1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #184 「他人」とは、私が〇〇..
2024-01-31 53:09

#184 「他人」とは、私が〇〇したいと欲しうる唯一の存在である

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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00:05
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、他者がテーマということで、前回は専用哲学において、他者というものがどういう風に語られてきたのかというところを見てきました。
今回はですね、より具体的に他者というものについて、いろいろな哲学者さんがどんな風に考えてきたのかということをお伝えしてきたいと思っているんですけれども、
今回はですね、レビナスという哲学者を取り上げたいなと思っています。
次回がブーバーという人なので、一回ごとに人をちょっと変えて、エッセンスだけ伝えていくぞみたいなことを考えているんですけど、
はいはいはい。
レビナスって聞いたことないよね、多分ね、お兄さん。
ないね。
ない。そうですよね。
結構ね、有名といえば有名な人なんですけど、結構ね、最近の人で、生まれが1906年で亡くなったのが1995年なんですよ。
ああ、そうなんだ。じゃあ一応うちらが生まれた頃にはまだ生きてた。
そうなんです。初めてかな、多分、本当に現代に生きてた人みたいなのは初めてかもしれないんですけど、
この方はユダヤ人の哲学者で、前回まで取り上げたフッサールに直接学んでいる人なんですよね。
なので、前回もフッサールという人がほぼ、初めてとは言わないまでも、世話哲学の中で他者というものを正面から扱いましたよみたいな話もしたと思うんですけど、
結構そういうところから受け継いで、やっぱりレビナスという人も他者というものを大事に扱っていましたよと。
そうなんですね。やっぱりすごく独自性があるというか、フッサールといえば原初学みたいな感じだと思うんですけど、
その原初学に影響を受けつつも、それを結構超えるような議論になっているよというところが面白いポイントというか、独自性、オリジナルポイントみたいな感じの方ですね。
フッサールがいろいろテーマがあったと思うんだけれども、その中でも他者というところにさらに深掘りしたみたいな感じなのかな。
そうですそうです。結構調べるとレビナス社だよねみたいなぐらいとか、あとは倫理という話で来るんだけど、倫理というよりは自分と他人がどういうふうに交わるかとか関わるかという話なので。
前回あったもんね。良い悪いというのは他者がいて初めて出てくるテーマだみたいな話あったもんね。
そうそうそう。なので結構その辺りが受け取られているかテーマになっていっているというのがレビナス社なんですけど、
03:06
ちょっと今回はあんまり詳しく人を交わりするというよりは、いきなり他者というのにどういうふうに考えてきたの?というところを見ていきたいなと思っているんですけど。
前回まで話したのって結構いわゆる他者とか他人というようなテーマというのが、西洋哲学は2500年くらいの歴史があるんですけど、ここ200年くらいでグイッと広がってきたよという話を前回までさせていただいたかなと思っています。
やっぱりいわゆる近代の哲学というか、デカレートから始まる自分とか自我というのを中心にして、世の中とか神様を捉えていくみたいな。
そういう哲学の枠組みというのに結構捉われているよね。フッサールとか現代の哲学者もみたいな話を前回させていただいたんだよね。
そもそもなんで哲学の歴史でいうと、例えば3000年とか2500年とかある中で、他人とか他者がなんで200年しかないのか、みたいなことを前回見たときに、やっぱり神みたいなものとか、
全体的なものの存在というものが前提とした社会だと、神と我々みたいな感じになっちゃって、自分と他者みたいな、そういう概念がそもそも出てこないよね、出てきづらいよね、みたいな話からあった感じだったよね。
特に近代哲学、デカレートの時代というのは。
特にそうです。神というものを取り除いたときに、いろいろ考えば進んでいくんだけれども、やっぱりフッサールといえども、自分が他者をどう捉えるかって、結構自分中心で世の中を捉えるみたいなところっていうのは、神中心か自分中心かっていう違いだけじゃないかみたいな、やっぱりそういう批判というのもあるわけなんですよね。
はいはいはい、なるほどね。その、絶対的な他人とは何かって、小学では言わないんだけれども、結局それぞれの自分にとっての他者みたいな感じになっちゃうと、じゃあ他者って存在するの、そもそも。
やっぱりそれぞれの自分が想像した他者に過ぎないじゃん、それぞれの、みたいな。
そこは解決しないって話なんだね、そこは。
ややこしいな、問題だね。
なんか土俵として結局変わってないんじゃないかみたいなことを言い出す、後から見た人は批判するっていう感じなんですよね。
まあね、形は一緒で大きい知性の違いじゃんみたいな話になっちゃうとね、これは。
そうなんです。なので、すごく大雑把に結論を先取りしてしまうと、レビナスさんが言っているのは、自分が他者を捉えるっていうパターンじゃなくて、
06:05
むしろこの他者の側、他人の側が自分に向かってくるっていう、ある種他者を出発点としたところから考えることで、初めて他者っていうものをちゃんと理解できるんじゃなかろうかということを考えるんだよね。
あ、そうなんだ。逆転の発想みたいな感じがするね。
なので、そういうふうに言うとイメージしやすいことは思うんだけど、そうやって実際何なのとかどういうことを言っているのっていうところをね、今日はちゃんとお話したいなと思う。
ちゃんとというか、ある程度自分が掴んでいる範囲でお話したいと思っていますと。
これいつも言ってるんですけど、哲学者の方ってそんなに50分60分話して分かったみたいな人では全くないので、本当に大雑把なんていうかちょっと誤解も含むかなとは思いながらなんですけど、
でもこういう他者っていうテーマとしてはこんなことを言えるんじゃなかろうかっていうぐらいな感じで気軽に聞いていただけると嬉しいです。
はいはい、わかりました。
ハートロースピーツ。
面積事項ね。
面積事項です。ちょっとこれは無駄なんだけど、レビナスのことを知られたときに講座の先生がオンラインの動画で見れるような講座を公開されていて、90分のね。
それとかも見てたんですけど、やっぱりこうそういう1回の例えば90分ぐらいの話だと全然レビナスさんには伝えられないんだみたいなこともおっしゃってて。
ほうほうほう。
恐らくもう教授の人がそう言ってるぐらいなので、そこはね、ちょっと僕はそこまでの力もないですっていうところをちょっと面積しておきたいという感じですね。
どう?その教授の方の伝えるレベルが低い可能性はない?大丈夫?
そんなことは言えない。だって何本もレビナスの本を書いて…ちょっと黙っちゃった。
レビナスの本を翻訳して出すような方ですね。
なわけないと。
なわけない。みたいな感じでね、言っておこうと思うんですけど。
意外にね、やっぱり他人とか他者等は中小度の高いところから行くのも大変なので、少し皆さんの想像力をお借りしながら話を進めていきたいんですけど。
SFというか空想の世界を考えてみたいんですよ。
これはもう早藤が作ってくれた例えなんですけど。
僕が作った。本の中ではなかった話なんですけど。
ちょっとですね、空想の話として、宇宙人がいるってことを考えてみたときです。
いるというか、突然宇宙人がやってきますと。
日本語が話せるとしてね。
その宇宙人が自分というか皆さん自身に向かって語るわけですよ。
09:07
生命、生き物っていうのが住んでいる惑星っていうのは実はたくさんあるよっていうふうに宇宙人が言ったと想像してみてくださいと。
そのときに一体何が起きたんでしょうかっていうところから考えてみたいよね。
場面としては想像できると思うんですけど。
今宇宙人どれにしようかなときは、ETとかでいいか。
ETでもいいし、みんな一人はスティッチとかああいうのでもいいと思うんだけど。
ああいうのがあって。
言葉が話せて日本語が通じるっていうね。
そういう人が、そいつとか宇宙人が、生命が住んでいる惑星っていうのは実はたくさんあるんだよと言ったとすると。
このときの態度としては、知識としてね。
要は僕らって地球だけだと思ってるじゃないですか。
生命があるっていうのは。
なので、生命が住んでいる惑星って地球だけじゃなかったんだっていうふうにある種驚くこともできますよねと。
そのときに、例えば自分の知識の枠内で相手の発言内容。
要は生命が住んでいる惑星ってのはたくさんあるよっていうのを情報として処理するっていうこともできるじゃないですかと。
それが多分普通の捉え方だと思うんだよね。
まあそうね。
これっていうのは実はさっき言った、自分が他者とか世界というのをどう捉えるかっていう枠組みの処理の仕方なんですよ。
つまり宇宙人っていうのも、ただただ宇宙人という存在というか情報として処理をしていて、
それをある種自分の世界の側に完全に取り込んじゃってるよねみたいなのが、
今の解釈というか情報の処理の仕方なんですよっていうふうなことを最初にお伝えしておきたいですと。
なるほどなるほど。
とことん主観的な言葉だった認識で進めてるんだね、話をね。
そうそうそう。主観というのは受け取った自分の認識としてとかね。
宇宙人っていう例えばの決めつけにしても、別にフラットに捉えたら自分も宇宙人だしみたいなね。
逆に向こうからしたらこっちが宇宙人だしみたいなところまで含めると、とても主観的な話だよねと。
そうそうそう。
すごくそれはモデル的なんだけど、そのぐらいスパッと情報を処理することもできますよねと。
それが自分が他者を捉えるという方向だとした時に、
今度は逆の他者の側が自分に向き合ってくるっていうことが何かっていう話をしたいんですけど、
まさにね、兄貴がさっき言ってくれた通り、僕は宇宙人がやってきてって言ってしまったんですけど、
12:05
やっぱりこの言葉だけだと、宇宙人っていうのは何者でとか、どういう状況でとか、
そもそもどんな存在かっていうことを何も伝えてないじゃないですか。
そう。
例えば兄貴が言ってくれた通りさ、それがETみたいなものなのか、スイッチみたいなちょっと可愛らしいものなのかとか、
あるいはね、もっとめちゃめちゃでかくて怖いものかもしれないとか。
エイリアンかもしれないし。
エイリアンかもしれないし。
侵略生きてるかもしれないしね。
有効的かとか、敵対的で敵意があるのかとかさ、やっぱり言葉になるような前の情報っていうのもその場にいろいろあるはずじゃないですか。
例えばね、自分一人だけで本当に向き合ってるのか、いろんな人がいる中でわざわざ自分を指差して動かけてるのかとかって、
いろんな状況を考えるっていう中で、
その上で、ある種、仮に宇宙人とするとそれが、
平米が住んでる星は実はたくさんあるんだって言ったときの情報量?
なんかいろいろ想像できるじゃないですか。
だから地球は滅んでもいいのかみたいなことかもしれないしさ。
言ったときに、いわゆる、そもそも僕らっていうのは地球にしか生命はいないと思っているんだけど、
宇宙人はたくさん生命がいる星を知っているっていう風に圧倒的な世界の捉え方というか認識のギャップがそこにあるわけですよね。
そういうときに、もうちょっと考えると、
その宇宙人と呼んでいる生命体がどんな風に思考しているのかとか、
どんな価値観を持っているのかとか、
どんな気持ちでその他にもいろんな星があるっていう風に言ってるのかって、
全然わからないはずなんだよね。
そうね、確かに確かに。
あと、なんで日本語を喋れてるの?っていうところまで含めて。
そうそうそうそう。とかね、いろんなことがパニックになっちゃう。
やっぱりね、いわゆる宇宙人と出会えてパニック映画とかでやるやつだと思うんですけど、
パニックになっちゃうねと。
で、いうふうにどこまで来るか分かりやすいと思うんですけど、
これっていわゆる自分の理解の範疇を超えているとか、
自分の世界の枠組みに収まらないことがちゃんと起きてるよねっていう話なんですよね。
なるほど。
さっきみたいに、いろんな生命が住んでいる星がたくさんあるんですねっていう情報の処理だけでは絶対に収まりきらないものっていうのが、
この宇宙人との出会いにはありますと。
っていうところまでは何かOKかな。
OKだね、確かに。
15:02
絵体の主体のものにあった時に、自分の枠組みを捉えようとするし、
絵体を捉えようとした時にも、宇宙人が来たみたいな物質以外にも攻め手があるんだって驚いたとして、
そうやって自分の枠組みの中でしか驚けていなくて、情報処理できなくて、
そういうところは想定できていないか、さっき言ったように、
頭回る人はパニックになるというか、情報がなさすぎて、
握手していいのか、
すぐ殺した方がいいのか、
地球に来たサイヤ人が、
多分最初にラディッツだけか、
ラディッツだね、
合ってる?
合ってる合ってる。
丸い弾でドーンって落ちた人だよね。
来た時に最初、鉄砲を持った人がアワワワとか言いながら行って、すぐ殺されちゃうじゃん。
皆さん、今ドラゴンボールの話をしております。
我々兄弟で。
しかも昔のね。
古い方のドラゴンボールの話をしてます。
そういうことだよね。そこで本当はすぐに言えればよかったし、
今は本当に分かんないのね、何しに来たのか、何者なのか。
そうです。
なので、やっぱり宇宙人みたいに言ってしまうと、
本当に圧倒的な他者というか、全く理解できない存在という話を想像できるんですけど、
これってやっぱり想像上のことだけじゃなくて、
僕の普段生きている中でも全然起き得るなというふうに思うんですよね。
例えば、異文化で暮らす外国の方もそうだし、そもそも外国人というのも一緒だよね。
外国人というレッテルってすごい便利だけどやっぱりいろんなものを下げ落とすよね。
同じことだよね。
同じこと、同じこと。
あとはやっぱり、同じ日本に生きている人とか、同じ岩手だったりとか、
当然生きている人でも、もちろん全然違う事実を歩んできた人となると、
まさに自分で理解の及ばないことというのはたくさんありますよね。
なるほどね。極端に宇宙人として考えたから分かるけれども、
意外とそうやって細かく国とかそういうふうにやっていっても、
国、町、家族、隣の人みたいな色々やったとして、
ですが最終的に他人みたいなところまで行っても同じことが起こっているよねみたいな話でもある。
そうです、そういうこと、そういうこと。
同じ他者と言った時に宇宙人であれ、本当に家族であれ一緒だよねぐらいの感じなんだけど。
つまりどういうことを言いたかった話かというと、
あるコミュニケーションとか特に会話というのを行った時に、
自分の理解の枠組みを超えるとか、
18:02
自分の知り得ないものというのを相手が持っているというふうに考えた時に、
相手というのは自分が解釈できるとか、自分が思いのように理解できる存在なんじゃなくて、
むしろ自分の世界に新しいものを与えるような存在なんだというふうに捉えられるじゃないかと。
これがいわゆる自分から他者へ、要は自分の世界の中に他者を押し込めるんじゃなくて、
他者が自分の世界に新しいものを投げ込んでくるんだみたいな、
そういう矢印の転換なんですよね。
なるほど。
持っているとそういうものが他者なんだと。
だから自分の意思とか自分の理性だけで理解できるようなものとか、
いいのままにできるようなものというのは、それはもう他者じゃなくて、
ただのある種の物とか道具であると。
やっぱり他者というのは物とか道具とは違うというのは何かというと、
自分に新しいものを投げ込んでくるんだということによって違うんだ、
みたいなことがレビュランスが考えたことなんだよね。
なるほど。
これは納得しやすいというか、イメージできるんじゃないかと思うんですよね。
面白いね。確かに全然前回言ったフッサルぐらいか、
そことは全然インペクトルの方向というか出発点が違うね。
そうなんです。
だからそういうふうに、ただ基準を変えたんでしょうか、
始まりを自分から確立しただけなんじゃないということではなくて、
そういうふうなことが他者としての在り方に影響するということを
ちゃんと考えたというのがレビュランスのすごさなんですけど、
もちろん話はここでは終わらないわけですよ。
なるほど。まだ言い口みたいな話なんだね。
ここで他者についてわかったわって言えそうだけど。
逆にこれは毒を抜いたような説明をあえてしたんですけど、
毒って何かっていうと、
さっきみたいに、いわゆる他人が自分の世界に新しいものを与えてくれるよっていうのはポジティブじゃないですか。
確かに与えてくれるそうだね。
そうで、ワイワイでいろいろ受け取ればいいじゃんっていう話だったらよかったんですけど、
実はレビュランスはそうじゃないって思ってて、
いわゆる新しいものっていうのは、まさに自分の理解の枠組みを超えたものとか、
自分の世は範疇を超えたものじゃないですか。
いわゆる自分の格好たると思っている理性とか自我とか、そういうものを揺さぶって、
自分の捉え直しを求めてくるものなんだっていうふうに言うんだよね。
21:02
まあ確かにね、さっき宇宙人の例はすごくしっくりくるね、確かに。
まさに宇宙人と会えた時に人類と何かを考えることって、
それこそ小説とかでもあると思うんですけど、
やっぱり宇宙人がまさに命、生命が住む星はたくさんあるんだぞとかって言われたときに、
そうしてね、自分って人類と何かとか、目の前の宇宙人っていうのはどういうふうな存在なのかとか、
今まで自分が生きてきた世界っていうのは本当に悲しかったとかとか、
いろんなことが思い浮かんでくるじゃないですか。
そうだね、確かに。結構自分の存在を揺るがしてくるね。
いろんな意味でね、本当にすぐ殺されるかもしれないし、
いろんな価値観を変えなきゃいけないかもしれないという意味でね。
そうですそうです。
なのでっていうふうに、やっぱり自分というものを捉え直させられるんだ、例えば他者との出会いっていうのはね。
そうじゃないと、ここまでの会話が成り立ちませんと。
要は日本語は通してるから、この星っていうのはいっぱいあるんだっていうことは言葉としては理解できるけど、
そもそもそれがどういう意図で発言されてるかわからなかったら、やっぱり会話はできないよね。
そうだね。
うんうん。
一言間違えたら殺されちゃうとかって思った瞬間にめっちゃ考えちゃうじゃない。
そうね。
みたいな感じで、あるいはそもそも他者と会い対するときには、
その他者の理解っていうものがないとコミュニケーションが成り立ちませんよと。
そのコミュニケーションが成り立つためには、実は自分の側が努力をして、
他者ということを理解しようとしないととか、
自分というものの理解とかを捉え直さないとできないよねっていうふうなことに言うんだよね。
なので結構自分が大変じゃんっていう話になってくるんだけど、
それをね、レビューナーさんさらに一歩進めてて、
すごいねセンセーショナルな言葉なんだけど、
要は、他人とは私が殺したいと発する唯一の存在であるっていうふうに言ってるんだよね。
ラディッツじゃん。
ほんとだ。ラディッツちゃんって殺してたね。
あそこにつく?
そう。
全然わからん。
わからんよね。
それちょっと激しい言葉じゃないですかね。殺すとか殺したいと発するとか。
ちょっとこれは何ですかって話なんだけど、
これはさっきの宇宙人の話に戻るんですけど、
やっぱりこの宇宙人っていうのはさ、
やっぱり自分、皆さんそれぞれの理解っていうのは完全に超えてる存在じゃないですか。
そうなると、やっぱり最終的に呑気に、
たくさんの星に命がいるんだ良かったとかはやっぱりならないと思うんですよ。
24:05
まあそうだね。相当身構えるよね。
身構えて緊張感は伴うし、
いわゆる差し迫ってくるような状況っていうのをこういう時呼ぶと思うんですけど、
いわゆるその言葉で何を俺は試されてるんだとか求められてるんだっていう、
いわゆる応答しなきゃいけないっていうふうな状況に陥るよねっていう風にレビュースは考えるんだよね。
確かに。ちょっとドキドキしてきた。
そうそうそう。ちょっとナイフを突きつけられてるぐらいのさ。
そうなった時に、いわゆる宇宙人っていうか自分の計り知れない存在が自分に対して声をかけてくるっていうことは、
自分にとってはやっぱり自分の世界の否定なんですよ。
そうなると結局恐怖とか絶望に繋がりますというふうな感じで、
いわゆる人と宇宙人とか、あるいは人と人でもいいんだけど、
分かり合えないなんて当たり前じゃないかって思えたらそれぐらいでいいと思うし、
それで現実世界はちょうどいいと思うんですけど。
でもそれが殺すに直結しそうだから怖いけどね。
それぐらいの意味で分かり合えないなって言っちゃってる人は危ないと思うよね。
でもそれでも世の中回ってるんだって思えればいいと思うんだけど、
哲学の世界なので、やっぱり自我の否定とか、
理性で捉えきれないものがある。
そういう他者と呼ぶものが存在するっていうこと自体への恐怖とか恐れみたいなものが結構あったんじゃないかと。
これは僕の想像なんですけど。
今日ね、ハヤトが宇宙人の例えから出してくれたからこちらは想像しやすいけれども、
レビナスとかは自分で他人って何だろうなってフッサルとかの弟子としていろいろ考えてるときに、
他人怖って、多分そこまで本当に自分で辿り着いたって話なんだよね。
そうそうそう、そういうことだと思うし、
他人としては自分というものを破壊し尽くす存在である。
これに多分思いに立ったんだと思うんだよね。
そう。で、なると、やっぱり協和取れる選択肢って実は2つしかないんですよ。
1つはさっき言った通り、自分の理解とかをアップデートして、相手をちゃんと理解してあげようと。
いうふうなポジティブなね。
殺すまで言ってるのに、殺すか逃げるかとかじゃなくて。
ごめんごめん、それは2つ目の選択肢で、やっぱり殺すっていうのは相手を全面的に否定してしまおうと。
そこも含めて、なるほどね。
なので、1つ目は受け入れる、で自分が頑張る。で、2つ目は相手を否定する、つまり殺すだっていうふうな2つの選択肢って感じなんだよね。
27:06
なるほど、そっかそっか。殺すっていう強い言葉を使ってるから、どうしても身体的にというか物理的なフォームが取られちゃうけれども。
ある意味、自分の枠組みというか価値観をアップデートするっていうのは、そういう意味で考えれば、自分の価値観が殺されたと考えれば殺されるか。
で、殺すかっていうのは、どっちなんだそれ。殺すかはなんだ。相手に自分の価値観を自分の色にするみたいな話なのか。
それはね、するとか。あるいは実は、確かにでも兄貴が今言ってくれたら僕もわかったんだけど、自分の枠組みをアップデートするっていうのは確かに自分を殺すことだよね。
相手を殺すっていうのは逆に言うと、例えば自分の世界に相手を引きずり込むっていう意味では、要は自分から他人へというべき取りに戻ることだったり、
あるいは本当に物理的に相手が存在なかったことにする。つまり身体的に殺すっていうのもあります。
それは自分の世界から排除するってことだよね。
そうだね、いずれにせよ。
いずれにせよ。で、自分をアップデートするか、アップデートしないまま世界を続けるかっていうことに、
いったく迫られるんだっていう話でもいいかもしれないね。
そうだね、うんうんうん。なるほどなるほど。
そうなると、他者から自分をめってべき取りにした瞬間に、でもやっぱり自分というのを守りたいっていう、ある種恐怖とか、
自分というものが他人に侵されているみたいな絶望とか、そういうものが出てくるんじゃないかっていうふうにレビナスは考えるんだよね。
おーすごい、うんうんうん。
でもなんかさ、こういう話で聞くと結構理解できる気もしない?
いやーすごい、いやわかると思う。
うんうんうんうん。なんかどんな感じじゃねえかすると。
えーっとね、どんな感じというか、一つ思ったのが、
いわゆる自分と他者っていうものをどう規定するかみたいな話をしてくれてると思うんだけど、
前回はさ、ほら、神っていうものがいたら、神と我々みたいな感じになって、
そこには二つしか存在しないじゃん、神と我々ね。
そうだねそうだね。
で、今回の話で言うと、自分と他人っていうふうに、そこは二つだよね、同じように。
そこの違いは何なのかっていうものを語ってくれてると思うんだけれども、
今回話したときに聞くと、1対1、自分と他人が1と1みたいな感じになっちゃうんだけど、
今回の例で言うと、ある意味宇宙人か。
宇宙人の話、例えで言うと、自分と宇宙人は違うものじゃん。
30:04
だけれども、例えば自分の周りに住んでいる人たちは自分なわけ。
その例で言うと、もしくは自分と同じもの。
そうだね。
考えると、自分と他人っていうものが、言葉からイメージするものは1対1なんだけれども、
意外と自分にしても他人にしても、
いいね、いいね。
言ってとこと、あとその他の多数みたいなものがすごく混在されて理解されているんだろうなと思って。
確かにね。
そうすると、さっきの価値観のアップデートみたいなものを含めると、
ある程度自分の住んだ家族とか村みたいなものがあったときに、
そこは神様とか抜きにしても価値観が一緒。
なので、自分と他みたいなものは相手と想定しなくてもいいみたいなね。
前回の神と我々みたいな感覚で、価値観と我々みたいな感じでできる。
ただ、隣の村の全然価値観違う奴が来たときには、
初めて他の、例えば村だとか、他の人だみたいなものを意識し始めちゃう。
その怖さみたいなもの。
そういうのがすごい、自分と他者みたいなものの枠組みがすごく広がった感じがするよね。
そこで、位置で理解していたものがすごい広がった気がする。
でも本当にその通りで、レビオンスもまさに一対一の関係というところから、
いわゆる一対他とか、複数人、要は他者、他者、他者っていう時の
他が増えた時のこととかも結構考えていくんですよね、まさに。
そうなんだ。
やっぱりそのグラデーションみたいな話、何のときだか存在とか属性とかのときに打ったかもしれないけど、
他者について考えていくと、他者のグラデーションが増えていくとか細くなっていくじゃないですか。
兄貴が言ってくれた通りね。
そういう感じで、いわゆる自分の同胞みたいな話と、いわゆる外部というか、それ以外みたいな。
ある種、宗教的に言ったら、まさに同じ神を信じる人と違う神を信じる人みたいな感じだよね。
これも含めて、やっぱり他者の問題って出てきますと。
そこに出てくるのが、正義っていう問題なんだっていうことをレビナスは言うんだよね。
ここで倫理の話が出てきた。
一気に倫理の話が出てくるんだけど、要は一定値の関係だとお互いに、相手をどう理解しますかできるんだけど、
要は相手が基準で自分はそこに合わせるというかできるんだけど、
その他者A、他者B、他者Cとかって出てくると、要は全員が全部違う基準を持つわけじゃないですか。
33:06
そうなると、どこに基準を合わせていいかわかんないから、結局は正義っていう一歩の基準を立てて、
正義に対しては自分も他者であるみたいな感じに、全員が他者になるみたいな、
そういうふうな考え方をするんだよね。
おー、わー面白そう。
そう。
そう。そうだった。
面白そう。まだ全部聞きたいからね。
ちゃんと言葉を使わないと適切にならない。
何が今、おーってなった?
正義ってものに対して全員が他人であるってすごい面白いなと思ってさ、
普通多分正義って考えた時に、自分が正義であるって、正義と自分を同一視しちゃうってことってあり得ると思うんだけど、
そこの全員が他人であるって感じですごい面白そうだなって思った。
はいはいはい、確かにね。
途中でちょっとね、びっくりしちゃったんだけど。
昔はというか、中世とかはやっぱり王様が正義だとか、
いわゆる民が正義だみたいな、ある種、教会が正義だとかってのがあったかもしれないんだけど、
そうじゃなくて、もっと法律とかね、中小的な正義っていうものがあった時に、
それは全員が正義に対して自分をアップデートしなきゃいけないとか、
自分を合わせなきゃいけない。
はいはいはい。
やっぱりそういうふうな世界ってなってるんだなと。
これはレビアンスがそこまで言ってるかわかんないんだけど、
今兄貴の話してて思ったのがやっぱりそこ。
だからもう具体的な人だけじゃなくって、そういうものも他者と捉えた時に、
自分の在り方っていうのはある種、規定されていくというか、変わっていくよねみたいな感じだと思うんだよね。
はいはいはい。
うーん。
うわー、怖っ。正義っていうか、倫理って怖っ。
怖いし難しいでしょ、そう。
逆に言うと、やっぱり別の正義を信じてたら、もう相手を殺すしかないわけですよ、そうなると。
まあそうね、同じ話だよね。他人だから、他人は殺すしかないからね。
人間は殺すしかないから。
殺したくなっちゃうからね。殺すしかないっていうか、殺したくなっちゃうんでしょ、レビィナス的にはね。
そうそうレビィナス的にはね。
うん。
で、同じのが、まさに他者を殺したいと発するって言ってるんだけど、殺すことができないっていうレビィナスは言ってるんだよね。
あー、そうなんだ。
そう。で、どういうことかっていうと、さっき通り他者っていうのは要は自分の理解とかの外にあって、自分に新しいものを届けてくるっていう存在じゃないですか。
うん。
36:00
なので、その他者を本当の意味で物理的に殺すとか、あるいは否定し尽くすとか、無視するみたいなことって、要は他者を物に変えちゃうこととか、自分の世界に取り込んじゃうことだから、そうしてもう他者じゃなくなっちゃうんだよね、レビィナスの話からすると。
そうだね、うんうんうん。
だから、その他者を殺すっていうのは、物理的にとか、他者っていうものの取り柄からしてありえないんだと。
要は他者っていうのは自分にとって理解できないものだから、理解できないものを理解できるようにした瞬間にさ、もう他者じゃないっていう話になっちゃうんだよね。
ああ、まあまあまあ、そうだね、それはそうだね、言葉からすると。
言葉からするとか、レビィナスの定義からするとね。
なので、殺したいと発するっていうふうに、いわゆる欲求はするんだけど実現しきれないと。
これ、めちゃくちゃ恐ろしいのが、もし殺しに済むんだったら、殺し尽くしたらそれが終わるんだけど。
いや、そう思うよね。
そうそう、でも殺しても殺しても、なんだろうな、それが満たされないとしたら、そうやって再現がなくなっちゃうじゃん。
確かに。
なると常に他者の影に怯えるとか、まだ他者がいるはずだから自分の世界ってのは完全じゃないみたいな感じで、正義っていうものが執行され続けるみたいな、そういうことも考えられるんだよね。
なるほど、他人っていうものが一人とか二人だったら、レビィナス的に殺して、他者いなくなるみたいなことが、それで満足ってことがあると思うんだけれども、
レビィナスが、他者殺し消えないみたいな話をしてるのは、今、ハヤトが言ったような意味でなのか。
そうそうそうそう。それとも、ちょっとごめん、違う文脈もあるんだけど、定義上って話と、あるいは、それをちょっと膨らますときに、そういうふうにやり尽くせないとか実現できない、そもそも。
あったよね、ドラえもんの道具であったよね、そういうのね。
あったっけ、どのやつだろう。
のび太くんが使っちゃったんだけど、名前忘れたんだけどさ、嫌な人は消せるみたいな、ジャイアンとかさ、うるせえって消しちゃって、いじめられてるからね。
お母さんとかも消しちゃってとかってやって、周りに誰もいなくなってすげえ寂しくなるみたいな、ドラえもんも消しちゃってみたいな、確か。
どうする、みたいな。
あったね、あったあった。
そういう怖さに近いんだろうなって。
そうね、本当にそうそう。
まさに自分の世界、本当そうだね、自分の世界を都合よく広げてってやった瞬間に、やっぱり他者っていうものはいなくなって、一人だけになるから。
39:01
なっちゃうのね。
それだわ、まさにそれだわ。
はいはいはい。
そうなんです。だから、やっぱりこう、自我とか理性っていうところから考えると、実家に自分の理性って世界を覆い尽くすかっていうことが、ある種理想ではねって思えちゃうんだけど、やっぱりそうじゃないと、
やっぱり他者っていうものを考えたときに、それをやり尽くすってことは、まさに他者を、何だろうな、否定し尽くすとか、他者っていうものの存在をやっぱり無くし続けることになっちゃうよね。
っていうのは、たぶんこのレビナスっていうものから出てくる発想だし、
うんうんうんうん。
それはやっぱ、それまでの制圧したときにはたぶんなかった発想なんだよね。
うーん、なるほどー。
なので、結構ホラーとか最後の話になっちゃうんですけど、やっぱりこれはね、結構ハードな世界観だと思うんだけど、冒頭だけちょっと一言だけ触れたんですけど、レビナスはユダヤ人の哲学者なんですよ。
うんうんうんうん。
で、やっぱ1900年代に生きているので、いわゆるユダヤ人としてホロコースターのドイツのあれで、結構親族を失ったみたいな、そういう体験はやっぱりあったらしいんですよね。
なるほどー、じゃあまさにそっかー、他者としてもユダヤ人をなくしてしまえみたいなところの被害者であるのかー。
ということもあったかもしれない。あんまりそれを結びつけすぎていいのかどうかはもちろんあるんだけれども、やっぱりそういうふうな強烈な経験とか思いっていうものが、やっぱりこういう人たちの理解とかに影響してるんじゃないかっていうのは、やっぱり想像したくなっちゃうね。
なるほど、まあそうね、確かに。レビアンさんはたまたまユダヤ人だっていうところで、ユダヤ人じゃなくてもこういうことを考えたかもしれないけれどもっていう、ただ時代としてはそういうのは起こっちゃってたんだってことね。
そうですそうです。なのでやっぱりその他者と向き合うっていうのはね、この世界観とかなり重たいものになっちゃうんだけれども、やっぱりこう、何か題書けられるとか相手の世界をつけつけられたときに、やっぱりただ黙って、要は沈黙するっていうのも応答しないという一つの応答になっちゃうから、
やっぱりこう、何らかの問いかけを受けて以上それに答えなきゃいけないとか、ある意味つけつけられてるみたいな、やっぱりそういう世界観っていうのがこのレビアンさんとしてはでしたというような話なんですよね。
これすごく面白いね、これ。
本当に良かった良かった。
わー、そのね、正義っていうもの、ギンギの話にもちょこっと触れてたけどさ、そこが必要というかさ、生まれざるを得ない、必要発明の母的な話でさ、ギンギって誰かがさ、これいいじゃんとかじゃなくて、仕方がなくできるものなんだなみたいなさ。
42:15
そうね、必要悪とまでは言わないけど、必要善か。
その辺は多分またね、こういう自分と他人とかさ、話を捉えた意味でのギンギの話とかもあるんだろうから、その辺はぜひまた聞きたいと思ったけれども、すごい話だわ。
なんか前回から一気に解像度じゃないけどさ、200年だからせいぜいそんな大した話ないだろうって思ってたけどさ。
だいぶ具体的な、すごい納得感のある話をいきなりされちゃって。
びっくりするっていうと上からだけどさ。
すごいな、すごい尊敬する。名前忘れちゃった。レビィナスか。
レビィナスさんです。
やっぱりその納得感は僕が生きている世界に直結してるんだよね。
正義っていうのは神が作ったとか、特変的な理想から降りてきたっていうことよりもさ、やっぱり生々しく人間が生きていくとか、
他者といろんな意味の他者ってものがあったときに、やっぱりそこと一緒に生きていくには必要だよねとか、なきゃいけないんだねっていう感覚って、
やっぱり下から積み上げていってほうが理解しやすいってのもあると思うんだよね。
はいはいはい。
やっぱりそういう抽象的すぎないというか、ちゃんと現実にも即した形で語れるっていうのが、やっぱりすごく現代のテーマで扱うことの面白さだなって思うんだよね。
いやーそうだね。面白い。だいぶ身近なところに降りてきた感じがするね。
嬉しい嬉しい。
いいですね。僕はその反応が嬉しいですね。聞いてる皆さんもそういうふうに、確かにそういうことあるよねって思っていただけたら嬉しいなと思うんですけど。
そうね。今回言葉強かったんだよね。殺せ殺されるの関係みたいになっちゃって、言葉は強いけれども、なるほどとは思う。
今回はハードな話を含めて、前回から少し哲学的な流れが続いたので、次回はより自主生活に寄り添いやすいというか、よりより自分の実感に取って理解しやすいんじゃないかなって思うところで、
ブーバーっていう人の我と何時っていう本を取り上げたいなというふうに思っているんですよ。
はいはいはい。
この本自体は直接的に他者とは何かとかっていうことではないんだけれども、いわゆる対話とはどういう風になるのかとか、
45:05
いわゆる自分とそれ以外の自分以外との存在との関係の仕方ってどんなものがあるの?みたいなことをグッと考えてくれる、教えてくれる本なんですよね。
うんうんうん。
結構これ好きでいつか取り上げたいなと思ったんですけど、ブーバーだけ取り上げるのも大変だと思ったら、こういう風なテーマと構成になったのでいけるじゃんと思って、
ぜひ話したいというふうに思っていたので、
はい、なるほど。
というかですね、ブーバーさんの我と何時っていう本を取り上げて、こんな感じでお話ししてみたいと思っておりますという感じですね。
なるほどね。レビナスでゴールでいい気がするけど、まだいろいろあるんだね。
いろいろあります。いっぱいあります。
有意識もあるからね、まだね。
そうだったね。
面白いよね。
ハヤト的にさ、今回のこのレビナスの納得感だったりとか、個人的なその幸せみたいなものってどうだった?
発見でもいいけど、個人的な。
個人的な発見はちょっと、レビナスが本当にそう言ってるかどうかは分からないんだけど、やっぱり自分の理性っていうもので全てを覆い尽くすっていうことは無理だし、やっちゃダメなんだっていう感覚?
ある意味すごく残酷なことだね。全員殺し尽くすみたいな。
そうそう。
他人のかにに怯えながらね、って話になっちゃうってことか。
そうですそうです。
でも本当は、本当というかもともとは、いわゆる真理を覆うっていうことだと僕はちょっと思ってるしかあったんだよね。
いわゆる自分の理性とか理性でも働かせると世の中のことが理解できるみたいな、その方が良いのだみたいな感覚っていうのがありましたと。
うんうんうん。
それはやっぱり、一つの価値観でしかなくて、理性っていうものが覆い尽くせるっていうこと自体が一つの態度だし、しかも結構危険だよねっていう話とか。
そしたってそんな風には絶対に捉えられないよねっていう風なスタンスもレビナスみたいにあるよねっていうことは、すごく今の僕の感覚に近いというか。
でも、そりゃそうだよねみたいな。自分が世界を覆い尽くすなんてできないしやっちゃダメだよねみたいな。
うんうんうん。
っていうところがすごく共感ポイントだったかな。
なるほどなるほど。その何かを突き詰めてやろうっていうものが倫理みたいなところに及ぶと特にそうなりやすいみたいな感じだろうかな。
そうそうそうそう。だからよくあるじゃん、純粋な正義が一番怖いみたいな話で、要は自分が正しいと思っているとすぐに要因やっぱり他者を潰してしまうみたいな。
それって結局こういうことなんだなっていうところで納得感も強かったかな。
48:02
なるほどなるほど。
個人的にちょっと思ったのがさ、他人は何かを与えてくれるっていう部分、自分の枠外のものを何かしら与えてくれるという。
でそれを他人という物として考えると結構その友達とかさ、他人とかの定義ってすごい面白いなって思うんだけど。
かなりあの、今回ハヤトは重めのって言ってたんだけど、結構ハードコアな友達論みたいな感じになるなと思って。
結構ほら、友達の情報とか価値で左右するなみたいなところはあるかもしれないけどさ。
でも一面では意外と普通のこともあってさ、例えば親友って何?って言うときにちゃんと自分を確かめてくれるとかそういうときに、
なんかじゃあその、自分の持っている価値観とか情報以上のものを何も持っていない人がいたときに、
その人を友達と呼ぶか他人と呼ぶかみたいなときに、そういう人は自分の世界からもう自分と同じものというかさ、他者として認定されない?
ある意味その、物として認定されちゃうコアさみたいなさ。
そこもある意味面白いというか、すごい上手く表現してるなとも思うよね。
それが良い悪いとかじゃなくて、意外とそうなってるかもってね、人との関係。
多分第1回言ったさ、満員電車とかとかいう人がいっぱい歩いてるところを、
ハヤトは人を亡くしちゃう。で、自分は結構その人のことも考えちゃうみたいな話はあったんだけども、
今回こういう観点からそれぞれの話を考えてみると、またその自分がどう思ってるのかとか、
本当にハヤトは本当に消しちゃったのかとか、逆に自分の方は本当に他人のことをちゃんと想像してるのかみたいなところがあるね。
意外と違うかもしれないなと思ってね。
そこの議論とか雑談とかで最後したら面白いかもね。
確かに確かに。
すごい他者とかの愛憎みたいなのがすごい、そもそも宇宙人的な感じで自分の価値観がアップデートされていく感じがあるよね。
他人とはこういうものなんだっていう感じがめっちゃした。
本当そうなんだよ。読書とか哲学ってまさにそれで、やっぱり他者との出会いじゃないですか。読書とかもね。
なるほどなるほど。
だからもちろん小説とかエッセイみたいにパラッと読んで、すごい共感してよかった、自分はこれでいいんだっていうふうなことも大事なんだけど、
大事だし別に素敵なんだけれども、全然違うような読書とか哲学として自分を捉え直すとか、自分の価値観を壊してみたいな、そういう出会いもある。
51:05
どっちが良いとか悪いというよりは、やっぱりそういう違いがあるよとか、自分にとってどっちが必要なんだっけっていうことを考えるみたいなことが結構大事なのかなとか大事にしてる僕自身も。
やっぱり学組アップデートしたい時に話す人と、とにかくバカ話とかね、飲みたいっていう時に話す友達は違うよねとかって、結構そんな感じかなとも思うんだよね。
はいはいはい、なるほどなるほど。確かにね、あとはまあ確かに小説と哲学も多分同じことを思えると思うんだけど、
あと同じように価値観を壊してくれたりとかするかもしれないけれども、壊れ方が違うというかね、だったりとか。
またね、直接的なのか間接的なのかとか、その人の持ってる感性にどっちがはまるかとかもあるだろうしね。
そういうのはやっぱりいろいろと深まりますね、やっぱりね。
ごめんね、最後ね、ちょっとすごく面白かったんで、ハヤトの感想をチラッと聞いてみたいなと思ったんで。
そうね、いや嬉しいです。ありがとうございます。
まだね、この他社の話、あと2回分ぐらい続くので、いろんなグラデーションとか定義というかね、そういうものを僕らも作っていくことで、
もっといろんな面白い議論ができるんじゃないかと思うので。
分かりました、そうだね。
話していきましょうという感じですね。
了解です。今回はね、現状レビナスに殺されてるんで、自分の悪夢をね、
自分の悪夢をね、アップデートしたっていうか、レビナスに殺されてるんで、次はブーバーに殺されるのかなと。
殺されるとさ、優しいんでね。
したいと思いますので。
次回も楽しんでいきたいと思いますので、引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
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