1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #399 危険な哲学者ニーチェ。..
2026-02-22 39:01

#399 危険な哲学者ニーチェ。ヘーゲル哲学の違和感に気づいてしまった次世代の哲学者たち

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00:12
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 このラジオは、身近なテーマをきっかけに、哲学について楽しく学んでみようという番組です。
哲学好きの弟と、哲学に馴染みのない兄の兄弟2人でお送りしていきたいと思います。
改めまして、兄の観音京助です。 弟のハヤトです。よろしくお願いします。
はい、今回からニーチェ、再びということでやっていきたいと思います。 はい、カントとかヘーゲルについてですね、この人も再びということでやっていくんですけれども、
ニーチェというものを、そのものっていうよりも、やっぱりそのヘーゲルから続く哲学、本当にプラトンとかってあるんですけど、
そういうのを乗り越えた人、ニーチェみたいな話っていうのは前回もしているとは思うんですよね。
本当、以前やった時ね。 そう、以前やった時。
そうね、今見たら第62回からだね。 だから結構前だね。
そうですね。なので、たぶんほとんどの人はもちろん覚えていらっしゃると思いますし、僕もたぶんあんまり覚えていないんですけど、
やっぱり改めて、お世話哲学の流れを考えたりとか、この20世紀の哲学とかを考えるとした時に、やっぱりニーチェは外せませんよねって思ったんですよ、改めて。
それは何であろうとかっていう話もね、今回のテーマとしてしていこうと思うんですけれども、
ニーチェといえばね、やっぱり神は死んだっていう言葉ね、たぶん、有名だよねとか聞いたことあるよっていうような感じだと思うんですけど、
おもしろいのは彼自身がそういう、自分がそういういろんなものを打ち壊すとか破壊していくっていうことはすごい自覚していて、
へー、そうなんだ。 そうそうそう。
これ何か晩年かな?らしいんだけれども、ニーチェが手紙の中で、「私は人間というよりはダイナマイトです。」みたいな、そういうことを自分で言ってるらしいんですよね。
うんうんうんうん。
うん。つまりやっぱりそういう、歴史とかが作ってきたものとか、西洋社会っていうものが打ち立ててきたものを自分はこう、壊していく、破壊者なんだと。
っていうことを多分自覚しながらやってたんですよ。
へー、そうなんだ。
そう。で、何を壊したのかとかどう壊したのかっていうところはね、また次回以降ちゃんとやっていくんですけれども、
03:06
ニーチェの手前に行くところの19世紀ですよね、ヘーゲルが1770年に生まれて1830年に亡くなるんですけど、
その1800年という前後で生きたっていうところに対して、そこに対してニーチェは1844年に生まれて1900年に亡くなるんですよね。
うんうんうんうん。
なので、生まれとしては70年くらいの差になるんですけど、
やっぱりその1800年前後って生きた人と1900年の手前まで生きた人っていう感じでいくと、
100年くらいの違いがあるっていうときに、それぞれの時代を象徴するという感じがあるんですよね。
おー、なるほど。
なので、ある種ニーチェにさらりつくまでのヘーゲル後というか、
そのときにどういうふうなテーマがあったのかというと、前回のショーペンハワーもまさにそこに連なる人なんですけれども、
その辺の話をですね、第一回として、ヘーゲルの振り返りも含めてお話したいなと思ってるっていう感じなんですよね。
おー、なるほどなるほど。
はい。で、さっき言った神は死んだみたいな話もあったんですけど、
これってニーチェが急に言い出して神はうんうんとかって話かって言ったら、そうじゃなくて、
その手前にも、やっぱり神ってどうなんだとか、今でもある種、言い方だけ機能しているのかみたいな、
そういうことを考えた人がいたわけですよ。
あー、そうなのね。
それが前回、前々回からちょっと名前を出したフォイエル・バッハっていう人なんですけど、
もちろんね、この1800年代っていうところでいくといろんな人しかいたんだけれども、
フォイエル・バッハっていう人は結構神と人間ともに対してすごい面白いこと言ってるなと思ったので、
今回その単独のテーマとしては取れないんだけれども、ちょっとニーチェに繋がる話は私として今日ちょっと取り上げつつ、
またヘーゲルとかショーペンハワーの振り返りもしようと思ってますっていう感じですね。
おー、はいはい。みんなね、ショーペンハワーはさすがにちょっと覚えてるけど、
ヘーゲルも結構もう忘れ始めてるから是非是非お願いします。
はい、やっていこうと思いますというところなんですけれども、さすがにちょっとじゃあ行こうと思うんですけど、ヘーゲルですよね。
ショーペンハワーの時にもヘーゲル出てきて、ヘーゲルをちょっと敵視してたというかさ、
同じ大学の同じ時間に講座やってボロ負けしたりという話もありましたけれども、
やっぱりヘーゲルは本当に当時の哲学界の王者なわけですよ。
はい、あのあれだね、カントから始まるドイツ観念論をもう、その当時完璧にまた目挙げた人みたいなイメージだね。
06:05
そうそうそう。他もやっぱりその体系があって、それを知っていることが哲学であるとかさ、
大学の先生たるものヘーゲルを知らねばならんというか、それに乗っ取っているのが当たり前なぐらいのドイツではね。
そのぐらいの影響力があったわけなんですよね。
基本的には、これもショーペンハワーの時にもありましたけれども、ヘーゲルってある種理想があって、
そこにいずれたどり着くとか、それにたどり着けたのがプロセスだから、世の中っていうのは基本的には良くなるよっていう、そういうふうなある種楽観主義なんですよね。
あー、はいはいはいはい。希望があるね。
そうそうそう。もちろん希望はあっていいんだけれども、やっぱりそれをある種受け入れすぎてしまうと、何が起こってもいい。
例えば戦争であれ、苦しいことであれ、それも次のステップへのきっかけに過ぎないから。
それもアウヘーベンされて次の時代に行くから、そういうことが起こってもしょうがないんだよみたいな、そういう悪い意味での現状工程に繋がっちゃったりするんだよね。
わー、確かに確かに。何が起きても次の時代への必要なプロセスなどであるみたいな。
そうそうそうそう。精神がそれで、精神の旅って言ったと思うんだけど、精神減少学。
あー、精神くんいたねー。
そうそうそうそう。レベル0の精神くんが一生懸命レベルアップして、ジョブチェンジして、次の段階に進んでいきますっていうのをやったと思うんですよ。
あったあった、精神減少学あった。
そうそうそう。っていう時に精神くんは確かにレベルアップとかジョブチェンジして次のステージへ行くかもしれないけど、そこの戦争で100人死んでるんですか?みたいなことがあった時にさ。
まあ、100人じゃ済まないしね。
済まないね、戦争あったらね。そういう時に、でもいいじゃんって言うのはだいぶおかしいわけよね。
確かに誰目線って話だね。
そうそうそう。そういうとこに対してショーペンハーバーとかは、いやいや時代ってそういうもんじゃないよねとか、無秩序なエネルギーっていうのがあるみたいなところであった時に、全然違う世界観を描いたっていうわけなんだけれども、
やっぱりこのヘーゲルの希望があるっていう話は、世界とか精神っていう方にとって希望はあるんだけど、
あくまでもその中で生きる人間一人一人っていうのは正直、一人ひとつひとつのコマに過ぎないというか、
09:01
そういう風なやっぱり、あくまでも主役は世界とかの方で脇役になっちゃうんだよね、やっぱり。
なるほど、めちゃくちゃマクロすぎるんだね。
そうそうそう、そうなんだよね。
だから地球が美しければいいでしょ、じゃあ人間全員死んでくださいみたいなもんか、そういうふうになりかねないみたいにさ、かなり極端なんだよね、やっぱり。
そうとも使えちゃうみたいな話だね。
そうそうそう、そうなんですよ。
やっぱりヘーゲルの哲学だけで言うと、精神とか絶対精神だよねっていうものがあったときに、それを実現するための世界なんだと言われちゃうと、
そういったことでやっぱり我々はどう生きるんだっていうのがやっぱり何らしだって言ったりするんだよね。
そうだね、言うてもなんかきついんですけどとか嬉しいんですけどっていう、これどうしてくれるのって話だよね。
そうそうそう、そうなったときに、それを実は1個突っ込んだとか、やっぱりちゃんと批判したのがフォイエルワーカーっていう人なんですよ。
この人は生まれたのがですね、1804年なので、ヘーゲルよりも30年くらいかな、下の人なんですけれども、最初はめちゃめちゃヘーゲルを勉強して、一緒にヘーゲルのもとに学んでるんですよね。
あ、実際にヘーゲルのもとで学んでる人。
そうそうそうそう、そうなんです。
なのでちゃんとそこで哲学をやってる人なんだけれども、やっぱりヘーゲルが亡くなった後ですね、1831年に亡くなるんだけれども、
やっぱり亡くなると、やっぱりいろんなことを言いたい人がどんどん現れてくるわけよね。
ヘーゲルそんなに権威だったの?直接?
超超権威だよ。
言ってるうちは何も言えないみたいな感じだったの?
そうそうそう、本当にそう。
あー、そうなんだ。
っていうくらいの、本当にもう国家を代表する学者みたいな感じだったから。
ほうほうほう。
その時代に、風車も変わったのかな?とかで、ヘーゲルがその好きじゃない風車に変わったとかで、そういう風向きの変化とかもあったらしいんだけれども、
そういういろんなことがあった時に、やっぱりヘーゲルはおかしいよみたいな人もいれば、いやいや我々こそがヘーゲルを継がねばならぬみたいな、いろんな人がバーッとやっぱり出てきて、
で、その中でファイレバッハは最初はやっぱりそのヘーゲルをちゃんと受け継いで発展させていくぞとか大事にしていくぞっていう感じなんだよね。
そう。で、そのヘーゲルが亡くなった後とかになると、いや、ちょっとやっぱヘーゲルおかしかったわみたいな感じで批判をしだします。
で、何で批判するかっていうと、実はさっき言ったような、ヘーゲルの哲学もそうだし、あといわゆるキリスト教だよね。
12:00
とかっていうものも、やっぱり神の世界とか、そういう未来の希望は語ってくれるけれども、やっぱり今生きてる生身の人間、そういうものをすごいないがしろにしてるんじゃないかっていうことをすごく考えるんだよね。
へー、はいはいはいはい。
つまり精神哲学とかってヘーゲルのやったことって、精神とかもっと言うと理性みたいなものに発展していくと思うんだけど、そういう人間の抽象的な思考能力とかっていうものを考えてるわけじゃないですか。
あー、はいはいはい。そっか。別じゃなくてね。
別じゃなくてね。そう。っていうときに、やっぱそれってどこにあるのか、それってだんだん結局みたいな話になるわけですよ、改めて考えたときにね。
確かに確かに。
いや、我々って別にね、それこそショーペンハワーみたいな感じだけどさ、やっぱり生きてるお腹の苦しさもあれば、痛みもあれば喜びもあって、
物を食べれば美味しいし、お腹が空けば苦しいしみたいなものがあったときに、やっぱりそういうふうな具体的なものっていうのがやっぱり人間というか、我々はリアルじゃないかと。
うんうんうんうん。
ときに、やっぱそれをあまりにもヘーゲルとか、当時のキリスト教って扱ってないんじゃないとか、
あー、はいはいはい。
そう。そういうとヘーゲルの哲学って、ぶっちゃけ神学と変わんないんじゃない?みたいなことを言うんだよね。
おー、そうなんだ。
そうそうそう。哲学って言ってるけど、結局それってキリスト教じゃんみたいなことを考えだして。
へー。
そう。で、そういう発想からいろんなことを考えたときにですね、面白いのが、その積み積まって何なんだということを考えるんですよ、このフィエル・バッハさんは。
おー、考えちゃった。
そう、考えちゃう。
はい。で、神様が何かっていう話なんだけれども、ある種この、そういう精神とかっていうことじゃなくて、今僕らは人間のことを考えましょうと。
いうときに、理性とかもちろんそうだし、例えば誰かを愛するっていう気持ちとか、その知恵を高めていくとかっていう、そういうふうないろんな能力があるじゃないですかと。
ふんふんふん。
で、そういう人間の一人一人の素晴らしいものっていうのがあるんだけれども、いわゆる宗教、キリスト教とかヘーゲルとかって、要は人間が持っているものを何か理想化して、
その理想を空の彼方に投げ合っちゃったよねと。
ふんふんふんふん。
つまり、みんな愛する能力を持っているんだけど、究極の愛とか、一切を排除しない愛とかっていうものを何か作り上げて、それを彼方に放り投げて、それを神と呼びましたよねと。
神の愛とかね。
って言った時に、これがいわゆる、本当は人間が持っているものをその外に追いやってしまった。
15:08
つまり、人間が持っているのは不完全であって、完全なものが別にある。それを持っているのは神であるっていうふうな、そういう構造を人間が作ったんじゃないかっていうふうに言ったんだよね。
あー、はいはいはい。勝手にね。
そう、勝手に。
なるほど。
なので、神様っていうのは、ホエルバカが言わせると、元々得る素晴らしい存在っていうよりも、人間がそういった能力を勝手に外して、神様は素晴らしい、でも人間は未熟だとか、神様は豊かである、でも人間は貧しいとか。
おー。
そういうふうなシステムとして生まれたものが神なんじゃないかっていうことを考えだすんですよ。
んー、なるほどね。はいはいはい。
うん。
で、それが実はヘーゲルにもあって、ヘーゲルの絶対精神とか理性っていうものも、人間が本来持っているものを考える力とかさ。
うんうんうん。
で、議論もし何かを深めていく力っていうのは誰にも持ってるはずなのに、理性っていうものを精神でも切り出して、そっちだけが発展させて、絶対精神っていう絶対手が届かないものにさせてしまった。
うんうんうん。
で、我々人間とか我々の今の現代っていうのは、絶対精神にはいたっていない、まだ未熟な世界だとかさ。
うんうんうん。
そういうふうな構造を作ったっていう意味では、宗教だよってことと全然一緒じゃないか。そういうことを考えるんだよね。
わー、なるほど。そっか、前回その、ショーペンハブワンを聞いてるから、ちょっとイメージできるよね。
うんうんうん。
ショーペンハブワンの時にハエトンが言ってた、目の前にぶら下げられた人参みたいな話だよね。
はいはい。
あの、たどり着きたいけどたどり着けないっていう構造になっちゃってるじゃん?っていう話で。
そうね、前回は人間のエリアみたいにしたと思うんだけど。
うん。
そうそうそう。そういうものをもう人間は作ってしまったんだと。
うんうんうん。
うん。なので、そのキリスト教であれ、ヘイギルであれ、一瞬希望を語ったように見えるんだけれども、
やっぱり僕らのアーミド人間の感覚からすると、それがやっぱり何の救いになるのだとか、もっと言うと何の意味があるのだみたいな。
いやー、確かに確かに。もう、うちらが生きてる間には絶対たどり着けない何かを、なんで見せられてんの?みたいな。
そうそうそうそう。やっぱりその構造の中で生きていく意味あるんだっけ?っていうふうにやっぱり言えちゃうわけだよね。
18:01
確かに目標設定厳しすぎませんかね?っていう。
そうそうそうそう。
ね。
っていうのがあるんで、前回の雑談でもお金と物の話したけどさ、
それがじゃあ、キリに生きてる間に1000兆円あれば幸せになりますとかって言っちゃった瞬間にさ、もう無理じゃん?みたいな。
だし、あれだよね。無理なのはわかってるけど、そこを目指すことに価値があるのです。
わー、みたいな感じだよね。
そうそうそう。全員1000万、1000兆円目指しましょう、みたいな。
なんかね、そこに行かない人はあなたはダメですってなっちゃうと。
ダメですっていうよりはあれでしょ。誰もそこにたどり着けないのはわかってます。ただそれを目指そうとしないのはダメです。
わー、みたいな感じじゃない?
そうそうそう。そういうことです。
皆さん目指しましょうっていう、目指すことにこそ価値があるのです。たどり着かないけどねーっていう感じじゃない?
私は100円でいいんですとか言った瞬間に、それはダメですって言われちゃうみたいな。
世界の構造を見たときに、果たしてそれでいいんだっけ、よくないよねっていうことを巻き出すわけですよね。
なるほど。
言われてみればっていう感じじゃない?
平和の時はやっぱりそういう積み上げて、人類もそうやって理想にたどり着けるんだとか、こういうふうな発展をしていって世界が良くなるんだって言われたら、そうだそうだ、素敵だってなるんだけど、
やっぱりちょっと考えて、フォーエルワーカーとかの話を聞くと、確かにその構造つらいなとかさ、
っていうふうになってくるっていうことをある種考え出すんですよね。
わー、面白いね。
なので、やっぱりフォーエルワーカーの感覚化すると、やっぱり人間の本質っていうのが、ある種神とか絶対精神に奪われちゃってんねと。
究極の愛とか絶対精神とか言われちゃって、そんなに人間ダメじゃないよ、やっぱりもっとちゃんと人間にそういう本質を取り戻そうよっていうことを考えていくわけなんですよね。
へー、はいはいはい。
もちろんヘーギルを全部捨てるっていうのはダメというか違ってて、やっぱりヘーギルの中にももちろん取るべきものはあるとしたときに、
フォーエルワーカーの批判というのは、割と大掴みでやりすぎてて、ちょっとそれはそれで雑だよねみたいな話もあるらしいんだけど、
やっぱりこういう観点からヘーギルだけがやっぱり正しくないよねとか、そもそもその考えを言った先にはそういうある種の絶望とか、
ショーペンハウンとかも言ったような、やっぱりそんなに人生、我々の世界って目的に基づいてもう何でしたっけっていう疑問だよね。
うんうんうんうん。
うん、っていうところをちゃんと取り扱おうよっていう風な話をしていくんだよね。
21:02
おー、なるほど。なんかショーペンハウンはあと同じ代し、ちょっと前にこういう人がいたんだね。
そうですね、えっとね、ショーペンハウンの方がちょっと先なんだよね。
あー、そうなんだ。
ショーペンハウンは1788年生まれたので、20歳ぐらい年上かな。
へー、あ、そうなんだ。
うん、っていう感じですと。
じゃああれかな、あの、ほら、ショーペンハウンの時にさ、あの、ショーペンハウンがヘイゲルと同じ時間にさ、抗議を開きましたってあったじゃん。
はいはいはい。
そこに来てた数人のうち一人が実はフォイエルバッハでしたみたいな。
ないかな、ないか。
それはね、たぶんない、ないと思う。
ヘイゲルに行ってたからフォイエルバッハを。
うん、ヘイゲルに行ってると思う、普通に。
その時はね。
その時はね。たぶんあったらね、もうちょっとたぶんそういうエピソードになってると思うから。
うーん。
そうそう。まあ、やっぱりその、なんだ、時代的にも近いし、やっぱりそのヘイゲルを学びつつ、ショーペンハウンもちゃんとヘイゲルを学んだってお伝えしたと思うんですけど。
うん。
それをちゃんと吸収しつつやっぱり発展させたっていう意味でやっぱりすごいなんだろうな、自分の中でも結構近しい、近しいというかなんだろうな、あの、並べて話すやっぱり価値があるなと思うし。
しかもこれがちゃんとニーチェンにつながってるって流れもあるんだけれども。
うーん。
うん。改めてショーペンハウンの話でいくと、まあ、今フォイエルバッハってやっぱり人間にちゃんとその本質を取り戻すとかさ、神とか絶対精神とかに預けるんじゃなく、やっぱりちゃんと人間がどう生きていくのかみたいなところがテーマになってるという話をしたと思うんですけれども。
うーん。
うん。で、これもちょっと前回の振り返りですけれども、ショーペンハウンはまたそこからさらに一段こう、ね、絶望というかさ、なんだろうな、こう、少しネガティブな方にいくわけだけれども。
うーん。
さっき言ったようなさ、で、人間にもさ、愛とか理性とか知性とかそういうものがあるじゃんっていうのがフォイエルバッハの話なんだけれども。
うーん。
まあショーペンハウンは違うじゃん。そこよりもむしろ苦しみとかさ。
うーん。
で、ある種のネタみたいな、やっぱりそういうちょっとドロドロしたものとか。
はいはいはいはい。
そういうものの方がむしろ人間の根幹にあるじゃないかっていうふうな話をしてましたよね。
あー、してたっけか。根幹。あの、恐怖、恐怖の話。
そうそうそう。共に苦しむの話ね。で、それこそね、あのショーペンハウンの時にはさ、やっぱ誰かが喜んでることを一緒に喜ぶよりもさ。
やっぱり誰かが苦しんでるとこに、自分も苦しみを感じるっていうのが強くないみたいな話をしたと思うんですけど。
そうねそうね。
うんうん。っていうところがあるから、やっぱりこうね、人間はもちろん愛とか理性とかそういうのを持ってはいるんだけれども。
うん。
やっぱりその愛みたいなものも、ずっとその苦しみだったりとか、なんだろうな、そういうより、なんていうのかな、こう、キラキラしてないというか。
24:06
そういう、もっと言うとね、ショーペンハウン的には生きる意志だよね。
無目的で、そのカオスで、方向性がないんだけど、ただただ生き続けたいっていうふうになってしまっている、そういう欲求みたいなもの。
うんうんうん。
それがより根底にそろそろあるから。
あー。
うん。むしろ人間の本質ってそっちなんだよねっていうふうな話をしてたんですよね。
はいはいはい。だからあれか、ちょっとその、仏教っぽいよねみたいなさ。
あの、仏教で行くみたいな話で、人間にはその執着しかなくて、ある意味そのプラスの喜びとかじゃなくて、ある意味そのマイナスを埋めることが良いみたいな、そういう感覚に近いね、マイナスしかない、それをいかにして埋めるかみたいな話ってことね。
そうですそうです。
はいはいはいはい。
だからそのね、こういう理解でいくと、まだやっぱり人間っていうのはね、そういう優れたものを持っていて、それを神に手渡してしまったことが良くなかったんだって話なんだけど。
うんうんうんうん。
そのペンハーマーでいうと、いやそもそも今言ってくれたように、人間っていうのは執着とかそういうマイナスのとこから始まっていて。
うんうんうんうん。
それを埋めると手放すだよね。そこに向き合わないとか、生きる意志を否定するとかって話もちょっと思うんだけれども、
仏教的には執着を手放すみたいな感じで、もうそこと戦わない、そういうふうな構造で生きてるんだけど、その構造を何とか否定しようとするみたいな、
うんうんうんうん。
そういうところに、我々人生の生き方、在り方がありませんって話をしたわけなんだよね。
うんうんうん。あったあった。
そうそうそう。
なので、ある種向かってる方向性とか捉えてる人間感って全然違うんだけれども、
共通してるのは、どこかに究極の理想とか辿り着くべき天国みたいなものがあって、
そこに我々は至っている仮定なのだっていう、そういう構造を否定したっていう意味では、
やっぱりヘイゲルの次の哲学を作ろうとしたっていうような感じなんだよね。
うんうんうんうん。
うん。このとこはイメージはかな。
いやー面白いね。ヘイゲルが言うところの希望みたいなものだよね。
うんうんうん。
実はそれ違くない?っていう違和感みたいなものをしっかりと表現した人たちってことはね。
そうそうそう。そういうことなんです。
確かにってなるね。さっきの話で言うとね。ヘイゲルの真っ黒すぎる、
なんていうの、もう楽天主義みたいにしか見えなくなってきたけどね。希望というより。
27:00
そうなんだよね。うんうんうん。
難しいね。
だからヘイゲルも捉えようによってはね、めちゃくちゃいい感じで使えるんだろうけれども、
逆にさっき戦争が起きたりとか、もしくは悪いことが起きた時も、
次の時代へのプロセスだみたいに言われたときの、言われた側のえーっていう感じを上手く表現してるなと思って。
確かにそういうのを無視すればさ、やっぱり進んでいく感じってすごい、
なんだろう、めちゃくちゃ使えるし、たぶんちゃんと駆動するというか、感じだと思うんだけどね。
それが駆動しない場合もあるよっていうのを言われたときに、なんかこう冷静になる感じがあるよね、確かに。
はいはい。うんうんうん。ほんとにそうなんだよね。
だから、やっぱりそういうことね、中世のキリスト教とかの時に言われたとは思うんだけれども、
やっぱり個人がほぼないという、まあないって言うとあれだけれども、
やっぱり個人の生というよりも、いわゆるキリスト教的に神様の世界にどう乗っ取って生きていくかとかさ、
神と断絶されている中でもその中でどう生きるかみたいな世界から、
この1800年とかってなったときに、やっぱり自分たちの自由を目指していくような人間であったりとか、
個人っていうものがどう生きていくのかみたいな話だったときに、
やっぱりそのよりマクロなものじゃなくて、やっぱりミクロな、目の前の今生きている自分とか、
やっぱりショーペンハワーの体っていうものを大事にしたって話だと思うんだけれども、
この自分っていう存在にどんどん目が向いていくっていう、そういうところはやっぱり歴史的な流れとしてもあると思うんだよね。
そうね、それこそフランス革命で人権がみたいな、もう時代のちょうど後みたいな感じだもんね。
そうそうそうそう。
そういうところがあるので、もちろん他にもいろんな人がいるらしくて、僕もそこまで追い切れてないんですけれども、
前回やったショーペンハワーと今回やったフォイエルワハっていうところが全然違う、
人間か世界観であるけれども、ヘーギルの中にあるそういった難しさというか、
ものをある種紐解いていったんですよっていう話なんだよね。
で、ここからするとニーチェの話の導入なんだけれども、
ニーチェっていうのはこういったものをちゃんと受け継いでいるっていうか、問題しかしなくて持ってるわけなんですよね。
はいはいはい。
ニーチェも神、特にキリスト教ってものをどう扱うかっていうところはめちゃめちゃやっぱり深掘りしているし、
あとはショーペンハワーのいわゆる悲観、ペシミズムみたいなものをちゃんと引き継いでやってるんですよね。
うーん、はいはいはい。
30:02
で、悲観主義っていうのは個人の悲観じゃなくて、人類ってそのものの構造として、
もうニーチェもサッチェもいっかみたいな話をしたと思うんですけれども、
ニーチェはそこで立ち止まらないというか、
その世界の中で、やっぱりよりどう生きていくかとか、どういうふうにやっぱりあるべきかっていう、
そこを追求しきってみたいな、そういうふうな人なんですよね。
うーん、それは、あれなんかな、構造的な意味と個人の意味どっちみたいなのあるの?
でも両方あるだろうね。
やっぱり構造として、哲学としてそうやったってもあるし、
自分自身がいかにそう生きるかとか、そう生きていられているのかみたいな。
はいはいはいはい。
これまた次回以降ちゃんと話していくんですけれども、
自分が考えたこととか本を出していくことがどんどんあるわけなんだけど、
そこで語っているこうあるべきっていうことと、
自分が実際生きている中でやってることってずれてないとか、
ちゃんとできてなくないみたいな、そういう賛成があるわけですよね、ニーチェの中にも。
おー、はいはいはい。
もっと言うと、やっぱりどうしても構造に回収されちゃうわけよ。
なんて言うのかな、例えば、仮にこの世界は、すごい単純化してるけど、
ただペシミズム、悲観的なもので人間というものは構造的に、
ニッチェもサッチェもいかないものであるみたいなことを言ったとするじゃない?
ソーペンハワーはね。
そこに対して、そんなことはない、人間は努力で切り開けるとか仮に言ったとしても、
それって結局その努力はとはいえ、それが報われる人もいれば報われない人もいるじゃないかとか、
結局死んでしまえばその努力も淡いになるじゃないかとか、
そういうペシミズム側の議論を乗り越えたらめちゃめちゃ難しいわけだよね。
まあそうだね、そのソーペンハワーの土俵の上で、そこを突き破れるのはすごい難しそう。
そうそうそう。なので、どうするかって、そのソーペンハワーの作った土台そのものをやっぱり乗り越えるとか、
それとは違う土台を作るっていうことをしなきゃいけないわけなんですよね。
そうね、こっちの土台の方が良さそうだっていうか、そうだそうだって思わせるような土台を作んなきゃいけないね。
そうそうそうそう。
ニーチェはあるし、その土台をあるし、今日冒頭やっぱりダイナマイトで発車したけれども、
その土台をやっぱりぶち壊したというか、それは機能しなくなるまで耐え当たりをし続けたみたいな、結構そういう感じなんだよね。
33:03
ソーペンハワーの土台に?
ソーペンハワーの土台に、そう。
ふーん。
うん。やっぱり耐え当たりの、スマートにその構造を切り崩してみせたというよりは、
やっぱりニーチェってアフォリズムとかって言われるんだけれども、やっぱりちょっと知的なとかさ、そういう強い言葉が出てくることが多いんだけれども、
やっぱりニーチェって一歩の構造を立てたかっていうと、そうではないって言われてるんだよね。
あー、ほうほうほうほう。
分析すればするほど、こんなことも言ってるし、あんなことも言ってるし、結局ニーチェって何言ってるのになるらしいんだけれども、
そういう一歩の軸じゃなくって、いろんな軸から語るっていうこと自体が、
その、ショーペンハワーとか、それまで実は作った構造をある種の乗り越えるとか、
そういうふうなことに繋がるんだっていうことをやっていたんじゃなかろうか、みたいな、そういう見え方もあるらしいんだよね。
はいはいはいはい。
つまり、普通に読んじゃうと、なんかこいつ何、なんかあんな、すげー矛盾したことばっか言って、何言ってるかわかんねーようになるんだけど、
その、この筋が通ってるとか、この始まりから体系的な論を作るっていう、それ自体がもう構造じゃん。
そうね、うんうんうん。
むしろそれを乗り越えようとしたときに、そういう語り方とか伝え方があったんじゃないか、みたいな。
おー、なるほどね。
そうそう。そういうポジティブな評価をしてる人もいるわけなんだよね。
なるほど、どっちからも言えるんだね。
そうそう、どっちからも言える。
哲学的な強度がないとも言えるし、新しい切り口だとも言えると。
そうそうそうそうそう。
ほうほうほう。
それはやっぱり、どう評価するかとか、どこまで意義を生み出すかってことじゃんだけど、
っていうのがあるので、やっぱりそういったS21へなりのぶつかり方とか、世界の捉え方とか、
そういったものを今回は、今お伝えしたのはヘーゲルとか、
チョーベンハとかフォイエルバッカとかっていう、ちょっとそういう3つの軸があったとしたときに、
そういうところとかも比較しながら伝えていきたいと思ってますっていう感じなんだよね。
なるほど、なるほど。
流れが見えたね、なるほど。
そうなんです。
だから改めてすごいなと思うのは、
サルトルとかの実論主義とかっていう話を時々すると思うんですけど、
やっぱりどうしても僕らって、世界がどうあるか以上に、
36:02
自分はどう生きるかとか、どう生きていくのが良いのかみたいな話がやっぱり気になるじゃないですか。
そうだね。
やっぱりそれをちゃんと引き受けて、
考え抜いたというか、
向き合ったのがニーチェだなっていうのがすごい思うんだよね。
そうなんだね。
結構それは昔からって、
一番最初にちゃんと読んだのがニーチェのサラテストラなんだけれども、
ニーチェって最終発狂してなくなっていくとかもあって、
割と神を死んだとか言ったから町が建ったんだとか、
変なことばっかりしてたから、
そういうふうになったんだとかっていう言葉もあったぐらいなんだけれども、当時ね。
まあちょっと説得力がないよね。
そういうこと言ってる人が、そんな苦しみ方ある?みたいな。苦しんだかどうかしなきゃ。
でも苦しんでるんだよね、実際に。
やっぱりサラテストラとか読んだときに、
このやっぱりすごい真摯なんだなとか、
本当に自分が思ったことを伝えて、
誰かにより良い人生を歩んでほしいんだ、みたいな。
それをニーチェではすごい感じたんだよね。
なるほど、その突き抜け方がやっぱりすごすぎて、
そういうことと現実と、
ニーチェにとっての本当の現実と、
我々というか当時生きていた人の現実の逆がちょっとすごすぎたみたいな感じなのかな。
それは苦しいかもね、それは。
そう。言ってることはやっぱりわからないからね、一回読んでも。
ただなんかすげえ熱量で語ってきてるなっていうことがわかるみたいな。
怖いね。周りからしたら怖いね。
そうそうそう。
なので、62回だっけ、前回やったときには、
ニーチェが何を言ったかっていうニーチェ単体にフォーカスだと思うんですけども、
今回は直前というか、そういった時代の流れも踏まえながら、
ニーチェっていうのはどういう位置づけになっているのかとか、
何が彼の独自性だったのかみたいな。
そういうところをお伝えしっかりできればなと思っております。
わかりました。
次回はソニーチェの失踪哲学の中身に入っていくというところで、
楽しみにしていきたいと思います。
では、引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
39:01

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