00:11
はい、それ哲ラジオ。今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、今回でニーチェ編最後ということでやっていきたいと思います。
はい。今回ですね、大きなキーワードとしては、永劫回帰という言葉と超人という二つを取り上げるかなと思います。
ふんふんふん。
言葉自体は聞いたことあるよとか、なんとか言ってることもあると思うんですけれども、これまでの流れですよね。
ちょっと繰り返しになっちゃうんですけど、ニーチェがダイナマイティとかハンマーだっていって、いろんなものを壊したっていうときに、
神様とかそれに繋がる、いわゆる世の中の真実とか、たしからしい価値観みたいなものを壊して、
道徳っていうものもルサンチマンだ、みたいなことを言って壊して。
で、前回アレチで考えたときに、理性っていう、僕らが普段理性って大事じゃないとか考えるって大事じゃないと思っていることをある種否定をして、
でもそれは外に成功を探しに行くもので、アポロン的な話だから、そうじゃなくって、デュオニオソス的な体っていうものを軸に考えていくのだ、みたいな。
そうすると、僕らってのは力への意志っていうものがあって、より成長しようとか、自分を乗り越えようとか、
そういうふうなある種ベースのルールで生きていくことになるんだよっていうふうな、そこまでをちょっと第4回までお伝えしたと思うんですよね。
そうだね、だいぶ来たね。だいぶ見積もり来たね。
だいぶ頑張ったわけです。壊したところからニーチェがやろうとしていることをちょっとずつ読めてきたんですけど、
前回兄貴が言ってくれた通りで、今の僕らの立ち位置だと、
他人生の体を通じてやりたいことを見つけようとか、自分だけの方向性とか人生の目標を見つけて頑張ろうとかっていうのはいいかもしれないけれども、
その時に他者との関わり方とか、それって結局自分だけが良くて他人はどうでもいいとか、
それぞれが好き勝手に生きてて、結局バラバラで何もカオスみたいな、結局そういうふうな状態じゃない?みたいな感じがしたと思うんですよね。
そうね。
実際カオスはカオスなんですよ。そこに秩序を与えるわけではないんだけれども、ニーチェがもう一個あわき出したものがあって、
それを使うとこういう生き方になるんじゃね?それが超人なんですよっていうふうな、そういう流れになってくるんですよね。
03:08
はいはいはい。
なので、永劫回帰っていうのは、未来が永遠に繰り返すっていう言葉で言うとそういうことなんだけれども、
これはニーチェがある種あわき出した価値観を踏まえた上での発想で、
その永劫回帰というものを前提とすると、我々は超人という言い方が大事であるっていうふうな構造的にはそんな感じになります。
なるほど。だいぶ前にニーチェ編を最初やったときに、覚えてる言葉が超人だね。
あ、なるほど。
どういう人か忘れちゃったけどっていう。
はいはいはい。でも嬉しい。やっぱりそういう言葉が残ってるとね、キーワードとして入りやすくなると思うんで。
今言った言葉っていうのはもうわかんないですからね。永劫回帰が何かもわかんないし、超人が何かもわかんないから。
って言われてもっていうのがあると思うんで、ちょっと今回お話しすることで、永劫回帰ってそういうことかとか、
だから超人を目指すのね、みたいな。でもそれっていけんの?みたいな。
そういうことを皆さんが感じられるようにお伝えしていこうと思ってますっていう感じなんですよね。
はいはい。ぜひぜひ。もう前回がね、ちょっと途中感があったからさ。
今まで一緒にセットで聞いてやっと自分だったらできるかな?するかな?みたいなところにやっと近づいてくるかな?みたいな感じかなと。
はい。ちょっとそこを目指して一緒に頑張っていただきたいと思ってるんですけれども、
まずですね、今日どういうところから話すかっていうと、前回ね、アポロン的なものとドヨニショス的なものっていうのがあって、
アポロンっていうのはいわゆる、ギリシャの彫刻みたいな美を永遠に留めておくとか、
老いることがない、完全なる真実みたいな、そういうものの象徴なんですけれども、
そういうものを大事にするっていうふうな発想じゃなくて、
そのドヨニショスっていうお酒の神様で、いわゆるお祭りとか踊りとか狂乱、喚起みたいな、そういうふうな流れみたいなものを大事にしましょうってなったときに、
その後者のドヨニショス的なものが大事だよっていう話をしたと思うんですよね。
これを思いながら話を聞いてほしいんですけれども、
思ったときに、ニーチェは時間っていうものをどう捉えますか、というか、
我々は時間っていうものを間違いで捉えてきたんじゃないかっていうことを言い出すんですよ。
どういうことかっていうと、普段さ、僕らって時間って過去から未来に進むよねとか、時間編でもさ、いろいろやったと思うんですけど、
06:08
覚えてないと思うんですけど、
基本的には過去現在未来があって、過去から未来に時間っていうのは進んでいくとか流れていきますねみたいな、そういうふうに思うと思うんですよね。
これは別に、これに関してもいろいろあるんですよ、現代科学的にはね。
あるんですけど、一旦置いといたとして、これを実は弊害があるって言うんですよ。
どういう弊害かっていうと、過去があって未来になるって言ったときによくあるのって、未来が良いなら万事オッケーみたいな話とか、
未来に理想を持って、例えば今は気合いしのぶとか、そういうふうな話ってあるじゃないですか。
はい、確かに確かにあるね。
これも実はめちゃめちゃアポロン的なんですよね。
どういうことかっていうと、未来は輝かしい。
キリスト教的に言うと、未来に神の国に行けるとか、死んだら天国に行ける、これは仏教とかもそうかもしれないけれども、
未来に理想を置くと、現在の価値が下がるっていうことが起きるんですよね。
おー、はいはいはいはい。
よくあるのが、日本でも戦国時代とかって、ホザケの国に行けるって言って戦争に行って、戦って死んだら極楽浄土だみたいなときに、
いやいや、本来は生きてるこの時間の方が大事じゃないとかって論理はそこでは効かないわけですよね。
っていうときに、もちろん未来に理想があるから今頑張れるとかってもちろんあるんだけれども、
でもやっぱりこれって、ニーチェから言わせると、どこかに遠いところに理想を置いて、今の自分、体も含めたこういったものを大頭にしてるよねっていう、
そういうふうなメカニズムになってるんじゃないのっていうふうに言うんですよね。
おー、はいはいはい。面白いね、確かに確かに。
これも言われれば、確かにそういう捉え方もあるかもねっていう感じじゃないですか。
うんうんうんうん。
もちろん一概には言えないけれども、ニーチェとしてはそういう捉え方をしたときに、
この時間っていうものもそういったアポロン的な捉え方だとダメなんだっていうことを言うんですよ。
うん、なるほど。
うんうん。じゃあどうするのっていう話なんだけれども、これが結構力技で、なるほどと。時間って一直線だったらよくないわけじゃないですか。
うん。
これを繋いで円にしようと。要はどこかに始まりと終わりがあるから目的とかその手段みたいなことが出るんであって、
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これを丸くして、どこか始まりと終わりかもわかんないような時間にすれば、
そういう未来に目的を置いて、今を薄めるみたいな、そういうことじゃないよねって考えるんですよね。
へー、これはあれなの?ニーチェのオリジナルなのかな?それともヘラクレイトスだっけか。
はいはい。
万物ある点数的な、そういう流れるみたいな感じだったりとかからすると、そういう円みたいな、丸みたいな感覚になるよねみたいな、そういうのもありのみたいな感じなのかな。
そうだね、あったと思う。完全オリジナルっていうのは多分なくて、やっぱりそういった時間捉え方とか、そういった循環みたいなものはあったんじゃないかなと思う。
はいはいはいはい。
なのでそういうのは引っ張ってくれてもあるんだけれども、ただね、ただまだ皆さんあれ力、やっと力、あれの意思を学んで、
今時間を丸にしようとしてますってことを想像してほしいんだけど、
時間を丸にね。
時間を丸にして、永遠に、永遠にというか、これがある種英語回帰なんだけど、始まりも終わりのない時間を生きていますとしましょうと。
すると、どうなるかっていうと、要はまだ皆さん目的、まだ見えてないじゃないですか、自分の。
まあね、全然見えないよ。
全然見えないので、ゴールも目的もない、真実も何もない世界にいきなり放り込まれて、始まりも終わりもないのにぐるぐるぐるぐる回り続けるっていう、そういう状況なんですよね。
まあ完全罰ゲームだよね、それね。
そうそうそう。これが実はニヒリズムの極地なんですよ。
ああそう、ここがね。
ここがニヒリズムの極地。
はいはいはい。
つまり、世界が価値を失ったとか、神が死んだっていうのは、言っても別に自分も死んだら別にいいとか、生きてる間だけ楽しけりゃいいって末人の話をしたと思うんですけど、
うん。
っていう風に、まあ別に乗り越えてはいないけど、やり過ごすことはできたじゃないですか。
はいはいはい、そうね。
でもここで時間、その一方向の時間もアポロン的だから、それを丸にしましょうって言った瞬間に、その永遠に続く時間をどう生きますかっていう問いが生まれてくるんですよね。
そうだね、うんうんうん。
でも外には頼るものもないし、何も価値があるものもないっていう時に、ただ永遠に生き続けるんですってなったら、なんかそれこそ絶望じゃない?
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いやー、完全にそうだけど、まあ、永遠ではないからね、この肉体はね。
違う違う違う。
って考えるとまだ、ダメなの?
ダメ、死ねない死ねない。死んだらまたやり直してこの世界に戻って生まれてくるんだよね。
え、そうなの?
うん。
まあ、認知的に言うと?
認知的に言うと。始まりも終わりもないって言ったじゃないですか。
うん。
なので、例えば生まれ変わったらそれが始まりなんじゃないのって思われるかもしれないんだけど、それを100回でも1000回でも繰り返したら、どの生まれ変わりが始まりかとかってもうわかんなくなるじゃないですか。
はいはいはい。
っていう意味合いでずっと繰り返すんですよ。
あー、そこ、なるほどね。そっかそっか。時間間隔を円にせよっていうところまではいいけれども、それが未来永劫続くのだ、何回もループするのだっていうところはだいぶ力技な感じがするね。
そう。そうなんです。
なるほどなるほど。OKです。じゃあそこはちょっと2.0からちゃんと馴染ませよう、馴染ませてみよう。
なるほどね。
うん。
それは苦しいね、確かにね。
そうそう。死んだら終わりもないし、死後の世界も当然ない。そんなものは、だって想定できないから、普通に生きてる限りはね。
うんうんうん。
はい。なので、この生きているこの自分っていうものを、なんかよくわかんないけど常に繰り返すんだと。
うんうん。
しかも、あのね、これ、英語おかやきのほんとすごいのがあるんだけど、最近さ、最近というかここ数年、数十年、ループものってやっぱりこういろんな物語であるじゃないですか。
そうね。
映画とかでもさ、1週間とか2分とかそういうのもなんかあるって聞いたことあるんだけど、2分とか永遠に繰り返し何とか未来を変えていくみたいなのがあったときに、
前提としては、戻った先の世界では違う行動ができるっていうのと、戻った先の世界に過去の記憶を引き継いでいる存在がいるって、この2つがあって初めて成り立つじゃないですか。
うんうんうんうん。
でもこのニイチェの英語おかやきはそれもないんですよね。
あ、ないんだ。
ない。つまり、例えばループ、仮に生まれ変わったとしたときに、前回の記憶ももちろんないし、何だったら前回と全く同じことをするんだっていうふうにニイチェは考えるんですよ。
うんうんうんうん。
だから、いわゆる前世の記憶は引き継がれて来世に生かすとかってこともなく、ただただ今生きているこの人生っていうものが、すでに繰り返されるっていうふうなものを英語おかやきっていうふうに呼ぶんですよね。
15:07
えー、何なんだろうそれ。それいらない気がするけどな。
なんでなんで?
でもあれか、その直線的な時間感覚から遠間にしようねっていうときに、じゃあその遠間の感覚とか遠間にすると起こることって何なんだろうねっていうふうに、ちゃんと考えるとこのニイチェの英語おかやきにならざるを得ないみたいな感じなのかな。
そういうことです。
なるほど、そこは作ったんだ。
そう、作ってるから、死後の世界とかっていうのも結局はどこかに理想の世界があるとかさ、ある種頭で考えて、あるかもしれないけど、おそらくまだ誰も見出したことがおそらくない。
あるかもしれないけど、そこに行けるかどうかわからないとかっていうときに、それを頼りにすることはニイチェはできないんですよね。
うんうんうん。
そうなると、じゃあその遠間になった、その輪が閉じたときにどうなるかっていうと、少なくとも僕らが身体的に感じられるっていうのはこの生きている人生しかないですと。
あとこの人生が永遠に繰り返される、永遠に始まっては終わり、終わっては始まり、結局終わりも始まりもないっていう、そういう風な構造として捉えられるようにっていう風に考えるんですよね。
なるほど、面白いね。そこは別のものに転生していかない感じ?
そうそう。
ひたすらループする感じっていうのが、そこはニイチェの感性というか、感覚なのかな?そこも何かちゃんと考えたのかな?
そうだと思うな。詳細はあるけど、リンネ転生と英語を書いて何が違うのみたいな話ってあったりするんですよ。
おー、はいはいはい。
仏教がリンネ転生なんだけど、あれはやっぱり因果の話なんですよね、基本的に。
いわゆる仏の世界に近づけばそういった良いものに生まれるし、それに努めるわけが、わからないけど虫とかより低級と言われているものに生まれ変わるっていう風に。
本性の因というものを来世の結果として受け取るっていう発想がリンネ転生なんですよね。
なるほど。
ニイチェは因果っていうものを基本考えないんですよ。なぜなら因果って直線的な時間の発想だから。
そうだね。
ユキはその直線的な時間を極限まで伸ばしきったみたいな、そういう感覚なんだよね。
そこの間をぐるぐるというか、螺旋なのかわかんないけれども、円があって次の円があって次の円があったっていうのをずーっとやっていくといつか悟れるみたいな感じだから、繰り返しっぽいけど実はちゃんと直線上には乗ってるんだ。
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ネジみたいな感じかな。ネジというかバネか。バネだとぐるぐる回ってるけど一応前には進んでるじゃないですか。
それが仏の道に近づくか遠ざかるかはわかんないけれども、何らかの変化はあるんだよね。
はいはいはい。
お兄ちゃんの英語外見は本当に閉じた輪なので、前にも進まないし、別に良くなるとか悪くなるとかもなく、ただただ同じ性を繰り返すっていう、結構本当にさっき言ったようにニヒリズムの極地なんだよね、これは。
なるほど、面白いね。そっか、今の輪廻転生との比較でわかったね、確かに。その直線的に時間を捉えないっていうことがどういうことなのか。
そうそうそうそう。
だし、それがどんだけ難しいことなのかっていうね。
そうだね、そう。
なるほどなるほど。
僕らはどうしても時間の矢印の中で生きていると思っているから、100回はでも1000回ぐらいループしたら1回ぐらい違う世界行けるんじゃないかって思っちゃうんだけど、それもないんだよね。
ないね、そっかそっか。時間間隔を狂って円環にしちゃうともうそうなると。
そうそうそう。
ちょっと納得してきた。
ちょっと行き場のない感じが伝わってればいいかなと思うんですけれども、じゃあねと。この中で生きることになった人はどうなるかっていうと、基本的には絶望するよねと。
だってさ、仮にどんな良い人生でも1個ぐらい悪いことがあるだろうし、後から引き換えてはあの時こうであればっていうことを思ったときに、やっぱりそれを無限回繰り返せって言われたら、別にそこまでの人生じゃなかったんですって人がほとんどだと思うんだよね。
なるほどね。
もちろん生まれ変わっても自分になりたいぐらいの感覚はあるかもしれないけれども、それでもじゃあ無限回やりますかって言われたら、別に普通に死なせてくださいって言われるけれども、ちょっと終わりでいいですってなると思うんだよね。
その雰囲気だけは残しておいてほしいよね。
そうそう。終わらせるものなら終わらせたいって思ったときに、やっぱりそれだからこそこれがニヒリズムの局者し絶望、まあ恐怖だって話なんだよね。
21:05
はいはい。最終回でこれから希望の話?全部壊した後の希望の話をしてるかと思いきや、やっとたどり着いたんだね。
やっと本当の絶望がたどり着いて、これはさ、夜明け前が一番暗いか、その明るくなる瞬間、その手前が一番辛いみたいなさ、感覚と一緒で、ここまで来てやっと次の希望が見えてくるんですよ。
その話がやっとスタートするんだね。
スタートする。前回で力の意志とかで出たかと思いきや、ここに来てやっと永劫回帰で、そういったニヒリズムの局者になります。
この永劫回帰だからこそ、希望があるとも言えるというのがあって。
なんでかっていうと、僕らが普通に考えている矢印というか直線の時間の話だと、結果はやっぱり自分の価値っていうものを他人に預けるとか未来に預けるとかどっかに預けるっていうふうに、すぐやっぱり責任権ができちゃうんですよね。
兄ちゃんはそれをしたくないというか、それがダメだってなったときに、永劫回帰っていうのは逃れられない。自分の人生から逃れられないからこそ、自分の人生をどうするかっていう、その強いパワーというか力の意志だよね。
これがちゃんと出てくるんだよってことも言うんだよね。
目を背けてたら本当に永遠に嫌な人生になるしかないからさ。
ありもしない未来みたいなものにずっと振り回され続けるみたいなね。
じゃあどうしますかっていうのはここからが超人の最後の話なんですけど、どういうことかっていうと、まず世界が永遠に流れていくじゃないですか。兄ちゃんの感覚だとね。
これがいわゆる前回のディオニオソース的とか、ヘラクレスの万物は露天すると同じで、世界がある種ずっと振り変わっていく。常に川の流れのようだみたいな感じなんだよね。
そうすると本当に自分の存在も流されていくだけみたいな感じで、どこにもかっこたるものってないじゃないですか。
仮にそういう常に流されている、もう自分には何もできないっていう時に、何か1個できることがあるとしたら、それって何だと思います?
もがく。
何のためにもがくのそれは?何のために?
24:03
ちょっと待ってね。今川の中で覚えてる姿をイメージしちゃったから良くないのかなって思うんだけど。
まあまあいいよいいよ。覚えてるじゃないですか。何のためにもがくの?
そこから出るなり、少なくとも行き継ぎはしたいかなみたいな感じかな。
でも出れないじゃないですか。この川は常に何だろうな、ずっとぐるぐる回ってる、海天寿司みたいな川だから。
両端も別にないので出ることはできませんと。
出るという概念がないっていうね。
そうそう。で、行き継ぎはできるけど流され続けますと。
そうだよね。少しでも楽に流されるように。少しでも楽になりたいから。
失格です。
ダメ?
ダメ。力への意思がなかったです、今。
ないんだ。仏教的にもう苦の状態だから、今マイナス100だとして、せめてマイナス98にできないかなって考えてた。
なるほどね。しかしもがくよりは力を抜いても流され続ければいいじゃんみたいなね。
だったりとかね。その中でもがき方が上手くなるとか。失格だね。
諦めの境地で。それは一気にチャイトーというかね、あるとは思うんですけど。
ちょっと末陣なのかな、それは。
それは末陣だね。流されたら何が悪いんだいって。俺はもっと楽に流されてるぜみたいな、そういう感覚だよね。
じゃあもう一個答え言っていいじゃん。
いいよいいよ。はい。
その川壊す。
なるほどね。自分が得るこの構造を壊しにいくと。
前回かな、やってたじゃん。シムシティからマイクラにしてたでしょ。
してたしてた。
だからこれは川じゃなくて大地なのだみたいな。
なるほどね。世界観ごと作り変えるって話ね。
そうそうそうそう。
それもあると思う。ニーチェンのそういう世界観でも否定して、自分なりの世界観を仕立てるっていうのはあると思います。
ダメそうだけどね。妄想の中でずっと苦しみ続けそうだけどね。
結局ね。
でもやっぱりそうやったら難しいと思うんだけども、ニーチェンの答えっていうわけじゃないんだけども、どういうことを推奨するかっていうと。
要は今流されてるじゃないですか。
当てと本当に足がつかないのかって思ったりしません?
あー、なるほどね。はいはい。
27:02
つまり今自分流されててどこにも居場所がないというか、常にずろってるんだけど、
少なくとも1点でも例えば足が地面につくかもしれないとか、なんか触れるかもしれないってなったら、そこに自分の拠点を作る可能性があるじゃないですか。
ほうほうほう。
うん。つまり流れの中で自分でも位置づけるっていうことができるんじゃないかってことを考えるんですよね。
これ顔だと難しいんだけれども、時間って考えてみると、要は永遠っていうものと対照的な一瞬っていうのがあるじゃないですか。
うん。
っていうときに今この瞬間に自分の生き様を刻みつけると。
うんうんうんうん。
そうすると流されている時間の中に今ここで自分が生きたっていう証というか、その重みが残るじゃないですか。
はいはいはい。
それを一瞬、すべての一瞬にしてみたときにどうなるかっていうと、
うん。
永遠が意味を持ち始めるんですよね。
うんうんうんうんうん。
うん。
流され続けていると何の傷跡もないんだけど、
うん。
一瞬一瞬に自分の生を刻み込んでいくと、
うん。
人生とか永遠のこの繰り返しの中に自分の人生が刻み込まれているっていうふうな、そういう時間になりますよねっていうふうに言えないですか。
うんうんうん。
まあ言えるかな。
そう。
などしたときに、これでさっきの役で、さっきの直線上の時間だと、未来に希望を持つとしたら今の価値が相対的に下がりくると。
うんうんうん。
そうじゃなくて、未来っていうものを閉ざしたことで、今この瞬間に意味を刻み込むんだっていう、
今っていうことの時間の価値が、むしろ無限大に高まるよねっていうことをお兄ちゃんは考えるんですよ。
あーはーはーはーはーはー。
うん。
なんとなく伝わるかなこの感覚。
多分伝わってると思うな。
直線的な時間だったりとか、未来のほうが大事とか、あとイデア的なものが大事、でこっちのほうがしょぼいみたいになっちゃうと、
今この自分とか、今この瞬間っていうものに全く目が行かないからこそ流されるのだ、みたいな感じだよね。
で、そこを転じて、未来はないし、イデアもないから、自分でもしゃあないから、もうこの瞬間瞬間作っていくしかないなってなった瞬間、
30:16
前者では今は何もやってない。何もやってないというか、未来に向かってなんかやらされてるみたいな感じ。
うんうんうんうん。
だから自分で考えてんだよね。
それに対して、今この瞬間瞬間っていう人は、少なくともさっき未来志向みたいな人よりも、
なんか、それこそさっき言った傷跡というか、ちゃんと残し続けてるよね、みたいな。
うんうん。
っていう意味で、どちらも価値良いとか悪いっていうのを一回捨てたほうがいいのかもしれないけど、違うよねっていう感じかな。
今の話を聞くと、それこそヘイギューの話をしたと思うんだけども、ヘイギューっていうのは絶対精神っていうものが終わりにあって、
基本的にはそこに至る過程だから、その途中っていうのは乗り越えられるべきものなんだよね。
うんうんうんうん。
やっぱりそれを否定したのがニーヒーズムだったりとか、フィエール・バッハとか、ショーペン・ハワワっていう人たちが、
いやいや、そんな人生って本当にいいんだっけとか、本当にそんな究極の視点なんて設定できるんだっけっていうことを考えてるわけですよ。
うん。
でもそれを否定するだけだと、どうして生きていったらいいんだっけっていうのが、ニーヒーズムでもあったんだけど、
うん。
これに対する回答が、なので究極の視点もないし、絶対の真理もないので、
その自分なりの真理をこの生きている一瞬一瞬に自分で刻み込めっていう話なんだよね。
うんうんうんうん。
そうすると、仮に僕今36歳になったけど、過去35年間は一切刻み込んできませんでしたと。
うん。
その意味ではこの35年間はちょっとのっぺりしてるかもしんないんだけれども、
この36歳からの死ぬまでの時間っていうものを一瞬一瞬刻み込んでいたとすると、
仮にこの人生が2回、3回、100回、1000回って繰り返されたとしても、
最初の35年はのっぺりしてるけど、後半はすごい人生の域を感じるみたいな、
例えばそういう人生になるじゃないかと。
うんうんうんうん。
そういう風な生き方をしてみませんかっていうことを兄ちゃんは言うんだよね。
うーん、なるほど。
うん。
なんかそれをやるとさ、今の人生は36歳から刻み込んだとして、
33:01
次の人生もやっぱりでも35年間は自分は気づかないわけやっぱり。
そう、気づかない。
全く同じ繰り返したから気づかない。
ほうほうほうほう。
次の世界とかループに何も持ち込めないので。
うんうんうんうん。
うん。
あー、面白いね。え、すごいね。
なんかちょっと感じた?
そんな徹底する?
うん。
徹底してる。
あ、でも、そっか。
あの、それを、
うん。
例えば今からやれば、次のループで0歳から刻み込めますよっていう風にしちゃうと、
うん。
これは兄ちゃんが最初否定してた未来思考になっちゃうんだ。
そうですそうです。未来に希望を持って、今をまた下げちゃうじゃん、そうなると。
そうですよね。
過去を否定しちゃうじゃん。
うんうんうん。
次のワンループのために頑張るみたいな。
そうそうそうそう。
じゃないんだ、それもないから、
ない。
少なくとも、
うん。
少しでも早くそれやっといた方が、
うん。
応接にも同じ人生なんだから、
同じ人生を繰り返すのであれば、
うん。
その、36歳から?
うん。
なのか、それとも50歳からなのか70歳からなのかだったら、
うん。
36歳からの方がいいでしょ、以上みたいな。
そうです、そう。
以上ね。
以上です。
そう、やっぱりそれこそ物語のループも、
このループはダメだから見かけて死ぬ。
次のループに行くとかっていうことをやっぱり選択したりするんだけど、
うんうんうん。
それは逃げててはやっぱ禁じてなんですよね。
それやると次のループでも37歳で死ぬからでしょ。
例えば。
まあ、そうなるし、
もっと言うと、それってやっぱり、
今の自分を引き受けてないとか、
やっぱり未来の、なんだろうな、
ありもしない未来というものを頼りにして、
今のことを考えて決めているってなっちゃうから。
面白いね、そっか。
だから未来、ありもしない未来に絶望して、
それを選択するのも同じなのか、
未来に向かって頑張っているのも、
未来に絶望して死ぬのも同じなんだ。
同じ。
今を大事にしていない、
今この自分の身体感覚から湧き上がるものから
価値を作っていないっていう意味では、
全く同じなんだよね。
なるほど、そっかそっか。
うん。
だから今めっちゃ楽しいみたいなさ。
うんうんうん。
今めっちゃ辛いって人も、
ニーチェからすれば同じなのか。
同じ。
このイヒリズムを極地に至ってないとすればね。
そうそうそう。
うんうんうん。
なのでニーチェはそれを運命愛とかって言うんだけれども、
36:02
自分の運命なのと、
苦しいこともあれば楽しいこともあればみたいな話っていうのは、
なので、良いとか悪い、
善悪の話もしたと思うんですけど、
良いとか悪いっていうのもあくまで何の基準がって言ってることだから、
その基準に従って生きてる時点で、
まだやっぱりニーヒリズムじゃないし、
その価値を疑い切れてないんですよね。
うんうんうん。
でも疑い切った後でも、
とはいえやっぱりあれは苦しかったとかっていう、
本当に身体的に思った時に、
それも含めて自分の人生なんだとか、
それが起こるということが、
ある種自分が選んだことなんだっていう風な、
そういう風なことを言えますかって話なんだよね。
はいはいはいはい。
なのでこれで有名なニーヒリズムの言葉があるんだけど、
これが人生だったのか、
よしもう一度って言って、
その人生をやり直すというか、
それに向かっていく。
これが超人の在り方ですって話なんだよね。
おおー。
はい。
すごいね、こんな徹底してるか。
でもそうなるね、確かに確かに。
うんうん。
そうなんですよ。
まあどうですか、超人。
解決策は超人ですって感じなんだけど、
どうでした?
このニーチェ界をね今、
改めて5回分やってきた時に、
いろいろニーヒリズムもありましたけど、
大変ですが超人として頑張っていきましょうって言われて、
どんな感じですか?
すごくリアルでいいよなと思うよね。
刺さった。はいはいはい。
なんだろうな。
こんなにも未来思考みたいなさ、
イジヤ思考みたいなものを外すとこうなるんだみたいな。
ちょっと新しい感覚だよね、やっぱりね。
うん、その比較がやっぱり面白いね。
これは確かに逆もしっかりだなと思って、
逆っていうのは時間で言うと、今未来思考あったけれども、
過去を後悔する。
ああすればよかった。
あと昔めっちゃ楽しかった。
そこも同じなんだなっていうね、逆に。
うんうんうん、それも矢印上の時間の話だからね。
そこにとらわれてるのも、
違うっていうことがたぶんこのニーチェの演館的な話?
言えるだろうし、
39:00
これだと面白ポイントというか、
ここも間違っちゃいけないかもとか混同しちゃうかもって思ったのが、
このニーチェを学んで、
自分の、早く言うと例えば36歳。
今この瞬間以降の人生をより良くするために、
今この一瞬一瞬を頑張るのだっていうふうにしちゃうと、
ダウトだよね。
ダウトです、それは間違ってます。
ダウトだよね、そう。
そこがこのニーチェの結構難しいポイントであり面白ポイントかな、みたいな。
もしくは理解したかどうか。
分岐ポイントかなって思ったね。
本当にそうで、たぶん前回おそらく2年前とかトラジェット時にはそこまで話せなくて、
今回はヘーゲルからの流れでお伝えしているので、
ニーチェあくまでもそういう未来に何か理想を置くとか、
自分の外に絶対的な価値を置くっていうものをやっぱり否定したかったんですよね。
今ゆっくり言ってる通りで、将来のために今頑張ろうとか、
今変えれば未来はきっと輝くよねとか、あるいは変えないと悪くなるよねっていう発想は、
やっぱりニーチェからすると間違いなんですよね、もうどっちも。
人生を良くするためではなく、
さっき運命愛って話したと思うんですけど、
以前偶然とは何かみたいな回をやったの覚えてます?
内容はあんま覚えてないけど、偶然と必然めっちゃ面白いなみたいな話をしたような気がするな。
ていうのもあったと思うんですけど、
それに気づくまではこの人生って偶然の積み重ねなんですよね。
なんでこんなこと起きたのかとか、どうしてこんなことになったのかとか、
良いことも悪いこともあるけどって話なんだけれども、
それを全て自分が選んだのだと。
つまりこれは偶然であったか必然であって、
自分はこの人生を生きる運命にあったのだっていう風に常に言えるかどうか。
それがある種そのニーチェが良しとする態度というか、
人生のためにとか過去を踏まえてとかじゃなくて、
自分が今これをしているっていうことに自分がイエスと言ったのだっていう、
そういうことでしかないんだよね。
この感覚はすごく難しそうだね。
もう面白いしリアルだなと思うから。
どうなんだろうね、ニーチェは今この瞬間の
選択をする時の判断基準みたいなのが、
42:04
それは身体ってことなのかな?
身体であったり力への意思だね。自分の中で湧き上がってくるもの。
明日こうするからとか、何年後にこうしたいからじゃなくて、
この力の意思に従うと、あと自分の感覚に従って、
この瞬間を決めていきなさいよっていう感じなのか。
その結果、何か良いことがあったとか悪いことがあったとか、
良い悪いもあるけども、それを期待していったんじゃなくて、
今早く言った運命だった、必然だったんだねっていうのに過ぎないみたいな。
前回残ってた問いである、
他の人たちが生きる時どうなるのかっていう話なんですよね。
前回で言うと相対主義とか闘争状態になるんじゃないかっていう話をしたと思うんだけども、
これは正直悩ましいです。
例えば、めちゃめちゃ食べるのが好きみたいに入っていて、
とにかく空腹でしょうがないと、あるもの全部食べたいと。
病気になっても体調を崩して死んだとしても、
俺は肉だけ食べたいんだみたいな人がいたときに、
それを自分が肯定できるなら、そういう人にとってはそれが一番の人生なんだよね。
ただ、肉食って死ぬっていう人生を永遠に繰り返して本当にいいんですかっていう問いに、
イエスと言えるかどうかなんだよね。
その問いは未来志向じゃない?大丈夫?
じゃない。それは今この瞬間、死んでもいいっていうのは結果論だから。
つまり、今の自分の選択を積み重ねた結果、
そういうことが起き得るっていうことは、想像はできるじゃない?
まあそうだね。
身体から沸き上がったけど、食欲というものに従ったときにどうなるかっていうのは理性で判断できる。
逆に健康になったほうがいいよね。
だから、お肉食べたいけど野菜食べようは理性から始まってるんですよ。
それ分かる?
理性がなくなるとは言わないからね、一応。
あるいは逆に前回もちょっと言った、自分以外の存在を全員殺したいとかって言ったときに、
本当にそれが衝動なら別にそれに従えばよいと。
おそらくそれをするときっと周りから自分が取り押さえられるよねとか、
45:06
なんなら殺されちゃうかもしれないってことは想像できるじゃないですか。
できるよね。だいぶ早い段階で排除されそうだね。
そうそう。デスゲームの悪いやつみたいになってると思うんだけど。
だったときに、それをある種自分の欲望に従うことで人に殺されるということも全部含めてイエスと言えますか?
それを無限回繰り返してもその衝動に従いたいんですか?っていう問いは出てくるんだよね。
そこがやっぱり繰り返すっていうところも結構肝なの?
うん。だって一回だけだったら別に好きなことやって、後は知らない死んでおしまいになっちゃうじゃない?
それが例えば、別にさっきの人を殺すのはちょっと極端なんだけど、
好きなことだけやって生きていきます。自分は欲望に忠実に生きるんですとかって言ったときに、
5回くらいはいいかもしれないけど、それを100回、1000回やってさ。
例えば当然自分の欲望だけに従っているとずっと病気になるだろうなとか、
もしかしたら嫌われるかもしれない人に、例えば自分のことばっか都合をやってたら、
そういうことは想像できるじゃないですか。それは道徳に従うんじゃなくて、
自分の行いの結果を自分で引き受けるってことなんだよね。
わー面白いね。
そこで初めてヨシア氏が出てくるんだよ。
人に嫌われたくないから自分の欲望を抑えようが、外の道徳に従ってるんだけど、
自分の欲望に従った結果、なんか人から嫌われてるな俺ってなったときに、
あれ本当にこのままでいいんだっけって思う瞬間があったとしたら、そこにちゃんと問いが出てくるんだよね。
なので一瞬一瞬が選択だし、一回決めたことをある意味死ぬまでやり続けなきゃいけないというわけでもなくて、
逆に言うと、今この瞬間にあなたは何をイエスと言うんですかっていう問いが常に向き合わなきゃいけないみたいな、
そういう感じなんだよね。
なるほど、すごい話だな。だから、そっかそっか、一回君の人生直線で終了だったら、
確かに楽しんだもん勝ちというかね。
そうそうそう、やったもん勝ちみたいなね。
うんうんうん、感じになりそうなんだけれども、
それはやっぱり無限回繰り返すことどうですかっていう概念が入ることで、
48:03
やっぱり入ったのがさっき言ってた責任とか、
あとその外からの道徳じゃなくて、
その自分の中の道徳だったりとか判断基準だよね。
自分の判断基準がそれ本当?っていうところの確認になってるよね。
そうそうそう。
さっきの周りの人みんな殺してしまいたいとかいう人がいたとして、
じゃあその人が15歳で、
じゃあ15歳からそれやります。
やり始めたら2ヶ月で殺されました。だからもう15歳と2ヶ月の人生。
だったとして、
だしそうなることは多分想定できるよね。
基本遂行されちゃうだろうな、みたいなね。
で、それを、その15歳2ヶ月の人生を、
よしと、俺がやり切ったぞって本当に思えるならどうぞっていう話で。
そうね。
そう、ニーチェの世界観とそうとしか言えないって感じだね。
うんうんうん。
だからやっぱり危険は危険なんだよ。
まあまあそうだね。
本当に無限回繰り返したいですかって時に、
本当の本当の心の底からオッケーですってその状態になるってことは、
だいぶないはずだから。
そうね。ほとんど99.9%はないと思うね。
っていう意味での、
自分の道徳観だよね。誰かのじゃなくて。
そこは判断基準っていうものが、そこでちゃんと担保されてる感が面白いなと思うね、確かに。
そうそうそう。なので前回言ったね、その成長とか自分を乗り越えるとか、
自分なりの価値を作るっていうのの前提にあるのがこの永劫回帰って話で、
要はその自分の人生を丸ごと引き受けるっていう前提がないと、
当然責任なんて持てないし、基地なんて作りたいとも思わないわけですよ。
別に末人としてなんとなく生きてなんとなく死んで、はいこの人生楽しかったねおしまいで別に何も悪くないじゃないですか。
でもそれをある種目覚めさせるというか、そうじゃないでしょっていうことも含めて、
この遠間的な時間っていうものをちゃんと作って、
そこに究極のニヒリズムとしての何の価値もない、本当に無意味な時間が永遠に繰り返されるっていう発想をした上で、
それを乗り越えるというか、その世界の中で意味がある人生とはと考えたときに、
この超人っていうコンセプトが出てきたっていう風な、そういう流れなんだよね。
面白い。ニーチェはこの超人を人類全員が成るべきと思ってるのかな?
51:11
それとも無理だと思ってるのか?
でもね、おそらくニーチェは、それともドイツ人はみんなそうなってほしいと思っていたと思ってて。
なるべきとはなってほしいし、なれるはず。
なるべき。ニーチェ自身はそういう発想で生きていたと思う。
はいはい。これは面白いけどさ、ニーチェって確か、最後結構あれじゃなかったっけ。
最後は発狂して、精神を病んで亡くなってるね。
そういうとこは魅力が深まるというか、面白いって言うと失礼だけど。
第1回か何のときに、ニーチェってニヒリズムの人でしょ?みたいなときに、
ニーチェの虚無主義っていうことを紐づけちゃうよねってあったと思うんだけど、
僕はそこに対してニーチェって言ったら、すごい熱い男で、すごい刺激的なんだみたいな話をしたと思うんだけど、
それがまさにここなんだよね。
ただ言ってるだけじゃなくて、自分もまさに体から生きるっていうときにそれを体現しようとしたし実現しようとしたんだけど、
彼が打ち立てた前回の話のところの、みんなはシムシムな世界で生きてるのに、そこに一生懸命マインクラフトをやろうとした結果、
どう考えてもバグ扱いじゃん、そんなの。シムシムな世界からしたら。
っていう中で、でも俺はマインクラフトをやるんだって生きることの難しさだよね。
これ、ちょっと話があちこち飛ぶかもしれないんだけどさ、
仮にニーチェがこの超人、自分で考えた超人っていう人生を歩み切ったとしたら、
発狂して死ぬのがちゃんと歩み切ってないかっていうとあらゆるけども、歩み切ってないように見えるじゃん。
大丈夫ってなるでしょ。それをちゃんと歩み切って、
だとしたらこれ宗教になってない?もしかして。
仏教みたいな。
おもしろいね。宗教っていう意味だと、よく言うサラテストラ、各家たれきのサラテストラっていうのはゾロアスターっていう、
ゾロアスター教の教祖というか、そういうふうな人をモチーフにはしているよねと。
54:00
やっぱりそういう宗教的な趣があるっていうのは多分そうなんだよね。
宗教と仏教の違い何かって言っても難しいんだけれども、
やっぱりニーチェの世界観はここまで言ってたんだけれども、やっぱり信じなきゃいけない前提がめちゃめちゃ多いじゃないですか。
ああ、そうなんだよ。そこはそうなんだ。
やっぱりさっき言った時間を円にすると永遠に無限に繰り返すみたいな話もさ、
僕はめちゃめちゃ熱弁して、そうなんでしょ、当たり前でしょ、何言ってんの、ぐらいに言ったけれども、
冷静に考えたらそんなはず、それも見てないでしょって言えちゃうじゃない。
そうだね。
もっと言うと、魂がどうなるかっていうときに、同じ人間としてもう一回始まるっていう規定もめちゃめちゃ強いんだよね。
それって無理筋なんだよね、基本的には。
今日の話を言うと一回で終わりの可能性も全然あるしね。
あるあるある。
なんで人間、他の動物もそうかもしれないけれども、
なんで生命が無限に繰り返すということを前提できるのかっていうのは当然当たり前ではないよね。
そういう世界観を信じるならばっていうのは結構あちこちにあると思うんだよね。
そういう意味では確かに宗教になっていたんじゃないかとか、
ニーチェ教みたいなものになって教祖になってたとしてもおかしくないぐらいのパワーとカリスマ性みたいなものはあったと思う。
宗教っていきなり言っちゃうとちょっと違うかなって確かに思って、
ブッダに近いかな。
やりきった人、本人は多分ブッダって宗教作ろうって思ってたのかなみたいな話で。
なるほどね。
弟子が集まっちゃって勝手に仏教にしたでしょ。
仏教は一応宗教だけれども、一応原理的には仏教哲学みたいな話もあるよね、初期仏教なんか特に。
そうだねそうだね。
話をしてたような気がするから、ニーチェが別に宗教作ろうじゃなくて、自分の哲学を体現した結果、めちゃくちゃもう、
弟子とか、やばいっていう雰囲気ができちゃって、その弟子たちが勝手に作っちゃうみたいな挙動が。
そういうことね。本人が痛くてじゃなくて、ニーチェのことをあがめ立て祀った人たちが、そういうことをしてるんじゃないかみたいな。
そう、あの超人だね、みたいな。
57:03
もしさ、ブッダがさ、自分が考えた苦行の途中でさ、水飲まないとかの途中で死んじゃったらさ、
分かんないじゃん。周りからしたらさ、分かんないじゃん。
だからニーチェも多分それと同じことが起こってて、発狂して死んじゃってるから周りからするとちょっと分かんないなって感じで、
これがっつり言って普通に超人として生き抜いたとしたら、似たようなことが起こったんじゃないかなって。
あれかもね。ニーチェ自身は絶対に宗教は作らないだろうし、
まずは外部に価値とかを求めることだから、多分絶対にやらないんだけれども、
その周囲の人が、「いやいや、むしろそのニーチェこそがすごい!」みたいな矛盾を乗り越えて作るっていう可能性はゼロではないよね、確かにね。
そこをちゃんと憧れない、憧れるのをやめましょうって言いながら、ニーチェの弟子、第一世代がめちゃくちゃ、
信仰とはちょっと違った、ちゃんと哲学をもう一回作り直して、憧れない、未来志向じゃないみたいな話をちゃんとしながら、
それを得得するにはどうして、どうやって生きていくのだ、みたいな。できそうだなと思った。
あるかもね。そのぐらいパワーというか、新しい世界観をまさに作る。
さっきの話を言うと、シムシティの世界に対してマインクラフトの世界を作って、
こっちの世界でも楽しいじゃないかとか、こっちの世界で生きていきたいっていう人を引き付けるぐらいの魅力っていうのはめちゃめちゃある。
そういうふうな思想じゃないかなとは思うんだよね。
はい。ちょっとそんな感じで、今回は英語回帰と当人化を話してきて、今回のニーチェ回は終わりですという感じですね。
はいはいはい。ごめん最後ね、感想というか勝手な妄想を展開したわけになっちゃったんだけど。
いいと思う。次回はまた話したいなとは思うけれども、やっぱりそういうニーチェを今僕もこうやって話すと、
それなりに出てくるんだよね。話しながらね。
途中でもニーチェは怖いから少しバランスするようにしてるとかって言ったとこもあると思うんだけど、
そのぐらい勢いが良くも悪くもあって、
良い面ではやっぱり既存の価値観とか世界観を打ち壊すといけないと思うけど、
悪く言うとロジック等じゃないけど引っ込まれちゃうみたいな感覚もあるから、
1:00:08
これは劇薬、ダイナマイトって本当そうで、やっぱり取扱い注意だなとは思うんですよね。
最後に名誉のために、自分の名誉のために言っておくんだけど。
自分のね。
僕未来婦っていう会社にいて、未来婦は未来プラスifなんだよね。
ほうほうほう。
未来っていうものを描くことで現在も良くなって、より良い未来に行けるっていう、そういう発想の会社にいるんですよ。
はいはいはいはい。
平板で言うとそれって矢印状の時間じゃないかと。
未来っていうものを立ててるからね。
うん。
観音さん、ハヤトさんとかどうなんですかって思う人がいたらと思って話すんだけど、
うん。
今僕が思っているのは、少なくとも僕ら生きているこの生存のレイヤー、
実生活のレイヤーにおいては、全然矢印状の時間で生きてていいでしょうって思ってるのよ。
つまり、未来にちゃんと目標とか目的を持ってそこに対して頑張るとか、
ちょっと今は物足りないかもしれないけれども、むしろそれが理解になって、
もうちょっと頑張って、同じこと言ってるけど、成長しようとか、
よりできるようになろうとかっていうふうなことがポジティブだと思ってるから、
それはいいねって思ってますと。
はいはいはい。
でも、いわゆる実存的なというか、どう生きるかっていう話があった瞬間に、
もう本当にじゃあ未来に価値があるのかとか、
そもそも自分の価値とは何かとかっていう話をすると、
じゃあ未来っていうものだけじゃなくて、
じゃあ過去も見ましょうとか現在も見ましょうとか、
そもそも時間取れ方は見ましょうっていう話は出てくるから、
これは違うレイヤーの話だっていうふうに思ってますと。
ほうほうほうほう。
はい。っていうのをちょっと補足としてお伝えしようかなと思ってますね。
なるほどね。
はいはいはい。
そう、矛盾してると思われちゃっても嫌だからさ。
矛盾、まあそうだね、確かに。
この委員長世界観でいくと、他の今の全部の価値観はもうアウトになっちゃうから、
難しいところではあるもんね。
それは確かにね。
そうそう。
あるもんね。
でもさっきはね、やっぱ、なんだろう、
そのバランスかなでもね、確かにその目標、
未来はダメだなのかいうと、
その見据えてる未来が、やっぱりその、
たぶんこう認知的な話で言うと、
たぶんその、なんだろうな、無三地万的だったりとか、
はいはい。
その本当に自分の価値観で作った目標って存在しますかね、みたいな。
はいはい、そうだね。
話になってくると思うから、そこだけね、気をつけ、そこだけというか、
1:03:04
バランス的に話で言うと、そこを気をつければいいのかな、
みたいなのが個人的な感覚だね。
まあそうだね。
あともっと前提で言うと、
今の存在している世の中の価値を全否定する必要は、
普段生きてる限りではないから。
そうね。
だからニーチェ発表したんだよって。
まあそれもあると思う。
これ怒られるかな、これ。
でもそういう人はいるよ。
いや、でもそう、あの、何だろうね、
多分、多分というか、
ニーチェほどじゃないんすよ。
自分で価値をつけ続けてる人ってやっぱり世の中には一定数いて、
そうだよね。
辛そうだもん。
辛そうって言うとあれだけど、大変そうだもんね。
まあそれは大変だよね。
だってね、スチームシステムの中でマイクラやって自分のキー作ろうとしてるんだから、
それは大変だよね。
うん、そうそうそう。
他の人はコマンド1個でビルとかボーンって建つのにさ、
1ブロックずつ置いていくみたいな、それは無理だよね。
そうそう、変えるのが意味もないみたいなさ。
そうそうそうそう。
どうやってその人とコミュニケーション取るんですか、みたいな。
でもほんとそんなレベルじゃない?
自分で本当の意味で価値を作ろうとしたら。
そうそうそう。
だからある意味、極端な話だけれども、
そこを知ることで自分の取るべきバランスも見えてくるかなみたいな感じかな、
実生活で考えるとするとね。
現実に落とすとしたらそうって感じかな。
うんうんうん。
いやあそうやー。
1回ね、62回から67回あたりか、
あのあたりで聞いてるはずだけれども、やっぱ違うね、やっぱりね。
そうだね。
第1回でもね、兄ヒカルさん、ニューチャーもう1本やって、
なんか新しいことあるんですか?とか囲まれたけども。
やっぱりね、その時も言ったけどやっぱり、
ヒカリの当て方とかやっぱり語り方とか、
それこそ参照できるよね、ヘーゲルがとかさ、
ハワガとかっていうものがあった時に浮かび上がってくるニューチャーって、
やっぱ全然違う意味合いだったんじゃないかなって、
僕自身も思っているし。
僕としてもニューチャーを何だろうな、
なんと言ったら凄いおこがましいけれども、
何がしかストーリーを思って伝えたんじゃないかなって思うので、
なんかすごい今回楽しかったですね。
はいはいはい。
次回の雑談を挟むんですけれども、
ちょっと20世紀、1900年代に行く前に、
もうちょっと1800年代やろうかなと思って、
一応ね、
2人で1つのテーマにするか分けようかまだ悩んでるんだけれども、
やっぱマルクスとジョン・スチュアート・ミル。
ほうほうほうほう。
この2人って、マルクスはいわゆる共産主義だし、
ミルってやっぱ効率主義で、
1:06:00
ベンサムがね、最大多数の最大幸福とかって、
トータルの幸福を最大化するのが大事だとかって、
その時に受け継いだ人だというのもするんだけれども、
そういったものを扱っていくことで、
ちょっとニーチャーはね、大分こう、
世の中の価値を破壊し尽くしたんですけれども、
もうちょっと厳密に即した形で、
やっぱり我々はどう考えるべきなのかとか、
そのヘーゲルから受け継いだものをどう生かすべきなのか、
とかっていうことをやったのが、やっぱりマルクスだったりとか。
でもね、ちょっとヘーゲルとミルの繋がりは、
まだちょっと僕もちゃんとわかってないんだけれども、
この1800年代という時代に、
そういった考え方をした人だったりするので、
こういったものを土台にして、
1900年代の哲学者に行こうかなというふうに思っておりましたって感じなんだよね。
はいはい。面白そうね。
その辺りはむしろ経済学とかね、そっちでも名前聞くようなイメージだから。
そうそうそうそう。
どう哲学の方で出てくるんだみたいな、むしろね。
そうね。もともとミルは経済相骨とか政治哲学者だったりも、
そしてマルクスはバリバリのヘーゲルをめちゃめちゃ勉強した人なので。
あーそうなんだ。
そうそうそう。
そういうところも意外と知らなかったりとか、
あと最近、もうちょっとで締めるけれども、
AIが出ててさ、果たして自分が作ったのか、AIが作ったのかみたいな、
自分の生産したものからの疎外みたいな話って、
実はマルクスが言ってることなんだよね、これもともと。
へー、はいはいはいはい。
そうそうそう。自分の仕事っていうものから疎外されてしまって、
結局働く意義とか価値っていうものが自分のものじゃなくなったみたいな話って、
それ原理はマルクスなんですよ、やっぱり。
あーなるほど。それからAIの創作部分で起きてるよねみたいな。
そうそうそうそう。
そういうときに、やっぱりこのマルクスみたいなものをちゃんと共産主義だとか、
そういうことじゃなくて捉えるのって改めて大事だなと思って。
なるほどなるほど。ぜひぜひ。ちゃんとやってほしいわー。
いつも通りどこまでできるかわかんないけれども、やってみたいと思ってますっていう感じ。
ちょっとね、2人でガッチャンコして5回ぐらいになるのかちょっとまだわかんないんですけど。
お待たせください。ぜひお待ててお待てて。
ほんと?なるほどね、オッケーオッケー。
ちょっとね、マルクスは、なんとなくね、コテンラジオとかさ、やってたりとか、
1:09:00
なんとなくいろんなところで見はするんだけど、
たぶんマルクスちゃんと知ることが、やっぱり割と今の生き方的なところにも、
結構面白い観点を与えてくれるんじゃないか。さっきの労働の概念とかさ。
あーそうだねそうだね。
だからふわーっとなんとなくイメージが、ふわーっとだけあるんだけど、
そこを哲学者としてあるならぜひそのあたりを聞いてみたいなと、
個人的な興味から思ってしまった。
はいはいはい。ありがとうございます。
そういう意味ではマルクスは、哲学の観点で語るって確かにあんまないのかなと思ったりするので、
僕も勉強中とかではあるんですけども、
次回お届けを勢いにまた台本を頑張って作っていこうと思うので、
ぜひお楽しみにと思っております。
というところで、今回で日程編最後でございました。
はいわかりました。
じゃあ次回ですね、雑談を挟みつつ、
マルクスかジョン・シュワート・ミルを見ていくというところで楽しんでいきたいと思います。
では引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。