1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #142 日常に役立つ哲学!アメ..
2023-09-03 36:43

#142 日常に役立つ哲学!アメリカ生まれの「プラグマティズム」は他の哲学と何が違う?

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。



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サマリー

アメリカで生まれたプラグマティズムは、現代哲学の一つで、哲学の流派です。プラグマティズムは人間中心の考え方であり、人間の営みや心理を重視した哲学です。アメリカで生まれたこの哲学は、倫理や道徳に対する新しい視点を提供し、1950年代から60年代にかけて新しいプラグマティズムが盛り上がりました。アメリカ生まれのプラグマティズムは、歴史の流れや思想の変化に応じて進化してきた役立つ思想であり、人々の生活や価値観にも影響を与えています。プラグマティズムは真理を追求するだけでなく、共通理解や問題解決の方法論にも焦点を当てています。この話では、プラグマティズムの特徴や哲学の時代背景について話しながら、今後の話の展開を紹介します。

00:07
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
このラジオは、身近なテーマをきっかけに、哲学について楽しく学んでみようという番組です。
哲学好きの弟と、哲学に馴染みのない兄の兄弟二人でお送りしていきたいと思います。
改めまして、兄の丹野共生です。
弟のハヤトです。よろしくお願いします。
はい、前回のテーマがストア派ということだったんですけれども、今回がそこにはちょっと繋がるんじゃないかと、
プラグマティズムの起源
どう生きるかという意味では繋がるんじゃないかという話があったんですけれども、プラグマティズム。
そうですね。前回、ストア派の哲学って約2000年前ですと結構古いやつですよというふうにお話したと思うんですけれども、
このプラグマティズムというのは、今から100年くらい前にアメリカで生まれた思想なんですよと。
なので、ストア派からするとだいぶ新しいというか、100年前といったらだいぶ昔に思えますけど、
哲学の歴史の中で言うと、だいぶ新しい思想の流れというような感じですと。
そうね。一気に現代に混んできたなみたいな感覚があるね。前回からすると。
でも本当そう。現代思想とか現代哲学といわれる流れのやつなんですけど、
逆に言うと、長い哲学の歴史の中で生まれた新しい流派みたいなやつで、
それがいろんな哲学者とか思想家によって批判されたりとか、新しい論点が加わったりしながら、
この100年間、時代に合わせて発展してきたっていうもので、結構この中身は非常に濃いなというふうに思ってるんですよ。
思ってるっていうのは、僕も実はあんまり勉強してなくてですね、プラグマティズムって。
何か理由はあるの?
特に何となく、プラグマティズムって日本語だと実用主義とか実践主義みたいに訳されることがあって、
何となくのイメージとして、役に立てばOKみたいなものとか、
アメリカの高度経済成長期に発展した哲学みたいなふうに何となく知ってることがあったから、
それちょっと何だろうな、実利主義すぎるみたいな。
あんまり哲学的に物事を追求するとかっていうよりも、
どうしたらもっと上手く金儲けできるかとかって言ってたようなけど、
そういうことに役立つ哲学なのかなーっていうのを勝手に思っちゃってて。
なるほど、そうすると哲学的なね、どう生きるかとか、真理とは何かみたいな話か言うと、
ちょっとチャラく見えるみたいな話だったね。
まあそうだね、まあチャラいのさ。
まあでも確かに。
それはA2だけどみたいな。
でも実際そういう批判もあったらしいんだよね。
なので今回ちょっと僕も初めてプラグマティズムっていうのをある程度本を読んだりしてて、
普通に思ったのはやっぱりもっと早く勉強しなきゃよかったなっていうのをすごい思ったのね。
で、なんか理由が2つあって、
1個はやっぱり普通にね、物語の捉え方っていうのがめちゃめちゃ豊かになるなーみたいな感じがしてて、
やっぱり哲学って世界観とか人生、人間観とかを結構大事にして、
そこから練習してるよみたいな話をこれまでもしてきたと思うんですよ、
サルトルとかニーチャーとか。
っていう意味で言うとやっぱりプラグマティズムもすごくなんだろうな、
確かにそういう世界観あるよねとか、
なんか僕ら普通に生きてるけどよくよく考えたら確かに、
それって1個の考え方だよねみたいなものをちゃんと表現してるなーっていうのがあったんで、
それはね、もっと早くしておけばよかったなっていうのと、
あとは普通に、めっちゃ難しくてですね、プラグマティズム。
ああ、そうなんだ。
今回初めて本読んで頑張って理解しようとして台本作ろうとしたんだけど、
なんか1回読んでも分かんないから2回3回って読んでて、
全然時間つきないみたいな。
ああ、そうなんだ。結構難易度も高かったんだね。
難易度高かったね。やばいやばい。なんか間に合わないみたいな。
しゃらいかと思いきや、ちゃんとしてた?
そう、ちゃんとすごかったです。
2個目は置いておいてとして、1個目の物事の捉え方みたいな話って、
今回はそれをしっかり伝えていこうと思うんですけれども、
さっき実用主義とかちょっとチャラく見えるみたいなのあったと思うんですけど、
そもそも哲学として実現しようとしていることとか、
何を目的にするかとか全然違うんだなっていうのを感じたんですよね。
そもそも問題設定みたいなところが。
そうそう。やっぱりプラグラマティズム自体に、
デカルト以来なので17世紀か、近代が始まったよっていうところの、
デカルトの哲学っていうものを乗り越えようとか、
プラトン以来の西洋哲学っていうもの全体を批判していこうみたいな、
結構そういう動きから始まってるみたいなんですよ。
はいはい。そうなんだね。
やっぱりなんとなく、逆に僕がさっき言った、
プラグマティズムの特徴
哲学っていうのは心理とか何かを追い求めるものだとか、
現実世界じゃなくて、ちょっと抽象的なことを考える方がいいんだみたいなのも、
やっぱり1個の価値観というか、
そう思われてた、そう思わされてたかもっていうのを気づいたのね。
哲学とはそういうもんだみたいな。
逆にプラグマティズムでいうと、
心理とは何かみたいな、そういう抽象的なやつじゃなくて、
そもそも人間が心理を追い求めるって、どんな営みなの?みたいな、
結構人間っていうものを中心にするというか、
人間と心理を切り離さないような考え方が結構するんですよね。
はいはいはい。
だからこそ、そういう哲学の流れとかどういうことを主張するかとかっていうのも違うし、
当時とかはあんまり広がらなかったりとか、むしろめちゃめちゃ批判されて、
それこそ哲学じゃねえよみたいな。
はいはいはい。
でもそれが今100年経って、いわゆる現代哲学の主流の一つになってるというか。
そのぐらいのところまで来てるんだ。
そうそうそうそう。
そのぐらい影響力がどんどん広がっていったっていうのは、
逆に言うとずっと続いてきたことがいいわけじゃないよね。
ちゃんとそれを乗り越えていく。
さっき言った通りデカルトとかプラトンをちゃんと乗り越えていくみたいな、
そういう考え方だからこそそこまで広がったんだなっていうのを初めて感じたんですよね。
へえ、そうなんだ。
ある意味、肩にはまった哲学になってたなみたいな。
そうそうそう。自分の中でね。
やっぱりそれを学べば学ぶほどっていうほど、別にまだちゃんと読めてないんですけど、
ちょっと読んだだけでも、やっぱり今生きる僕らって、
それとすれずしてプラグマティズム的な価値観とか、
考え方に支配されてるなって思うのも結構あったんですよね。
ああ、そうなんだ。
例えばさ、兄貴が前の雑談かな、何か言ってくれたさ、
仮に海賊がいたとして、ワンピースの世界でね、
海賊がいたとして、海賊王になるっていう目標を持つって、
いいんだっけ悪いんだっけって話をしたの覚えてる?
うん、たぶん雑談会かな、前々回。
雑談会かな。
兄貴はさ、全員せよいいことだみたいな話してたじゃない。
うんうんうん。
で、あれも実はプラグマティズムの考え方を使うと、
ちゃんと理解できるというか、
ちゃんとその概念のもとに説明できるなってことに気づいたのね。
あと最近の会社の研修で、仮説思考っていうね、
いわゆる戦略コンサルタントの人とかが使う思考法っていうか、
そういう考え方の勉強会を行ったんですけど、
それも結局大元はプラグマティズムなんだろうなとか。
いいの?そんなに全部引き付けちゃっていいの?
いい、大丈夫、たぶん大丈夫。
はいはいはい。
プラグマティズムすげえおじさんになってるよね今。
なるほど。
まあちょうどね、本読んでるしね、勉強してるから。
プラグマティズムの発展
そうそう、何を見てもプラグマティズムに見えるみたいな。
はいはいはい。
そういう言葉とか概念を理解するとか、豊かにしておくってすごい大事だと思うんですよね。
そういう意味でも今回はプラグマティズムっていう哲学、
さっき言った通り100年といってもいろんな哲学者がいて、
すごく有名な人からコアな人までいるんで、
全部は説明、僕ももちろん仕切れないし、
教えてるとそれだけで30回40回ぐらいになっちゃいそうなんで、
まだまだ大掴みでこんな感じの考え方ですよとか、
こういうのは有名というか主な人がいて、
こんなことをやってたんですよっていうのを今回は皆さんにお届けしたいなと思っているような感じです。
なるほどなるほど。
今回もストア派に引き続き、やっぱり人物にフォーカスするというよりは、
ある程度プラグマティズムっていう哲学の大枠を掴むというか、
その辺の方にフォーカスしていく感じなんだね。
そうです、そんな想定をしてます。
なんでそういうふうにしようかなって思ったのが、
結構入れ替わりが激しいというか、
例えばなんとなく僕も名前知ってましたとか、
皆さんももしかしたら聞いたことあるかなっていう有名な人もいるんですよ。
例えばパースとかジェームズとかデューイって言われる人がいて、
知らないよ。知らないでしょ。知ってるのかな。
鼻息ポカーンってしたね今ね。
だから結構西洋史、歴史の評価者がたぶん載ってるんですよ。
へー、そうなんだ。
アメリカでこういう人たちが始めましたよみたいな。
もちろんそれぞれ一人一人が一論の哲学者だし、
言ってることも面白いんですけど、
パースが基本的にはプラグマティズムの生みの親で始めたって言われてるんだけど、
パースの友人だったジェームズがパースを批判してとか、
ある種また違う論を発展させてプラグマティズムを広めて、
さらにデュイもその二人を批判してそれを乗り越えたみたいな感じで、
結構入れ替わりというか主張がなんだろうな、
AだったのがBになってCになって結構変わるんだよね。
だから例えばハイデッカーみたいに、
ハイデッカーがこう言いましたとかっていうよりは、
パースがこう言ったのをジェームズがこんな風に乗り越えて、
プラグマティズムの誕生と発展
さらにデュイがこんな風に発展させましたみたいな、
そんな風に話していく方が、
なんかよりそのダイナミズムというか、
この面白さとか、そもそもプラグマティズムって何なの?
っていうのが伝わりやすいんじゃないかなって思ったんですよね。
なるほど。
一人の大天才が、みんな一流だと思うんだけども、
大天才がバシッと決めたっていうよりは、
みんなで叩きながら作ってきたみたいな感じだった。
そうそうそうそう。
まさにそれがプラグマティズムの面白いところで、
やっぱりさっき言った通り、真理とは何かじゃなくて、
それを求めるって、
どんなことなの人間にとってっていう風な考え方をするから、
俺はこっちだみたいな感じで、
やっぱりみんながみんな、
別の角度から意見をぶつけ合えるのね。
はいはいはい。
でもそれを受け入れる土壌があるというか、
俺の言った真理っていうのは、
理解しろじゃなくて、
俺はこんな風に考えたんだけど、
どう?みたいな感じなんだよね。
結構多分登場人物が多いとか、
そういう風に乗り越えがどんどんスピーディーに行われているっていうのも、
すごいプラグマティズム自体の特徴というか、
魅力だなっていう風に感じたんですよね。
なるほど。
建設的な意見交換が可能な土壌がありそうだみたいな雰囲気だね。
そうそうそうそう。
むしろそれこそが大事だみたいな感じかな。
なのでやっぱりちょっとこれ前とも違う雰囲気というか、
なんていうのかな、
哲学だっていうのをそういったところで感じていただけるのかな、
なんて思ってるんですけど。
はいはい。
今回はいつも通り第1回なので、
すでに結構10分くらい喋っちゃってるんですけど、
そもそもプラグマティズムってどんな風に生まれてきたのとか、
あとさっき言った通りこのデカルトを乗り越えようとしたって話をしたけれども、
なんでそんなことが必要だったの?
ちょっとそんな話をしながら、
プラグマティズムの導入会としてお喋りしていきたいんですけれども、
まずこのプラグマティズムなんですけど、
さっき言った通り100年くらい前にアメリカで生まれましたよと。
もうちょっと言うと1870年代なので、
当時で言うとヨーロッパ、それこそイギリスとかドイツとか、
その辺は帝国主義とかでガンガン植民地を増やしてますみたいな、
結構そういう時代ね。
当時のアメリカってまだイギリスから移民というか、
船に乗ってやってきて、
本当に開拓した時代がちょっと過ぎたぐらいかな。
で、やっと人も増えたり停住してきてっていう感じなんだけど、
逆に言うと南北戦争ですね。
工業とかが発展している北側と農業とかでやりたい南側が対立して戦争しましたってあると思うんですけど、
あれが終わったのが1865年らしいんですよね。
ああ、そうなんだ。その後ぐらいなんだ。
そうそう。その直後でまだまだ非常に不安定で、
その戦争が終わったとはいえ、
本当に街も荒れてるしとか、みんな疲弊してるし、
国としてもこれからどうすんだ、俺らみたいな。
そんな感じね。
やっぱりまだまだアメリカとしてもすごく混乱した時代でしたと。
そういう時に一方で経済的にはとはいえどんどん発展してるんだよね。
いろんな技術家もどんどんヨーロッパから入ってくるから、
それこそ1869年、これは調べたんだけど、
大陸横南鉄道が開通してるんですよ。
機械化とか交通とかがどんどん発展していって、
社会はどんどん変わっていく。
でもやっぱり戦争は起こってまだ直後だし、
世の中的にはまだまだ暗いみたいな。
こういうすごくギャップがある世の中なんだよね。
サルトラの時にもお伝えしたように、
戦争とか大きな変化が起こる時って、
必ず新しい層が生まれるし、
それを受け入れる土壌っていうのが世の中にもあるんですよね。
前の価値観を使えねえぞとなってる証拠というか、なってるから。
やっぱり自分たちはどうしたらいいんだっていうところの自信が欲しいというか、
求めるっていうところに対して、
やっぱりそういうことを考える人も増える。
やっぱり当時のアメリカっていうのも、
戦争の混乱とか、
やっぱり社会の究極的な発展という目まぐるしい変化の時代の中で、
新しい思想とか哲学が生まれる土台ができたんじゃないか、
みたいなふうに言われたりします。
そうした中でプラグマティズムっていう言葉を初めて使って、
戦争期の衰退と新たな盛り上がり
創始者っていうふうに言われてるのがさっき言ったパースっていう人なんですけど、
この人はどんな人かとか何を言ったかっていうのは、
次回に詳しくお伝えしていくんですけど、
背景としてお父さん、
パースさんのお父さんがもともとすごい優秀なとか有名な数学者で、
自分自身は数学とか物理とか論理学とか、
そういう分野ですごいいろんな業績を残してる人なんですよ。
そうなんだ。
哲学者でもあるんだけど、数学者でもあり、
天文学者でもあるみたいな、すごい詐欺な人で、
いろんな仕事をしたんだけど、
一番生涯で長続きした仕事が、
天文台の研究員とか、
中学とか物理学の研究者みたいな感じで、
哲学者として一生歩んだ人ではないんですっていう感じなんだよね。
すごいね、マルチな才能がある人。
本当に天才みたいな感じの人だったなと思うんですけど、
そんなパースさんという人が哲学に目覚めて、
特にやっぱりデカルト。
デカルトも実はもともと数学者だって話を、
デカルト館の時にしたと思うんですけど、
直行座標っていうのもデカルトだしとか。
あれ覚えてない?
そこは覚えてないや。
X軸Y軸ってさ、中学校とかでやるじゃん。
それ難しい方をすると直行座標ってこと?
そうそうそう。
そうなんだ。
座標ね、座標。
XYのね、それは言ってたね。
そういう意味では、自分自身も数学者としてやった時に、
デカルトって意識してたんだろうね、なんとなく。
やっぱり彼が言ったことを乗り越えるというか、
自分自身が正しいと思う方向に引き寄せていくみたいなことをやっていたりとか。
もちろんパースはパースで、
創者としてプラグマティズムっていうのを出していくんだけれども、
そのパースを乗り越えて、
いわゆる自然科学、物理とかだけじゃなくって、
人間の人生とか道徳とか、
あるいはさっき言った真理みたいな、
そういうちょっと抽象的な概念とかに、
プラグマティズムって活かせるよねとか、
むしろそういうのに対してプラグマティズムを使うことで、
これまでにない新しい考え方ができるよねっていうのを、
拡張していったのがジェームズって人なんだよね。
ああ、そうなんだ。
じゃあ、もともと作ったって言われてるパースっていうのは、
むしろ学問領域だけでそういう哲学的な考えを展開していったみたいな感じだったのかな?
そうだね。
そっちはやっぱり種だったっていう感じかな。
学問、まずふっさわるみたいに、
学問ってどうすれば正しくなるのかとか、
そもそも真理を追い求めるのには、
学術的な方法論っていうのが一番いいんだみたいなことを
結構言ってた感じなんだよね、パースさんは。
ジェームズさんは、いやいやそれだけじゃねえだろうと。
人間にとって大事なものって、その学問的なものだけじゃなくって、
やっぱり倫理とか道徳とかっていうのもあるから、
それに対してプログラマティズムって結構有効なんだぜみたいなことを言ってたときに、
やっぱりすごく広がりが出たというか、
哲学としての豊かさが出てきて、結構広まったみたいなふうに言われてるんだよね。
なるほど。
ただね、じゃあその100年間順風万般で盛り上がり続けたかっていうと、
実はそんなこともなくて、
やっぱり戦争、第二次世界大戦の時期には、
結構その勢いが衰えたらしいんだよね。
別の哲学的な勢力が出てきたとか、そういう感じなのかな。
でも本当そうそうそう。
それこそヨーロッパの方で出てきた論理実証主義みたいなのがあって、
結構そっちがすごいねみたいな感じで、
プログラマティズムとかもう古いぜみたいな、もう使えないぜってなってたらしいんだけど、
でもやっぱりよくよく考え直すというか、捉え直してみると、
ややその論理実証主義よりもプログラマティズムの方がいろんなことに役立つぜみたいな人たちが出てきて。
新しいプラグマティズムの拡大
なるほど、ちょっと戦争中の特殊な状況があったかもねみたいなね、後から振り返る。
そうそうそうそう。
逆にやっぱり説明できないものが出てきた時に、
もしかしてプログラマティズム使えるんじゃねっていうふうに着眼した人とかもいて、
そういう人たちがこの1950年代とか60年代に、
このネオプラグマティズムっていう、
それと新しいプログラマティズムみたいな感じでまた新しく盛り上がっていって、
この21世紀に至るまで拡大していきましたよみたいな。
なるほどなるほど、第1期第2期みたいなのがあるんだね。
そうそうそうそう。
さっきダイナミズムみたいに言ったんですけど、
結構スター派とかってさ、もちろんいろんな変化があれども、
やっぱりこのゼノンっていう創始者がいて、
その人の教えが基本的には前提で、それをどう粛々とやっていくかみたいな。
もちろん途中で発展させた人もいるんだけれども、
やっぱり地層自体もなかなか変化しにくいし、
もっと言って世の中もね、今よりも昔の方が基本的には安定していただろうから。
変化の速度が遅かったって話だよね。
そういう意味で、別に人々もそんなに自分の思想を展開しようとか、
プログラマティズムの起源と役割
発展せよみたいにしなくてもよかったんだと思うんだよね。
ある程度一人の偉大な人が決めた、徳を磨くべしみたいな。
徳が大事、徳に向かうっていうのがある程度正解である時代が長かったってことだよね。
そうですそうです。
でもやっぱりこの100年、まさに産業革命から1800年代後半でアメリカができて、
南北戦争を回る中で工業化を進めていって、そこから戦争の時代に突入していって、
19世紀、20世紀という中で思想っていうのもどんどん変わらざるを得なかったし、
新しいものがどんどん求められてきたという中で、
プログラマティズムっていうのが一つそれに答えたというか、
ちゃんと役立つ思想だったっていうのが、大まかな流れとしてあったんですよっていうのを読んだんですよね。
これだけ聞くとすごく主流な感じがするよね。
知らず知らずのうちにそういう考え方をしてるかもねって話があったけれども。
それは本当にプログラマティズムの人の自分が言ってるぜっていうだけじゃなくて、
大きな流れとしてフェスタール的な原初学みたいなものと、
プログラマティズムとさっき言った論理実証主義みたいな、分析哲学かっていうような大きな流れがあって、
それが今は哲学の柱をなしてるよみたいな。
説明は結構何度か聞いたことがあるので、多分そんなにずれてないんだろうななんて思ってます。
たださ、兄貴もさっき言ったけど、プログラマティズムって別に聞いたことありますかとか、
パースって知ってますかって言うと、まあまあ知らないと思うんですよね。
僕も知らなかったし。
知らないね。
そう、じゃあソクラテスより有名ですかって言ったら全然そんなことはないわけですよね。
だからやっぱりどこまで広がったのとか、じゃあ誰が言ってんのって言われたら僕も自信がないところではあるんですけど、
でもやっぱりこのプログラマティズムっていう考え方の中身とか、問題意識とかっていうのを聞いていただくと、
すごいわかるとか、なんか自分が感じた違和感ってそういうことだったのねみたいな、
結構そういう発見がある哲学とか思想なんじゃないかなって感じたんですよね。
やっぱり僕自身はさっき言った通り、
最近学んだ勉強会の内容ってプログラマティズムだとか、
プログラマティズムと他の哲学の違い
兄貴が言ってたなぜ海賊王になるのがいいことなのかっていうのもプログラマティズムで説明できるって思ったぐらいなんで。
海賊王になるっていう夢を持つことね、目標を持つこと。
この世の中を全てプログラマティズムで説明できると。
全てとは言わない、全てとは言わないんだけど、ある特定の思考法っていうのは、
僕らが無意識にとか自然にやっている思考法っていうのは結構プログラマティズム的であるっていうぐらいかな。
っていう意味では皆さんも、さっき兄貴も冒頭でスター派のように生き方に通じるって言ってくれたんですけど、
スター派とプログラマティズムがつながってるっていうよりは、
やっぱり自分たちがどう生きるかとか、
自分がもっとより良く生きていくために何を考えるべきかっていうところに刺さるような哲学とか思想とか、
今回もその哲学の流れっていうのは追いながらも、そういう観点も多めにぜひお話をしていきたいなと思っている感じです。
なるほどね。でもあれだね、今回ちょっとプログラマティズムが実用的だよとか、
何だか時代に入っては分かったんだけども、
じゃあそうプログラマティズムって何なの?みたいな話がないような気がする。
一言で言うと難しい話でもあるんだけど、
僕がすごいなと思ったのは、
哲学ってどっちかっていうと、やっぱり人間の手の届かないところに心理みたいなものがあって、
それをどう認識するかとか、そこにどうとどり着きますかっていうのが、
デカルトの、我思うゆえに我ありみたいな感じで、
その我っていうのが世の中を正しく認識するんだっていう、
そういう発想から来てるんだっていうのもプログラマティズムの一つだと思うんだけど、
それをどう認識するかっていうのが、
そういう風にそもそも心理で問いどっかやるものだって思うっていうのも、
哲学的な流れから要は決まってしまうんだと思うんだけど、
それをどう認識するかっていうのが、
やっぱり人間の手の届かないところに心理みたいなものがあって、
それをどう認識するかっていうのが、
そういう発想から来てるんだと思うんだけど、
問いどっかやるものだって思うっていうのも、
そういう哲学的な流れから要は決まってしまっている。
そもそもそれって一つの考え方だよねっていうのが、
プログラマティズムの方法論
まず確かにっていうふうに思ったし、
じゃあプログラマティズムの人たちがどんな風に、
その心理っていうものを考えるかっていうと、
それはもうまさに仮説検証みたいな話なんだけど、
仮にその心理らしきものを立てて、
そこに対してそれを信じるうちは信じるんだけど、
信じれなくなったらそれを捨てて、
また新しい心理を立てていくみたいな、
そんな風な心理観というか、
物事の捉え方をするんだよね。
それは面白いね、確かに確かに。
イデアみたいなものを一回やっちゃうと、
妄心みたいなものが生まれそうだけども、
妄心しないっていうような仕組みを作ってるみたいな感じなんだね。
そうだね、そう。
だから禅のイデアみたいなのがあって、
それはあるものだってするんじゃなくて、
例えば、仮に正義とは何かを考えるとしたときに、
その正義っていうものはあるか正しくあるかどうかわからんけど、
これが正義だとかあれが正義だとかっていうのをみんなで議論したりとか、
そういう風にする中で、
一番遠い先に正義っていうものにたどり着く可能性がある。
ちょっとプロセスが大事みたいなスタッフ的な感覚とも、
少し近いような気はするんだけど、
そういう風に正義っていうものに向かって進んでいくっていう、
その営み自体が大事だし、
それをするのが人間だから、
人間がどういう風にそれを営んでいくのがいいのかとか、
そういう真理みたいなものに向き合っていくのが適切なやり方なんだとか、
そういう方法論について結構話してるんだよね。
なるほど、それは面白いね。
イデアとか真理みたいなあるかないかわかんない、
ある意味SFチックなというかUFO的な感じがするでしょというときに、
じゃあそれは考えないとかじゃなくて、
そこを諦めてないのがすごい感じですよね。
そうそうそうそう。
フィクションで語らせてないというか。
やっぱりどうしてもそこを諦めちゃうと、
それこそ宗教みたいな感じで神のお墓示しだとかさ、
これは逆に東洋の良くないところで、
道とか天みたいなすごく大きいものに委ねてしまう。
その中の自分たちもそのうちの一つだみたいな、
一部だとか言っちゃうと納得感は高いけどみたいな感じになっちゃうのか。
そうなんだよね。
とか世界観として馴染む人はいいんだけど、
やっぱり馴染まない人からすると、
それって一つの価値観だよっていう風になっちゃう。
お互いに理解し合うというのが難しくなっちゃうんだけど、
そこに対してそれこそまさに対話だよね。
じゃあ正義ってこれだってなった時に、
僕は同意できますか?
いや、私は同意できません。
じゃあ正義ってなんだろうねっていうのをさらに一歩進めることができる。
っていうと共通理解とか、
お互いに物事をより良くしていくとか、
世界を良くしていくっていうところの共通点が見つかっていくと思うんだよね。
はいはいはい。
これ哲学なんだ。面白いね。
哲学、そうそうそう。
哲学はさっき言ったように、
真偽とは何かという答えを見つけがちな感じだけど、
正義みたいなものがあった時に、
それにたどり着く可能性を常に残し続けるための方法論というか、
そこの部分の答えみたいな、
ちょっとフォーカスする部分が違う感じがするんだね。
そうなんだよね、そうなんだよね。
だから最初僕も哲学っぽくないみたいな感じで勝手に思い込んで、
あんまり読みたいと思ってなかったんだけど、これまで。
でも今回改めて何か興味があるとか、
あとお便りとかでもプログラマティズム興味ありますってのをいただいてたのがずっと残ってて、
はいはいはい。
でちょっと読んでみようと思って読んだら、
なるほどと。
やっぱ哲学っていうのも僕は何かこうあるべきとか、
心理に対して誠実というか、
心理の方が先にあって人間はそれを受け取るもんだみたいな、
そういう価値観だったんだけど、
そうじゃない哲学もあるし、
そうじゃない発想をすることで見えてくるものがあるっていうのを感じたんだよね。
はいはい。
いやー面白い。どの部分に答えを求めるというかね、
どの部分に真理を見つけるかみたいな意味で、
今日の話だとやっぱり実用的すぎてとか、
ちょっと方法論的な話にもなりかねないんだけども、
そういった話が哲学に足り得る理由みたいなのが確かにどこにあるんだろうというのはね、
ちょっと興味深い話だね。
そうそうそうそう。
そうなんだよね。
だからやっぱりさっきいろんな批判をされたよみたいな話をしたんだけれども、
同時代の哲学者とかにも、
そんな幼稚なのは哲学じゃないとか、
お前らみたいなのは哲学って言うなみたいな話もやっぱり言われたりしたんだって。
ただのディベート大会を勝手にやってるみたいな。
そうそうそうそう。
でももうそのまま織り込み済みだと。
むしろお前らの方がそういう哲学っていう古い枠組みに囚われて、
それを乗り越えられていないんじゃないかみたいな。
そういう感じで反論というか、それを拗ねのけていくんだよね。
はいはい。で実際にそれが論破できてしまったというか、
できちゃったって話だよね。
何も考えてない申し入れ者からすると。
フラグマティズムの時代背景と特徴
もっと言うとそれは別に論破する必要もないんだよね。
別に一個正しいものを目指してはいるんだけど、
今の時点ではどっちが正しいかは判断しなくていいというか。
そこをちゃんとお互い話しましょうよっていうスタンスだったってことか。
そうそうそう。そういうことができるような思想だから。
相手が乗っかってくるから別走してってことだね。
乗っかってこないんだったらそれはそれでいいですよみたいな話だったってことか。
そう。そうなっちゃうと結局相対主義というか何でもありだとかってやっぱりなっちゃうから。
そうだね。確かに。
そこのバランスがすごく難しい中で、
ああでもない、こうでもないって言っていろんな人が支えあげてきた哲学。
なるほどなるほど。相対心とも違うよってものをちゃんと自分たちで考えながら聞けるってことですね。
そうそうそうそう。
ちょっとフラグマティズム自体の特徴というかね、
これまでと違いってものがちょっと見えてきた気がする。
良かったです良かったです。
なので今回そういうのを手がかりにですね、
まずはこのパースっていう、まさに創始者の人がどんなことを考えたのかっていうのをちょっと第1回、第2回か。
で次やって、その後ジェームズとデュイっていう人をそれぞれ1回ずつやって、
っていう感じで初期のフラグマティズムを掴んだ上で、
じゃあその後のフラグマティズムってどんな風に発展してきたのとか、
より今の僕らがそのフラグマティズムっていうのを何か役立つとしたらどんな風にやるのみたいなところをお話ししていけると。
ちょっとね5回か6回くらいでいつもより長くなっちゃうかもしれないんですけど。
はいはいはい、なるほど。
いやでもそうすわね、人数も多そうだしね、今回は確かに。
そうなんだよね。でも逆にね、そのくらいでやらないと多分分かんないけど、
それ以上やっちゃうと、なんか本当にね、じゃあフラグマティズム第15回ですとかってなっちゃうから、
ちょっとそれは長いかなみたいな、ちょっと苦肉のおさくで。
まあ確かにね、ある意味今回の話だと聞いてね、リベートが大事です、みんな話し合いするのが大事です、
で終わってもいいけれども、それだと何にもならないみたいなね、あまりちょっとうつすぎるよねと。
うつい、やっぱりそれはね、最絶愛情的にはやりたくないんで、
もうちょっとねやっぱフラグマティズムとは何ぞやっていうのをね、哲学的にやっぱりお伝えしていきたいっていう感じですね。
でもちょっと哲学的にとかって言葉を使ってしまったらちょっと恥ずかしいな。
どの立場から言ってんだって話は。
ただただ本を数発読むだけの人間ですけど、
でもね、いつも通り僕が面白いと思ったことをお伝えしたいという感じでございますので。
今回はそうですね、ちょっとフラグマティズムの時代背景と、
実際どういう感じなのと哲学の中ではどういう雰囲気なのですかっていうところをちょっと見れたというところで、
次回から具体的にですね、見ていきたいと思いますということで、
次回も楽しみにしていきたいと思います。
では次回もいつよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
36:43

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