1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #198 直感と確率。毎年宝くじ..
2024-03-20 56:34

#198 直感と確率。毎年宝くじを500枚買ったら何年で1等が当たる?

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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00:05
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、前回は偶然ということで、じんめるさん、そういった話を見てきたんですけれども、今回は確率の話に移っていくという話でした。
そうですね、移っていくというよりは、偶然というテーマで考えた時に、例えば100%起こることって要は必然じゃないですか。
だから偶然って、要はたまたま起きるっていうことなので、例えばサイコロを振って3が出るみたいなのはたまたま出ましたよ、偶然ですよと。
その確率って、いわゆる6分の1だよみたいな話だと思うんですよね。
もし、あるサイコロを振って絶対に3しか出ないサイコロだとしたら、それはサイクロされているか、そういう動画もあったんですけど、絶対にその目しか出ないサイコロを作ったみたいな動画とかも見たことあるんですけど、
そういうふうに、要は偶然じゃないよねっていう話になるんで、偶然っていうのは考える時に確率的な考えっていうのも変わってきますよと。
ほうほうほう。
っていうのを、第一回というか初めの時に見ていたと思うんですけど、
そう思って、何回か本の名前出したんですけど、確率と哲学っていうね、海外のティモシーチルザーズさんっていう全然知らない人が書いた本があったんで、
いいじゃんいいじゃんと思って読んだんですけど、
じゃけがえしたんだね。
じゃけがえした、帯がえした、帯にね、不確実な世界を理解する鍵、確率。
しかし確率とは何か、答えは未だ出ていないって書いてるのね。
ほうほうほう。
でも答え出てなくても、不確実な世界を理解する鍵って書いてるぐらいだから、そういうことについて書いてるのかなと思ったんだけど、
意外と確率にもいろんな話があるよとか、こんな議論がされてきたよっていうふうな話で、
結局世界との関わりっていうのは全然わからなかったんだよね、残念ながら。
哲学者の方が書いた本ではなかったのかな。
ではない、うん。
それをまとめた人かなみたいな感じだと思ったら、そうでもなかったと。
そうなんです。もちろん事前情報で哲学者の方ではないなと思ったんだけど、
もうちょっとそういうところに切り込んでるのかなと思いきや、
自分の関心でははまんなかったみたいな、面白かったんだけどね。
はいはいはい。
っていう感じがあったんで、本の中にも書いてある確率の話ってめちゃめちゃ面白いし、
前回兄貴も最後の時にあったけどさ、意外と確率って自分の感覚とずれてるのみたいな。
03:04
そうだね。
3%のガチャを何回引いたらいけるかみたいな時に、
それこそ30回引いたら1回ぐらい出るんじゃないかっていう人と、
300回ぐらいじゃなきゃダメじゃないかって兄貴両方間違ってたみたいな話を前回したと思うんですけど。
そうだね。
そういうふうに意外と自分は確率的に生きてないぞみたいなことを感じてもらう回に今日はしたいなと思ってました。
はいはい。確かにそうだね。
めちゃくちゃ直感ずれてるよねって話だもんね。
そうそうそう。
前回あれだもんね、確か3%を100回ぐらい引けば90何%ぐらいは1回は引くよみたいな感じだったもんね。
そうそうそう。90%ぐらいかな。
だから100回やればある程度欲しいものは欲しいとしたらもらえるってあるんだけど、
それを300回ぐらいだと思って一切引かないとしたらそれはそれで機械損失じゃねえかみたいな話がありましたね。
ただね、この確率っていう考え方って基本的に算数とか数学みたいな概念だよねって思う方が多いと思うんですよね。
多いとかほとんどだと思うんですけど。
そうだね。
それからさっき言ったみたいに例えばサイコロを投げてどの数字が出るのはみたいな話とか。
また好きな方からするとギャンブルとかね。
はいはいはい。
あると思うんですけど、ギャンブルって兄貴ってやる?
やらないね。それこそ昔ハヤトが一緒に死んでた頃というかさ、
家でマージャンやったりとか、マージャン放浪機とかの影響で金チロやったり、サイコロね、それこそ。
友達とそういうのやったりとはあったけど、
そういうところにはまれるみたいなのはないかな。
僕も大学生の時に友達の影響で競馬とかやってたんですけど、競馬はギャンブルだったら結構難しくて、
あれも運だけというよりは、いわゆる馬の状態とか、乗る方の状態とか、いろんな要素があるから。
ただの偶然じゃないよみたいな話を言われて、なるほどねって思ったりしたんだけど、
そういう意味で言うとサイコロ、チンチロリンとかって三つ投げてどの目が出るかとかっていうのはある程度、
投げ方が違ってたかっていう人もいらっしゃるかもしれないけど、
偶然とか確率の要素はやっぱり大きいよね。
みたいなものがあったり、実は確率ってすごい日常的なところにも現れてるかなと思いまして、
例えば天気予報みたいなね。
放水確率何パーセントですよみたいなものとかって、もちろん毎日人によっては増えてると思うし、
06:02
意外と見えてないんだけど、保険ね、保険。
生命保険とか自動車保険とかってあるじゃない。
あれって結局、いわゆる人間として事故を起こしやすいかとかってことじゃなくて、
こういう特徴とか、特性の人とか、これぐらい車に乗る人はどのぐらい事故を起こす確率があるかっていう、
そういうふうなものをある種統計的にというか、過去のデータとかから弾き出して、
この人はこのぐらいの確率で事故を起こしそうだから、このぐらいの保険料とかにしようみたいなのが決まってるわけですよね。
そうね、はいはいはい。
っていうふうに、いわゆる保険料をいくら払うかっていうのも実は確率っていうのが影響しているし。
なるほど、確かに。
あとは、例えば健康みたいな話をしていくと、
ビール一杯飲むとかタバコ一本吸うっていうために、やっぱり病気になる確率というか可能性が上がるみたいな、
そんなことはあるわけなんですよね。
なるほど、よく論文とかで比較されるようなやつだよね、何パーセント上がりますよと。
そうですそうです。
病気になる確率だと。
毎日タバコを何本吸うとみたいなのがあると思うんですけど、
だからといって毎日タバコを吸ってる人が全員病気になるかというとそういうわけじゃないし、
逆にすごく少ない人でも害になっちゃう人もいたりすると。
いうようなことがあったときに、果たしてこういった場面でいわゆる確率って結局何を表しているのみたいな、
そういうふうなことを考えることができるというか、結構そういうことが面白いんじゃないかなって僕は思っているんですよね。
なるほどなるほど、確かに偶然みたいな直感みたいなものを哲学するというか、
もしくは数学的な観点からいくと説明できたような気になるけど何パーセントとかって言われると、果たしてそうなのみたいなところかな。
やっぱりその確率とかっていうものもいろんなものと分解するって、それこそ運命とかもいろいろ分解できるよとかって話があったと思うんですけど、
そんなふうに確率っていうのも分解がいろいろできるんで、その話をしていきましょうっていうのは今回なんだけどね。
ちなみにさっき言った香水確率ってあったじゃないですか、雨が降る確率、これってどういう意味か知ってます?
香水確率50%とは何を言っているか。
例えば京都50%だったら50%の確率で降るよみたいな話では理解していたけど、
誰かに50%の場合、結局降ると。ただ京都のうち50%の範囲ぐらいが降るでしょうぐらいの感じで、自分のうちに当たるかどうかは分からんみたいな。
09:08
なるほどね。
お近所が降ってるみたいな。そことがあり得るみたいな。ような聞いたことがある気がする。
僕も聞いたことがあって、ある地域の広さか面積のうちに半分ぐらい降るよみたいな50%だったと思ってたのよ。
なんだろう、なんかトリビア的なものでやってたのかな。
やってたのかな。でもそれ間違ってるよっていうのを調べたら出てきて。
あ、そうなんだ。知らなかった。
しかもよくある勘違いとか言われてて、勘違いなんだって思ったんだけど、気象庁のページとかにちゃんと書いてて、
例えば恒星確率50%っていうのは、その気象条件の場合に、一定の時間内、例えば5時とか6時とかの間に1ミリ以上の雨が降る可能性のことを恒星確率っていうのって。
可能性であってるんだ。
可能性であってて、一回同じ条件だったらそのうち50回は雨が降りますよとか降ってきましたよっていうようなことなんで。
だからこの恒星確率っていうのは、いわゆる過去の膨大な気象データっていうのをもとに、同じような条件だったらこのぐらい雨が降っていましたよっていう。
そういうふうなことから導かれた確率とか数値なんだって。
へー、そうなんだ。統計なんだ、本当に。
統計らしい。
だから逆に言うと、同じような気象条件でも50回は雨が降らなかった、その1回のうち。
ということはね。
じゃあ次降るかどうかっていうのも、分からんというか、51回目が降るかどうかみたいな話になるみたいな。
なるほど。ただデータの精度が上がりますよってだけ。
そうそう。そうですそうです。
で、こういうふうにいわゆる客観的にというか過去のデータみたいなものから出てくる確率っていうものを、そのままなんだけど客観的確率っていうふうに言うらしいんですよ。
ほうほうほう、いきなり言葉の定義に入ったね。
いきなり確率を分解していくんですけど、そういうふうに客観的なデータとか、またはもう事実に基づくものを客観的確率っていうふうに言って、
例えばサイコロを振ったら6分の1である例が出る、要は1が出るっていうのも、
要は5回とかしか振らなかったら分からないんだけど、それは無限回振ったら6分の1になるよねっていうふうにある種算出ができる。
ああ、なるほど。
それもある種理想的なサイコロだったらみたいな前提もつくんだけど。
12:02
ある程度6分の1に近いところにどんどん集約していくよねっていう話ね。
そうそうそう。そうなんです。それもやっぱ客観的確率っていうふうに言うんだよね。
勘の良い方はピンと切ると思うんですけれども、やっぱり客観があれば主観があるっていう話で、
確率の世界にも主観的確率とか、あるいは経験的確率っていうのがあるよっていうふうな話があるんですよね。
主観的確率と経験的確率ってイコール?
イコールです。
同じ意味で使われてる。ああ、3種類あるのかと思った。
同じで、主観的イコール経験的みたいな感じだね。
分かりました分かりました。2種類ね。
そうです。2種類あります。さっきの構成確率の話をすると、例えばさ、構成確率50%ですと出ましたと。
その時に兄貴は傘を持って行きますかっていう話なんだけど、どう50%だったら持って行ったりする?
仕事だったら持って行って、オフだったら持って行かないかな。
なるほどね。その心は?
例えば今の仕事だと、そんなに屋外歩くことないんだけど、
例えばスーツを着て仕事に出ますと、ちょっと歩きますとかいうときは濡れたくないし、
おとぎさんのところに濡れネズミで行くわけにもいかないから、ちゃんとする。
オフのときはちょっとぐらい濡れてもいいから、みたいな判断するかな。
いいねいいね。やっぱり主観的とか経験的ということになると、
自分の置かれた状況とか、予測を自分なりにして、じゃあ傘を持って行こうとか、
傘を持っていかなくていいやっていうふうに判断していくじゃないですか。
そういうふうにすると、ちょっと確率はずれるんだけれども、
例えば仕事をするときは雨が降る方に備えるという意味で、
傘を持つ確率が上がるとか。
そうね。50%、30%までは持って行こうみたいなね。仕事のときは。
そうそうそうそう。
オフのときは80%までは持たないみたいなね。
結構持たないね。結構頑張るね。
例えばね。
はいはいはい。そうそうそう。
みたいな感じで、いわゆる法制確率っていうのは客観的な確率なんだけど、
そこに対して傘を持って行く、持っていかないみたいな、
要は雨が降ると思う確率みたいなのは結構個人で変わってますよと。
なるほどね。そう出たり持たずると、さらに自分がどっちか判断する確率、
確率をどう判断するか。
そうそうそうそう。確率に応じてどう判断するかというところで、
これも調べたらNHKの調査があって、
へー。
だいたい30から40%くらいになると傘を持つっていう人が増えて、
15:04
10から20だとあんま持ちませんみたいな感じらしいんだよね。
だから結構皆さん、ちょっとでもというか、
30%くらいになったらちょっと持っておくか備えておくかみたいな感じになりそうだっていうのがあるんだけど、
これもやっぱり普通によっていて、当然80%でも持っていきませんっていう人もいるし、
それは降ってもいいやって思ってるっていうのはまた別の要因かもんだけどね。
まあそうだね。またあそこまで分解するといろんな数字が得られそうだよね。
そうそうそう。
そんな感じで要は同じ雨が降るとか、そういう事象によっても客観的なことと主観的なこととで、
やっぱり対応というか人が取る動きって違うよっていう話があります。
なるほど。
でね、これまではその公正確率って話をしてきたと思うんですけど、
これが要はその客観的な確率と主観的な確率が違うというか、
意外とそこがずれてることによって起きる面白い出来事っていうのがいっぱいあるんですよ。
へーそうなの?
例えばね、宝くじってあるじゃないですか。
年末ジャンボとかサマージャンボとかって1回ぐらいは買ったことあるよっていう人も多いと思うんですけど、
これがアシャル、要は1等、今の7億円、弁護士合わせると輝かれるのかな?
年末ジャンボとかってあると思うんですけど、それがアシャル確率って知ってますか?って話で。
へーどのくらいなんだろうね。
意外と知らないよね。
知らない知らない。
これは実は客観的に定まっていて、2000万分の1らしいんですよ。
へー決まってるんだね。
決まってる。2000万本に1本当たりがありますと。
っていう話なんだけど、これをどんだけ買ったら当たんねんっていう風に思うじゃないですか。
面白いのが、そういうことを記事にしてるようなものがあって、
これ日清基礎研究所っていう、いわゆる保険かな?
保険会社さんの統計的なところの記事のコラムで出てたんですよ。
そこで気になる方は宝くじを買い続けたらどうなるかで検索すると出てくると思うので、
よかったら見てみてほしいんですけど、
その話を少し抜粋してこの後お話します。
はいはいはい。
結構細かい前提条件とかがあるので、詳しいことを教えたい方はそっちは見てほしいんですけど、
すごいざっくり言うと、
要は2000万分の1で当たる年末ジャンボを例えば200枚買えますとか、
あとは他のサマージャンボとかもいくつかあるらしいんですよ、年間。
それも100枚とか買って、年間500枚くらいかな、宝くじを買い続けますと。
そんな風に毎年毎年買い続けたら、一体何年で当たる確率が50%を超えますかと。
18:07
1回あたり買い占めるとかじゃなくてね、買い続けたら。
そうそう。要は年に1回ずつサマージャンボとかあるわけで、
そんなのやっぱり買い占めで何千万も払えないじゃないですか。
なるほどね。
200枚だと6万円、それでも高いけど、宝くじ好きな人だったら買えるでしょうみたいな。
あった時に、もともとの記事では99%って言ってたんだけど、
50%を超える確率、要はこの年数買ったら、
もっと言うと2人同じような条件で買ったとしたら、どっちかが当たるっていう確率になる年数って何年でしょうかって感じなんだよね。
へー、あるんだ。
あんまり計算して出すっていうよりは直感的でいいんだけど、
何年くらい買うと思うの?この年間に500枚くらい買って、
何年くらい買ったら50%超えますでしょうかって。
500枚、200枚どっちかな?
500枚で大丈夫。
500枚か。へー、200枚でしょ。こういう計算苦手なんだよな。
これ難しいと思う。よほど普段からこういう考え方をしてる人じゃないとわからないと思う。
1000年くらい?
1000年くらい。皆さんも頭の中に思い浮かびましたかね?
では正解を発表します。
正解はですね、500枚とか買い続けて当たる確率が50%超えるのは13863年でございます。
おおー、まじか。
はい。
中国4000年の歴史超えちゃったね。
そう言いました。人類の歴史ぐらいまで行きますね。縄文ぐらいかな。
うわー、果てしないな。
そう。で、普通について言うかさ、言われてみれば、要は500枚買うじゃない。
うん。
500枚買って、それを2000万枚買い占めたら絶対に当たるじゃないですか。1枚ね。
そうだね。
で、一つはそれを買い占めようと思うと、500×いくらだ?4万かな。500枚買っても4万分の1じゃないですか。
なので、買い占めようと思うと、500×4万買い占めなきゃいけません。
あー、そっか。なるほど。
4万というのはさすがに言い過ぎなんだけど、このぐらいの博打を考えたときに、やっぱり満タンになるよねってことは、なんとなくわかるはずなんだけど。
なるほど。はいはい。
でもやっぱり僕らは、宝くじでも結構周りで当たってるしなとか、ニュースとかでも当選者とか出てるしなとかって思ったときに、そんなに大きい数は想像しないんだよね。
21:10
今兄貴が言ってくれたのは、いわゆる主観的確率が客観的確率よりもだいぶ低いケース。
たしかに。たしかに。10倍ぐらいスクラフトを3つ持ってたね。
そうそうそうそう。だから10倍楽だと思ってるんだよね、当たる確率を。
そういうのがまさにこのズレの面白さなんだけど。
あともう一個ね、持ってきてて。宝くじはちょっと数が大きかったじゃないですか。何千万分の1とかね。
そうだね。ちょっと頭悪い自分には計算ができなかったね。
これは僕も千年ぐらいかと思ったもん。頭の良し悪しとかは多分そうだと思うんだけど。
もう少し小っちゃいもので考えたときに、サイコロがありますよね。
サイコロを6回投げて1の目が確率。1の目が出る確率ね。
サイコロを6回投げて1の目が出る確率のはいかがぐらいでしょうと。
さっきも言ったように、6分の1の確率で1の目が出るわけじゃない。
6分の1っぽいけどね。
100%とは言わずとも。
そういうことか。
6回投げて1回は出る確率だから。
100%は出ないだろうけど、結構ありそうじゃないかって思いますよね。
こういうとじゃあ思ったより低いのかなっていうのは想像できると思うんですけど、
果たして何パーでしょうかという話ね。
それ計算できるんだ。
できます。
なんかさ、十分みたいなやつからすると、6分の1足す6分の1足す6分の1足すってやつ。
6分の6になるから1じゃんみたいな。100%って。
回答欄書いちゃいそうだけどね。
今すぐ6回投げてみてください。
100%でしょうかという話なんだよね。
やってみましょう。
なんとなく7割ぐらいかな、イメージ7割ぐらい。
なるほどね。いいじゃないですか。
実際ですね、計算をしてみると66.6%と出てまいります。
へー、計算できるんだ。どういう計算式なんだ?
これね、高校とかでやった、多分高校とかと思うんですけど、
一度目が出る確率っていうのは、100%から1回も1が出ない確率を聞けばいいんですよね。
つまり、サイコロを投げて一度目が出ない確率って6分の5じゃないですか。
この6分の5が6回起こる確率っていうのは計算できるんですよね。
6分の5かける、6分の5かけるって。
そうするとこれが33.4%になりまして、
24:03
それを1というか100%から引くと66.6という数字が出るんだよね。
なるほど、あったねそういえば。
やったやったみたいな方がいれば、全然覚えてねーやってると思うんですけど。
なので、これが66.6ってどういうことかと言いますと、
要は、この6回投げたら1が出るチャレンジを3回やったら、
1回は出ないことがあるっていう感じなんだよね。
つまり、1の目が出るのは確率はもちろん6分の1なんだけど、
それを3回やったら1回は出ないことが起きるっていうことが確率的なこととして起きますと。
なので、もっと出そうなのになって思うとすると、
それは客観確率と主観確率の差があるよって話なんだよね。
なるほど。
みたいな感じで、こんな風に自分たちが思っている主観的とか経験的な確率と、
実際に物事が起きる客観的な確率って間には、
結構大きな差があることが実はあるんですよ。
怖いなー。しかも直感で言うと、割と自分に有利な方に引き寄せちゃうから危ないね。
そうなのよ。本当に。
ギャンブルとかそうでさ、別に高役次第ならそこまでドハマれしてなかったら別にいいと思うんですけど、
それこそギャンブルもそうだし、あと結構面白いのが前回言った運命みたいな話なんだけど、
それってどんだけ偶然の出来事ですかって話があって、
これさ、ちょっと兄貴と前回雑談的に話してて、録音しなかったのでもう一回取り上げるんですけど、
プラスの中で誕生日が一致する確率、この話したの覚えてます?雑談で兄貴と。
これって終わってから話したんだっけ?
終わってから話した。
あー、はいはいはい。
もう一回皆さんにもお伝えしたくて言うと、
例えばそのクラス、学校のクラスがあって、40人クラスだとします。
その中に同じ誕生日の人がいる。
要はあなたとか私とじゃなくて、誰でもいいからその一部屋として、
同じ誕生日の人がいる確率ってどのくらいでしょうかと。
1年366日、うる年ぐらいとある中で、
やっぱり誕生日が同じっていうだけで結構運命的な出会いっぽいじゃないですか。
365人いたら、365日の誕生日がいるから、
そうだね。
倍集めればみんなこう…
マッチングするだろう。
そうそう、マッチングするんじゃないのっていう。
確かにね。
だから40人って言ったらめっちゃ少なく見えるじゃないですか。
27:02
見える見える。
そう、っていう中で一体どのくらいの確率でしょうかっていうのを考えてほしいんだよね。
うんうんうん。
覚えてる?これ前回雑談で話したの。
あれだよね、確か一組はいるだろうみたいな話してたよね。
はいはいはい、そうなんです。
意外と何パーセントでしょうかって今考えてほしいんだけど、改めて。
40人のクラスに同じ誕生日の人がいる確率だよね。
いる確率。
40人のクラスが10個あったとして、
そのうち何クラスは同じペアの人がいそうですか?
はいはいはい。
何だっけ、40%くらいだっけか。
10%くらい。皆さんも考えましたかね。
10クラスあったら4クラスくらいに同じ誕生日のペアの人がいるって話だよね。
うんうんうんうん。
正解はですね、89%です。
そんな高かったんだ、てか。
そうですそうです。
10クラスあったら9クラスには同じ誕生日のペアの人がいるという話なんですよね。
それは嘘じゃないから、間違ってるんだよ。
嘘じゃないんだよ。
これはちょっと同じで、
一組も同じ誕生日とかいない確率っていうのを引けばいいわけですよね。
なるほどね。
確かに。
理論にすると、自分がいたとして、
自分と違う誕生日の人っていうのは365分の364じゃないですか。
うんうんうん。
自分とその人と違う誕生日っていうと365分の363じゃないですか。
360分の364、365、364、363、362っていうのをかけていって、
それを40回かけると、実は11%しかなりませんみたいな感じなんだよね。
へー、そうなんだ。ほうほうほうほう。
なので、ペアっていう話でいくと実は結構多いです。
ちなみにね、40人のクラスで自分と同じ誕生日の人、
要は僕2月7日なんだけど、
要は自分以外に2月7日が誕生日の人がいる確率っていうのは実は10%ぐらいしかないです。
なので、自分と同じっていうと10%なんだけど、
誰かが一緒っていうと90%っていうこの違いがあって、
ここに勝手に水気落ちて、
例えばお前とお前の誕生日一緒なんてすげえ気が合うじゃんみたいなことを言ったりとか、
なんかこの人と私一緒っていうことは運命的な出会いかもと思ってしまうみたいなことが、
30:02
実はすごい不思議なんだよね、本当は。
そんなに不思議なことでもないのに。
そんなに不思議なことでもない。
90%の確率で40人いたら誕生日同じ人いるから、
それを不思議がるっていうのは実は確率的にはおかしいんだよって話。
それが自分だったらある程度不思議がってもいいってことかな、10%だと。
不思議がってもよい。10%だったらすごい偶然だねっていうふうに思える。
なのでこれがまさに客観と主観の違いで、
このクラスにペアがいるっていうのは全然ありふれてるんだけど、
私と同じ誕生日がいるっていうのは結構レアなんだよね。
なるほど、そっか。
だとすると周りがお前らすげえっていうのは10%にだいぶ引き寄せられてるんだ。
そうそうそう。
だから正しくはペアがいたとしたら、
お前らは、俺は驚いていいけど、お前らはそんな驚いちゃダメだぞっていう思い方をしなきゃいけない。
自分が同じ人だった側の場合はね。
俺はいいんだ、俺は驚いていいよ。
お前らは90%なんだから、ふーんと持っとけよ、そんな言うなよっていうことなの。
確率で生きてる人はそうなる。
それの正しい思い方なんだ。
あるじゃん、小学校とか中学校とか学校で、男女が同じ誕生日になっちゃったときに、
周りからイェイイェイお前らお似合いだって言われたときに、
どう切り返すのが正しいかっていうと、
お前らはびっくりするんだ、俺はいいんだ、この人はうめぇな人かもしれないけど、
お前とってこの状況はありふれたものなんだから、別にほっとけやってガチ切りしたら何も言い返さないんだね。
別の意味で、ちょっとこいつに舐めるやつなんで言い返されないかもしれないけど、
確率的に生きようと思うとすれば正しいです。
なるほどね。
もちろんね、これを知ったからといって、
誕生日同じなんてすごい偶然ですねとか、
すごいですよねって言った人に対して、
こいつ増えたこと知らねえなって思う必要は別になくって。
まあそうだもんね、10%だからすごい話だよ。
10%だからすごい話でもあるし、別にその人たちすごいよねとかっていうよりは、
90%側として言ったときに関しても、そんな風に言わずに、
そうですよねって、そういうこともあるのって素敵ですよねっていう風に言うのが人生のね、
たぶんある種楽しく生きるコツだとは思うんだけど。
そこを突っ込み始めるとハヤトコースに入るんでしょうね。
そうです。面倒くせえなとか、こいつなりはちょっと人としての気持ちがないのかなって思われちゃう人間になっちゃうので。
ハヤトは結構そういうのを突っ込んできた側なんだね、たぶん。
それどういうこと?その90%でどういうこと?って聞いちゃうんでしょ。
33:04
まあそこまでは行かなかったけど、
まあでもさ、例えば高低下月の話とかもさ、
モテた方がいいよとか言われたときに、でも100回のうち50回振ってないんだけどなって思った人。
ちなみにハヤトは同じ誕生日の人に行ったことある?
あるよ、あるある。たぶんそれは偶然なんだけど、
偶然だからレアなんだけど。
まあでも確かに小中高で10クラス以上経験するわけだから、
まあ10%と考えるとまあまあまあみたいな。
全然あり得るよねっていう。
単純に岩手の学校40人もクラスいなかったから、
そういう意味では確率が少ないっていう。
27人ぐらいしかいなかったから。
それはあるんですけど、
まあでも全然人生においてはあり得ることなんだよね。
難しいね、でもね、確かにこれをじゃあ知って、
その運命だと思わないで冷めてると、
なんか逃す精神もありそうだしね。
そうね、やっぱ勘違いから始まる恋愛とかもあるんでしょ、たぶん。
だから友情とかもあるだろうから。
あるからまあまああんまり確率が全てだと思わなくていいんですけど、
でもやっぱりその逆に冷静になる方がいいよねっていう瞬間はあって、
これもさっきの日線基礎研究所さんの記事で面白い例が載ってたんですけど、
どういうケースかっていうと、
例えば皆さんが学生さんでも別に社会人さんでもいいんだけど、
例えばある日寝てたら夢にご先祖様が出てきて、
明日は墓参りに行きなさいと。
そんなお告げをしましたっていうシチュエーションを考えてほしいよね。
で、ああなるほどと。
最近墓参り行きたいなと思って、不思議に思いながらも平日だったんで、
学校とか会社休んで墓参りに行きましたと。
そしたらなんとその間に家に隕石が落ちてきましたと。
でも家が粉々に破壊されちゃって、やばいやばいという時に、
さて兄貴らはどう思うでしょうかと聞いてみたいんだよね。
うーん、なるほど。
まあそのシチュエーションはそうだね。
多分どうせ仕事行ってて家いなかったなっていうのはあるかもしれないけど、
それ抜きにしてお告げありがとうっていう感じかな。
なるほどね。
でも兄貴は冷静ですね。
そうなんだ。
もちろん普段も出てたしって思うっていうのは冷静さで、
あ、ご先祖様が助けてくれたんだって思うと、
ちょっとこれは危ないよっていうふうな記事で書いてるんだよね。
あー、ごめん。そこはちゃんと比較しておいたほうが良かったな。
36:05
お話的にはそうなんですけど、兄貴が冷静だってことだと思うので。
で、皆さんはどうでしたかっていう話なんだけど、
要は隕石が家に落ちるってのは滅多に起きないことじゃないですか。
まあそうはね。
まあ起きてほしくないし偶然なんだけど、
ただ夢にご先祖様が出てくるっていうのも偶然ですよね。
それが滅多に起きない偶然だよねっていうふうになったときに、
この2つの滅多に起きない偶然っていうのが重なったときに、
ちょっとこれ前回話したと思うんですけど、
僕らはそこに奇跡とか運命っていう意味を持たせがちなんですよね。
いやー、そうね。一気に振り切るだろうね。その奇跡メーターみたいなものがね。
やっぱりご先祖様が守ってくれてるんだとか、
そこまで思わないにしても、
やっぱり何かあの夢には意味があったんじゃない?
別に夢に意味があったと思うのはいいんだけど、
なんか特殊な例として、
自分にはそういうご先祖様とつながる力があるんだとかね。
そうね。その次の日から呪図つけたり、
毎日お寺にお構いに行ったりし始めるみたいなね。
そういうことは別に起きてもおかしくないと思うんですよね。
もし本当にそういうことが起きたとしたら。
そうね。
でもさっき兄貴が言ってくれた通りで、
別に休みなくても学校とか会社に行っていたわけで、
すると隕石によって自分が怪我をしないっていうのは、
別にお墓参りに行ってようが、
普通の会社とか学校に行っても変わらないはずなんですよ。
だからそこが実は、
偶然ではなく必然的に外に出ていれば怪我をしなかったんだけど、
たまたま夢にご先祖様が出てきたっていう偶然を結びつけたくなるとか、
結びつけてそれが事実だというふうに思ってしまう傾向が、
やっぱり人間にはあるんだよね。
でも自分がその状況でこっちに行ったら、
めっちゃ感謝するとは思うけどね。
本当にね。
隕石に落ちてきたら。
間違いない、間違いない。
おじいちゃん、おばあちゃん、あるいはご先祖様ありがとうって、
それはなるよね。
多分先祖の存在を信じるとは思うけどね。
みたいな感じ。
だから別にそれを思うのは悪くないというか、
ご先祖様ありがとうっていうのは悪くないし、
夢に意味があるんだって思うことも別に悪くないんだけど、
そこにすごく奇跡とか運命っていうものを結びつけすぎちゃう。
もっと言うと、たまたまレアな出来事とレアな出来事、
要は確率が低い出来事と低い出来事が重なったときに、
それを運命だと結びつける傾向が人間にはあるよっていう。
39:00
もっと言うと冷静な判断とか、
正しい意思決定ができなくなるよっていうことは、
ちょっと知っておいても損はないかなと思うんだよね。
確かにね。
ある意味これは悪用というかさ、
例えば友達にさ、
気になる子がいるからあの子に絡んでよって言って、
自分が助けに行くみたいな。
そういう話だよね。
向こうからしたら緊張させてくれたみたいに思っちゃうけど、
実はみたいなね。
偶然の演出みたいな感じでさ、
例えばわかんないよってタバクラとかに行ってさ、
今日私誕生日なの誕生日に来てくれてありがとうっていうのをさ、
毎日言ってるホステスさんがいるみたいなことがあったときに、
今日は誕生日にたまたま来たって言われたらさ、
ラッキーかもとか運命かもって思っちゃう男性側と、
それを毎日言っているお店の女性側とみたいなのがあったときに、
それはやっぱりお客さん側としては、
なんか嬉しくなっちゃう人ってあると思うんだよね。
うんうん、なるほどね。
それは偶然の演出だよね、完全に。
まあそうはね、だからちゃんと面と見せてよ。
顔写真隠してていいから、誕生日とかって指で、
そこだけ見えるようにしていいからちょっと見せてよ。
嫌な人だね、たぶんね、それは。
そこはね、ちゃんと。
まあみたいな感じで、さっきの誕生日が一緒って言えばそうだと思うんだけど、
もちろんね、たまたま自分とその相手、
仮にね、男性と女性が誕生日が一緒だねってところから始まる恋があるかもしれないけど、
それが盲目的に、だから運命なんだみたいに思うっていうのは、
やや10%ぐらいありますよっていう風な冷静さっていうのも大事だよって話なんだよね。
はいはいはい。
まああれだよね、たぶん今自分はこの確率とは違うところを、
直感の方的な方を楽しんでるっていうその余裕でもね、
自分は今ちょっと確率がずらしてるんだっていう心の余裕と遊びね。
そうですそうです。
自覚的であれと。
そう、自覚的であれと。
またそもそもレアなことが価値があるっていう話も、
やっぱりすごく人間の本能的な部分ではあって。
あーなるほど、価値とか意味ね。
そうそうそう。
前回ととおり、やっぱり100回に1回しか起きないことがたまたま起きるっていうのは、
多めにづけがる。
要は、なんだろうな、昔のわからないけど狩猟時代、
要は肉を飼ってとか獲物を飼ってきた時代に、
42:03
やっぱり100回に1回の確率でここにはマンモスがたまたま倒れているっていうのがあったら、
1日1回くらい見ても損はないかなとか、
1日は多いかもしれないけど、
1週間2回くらい見に行って、
肉が腐らないくらいの感覚でその場所に行って、
マンモスを別に苦労なく手に入れられたら、
それってすげーハッピーじゃんみたいな。
感じで自分の行動が変わるとか、
その場所っていうものが重要な意味を持つっていう風になると思うんだよね、人間的に。
まあそうだね、確かに確かに。
でもこれは単純な想像というか何の根拠もない話だけどね。
なのでやっぱりそんな風に、
たまたましか起こらなさそうとか、
この出来事って意味がありそうってことって、
やっぱり人間にとってはすごく重みづけをされちゃうと思うんだよ、出来事として。
それをある種上手く使いましょうね。
そういう風に重みづけをするのもいいんだけど、
冷静さも大事だよねとか。
重みづけをした時にそれって本当に適切な重みづけですかっていうのが、
人生をちゃんと生きるというか、
上手く渡り歩いていく上では大事だと思うんだよね。
極端な方にどちらもだよね。
自分都合良くもだし都合悪くもだし。
例えば誰かが交通事故とかになくなった時に、
自分のせいであの人は死んだとかね、
それもまた確率みたいな話で言うと、
あなたの性の確率2パーですねみたいな話もあり得るわけだよね。
それを自分が90パー自分みたいな解釈、
これもあり得るわけだもんね。
あり得る。
非常に難しくて、
まさに今の事故とかの話は本当そうだけど、
別に日本で人の成人の何パーセントが事故に起こるので、
たまたまそれがあなたのご友人とだけですって言われても、
何の慰めにもならないけど、
でもやっぱりあなたは悪くないとか、
だから自分のせいにしすぎないでっていうことが、
やっぱり大事だよねみたいな。
一応ね、事実としてはね、
それを自分の意味付けイコールにするのは難しいと思うけど。
そういう時に客観的なクイズと主観的なクイズがあるっていうことを
思っておくだけでも、
一歩冷静になれるというか、
少し考える人が増えるんじゃないかなと思うんですよね。
あとね、僕一時期、
ポーカーテキサスホールで、
カチノとかでもよくやる、2枚手元にあって、
45:00
5枚場に出して1枚ずつめくっていって、
かけるかけないみたいなポーカーがあるんですけど、
それに一時期土着をはまった時期があって、
毎日オンラインポーカーして、
本も10冊くらい読んでポーカー本を。
ポーカーで生きていくぜ、
くらいに思った時期があったんだけど、
若気のいたりとしてね。
ポーカーで一番大事なことって、
確率で、
同じ行動を取った時に、
一番勝ちが高くなるとか、
負けが少なくなるように行動をし続けるっていうのが、
一番大事ですと。
勝てる確率が6割っていうふうな、
仮に日出1月をしたら、
やり続けたら6割絶対勝てるから、
いわゆる負けが込むことはないんだよね。
6割の確率で勝てるっていうことは、
6割、絶対に、
長い目で100回とか1000回やったら、
自分の確率が6割になるってことだから、
ポーカーで生きていくと考えると、
サイコロの無限回数でやると同じような状況だから、
ポーカーの無限回数でやるとした振る舞いをせよって話。
ただ、このトーナメントの、
この試合で勝つためには、
それだとダメなんだよね。
勝てる確率は、
4割かもしれないけど、
でもここで勝っておくと、
相手をぶっ飛ばせる状況があったときに、
その4割に欠けますか、
つけませんかっていうシーンが出てくるんだよね。
そこは客観的ところと、
自分の主観的の出番が出てくるわけだね。
そう、出番出てくる。
客観的には3割の確率だという方は弾き出せるんだけど、
その3割の確率に乗っかりますか乗っかりませんかっていうのが、
主観的なもので出てきて。
そこってどうなってんの?
そういう本によると。
それはね、すごく難しくて、
僕も詳しいこと言うわけじゃないんだけど、
やっぱりポーカーってすごくメンタルのゲームでもあるのよ。
ポーカーフェイスとかね、
ブラフとかってあると思うんだけど、
場に数字が出てる数字と、
手元にあるカードがあったときに、
要は相手が何を持ってるかってのは分かんないんだよね。
ポーカーってさ、いわゆる麻雀みたいな感じで、
毎回毎回1は4枚しかないとかさ、
それ決まってるの?
それは決まってる。
トランプ一束の中で、
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ジョーカーを抜いて52枚かな。
自分の手札だったり捨てられてる場にあるやつで、
なんとなく確率とか読み合いみたいなのができるの?
読み合いは完全にとか一定できて、
相手がどのカードを持ってるかが分かんないという状況ですと。
そういうのもあるし、
非完全ゲームと、
完全情報ゲームと、
非完全情報ゲームがあって、
将棋とかは完全情報ゲームなんだよ。
要は相手がどのコマを持っていて、
どこにコマがあるかっていうのを、
お互いが全部分かってる状態。
非完全かなっていうゲームは、
要は自分にない情報がある。
っていうようなものって結構違うんだけど、
なるほど、ポーカーとかの遊戯王みたいな、
カード遊戯王的な。
そう、カードゲームのね。
要素が含まれてきて、
いくらベットしますかっていうのってあるじゃない?
それで例えば100円ベットしますとか、
円というか100ポイントベットしますとか、
500ポイントですとか、折りますとかってあるんだけど、
相手が何を持ってるか分かんない状況で、
自分は例えば10ベットしますと。
それに対して相手が100ベットしますと。
なると、
自分は10って言ったように、
相手が100ってきたってことはかなり強気じゃん。
っていう風に、この人はもしかしたら
めちゃめちゃ強いカードを持ってるかもしれないっていう風に、
相手に思わせることができるのね。
なるほどね、それはどっちか分かんないんだよね。
ヤバいから折りさせようと思ってるのかもね。
そうそうそうそう。
本当に強いのか分かんないから。
折りさせたら、相手のカードを
自分のカードを開かずに
その場を流すことができる。
そうすると、さっきの例で言うと
3割しか出ませんっていう欠陥確率の中で、
でも相手も弱そうだから
ここでグラフをかけて100出したら
相手は降りるかもしれないっていう風な発想になるのね。
でももし相手が強かったら
200とかって返されて
今度は自分はニッチもサチもいかなくなる。
っていう風な掛け合いなんだけど。
そういう中で客観的な3割という欠陥の中に
どのくらい相手が降りるかとか、相手が強そうかとか
自分のグラフが通りそうかとか
それはこれまでのプレイで相手がどのくらい弱気だったか
強気だったかとか、自分が強いってことを
相手がどれだけ信じるかとか
こういう風な情報がいろいろある中でやるっていうのが
効果なんだよね。
なんかめちゃめちゃ面白いなと今でも思ってるんだけど
やってるとね
51:01
簡単に3時間くらい解けてくから
なるほどね。確かにオンラインでも面白そうだし
対面だとなお面白そうなの。
めちゃめちゃ面白い。
対面でもやってたの?
ポーカースタジオみたいなのがあって
当時アサブ10番とかにあったんだけど
そこに行って半日くらいポーカーを見るみたいな
みたいな感じなので
確率っていうのはもちろん一定算出できるし
参考になるんだけど
さっきまゆきさんが言ってくれた通り
それが仕事なのかプライベートなのかとか
スーツなのかラフな格好なのかとか
相手がすごい大事な取引先なのか
気を壊してやった仲なのかとかによっても
仮想をもっと持たないとかって多分変わると思うんだよね
そうね
みたいな感じで
自分の人生どう選ぶかとか
決断するかっていうのが自分の側にあるときに
そこは両方見れてると
ある種負けないというか
自分の中では損をしにくいとか
自分の人生にとって良いと思いやすい選択ができるよね
そんなことはあるんじゃないかなっていう話で
ごめん最後ポーカー足長くなっちゃった
雑談に回したほうがいいよ
なるほどね
今回確率の話だからさ
どうしよう確率最高みたいなさ
さっきの小学校で馬鹿にされたときに
お前90%だろっていう方になっちゃいそうやけど
そうでもないよと
それ分かった上で祝福をありがたく受け取るなり
恥ずかしがるなり
そこは自分の主観的な方と
上手く組み合わせてくださいっていう
そこはこっちの選手だったりとか
今のような流れだったりとか
コントロールする余地がある部分ではあるんだね
そういうとおりだし
むしろ僕としてはそれをコントロールしていくというか
意味付けをどうするかってことがやっぱり
人間の自由だし
その人の自分らしさというか
その人らしさになるんだろうなって思うんだよね
まさに前回の偶然の話だよね
運命イコールみたいな話だったもんね
そこで自分の主観みたいなものがすごい大きかったもんね
それを見つけるか
主観と出来事って両方がないと運命ってないじゃない?
っていう時に主観っていうのは結構
騙されるよというか
意外と世の中のずれてることがあるよ
っていう話だね
みたいな感じでね
偶然というところから発生して
運命とかそこにまた確率とかっていう話をしてきましたよ
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今回は哲学というよりは確率のとはみたいな
すごい身近な話だったね
意外と人間騙されるぞっていう話を
今日はしてきたつもりでございます
ところで今回ね
偶然編の話は終わりにしたいなと思っています
次は雑談回なんですけど
ちょっとね今回
本当は触れたかったんだけど触られなかった
ベイズ確率とかベイズ統計っていう言葉があって
聞いたことある?
ないね
それが結構面白いんでただちゃんとやろうと思うと準備不足だったのと
僕もちゃんと分かってないところがあるんで
それを雑談に回して少しそんな話も取り上げつつ
わいわい確率とか
もうちょっと偶然的なところも含めて
お話したいなと思ってる
そうなんだ面白そう
雑談なんだけど
その次は200回かな
になりますか
これにも意味はないのよ
さっきの話と同じでただの数字だからね
100分の1をありがたがってるだけだね
別に198回はありがたがってもいいんだけど
でもそれも思いつつでもやっぱり
なんとなくキリがいいとかなんとなく始めっぽいじゃない
100とか200とかね
やっぱり節目を作ることは大事だから
そういう意味で200回かつほぼ丸2年やってきてる
このソウルテッドラジオもね
それに絡めて何だろうな
振り返りじゃないけれども普段のテーマとは
また離れたお話をさせてもらって
次のテーマに行こうかなと思ってるような感じ
へーそうなんだ楽しみ
兄貴にも言ってなかったね
そうなんだそんなことを思ってたんだね
そんなことをファンの方々も思っておりました
次回突然で兄貴の感想というか
偶然どうだったか聞きたいなと思ってるんで
今回は以上とこのぐらいで
お話を終わりにしようかなと思っております
次回も引き続き楽しんでいきたいと思います
次回もよろしくお願いします
お願いします今回もありがとうございました
56:34

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