
この『うるしばら目地』のコレクションの
一番持っているところって今どこになるんですか?
コレクション…
個人が持っているみたいな感じですか?
美術館にという感じじゃないですか?
そうですね
個人と版画の画廊さんとか
あとあのあれですね
伊藤金美にもあります
伊藤金美も持っています
版画美術館とかも持っているかもしれないです
まとまった数というよりはちょこちょこ点在している
中村屋サロン美術館で再びやろうはないんですか?
できるかな?
やってみたいなぁ
リビエールは実は
ちょうど中村屋サロンの芸術家たちが
パリに行ったりしてるんですけど
ちょうどそこの辺りにね
その時のその時代の風景なんですよ
リビエールのエッフェル塔36形が
じゃあ見てたんですよ
中村屋サロンの芸術家たちが見た光景なんだ
そう
だいたい
エッフェル塔は出来上がってたと思うんですけど
そうですね
出来上がってましたけど
その風景に近い時代のものなので
十分中村屋でも
芸術家たちと一緒に使える作品なんです
それで今中村屋にあります
リビエールの中村屋サロン
今まで展示してました?
展示しました
2回くらい展示してますから
じゃあまたできるかもしれないですね
令和版の
その点なんか
いやいやいや
リビエールはもうリビエールで
画家たちと絡めてやりたいと思う
ちなみにその点なんか一般の人は
ちょっとあんまり入らなかったみたいな話もありましたけど
尾田さんの中で一番人入ったなって展覧会で言うと
人入ったな
反響が大きかったな
反響が大きかったのは
これは西洋美術ではないんですが
もうなくなってしまった
堀文子さんの展覧会
堀文子さんの展覧会は
30:00
私も堀先生とはそういったことでご縁があって
そこの美術館で2回
本画の展覧会とデッサンの展覧会
それからちょっと
他で巡回する展覧会の監修もやらせてもらったりして
堀さんは百をいくつくらいまで活躍された人でした?
活躍というか
そうですね
結構守備範囲広いですねそう考えると
堀先生の展覧会は
もう運命ですね
どういう出会いだった?
たまたまなんです
美術館で展覧会をやるってことになった時に
日本画の学芸員がいるにもかかわらず
私がやることになったっていう
そこからね私も謎ではあるんですけれども
やることになって
でも私としても日本画の研究をしている学芸員がいて
私は西洋で
どう考えても日本画の学芸員がやるべきじゃないかなと思って
半分申し訳ない気持ちが堀先生に対して
西洋でやってきたのに
私がね展覧会を手掛けていいのかどうかっていう
申し訳なさがちょっとあったんですよ
だけれどもお話したり絵を見せていただいたり
それから調べていくうちに堀先生は別に日本画とか
そういう区分けで語ることができない
西洋美術、フランス美術を好きで
ボーシャンが好きだとか
あとはゴッホーの靴がすごく好きだとか
靴の絵が好きだとか
結構西洋美術にも影響を受けているんですよ
なので西洋美術の方からせめても面白いなと思って
そこからは全然わだかまりなく
自分が堀文子を思うがまま
展覧会をやっていいんだなっていうところでやって
でも2回やったってことですね
ご本人とも当然
もちろん
どんな方だったんですか
ちゃきちゃきした方ですし
ちゃきちゃきしたというか
とても丁寧な方でもありますし
どんな方でも堀先生好きになる
気配りもすごいですし
すごく面白い方なんですよ
日本画家で女子美に入っているのに
友達は油彩画家を描いていた友達の方が多かったとか
そういうことだった
こういう関係が広いってことですか
こういう関係も広いですね
ここのイメージって言ったらあれかもしれないけど
コツコツとやっている絵を見る限りですけど
意外と社交的な感じ
33:00
社交的な部分と自分に集中するのと両面あると思う
すごく面白いですね
それでとあるホテルの美術館で学芸をしていて
そこから今の中村サロン美術館
そこが2014年にクローズすることに決まりまして
その年にオープンする中村屋サロン美術館というので
呼ばれまして
ご縁があってここに来ることになりました
でもそれを僕は中村サロン美術館の太田さんとしてしか知らなかったので
勝手に洋画の人なのかなというか
近代洋画の専門家なのかなと思ったら
違ったんですね
西洋美術の方を先にやっていました
だってそのとあるホテルの美術館でも西洋部門が
全く違うとは言っても全く違うじゃないですか
全く違うとは言っても全く違うんですけど
あらまじ違うってわけでもなくて
やっぱり当時の近代洋画の人たちって
パリに行きたがって
向こうのフランスの画家だったりイタリアの画家だったり
そういう外国のヨーロッパの画家を知りたいし
そこに行って描きたいし
私がやってたのは当時その時代に
フランスで活動していた画家なので
時代的にはつながってるんですよね
なるほど
そのやっていたと
留学していた当時の
その画家たちが留学していた当時の
フランスの画家
同じ時代の
別にそんなに遠くから
そんなに遠くからですね
でもこの美術館に入るって決まった時に
中村サロンのことはある程度知ってた?
もちろん知ってはいましたけれども
そんなに詳しくはなかったです
だけど当勤日で働いててよかったなと
そこで絵はたくさん見てましたのでね
ツネの絵もありましたし
エロシェンコの絵もありましたし
そういうつながりでもちろん
中村屋サロンということも知ってましたし
入ってみて
中村サロンの画家を調べることも
いっぱいあるわけなんですけど
一番最初に好きになった人とか
この人いいなと思った人とかって
推しはいたりするんですか?
中村屋サロンの
芸術家の中でですか?
特にみんな好きかもしれないですが
この人面白いなみたいな
面白い
中村屋サロンの芸術家たちって
何かが絵のつながりがあるっていうことが
あんまりなくて
みんなここそれぞれが立っているんですよ
それがたまたま留学先で知り合って
仲良くなってっていうところなので
美術団体みたいに
同じものを目指してたわけではないんですよね
人それぞれが
36:02
自分の考えをすごく持っていたし
当時の近代洋画の人たちって
戦っている人たちだなって
すごく思うんですけれども
自分の考えをしっかり持ってましたし
なので本当にそれぞれ違います
前半で出てきた
小木原守絵とか中村常とかって
結構ハイアルティーにしちゃってるじゃないですか
中村サロンの人で一番長生きした人って知らないですか
藍津八一ですかね
藍津八一と斉藤よりは長生きしました
長生きしたあたりでは
新緑中村サロンみたいなものはなくなってたんですか
そうですね
ある時期だけのものなんですよ
中村サロンで
小木原がなくなって
小木原がなくなった後
中村屋に住んでいたのが
中村常なので
中村常が中心のような感じで
次の第二世代みたいなのをつながっていて
中村屋を常が出た後は
おそらくはそんなに
みんなが集まったっていうのはなかったかなという風に
だんだんバラバラになって
自然とバラバラになっていったんではないかなと
やっぱり団体じゃないからこそなんですね
そうですね
集まるのも緩やかだったり
緩やかだったし
でも長く関わっていたといったら
やっぱり藍津八一ですかね
中村屋のお菓子の
菓子名も記号したりとか
そうなんですか
あとは中村施設も結構長生きして
中村屋のロゴも中村施設が記号したものですし
サロンじゃないかもしれないけど
その後芸術家とのつながりは
中村屋とは持ってはいましたね
ちょっと話が全然変わっちゃうかもしれないですけど
これもいろんなゲストの方に聞いているので
美術以外の趣味はありますか?
美術以外の趣味?
やっぱり音楽好きですし
あと舞台もよく見に行きます
どういう系の演劇ですか?
ミュージカル好きですし
あとストレートも見に行きますし
高校生の時は
アングラも見に行ってましたね
新宿の赤点
花園神社の赤点と状況劇場とか
野田秀樹がやってた夢の遊戯舎とかが好きでしたね
高校の時からですか?
高校の時
千葉から通ってた?
はい
通ってたってそんなにバンバン
高校の国語の先生がアングラ大好きな先生だったんです
その先生が演劇部の顧問をやってたんです
なのでうちの高校の演劇部は
アングラ演劇だったんです
高校時代ですか?
そうなんですよ
やってる人は100ポイントっていいですけど
見させられる側は結構きついですよね
高校時代に友達がアングラ演劇やってる
39:02
アングラ演劇で私仲良かったんで
一緒に見に来てました
やりたいなあもなかったんですか?演じて
やりたいなあ
どうでしょうね
やりたいなあと思ったかなあ
でもやるまではいきませんでしたけどね
当時好きだった俳優さんとかいるんですか?
野田英樹は好きでしたね
夢の弓者はすごく好きでしたね
結構ガッツリ見てたんですね
ガッツリ
いや、たしなむ程度で
フランス行ってる時代もフランスでも見てた?
フランス時代はやっぱり美術館行くことが多かったんですけど
パリではオペラ座ありましたし
バレーもちょっとだけバレー習ってたこともあったんで
バレーも見ますしオペラも好きですし
もちろん静荘学やってたんでね
クラシック大好きなんで
クラシック音楽を聴きに
結構芸術系ですね
はい、芸術系でしょうね
運動とかそっち側はどう?
運動は小学校の時体操をやってました
あとは剣道を習ってたりとか
あと野球好きだったんですよ
野球は見る方も好きで
ジャイアンツファンだったんですけど子供の時から
私の年代って少年野球が盛んで
男の子は上手い人も下手な人も少年野球に入ってましたよね
日曜日に練習とか試合とかやってて
それが羨ましくて
他にも野球好きな女子の友達がいて
ちょっとね、私たちもやろうよってことになって
日曜日は、その頃土曜日は半分
半分だったんですけど
主に日曜日、午前中は私は剣道をやってたんで
剣道行って
午後は近所の野球好きのおじさんに
頼んで野球をやります
女子チームを作ったみたい
女子チーム作っても試合相手がいないじゃないですか
今だったらあるかもしれないけど
その当時はなくて
趣味でみんなやってて
好きでやってたの
集まってやってたので
今は演劇以外で美術以外で
他に演劇以外だと何か
演劇以外だと
そうですね
舞台見に行くのと
あと本は好きで読みますかね
でもすごく
手当たり次第というわけではないですけど
42:03
ちなみに美術以外での
美術館は巡りますか
巡ります
それはやっぱり今だと現代アートとかも
現代アートも見るようになりましたね
アーティストリレーをやるようになってから
結構意識するようになりました
真江さんとかも知ってたと思う
いろいろ巡って知ってたと思うんです
真江さんとか
及川さん
阿佐美さん
この3人は
日経日本語大賞からの付き合いなんです
それも関係してくるんですね
いろんなところがつながってるんですよ
なるほど
やっと言った方がいいですね
この番組聞いて
美術を目指したいときも聞いてくださって
自分の専門じゃないところに行ったとて
それがどこかでつながってくる
つながる
本当に不思議なんですけど
だからあんまりジャンルにとらわれずに
いろいろ見るのはいいかもしれないですね
関わるときに
あんまり自分はこうだからっていうのを
持たずに
どんどん関わっていったらいいんじゃないかな
というのも
この番組にいつか真枝さん出てほしいなってくらい
キャラすごいっすもんね
面白いです
とんでもないエピソードもいっぱいありますし
面白いですよね
個人的に作家さんとのつながりで
仲良くなる人とかもいるんですか?
プライベートで
プライベートで
でも真枝さんは仲いいですよ
学芸員さん同士でってのは
学芸員も仲いいですね
付き合いありますよ
この間も新年会やりましたし
なるほど
そういうのは中村屋でやるんですか?
そのときは場所は違いましたけど
中村屋でやったこともあります
そうなんですね
上野レストランで
せっかくなんで中村屋の宣伝じゃないですけど
中村屋のおすすめメニューとかはあるんですか?
やっぱり
冗談的に
おすすめメニューですか
美術館は皆さん見に行きました
そのあと8階にレストランがあったりとか
地下に売り場があったりするじゃないですか
これ食べたほうがいいよみたいな
そうですね
レストラン2つあって
8階の一番上にあるレストランは
コース料理を出すレストランなので
ちょっと奮発したいなとか
ちょっとゆっくりしたいなっていうときには
おすすめですし
地下のレストランは
前からあるメニューを結構出しているので
気軽ですし
地下に行かれるのもいいなと思いますし
やっぱりおすすめはカリーですかね
45:01
純インド式カリー
中村屋といえばやっぱりカリーなので
1回は食べてみてもらいたいかなっていうのと
あとロングランのメニューがいくつかありまして
ナポリターノっていう
それ知らなかったですね
ナポリターノは
ナポリタンではないんです
ナポリタンではないんですけど
イーフーメンっていう揚げた麺があって
それを使ってるんですね
トマトベースのスープの中に入っているので
ちょっと多分見た目がナポリタンに近くて
ナポリターノっていう名前つけたんじゃないかなと
それは勝手に思ってはいるのですが
なんか不思議な感じなんですけど
食べるとみんなこれ好きかもっていう
これはでもちょっと知らなかった
聞かないと一生食べないメニューだった気がする
やっぱり行ったらカレー選んじゃいそうじゃないですか
そうですね
ナポリターノに目はいかなかった
目はいかないかもしれないんですけど
ちょっと1回食べてみてください
これはちょっといいですね
いいこと聞きましたね
カリーとボルシチは中村屋にあるメニューって
皆さん知ってる方はご存知だと思うんですけど
ナポリターノは隠れたロングランの
逆にナポリターノだったら2が来たなと思われるかもしれない
レストラン側もナポリターノで来たかみたくなりますね
意外と好きっていう人多くて
これはB1の
B2のレストラン
B2の地下のマンナっていうレストランで食べられます
いいですね
これはちょっといいこと聞きましたね
さあということで色々お伺いしてきましたけど
将来成し遂げたいこと実現したいことなんかありますか
実現したいことも私ももうかなりの歳に行っているので
将来の方に来ちゃってるような気がするんですけれども
そうですね
とにかくこの中村屋にいる間には
もっとこの中村屋のサロン美術館を
もっと広められたらいいなと
近代日本洋が今ちょっとやっぱり西洋美術だったり
現代アートに比べるとちょっと沈みがちなので
やっぱり中村屋はそういう近代のアート
近代の日本の美術を発信する場でもあるので
それは続けて少しでも忘れ去られないように
ずっと続けていきたいなという風に
僕が前回お伺いした時はカモイ霊展やってて
あれは中村屋サロンとは関係ないけどの
初の展覧会みたいなことをおっしゃってましたよね
はいそうなんです
近代洋画で
近代洋画でちょっとね
現代に入りかけなんですけれども
48:02
これからは今まではね
やっぱり近代洋画っていう縛りで
やってきていたんですけれども
少しずつ範囲を広げて
お客様の層を広げたいなっていうのがありまして
またそれが美術館を知っていただく第一歩になりますし
っていうので行ったのがカモイ霊展です
実際だいぶ若い人もたくさん来たっておっしゃってましたね
そうなんですよ
高校生大学生がたくさん来まして
若い女性も一人で来たりっていうのもよく見かけましたし
すごくじっくり一点一点ご覧になって
何回も来る方もいらっしゃるんですよね
帰りがけにありがとうございました
また来ますって言って帰っていかれる
ラーメン屋ぐらいの人が来て
なかなか美術館で言わないセリフですよね
そういうセリフが聞かれた美術館なんです
また来年もやるんですかーなんて
毎年毎年カモイ霊はねって思うんですけど
それだけ求められてるのかなっていうのはありますね
カモイ霊をきっかけに中村サロン美術館を知っていただいて
中村サロンの芸術家も知ってもらえたら嬉しいですしね
だから今回この話を聞いて中村サロンの芸術家を見たいという方は
常設展示は年間2回ありますし
アーティストリレーの話も前半出ましたけどもありますし
さらに今後いろんな企画展をやっていく
企画も言えるんですかまだ言えないです
まだ公表はしてないんですけど
でもまあ行っても大変決まってるんですが
この秋は戸張小眼展をやる予定でいます
前半に出てきた中村サロンの彫刻家ですね
彫刻家であり画家であり
版画家である
差し絵家でありっていうそういう画家さんなんですけれども
そういう芸術家なんですが
おそらく小木原の一番の親友じゃないかなっていう
小木原が亡くなる時に見取ったのも
国光と戸張小眼なんですね
彼の作品がいっぱい集まっているんですね
そうですね
彼も40代で亡くなっていますね
47だったかな
40代で亡くなっていますけれども
小木原が亡くなった後
彫刻家として活動を始めるんですよね
あと一生継ぐっていう意味もあったのかなって
ちょっとやっぱり思いますね
これが秋に開催されたということですので
ぜひ皆さん注目していただきたいと思います
さてそろそろ収録終わろうと思いますが
収録はいかがでしたか?
こんなに勝手にベラベラ喋ってしまって良かったかもしれません
そういう番組なので大丈夫です
こんな話するとはっていう話題が結構あったので
51:03
そういう番組なので
でもとてもいい時間を過ごせたなと思ってありがとうございます
じゃあせっかくですので3月11日配信予定ですので
最後に改めてご説明をお願いいたします
今年の3月1日から4月9日まで
中村屋サロンアーティストリレー第5回
宮盛稽古展「記憶の海/ローズのプライド」
それから4月19日から5月28日まで
同じくアーティストリレーの
「三宅一騎展/背景ロクサンド」が始まります
始まっていますかね
始まっていますかね3月1日です
是非是非両方見ていただきたい
是非遊びにそして帰りにはナポリターナを食べて帰っていただきたいなと思います
今日は本当にありがとうございました
ありがとうございました
この番組は不定期配信です
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