1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #194 日本人が切り開いた「偶..
2024-03-06 42:33

#194 日本人が切り開いた「偶然」の哲学


「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。
▼おたよりフォームラジオのご感想やコメントなど、お待ちしております!https://forms.gle/ThJocrLap77ELG7B7


00:06
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
このラジオは、身近なテーマをきっかけに、哲学について楽しく学んでみようという番組です。
哲学好きの弟と、哲学に馴染みのない兄の兄弟二人でお送りしていきたいと思います。
改めまして、兄の菅野京介です。
弟のハヤトです。よろしくお願いします。
さあ、今回から偶然というところがテーマだったんですけれども、
あれですよね、前回は正義とかそういうのをやってて、倫理にだいぶ浸ったなーって感じだったんですけど、
今回はあくまで哲学にまた戻るみたいな、頭でいいんですよね。
そうですね。もちろんね、正義とか、その前だったら他者みたいなものも哲学的なテーマではあったので、
倫理だからといっても、哲学は離れたってわけではないかなと思うんですけど、
この偶然というのも哲学なのかみたいな話ってあると思うんですよ。
兄貴もさ、偶然についての話をしましょうって言ったら、普通は数学的な話だと思うんだよね。
まあそうね、前回偶然とか確率っていう話をしてたから、
いきなり偶然って言われると、もうちょっと運命とかさ、
スピリチュアルとかさ、そっち系なのかなと思う人が偶然だと。
運とかさ、あなたはそっちを信じますか、運を信じますかとか、占い信じますかみたいな、
ちょっとそういう方が偶然だとね。確率となると数学とかそっちのイメージだね。
なるほどね、確かに面白い。
今回偶然っていうテーマではありながら、まさに今言ったような運命とか確率とか、
そういうのも含めて広く扱っていきたいなと思ってますよと。
ほうほうほう。
偶然とかって言うとさ、本当に広い意味が日常的にもあるのかなと思ってて、
それこそたまたまみたいなのも偶然としたときに、たまたま誰かに会うもそうだし、
たまたま雨が降るみたいなこともそうだし、
あるいはさ、ゲームとか、兄貴もさ、よく昔マージャンやってたと思うんだけど、
それこそある俳優を積もるか積もらないかみたいな、
それは偶然なのか引きとかね、
引きとかいろいろあると思うけど。
確かに引きがいいとかって言うもんね。
そうそうそう。
確率的に言ったらもちろん全部一緒なはずなんだけど、
やっぱりこの俳優引く気がすると思って引いたら来るみたいなことっていうのが日常的に例えばあったりしますよね。
あるいは最近、兄貴あんまりやらないからスマホゲームとかって最近やったりする?
03:00
最近はやってないかな、スマホゲーム。
あんまりやってないか。
よくあるガチャみたいな話もそうですけど、
あれもやっぱり上とあれらは1%の確率でみたいな、
1回引いたら1回当たるかと思うけど全然当たらんみたいな。
確かにそうだね。スマホゲームも私、
最近だとカードゲームとかもポケモンのカードとか、
ああいうのなんかもパックで買ってどれが当たるかって。
レアカード当たるなんてみたいな話があると思うんですけど、
その中に日常的にもやっぱり、
偶然とか確率みたいなものっていうのはすごく馴染みが、
日々はあんまり考えないかもしれないけれども、
実はいろんなところに関係しているなというふうに思います。
それがある種奇跡的な確率とか滅多にないことになると、
まさに運命とか、自分の理想が叶ったみたいなことで、
運命的な出会いとか運命的な出来事みたいなことがあるのかなと思うんですよね。
なんでいきなりこんなテーマを取り上げたのか、
話とかを今日はしつつ、
いきなり偶然について話しましょうって言って、
それは盛り上がらないというのはさすがに僕も知っているので、
さすがにそのくらいはわかっています。
一方で最近のテーマでいくと、他者とか正義とかもそうだけど、
日常的にも使う言葉ではあるから、
兄貴がどんな風にそれを考えているのかなとか、
そういうところも聞きながら一緒に話す土台というのを作っていきたい、
一回分かけて作っていきたいと思っているみたいな感じでございます。
なるほど、確かにそうだね。
いきなりどう思うって話しても何も広がらないっていうね。
そうそう。
聞いたことあるけどね。
確かに。それよりもあのガチャの話しようぜってなるもんね。
その抽象的な話はいいからとね。
僕から最初に話すと、いきなり前回正義で今回偶然というと全然違うじゃんって皆さんも感じると思うんですけれども、
個人的には実はつながっているというか、インスピレーションを受けたところがありました。
なんかその話をしていたよね。
そうそう。
何かっていうと正義みたいなものは、
ある種この基準に沿ってやっていたら、
行動をしていたら、
あなたは正しいですよとか、あなたは間違ってますよ、正義ですよ、悪ですよ、みたいな、
そういうことを示すものだったかなと思うんですよね。
その中にいろいろ自由主義者もいれば、
結論としては、
自分が何が正義かを選べるとか、
理性を使ってこれが正義であるとみんなが信じられるみたいな、
06:00
そういうような素朴な人の人間性というか、
自分が正義であるとみんなが信じられる、
そういうような、
そういうような素朴な人間性というか、
そういう人間の主体性でも信じているなって感じたんですよね、話しながら。
なるほど。
つまりこれが正義ですって言われたら、
ある種ちゃんとロジカルに考えて、
確かにこれが正義でしたねって言えるみたいな話って、
すごく前回の前提にあったと思うんですよ。
そうなんだ。
自分はちょっと違かったかも。
本当?どんな感じだった?
いきなり話の腰を折って。
いいよいいよ。
ハエトの話を聞いたのは、
これ前の正義の話とか、
他者の話を聞いたのは、
もうちょっと消極的なものなのかなと思ったよね。
なるほどね。
正義というものがどうなんだろうな。
もちろんその人たちが、
人たちの使い方にはよるんだろうと思うんだけども、
いわゆる社会とか国とか共同体とかを構成する正義というのは、
どうしか言ってもこれ法律に近いと思うんだけど、概念としては。
今思っているのはね。
だからハエトがどの面から話しているかはちょっとあれだけども、
正義とはこうですよねっていうよりは、
正義のもう一面としてすごく消極的な。
しょうがないからこれ守っておこう。
ここだけは守っておこうみたいな。
誰も別に賛成はしていない。
そういうことか。
赤信号別に渡ってもいいじゃんみたいな話でさ。
嫌々守ってるみたいな。
そういうのもあるかなっていう。
確かにね。
でもそこも面白いと思ったし、
現実の法律とかある種ルールみたいなものって、
騒なししたがってるみたいな兄貴の言うところが消極的。
一部のというか、そこもまた人によっても勧告があるかもしれないけどね。
まあね。
そういうこともあるけれども、ある種ロールズの言った無知のデールみたいなところからすると、
一応全員が議論に参加して、全員が承認したものがルールになっていくねって話があるから。
ルールが決まった後はもしかしたらしゃがなしかもしれないけれども、
一応そこに賛成をするというか、そのルールの下でみんなでやっていこうぜっていう合意というか、
そういうものはあるよねって言っちゃうとそりゃそういう危険なんだけど、
じゃあお前日本に生きてるってことは日本の法律全部持ってんだなみたいなことになっちゃうから、
それはちょっと厳しいんだけど。
今のハヤトの話は前回やったロールズ的な視点から言うとって話だね。
09:04
法律形成の上に正義というものは少なくとも成り立っているはずだよねと。
成り立っているとしたらって話だよね。
ということなんだけれども、
聞いた通り、じゃあこれって本当っていう話を僕は結構前回の正義の話しながら思っていて、
ごめんごめん、そこに繋がるのを言っちゃったんだね。ごめんごめん。
全然全然。
だから相木さんの感覚の方が正しいというか日常的で、
やっぱりそのともはいえ、
僕が簡単に言うと日本に生まれるか、例えばアメリカに生まれるか、
あるいはどこだ、アフリカでもいいんですけど、
いろんな国に生まれるかっていうのは、
ある種たまたまじゃないですか、個人個人にとっては。
そうだね。
なった時にその個人がどの国に属すかとか、
どの法律を守るかとか、
どの定義を受け取るかっていうのは、
すごい偶然だなというか、
ある種自分の関係ないところで決まっているなと思ったんだよね。
まあそうだね、はいはい。
なった時に何が正義かみたいな話も、
結局はその国に生まれたっていう偶然でしかないというか、
だから本当にたまたまその国に生まれたから、
その国の正義というものを守っている、
大事だと思っているぐらいのことなんじゃないかと思ったのね。
そう考えると、もしかしたらこんな風に考えたことある方もいるかもしれないですけれども、
そもそも自分が生まれたのも偶然だし、
自分が今生きているのも偶然だし、
そもそも今自分が自分であるということも偶然であるみたいなね。
うんうんうん。
っていう風にあらゆるものが偶然じゃねみたいな感覚っていうのも、
成り立つなと思ったんですよ。
うんうん、そうだね、はいはい。
なんかそこは伝わるとかイメージがあるかな。
うん、そこはなんかわかる気がするかな。
うんうんうん。
逆にものすごい正義からちょっと流れていると、
例えば自分が正しいことをしたいと思っていても、
何か環境の、そろそろ運命の悪戯みたいな感じで、
悪いことをしなきゃいけない、
盗みとか人殺しをしなきゃいけないっていう人もいるかもしれないし、
あるいは、すごい根は悪い人で、
誰かを殺しろといつも言ってるんだけど、
たまたまそういう機会がなくて、死ぬまでいかないと、
前任としていきましたみたいな人もいるよね。
というときに、
法律的な正義とか態勢とは違うんだけど、
個人権が正しいとか悪いとか間違っているとかって、
環境的な要因とか、
12:00
まさに偶然によって左右されることもあるんじゃないかな、
っていうのをちょっと思ったのね。
うんうんうん、なるほどなるほど。
なので、正義っていうことを突き詰めてから、
考えれば考えるほど、
そこからこぼれ落ちる現実の不条理というか、
そういった揺らぎみたいなものって、
目を抜けざるを得ないなって思いました。
はいはい、それが前回のサンデル教授の感覚に近いのかな?
そうだね、近いと思う。
例えば前回も、
レバーを切り替える問題の話があったじゃないですか、
5人に突っ込んでいくか、1人に突っ込んでいくかみたいな。
トロッコ問題ね。
トロッコ問題、そうそうトロッコ問題の話をしたんだけど、
そもそもあの状況に、
たまたま自分がいるということ自体が、
すごく本来的には、
なんだろうな、
考えなきゃいけない問題。
要は兄貴もさ、状況によるとかさ、
やっぱり、
もうちょっとね、メタ的に
他のことでできないかとかって話をしたと思うんですけど、
なんでそもそも自分はその状況に陥ってしまったのか、
みたいなことって、
やっぱり現実的に考えたら絶対に考えざるを得ないと思うんだよね。
そうだね、確かに。
やべえやべえって言って、
なんで俺はこんなことに決定権を委ねられてしまったんだ、
みたいなことって思ってたんだけど、
なんで俺はこんなことに決定権を委ねられてしまったんだ、
みたいなことって思うと思います。
確かにな。
漫画で、新連載の漫画でさ、
そのシーンから始まったとしてさ、
絶対回想シーン欲しいじゃん。
あるよね、あるよね。
1ページ目でね、
どうする俺ってなって、
1週間前みたいな。
それなかったらギャグ漫画だよね。
確かにね、間違いない。
ギャグだね、確かに。
そうそうそう、だから、
そういう意味で言うと、ある種、
よくもあるかも人間は、
ストーリーとか、
何か原因を欲する生き物だと思うんだよね。
例えばさ、
なんだろうな、
すごい大きな話を起源するんだけど、
この宇宙があります。
いわゆる150億光年くらい続いていると言われる、
まさにこの宇宙があります。
っていう時に、
普通に僕らが知っている範囲で言うと、
ビッグバナなのかインフレーションなのかわからないけれども、
何がしかの始まりがあって、
そこから宇宙というものが大きく広がっていって、
今の太陽系とか地球とかがあります。
50億年後くらいには太陽もなくなって、
地球も飲み込まれて消えていって、
宇宙もいつかは薄く広がってなくなるか、
また戻って、
もっと小さい宇宙になるか、みたいなのがあるんだけれども、
15:00
いつかは終わるだろう、みたいな話があるんですよね。
そういう時に、
そもそも僕らは始まりと終わりを掲げたがる生き物だと思ったんですよ。
それは偶然の話ではなく、
必然的に宇宙というのは始まって終わるんだ、
ということを僕らは考えたいんだと思うんですよね。
宇宙もたまたまあるんじゃない?みたいな、
あるからあるんじゃない?みたいな話も、
何の説明にもそれだけはあっていないけれども、
全然あるよね、という時に、
やっぱりトロッコ問題のトロッコに乗っている自分が、
どこから始まったのか、
なぜこうなったのかという因果関係とか、
そういう時間軸の前後をつけたいというのは、
僕らのすごく素朴な本能というか欲求としてあるんですよね。
なるほど、なるほど、はいはい。
全部偶然じゃん、というところのずれというか、
結局使命とか運命とかって言っても、
それって結局意味付けただけではない。
要はたまたま自分がトロッコに乗っていて、
この5人と1人の命を預かっているという使命なんだ、
というふうに捉えることも、結局は主観的な話だから。
うんうんうん。
意味付けの世界だよね。
たまたまあなたがいただけであって、
別に他の誰でもよかったんですっていうこともあり得る。
でも一方で、例えば仕事とかで、
あなたじゃなくても誰でもいい仕事でしたって言われたら、
そりゃしんどいよね、普通にはさ。
まあそうね、そういう感覚もあるよね。
そうそうそう、あるっていう中で、
自分が例えば今この場にいる、この会社にいる、
あるいは今こうやってソレッツラジオというラジオをやっているっていうのも、
たまたま自分が哲学というものが好きでとか、
兄貴っていうね、一緒にやってくれる人が身近すぎる人がいてとか、
たまたま本を読むのが好きでっていう全部がたまたまだとも言えるし、
逆に本を読むのが好きで哲学に興味があって、
兄という上等なパートナーがいたからこそ、
できた必然なんだってこっちにできるみたいな。
うーん、まあ何とでも言えると。
そう、何とでも言えると。
なので、いわゆるまたぐるっと一周回っていくと、
全部が正義でそこから社会が組み立てられるっていう前回の話と、
たまたま全部偶然で、そこから考えてみませんかっていう話っていうのは、
僕の中で一番大事なのは、
同じ直線上の反対側にあるというか、
そこを両方の目で見ておくと面白いんじゃないかって思ったっていう感じなんですよね。
うんうんうん、何となく絶対的なというか、
固定したものを定義しがちなんだけれども、
うんうんうん。
実はその偶然のものの一点を聞い取ったものを
たまたま固定化しているだけであって、
18:01
あーそうそうそうそう。
それが正義とか法律みたいなちょっと普遍っぽいもの、
あんま変わらないものでも実は足りないものというか、
ふわふわしたものの点を聞い取ったというか、
ちょっと固定させたりすぎないのみたいな。
そうそうそうそう。
だからそれこそ最近はやっぱり、
時々話になりますけれども、
いわゆる結婚は男性と女性でしかできませんみたいな。
うんうんうん。
最近変わってきているけれども、
それもあくまでも何となく今、
これまでのいわゆる歴史を聞いたときに、
男と女というものがいると言われていて、
うんうんうん。
その両性じゃないと家庭というものを
気づけなかったという話だと思うんだけど、
全然これがたまたまそうだっただけで、
やっぱり別に性別関係ないよとか、
というふうに今後世の中も変わっていくと思うんですよね。
うんうんうん。
それもやっぱり法律も、
今たまたまそうなっているというだけに、
できないと言うと言葉があれだけど、
強すぎるかもしれないけどね。
強すぎるかもしれないけれども、
やっぱり正義とか法律と言われるものも、
言ってもそのぐらいのものでしかない。
うんうんうん。
よねっていうのを逆に思っちゃったんだよね。
なるほど。
偶然できたかもしれないものを必然、
まるで必然かのように扱っている。
そうそうそうそう。
かもねっていう。
かもねっていうか。
っていうふうな話から、
ちょっと偶然というのを今回取り上げていきたい。
それがいわゆる確率的な話だったりとか、
運命みたいな話とかにも、
ちょっと広がっていくんだろうなと思っている。
そんな感じなんですよね。
はいはい。
これを哲学的に話すとどうなるかというのは、
全く想像もつかないけどね。
こんな話になるのか。
そう。
実はね、やっぱりいるんですよ。
世の中にはね、そういうことやってきた人が。
まあ、あらゆる言葉についてあるんだろうね。
本当は。
まあね。
ある程度ね。
しかもね、これ面白いのがというか、
ご存知の方も多いと思うんですけど、
偶然といえばみたいに
日本人が実はいるんですよ。
え、日本人が?
日本人がいて、
聞いたことあるかな。
知らないね。
日本人が、
リンリンの教科書に多分、
高校だと出てたりするんですけど、
この人はまさに、
偶然性の問題っていう本を書いてるんですよね。
で、
今回はちょっとこの人の話も触れつつ、
というか、この人の話を中心しつつ、
話、次回以降話していこうとは思ってるんだけど、
うーん。
もうちょっと言うと、
その、やっぱり西洋、
まあ、西洋っていう国だとあれなんだけど、
この哲学的な西洋の伝統において、
偶然っていうのは、
あんまり扱われないんですよね。
うーん。
そうなんだ。
21:01
うん。
で、なんでかっていうと、
時々ちょっと話すときがあると思うんですけど、
やっぱりこう、西洋の哲学、
まあ、ごめん、
誰だよ、どの視点で言ってんだよって、
慣れたかもわからないですけど、
うんうん。
の、やっぱり、
根っこにはやっぱり、
いわゆる根拠を求めるみたいな思想があるようですと、
これ時々言ってる、
ある系とかって言うんだけどさ、
いわゆる万物の根源は水であるとか、
ああ、はいはいはい。
うん。
いわゆる禅のイディアが、
他の万物のなんだろうね、
やっぱりこう、一番、
中での中心的なものであるみたいなさ。
なるほど。
そのさ、西洋哲学の営みそのものが、
うん。
一応、ハヤトが最初言ったその、
宇宙のさ、
始まりと終わり、
分かるように、
うん。
スタートとゴールみたいなものを、
決めるっていうものが、
もう哲学の営みそのものに含まれちゃってて、
偶然性みたいなものがあまりこう、
うん。
その営みの中には存在しないみたいな。
ああ、そうそうそう。
そうなんで、そうなんで。
うん。
これは、結構ね、聞いたら、
まあ確かにそうだねっていう、
という方がいるので、
そうだろうと思ってるんだけど、
まあ自我とかも根拠なんだよね。
確かに。
始まりね、全部始まり、
なんかそもそもの始まりみたいなものも確かに。
そうそうそうそうそう。
そうなんですよ。
だから、逆に言ったらね、
ヘラクライ教、万物は露天するって言葉があるんだけど、
うんうんうん。
これは、
ギリギリ始まりのことを言ってないんだよね。
アンタレイか、そう、万物は露天するってのがあって、
こっちはやっぱりちょっと、
高揚的というか、
いわゆる輪廻転生的なこととか、
うんうんうん。
演技みたいな感じで、
全ては、
前の一瞬から繋がって、
常に生み出されているみたいな世界観。
うんうんうん。
っていうのは、やっぱりちょっと東洋の方が強そうだと。
はいはいはい。
西洋の方はやっぱり、
何がしか根拠とか、
根源的なものっていうのから出発しようとする。
っていうのはやっぱり強くあるなあと思うんですね。
はいはい、なるほど。
うん。
だから、
やっぱり、
フキシューズさんという人は、
ちょっと次回またちゃんと話すんですけれども、
1900年前後くらいからに活躍された方で、
それこそ留学して、
ハイデッカーとかとも、
一緒に勉強というか、
学んだりしてるんだよね。
時代的に一緒なのか。
そう、時代的に一緒くらい。
うんうんうん。
その人で、
やっぱり西洋的な根拠とか、
明確なものから出発するっていうところとは違う、
自分なりだとか、
あるいは日本的な実学をやろうと思って、
この偶然性の問題っていう本を書いたという風に
言われてるんですよね。
へー、なるほどね。
24:00
それはなんか必然な感じがするね、
それはね。
おお、必然。
偶然性の問題っていう本を書いた必然。
そうそう。
それが必然だねっていうね。
おおー。
なぜそれを必然と感じたのかってことだね。
完全に。
意味のない話だね。
分かるよ分かるよ。
めちゃくちゃしたくなる。
哲学の話始まるとさ、
いいよ。
柔らかくしたくなっちゃう。
みんな真面目だからね。
そうそう。
僕も真面目だからね。
疲れてきてる。
ちょっと行き過ぎしたくなる。
そうだよね。
ごめんなさい、一旦突然の雑談挟んでいいですか?
うん。
半年前くらいから、
社内で働くっていう会社で働いてるんですけど、
半年経ってから?
間違えた間違えた。
ごめんなさいごめんなさい。
間違えた。
働いてるのは初めてだ2年前くらいなんですけど、
半年前くらいから、
社内のあだ名がね、
先生っていう風になってて、
あだ名が?
あだ名がね、
ちょっと固苦しいんだろうなって。
ああー。
うん。
なるほどね。
あだ名を考えてるじゃん。
そうなの?
一応あいはあると思ってるんだけどね。
日々。
そうなの?
プライベートでもそんな感じだもん。
小中学校ではおじいちゃんと呼ばれて、
今は先生と呼ばれてるってさ、
先生なんてさ、
他の人からさ、
呼ばせちゃいけない尊称ナンバーワンじゃん、
一般人。
本当だよね。
業者さんでもさ、
本当の先生でもさ、
本当ですよ。
漫画家かさ、
本当に教授か、
お医者さんとか法律の人とか、
そういう人たちくらいじゃない。
同僚というかさ、
それでも本立ちは言わせないようにするっていう。
確かに。
そうね。
ある種ギャグも含めてるだろうなと思って、
それで嬉しいなとは思ってるんだけど、
そう。
だからなんかね、
ちょっとないだろうなーって
最近思うから。
まあそれはもう、
完成です、完成。
それはもう運命なんじゃない。
こっちは運命か。
こっちは運命なんじゃない。
プライベートでもね、
さやとと話してると、
どんどん息が詰まってくるって
思われてる可能性があるとね。
全然あると思うのよ。
ちょっと悩み。
ただの悩みです、それは。
ちょっとね、
それ置いといて、
そうすればいいと。
またしたいと思ってるんですけど、
あれも意外と奇策なんでね、
みなさんそこは大丈夫ですっていう。
自分でフォローだけはしておいて。
何の話だっけ。
えっと、
クキさんがね、日本でね、
27:01
偶然のことだったっていうね。
西洋に触れてなお、
偶然についてね。
むしろそれを逆に、
西洋に触れたからこそやっぱりそれを
メインテーマとして扱ったみたいなところも
あるんですよね。
今自分が知りたいこととか
考えたいこととは近いなと思って、
この偶然っていうテーマを
今回取り上げましたよみたいなところが
なんかこう、
ある種今回の前提というか。
ふんふんふんふん。
思ってたところですよみたいな感じかな。
ふーん。
なるほど。
はい。
でね、ちょっとだけ話すと、
じゃあ確率って話したじゃないですか。
うん。
で、偶然と確率っていうのは
やっぱりね、
僕だってちょっと、
なんだろうな、
頭で考えると、
確率が低いことが起きると
偶然だというふうに思うでしょうと。
あー、なるほどね。
はいはいはいはい。
例えば宝くじに当たるとかっていうのは
もちろん偶然だろうし、
例えば、なんだろうな、
10年ぶりにね、
街で誰かと会うとかっていうのも
偶然だとは思うんだけど、
それってやっぱ確率が低い。
10年ぶりに人と会うのは
別に普通偶然でもなんでもないけど、
10年前に会った人と10年ぶりに会うっていうのが
確率低いよねっていうことで、
それは偶然であるというふうに
意味付けをしているんじゃなかろうか
というふうに思うんだよね。
うんうん。
なるほど。確かに。
うん。
で、偶然と確率ってやっぱ力だと思うと、
最後確率の哲学っていう本が売ってたんですよ。
へー。
そんなのあるんだ。
そう。そんなのあった。
あいつね、
気持ちいチルダーズさんって全然知らない人なんだけど。
あ、そう。初めて。
初めて。
テーマのためにちょっと買ってみたみたいな。
買ってみた。
初めて。へー。
ここにね、哲学の学習課程は出てるんだけど、
まあ哲学者みたいな感じではないのかな。
ちょっとわからない。
でも全然現代に生きてる方なんだけど、
はいはいはい。
っていう方が確率っていうのもいろいろあってね
みたいな話をしてくださって。
うん。
逆に言うとというかさ、
例えばアリストテレスもやっぱり確率とか偶然の話をしてたとか、
そういう感じではないの。
もう確率といったらもう古代技術者のこの人でしょみたいなものはないんだよ。
はいはいはい。
やっぱり今日の西洋哲学はあんまりそういうね、
偶然とかについてはあんまり触れてなかったよっていうところからすると。
はいはいはい。
でもあれだよね、
いわなみの、
いわなみの、
いわなみの、
いわなみの、
いわなみの、
いわなみの、
いわなみの哲学辞典の話、
そこには特に書いてなかったの。
まずはこの人でしょ。
ない。
確率とか偶然っていうのはあんまなくて、
偶然性なんだよね。
あ、そう逆みたいのないんだ。
面白い。
30:01
そうそうそう。
面白いね。
こっちはあんまりない。
それは次回の話しかおしてないけど。
次回ちょっとまだちゃんと話すんだけど。
偶然っていうテーマがないんでしょ。
そうね。
あ、めちゃくちゃ面白いじゃん。
偶然ってテーマ自体別にあるんだけど、
それは必然性の裏側にしだみたいな話やっぱ乗っかってるんだよね。
うんうんうんうん。
うん、だから、
ちなみにちょっと今兄貴に言われて、
調べてなかったなって思ったんですけど、
うん。
今パッと見たけどやっぱり、
いわゆる古代のギリシャで、
例えばアリス・レザーと独立にて話してたとか、
あと数学定番ピタゴロースだけど、
うんうんうん。
なんかピタゴロースが独立論もなってたとかっていうのがなさそうだね。
うーん。
うん。
だから、ちょっともしかしたら数学的な話でいくと、
もっと早い段階から、
うんうんうん。
多分、あのなんだろうな、
研究とかされたかもしれないけれども、
それがいわゆる偶然とか、
人生における意味があるみたいな話で、
扱われたっていうのはあんまないんじゃないかな。
なるほどなるほど。
どうしようかというと、
自然科学というか、
哲学の中でも確率っていう数学的な側面から、
視点からは扱われてたかもしれないけどね、
という感じかな。
そうそうそうそう。
哲学じゃないところで扱われたと思う、多分ね。
あ、もう本当に学問の領域で。
学問、数学の領域で。
はいはいはいはい。
そう。
それが多分哲学みたいなものになってくるとか、
そもそも人生に対して、
人生や確率って大事だなっていうのは多分かなり、
現代に近い時代じゃないかなと思います。
というところなので、
まずやっぱり偶然と確率みたいな話でいくと、
結構これも考えたことある方ももしかしたら
いるかもしれないなと思うんですけど、
いわゆるさっき言った宝くじに当たるとか、
10年ぶりに友人に会うみたいな話って、
すごく確率は低いじゃないですか。
うんうんうん。
でも、
例えば仮に全てを見通す目みたいなことを持っていたとしたら、
当然どの宝くじが当たって、
それがどの宝くじよりまで何時何分に買えば当たるかが分かるとか、
うんうんうん。
その友人が今、実は家の近くに住んでいて、
ここに買い物に行くということが分かるとかっていう風に、
いわゆる知らないから偶然だと思い込んでるだけみたいな話を
いつも想像ができますよね。
ああ、
それは自分が知ってるとかじゃなくて、
すげえ深い目で見たときに、
そういうことが決まっている世の中で、
たまたま自分がそれを知らないだけだとも言えるって話。
そうそうそうそう。
超能力的な話かと思った。
そういう人がそれを知っている状態でみたいな。
違う違う違う。
33:01
そういう人じゃなくて、いわゆる神の目みたいなさ。
そうだよね。
例えば、一週間後の何時何分、
あの人が車に轢かれて死ぬみたいな。
ああ、予言的なね。
たまたま知らなければ、
たまたまコロナ事故でした。
そうそうそう。
実は決まってたことでしたっていうね。
そうそうそうそう。
もう言えるっていう話ね。
そうですそうです。
もしそういうふうなことを想定するとしたら、
いわゆる知らないだけで無知だからこそ、
偶然とか運命という言葉を使うんじゃないかとか。
はいはいはい。
逆に、本当は全部必然なんだけど、
たまたま僕らがそれを知らないから偶然という言葉を
言っているだけじゃないか。
ということも考えられるよね。
わあ、イデアっぽい。はいはいはい。
すごくイデアっぽい。
そう。
理性が全てを解き尽くせるっていうのは、
必然の方を信じるというか。
うんうんうん。
そっちをある種大事にする立場で、
いやもうそんなの無理だよというのが
偶然の方を大事にする立場だとした時に、
この立場って結構相入れないけれども、
実は同じ世界を見ているというか。
ああ、なるほど。
ちょっと二言論だよねって話だね。
そう、二言論的な話になっちゃうんだよね。
うんうんうん。
ここまで来るとさ、
全ては必然であれ、全ては偶然であれ、
人間というか我々に自由意志はあるのか。
うんうんうん。
生まれた瞬間に全てが決まっているんじゃないか。
結構決定論みたいな話にもなっちゃうし、
そうで、
偶然というものがあればこそ、
人というのは未来を切り開いていけるんだとか、
自分の人生というものを自分で変えていけるんだみたいな。
うんうんうん。
そういうちょっと楽観的なというか、
そういう努力が大事みたいな話になってくると思うんだよね。
まあ、そうだね。
その確率の良い方を手に入れようと努力するみたいなね。
そうそうそう。
それがどこまでバラつきのある偶然なのかは知らんけどみたいなね。
そうですそうです。
逆に確率が低いけど、
そこにかけるみたいな、
そういう意志とか決意みたいなものっていうのが、
意味があるんじゃないかと。
そういう意志とか決意みたいなものっていうのが、
意味を持ってくるね、そうなると。
うんうんうん。
そういう風に、
この偶然の問題って、
僕らが生きる中でのスタンスというか、
マインドみたいな話?
はいはいはい。
今も結構影響してるなって思うんですよね。
いやー、確かに。
そうね。
だから、結構その、
今の僕の感覚としては、
割と楽観的に、
自分のやったことがなんとなく人生にも影響するぜ、
ぐらいに思った方がいいよねって思ってるんだけど、
うんうんうん。
そうないといわゆるネヒリズム的なやつは、
36:01
虚無主義で何をやってもダメだとか、
うんうんうん。
自分には人生を変える力はないから、
死ぬまで暇つぶしで生きるしかないみたいになっちゃうんだけど、
うんうんうん。
うん。
やっぱりそれも含めて、
それって本当?ってなったらやっぱり声が、
支えてくれるっていうのはあるじゃないですか。
まあ、そうね。
なんかこれ、知らんけど、
これまでの人類の営みを見ると、
うん。
いわゆる人間の性質として、
虚無主義ではなさそうだよね、そういうね。
まあね。
徹底論に基づく虚無主義。
だったら全員すぐ死んでるじゃん、
何もやらないつって。
うんうんうん。
そうね、間違いない。
全面的に抗ってるわけだからね。
うん。
だから、やっぱりその虚無主義っていうのも
あるんだけど、
やっぱりそこに対して、
やっぱりなぜこの偶然とか運命とか、
ちなみにニーチョもね、
運命愛とかっていう言葉を使ったりするんだけど、
運命愛。
そう、運命愛。
っていう風に、やっぱりこの、なんだろうな、
なんかこう、人生における
遺憾と申し訳ないものというか、
うんうんうん。
まあ、たまにはやっぱり人間がその、
知性とかその、知られることに限界がある。
でももちろんそうだし、
やっぱり僕らは全部解き尽くせはしないから、
うんうんうん。
だからやっぱりその時に、
いつかは解き尽くせる、
それは今生きてる、
自分が生きてる時代じゃないけど、
っていう風に思うのか、
そもそもそんなことは無理で、
その解き尽くせない、解き明かせないっていう中で、
僕らは生きてるんだという風に思うのか、
うんうんうん。
結構この偶然とか必然とか運命みたいな、
話と絡まってくるなという風に思ってるので、
僕としてはなんか今回そこを、
なんか一緒に皆さんと、
ある意味見ていきたいと思っている、
という風な感じですね。
うんうんうん。
いやー、そうだね、
なんとなくそう、
この偶然っていうものは、
なんでハヤトが取り上げたかみたいな話もあるし、
個人的にはそうだね、
やっぱり、
どうしてもストーリー理解したがるとかね、
始まりと終わりっていうものを決めたがってて、
確かにその、
偶然なままの状態を、
偶然なままで理解して、
偶然なままで受け入れて、
偶然なままで行動するって、
多分あんまり人間得意じゃなさそうな気もしてるから、
そうね、そうね。
うん。
そこを確定させていくっていうことについては、
人間の、
かなりその、
本質的な挙動というか、
はいはいはい。
本能的な挙動なんだろうな、
みたいなのは、
やっぱり納得するけれども、
だからこそこの哲学っていうところで、
そこにアクセスして、
行くんだと。
そこをちょっとこう、
自分って、
人間って、
そういう風な、
にしちゃうから、
もうちょっとフワフワしたものを大事にした方がいいんじゃないかっていう、
フラットさを手に入れる、
みたいなね。
39:01
これもちょっと、
自分がそういう技術を手に入れるみたいな感じで、
すごく浅いんだけれども、
面白い、
すごい面白そうな、
視点だなというかね、
すごい嬉しいです。
で、
偶然って言ってもね、
たまたま起こるみたいな話だけじゃなくて、
そんだけね、
人生の根っこにもつながってるなと思うし、
兄貴が言ってる通り、
人間の本性みたいなところにもつながってくるし、
あと、台本を書いてる時には思い浮かばなかったんだけど、
兄貴の話を聞いてて、
まさにそれを実践しながら、
善だなって思ったんだよね。
うーん、
ちょっと想像するよね、
そういう悟りとかって、
そのまま、
生き続ける人並みな感じするよね。
そう、生き続ける人並みだから、
あるいは一瞬一瞬に世界を想像するとか、
うーん、
一瞬前に世界が崩壊して、
また一瞬後に生まれ変わるのかみたいな話っていうのは、
まさにこの、
あらゆるものは偶然であるとか、
そういう世界の中で生きるってことで、
たぶん近いよね。
そんな表現してるんだ。
そう、そういう表現してる。
善というか、
そう、仏教とはそういう表現があったりする。
それもまたね、
理解するためなんだろうけど。
ちょっと怖いけど、
そうです、そうです。
まあでも、確かにな。
それを今話してて思ったけど、
あのね、
フラットなみたいな話したけど、
確かにさ、今まで生きてる中で考えてもさ、
どっちもタイプの人もいるよなって思ったんだけど、
もう、
全てが必然タイプ、
運命タイプみたいな人もいるしさ、
全てが偶然タイプみたいなさ、
結構寄ってる人いるよね。
あるね、あるある。
どっちもいるなと思った。
それもまた面白いなって、
今まで出会った人を振り返ると、
面白いなって思った。
はいはいはい。
あるよね、ある。
やっぱり一人の人がさ、
人生の中で変わることもあるじゃん。
若いうちはさ、こうケセラスラで、
何とかなるようになれみたいな人もいるけど、
何かあって、やっぱりそれじゃダメだみたいに思う。
そういうこともあるだろうし、
逆ももちろん含めて。
うんうんうん。
意外とこの両端というか、
全てが必然バーサス、
全てが偶然みたいなものを、
両方見ておくと結構役立つと思うんだよね。
うんうん、なるほど。
確かにそこをね、
いわゆる言語的というかね、
ちゃんと理解しようとしたこともないからね。
面白いね。
そうそうそう。
はい、なのでそんな感じで今回ちょっと、
もしかしたら長くなるかもしれないんだけど、
その偶然、運命、確立っていう3つをちょっと遊ぶと思うので。
なるほどね。
でもちょっとね、面白いというかいろんな、
僕自身も今学びながら台本を作っているので、
そういうある種、出来立て小屋小屋のところを
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皆さんにお伝えしたいなみたいなことを思っているという風な感じになっています。
分かりました。
ということで今回はですね、
偶然というところをテーマにやっていきたいと思っていたので、
引き続き直しんでいきたいと思います。
では、次回もよろしくお願いします。
お願いします。
今回もありがとうございました。
42:33

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