1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #179 兄弟ゲンカ勃発!?ポン..
2024-01-14 1:04:17

#179 兄弟ゲンカ勃発!?ポンデリングに「穴」は存在するか?

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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00:06
はい、それ哲ラジオ今日も始めていきたいと思います。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、前回は存在っていう概念とか言葉っていうのが かなり独特なものだよと、改めて見ると結構面白いんだよっていうところを教えてもらったというところでした。
そうですね、存在するって僕ら普通に使うと思うんですけど、言葉として。
それで例えば、人が息をするとか歌うとか、そういう動詞はちょっと表示違うぞみたいな話を最後、兄貴の質問を踏まえて説得させていただいたかなと思います。
そうはね、あらゆる動詞というかものが存在するっていうことが前提になっている上で使われてるねと。
そうすると存在するってじゃあ何?っていう、かなり独特が立ち位置だっていうね、不思議な感覚を得て終わった感じがしたと思うんだけど。
もちろん日常的には別にそんなふうに考えなくてもいいというか、それを前提としては僕らは普段生活してるから、そんな考えなくていいかなとは思うんですけど、
ある種の哲学というか啓示浄学みたいなことを考えようとするときに、やっぱり存在するっていう言葉とか動詞というものがかなり根本的な表現というか、やっぱりあり方かなと思うので、
それこそ西洋哲学というところではプラトンとかアリストテレス以来ずっとテーマとして語り続けられているし、もちろん東洋の方でも逆によくラーガル・ジュナーが空っていうのを言いましたというか、体系化しましたみたいな話をすると思うんですけど、
空っていうのは逆に存在、それそのものとして存在するものはないみたいな意味では存在について話している。
なるほど、じゃあかなり古来からそういう独特のセンサーを持っている人たちが気にし続けてきた概念ではあるってことだろうね。
そうなんです。今回ちょっとその続きとして、より具体的なテーマとかっていうのを手がかりにですね、この存在っていうものをより深めていきましょうと。
前回ちょっとドラゴンとかさ、少し抽象的な言葉だけでやったので、もう少し日常に沿いながらやっていこうと思うんですけど、それがフィクションとアナっていうのはテーマですと。
まあね、わかんないけど、言葉は知ってるけど。
言葉自体は短いじゃん、別にフィクションで、これはフィクションですって今どんなドラマとかアニメでも出てくるし、アナっていうのもそこら辺に空いてるみたいな話もあって。
ただこれをねちょっとその今回の文脈で考えていくと、要はフィクションでまあいろいろあるけど、例えばドラえもんとかピカチュウみたいなものって存在しますか?みたいな問いになるし、
03:09
まあアナにするとアナは存在するか?みたいな言葉になりますと。
結構ねやっぱそれぞれ難しい問題をなんかはらんでるっていうふうに言われてるんですよね。
そこのところに引き続きこの現代経済学入門っていう本を頼りにお伝えしていきたいというふうに思っているんですけれども、
これもちょっとさ、兄貴も前聞いたかもしれないけど、改めてドラえもんでも取り上げた時に、ドラえもんって存在してますか?という話なんだよね。どう思います?
前回の話で言うと、あるものが存在して、それはドラえもんでありなんとかだみたいな話で説明できそうだよね、これも。
ドラえもんであり、ドラ焼きを食べているみたいな話かな。
ああ、そうだねそうだね。
とりあえずやっぱそうだよね。それは想像はできるけど、見たことないからね。
うんうんうん。なのでやっぱり普通に考えると、ドラえもんってやっぱ存在するとは言えないかなと思っていて、
例えばさ、僕らは日常的にはドラえもんっていうのはね、22世紀からやってきた猫型ロボットであるとかさ、
ドラえもんっていうのはのび太君と仲がいいみたいな。そういう言葉を言った時に、普通に考えたらこれは嘘になっちゃいますね。
だいぶきつい言葉使い方に嘘になっちゃう。
それはある種厳密に言うとって話なんだけど、そうした時にドラえもんについて語る言葉は全部嘘になるかっていうとそんなこともないって話があって。
まあそうだよね。そっちのほうが普通の感覚だよね。
そうそうそう。でも実はこれはちょっと次元が違う話だったけど、要はドラえもんっていうのは藤子F藤代っていうペンネームの藤本博さんかなっていう人が生み出したキャラクターであるみたいに言うと、これは嘘ではないじゃない。
というかむしろ真実だよね。
そうだね。
そうするとこの場合はドラえもんっていう言葉、同じ言葉なんだけど、この言葉の対象っていうのは存在主に感じられる?
まあそうだね。存在については語っていないというか、存在そのものをフィクションとして規定しているというか、多分フィクションという言葉を使うとすればというか、だから嘘じゃないというか。
そうそうそう。だからこれぐらいにドラえもんという一つのある種傾向に対して、言葉の使い方によって、嘘にもなれば本当にもなるみたいな、結構二重性というか重なっている部分があるんだよね。
06:02
ああでも難しいね。確かに生み出したっていうと、生んではいないから違うっちゃ違うしみたいな。ああ面白いね。
そうそうそうそう。生み出すっていうこと自体が本当に難しくて、いわゆる人がね、例えば親が産むっていう時の産むと、いわゆる作者がキャラクターを産むっていう時の産むっていうのはやっぱりちょっと違う、だいぶ違うんだよね本当は。
そうね、作り出したみたいな話になると、それはどう存在としてね、いや面白い面白いそれは確かに、エジソンが例えば電球を発明した、電球を作ったみたいな、生み出したか、だと電球ってことは存在するって言えるけど、なんかその辺の違いが面白そうだね。
そうそうそう。だからこういうふうな考え方を経て、ある種哲学者の中にもいろんな考え方をする人がいるんだけれども、フィクションっていうのはいわゆる抽象的な存在者なんだっていうふうにみなす人もいるらしいんだよね。
存在者ではあると。
そうそう、存在者っていうふうに中に抽象的なものと具体的なものを分けましょうと。だから骨とか人間っていうのはさ、やっぱり物理的、さっきの電球もそうだけど、何がしか原子であれ素粒子であれ、そういった物理的なものをもとにしてできているような存在者ですよねと。
ドラえもんとか、まるでサンタクロースとか手がさせてもいいんだけど、そういうものもある種物理的なものに基づいてはいないんだけれども、存在はしてるよねっていう、そういうふうにステゴライズしましょうねみたいな、そんなふうに考える人もいるんだよね。
言う人もいると、なるほどね。答えがあるみたいな。
そう、答えがあるわけじゃないし、逆にそんなものはやっぱり存在者とは言えないんだと。あるいはこれは唯物論者みたいな、要は物しかないっていうふうに人たちは、やっぱりドラえもんというものもないし、サンタクロースの手がさせるものもないよみたいな。
そういうふうに主張する人もいる。別にどっちが答えかっていうのはないというか、どっちの方が確からしいかみたいな話は議論はできるけれども、完全にこっちだっていうふうにはまだなってないんだよね。
なるほど。
こういうふうに考えていくと面白くって、要は前回も例えば丸い四角みたいな言葉を言ったりしたじゃないですか。
うんうん。
例えば丸い四角とドラえもんはどっちの方が存在っぽいですかみたいな議論ができるようになるんだよね。
うーん、はいはいはい。存在っぽい。
そうそう、存在っぽい。要は人によっては丸い四角もドラえもんもどっちも物じゃないから存在しませんっていう人もいれば、ドラえもんというのは抽象的な存在としてはあるけど、丸い四角っていうのはもう完全に矛盾してるから存在しないっていう人もいれば。
09:12
ほうほうほう、なるほど。グラデーションみたいになってくるんだね。存在の点数みたいなのがつけられちゃう。100点満点みたいな。
90%存在してるみたいな。
そうそうそう、存在してるらしいみたいなね。
人によっては丸い四角も何かしら言葉として意味がありそうな感じがするとすれば存在できるみたいな。
うんうんうん。
人も90っていう。
はいはい。
そういう本当にいろんなグラデーションが出てくるんだよね、ここに。
うんうんうん。
例えば面白いのは幽霊みたいなものを考えたときに、これもかなり微妙になるんだよ。
要は、例えばサザコって映画とかフィクションの存在しているじゃない。
リングのね、出てくる。
リングのね、そうそうそう。幽霊としてのサザコがいて、あれはドラえもんとかの味のようにキャラクターとして存在してるんだよね。
うんうんうん。
でもじゃあ幽霊は存在してますかっていうと、より存在性が薄くなるみたいな感覚が僕はあるんだけど。
あー、なるほど。
うん。
ほうほう。
なんか兄貴とかどうかなって。
さっきのパーセンテージで言うとね。
パーセンテージの話で言うと、サザコの方が存在したように感じて、幽霊の方が存在しないように感じる。
なるほど。まあそうだね。具体性っていう意味で、カテゴリーのレイヤーが違うっていう意味で、ちょっと漠然とするっていう意味なら理解できるかな。
そうだねそうだね。
存在性っていうパーセンテージをつけろって言われたら、幽霊っていうカテゴリーがあるからこそサザコっていうものが存在できるって意味で、
まあどっちも同じかや幽霊の方がむしろ強いんじゃないかとは思うけどね。
そうだねそう。
そこは本当に面白い話で、幽霊はサザコであるから、本当は幽霊の方が、
てか幽霊っていうものの存在を前提としないとサザコっていないはずなんだよね。
でもサザコっていうキャラクターは世の中にありふれてきているんだけど、
そっちの方がむしろそうだね。
そうそうそうそう。
でも幽霊っていうものは、たぶんそんなに実在性がないというか、そんなにみんな見たこと、
まあ見たことはそりゃみんなないんだけど、
まあ人の方が多いからな。
人の方が多いんだけど、見たことはいる、まあ確かにね、見たっていう人もいるからね。
ただやっぱりその、そういう幽霊を見たぞっていう人が発言する幽霊は存在するって言葉と、
12:03
映画作品とかを見たり、いろんなグッズとかを買い漁ってる人の、
サザコは幽霊であって存在するんだって人の発言の存在するっていうのは、
やっぱり同じように幽霊の存在を主張したように見えて、実はちょっと違うよねみたいな。
ああまあそうだね。うんうん。違うね。
そう。
そういうようなことが、やっぱりこのグラデーションとか、その存在するって言葉を小分けにしていくと、
いろいろ感じることができるようになるんだよね。
なるほど、確かにね。サザコはいるけど幽霊はいないっていう人もいるかもしれないもんね。
そうそうそうそう。何言ってんの、幽霊なんているわけないじゃん。
でもサザコはいるでしょみたいなね。
人もやっぱり存在し得るよね。
みたいな感じで、一つの答えがあるというよりは、そういうふうにいろんな解像度が上がっていくよねっていうふうに聞いていただければとは思うんですけど。
はいはいはい。
もう少しカチッと説明すると、この本でもですね、フィクションの存在を考えたって、
2つのスタンスがあるよねっていうふうなことが書いてあるんですよ。
うんうん。
実は今の話はその2つをあまり分けずに話してきたんだけど、
一つはいわゆるフィクションの中で考えるってこと?
うんうん。
で、もう一つはフィクションの外で考えるっていう話。
うちと外っていうのが出てくるんだけど。
うんうん。
さっきのドラえもんの例で言うとね、
要はドラえもんは22世紀からやってきたっていうのはフィクションの中で考えてることなんですよね。
うんうんうん。
要は、いわゆるドラえもんの世界においては、
ドラえもんは22世紀からやってきたっていうのは正しくって。
うんうん。
仮に僕がじゃあ違う違う25世紀からだよとか、25世紀からだよって言っちゃうと、
それは間違ってるよっていうふうに言われちゃうって話なんですよね。
あーなるほどね、もう世界観の中で話してるってことね。
そう、世界観の中で、フィクションの中で話してるからね。
うんうんうん。
だからそのフィクションの世界においては、
ドラえもんは22世紀からやってきたっていうのは正しいんだけど、
僕らが生きてるこの世界としてはおそらく正しくない。
うんうんうん。
それがね、今後正しくなる可能性はなくないけど、
さっきの今の時代においては22世紀から何かがやってくるっていうことは考えにくいよね。
なるほどなるほど。
現実世界で考えた時には。
そうそうそうそう。
もう一本のフィクションの外みたいな話をしていくと、
これがドラえもんは藤子F・藤代が生み出したっていう言葉だよね。
あーなるほど。
これがドラえもんの世界の中については語ってない。
おそらく僕ら調べたんだけど、
ドラえもんの世界においてドラえもんがどうやって生まれたかっていうと、
15:03
2012年の9月3日に松島ロボット工場っていう、
その工場で生まれてるんだってドラえもんって。
へーそうなんだ。誕生日もあるんだ。
誕生日もある。誕生日は結構有名、9月3日なんですけど。
だからそのフィクションの世界でいうと、
いやドラえもんっていうのは藤子F・藤代が生み出したんじゃなくって、
その工場で生まれたんだよっていうのが正しい。
なるほどなるほど。
っていう感じで、まさに兄貴が言ってくれた通り、
レイヤーが違うとか次元が違うっていう話でいくと、
その言葉の正しさっていうものも、
やっぱり何を受け入れにするかによって結構変わっちゃうんだと思うんだよね。
なるほどね。そうかそうか。
土俵とか土台合わせないとここがぐちゃぐちゃになって理論してる可能性があるってことなんだ。
幽霊にせよ、ドラえもんにせよ。
貞子とかに幽霊にせよ。
なのでこの存在性という言葉が得したよって話を冒頭でもしたと思うんですけど、
やっぱりこの歌うとかであれば、
歌ってる人はどの世界においても基本的に歌ってるはずなんだよね。
歌う、あ、動詞ね。
そう動詞として歌うっていうことを表現したときに、
例えばアイドルが日本武道館で歌うっていうのも歌を歌うことだし、
例えばなんだろうな、歌うキャラクターあるかな。
歌うキャラクター?
うん。
歌うキャラクター。
マクロスとかしか思いつかないんだけど。
じゃあ、ちょっと待ってね。
うん。
いい感じのキャラクターいるかな。
初音ミクは?
あ、初音ミクね。
ボーカロイド。
ボーカロイドは難しいな、すごい難しいね。
思ってるのとは違う方向に行っちゃう。
よりね、初音ミクってリアルに寄ってきてるようなキャラクターだと思うから、
やっぱり初音ミクはいるっていう人の方がより多いと思うんだよね。
はいはいはい。
でも確かに、初音ミクというキャラクターが歌うっていうのも、
まさに人間が歌うっていうのと同じ歌うっていうことを表現してるはずです。
半端な、フィクションと現実の中間みたいなキャラクターだしちゃった。
でも面白いと思う。
だから初音ミクは存在するっていうことを言ったときに、
そこは賛否両論あると思うんだよね、いろんな人によって解釈が。
面白いね。でもそれもある意味、今の2つをレイヤーで話せる部分も出てくるときなんだね。
それが完全な正解じゃないかもしれないけれども。
18:00
そうだね。
もっと言うとより細かくなるっていう感じかな、初音ミクの場合。
だって実際ライブもしてるし、リアルでも実際歌っているとも言えるし。
そうだね、らしいね。
ドラえもんとかみたいに誰かが特定を誰かが作ったやつだけってわけでもないもんね。
いろんな人が生み出せるツールではあるからね。
そうですね、確かに。
そういうふうになると、フィクションっていうものの存在性とか、それがどんどん現実に近づいている部分もあるし、
みたいなところの考えっていうところがすごく話しやすくなるというか、整理がしやすくなる。
ところで、フィクションと存在っていうことは色んな広がりがありますよっていうのを冒頭話しました。
というのが1つ目の話ですと。
なるほどね。やっぱり答えはくれないんだね。
こういう捉え方がありますよ、こういう土台の作り方がありますよっていう話になってくるんだ。
そうだね。
個人的にはここには答えがないもんだと思ってて。
出してないんでしょ?
出してる人がいるけど、それは必ずしも絶対的な正解ではないっていうことの繰り返しっていう感じかな?
そうそうそう、そういうこと。
私にとってはこうじゃないとしか言えないとか、こういうことを前提として共有できるなら、こういう正解になるよねってことは言えるんだけど。
さっきのハツデミクみたいな話と一緒で、ハツデミクっていわゆるボーカローだっていわゆる歌を歌わせることができるキャラクターみたいな話なんですけど。
現実世界の話からするとね。
現実世界の話からするとね。
それはやっぱりこうなんだろうな、ハツデミクで歌をよく聴くとかライブに行くとかすごい好きな人からすればもう存在するとしか言えないだろうし、
やっぱり一回も聞いたことがない人からするとそれはただの機械の音声であるって多分なるだろうし。
それはもう正解っていうのはないというか、文脈とかも含めて考えればこういうことを言えるよねとしか言えない。
その世界観の中で話している人と内部と外部で話している人が交わることはちょっと難しい場合もあるってことだね。
そうだね。
だからこそ今自分がどっちに立っているのかとか、そういう風な次元から話をしているとかあるいは物事を見ているのかっていうことが自覚できると、
そこに多分議論というか、コミュニケーションできる余地が生まれてくるんじゃないかみたいなそんな感じだよね。
はいはいはい、なるほど。
はい。
そのくらいこの存在ってのがややこしい存在だって話だね。
そうなんです、そうなんです。
ちょっとフィクションな話はこのくらいにしておいて、後半戦として穴について考えていきたいんですよ。
そうそう。
21:00
穴ってよりちょっとフィクションとは違う感じなんだけど、どうだろう兄からしたら穴は存在すると思いますか?
こういう話の中でわざわざ取り入れられているから深読みしちゃうんだけど、でも穴があるって言うから存在すると思ってるよね。
ゴルフの穴。
ゴールというかボールを入れるものとしての穴はあるよね。
あるよね。
僕もそう思う。普通に考えたら穴はあると思うんですよ。
でもちょっと結論を先取りしちゃうと、この筆者のね、この現代経済学入門っていう本の筆者である柏畑さんは、
我々が住むこの具体的な世界に穴は存在しないっていうふうにおっしゃってるんだよね。
具体的な。
これも面白くて、その穴は存在しないではなく、我々が住むこの具体的な世界にってついてるのもまたミソなんだけど。
ちょっとね、これもまたこの後しっかり話していきますと。
これもいろんな考え方とか議論があって、さっきと同じようにね。
これが正解だよとかって思うのではないんだけど。
ちなみに今回のフィクションと穴っていうのは、この筆者の柏畑さんが考えたことなの?それともそれが継承することなのかな?
実はこの穴に関しては、柏畑大輔さんという別の研究者がいらっしゃって、
その人が穴と教会っていう本を読んで考えたことですって書いてるんだよね。
穴にだけついて議論された本があるんだ。
そこについてフォーカスされた1個の本があるのよ。本材論についての。
分かりやすく説明してくれてるわけだ。
説明というよりはそれを取り上げて、自分の存在とは何かとか、そういうふうなことに引き付けて話してるっていう感じかな。
すごいな。
解説っていうよりは自分の話に引き付けてっていう感じなんだけど。
なるほど。ちゃんと出典があるんだ。
出典がある。出典がある。
そこはびっくりだ。
おそらくカジさん、カジ大輔さんという大元の方が、穴はおそらく存在するとして扱ってるのかな、多分。
ほうほうほう。
でもこの西山端さんという人は、我々若がすむこの具体的な世界に穴は存在しないという質問を導いてるんだよね。
そういう専門家みたいな人たちの中ですでに言われてるんだ、そうやって。
言われてるというか、いろんな説ができるっていう話なんだよね。
後でちょっと言うんだけど、その穴があるっていう人の話の中には6個くらい説があって。
穴がある穴の中にもABCDEDEくらいの論拠があるという感じなんだよね。
24:06
西山端は非常に面白いんだけど。
なので、まず最初の話から戻っていくんですけど。
聞く方は兄貴もそうなんだけど、どこまでは納得できるけど、どこから納得できないとか。
ここまではわかる気がするけど、ここからはちょっとわかんないみたいな。
そんなふうな感覚も含めて聞いていただけると嬉しいなと思っているんですけど。
さっきも言った通り、これはちょっと僕の話をするんだけど。
僕の感覚からすると、やっぱり穴があると思うんですよ。
道路には穴が空いている。そうしたら困っちゃうし。
穴を作れば何かを入れられるという意味で、穴っていうのにも役立つものがある。
あとは、よくドーナツみたいなことを考えるときに。
ドーナツはあんドーナツとか、穴のないドーナツあるじゃないですか。
でも穴のないポンデリングはちょっと考えにくいなと思っちゃうんですよね。
リングって名乗ってるしね。
確かにね。リングイコール穴の形しか言わんかったもんね。
リングイコールサダコ?サダコでもあるからちょっと間に合わせて。
どっちのリングかわかんないけどね。ポンデリングのリングが。
普通のポンデリングです。
だからさ、そもそもリングって言っちゃってるしとか、穴のないポンデリングはないとかって言ってる時点で、
それをひっくり返すと、ポンデリングには穴があるっていうことになるじゃないですか。
おー、言えるね。
言葉の使い方的にも、ポンデリングには穴があるから、穴はあると僕は思ってるんですよ。
穴があるっていうことを言い換えて、ポンデリングには穴が存在すると言った場合に、ニュアンス変わるじゃないですか。
はいはいはい。
そういう時の穴が存在するって、僕ら何を表現してるんでしょうねって話なんだよね。
なるほどね。存在っていう風に言っちゃうとね。
穴があるって言うと便利なんだよね。穴があるって言ったら、確かあるかもねって言っちゃうんだけど、
ポンデリングには穴が存在するとかって言われると、どういうことだみたいになっちゃう。
そういう穴が立ちやすくなるよね。
穴の存在って確かにね、存在って言われると確かに何もないからね、そこには。
そうそうそうなんですよ。
っていう風に考えていきたいんだけど、そのままポンデリングを軸に進めていきたいんですけど、
これは本には書いてないです。本には別のドーナツとか穴とか、庭に掘った穴とか色々書いてるんだけど、
ちょっとポンデリングについて考えていきましょうと。
27:02
ポンデリングってちょっと想像してほしいんだけど、いわゆる輪っかを作ってるものが一つ一つの玉が作ってるじゃない。
玉というか丸いものが繋がって輪っかになっていて、それが大体8玉あるんですよね。
何個?
8玉。
8玉。はいはいはい。
8個あります。
僕もよく食べるとき大体1個ずつちぎって食べるんだけど、1玉1玉食べるとして、1か2個ぐらいだとまだ穴があるような感じがするんだけどさ、
4玉ぐらい食べたら半分になっちゃうと、もはや穴があるとは言いにくいよね。
そうだね。
ましてやさ、残り1玉になっちゃったらさ、それポンデリングではあるんだけど、もう穴があるとは言えないよね。
そうだね。
7玉食べちゃったポンデリングの1玉はもう穴はないです、そこには。
まあそうだね。それがポンデリングと言っていいものなのかっていう、また別の理論が発生すると言うけどね、残り1個の玉を。
でもそれはポンデリングじゃない?ポンデリングの1玉じゃない?
まあまあ。
ポンデリングにはさっき穴があると言ったんだけど、穴がなくてもポンデリングではあり得るとも言えるよね。
えー、どうなの?
え、どうなの?なんで?どこが気になる?
いやー、だってポンデリングは、もうその1個はポンデリングだったものじゃん。
え、なんで?
ポンデリングだったものでしょ、それは。ポンデリングは8個の玉が繋がった円形のものをポンデリングって呼んであるじゃない?
なるほどね。
それをちぎっちゃったらポンデリングだったものなんだよ。
なるほどね。1個でもちぎったらもうそれはポンデリングじゃないってなるってこと?
だったものだね。だからポンデリングを構成する1つ1つではあるけどポンデリングではないんだよね。
なるほどね。
で、兄貴はポンデリングだったものを食べてるわけね、常に。
だから一口目噛んだ瞬間からもうポンデリングだったものを食べ続けて。
おー、なるほどね。なるほどね。
いいね。じゃあ、なるほどね。
輪っか状のものは食べた瞬間からもうそれではなくなると。
だから、うん。なくなる。ポンデリングじゃなくなる。
はいはい。じゃあドーナツ、穴が開いてるドーナツもそうなのね。
穴が開いてるドーナツも食べた瞬間ドーナツだったものになる。
ちょっとね、これどっちの方が納得できるかぜひ皆さんにも。
一口目は多分穴貫通しないからまだいいけど、
30:03
二口目食べて穴に貫通した瞬間ドーナツだったものになる。
あ、なるほど。
だから、穴が貫通しない、欠けてるものはまだドーナツなんだあれは。
ドーナツはドーナツと言っていいんじゃない。
なるほどね。
ちょっとこれはね、皆さんの感覚も聞きたいですね。
人間がゾンビになるとしてね、どこまでが人間で、
どこから50%以上緑になったらゾンビというのか、
30%までは人間なのかみたいなね。
そうそうそうそう。
例えばさ、ちょっと違う例で言うと浮き輪とかも穴があるって、
空気が入って穴があると思うんだけど、
例えば空気が入ってないペショペショの穴が開いてない状態?固まれた。
あれは兄貴にとって浮き輪なの?
あれも広げれれば、ドーナツみたいにさ、
空気が入ってないだけで円形のもので穴が開いてるでしょ。
だからあれは浮き輪だよ。
あれは浮き輪なんだ。
浮き輪に、例えば、
でっかいサメとかが来てそれをがぶって食べて、
ちぎれて輪っかじゃなくなったらそれは浮き輪だったものだよね。
なるほどね。
それは浮き輪だったものと浮き輪になりうるものと浮き輪っていう3つが分かれてるよね、兄貴の中で。
なりうる、浮き輪だよ。いや、なりうるじゃん。浮き輪だよ。
空気入ってなくても浮き輪だよ。
浮かないけど。
浮かないけど浮き輪なんだ。
面白いね。ありがとうございます。
そうそうそう。
みたいな感じで、やっぱり穴っていうものは人によって捉え方も変わるし、
兄貴みたいにポンデリングだったものを常に食べてる人もいるわけですよ。
なので、そういう意味で言うと、穴がなくなったらポンデリングだったものは存在するっていう風に兄貴は言いたいわけだよね。
そうなるように。
はいはい。OKですOKです。いいですね。
スイッチの中で行くと、
兄貴で言うと、ポンデリングには必ず穴が存在しますというのが前提としてあるよねという話なんだけど、
こういう中で穴が存在するということをもっともっと見ていきたいですと。
2つの問い合わせをしてみたいんですよね。
1つは穴は移動するかっていうものね。
移動。ほうほうほう。
穴は動きますかと。
ほうほうほう。
これは直感的に僕は正しい気がするんだけど、兄貴はどうですか?
穴は移動する?
うん。
移動。
33:00
移動。動きますか穴は。
いやー、動かないんじゃないか。なんか動く穴もあるかもしれないけど、
なんかね、コインゲーム、メダルゲームとか落とすところが動いているようなマシンがあったとしたら、
それは穴が移動して動いていると捉えるかもしれないけど。
うん。
例えばポンデリングを切って帰るときさ、ポンデリングの穴はどうなってるの?
移動してるの?穴も一緒に。
なにそれ。
それさ、なんでポンデリングとポンデリングの穴を分けて考えなきゃいけないんですか?
おかしいでしょ。
ポンデリングを手に持って食べようとしている瞬間って、ポンデリングが移動しているわけであって、
ポンデリングと穴が一緒に移動しているとは考えられないから。
でも、確かにそうすると穴が存在するって言ってるのと矛盾するね。
そうそう、そうだよ。
ポンデリングに穴があるんじゃなくて、ポンデリングがあって、
それは別に穴って考えではなくなっちゃうよね。
まあ、そうだね。
そこは自分の中での矛盾があるね、それは。
はいはいはい。でもいいね。ちょっとずつぽんがらかってきたよね。いい感じで。
そうだね。穴は移動しない。移動したらポンデリングであって、穴は移動せない。
なるほどね。
じゃあポンデリングの穴って言ってたけど、さっき言ってたのは別にポンデリングと穴が分かれてあるんじゃなくて、
ポンデリングというものがあって。
いやー、そうだね。ポンデリング…。
ああ、確かに。そうだね。
そうですね。ポンデリングというものに穴は存在しないわ、そしたら。
ぽんがらかってきた。ちょっと、もうちょっと進めて。
苦しい。苦しい。
苦しくなってきましたね。
はい。じゃあ、まあまあ、兄貴の中では穴は移動しませんと基本的には。
いいですね。僕はちょっと移動すると思っているんですけど。
なんで?なんで?
だってさっき言った、僕はポンデリングとポンデリングの穴は別だと思ってるの。
別だと思ってるの?
うん。
ポンデリングには穴が空いてるってことは、ポンデリングと穴っていうのは別のものとして考えてるよね。
なるほど。
じゃあ、ポンデリングの移動に伴ってその穴も移動してるんだと捉えてるんだね、ハヤトは。
すごく日常的に考えたらね。
日常的かな、それ。まあいいや。
僕が素朴に考えたら、ポンデリングと一緒に穴も移動してるっていう風に感じます。
分かった。
じゃあ、次ね。次の問い。穴は回転しますでしょうか?
36:01
メタルゲーム上でしか存在しないんだよ、回転する穴は。
そうだね。
以上。
それしかない。この世界にそれしかない。
そんなことはないって言われちゃうよ。どう回転してるの、メタルゲームの穴を。
穴自体が?
穴自体がそう。
穴が例えば、何だろうな、ぐるぐる何か円周上回るみたいなことは考えれるじゃない。
地球みたいに太陽周りの穴が回ることじゃなくて、穴自体が地球が自転するかのように。
そうそう。地球が自転するかのように、穴は自転しますかの方が分かりやすいね。
やっぱりメタルゲームでしかないんじゃないかな。
ちょっと分かんない。何気なメタルゲームがどうなってるのか分かんないんですけど。
これは僕は正しくないような感じがするのね。
そうなんだ。
仮に僕の感覚に付き合ってほしいんだけど、穴は移動するような感じがするけど、回転しないような感じがすると言いましたと。
ちょっとポンデリングで想像してみるか。ポンデリングと穴があって、移動はするけど回転はしないって話だよね。
そうです。だからポンデリングを回したときに、ポンデリングは回ってるけど、穴が回ってる感じはしないのよね。
そうなんだ。想像よりかはちょっと乏しいんじゃないですか。
何気なこと言ってた?穴が回るように感じる?
なんかうん。
うんってどうして?
穴とドーナツには摩擦があるから、それに引きずられて、同じではないにせよ、少し実際は悪くはしないけど、引きずられて回るはずであるとは思う。
ちょっと待って、穴とドーナツには摩擦があるってどういうこと?
あるんでしょ、穴が。あるとしたら。
穴は?
ポンデリングと穴の接点が必ずあるわけで、何かに接しているわけで。
そうするとそこに摩擦が必ず存在するであろうと、ある方で想像すると。
そうだよね。僕は穴論者として言うけど、摩擦があるのはあくまでもドーナツと穴の中に入っている空気になる摩擦であって、
それを正しく言うとすると、ポンデリングには穴が開いてあり、その穴には空気が満たされていて、その空気とポンデリングが摩擦をしている、では正しいよね?
穴は空気なの?
穴と空気は別物でしょ?穴が開いていて、そこに空気が満たされているわけでしょ?
39:02
わかんないよ。だって穴があるんだから、ポンデリングのすぐ接点は穴かもしれないよ、空気じゃなくて。だって穴があるんだから。
ポンデリングと穴の間にもちろん空気はあるかもしれないし、場合によっては油があるかもしれないし。
だけど、わかんないじゃんそれは。穴があるって言う人はそこまでちゃんと伝えないと。
空気があるんだったらそうかもしれない。空気があるから空気の摩擦がさらに伝わって、その穴が回るって言う人は回るだろう。
空気抵抗じゃ回らないくらい、穴が重いんだったら回らないかもしれないし。
はいはいはいはい。さっきさ、本の中で参照されている本として、「穴と境界」っていうタイトルの本だって言ったんですけど。
あー境界って言ってたんだ。
そう。今何気な話はまさに境界の話をしてるね。
ほうほうほうほう。
境界というところがまさに穴っていうものが、そこにまさに存在をしていて。
それが回るから穴も回るっていうことは確かにそういう風に考えたら言えるかもしれないよね。
穴があるって考えてる人が、穴が回転しないって考える意味がわからないっていう話。
おーなるほどね。面白いな、なるほどね。
でも、穴っていうものを別に物理的な存在とは思ってないね、僕は。
ずるいな。
例えばアナロンジャーとして。ドラえもんとかに近いものとして思ってるんだよね。
そう。
そう。だとすると、穴っていうものが物理的に境界としてあるというよりは、穴っていうものが仮にあるけど、そこには空気が満ちされていて、
接するのは空気とドーナツだっていう風な主張もギリ通るんじゃない?どうだろう?
フィクションだからなんでもいいよね。その人がそう言えばOKで、それを納得化するかどうかは別だけど。
なるほどね。そこにフィクションっていうことが入っちゃうと、もうそこは人それぞれの選択肢になっちゃうわけね。
そうだね。だってほら、タイトーはもう穴を作った藤子F富士夫であるわけだからね。
ホンデリフの穴を作ったんだからね。
はいはいはい。
だから存在感がどうかっていうことをきちんと納得させないといけない。読者に。
なるほどね。確かにね。はいはいはい。いいですね。
これまでの話をまとめるとちょっと聞いてる方が…
まとまるかも。
え?まとまる?まとまる?
好き勝手に話してるけどまとまるのこれ。
大丈夫。一旦まとめます。
えっと、いわゆる穴は存在する。穴はあると考えると、穴は多分移動するだろうし、穴は回転するよね。
あるとするならばね。移動はするし、回転もする。だから移動はするけど回転はしないっていうのはおかしいっていうふうなことを言ってくれたよね。
42:04
そうね。ハヤトのあるっていう考え方からするとそこはおかしいよねって思う。
はいはいはい。そうだよね。
例えばちょっと僕が人から修正したフィクションとしての穴みたいな話にすると、穴っていうものがあるとしたらフィクションとしてあるとしたらおそらく移動はする。
ポンテリングと一緒に移動はするけれども、でもポンテリングを回しても穴は回っていないように感じるというふうな主張をしました。
はいはいはい。
それもあり得るだろうと。逆にここに穴なんてないんだよって人がいたとすると、そもそも穴なんてないんだから移動もしないし回転もしないっていうふうに言うこともできる。
そうね。
みたいな感じでこの3つのある種のスタンスがここに存在し始めました。
なのでそれぞれのスタンスを明らかにできると、それぞれの問題を解決するとアプローチの方が見えてきます。
なるほどね。
例えば実際にやるとすると、実際に穴は移動しているとか、穴は回転しているとかっていうことを示すこと。
2つ目は移動はするは回転はしないとか、移動はしないは回転はするみたいな時に、
普通に考えたらこれってちょっとおかしいんだよね。物理的には移動と回転っていうのは近い概念だと思われてると思うから。
ちょっと矛盾がありそうなんだけど、そういう現象をちゃんと見つけてきて提示をすることができれば、それも示すことができるよね。
そうね。
あるいは3つ目としては穴が存在しないという話で、そもそも穴なんてなかったですよってことを主張するっていう。
こういうふうな3つのアプローチがあります。
なのでこれをちゃんと突き詰めていくと、ある種一冊の本になるというか、そのくらいちゃんと論じられることができるようなものになっていくんだけど。
これがさっき言った通りで、実際1つ目の穴は移動もするし回転もするという説とか。
移動はするけど回転はしない。あるいは回転はするけど移動はしないみたいな。
その説はなかったんだけど、そういう説に対して実際6つぐらいの説明できる根拠があるっていう話が出てるんだよね。
へー、なるほど。
ここで詳細を省かせていただきます。
もし気になる方は、この現代刑事学入門という本とか、あるいはさっきの穴と教会という本を手に取ってもらえればという話なんですけど。
冒頭とか途中で伝えた通り、この筆者は穴は存在しないというふうな結論を主張してるんですよね。
45:09
この刑事上学の方の先生は?
刑事学入門の柏和田先生は、穴は存在しない、前提として我々が住むこの具体的な世界にというようなものはつくんだけど、穴は存在しないということを有力なものとしていますと。
それがなぜかというのを大雑把に言えばあるんですけど、話したいなと最後思ってるんですけど。
はいはいはい。
作者さんがおっしゃるように言えば、この穴、ちょっと僕の言い訳というか理解も含むんだけど、穴っていうものをある種科学的、無形的な形の表現であるというふうに捉えてるんですよね。
わかりやすく言うと、例えば図形で対角線とか、中点みたいなものって小学校とか中学校の算数とか数学で学んだのって覚えてます?
やった気がする。
例えば正方形があったとして、四つの頂点が正方形にあるじゃないですか。
その正方形の右上と左下を結ぶと対角線ができます。
もう一本、左上と右下を結ぶと対角線ができて、その交わったところが中点、対角線を半分にするものですみたいな。
そんなふうな説明を聞いたことがあると思うんですよね。
やった時に、対角線とか中点っていうのは存在しますかって話で。
別に考えればこれって現実的には存在しないよねと。
なるほどね、存在するかと。
存在するかって言われると、大体図形上の話で、現実的にあるところに対角線がありましたってことは多分ない。
そうした時に、これは現実世界にはないんだけど、科学的な物事を考える時にはある。
それを使うことで、説明できることが増えるような存在というふうに捉えられます。
さっき言った通り丸とか四角とか、そういうのと同じ概念だよねと。
そうそうそう、そういうこと。
実は穴っていうのはこれと同じように、ある種の物体の一部がえぐれているとか欠けているとか。
あるいはそれが穴が、穴って言っちゃうとあれだな。
いわゆる、さっき言った通り何かが貫通しているっていうことを表現する時に、穴っていう言葉を使うんだというのがこのヒーシャスの捉え方なんだよね。
それこそあえて、我々が住むこの具体的な世界には、穴は存在しないと言っているように、具体的な世界と言っているのは、
48:01
大学生とか中天とか、あるいはNCみたいな感じで、数学の問題とかがあると、髪の毛引いたりするじゃない。
そういうものと同じように、穴っていうのは存在しているんだと考え方をするんだよね。
これってどう思う?
いや、それがすごい近い認識。
穴っていうものが存在するかって、問われちゃった時に感じる、すごく納得性の高い解釈かなと思う。
なるほどね。
だってないわけだもんね。穴があるかって言われたら、やっぱり真面目にね。
さっきは結構ふざけちゃったけど、真面目に答えると、ポンデリングの穴は、穴っていうよりはただの空間なわけで、
その何もないことを指して穴って仮に呼んでるだけ。
はいはい、そうだね。
そういうのはすごく納得性の高いと思う。
うんうん。
本当にね、たぶんその通りで。やっぱりポンデリングに穴があるって僕らは普段言うんだけど、
あやけが言ってる通り、ちゃんと考えるというか、ちゃんと真面目に話すとしたら、やっぱり穴は空間でしょ。
だから別にそこに穴があるわけじゃなくって、その空間を穴と呼んでいるんでしょっていうのがやっぱり正しい、
納得性が高い説明になると思うんだよね。
うん、そうだね。
なので、ここからは本の内容というか僕らが勝手に話すんですけど、
ポンデリングに穴があるというときに、もちろん8個の玉に囲まれた空間という以外にも、
玉の表面とかにも、たぶん顕微鏡とかで見たら細かい穴っていっぱい空いてるはずなんですよ。
はいはい、気泡の跡みたいな。
そうそうそうそう、フワフワしてるからね。
ただ僕ら普段は別に、生きている中でポンデリングに穴があるというときに、表面の気泡のことは言わないと思うんだよ。
それってたぶんポンデリング製造者ぐらいが言うぐらいの話で。
そうだね、失敗作をね、だいぶこれ穴空いてるなみたいなね。
穴空いちゃったとか、この穴の細かさが美味しさのものなんですみたいなさ、
っていうのでたぶん言うぐらいで、普通はそれを穴とは認識してません。
そうね。
でも本来のどっちも穴だし、空間が空いてるって意味ではどちらも等しく存在してるはずなんだけど、
日常的な感覚としては真ん中に空いてある大きな空間だけを穴と呼べます。
みたいな感覚からしても、やっぱりこの穴っていうのは人間の認識とか、理解と独立して存在してるわけじゃない。
51:00
そういう意味ではコップとかマイクとかっていうのは違う存在。
そういうものと同じようには存在しないよねっていうふうに言えると思うんだよね。
ごめん、僕ちょっと途中でアナロンジャとかって言ったけど、あれはスタッフとしての話で。
さっきのね、おふざけの話でね。
なので、すごく今こういう本を読んだりとか考えていくと、やっぱり穴はないというか、
ちょっとドラえもんとかと近い存在なんだろうなっていうふうには思います。
みんなが共通のルールの中で穴っていうものを認識して使ってるって話だね。
そうそうそう。
世界観をたまたま共有していますよという話だね。
それを共有することによって、やっぱりそういった便利なことがある。
まあそうだよね、すごく不便だよね、この言葉がないとさ。
ドーナツのあそこの真ん中のさ、みたいなのとか、
どうもあそこちょっと凹んでるっていうのも似たような話かな。凹みもあまり近いと思うから。
それも使っちゃダメって言われると結構めんどくさいもんね。
厳しいよね、そうそう。
もし穴っていう認識がない世界になると、多分ドーナツというものを認識できないというか、
さらに兄貴が言ってくれた通り、ドーナツがあるとしかいなくて、
そこに穴が開いてるっていうふうに僕らは認識できなくなっちゃうと思うんだよね、穴というか。
なので、やっぱり穴っていうものに対してはすごくありふれてはいるんだけど、
実はこんだけの認識的な操作とか、本来ないものをあるものと感じさせるような何かが働いている。
あーすごい面白いね。確かに穴って言葉ないと無なんだ、ただの。
そうだね、無になれるのかな。
受けているとか、腹であるとかっていうような、やっぱり本来あるものがないっていうふうな語り方になるよね。
あーまさか無ではないのか。いやー面白いね。
例えばチーズに穴が開いているときに、そこにはチーズはないんだけれども、チーズがないとその穴もないみたいな感じだよね。
その言葉の便宜さというかね。
そうね、無自覚さではない。だからそのぐらい僕らは自然にそういう言葉を使っている。
はいはい、いろんな土台の違う言葉というか、質字の違う言葉というか、フィクションとモノフィクションを常に使い分けているねって話だよね。
そういうこと、そういうこと。
前回だったかな、鎌倉仏教の時だったか、兄貴が言葉に喋らされているみたいな話をしたと思うんですけど、
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多分本当にそんな感じなんだよね。僕らはマイクとかヘッドを存在するっていうし、穴とかドライムを存在するっていうけど、
やっぱりこの存在するっていう言葉にはそれだけのグラデーションとか、見えなくさせているものそれによって含まれていますよというような感じですね。
確かにグラデーションってハエトは言ったけど、グラデーションもだし、次元も実は違う言葉を違う次元から引っ張り出してきて、
同じ現実世界を使いこなしている気になっているっていう話だよね。
そうだね。実際使いこなしてはいるんだけど、なぜそれが使えているかは分かっていないみたいな感じだよね、普通の生きている場合でいうと。
すごいな、この穴の本を書いた人すごいな。
すごいよね。ここにアンテナが立つとか、それを考えてみよう、研究してみようっていう人がちゃんといるってすごいし、
しかもそれが1人じゃないっていう6つの説があるから、それぐらいちゃんといろんな人が考えている。
そんなことをお伝えしてきたんですけれども、こんな感じでね、今回存在するってことに対して前回のようにドラゴンが空を飛ぶとかっていうときに、
あるものが存在して、それはドラゴンであり、それは空を飛ぶみたいな感じにパラフレーズで言い換えるみたいな話。
まず今回みたいに、どこからどこまでが穴で、どこからどこまでがフィクションでみたいな。
ちょっと考えてみようと思うんですけど、やっぱりね、存在するっていうことは一つとっても一筋縄ではいかない。
いや、そうだね。
そうそうそう。し、やっぱり存在するっていうところから発生しているだけでも、いろんなフィクションであり、穴であり、嘘でありみたいな、いろんなことでテーマが広がっていく。
それがある種必然なんだっていうことが何となく伝わったんじゃないかなと思っています。
はいはい、なるほど。
ここまで聞くとね、前はハヤトが意味ってなんだろうとかさ、そこに興味を持つっていうのもなんかわかる気がするよね。
存在そのものというよりはそっちに目がいくというかね、そことっては消えないみたいな、そういうのがあるのかなと思って。
ああ、嬉しい。そうなんです。
ちょっとだけ脱線したいと思うけど、まさに存在するかしないかは、僕の日常生活では別にどっちでもいいかなと思っているのよ。
まさに形状学的な感じで、それは大事だった時もあったんだけど、それよりもこのコップが存在するとして、それがどんな意味を持つか。
それは例えば、人によってはただただプラスチックのコップというかもしれないけど、
人によっては小さい頃から使っている思い出のコップとしての意味を持つみたいな話をした時に、それぞれやっぱり違うくなるよね。
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やっぱりそこにケチが生まれてきたりとか、それぞれの生きる世界が立ち上がってくるというふうにも思っているから、
やっぱり存在と意味の関係性とか、そういうものってすごく興味があるよね。
ちなみに僕が読んでいる山内特留先生という人は、存在と意味が加わって初めて実像になるみたいな、そんなことをおっしゃってたりもするんだけど。
そうなんだ。ちゃんとそういう意味という概念もちゃんとそういう先生に使っているんだね。
そう、その方は意味の啓示上枠という本を書いていらっしゃった。まさに意味というものを一冊書いている人なんだよね。
なるほど、それを前に紹介してくれたわけかむしろ。
そうそうそうそうですそうです。
この話は存在と意味、存在だけでは存在できないというか、存在だけでは人の認識の対象にはならないみたいな、そんな感じだよね。
いや、まさにこの穴的な話だよね。穴がないとこは無なのかどうかという話だね。でも無ではないという話だね。
まさに無とは何かとかそんな話も出ているんだけど。
いや、無なんて穴の裂いているものみたいな気もしてくるよね、こういう話を聞くと。
そうなんです。でもじゃあ無って何?無ってある?無があるってそもそもおかしいよねみたいな。
それはなるわ。無が移動しますかって話。無が回転しますかって話だもんね。
そうなんです。そういう意味でやっぱり無に対する考え方とかね、つかまりとかっていうのはいろいろあるんです。そこは一旦置いておいて。
ちょっと一個だけ最後に。なので無っていう話で出たけれども、まさに存在と無っていうのはサルトルが書いた本ですね。
実存主義を打ち立てたというか、いわゆる主張だね。
サルトルからの時にも紹介していると思うんですけど。
対事存在とか則事存在とかいうふうに言った時の本が存在と無っていうタイトルです。
そうなんだ。面白いね。やっぱりそういう名前のつく前の無みたいなもの。無じゃないけど、
無みたいなものに意味があって初めて立ち上がるみたいな概念とちょっと親和性がある感じがするのか。
そうそうそう、そういうことです。
なのでこういうふうに考えていくと存在ってものがあって、そことを意味とか無とか、存在と時間って言ったらハイデッカーだけど、
っていうふうにいろんなものがくっついてくる。
なるほど。
っていうぐらいやっぱり広がりのある話でした。というのが今回お伝えしたかったことだったという感じですね。
結局答えない話だからフワフワして終わるけどね。
1:00:01
そういうものでもあれ程度さっきのような何個かにフィクションとノンフィクションとか、
そういう考えと分けるだけでも自分が何を考えているのか考えさせられているのか、
相手が何に怒っているのかみたいな目の前の人がドラえもんいるだろうとめっちゃ怒っているとして、
こういう人は何でこんなに怒っているんだろうというときに、
向こうはフィクションの世界に存在していて、
こっちはフジコフジコが作ったっていう、
そういうある意味俯瞰したというか、
外部の視点から見ているから相手はこんなに怒っているんだろうなと。
そうだね。
今後分かるよねという話はね。
ここにちょっと寄り添えるというか。
そうです。
さっきから正解がないとは言っているけれど、
自分にとってどれが正解かというのは作ることができる。
自分がどういうグラデーションの中で生きているのかとか、
そういうレイヤーで考えている人はさっきの兄貴みたいに、
あると思ったけどそう言われてみたらないかもねとか、
そういうふうにいろいろ考えることができるじゃないですか。
自分にとって心地よさみたいなところがね。
そうそう。
できるというかね。
例えば穴職人みたいに入った時に穴はないと言われたら不安になるから、
穴掘り職人にとって穴はあるんだと思うんだよね。
なるほどね。
じゃあ俺は何で稼いでいるんだみたいな感じになっちゃって不安になっちゃうじゃん。
なるほど。
例えばキャラクタービジネスをしている人も、
ドラえもんはないとか言われたらさ、
じゃあ俺の仕事は何もないものなのかとなっちゃうと、
いやいやドラえもんはあっていいんですよみたいな。
そういうふうに話になるから、
そこは人によって自分の正解を見つけていきましょうっていうのは正しいと思う。
正しいというか、そういうことを僕は大事にしていった方がいいんじゃないかと思ってるんだよね。
確かにね。混同してるだろうしね。いろんな情報とかね。
意見とかだったりね。
なるほど。
そういうふうにしておきたいので、
より正しくというか自分らしく、自分にとって心地よく考えることができますよというような話で、
この存在の話を一旦終えたいと思うんですけど、
この現代経済学まだ続きます。
あれ終わりじゃないって。
終わりじゃないんです。
この本は存在とあと性質っていうのがもう一個大きなテーマとして持ってるんですよ。
性質ね。
あったね。何が存在と性質だっけ?
刑事上学のテーマみたいな話は何だっけ?
何でそんな存在と性質が出てきたんだっけ?そもそも。
この本の大きなテーマとして、存在というものと性質というものの2つのテーマを掲げてるって話でしたね。
はいはい。刑事上学入門ってここら辺を語るには足りないってことですね。
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そうそうそうです。
なるほどなるほど。
これから二回分くらいで性質っていうのをさらに深掘っていきたいんですけど、
これはかなり深いというか広い話で結びつけられちゃうので結構難しいというか大変なんですけど、
そういうふうに日常的なところから始めていって、存在とか性質というもののグラデーションというものを皆さんと一緒に深めていきたいなというふうに思っておりますという感じですね。
はいはいはい。分かりました。
分かりました。結構存在もね、なんかふわふわしてたけれども、最後言った通りね、
言うとその存在というものの境界線というかね、補助線をちょっと引く的なね、対角線じゃないかな。
そうだねそうだね。
次回もね、性質というものが一体何であるのかっていう。
わざわざね、存在とは何かとかさ、性質とは何かって考えないからね。
どんな話になっていくのか楽しみにしていきたいと思います。
というわけで、次回も引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
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