1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #178 「ドラゴンは空を飛ぶ」..
2024-01-10 40:34

#178 「ドラゴンは空を飛ぶ」は本当?「存在」から捉えるとこうなります!

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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サマリー

現代経時定学入門として、存在というものについて考える話です。存在するものとしないもの、存在すると言いにくいけれど考えられるものについて議論しながら、存在の線引きを作ることの難しさを探っています。存在を取り扱う哲学的なアプローチで、ドラゴンが空を飛ぶという言葉や丸は四角いという言葉の表現方法を探求しています。存在とは何かという哲学的な問いについて、言葉の操作や存在するという性質について考えます。存在するという言葉は他の動詞とは違い、存在そのものが前提となる特殊な言葉であることに触れつつ、存在するとあるは同じ意味なのか、存在とはどのような性質を持つのかについて考察しています。存在するとは何かを考えることで、存在という言葉のあやふやさや物語のフィクション性についての議論について深めています。

存在の問いとアプローチ
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いしまーす。
よろしくお願いします。
はい、今回も前回に引き続き、「現代経時定学とは何か?」というテーマについてやっていくという話でした。
違います。
そんな重いやつじゃない。
現代経時定学入門という本を頼りに、存在とか性質っていうものについて考えていきましょうというぐらいなので、そんなね、大なた震えないですよ。怖い怖い。
はい。
はいはいはい。
ですね。なので、存在とは、存在っていうものについて考えていきましょうというようなことなので、ちょっと考えることが今回からまたちょっとずつ増えてくるかなと思うんですけど、
あんまりこう、なんだろうな。
あのー、
変に考えすぎずに、あ、確かに存在っていう言葉って意外と深みとか奥行きがあるなーみたいな、なんかそんなことを感じてもらえたら嬉しいなーぐらいにちょっと話していこうと思っております。
はいはい。そう、まあ、現代だったりとか、まあ、そう、存在っていうものはどういう議論がそもそもされてるんだろうねーぐらいの感じってことかな。
そうそうそうそう。そうなんです。
なので、ちょっとね、こう、日常的な感覚からね、まずは考えていきたいんですけど、まあ、これちょっと目立つのは挟んじゃうんだけど、
うん。
あの、フッサルとかと、まずあの、全部日常のことを忘れてくださいとかさ。
裸で聞いてくださいとかって言ってたじゃん。
そう、よくね、そうね、言ってたね。
おー。
まず裸でとかってね。
おー。
あのー、やっぱりとりあえずそれもすごく難しい。そもそもそれが難しいので。
まあ、冬だしね、今ね、寒いしね。
そういうことね。すごい現実的に生きてるな、今ね。
ハハハハハ。
はい、あの、そのまま現実のまま聞いてくださいと。
はい。
あの、まあ、いわゆる世の中にはさ、いわゆるこう、もの、存在が溢れてるじゃないですか。
うんうんうん。
まあ、当然目の前、僕の目の前にはパソコンがあり、マイクがあり、まあ、当然その中にはいろんなものがあって、かつ自分っていうのはまあ、存在してるでしょうと。
うんうん。
あと、まあ、目には見えないけど、当然空気のね、分子みたいなものとか、微生物とかさ、細菌とか、まあ、そういうものもいるでしょうと。
で、そういうものもある種存在なので。
うんうんうん。
なので、世界には存在が溢れてるっていうふうに言えると思うんだよね。
うんうんうん。
存在するものとしないもの
まあ、一方で、ちょっと世界にはさ、存在とは言いにくいんだけれども、なんか確かにあるよねって考えられるものもありますと。
まあ、例えばさ、前回お伝えしたような、なんだ、あの、マルーサ、まあ、マルーサはちょっと難しいか。
例えば、その、まあ、ピカチュウとかさ。
うんうんうん。
なんだっけ、ニャンゴスター?
ハハハハハ。
ニャンゴスターはまあ、存在してると思うけど。
うんうんうん。
まあ、でもじゃあ、ニャンゴスターそのものみたいなのは結構難しいと思うんだよね。
うんうんうん。
とか、まあ、あとは、あの、数字とかがまさにそれで、まあ、1とか2ってさ、あるじゃん。
ああ、そうね。うんうんうん。
うん。でも、やっぱ、どこにじゃあ存在してって言われると、これもなかなか答えにくいと思うんだよね。
ああ、まあ、確かに、まる、まあ、マルーサと近い感覚はあるかな。
そうそうそうそう。ね。でも、なんか、そうなんだよね。なんかちょっと性質っぽい話になっちゃうんで。
でも、やっぱ、ないとは嫌だよね。1はありませんっていうのは、ちょっとさすがに言い過ぎじゃん、みたいな。
ああ、まあ、学校で習ってるしね。
そうそうね。
ちゃんとね。
そうそうそう。
うん。
で、なので、あるものとして、あんだけね、みんな習うけど、でも、数字とか1がどこにあるかっていうと、答えられません、みたいな話と。
うんうんうんうん。
まあ、とかね、あと、そもそも、その、日本語の問題として、じゃあ、存在するとあるって同じなの?とかね、そういうことも実はあったりするんですよね。
だから、例えば、数字はさ、あるとは言えるけど、存在するとは言いにくいよね。1はあるとは言えると思うんだけど、でも、1が存在しているって、ちょっと違和感ない?
ちょっと待ってね。多分、追いつけてないから、ちゃんと考えると。
オッケー。うん。
まあ、そうだね。あの、あるっていうと、そうだね。なんか、あの、そもそも、学校で勉強してるとか、普段使ってるよねっていう、カジュアルな感じがするよね。
うんうんうん。
自分のこう、そもそも、日常生活。
確かにね。
世俗的な意味で。
そうそうそう。
うん。
使えるけど、存在するって言われちゃうと、世俗的な意味では使えないね。もうちょっと高尚な感じに。
はい。あー、なるほどね。おもしろい。確かにその、感覚の違いは確かに面白いよね。普段生きてる中ではちょっと違うけど、ちゃんと考えようとか、なんか学問的な話で言われたら、そういうこともあるかもね、みたいな。そういう感じなのかな。
そう、あの、普段は、そういうこと、言葉をさ、例えば、あると存在するを、そこまで明確に区別して使ってるかと言われると、そもそも使ってないから。
うん。
そこについて改めて考えろって言われると、今みたいなことはなんとなく思えるかな。思う。
はいはいはい。
自分では思えないけど、そうね。言われれば、まあ、考えさせられるかなっていう。
はいはいはいはいはい。あ、確かに、でもそういう、発想というかね、感覚は大事かも。そのちょっと、やっぱ日常から、切発して、違うとこに行くような感じが、哲学にもあるんだけど。
はいはいはいはい。
うん。
まあ、日常的に、確かに1ってあるよねっていうところから。
うん。
まあ、でも1って存在するとやったらちょっと違うかもなみたいな。
うんうんうん。
まあ、ところに、こう、存在とか、あるとかっていうことのテーマが、まあ、広がってるっていうふうに言えるかなっていうのは聞いてて、僕も思いましたと。
そうね。そういう、その、哲学者だったりとか、物事の、まあ、鋭いというかね、そこにアンテナ立ってる人の感覚にいきなり寄り添うっていうのは難しいから、多分そういうことなんだろうね。
うんうんうん。確かに確かに。
うんうんうん。
うんうんうん。確かに確かに。
うんうんうん。
うん。
うん。
まあ、今ね、この数みたいな話をしたんですけれども、例えば、いわゆるニコンみたいな国とかさ。
うんうんうんうん。
あとは、例えば、ミライフ、私、私今ミライフっていう会社いるんですけど、ミライフっていう会社とかさ、あと、例えば、じゃあ、ドラゴンとかサンタクロースとかさ。
うんうん。
これ、カテゴリー的には近いと僕は思っているんだけど、それは存在してると言えるんだけど、じゃあ、
これ、カテゴリー的には近いと僕は思っているんだけど、じゃあ、
パソコンとかマイクとかと同じように存在してますか?って言われたらどうかな?
あー、まあ、そうだね。その、それこそ数字の1に近い方の感じになるね。
うんうん。多分そんな感じだよね。
そうそうそう。
みたいで、サンタクロースは当然クリスマスにさ、良い子のものにやってきます、なんだけど。
分析哲学と存在
うん。
でも、それって本当は、本当はクリスマスにサンタクロースと交互した親がやってくる、まあ基本的には。
うん。
まあ、基本的にはね。
うんうん。
だから、誰かがやってくる、であって。
うん。
じゃあ、サンタクロースっていうのは、存在っていうのは性質の方が近いんじゃない?まあ、性質の話はまだしないからあれなんだけど、ちょっと役割じゃね?みたいなふうにも言えると思うんだよね。
はいはいはい。
うん。まあ、みたいな感じで、やっぱこの存在するものとしないものとか、存在していると言えそうだが、でもちょっと違うぞとか、なんかそんなふうなものの間にちゃんと線を引こう。
うん。
で、ちゃんとね、区別できるようなルールってないの?みたいなふうに考えることは、やっぱり普段生きてる僕らのレイヤーからすると別にいらないんだけど。
そう、意識しないもんね。
うん。
はいはい。
そうそうそう。意識しちゃうと、逆に生きにくくなっちゃうんだけど。
そうだ。
うん。
うん。
間違いなく。
はいはいはい。
そう。
でも、やっぱり物事をちゃんと考えようとか、やっぱりその、存在するとは何か、存在しないとは何か、非存在とは何かみたいな。そういうことを考えたときには、そういうふうに考えることができる。
うん。
うん。
うん。
うん。
で、その領域において、結構ね、有力なというか、今の現代の哲学において、やっぱこのアプローチすごい強いよねって言われてるのが、実は分析哲学っていうような分野があるんですよ。
わー、あるんだ。ちゃんとそういう分野がね。
はい。
はいはい。
そう。これはプラグマティズムみたいな感じで、そういうような一歩というか、流れがありますよ。
はい。
そういうような話で、まあ、ちょっと僕はね、その分析哲学ってやっぱむずいなっていうのをちょっと思っちゃってて、直感的に。結構数式がガンガン出てくる。数式というかね、そういうの出てくるとか。
うんうんうん。
まあ、もう、ロジックゴリゴリみたいな感じがあって。
はいはいはい。
ちょっと苦手とかって思っちゃってんだけど。
うん。
まあ、でも、そういう分析哲学の中で、例えばその、存在をこういうふうに示していますみたいなね、話があって、それは結構わかりやすいのね。
まあ、わかりやすいっていうよりは、わかりやすく解釈もできちゃうので。
はいはいはい。
うん。ちょっとそんなことを触れる中で、この存在っていうものに、あの、ちょっと哲学的な領域に少しずつ踏み込んでいきたいというふうに思っています。
へー、面白いね。そっか。その、存在の線引きを、そういうふうに作ってくれてるってことはね。
そうなんです。そうなんです。
はい。
はい。それをどういうふうに考えるかっていう話なんだけど。
うん。
だからじゃあ、ここからがね、実際その話なんだけれども、じゃあ、その、存在っていうものを考えましょうっていうふうになったときに、やっぱり存在って何とかっていうのは、結構無謀なアプローチだから難しいんだよね。
うまい。そうだね。
うん。
うん。
そう。ちょっと、問いとして大きすぎるし、なんかどっから手をつけていいかわかりませんみたいな。なので、まあ、よくあるさ、その、やっぱり何かを考えるときは、その、問いっていうか、何について考えてるかから考えましょうみたいな話なんだけど。
うんうんうんうん。
うん。
その、分析・哲学というか、その、わかりやすく考えるためには、その、いわゆる非存在、存在しないっていう方からアプローチしましょうっていうのを結構やるんだよね。
あー、なるほど。あー、これ、まず、このスタンスはすごいあれだね、学問的というか、使えそうだね、でもね。
あー、そうそうそうそう。
反対から考えると、まずね。
そう、反対から考える。やっぱり、存在しないものを考えれば、存在っていうのが見えてくるわね、みたいな。まあ、話ってあるじゃないですか。
うん。
いやー、全然、あの、あの、なんだろうな、論理的っていうかさ、異形的な思考もないからさ、こういう思考をなんかすごい新鮮に感じるよね。
あー、そうなんだ、みたいな。
言われれば、確かにってやっぱ思うじゃない、でも。
うんうんうんうん。
うん。
で、じゃあね、ここで考えてみたい文章があるんだけど。
うん。
例えばさ、えーとね、ドラゴンが空を飛ぶ、という文章がありますね。
ほう。
ドラゴンが空を飛ぶ。
空を飛ぶ。
うん。
うんうんうんうん。
例えばさ、これを言われてさ、これ正しいですか、どうですか、とか言われたらどう思う?ドラゴンって空飛びますか?
まあ、あの、飛ぶドラゴンの方が、あの、今まで見たこと、見たっていうか、あの、本とかね、ゲームとか見たことは。
はいはいはい。
うん。
飛ぶよねっていうイメージある。
そうだよね、そうだよね。あるよね。
うん。
じゃあさ、ドラゴンが存在するはどうですか?
は、見たことないから、わからない。
わからない。
うん。
そうだよね。
うん。
でもさ、じゃあなんでドラゴンは存在するかわかんないのに、空を飛ぶっていうのがわかるんですか?って話なんだよね。
あー、ちょっと三段ロープ法的な感じだね。
はい。
そうそうそうそう。
うん。
どう思う?そこは。
んー、まあそこは知らんがなって。
あのー、だってドラゴンボールにも出てくるし。
うんうんうん、そうだよね、ゲームにもね。
だから、そのイメージしかないですよ。
そんなこと言われても知らんですよって。
はいはいはい。
作者に聞いてくれよって。
うん。
そうだよね。いや、それこそに、たぶんやっぱり、ファン的な生きてる感覚としての答えだと思うんだよね。
いや、そんな知らんがなと、その聞かれても困るがなと。
そうね、そこで。
うん。
いや、そういうことじゃなくてとかで言われても、まあうれしいもんお前どっか行けよってばかっちゃうね。
忙しいんだよこっちはって。
はい。そうそうそうそう。
うん。
だから、これが僕が飲み会で嫌われる理由なんですけど。
そっから、あのー、深掘っちゃうからね。
いや、そうじゃなくてって言っちゃうって。
そうそう、そういうことじゃないんだよっていう、まあ言わないですけどね、最近は。
はい。
まあ、そんなね、ことを思ったときに、じゃあ、哲学的な、いわゆる流儀に入っていきましょうと。
で、まあ、当然ドラゴンについて語る方法っていくつかあるんですよ。
文章の作り方を変えるアプローチ
うん。
あるんだけど、その一つの中に、いわゆる文章の作り方を変えましょうってアプローチがあるんですよね。
どういうことかっていうと、要は、ドラゴンが空を飛ぶって文章において、
ちょっと文法学的な話になるんだけど、ドラゴンっていうのはいわゆる主語だよね。
うん。
で、空をっていうのは、まあ場所とか、そのなんだろうな、領域っていう話で、で、飛ぶっていうのは動詞だよね。
うんうんうん。
だから、そもそもこの文章を作っている時点で、ドラゴンっていうものを主語に置いているということは、ドラゴンっていうものの存在を前提にしちゃってるんだよね。
まあ、そうだね。うんうんうん。
そう。
うん。
まあ、言う通り、現実じゃないにしても、その物語の中とかさ、作者の頭とか心の中とかは分かんないけど、
そもそもこの言葉を使っている時点で、もうドラゴンがいるっていう感覚があるよねって話なんですよ。
そうね。そういうことは、社会的にはって話だよね。
分析哲学のアプローチ
ある程度、こう、一般的に共通する認識があるだろうっていう意味で。
そうそうそうそうそう。
っていうような話で、で、それ自体はもう否定できないし、そうね。
だから、その、それは社会にあるのか、みんなの心の中にあるのか、物語の中にあるのかっていう、それを探すことにも意味はあるんだけど、
でも、分析哲学は違うアプローチをとりますと。
うんうんうん。
だから、すっげえ大雑把に言うと、主語っていうのを消しちゃって、全部述語にするのね。
そう。それで、文章成り立つかどうかを試してみましょうみたいな操作っていうのを行いますと。
うんうんうん。
例えば、実際にこう、試してみると、あ、これさ、あの、全然厳密な分析哲学だよ。
うんうんうん。
厳密な分析哲学の話じゃないし、あの、現代経済学入門の本にはもっとちゃんと書いてるので、
うん。
興味の方はそちらをぜひ読んでくださいって話の前提で、これから話すんですけど。
はいはい。まあ、ハイトの解釈やったりとか、ちょっとこう、分かりやすいようにこう、形変えてますよって話ね。
はいはい。
そうですそうです。はい。
で、えーと、どうなるかっていうと、ドラゴンが空を飛ぶっていうふうな言葉を、
この、あるものがこの世界に存在して、
うん。
それはドラゴンであり、かつ空を飛ぶっていうふうな言葉に変えるのね。
おー、はいはいはいはい。
はい。あるものがこの世界に存在し、それはドラゴンであり、かつ空を飛ぶっていうふうに言葉に、いわゆるパラフレーズできますよね、と。
で、どうなるかっていうと、あるものが主語になって、ドラゴンであるが述語になるんだよね。
うんうんうんうん。
で、それをじゃあ、正しいですかどうですかっていうふうに考えていくんだけど、
うんうんうん。
当然正しくない。要は、あるものは存在する、で、それはドラゴンであるってなったときに、いや、それは存在しないよね、と。
あー、なるほど。
うん。
ほうほうほうほう。
だから、この、ドラゴンっていうものはそもそも存在しないから、それが空を飛ぶっていうこと自体が間違いであるというか、正しくないっていうふうなロジックが成り立つようになるんだよね。
うーん、まあその検証が可能になるって話だね、その。
うん。
ほんと、一般認識上、いるかも、いないかも分かんない空想者のドラゴンっていうものから、
うん。
哲学的なアプローチ、ほんとに実在するのっていうアプローチに、そこでやっとこの検証可能な状態に持ってこれるって話ね。
そうそうそうそう。
なんか分解できるというか。
そうです、そうです。分解できたり、あの、それを考える、ちゃんと考えることができるようになる。
そうです、そうです。
例えば、さっき言ったみたいに、じゃあドラゴンが空を飛ぶとか、サンタクロースが空を飛ぶとかって、それを考える、ちゃんと考えることができるようになる?
うんうんうん。
その時に、そのigeniaで、それが、空を飛ぶとかっていう時に、もうその言葉自体が、その存在を前提したものとして反映されちゃってるんだよね。
うんうんうんうん。
うん。でも、誰ものが存在して、それがドラゴンであるとか、誰ものが存在して、それがサンタクロースであるっていう風な言葉にした時に、
うん。
なんと、おかしいっていうことが、なんと言葉として表現できる、っていうような言葉の扱い方が、できるようになります。
はいはいはい。
じゃあ、例えば逆にさぁ、例えば、
正しいこと、明らかに正しいと思えることに これを適用してみるとどうなるのかっていうと
例えば、机は四角いみたいな 本当に目の前に四角い机があって
机は四角いという文章を考えてみると
やっぱりあるものがあって それは机でありかつ四角いっていう風になるんだよね
当日は机は丸いこともあるし 三角形のこともあるんだけれども
そもそもあるものがあって それが机でかつ四角いっていう風に言われたときに
それはずっと通るというか正しいっていうことは 簡単に確認できるよね
でもまだしっくりこないな
ドラゴンであり空を飛ぶ
今のあるものがあって ドラゴンであり空を飛ぶっていうのも
まだドラゴンっていう言葉を 使っちゃってるからね
また検証家の意識の話なのかな
そこでドラゴンっていうものがいるんだっけ
っていう音と飛ぶものがあるんだっけっていう
どっちもが検証対象になるっていう話なのかな
そうそうそう
両方ちゃんと判断しましょうってことなんだよね
ドラゴンが空を飛べていっちゃうと ボドラゴンっていうものを歌うことはできない
うんうんうん
でもあるものがあって それはドラゴンでありって言われると
ドラゴンがあるっていうことに ちゃんと目を向けて考えることができる
はいはいドラゴンだと
しかも本当にいるんだってっていう話になってくる
なるほどね
ドラゴンっていうのはもっと分解することもできるんだよね
あるものがあって
それはおとぎ橋に出てくる空を飛ぶ宝箱を守っている怪獣であり
みたいな感じで
ドラゴンっていうのをどんどんどんどん分解していくと
それが物語におけるドラゴンであるっていうような言葉だったら
それは確かに物語においてドラゴンっていうものはあると言えるみたいな
そういうふうにどんどんどんどん細かく分解することもできるんだよね
あーなるほどはいはい
そうやって境界線みたいなものを確定させていくみたいな
言葉のパラフレーズと判断の可能性
そうそうそうそう
はいはいはい
だからドラゴンが空を飛ぶっていう言葉をパラフレーズする方法っていうのは無限にあって
かつその
長さとかも考えられるんだけど
そういうふうにどんどんどんどん切っていったときに
正しいかどうかっていうのをちゃんと判断できるようになるみたいな
そんな操作なんだよね
はいはいはいはい
例えばさ今机は四角いって話をしたんだけど
うん
じゃあ丸は四角い
これでも考えますと
でも丸は四角いって言われたら
いやなんかおかしいけど何がおかしいかってちょっと言いにくくない?
丸は四角い
あーまあそうだね
確かにあの表現はできちゃう方法はあるね
言葉としてはね
そう
あとは見る角度によっては横から見たら丸いけど上から見たら四角いみたいな円柱みたいなものを想像することはできるじゃない
そうそうねあとは丸が四角く並んでるみたいないっぱい
あーそうだね
うんうんうん
そうそう
ただ日常の言葉では丸は四角いっていうのは
まあ意味は表現し得るし何らかの事実があるからね
実を表現し得るんだけれども
うんうんうん
でも例えばこれをまたパラフレーズして
あるものがこの世界に存在して
それは丸いしかつ四角いっていう風に言った時に
これはないよねっていう風に判断できるんだよね
なるほどなるほど
はいはい
うん
でもさっき言った通り
じゃあ丸が四角く並んでるとかっていう風になった時は
それはあくまでもあるものが存在して
それは丸でありかつ四角く並んでるとかっていう風になった時は
丸が四角く並んでいるっていう風に言わなきゃいけないんだよね
うんうんうんうんうん
うん
そうするとちゃんとその表現したいこととか
事実に対して適応するものっていうのがクリアに表現できる
なるほどそっかそっか
言葉の揺らぎみたいなものがなくなる
そうそうそうそうそう
そうなんですそうなんです
そうなると丸は四角いっていうことと
丸が四角く並んでいるってことは違うよねってことが
よりクリアに分かってくる
ちー
それをまたパラフレーズすると
あるものがこの世界に存在して
それは丸という形であり
かつそれが四角いという形で並んでいて
並ぶということはこういうことでありみたいなものが
ちゃんとこうなんだろうな
細かく細かく定義しているのが気になる
うんうんうんうん
みたいな感じで
こんな風に言葉に含まれる
ある種そのやっぱり緩いから表現できちゃうような気がするんだよね
なるほど
あーこれは確かに哲学みたいなさ
言葉でやるそのなんだろうな
学問というか
うん
ものではめちゃくちゃ大切かもしれないね
そうそうそうなんですね
じゃないと証明したっていう時に
変な反論許しちゃうというか
そうそうそうそう
とか本当に表現できてないみたいなことがやっぱりあって
例えば数学だったらさ
その数式で
やっぱり
円とか丸さとは何かっていうものは使えるけど
うんうんうん
数式では絶対に丸は四角いっていうことは
明らかに起きないはずなんだよね
うんうんうん
そもそも性質が違うから
うん
でも僕らが使う言葉とか日常的な感覚においては
丸は四角いって言葉は何らかの意味を持ってしまう
そういう時にその意味をちゃんと表現するとか
ぶれないようにやっぱ表現するために
こういう操作っていうのが役立つんだよね
役立つよねみたいな
はいはいはい
それを使うとさっき言ったドラゴンが空を飛ぶみたいな言葉も
ちゃんと意図したいことを表現できるよねみたいな
そんな感じなんだよね
うんうんうんうんうん
なのでこれまでの話でね
ちょっとドラゴンが空を飛ぶっていう風な言葉の取り扱いについて見てきたんですけど
うん
当然さ存在についての問題っていうのは
これだけでは当然解決はもちろんできないんだよね
まあそうだね
うーんちゃんと物事を飲み方みたいなうん ねっ
ちょっとまだ遠い感じがするじゃないし 例えばさっきさドラゴンは存在して机は
そのアーバドラゴンは存在しなくて机は 存在するって言うときや行きもちょっと
なんか引っかかってくれたと思うんだ けど
それちょっととかなり正しくって要はさ 上が存在するっていう言葉に関しても
んだ本当に机って存在しているのみたいな こととさ疑うことが疑えるじゃない
まあそうねそこ机のイデアのってこいって 話になりかねないああそうそうそうそう
存在するという言葉の特殊性
本当に 例えばさでつけっていうのはずつは足と円
マンがあってみたいな話の組み合わせた ものにしか過ぎないとかさ
そこでたのすべては原子だからもうつけて もなく原子をもしかないんだみたいな
もっと一緒粒子かうん 話とか
うんあとは逆にそのプレッシャー者つけ じゃなぁにて帰ったら例えば何かを置く
まあ台というかさ その勉強や仕事内容をするときにある種
ものを置けるような台ですよっていうふうに 言えることができるじゃない
いうとなんかときた場合によっては椅子が 付けになることもあるし
それが踏み台になることもありますよと はい
うんって時にでもさ椅子は机であるとか さ
椅子は踏み台であるって言われたら ちょっとやっぱ違和感あるくらい
あるくないって言葉が変だな
うんあるね まあ
そこそこあれだよね 机を踏み台として使うみたいなふうに
言ってもらわないと違和感はあるって話だよね そうそうそうそうそうだよね
みたいな感じでやっぱりこう机が存在する って言葉もやっぱり実はまだまだ問題
含みの言葉なんだよね うんうんうんうんうん
なのでさっき言った通り その
ある存在と非存在みたいなものはさっきの変化
要はあるものが存在してそれは机であり かつ四角いとかっていうことで
一つこう 分かりやすくなる考えやすくなるとは思うんですよ
でもまだまだやっぱりこう存在するとか しないとか非存在であるとかっていうのは
やっぱりもっともっと広がりがあるんだな っていうこともなんとなく今日の話で
感じいただけたんじゃないかと思うんだ 確かに存在ってものをねこう的確にね
表現していることの
限界だったりとか
そもそもそれって可能なんだってっていう感じがするね
そうそうそう
そうなんです
なので結構ね
それ可能ってめちゃめちゃ難しい話で
それこそね
哲学2000年の歴史において
まだやっぱりそれをやりきったというか
本当にもう
全問の一つはあるからあるのだとか
いやーね
神とはありてあるものである
っていうのが中世哲学の
トマス・アクリナスが言った言葉なんだけど
ありてあるもの
みたいなのなんやねんそれみたいな
本当そういう風になっちゃう
さっきの机みたいな話になっちゃう
ってことだよね
本当の机ってなんだっけっていう方に
別にイデアを信じてるわけでもないのに
陥っちゃう
って話だよね
とかやっぱそこを真正面から突き詰めようと思うと
結局そういう境地に
至っちゃうってことだよね
なんかあるのだとか
ないもの
ないものがあるのだ
結局もの自体みたいな
ないからこそあるのだみたいな
そうそうそう
みたいな感じになっちゃうので
ちょっとそこを真正面に行くとよりは
そういう風な操作を取ることで
考えやすくなるとか
特別しやすくなることがありますよと
っていうのが今回の話ですね
はいはいはい
でちょっとね
次回以降はもう少し存在とはみたいなものに
深く張り込んでいきたいと思うんですけど
まだあるんだねちゃんと
ほうほう
全然あります
それが前回ちょっと導入編で言った
フィクションっていう話
まさに兄貴が前回言ってくれた
ニャンゴスター
ニャンゴスターはね有料キャラだから
もうちょっといる存在よりだと思うけど
ピカチュウとかの方がわかりやすいかな
ドラえもんとかね
ピカチュウとかドラえもんって
そういるのいらないの
いらないじゃないや
いるのいないのみたいな話とか
前回兄貴が面白そうって言ってくれた
もう出てくるんだ
その話
穴も出てきます
はい次回で
うんうんうんうん
そう
なので
穴は存在するかしないかみたいな話っていうのも
やっぱめっちゃ面白いんだね
ちょっと考えただけでも
うん
あそうなんだ
はいはいはい
はい
なのでそんな話はね
ちょっと次回は取り上げていこう
というところで
存在とは何かというよりは
存在っていうテーマに対して
どんな議論があるのかということを
見ていきますっていうような話ですね
なるほど
はいはい
ちなみに
ちょっと今回のまとめて
基本的なのを
ちょっとお願いしたいんだけどさ
うん
今回はその
なんだろうな
結構どっちかというと
哲学というよりさ
下手すると
うん
なんか言葉遊びというかさ
あーはいはい
ただその言葉の操作をすることで
うん
あのー
まあ考えやすくなりますよみたいなさ
はい
話に聞こえるかもしれないけど
うんうん
今回やっぱ
どのあたりがこう
なんかハイト的な肝だった感じなのかな
そうでOK
えっとそれでいくと
やっぱりその
そもそも日本語とか
子供において
やっぱ存在するっていう言葉自体が
すごく特殊な言葉なんですよ
はいはいはい
これは英語でもそうだって言われて
実はそこから
存在するという性質
あのー
分析哲学が始まってるっていう話もあるんだけど
うんうんうん
そこだけちょっと補足すると
要はあの
いろんな動詞があるじゃない
動くとかさ
その食べるとかさ
飲むとかさ
っていうような動詞と
存在するっていう動詞は
そもそも性質が違うんだって話があるのね
へぇー
はいはいはい
そう
理解通りで
要は
あのー
さっき言った
ドラゴンが空を飛ぶっていうのは
あるものが存在しっていう風に
存在っていうのを最初に使ってるじゃない
あーなるほど
はいはいはいはいはい
でこれ面白いのは
何かが存在するっていう言葉は
何もそのものに対して情報を付け加えてない
っていう話があるんですよ
なるほどね
はいはいそっかそっか
その他の動詞については
もう存在そのものが前提となっちゃってるけれども
そう
存在するっていう言葉については
その前提を通るっていう
ちょっと特殊な
そことは経路の違う動詞なんだ
そう
だから
そもそも言葉を喋るっていうのは
何かが存在するってことを前提にしてるんだよね
無意識的に
存在するって動詞なのかなぁ
形容詞なのかなぁ
おぉ
おぉいいですねぇ
そうなの結構
そう思います?
そうなの
そうやって哲学の分野で
もう言われてる話だもんなんか
言われてる
そうなんだ
言われてるっていうか
さぁ
うん
存在ものってあるじゃない
うんうんうんうん
でも何か
これさウィトギア社会も言ったけど
リンゴっていう名前は
リンゴそのものを表したいんだよね
そう
リンゴがあるという事態に対して
リンゴって指さすことで
それを指し示しているとか
リンゴが美味しいというような状況において
そのリンゴっていうのを
示しているのは言葉であって
でもそれは常に
もうリンゴっていうものは
何らかの形として
あるってことを前提にしてるんだよね
うんうんうんうん
だから
例えばリンゴが存在するっていう時に
それは
何も言ったいことと同じじゃないか
っていう風に問えますと
でも兄貴が言ってくれた通り
じゃあ存在ってのは性質だとしたら
リンゴというものが
存在するという性質を持っている
という風にも考えられなくはないよね
あー
まあ結局無限ループな感じですね
そうしちゃうと
そう
あのあらゆるものには
存在がつきまとってるから
何も言ってないもんね結局
そう
そうするとじゃあ
存在という性質を持ってないリンゴを
考えた時に
それってリンゴなの?とか
それって何なの?
っていう風にならない?
そうね
そう
存在とは何か
それって何なの?になるわ
そう
そうそう
だから
だから存在って
哲学の一番根本の問題なんですよ
要は
存在するっていうことを離れて
ものを考えることってできますか?
って話で
誰が存在って言葉を作ったの?
概念作ったのね
すごい概念だね
そうやって考えると
すごいでしょ
そう
だから今日はちょっと触れて
さらっと流しちゃったんだけど
やっぱり
存在するとあるって同じですか?
っていう風にもなるんだよね
まさにだね
はい
英語で言うと
isとexistの違いなんだけど
例えば
my name is
はやとかんのと
かんのはやと
exists
なんちゃら
みたいな時に
それって同じですか?って言うと
やっぱちょっと違うらしいんだよ
ニュアンス的に
はいはいはいはい
みたいな感じで
やっぱり
あるっていうのはすごくいい言葉で
例えばなんだろうな
リンゴがあるか
あるとかいるか
って話でいくと
結構なんだろう
彼女そういう
細かいこと言わなくていいことがあるんですよ
要は
かんのはやとっていう人間がいるって言ったら
まあそれはいるよねとか
いないっていうのは
要は不在ってことなんだけど
要はここにはいるけど
あちらにはいないとか
うんうんうんうん
今はいないけど
前にはいたとか
そういう風に
時間とかも含めて感じて
不在っていうものを
表すんだけど
かんのはやとは存在しないって言ったら
それでも時間とか空間とかを超えて
そうこの世界から
もう消失したみたいな感じになっちゃうじゃない
そうね
うんうんうん
そういう時に
要はそうなると
例えばよくSFとかでこれもある
要は
かんのはやとする存在が消えた瞬間に
じゃあその人の記憶ってどうなるんですかとか
それも全部消えた時に
初めてそのかんのはやとする存在が
なくなったと言えるとした時に
うんうんうんうんうん
じゃあ存在っていうのは
存在って
じゃあ兄貴の中にいる
かんのはやとという記憶も
かんのはやとという存在なんですかとか
そういう風なものが
もういっぱい出てくるのね
問題として
だからさっき言った通り
神っていうものが
ありてあるものっていう
あるとか存在するという
根本原因としての神っていう考え方が
平和哲学によって出てくるんだよね
うんうんうんうんうん
だって分かんないじゃん
存在するって何か
分かんないね
分かんないね
うん
うーんなるほど
面白いね
面白いテーマだね
本当に
そう
確かにそれで言うと
そうか
あらゆるものは
もうあることが前提になってるんだな
っていう感じがするもんね
そうそう
本当にそう
そういう言葉で考えるとね
終わっちゃうので
うん
そこの袋小路に陥っちゃう
要は
誰かの時に取り上げたと思うんだけど
結局そうやって疑似問題だとか
哲学っていうのは
ウィトゲンシュタインか
本当は解かなくていい問題は解いてるんだけど
それは言葉の混乱によって起きているから
言葉というものをちゃんと正しく使えるようにするんだっていうのが
ウィトゲンシュタインの話だと思うんだけど
はいはいはい
この分析哲学はウィトゲンシュタインの方向性を
なんか押し進めたものっていうふうに
言われることがあるんですよね
実際あれだよね
ロンリー哲学
論考
論考
もう式いっぱい出てくるもんね
あーそうそうそう
存在についての議論
そうなんです
なのでその言葉っていうものをちゃんと正しく使って
少なくとも混乱が起きないようにするとか
自分が何を考えてるかを理解する
もっと言うと
存在っていうものを我々は前提として考えてるよね
みたいなことがクリアになる
あーなるほどね
そこすらあやふえだったよねっていうのが
ウィトゲンシュタインが言ってたことみたいな
そうそうそうそう
もう一つって感じなんだね
そう一つ
だしさっき言ったドラゴンが空を飛ぶっていうときに
ドラゴンとか空っていうことを想定しているとか
存在としてやっぱり無意識に扱っている
うんうんうんうん
空ってどこから空ですかって言ったら
多分定義はあると思うんだよ
でもその定義もすごく恣意的だとか
人間が勝手に決めたものじゃない
だから空っていう存在も実はあやふやだよねっていうふうに
本当は言えちゃうんだけど
なるほどね
そういう意味で本当にちゃんとあれだよね
前回の雑談でもあったけど
本当の意味で言葉を扱うってどういうことですかって話なんだね
そう
使わされてる
どこまであんた達は使わされてるんですかっていうことを
ウィトゲンシュタインはここまでは使わされてるよねみたいな話を
自覚的にさせたみたいな感じでもあるのかな
そうですそうですうん
そう
だからこれは本に書いてないことかもしれないんだけれども
なんかやっぱりそもそもやっぱり僕らは生きているという前提で物を考えるじゃない
そうだねうんうんうんうん
だからその大前提まで掘ると
生きて存在している自分がドラゴンが空を飛ぶと考えているみたいなことなんだよね
あーなるほどね
そっかそっかそっか
これ誰だっけそう
ちょっと違うかもしれないけどいわゆる主語がされているとか
そもそもそういう前提が忘却されているみたいなことを考えた哲学者もいたはずなんだよね
あーそれ面白いねそっかうちの主語だと思ってるものは実は
その主語の主語みたいなものとかもしかするとさらにその主語とかも何個か実は無意識的にあるんだと
あー面白いねそれ
うんうんうん
だからそれを前提したいと僕らコミュニケーションとれないしそもそも生きていけないんだよねやっぱり
存在の難しさ
うんうんうんうん
だから普段は隠されているし意識はしないんだけどそういうようなものが存在とか物を語るということの根底にはある
うんーわー面白いねそっか
そっかそっかその無意識にどこまでアクセスできるかみたいな話なんだよね
言葉の
って話だよね
でもそう考えると
怖くない
こんなに言葉に使われてるんだって
まさに兄が言ってくれてる
言葉に言わされてる感覚
やっぱ結構出てくるよね
しかもやっぱ
気候はすごい感じてないから
そこがまた
怖いところもあるというか
だから
全話不流文字で文字を離れるとか
やっぱその時々
出てくる言葉っていうものを
大事にする
言葉を離れて
言葉を使うみたいな感じで
やっぱなってくるんだよね
そこで一周回る感覚があるのかもしれないね
言葉って思いますね
なるほど
今回それを
第一歩みたいな
話なんだね
言葉を分解するっていうのはね
なるほど
聞いてくれて
本当にありがたかったし
それをまさに言いたかったことを
今言わせていただいた感じなんだけど
うんうんうん
本当にだから
存在するっていう言葉は
実はすごく
あやふやなというか
他の言葉とは違う言葉なんですと
いうところの前提に
存在するとは何かとか
存在しないとは何かを考えましょう
っていう風な話なんだよね
うんうんうんうん
なるほど
普通に言ってたら全く
そうはね
考えなくてもいいし
気にもしないというかね
話だわ
うんうん
そうです
でもだからこそやっぱ
現代の刑事論家でも
こういう問いっていうのは残っているし
やっぱり真剣に向けられるべきテーマだと
いう風に言われている
逆にさっきのとおりでも
存在するってのは
すごく難しい言葉なので
存在しない
ものとしてのフィクションとか
あとは穴っていうのも
よくよく考えると
存在してるのはあれみたいな
ほいほいほい
ふーん
はい
っていうようなことがあるんで
それから考えていく
もちろんそういうことについて考えると
考える中で
存在っていうものについて
深めていきましょうというのが
次回やりたい話ですね
はい
いやーちょっとそうか
わーなんかうんうんうんうん
今回ねその言葉のなんか
その分解みたいな話だけかなと思ったんだけれども
そっかそっか
ちょっとそうだね
その存在って言葉の怖さ
不思議さみたいなものが
ちょっとあの最後の話で
わーっと迫ってきた感じがするね
あーよかったよかった
いやーありがとうございます
それは本当にそう
存在って怖いんだよ本当に
うんうんうん
いやー次回がちょっと
がぜん楽しみな時期だね
その辺をもうちょっとこう
なんか深掘るなりね
なんなりしてくれるという話はね
はい
はい
おっしゃった通りです
じゃあちょっとまた
はい
土地も開けて
少しずつ頭も回ってくると思うんでね
そうですね
ぜひぜひ
はい
面白い話楽しみにしてますということで
次回も引き続きよろしくお願いします
お願いします
えー今回もありがとうございました
40:34

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