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はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、今回も空海ということで、前回まで促進成仏は何かと、空海の密教の一番重要な核となるコンセプトみたいなものを見てきたんですけれども、今回はもうちょっとその修行って何なのとか、中身について見ていくみたいな話でした。
そうですね、ちょっと広く浅くになっちゃうんですけれども、空海とか密教のキーワードについていろいろと触れていきたいなというふうに思っております。
密教のキーワード
例えばさ、これまでの話で密教って秘密仏教だよみたいな話はちょっと触れたと思うんですけど、秘密って何よみたいな、何が秘密なのよみたいな話って全然してなかったと思うんですよね。
まあそうだね、秘密ってさ、だってなんかほら、兼業と密教みたいなさ、ただその対義語みたいな感じで、別に秘密って意味じゃないよみたいな雰囲気でむしろ理解しちゃってたんだけど、そういうわけでもないのか。
いや、でも今の兄貴の理解でその通り。要は秘密だよってさ、僕らが今普通に言うと、誰にも言わないでねとか隠しておいてねっていう感じじゃないですか。
なんとなく僕もっていうか、僕はあれなんですよ、密教って言うと、なんとなく来ても奥深くのところで、一般人立ち入り禁止のところで何やかんやって言って、すごい修行が行われてるみたいな、そういうイメージを勝手に持ってやってたんですよね。
それこそ密室みたいなね。
そうそうそう、密室。
そういうとこで行われる。
教えみたいな。
なんかね、そんな感じで思ってたんですけど、やっぱりちゃんと紐解いていくと、秘密っていう言葉にもいろんな意味というか、理由が絡みついてるなっていうのはあったので、その辺からまずお話したいなと思ってましたと。
今兄貴が言ってくれた通り、空海が言った密教に対して、兼業っていうのがそれまでの小城仏教とか大城仏教っていうのを、いわゆる言葉で説明できるような、ある意味ちょっと分かりやすい仏教だみたいな風に言ったのは空海の側、密教の側なんだよね。
実際ですね、空海自身が弁論とか弁律の弁に、兼業と密教、弁・兼密・二教論っていう本を書いていて。
いろいろ書いてるな。
いろいろ書いてるな。結局はやっぱり兼業と密教と比較して、密教の方が素敵なんだぜっていうようなこともちゃんと本にして書いてるんだよね。
あー苦手いね。前まで言ってた、促進成仏の本も書いてたよね。
促進成仏義っていう本を書いてる。
それって、弟子が残したとかじゃなくて、こういうのは本人が残してるのも結構あるのかな、空海に関しては。
一応、もちろん後から書き下されてるんじゃないかとか、どれが本当かとかってあるんだけど、一応空海自身が書いたものだっていう風には言われてるんだよね。
へー、そうなんだね。
やっぱりそういうのもちゃんと教えとして書いてるからこそ残ってるみたいな話もあるんだけど、
その弁・賢密・密法論っていう本の中に、いわゆる秘密にしばらく二義あり、2つの意味があるぞっていう話をしてて、
これをちょっとこの後お話ししていきたいんですけど、
その2つが何があるかっていうと、
衆生秘密っていうのと如来秘密っていうのがあるよって書いてるんだよね。
衆生っていうのはいわゆる一般大衆で、如来っていうのは仏様なので、
一般の人向けの秘密っていう意味と、如来の意味での秘密っていう意味の2つがあるよっていうことを書いてるんだけど、
最初のその衆生、一般の人々っていうのは、前回それこそ促進成仏でお伝えした通り、
自分とか人間ってもともと仏だよって話をしたじゃないですか。
仏になるんじゃなくて、もともと仏なんだからそこに戻るんだみたいな。
話が結構ドラスティックな空海密教のコンセプトですよみたいな話をしたと思うんだけど。
その促進成仏の意味ね。すぐなれるよとかじゃなくて、もうなってるよっていうね。
そうそうそうそう。もともと仏なんだよっていう。
ただやっぱり普通の人々はそれを知らずに生きている。
だから自分が仏だと気づくことができない。
つまり仏とか悟りに至る道っていうのは実はそこかしこにオープンにあるんだけど、
なんかすごい修行というか何千年も、何回も人生やり直さなきゃいけないとか、
大抵自分は仏なんかなれないみたいに思っちゃってるっていう。
ある種目隠しされちゃってるよねみたいな。
そういう意味で仏の教えってのが隠されている。
目を自分で隠しちゃってるよっていうのがこの修行秘密っていう意味での秘密だっていうことを言ってるんだよね。
なるほど。だからその修行慈悲って自分で秘密にするみたいな。
そういうとこなんだ。
自ら、自分でみたいな意味があるんだね。
そうです。慈悲っていうのは自らとか自分の自に秘密の密なんだけど。
秘密の意味と秘密仏教の二義
自分で隠しちゃってるよみたいな意味だね。
もう一つの如来秘密っていうのが、実はこれちょっと調べたら調べただけ色んな解釈があって、
あんまりこれだっていうのがなかったんですけど、
実際空海の本の中に書いているのを読んでもあんまりよくわからんっていう感じだったんですけど、
一般的には仏の説く言葉っていうのは人間にはわからんっていう意味で隠されているとか、
仏様の方が聞いてわかるのかこいつみたいな、受け取り側の力量を見ちゃうみたいな。
誰でもこの人が理解できないだろうっていう人には秘密にして、要は教えないっていう意味での秘密だみたいな。
っていう風に言われてるんですよね。
空海はどんな感じで言ってるとかってあるの?
ある。あるんだけど本当にわかんなくて。
ちょっと読むんですけど、2分、3分くらいの読むんですけど、
王家の説法は、木にとどまって薬を施す。
源は虚ろからざるがゆえに。
ゆえに他樹陽神は内緒を非してその境を解きなわず。
すなわち当覚もきいし、従事も絶理せり。
これを如来秘密と説く。秘密と謎。
って書いてるんだよね。
ちょっとわかんない言葉が多すぎるね。
当覚とか従事っていうのが確か仏の修行の段階だから、
そういう人たちのことを指して言ってるんだろうなみたいなのもあるんですよ。
薬を施すっていうのは要は相手の症状に対して言うんだと。
だからさっき言った通り要は相手がこのぐらいのレベルだったらこの薬、
要は風邪の人には風邪の薬を出し、風邪の人には別の薬を出しみたいな感じで、
仏の秘密を説くんだみたいに言われてるところもあるんですけど、
本当にそうなのっていうのを全然自分が判断できないんだよね。
なるほどだし、だから解説本みたいな解釈本みたいなやつでも、
なかなか一致してこないんだね。
10人いれば10人の薬が出てきちゃうというか。
そうですね。
それが一応本とか解釈するとどういう意味になるんだっけか。
何だっけ、この如来秘密か。
如来秘密っていうのは、さっき言った薬を施すみたいな意味で言うと、
受け取る人の力量を見て、伝えても分からない人には秘密にするんだとか、
仏の説く言葉っていうのはそもそも人間の言葉と違うから、
秘密のものを分からないものなんだみたいな感じ。
絶対違うよね。絶対言い表しきれてないよね。
そうなのよ。だしそうなっちゃったら、隠さずに人間に分かるように教えてよってならない?
ちゃんと教えてくれる兼業の方が良くない?みたいな。
ちょっと満足できなかったんで、僕いろいろ調べてみたんですよ、論文とか。
そしたらやっぱり書いてる人がいて、秘密って実は隠すっていう意味じゃないんだよみたいな、
語源に遡った時にっていうような話があったのね。
どういうことかっていうと、さっき言った通り、現代だと秘密にしといてねって言うと、
誰にも言わずに隠しておいてねみたいな感じだと思うんですけど、
もともとの意味は、簡単には人に示すことができないとか、奥深くて測り知れないっていう意味があるんだって、
この秘とか密っていう文字に。
はあ、そうなんだ。
その意味でとると、秘密仏教っていわゆるこれまで説かれてきたどんな仏教よりも、
奥深いし測り知れない第二次世代そのものが説いた教えなんだよみたいな。
その意味で秘密っていうのは隠すとかじゃなくて、奥深いんだみたいな。
そうすると、剣っていうよりも現れてるっていうのは、
世の中に現れちゃってるものだからある意味ちょっと浅いよねとか、
そういうような対比っていうのも分かりやすいかなっていうふうに思ったんだよね。
ああ、なるほど。そういうふうに理解していいのだとすればなんとなくそうだね。
うん、その違いっていうのが単純に見えるものと見えないものじゃなくて、
ちょっと浅いものともっと本質をついたようなものみたいな。
ちょっとそこは比較して、価値の上下みたいなのはあるけれども、
実際多分、密教側からするとこっちの方がより仏教的なんだ、
良い仏教なんだみたいな感覚はあるだろうから。
そこも間違いではないんだね。
間違いないし、むしろプロモーション的にはやっぱりこれ密教が一番ですよみたいな話もあるから。
そうなるとね、その論文に書いて面白かったのが、
じゃあなんでこんなことを言ったのかみたいな、さっきみたいな薬が産んのみたいな話をしたのかっていうのが、
さっきね、この秘密に二つの意味があるよっていうふうに言ったと思うんですけど、
これがいわゆる秘密にしばらく二義ありっていう言葉なんだよね。
で、しばらくってなんだみたいなことを深掘ってて、その論文の中で。
しばらくっていうのがどうやら、辞書とかに引くと、
世間的にはみたいな、一般的に言ってみたいな意味があるぞっていうふうな話があって。
え、一般論の話してんのこれ?
そうそうそうそう。
まだ?
まだ。まだ一般論の話で、別に、
ルーカイがこういう思ってるんじゃなくて、一般的に二つの意味があるって言われてるんだぜみたいな説明だとすると、
本当は奥深いっていう意味なんだけど、
なんかみんなはこういうふうに捉えてるよ、別にな。
っていう説明の話なんだっていうふうな解釈をしているものがあって、
いや、それはすごいな、大変だなって思ったんだよね。
大変っていうのは?
いわばしばらくって言葉にもちゃんと意味があるというか、
意味を読み取って、ちゃんと空海が何を言おうとしたかを解釈するっていう。
まあね、だししばらくってそうだよね、
ちょっとあんまり使い慣れてないからね、
そのまま理解していいのかっていうのは確か悩む言葉ではあるけどね、
パッと出てきて、こういう人がね、空海みたいな人が言った時に。
でも確かに言われてるよりは、秘密ににぎありじゃなくて、
秘密にしばらくにぎありって、なんでここにしばらくって書いてんの?みたいな。
それは、ちゃんとした学者さんでもあんまり見落としがちだみたいな話があって。
しばらくってさ、現代風に解釈するとさ、
しばらくしたら一時に戻りそうみたいな。
時間の単位みたいに。
そうだよね、一時的にみたいなね。
だからさらっと言っちゃうんだけど、そうじゃなかろうみたいなね。
空海の密教の教え
一般的に言わんと。
おそらく自分のしっくりきた理解で言うと、
仏様が隠してるとか、人間っていうのは仏のことがわからない、
盲目な存在だとかじゃなくて、
どっちかっていうと、奥深い教えなんだよみたいな。
自分が理解としては、すごいしっくりくるなと思ってました。
実際これまた別の本があって、空海が書いたとされてる本で、
秘密なんだら重々心論っていう本があるんですよ。
ここにも秘密っていうのが書いてあるんだけど、
ここでね、重々心っていうのが、これも空海のキーワードなので後で言うんですけど、
10個の段階、ステップがあって、
10個のステップに従って心が発達していきますと。
その1つ1つの段階を仏教のこれは何々宗とか、
これは優意識とかっていう風に当てはめていて、
最後の10段階目、最高段階が密教だみたいな話を書いてるんだよね。
じゃあ明らかに勝ちよ。
明らかに、密教すげーぞって言ってるわけよ。
しかもそれがあれか、悟りの段階とかじゃなくて、
その段階があったとして、
例えば大乗仏教の何とか宗だったらここまでいけるよ、
5段階までいけるよみたいな、ランク付けしちゃってるの?
まだいけるというよりは、人間の心っていうのは1から10まであるんだけど、
それの例えば6段階目が大乗仏教のこれですみたいな、
そういう感じで言ってるんだよね。
そこでは密教に至る心を秘密諸言心っていう風な、
これ秘密は普通の秘密ね。
諸言は、宗は壮大とか草寒無理のやつで、
言は厳しいとか厳そかなので、
要は奥深くてすごく厳そかな心みたいな意味合いなんだけど、
これが密教のオロだみたいな風に割り当ててるんだよね。
なので、秘密っていう言葉は結局隠れてるとか、
一般人から離れてセコセコ、セコセコではないけど、
こっそりやってるとかって意味じゃなくて、
やっぱり苦深いとか、なかなか普通は計り知れないみたいな、
そういう意味合いなんじゃなかろうかみたいなことを、
今回改めて知りましたよ。
なるほど、なんか面白いね。
仏教十線みたいな感じがするね。
そうそうそうそう。
よくあるね、ランキング消えすぎでみたいな。
なんかね、十字枕の話もぜひやりたいなと思って持ってきてるんですけど、
この秘密マンダラ十字枕論っていう本があるんですけど、
これなんで書いたかっていう話も伝わってて、
心の10段階
天皇さんに密教のこと教えてくれよみたいに言われたんだって、
分かりましたって本書いて謙譲したらしいんだけど、
なんか全10巻もあるんだってこれ。
一つの心で1巻使ってるのか分かんないけど、
あまりにも長すぎたんで、
今で句内調みたいなところから、
もうちょい分かりやすくしてよさすがにみたいな。
さすがにこの十冊天皇に持ってくわけにはいかないんで。
分かんないしみたいな。
ですので、分かりましたって言って、
ちょっと短くしてできたのが秘蔵法訳っていう、
またそれは別の本があるんだよね。
なので、すごい長い十字枕十字枕論っていうのと、
それを自分でちょっと要約して書いた秘蔵法訳っていう本があって、
こっちの方は分かりやすいって言って、
今でも空海を学ぶんだったらこれが分かりやすいよね。
まずはここからみたいな。
と言われてる本なんですけど、
それでも今の文庫とか、
本にすると三冊分くらいの本なんですよ。
長いし、やっぱり偉い人って敵なこと言っちゃダメだよね。
天皇の話?
天皇が有能な空海に見っけ教えてよみたいな話したら、
十冊書いてくれたでしょ。
多分一年くらいかかってるのかな。
でも空海くらいの人からすると、
意外とささっとやっちゃうのかな、
三ヶ月くらいでね。
確かにどのくらいかかったか分かるけど、
まあいろんな仕事しながらだろうからね。
そうそうですね。
それで十冊書き、
まあ一冊あたりの文量が分からないからさ、
敵なことは言えないんだけれども、
それを持ってったら今度は要約してよみたいなさ。
そんだけ報酬もらってるんだろうけどね。
報酬というか見返りはね。
ないでしょ。
だって天皇から言われたらむしろ喜んでやるでしょ、
多分と思うから。
逆にね、そうやって言われて、
それを作って渡すことが報酬みたいなね。
紅白疑わせに出るんじゃないけどね。
最高段階の神言密教
ギャラがあまり多くないけど。
まあ権威ってことでね。
出たら出るみたいなね。
注射側がちゃんとしなきゃダメですよって話だと思うんだけど。
なのでこういう重々心っていうような、
それもひとつのコンセプトとかキーワードが書かれてるんですけど、
めちゃめちゃ分かりやすく言うと、
さっき言った通りで、
いわゆる梵風なので、
僕ら一般の人間ではね、
心が成長していって、
最高の段階と言われる密教の境地に至るまでに、
10個のステップがあるよっていう話なんだよね。
これはさっき兄貴も感じた通りなんだけど、
やっぱり密教が優れてるってことを、
天皇に言いたいわけよ。
そうじゃないと、
なんで密教のお寺建てるの?とか、
何がすごいの?みたいになっちゃうわけじゃない。
もっと別のお坊さんというか、
宗派の有能な人が出てきたときに、
そっちに天皇が仲良くなっちゃうと困るっていうのもありそうだもんね。
やっぱりプレゼンテーション、
プレゼンなんだよね、これは。
っていうのを示すために、
他の仏教とか、
学生のもちろんなんだけど、
それだけじゃなくて、
人の心が成長すれば、
自然と密教に至るんですよ、みたいな。
これって仏教の話じゃなくて、
人間の話なんですよ、みたいな感じなんだよね。
いやー恐ろしいなー。
科学的っぽいよね。
これは遺伝レベルの話なんですよ。
人間の脳科学レベルの話で、
そういう習性なんですよっていう話を、
しちゃってるんだね、密教もね。
そういう風な。
心理学とかちょっとね、
人間の進化論じゃないけれども、
そういうもんなんですよ、みたいな。
やっぱり他の仏教とか宗教からしたら、
たまったもんじゃないと思うんだけど、
やっぱりそれをやるためには、
当然仏教全体の理解もそうだし、
人間というものの理解もそうだし、
やっぱりそれをちゃんとインプットして、
アウトプットできるみたいな、
やっぱりそれがトータルであるっていうのが、
空間のすごいところだなっていう風には思うんですよね。
そうだよね。
実際ね、相手がどう思ったとしてもさ、
ずるいよとかって思ったとしても、
やっぱりそれに対抗できるぐらいのものを、
じゃあね、成績でとかね、
本とかで残せるんですかってなると、
多分相当むずいんだろうね、当時。
そうなんだよね。
ましてやね、国のトップ天皇に対して、
やっぱりそれを納得させるみたいな話だから、
それはすごい本だなと改めて思うんですけど、
実際にどんなことが書かれてるかっていう、
ちょっと僕ももちろん全部読めてるわけじゃないんだけど、
インターホンで抜粋したものを、
なんとなくお伝えしてっていうぐらいではあるんですけど、
それの段階、いわゆる一般民衆の心っていうのが、
異性定様心って言われてるよね。
これちょっと漢字は難しいんじゃないかと思うんですけど、
異性がいわゆる文夫、一般人で、
定様がいわゆるお羊、おひつじ、
オスの羊ですと。
はいはい、丁寧語じゃなくて、
羊を丁寧に言ったわけじゃなくて。
うん、オスの羊。
はいはいはい。
別に天皇に捧げるから丁寧とか。
オスの羊ですと。
はいはいはい。
いわゆる動物みたいに食事とか快楽とか、
食べたい寝たいとかね、そういうものしか考えない。
本能的なやり方っていうのが、
いわゆる一般民衆第一ステップだよ、みたいな。
みんなそこから始まるよ、みたいに書いてるんです。
これは世の中のために立とうとか、
自分をもうちょっと磨いていこう、
社会に役立つ人間になろうとかっていうのが第二段階で、
そうなるとこれは儒教の立場だっていう風に言うんだよね。
へー、儒教が出てくるんだね。
そうそうそう。仏教だけじゃなくて儒教とかもできて、
儒教はあんまりちゃんとやってないんであれなんですけど、
いわゆる孔子、中国孔子が始めた立場で、
司会秩序を保つとか、
親前とかさ、礼を大事にしろとかってあると思うんだけど、
そういうのはこの第二段階なんだけど、
ただただ仏教的な知見化すると全然浅くって、
結局厳正に捉えてるじゃないか、みたいな。
そういうことを言うんだよね。
とか宗教信が生じて、厳正じゃなくて大正の救いを得るとか、
要はこの自分の人生だけじゃなくて魂みたいな、
そういうところまで創造が至るっていうのが、
いわゆる宗教の話で、
その第三段階っていうのがバラモン教に相当します。
うーん、まだ仏教出てこない。
まだ仏教出てこない。
なので、まずは一般の頃があり、
儒教があり、バラモン教があり、みたいな感じなんだよね。
第四段階からが仏教なんだけど、
そう言われたら儒教とかバラモン教がたまったもんじゃない?
いやー、そうね。
仏教の中だけかと思ったら結構広い話をしてて、
これはでも空海の小魅力なのかな?
聖術というかさ、
仏教を押されてるわけじゃないんだね。
仏教はすごいんだぜって言いながら、
だから他の宗派の人たち、大正仏教の人たちも、
まあ悪意気は最悪しないというかさ、
ちょっと鼻を持たせてる感があるよね。
でもね、実はこの後の読むのはそうでもなくて、
やっぱり第四、第五段階が小正仏教なんだよね。
いわゆるアビダルマとか、
そういうのが来て、
第六から第九までが大正仏教の発想宗とか、
三郎宗、天台宗、華厳宗とか、
そういう風に結構厳密にね、
天台宗とかっていうのが定義、
定義というか割り当てられてるんですよ。
それぞれもいいとこあるけど、
でも足りないよねみたいなのがやっぱり言われてて、
最後に第十段階イコール密教だ。
これが神言宗なんだみたいな。
神言密教こそが第十段階秘密小言宗で、
トップなんだぜっていうのを、
神言宗の起源
最後にバーンとクライマックスで出すわけなんだよね。
神言宗っていうのは空海が作ったというか伝えたやつなのかな。
中国で学んできたのは大日教だったよね確かね。
空海が日本に持ってきて開いたのが神言宗だね。
たぶん中国で学んできた大日教をベースに、
自分なりに解釈して和訳したりして、
日本に広める際に大日教と言わずに、
空海が私が学んできたものを神言宗としてみんなに教えてあげるよっていう風に、
そこはブランディングしたんだね自分で。
大日教は教典なので、
そういう本というか、いわゆる聖書みたいなものなんだよね。
そこは違いもあれだね。
よくうまく分かれてない感じがした。
そこが違うんだ。
そうなんです。
聖書に基づくものがキリスト教だよって感じで、
大日教を根本教典とする仏教が神言宗みたいな。
たぶんその理解では間違ってないと思う。
厳密に言ったら違うって言われそうな気がするんだけど。
なるほど。
大日教を学んできたから大日教とは言うのはちょっとおかしいんだね。
そういう感じじゃないのか。
もちろんね、
基本教をもとにした家言宗とかあるから、
もちろんそういう分かりやすさもあると思うんだけど、
やっぱり空海は別に大日教の考えだけじゃなくて、
当然他の大乗仏教もだし、
優衣式のこともプリエイティブ意識みたいな感じがあるから、
やっぱり独立性とかも出そうとしたんじゃないかな。
密教の自由さと多様性
なるほど。
そうなると確かに大日教そのものとは言えないもんね。
そうだね。
なるほど。
空手とかでなんとか道場みたいなのがあるじゃん。
例えばなんとかっていうすごい人から学んだ人、
まあいいや、大山まっさつみたいな人から学んだ人が、
じゃあ大山空手って言うかみたいな話で、
例えばその達人みたいな空手の達人が、
実は柔道とか昔の柔術とか、
あとは剣道みたいないろんなのがあったときに、
そういうのを自分なりにアレンジしたけど、
でもこれはあくまで空手なんだけど、
師範から習ったものとは少し違う、
自分の色が入っちゃってるものを空手と言っていいのか、
空手の中のなんとか肌みたいな、
そういうイメージなのかな、雰囲気で。
そういう感じだと思う。
やっぱり自分が生み出したものっていう自負もあったんじゃないかな。
うんうんうん、なるほど。
そこはまるまるこの、
100%もらった器を100%移してくっていうよりは、
自分の色ちょっと混ぜてるから、
やっぱりそういうふうになんとか集みたいに言わないといけないんだね。
たぶんそれは上に筋通すっていう意味でもね。
そうだね、そういうのもあると思う。
はいはい、ありがとうございます。
ちょっとね、陽気なところかもしれないけど。
いや、でも大事だね。
やっぱりね、前に話したと思うんですけど、
中国に経過さんっていう人がいて、
その人から教えを受け継いで、
日本で広めてきなさいって言われたよって話があったと思うんですけど、
それも経過さんの教えをただやるんじゃなくて、
教祖というかね、いわゆる階層たるものを、
やっぱり自分なりの仏教とか、
やっぱり自分なりの教えっていうのをちゃんと広めていくみたいな、
そういうこともあったんだと思うんだよね。
そこは本当にいろんな人がいたんだろうね、確かに。
それをそのまま下に伝える人もいれば、
空海ぐらいの天才になっちゃうと、
オリジナリティを混ぜることができるし、
混ぜなきゃいけないって思っちゃう人は、
そうやって新しいものを開いていくってことになるんだね、そこは。
そういう意味ではね、結構仏教の発展しやすいというか、
第二次如来との関連性
ただ、仏陀が説いた教えを受け継ぐだけだったら、
こんな風には広がってないし、
こんだけ多様性は出てないだろうから、
そういう意味での自由さというか、
そういうところがやっぱり表れてるのかなと思うね、
この神言宗っていう言葉にも。
なんかね、やっぱり悟りに向かった営みっていうところで、
そういうちょっとした解釈とか、
そこそこ哲学とか、
技術体系みたいなものが違うっていう風になってくると、
そうやっていろんなものに広がっていくっていうのも、
理解できた気がするね。
そうそうそうそう。
でも面白いね、やっぱり、
そういう宗派というかね、
その名前ととってもこういう、
いろんな話ができて面白いなって今僕も思ったんだけど、
そんな感じで、
第十段階イコール神言密教だみたいな話をしたときに、
兄貴もさっき言ってくれた通りで、
一応仏教にはなんか配慮してくれてるのかなとか、
でもそんなことないよとかって話をしたと思うんですけど、
でも実はこういろいろ全体を通して話を見ると、
これまでも言ってきた通り、
全ては大日如来の働きなんだよね。
だから人間も、
動物、植物も、
みんな仏だよみたいな話をすると思うんですけど、
そうやってみればやっぱり、
密教以外のものは全部邪教だみたいな風には言ってないよね。
ああ、言ってないね。
言ってない言ってない。
なぜならだって全て大日如来なわけだから、
密教だけを取って他を捨てたら、
そうやって大日如来の働きを捨ててることになっちゃうじゃない。
ああ、なるほど。
つまり一般人の心にも、
仏教の心にも当然、
大日如来の働きっていうのは備わってるんだと。
なのでそういう立場からすると、
その10段階のうち、
密教ただ一つっていうのが、
らしいんだっていうことじゃなくて、
これね、言葉があって、
九堅十密って言葉があるんだけど、
要はその、
堅行は九つ。
要はその本部のものとかを含めて九つあるんだけど、
密教は全部を含むんだと。
対立してるんじゃなくて、
含んでるのだっていう。
そういう風に話すんだよね。
うわあ、ずるいね。
ずるいでしょ。
うわあ、
すごいね。
ここまで来て、
そっかそっか、さっきね、
価値の上下みたいな話をしていたんだけれども、
違うんだこれ。
そう、最後にね。
うわあ。
ステップ論だって言って、
階段を登ったと思いきや、
実はそれも全部10個含めて、
第二次世代の働きなんですよ、
密教なんですよっていう、
そういうね、
スケールの大きさで話してるから、
これをね、
懐が広いとるか、
好き勝手苦勝手この野郎を見てきてとるか、
まあ、
受け手のスタンスというかね、
立場次第だよね。
まあ、そうだね。
そこの思惑みたいものはどっちか本当に知らないけど、
やっぱその器の大きさなのか、
やっぱその創造力、
クリエイティビティというかさ、
広さ、
みたいなのはすごいね。
仏教に限らず、
十教とかバラモン教も含めて、
第二次世代の働きがあるんですよ、
という風に言っちゃってるんだもんね。
言っちゃってる。
いわゆる密教と言ってもいいのにそっちは。
密教じゃないんだね。
全部密教に、
薄くでも変わってるんだよね。
すごいね。
本当に。
これ言われちゃったら結構ね、
ぐねぐねなると思うんだよね。
だってね、
植物と動物とは違うとか言いながら、
実は原始というものがあってね、
みたいなさ、
全部実は、
土も石も植物も人間も動物も、
空も、
全部一緒なんですよ、
という話しさえちょっと、
うぬぬってなるね。
そうそうそう。
だから、
第二次如来みたいなのも、
別に第二次如来3がいるとかっていうよりは、
やっぱりいわゆる、
この宇宙の摂理というか、
この宇宙っていうのも、
いわゆる地球とかを含む物理的な宇宙だけじゃなくて、
まさに仏の世界も含む、
摂理だみたいな、
解釈とかもあって、
そういう風に言うと、
この物理的な摂理としては、
原始とか素粒子があるよね、
っていう意味で、
やっぱり変化能になっちゃうんだよね、
まさに。
なるほどなるほど。
空海にしてやられてるね、
今の私も空海にさせられてるわけね、
今の原始の私もね。
そうね、
そのインスピレーションも、
わかってましたみたいな。
これ空海の、
うわー。
そのぐらい広がりがあるんだよね。
だから人によっては、
これもちょっと極大解釈だとは、
僕個人的には思うけれども、
やっぱりこの現在の
最先端の物理学が、
空海に通ずるんだとか、
そういうことを考えていたんだ
っていう人もいるし、
でもそれは全然やっぱり、
そこの、
そのぐらいやっぱり深く、
世の中を捉えたっていう意味では、
まさにそうなんだろうなとも思うんだよね。
中小レベルとは一緒だよって話だもんね。
そうそうそうそう。
第一原理と表現するか、
層流子とするかとか、
そこを一応観測できるものとするか、
みたいな話はあるんだけど。
うんうん。
だから、
そこを無理やり引き付けるのは、
確かに無理があるかもしれないけれども、
その中小レベル、
勝負をしたとすれば、
すでに空海はそこまで至ってましたよ
っていうのが間違いはないというかね。
間違いはない。
もっと言えば、
前なんかであったけどさ、
例えば、プラトン。
学者さんがさ、
プラトンの話を読んでないか
思いついたみたいな話も、
似てるような話だよね。
やっぱり二千何百年前に、
その中小レベルに至ってたのではないかっていうね。
いやー、恐ろしいな。
これは勝てないでしょ、これ。
ここまでやられちゃうとね、
どんだけ悔しい思いして、
どんだけ批判はできたとしても、
乗り越えられないよね。
可能性ないと思う、空海は。
そうなんだよね。
だからこそ、
今後ね、新言宗っていうものが広がっていき、
その後、
その新言宗って、
枠の中でやっぱりいろんな、
雑誌、個性が出てくるみたいなのも、
ブログ「最強の宗教10選(東洋編)」の紹介
やっぱり空海を越えたというよりは、
空海を知ってるみたいな感じだと思うんだよね。
まあ、でもね、
とはいえ、今の日本でね、
寄与してるのは、
大乗仏教系の方も、
浄土新宗的な話だろうから、
それでいうと、何があったのかっていうのもね、
面白いけどね。
そうだね。
そのあたりのね、
鎌倉仏教とかの話は次回、
ぜひしていきたいなと思ってるんですけど、
最後にね、
ちょっと面白かった話を見たので、
これを伝えたいと思って、
みっけんは修行ですね。
ああ、はいはい、
そうだよ、その話まだ聞いてなかった。
修行大事ってさ、
一応前回も言ったと思うんですけど、
その促進成仏のために。
でも、実際どんなことをやるの?
みたいな話って、
わかんないじゃないですか。
秘密にされてるからね。
秘密にされてないよ。
みんなやってるんだけど、
みっけんの人は。
でも、本に書いてあったのが面白かったので、
お伝えしたいんですけど、
これは知識がなさすぎて、
どのくらい一般的かはわかんないんだけど、
空海の修行方法「愚問持法」の紹介
一応、
広く行われてるって書いてあったから、
そうだとすると、
仏像
愚問持法っていう
修行の方法があるんだって。
仏像菩薩
っていう菩薩がおられて、
その人が全宇宙に広がる
知恵を持っている仏らしいんだけど、
その人に
知恵します、信じますよ、
みたいな修行らしいのね。
いわゆる生身だ仏
みたいな感じで、
もうちょっと神言だから
オンコロコロみたいな
サンスクリット系の言葉なんだけど、
全然ごめん。
違うんですけど、
興味のあった方は調べていただけだと思うんだけど、
少なくともオンコロコロではないけどね。
ではないっていう。
それまた別の人なんですけど。
あるんだ、そういう言葉は。
適当じゃないんだ。
あるんです。
それを唱えるんですけど、
その回数が
結構半端なくて、
100万回唱えますと。
しかも1回でも
増えたり減ったりするとだめなんで、
数え間違えて
100万回とか数えた瞬間に
もうやり直しみたいな。
かつ日数にも
縛りがあって、
50日か100日
ってやらなきゃいけないと。
100日あったらできるんじゃない?
って思うと、
100万回なので1日1万回じゃないですか。
1分に約
7回なので、
めっちゃ速いスピードで
虚空像
もたつに消えします、
虚空像もたつに消えします、
ずーっと言い続けるみたいな。
そういう修行があるらしいんですよ。
しかもこれ1分に7回ってのは
24時間寝ないでやった時の計算なので、
ちゃんと睡眠取ろう
とかってなると、
もっと早く言わなきゃいけないみたいな。
なるほどね。
1日8時間
できるとしたら
1分に21回
8時間言い続ける生活を
50日?
100日?
100日か。
普通に考えても
ギリギリな。
1時間言い続けるんだよ、同じ言葉を。
しかも数え続けて。
1回言った、2回言った、
80何万回言ったみたいな。
そういうやつで、
実際に修行中に
精神病んじゃう人がいたりとか、
時代が
下っていった時に、
あまりにも大変な修行だから、
いわゆる
戒律を破ったお坊さんとかに、
この修行を
罰としてさせて、
縮成に使ってみたいな。
そういう話もあるんだって。
罰ゲームになってるじゃん、これ。
これって
密教の中の、密教のお坊さんに
戒律を犯した時に
これやっとけって言われるの?
そうです、そうです。修行しとけって
やらされるみたいな。
あれか、まっすぐに
5000回みたいな話か?
野球部の。
まあそうね。
それでね、野球上手くなるんだったら
やっとけみたいな話だよね。
いじめではないけど、練習ではあるけど
ほぼいじめみたいなね。
まあ、縮成だからね。
それはね、
楽なことではないんだけど。
でもただね、これをやり遂げて
ちょっとね、その後
儀式を行うと、限りない
知恵をね、得て
すっかり広げるっていうので、
無限大な修行をして
来世、来世でやっていくよりは、
まあ、マシかどうかみたいな。
やっぱりいずれにしてもね、
今この身このままで仏になるよって言っても
やっぱり、まあ生繁華じゃないよねっていう。
まあそういう雰囲気もね、
ちょっと感じたんじゃないかなと。
っていうような感じですね。
へえ。
これ、ハヤトやったことある?
ないよ。
ないですね。
ちょっとやってみてほしいな。
YouTubeとかでさ、
100日後に悟る
ハヤトでさ。
ライブ配信で
1日8時間
カウンターつけて
8時間なんかじゃねえって
見ないのよこれ。
誰かさ、もう1人さ、
1日5000円ぐらいで雇ってさ
カウンター持ってカチカチカチって
やってもらって
それをダブルチェックする人も
もう1人雇って
やれば多分ずれないから
ちょっと待って、だってさ
聞く前から1日5000円で2人雇って
100万円かかるからさ
そのライブ
それクラファンでやればいいね
もしくは
YouTubeで
100日間あるでしょ
それの収益を当てる
投げ線でね。
確かにね
ちょっと面白そうだって思っちゃったけどさ
思っちゃうのかよ。
思っちゃう。
じゃあちょっと面白そうじゃない?
それをやる人を雇えばいいんだよ
早いとかやるんじゃなくて
なんでだよ
プロデューサーとしてね
もう1人5000円かけて
150万円
やるなら自分でやるよね
そうね
雇ったか雇ったか分かんないもんね
自分でやらないとね
いやー
奥さんとかさすがに言われるだろうな
言うよ
俺だったら離婚すると思うけどね
マジか
悟ってもダメ?
うちの旦那悟ったんだよねってさ
面白くない?
その考え自体が怖いから
悟ろうが悟まんや
もう
ダメか
どうなんだろうな
どうなの
いわゆるさ
周波とか違っちゃうと思うんだけどさ
はいはいはい
いわゆるアジャリみたいな感じでさ
この信用を成し遂げた人は
3人しかいないみたいな
そういうのもあるのかな
あるんじゃないかな
結構やってるんじゃない
この長い歴史で
こんなに伝わってるとしたら
チャレンジはしてね
難しい
それこそさっきのように
チェックしてる人いないとさ
なんとでも言えるじゃん
そこも難しそうだよ
だから最後にやり遂げた
儀式をしなきゃいけないんだって
儀式の時に
取れたら結果論的に
あんたは修行が上手にしました
なんだけど
取れなかったら
多分何か間違えてましたねって言って
もう一回やり直すみたいな
なるほど
そこでテストみたいなのあるんだね
そこで本当に
嘘ついてというか
取りましたって嘘ついても結局どっかでバレる
みたいな話なのかな
バレるし自分がしょんぼりだよね
だって
結局変わんないじゃん
やる前とって思ったら
それは嘘つけないんじゃないかな
その修行をやるぐらい
本気な人は
密教の中で
例えばさ
その修行をして悟った人は
なんか特別なさ
権威になれてさ
それで宗派開けます
みたいなさ
やつだったらさ
その儀式でさ
またなんとか宗
観音宗とか開いちゃってとかってできないのかな
そういう感じではないのかな
多分ね
そんなに楽じゃないよ
朝まで思うほど
簡単じゃないと思うよ
この修行
52日間こもってさ
ずっとyoutube見てさ
100日実は唱えました
みたいな話をして
その儀式にても
なんか薄いなってすぐバレるか
バレると思う
ほんとにってなるし
意外とツヤツヤしてるじゃん
みたいになると思うんだよ
そういう割には
そういうのを
織り込み済みなんだね
100万回みたいな
確かに聞くだけなら
分かるけどその壮絶さが
分かんないもんね
たぶんやってみると
そういうのは
1時間やってみたらいいと思う
うーんやだ
10分でもいいわ
でもツバ飲んでる間に
5秒終わっちゃうからね
それで1回分ロスだから
そういう話よ
確かに
せめてそうだね
ハヤトにはぜひ試してみてもらいたいね
ちょっと
引退してるかな
反力迎えて
定年になったらやろう
63歳からやろう
体に丸そうだね
体力あるうちにやったほうがいいんじゃない
なんで進めんの
ちょっといいよ
そんなんで何分も喋ってるわけじゃないんで
雑談じゃないもんね
そう雑談じゃない
だいぶゆるゆると
話してしまったんですけれども
ちょっと最後に
密教の秘密
言葉が何かみたいな
奥深いんだよって話を
じゅじゅうしんっていう
空海の
人の心の発展と
密教とか
それまでの仏教というのはどう
仏教以外も
宗教はどう変わるのか
という話もしつつ
密教というものは
広がりを少しでも
抑えできるんじゃないかと
思っております
前回本当は言ってた
マンダラとか
神言ってなんだみたいな話
本当はしたかったんだけど
言葉で説明できませんでした
えー
やろうとはしたんだ
やろうとして
本も読んだんだけど
全然伝わらんなと思って
マンダラって視覚的なものだから
こういう
密教の総括
図ですみたいなのがないと
しんどいなと思ったし
マントラとかでもサンスクイットで
この言葉はみたいな話になって
それは今扱いには
自分の力量が足りんな
と思ってしまったので
すみませんちょっと逃げたんですけど正直
そっかじゃああれだね
その国造
愚問司法やった後に
ぜひね
またねお伝えしていきたい
という風に40年ぐらいに思っていたんですけど
どうでしょうかね密教
雑談でも
兄貴にも感想を聞いてみたいなとは思うんですけど
これまでやっぱり
仏教とは違うもちろん西洋
哲学とも全然違う
感じをまた持っていただけたんじゃないかな
という風に思っております
はいはいはい
また機会があればねこの密教とか
仏教とかの宗派とも
比べながらねまた多分
出番というか機会もあるだろうから
ぜひぜひね
ここを土台としてまた
いろいろ発信したいなと思ったね
そうですねそうですね
鎌倉仏教の紹介
次回は鎌倉仏教のことを
お伝えしようと思っていて
僕も正直この辺り勉強中なので
全然
皆さんにもお伝えしつつ
自分も勉強していきたいという話と
今のイメージでいうと
やっぱり鎌倉仏教になるとね
念仏が簡単になるよとか
むしろ踊ろうぜみたいな
踊り念仏みたいな
より親しみやすい民衆にも
触れやすい仏教だみたいなイメージが
あるんですけど
それが本当にそうなのかとか
どうして育っていたのかみたいなことが
まだ分かんないのよ
分かんないので
本はもう書いているので
読んでいるので
その辺りから
インプットして皆さんにお伝えしていきたい
という風に思っている感じ
はいはい
なるほど了解
今回この9回やったからこそね
最長から連なる
鎌倉仏教みたいなね
話になってくるだろうから
この流れでね
仏教にもうちょっと浸っていきたいな
と思いますので
では次回鎌倉仏教ということで
楽しみにしていきたいと思います
引き続きよろしくお願いします
お願いします
今回もありがとうございました