1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #199 【偶然 雑談】ベイズ統計..
2024-03-24 52:00

#199 【偶然 雑談】ベイズ統計?/漢方薬と西洋医学/原因という幻影

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。



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サマリー

今回のポッドキャストでは、偶然確率についてのんびりお話ししています。ベイズ統計の話を雑談しながら、偶然の話と統計的な考え方の違いを探っています。漢方薬に興味を持ち始めた方が、漢方薬の効果や成分について調べたり、他の方の経験を聞いたりして、漢方の効果の複雑さについて考えています。西洋医学と漢方薬についての議論が行われ、根拠や効果についての考え方について話されています。ベイズ統計と漢方薬が結びつくことや、西洋医学と東洋医学の根底にある原因や根拠が多くの方にとって理解しづらいことが話されています。

偶然確率とベイズ統計について
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、偶然確率というところを挙げまして、今回はのんびりおつだんしていきたいと思います。
はい。ちょっとね、前回最後に名前だけ出したんですけれども、
ベイズ統計とかベイズ確率みたいな話があるっていうのの名前だけちょっと言ったの覚えてます?
うんうん、なんか言ってたね。
本当はちょっと本論というか、その回の中で話したかったんですけど、
ちょっとあまりにも自分の理解が浅すぎて、間違ったことを言いそうだったので、
ちょっと雑談に持ってきて、ふわっと話したいなと思ったんですけど、
何かっていうと、統計学ってあるじゃないですか、この中に。
いわゆる何パーセントの確率でとか、統計的にこれは有意義だとかって話ってあると思うんですけど、
さっき兄貴って勉強してた?経済の中とかで勉強するのかな?
そうだね、一応経済学部だとそういうカリキュラムというか、講義もあったけど、
まあ忘れてるよね。
まあね、もう十何年とか前だよね。
相関とかね、そういうのはなんとなく言葉としてやったりとか概念としてはやったぐらいで、
全然使いこなせないって感じかな。
僕もそんな感じで、僕は大学心理学だったので、心理学も結構統計を使うんですよね。
例えば何だろうな、95%とかっていう確率、要は5%、まさに確率の話だと思うんだけど、
5%ぐらいしか起きないレアなケースっていうのが一つ標準になってて、
それっていうのはほとんど例外的なものと言ってみなしてもいいから、
5%未満の結果が出てくるようなものは、ある種人間全般に起き得る事象として良かろうみたいな、
そんな感覚が当時の心理学のところにあります。多分今もそんな感じだと思うんだけど。
何をやってるかっていうと、要は統計っていわゆる募集団というか、
いわゆる日本だったら日本国民全体みたいな話があって、
そのうち何パーセントぐらいの人が当てはまりますかねみたいなことを計算してるような学問なんですよ。
例えば統計的に、こういう人は最近花粉症が結構流行ってるから、
今パッと出てきたんだけど、こういう最初の人が花粉症になりやすいとかが仮に出たとすると、
それは医学的にとか統計的に花粉症になりやすい人がいるみたいな話になってきますよという感じで、
これって結局、いわゆる天気予報の時にもやったと思うんですけど、
個々の蓄積とか大体このぐらいの人たちがいて、その中でこのぐらいの人が花粉症になりやすいとか、
このぐらいの日が雨だったから、何パーセントぐらいの確率で今新たな人もそうだろうと診断できるみたいな、
そういうふうな考え方なんですよね。
これに対してベイズ統計みたいな、ちょっとこれ正しいこと言ってるかわからないので詳しい人いたらぜひ教えていただきたいんですけど、
統計的な考え方と過去の経験の利用
なんかの本で読んだの?
本で読んだりとか、よく前提がない時にどういうふうに物事の確からしさを考えますかみたいな時にベイズ統計みたいな話が出てくるよね。
そういうテーマで出てくることが多いんだけど、要は過去の経験とかデータがない時に、
どういうふうに物事の確からしさを考えますかっていう時に出てくる概念なんだよね、ざっくり言うと。
例えばちょっとこれあんまり適切じゃないかもしれないんだけど、
例えば僕が今も奥さんも子供もいるからあれだけど、学生時代に誰かに告白をしますという時に、
じゃあ僕がその人に告白をして受けてくれる確率って何%みたいな話とかを考えるじゃないですか、例えば。
っていう時に当然、自分がその人に告白をするっていうのが初めてなわけなんだよね。
その時の確率ってどう出しますかっていうと、わからないじゃないですか。
とか統計的に何か考えようと思っても、いわゆるそれに参考にするための経験とか募集団がないわけだから、
仮に例えば僕がすごいモテてて、過去10人告白して10人からOKもらってましたとしたとしても、
新しい1人がOKしてくるかどうかってのはわかりません。
まあね、そうなってくると若干統計使えそうだけどね、若干ね。
そうなってくると若干だけど、
思考10回だけど。
そう思考10回だから、じゃあとしても過去答えなかったから100%次もOKだっていうふうに考えるのか、
あるいはでも今回初めてだからでも半々よりは高いだろうとかって70%にするのかみたいな話とかが出てきますと。
で、例えばその時に、そもそもちょっと放課後、どこにしようかな、生活に来てくださいとか言って、
言った時にそもそもそこで断られたとかってなるともうその思考は終わりじゃないですか。
そうね。
仮にそこでOKをもらったら、もしかしたら脈があるかもとかって言って、もともと60%とか65%に上がるとか。
例えばその家庭科室に来てくれた時に相手もすごく嬉しそうな顔をしているとかだったら8割ぐらいあるんじゃないかとかっていうふうに、
要はその出来事に応じて最初の確率が変わるっていうことができるんですよね。
なるほど。
それがいわゆる過去の経験とかデータじゃなくて、今まさに起きているとか今後起きる事実によって、
その最初の仮説の精度というか割合を高めましょうみたいな、すごくざっくり言うとそんな感じの考え方なんですよ。
なるほど。確率と統計とはちょっと違う手法でその確率で物を見積もっていこうみたいな感じなのかな。
いわゆる標準的な募集団がある統計とは違うんだけど、ベーズ統計はベーズ統計って一つの統計の形を成してるんだよね、ちゃんと。
ああ、そうなんだ。
うん。なので結構今みたいな話って何でこうしたかっていうと、もともと今回偶然とか確率を何でしたかっていうと、
要はその必然の逆みたいな話で、要は根拠があるから絶対こうなるみたいな話っていうのを結構西洋の地蔵とか、
それこそこれまでの存在があってその後の事象があるみたいな話ってしてきたと思うんですけど、
今僕自身は無根拠とかインガーがやっぱり何とも見出しにくいみたいな、そういう世界観っていうのが面白いなと思ってる時に、
ちょっとこれがベーズ統計的っていうのが正しいのかすら分かんないというかあれなんだけど、
根拠はないんだけど、少なくとも例えば放課後に呼び出してきてくれるとしたら、
脈がないわけではなさそうだっていうことを確認しながら進んでいくみたいな、そういう生き方とか態度って結構大事だよねというか、
考え方として根拠がない世界でもそういうふうに物事を確かめながら生きていくことができるよねっていうふうに思ったんだよね。
それって前ちょっとどこかで言った、いわゆる人間の脳って予測装置だみたいな説があるって話だと思うんですけど、
例えば来てくれるだろうと思って予測をして手紙を出すんだけど、全然来てくれなかったとしたらその落差って激しいからめっちゃ落ち込むみたいなこともあるし、
例えばその落差に基づいて自分の魅力が足りなかったんだって言って自分磨きをするとかってなったら、それがアクションに繋がって自分の人生がまた変わっていくみたいな、
そういうふうに予測と事実の確認っていうのを繰り返しながら生きていくみたいなモデルっていうのは、
脳科学的なロジックにも合うし、自分の生き方の価値観的にも合うし、ベイズ統計みたいな考え方もあるしみたいな感じで、
そういうふうな考え方がいろんな学問のあちこちに出てるっていうのが面白いなっていうのは元々思ってたんですよ。
そうなんだ、そこはやっぱり同じ統計でもベイズ統計っていうのは結構応用範囲が広いというか、実用的、実践的というか、
もしくは使い方が全然違うのかな?
ベイズ統計の特徴とその応用
使えるケースが違うっていう感じかな。
手相とか占いとかが統計だけど、ベイズ統計については今ハヤトが言ったような、もうちょっと前提とか経験だったり情報とかない状態でどう作っていくかみたいな、
そこのゼロベースみたいなところからできる強みが強みというか、そういう特徴があるみたいな感じなのかな。
まあ特徴だね。あと手相とか占いが統計っていうのはちょっと迷いつぼかなと思っていて、
もしかしたら統計っていわゆるちゃんと国が出している、要は全国民に調査をして、国民の何パーセントがこういうふうな収入帯であるとかさ、
あるいは病気になって、例えば何人調査をした結果、例えばこのウイルスにかかって何日ぐらいで発症するとかっていうのは統計的だけど、
そっちのほうがやっぱり基本ではあると思うんだよね。
うーん、なるほど。これちゃんとデータとしてどこまで信頼性だったり根拠があるかみたいな話だと思う。
そうそうそう。1億人のうち9999万人がこうだったら残りの1万人もきっとこうでしょうみたいなさっていうのは言って数学的に出せるんだけど、
どっちかっていうとその統計で結構僕自身が思うのはこうやって偶然の話と一緒なんだけど、自分はどうなのよっていうのが見えてこないんだよね。
あーなるほど。ベイズ統計じゃなくて、いわゆる普通の統計の話で言うと。
いわゆる普通の統計の話で言うと。確かにじゃあ99%そうかもしれないけど、自分が残りの1%であるっていう可能性っていうのは残るわけなんだよね。
だからやっぱりそのいわゆるマクロ的に国全体とか学校全体とかっていうふうな話だったらやっぱりいわゆる標準的だというかデータに基づく統計でいいんだけど、
じゃあこの自分がとかこの1回の告白がっていうふうになるとやっぱり過去のデータが使えるかっていうと使えない場面もある。
そういうときにベイズ的な考え方というか、いわゆるアクションに対してどんなフィードバックがあったかによってその可能性とかを変えていくみたいな。
あるいは過去に起きたことがない、例えば大災害とかってあるじゃない。1000年に一度の災害とかが起きたときにそれが向こう10年で起きる確率とかってやっぱりなかなかわかんないんだよね。
でも例えばいろんな予兆とか合わせていくと、例えば今この場所で地震が起きたから大地震につながる可能性っていうのがちょっと上がったよねみたいなことが考えられるとか、
ちょっとごめん、それが実際に地震とか災害の場で使えてるかどうかっていうところも今わからずに話しちゃってるからあれなんだけど、
でもそういうふうに使える場所とか適用範囲が違うっていう感じかな。
なので何を指摘したかっていうと、結局は根拠があるとかデータに基づいて未来が想像できるみたいな価値観。
良ければ別にそんなベイズみたいなこと考えなくていいんだけど、そうじゃない、自分みたいにそもそも根拠がないんじゃないかとか、
みんなのことは分かったけど自分のことは分からんみたいなことをもし思う人がいたとすると、そういう考え方って役立つというか、触れてると安心するよなっていうふうに思うんですよね。
前例主義かどうかみたいな話だね。
そうだね。難しいんだけどね、心理学とかやってると、お前は何だかんだ人間って傾向があるよねっていうか、それこそ身体的なもの?
よく作作とか作詞って言われたりする現象ってあるじゃない、止まってる、円が動いて見えるとかさ。
本当は同じ大きさなのに大きく小さく見えるとかってあると思うんですけど、あれとかは完全に身体的なものだから基本的にはみんなそう見えちゃうんだよね。
だからどんなに同じ大きさって思ってみようとしてももう無理だみたいな話ではあるんだけど、世の中にはその大きさの違いを認識する人もいるかもしれないっていうのは残るというか。
人間だからある種仕方なしにそうなっちゃうっていう部分と、自分は他の人とは違うっていうまさに個性とか自分らしさみたいな部分と、そこの違いがいわゆる過去のデザインに基づく統計と、
ベース的な統計との違いにあるっていう感じかな。参考というか、もしもっといろいろな確率とか偶然とか面白いことが知りたいなっていう方がいたらぜひそのあたりも見てほしいなと思ってお伝えしたっていう感じですね。
なるほど。そういった話を聞くとベース統計自体が具体的にどういうものなのかなというのは確かに気になるね。
そうなるとね、それ統計学ラジオになっちゃうから、多分もっと詳しい方がやってらっしゃるんじゃないかどうなのか、そういう方とかあるかわかんないけど、統計学ラジオあるのかな。でもありそうだよね、今この流れでいうと。
まあいろいろあるからね。調べようと思ったこともないけど。数学とかはあるからね、数学とか。
数学はそうだよね。数学も面白いなと思うし。そんな感じで前回の引き続きというか、あんまりちゃんと調べずに話し終わったんですけど、雑談的なところで言うとあれなんですよ。
漢方薬の興味と効果
話変わっちゃうんだけど、最近ちょっとハマったという、ハマりそうなものがあって。何かっていうと、いわゆる本当科とかの漢方ってあるじゃないですか。
漢方、はいはいはい。
薬の漢方薬。ちょっと最近それに興味を持ち始めて、自分が。
そうなんだ。
でもさ、どう漢方薬とかってちょっと怪しいというか、ちょっと普通じゃない感覚とかってある?
ないかな。
そこは大丈夫なんだ。
自分、花粉症とかあったりするから、いわゆる普通の薬あるじゃん。アレジオンか。
アレジオンね、はいはいはい。
他にも薬あると思うんだけど、ああいうのに頼ってた時期もあるんだけど、一時期は、じゃなくて漢方を試してみようとか。
やっぱ体質改善的なイメージがあるじゃん。
うんうん、あるね。
鼻水をただ溜めるとか対象療法的なのじゃなくて。
あと頭痛とかも結構悩まされてた時期があったから。
あったんだ。
なんとなく一人だけじゃなくて、漢方的なのでとかっていう意味では、目的によって使い分ける感覚はあるかな。
確かにね、自分がそれ聞いたとか試してよかったっていう人であれば、やっぱこれもいいよねってなると思うんですけど、
人によっては結構、なんだろうな、そんな怪しいとは言わないけど、聞くかどうかわかんないものみたいなとか、
そこにエビデンスあるのかみたいな感じになるかなと思います。実際僕も結構なりがちなんだけど。
まあ確かにただの会社でしょうみたいなね、ある意味。
そうそうそう、先人だから何が違うんだみたいな。
なんで興味持ったかっていうと、奥さんが結構、なんだろうな、我が家は体調崩しがちなんですけど、
病院、いわゆる普通の病院に行っても健康ですっていう風になって帰ってきちゃうのよ。
なるほどなるほど。
婦人科とか行ってもちょっとストレスじゃないみたいな。休んだらいいよとかってなるんだけど、
本人からしたらこれ以上どう休んだらいいかわからんみたいな感じぐらい休もうとはしてるんだよね。
そういう時に、要はその、なんだろうな、いわゆる普通のお医者さんだとちょっと何ともしがたいなっていう時に、
そういう漢方薬とか一回飲んでみるかみたいな話をして。
なるほどなるほど。
で、結構4、5ヶ月ぐらい飲んでたんだよね。
そうなんだ。
長いのかもしれないけど、でも気長にやってるかって飲んでたら、
飲んでたんだけどあんま効かないって言って2ヶ月目ぐらいで一回やめちゃったのよ。
そしたらすごく体調が悪くなっちゃって。
で、なんでなんでって思って、もしかしたら漢方飲みやめたからかもねって言って、
もう一回飲んで1ヶ月ぐらいしたら結構良くなってきたみたいな。
ちょっと落ち着くわみたいなのが最近起きて。
それは本当冬よりもちょっと暖かくなってきたからじゃないかとかいろいろあるんだけど、
でももしかしたら本当に効いてんのかもみたいなことを思ったのね。
それは実際どの部分で成分なのか、
もしかしたらプラセボの方が強いのかわからないにせよ、いずれにせよって話だね。
そうそう、いずれにせよ。
そういう人も本人が良くなったと言ってるってことは何か良い影響があったんだろう、
それはどこまでは今思ってますと。
で、じゃあこれなんでだろうってやっぱ気になるじゃないですか。
まあそうだね。
で、勉強しようと思っていろいろそういう構造とかアクティとかって調べたんだよね。
そう気になる人はさっきそうだねって言ったけど、そうでもないかも。
そうでもないから、そこまで知らないから。
講座とか調べ始めるはしないけど、家族がそれでいい感じだったらわからなくはないかな。
結構家族もそうだし、周囲にも何か体調悪いなとか、病院行っても別に治んないんだけどずっと具合悪くてみたいな人結構多いんだよね周りに。
っていう時に何かちょっとでも役立てるんだったらいいなとか思って調べ始めてたりとか、
あとはその前Facebookで漢方のこと知っていませんかみたいなことを書いてみたのよ。
そしたら結構いろいろあって、兄貴みたいにそういう飲んでましたみたいな人もいれば、
親が漢方薬局というか、そういうところで働いてましたとか、
なんか極めつけて面白かったのが、友人に漢方エヴァンジリストがいるよみたいな。
怪しいな、エヴァンジリストって怪しいな、それは怪しいんじゃないかな。漢方は怪しくないけど。
そこが面白いね。漢方は怪しくないのに、漢方エヴァンジリストってなった瞬間に怪しく感じるっていうのがすごく面白くてさ。
僕はまあ普通に友人の友人だから一回話そうよって言って、実は最近話したんだけど。
もう話してきたんだ。
もう話した。めっちゃいい人で、いろいろ実際に自分もまさに漢方を飲んでアトピーとかが良くなったとか、
そこからやっぱりその世界にハマっていって、今は病院のお手伝いもしてますみたいな人だったんだけど、普通に普段はウェブエンジニアとして働いててみたいな。
その人が一番面白かったのは、漢方って今普通に保険適用の薬なんだよね。
だから病院に行ったらちゃんと保険で処方してくれるから、一応その功労者とかもちゃんとここには何らかの効果はあるというふうに言ってるものですと。
確かに病院によって漢方を処方されるもんね、全然ね。
そうそう、全然される。でもやっぱりお医者さんの中には漢方とかにまさに手を出すみたいな感じなんだけど、
そうすると、お前もそっち行っちゃったかみたいなとか、そういうふうになるみたいなこともあって、
やっぱり結構まだイメージが良くなかったりするらしいんですよね。
一方で本とかもその人に教えてもらって買ったんだけど、3秒でわかる漢方ルールみたいなね、
本があったから読んでたんだけど、そこの先生が書いて面白かったのが、
もう一旦ラムネだと思って出しましょうみたいな。
出しましょうっていうのは先生側への啓蒙としてね。
先生側への、そうそう、いわゆる医学書だから先生側に漢方をもっと使うようにしようっていう本だったんだけど、
そのぐらいも最初は気楽でいいんだと。
そしたら漢方薬って副作用は基本的にはあんま大きくはない。
要は全くなくはないし、両方両用っていうのはあるんだけど、
いわゆる普通の薬みたいに、例えばすごい眠くなるとか、そういうのはないですよと。
さっき兄貴はまさにプラセボって言ってくれたけど、
本当にそれが効いてるかどうかは仮にわかんないとしても、
ちゃんと症状が良くなればいいんだ、結果が出ればいいんだというぐらいの気持ちで、
まずは試してみるのもありじゃないか、みたいなことを書いてたんだよね。
そんな感じで本を読んだりとか、エヴァンジレスの人に話を聞いて、一気に漢方を色々知ろうと思ってるんですけど、
これって結構僕の中ではまさに偶然の話とか、偶然ってよりは根拠がある種、ないなわけじゃないんだけど、
必然ではないとか、そういうところに結構つながってるなって思ったんですよ。
その行動というかね、漢方に興味を持つみたいな話。
漢方の聞き方自体って感じかな。
漢方の根拠と効果の複雑さ
なるほど、漢方自体の話ね。
漢方自体の話。いわゆる西洋の薬と言っていいのかわからないんだけど、
いわゆるそういう薬とかって、要は頭痛の痛みとか、原因のある物質があって、
それを例えば出さないようにするとか、受け取らないようにするとかって、
多分そういうような構造の中で聞くみたいなものが、ちゃんと原因と結果が明確なわけじゃないですか。
だから多分その原因の人であれば誰が飲んでも多分聞くしとか、
基本的には物理的にとか、人間の体の構造的に聞きますよみたいな話だと思うんだけど、
漢方っていろんなのが入ってるから、有効成分とかがありえない、ありえないというか、いっぱい入ってるらしいんだよねやっぱり。
あ、そうなんだね。
漢方で普通に組み合わせたりするから、本当は原因と結果っていうものを足し切るようになったら1個の成分でいいはずなのに、
あれやこれや足して、これを飲んだらこれに効くみたいなのがいろいろあるらしいんだけど、
なるともう要は何に作用してどう効いてるかって複雑すぎてわからんみたいな感じなんだよね。
なるほど。数打ち当たるってわけでもないんだね、それは。
数打ち当たるわけでもないらしい。
そういう意味でさっき兄貴が言ってくれたまさに占いとかに近いんだけど、
漢方の効果と占いの類似性
占いは根拠があるわけではない?
前もちょっと言ったかもしんないけど、生まれた時の星周りがこうだったから、いわゆる先世術とか、星占いとするとね。
例えば僕水亀座だけど、水亀座に生まれたからあなたの性格がこうだっていうのは、別に根拠はないじゃないですか。
根拠はそうだね、到底と言われたらふーんと思わされるかもしれないけど。
それはね、ちょっとね。
何千万人何億人の調査というか。
はいはいはい。
この7級の摂取による統計。
そうそうそう、あるんだけどさっきの話と同じで、じゃあそれがなんで自分に当てはまるのかっていうことは絶対説明してくれないんですよね、占いは。
そういうもんでずっと、後継でずっとしか言えないと。
僕もそうだったので、あなたもそうだと思いますってことは言えるんだけど、
いわゆる西洋の癖みたいに、今この物質が出てるからあなたは痛みがありますとは言えなくって。
なるほどね。
頭が痛い人にこの薬効いたからあなたも飲んだら効くと思いますよ、しか今は多分言えないんだよね。
っていうふうな違いがあった時に、結局それで痛みが治るとか、占いだったら自分への理解が深まるとか、あるいは未来に良い影響が及ぼせるんだったら、まあまあそれでもいいじゃないかっていう話も一方でありますよと。
うんうんうん。
逆に言うと、要はその根拠とか必然性。
お前は三つ亀さだからこうしなきゃいけないとかって言われたら苦しいじゃん、逆に。
まあ怖いねそれはね。
それは逆に怖いし、ある種信じすぎるというかこだわりすぎてる話だと思うんだけど。
人間ってどうしても僕ら普通に生きてると必然的なものとか絶対的な根拠があって、今こうしているとか未来にこうしなきゃいけないみたいなこととか、根拠がないものはやっぱり怪しいとか疑わなきゃいけないとか正しくないとかってなりがちなんだけど、
やっぱりそれも一つのすごい期待価値観というか世界観だなっていうふうに最近すごく思うんだよね。
ある意味効率中というかね。
まあ効率はそこまではないけど、まあでもほんとそんな感じで。
漢方とかに関してもやっぱりその当然ね、根拠とかまだ明らかになってないのか、今後明らかになるのかもちょっとわからないけれども、
でもやっぱりそれでも効くよねとか、そもそもその根拠がないからそれを怪しいと思うっていう態度自体が、
それはなんだろうな、そんなにこだわらなくてもいいんじゃないかと。
いうふうに思ったので、ちゃんと勉強してみようと思ったんだよね。
なるほど、逆に言うと今までそんなに漢方に触れてこなかったみたいな感じ。
核コントウとかはね、なんとか飲んでたんだけど、やっぱ化成品の引き始めにとりあえず核コントウ飲んどけみたいな。
それは漢方への信頼というよりは核コントウは効くだろうみたいな。
はいはいはい、まあ普通にね、薬局で売ってるしね。
そう、薬局で売ってるし、みんな飲んでるっていうからまあいいかなぐらいの感じで、
別にそれがなぜ効くかとか、何をしてくれるかとかっていうのは正直わかってないのよ。
じゃああれか、薬局とか言ってもさ、漢方のコーナーに0何番なんとかあるじゃん。
そう眺めてどれにしようとかっていうのはやってなかった?
やってなかった、そういうか、具体的にやってなくて単純に核コントウの瓶を栄養ドリンクの代わりに飲むぐらいの感覚だよね。
対象漢方胃腸薬飲んでるみたいな話だよね。
そうそうそうそう、リポディ飲んでるのと一緒みたいな感じなんだけど。
リポディは漢方じゃないけどね。
これは漢方じゃないけど、でも基本的には一緒。
漢方薬の効果と根拠
リポディも核コントウも、まあなんか飲んだらなんか強くなるだろうぐらいの感覚でしか飲んでませんでしたと。
はいはいはい。
それはちょっともう一歩進んで、まさに今えきが言ってくれた通り、
つむらとかクラシエっていう会社がやっぱり日本の2大漢方メーカーらしいんだけど、その中の何番のこの漢方はこれに効くとか、
それを聞くのはこういう風な一応背景があってねみたいなことを最大限知っておけるといいかなとか。
あとさ、その哲学に関してもさ、やっぱりあにき第1回とかで、まあ今でもいいと思うんだけど、やっぱりちょっとその、
うさんくさいじゃないけどなんか本当に役立つのみたいな感覚があるよっていうのはずっと言ってるじゃないですか。
そうそうだね。
僕はまあそれはすごく健全な感覚だと思うし、あと途中時々言うけど僕占いとかも勉強しててさ、
普通にやったこともありますけど、占いもやっぱりともするとちょっとうさんくさいというか、なんか壺をかわされそうみたいな感じあるじゃないですか。
まあそうだ哲学よりも怪しい度は高いよね、明らかに。
まあそうだよね、比較するとね。
で、漢方も別に漢方は怪しくないけど、漢方をなんかすげー勧めてくる人とか、逆に漢方がいいから普通のお医者さんに言うとやめなさいとかっていう人はやっぱちょっとどうしようみたいになるとかってあるじゃないですか。
そうね、漢方エヴァンゼリストはそういう匂いがするから多分怪しいんだよね。
まあね、その方はすごく素敵な方だし、別に漢方だけでしかダメだよってことではないから大丈夫だし、もし聞いてる方に性欲はなんだろうな、ダメだみたいなことを思っている人がいたらそれはそれで、
西洋医学と漢方薬のバランス
でも僕はちょっとバランスとってもどっちもありじゃないぐらいに思っていただいてもいいんじゃないかと思ったりする人間ではあるんですけど。
まあそうだね、現代素人的にお医者さんとかと触れてて、どっちかだけは怖いよね。どっちものほうが安心する感じはあるかな。
まあね、採除するとちょっと極端になっちゃうところもあるから、そこはゼラジオのスタンス的には西洋も東洋も両方ありねとか、バランスとってあっちが良ければこっちもいいとこあるよねみたいな感じを基本的には言いたいと思うんですけど、
僕の個人的な今の立場からすると、そういう根拠があるっていう方に、むしろこれまで勝手寄ってたというか、そういう原因とか因果とか事実とかデータとかそういうのがないとダメだよっていうところから、さっきのベイズの話もそうだけど、
いやでも試してみて聞いたならいいんじゃないとか、それが自分だけじゃなくて、例えば家族もやってみてよかったんだったら、少なくともこの家族の中においてはいいものだよねとか、そういうふうな扱い方をしていくっていうのが全然アリなんじゃないかなっていうふうに思ったんだよね。
確かにね、このソルテツラジオを通じて何回か言ってるけどさ、ハヤトって元々あれだもんね、人類にとって幸せとは何かっていうさ、幸せの定義をさ、自分にとっての幸せとかどうでもよくて、幸せとは何かがわかったら、ついにやっと自分も幸せになれるみたいな幸せを感じることができるみたいなさ、
ちょっとね、独特な感性の持ち主的な可能性がある。 らしいね、ちょっと遠回りなんだろうね、たぶんね。 そういう意味ではそうだよね、薬も同じだよね。
絶対にみんなに聞くんだっていうのがわかんないと自分には聞かないのだみたいな話なのか、もしくは自分に聞いたらいいかみたいな、自分が薬になったからいいかっていうのとも納得できないみたいな、この感覚気持ち悪いみたいな、そういうのもあるよって話ですよね。
そう、ある。だからやっぱり一定その知識としても知りたいし、たぶん学んだら自分でも飲むだろうし、たぶん何らか。で、確かに良くなるのかならんのかっていうのは試さないと気が済まないというか。
逆に言うと、たぶんそれでずらりとと一緒で、これだけそれなりに本とか読ませていただいて、2年くらいかな、ラジオやってるくらいの人だったら、なんか聞いてやろうとか、なんかちょっと信頼できそうみたいな感覚って持ってもらえるんじゃないかなっていう期待があるんですよ。
前もどこかで言ったと思うんだけど、要は僕哲学好きですみたいな飲み会で喋る人よりは、やっぱり2年間で200回近く哲学のポッドキャストやってますってやつの言葉の方がちょっと響くみたいな。
演出さはだいぶ減るだろうし、単純説得効果的なのもあるだろうし。
そんだけやってるんだったら、少なくとも単なる思いつきとか、手任せじゃないよねみたいなさ。
漢方とか占いとかに関してもそうで、それなりに例えば何年間勉強してましたとか、それこそ数十人に占いやったことがありますとかっていう人だったら、ちょっと話聞いてみるかとかってなるよねとか。
自分を通じてそういうちょっと根拠がないとか、世の中でちょっと怪しいと言われてるけど、役立つもの。ある人にとっては有効なもの。
別に占いとかって一切信じない人はもうそうだろうから、そういう人にとっては別にそれでいいと思いますよって感じるんだけど。
でも何かそれで困った時とか、人生どうもニッチもサッチョもいかない人は、それまでやってきたことが通用しないとか、何を選んでもダメだみたいな時に、
やっぱりいわゆる占いだったり宗教だったり哲学だったり、そういうものを頼みにしたくなる気持ちってどうしてもあると思うんですよ。
っていう時に、何かちょっとでも役立つことが言えるとかできるとか、そういうふうな人間が一人ぐらいいてもいいんじゃないかなって思うんですよね。
まあそうだね、そういうのが有効な場合もあるけれども、逆に言うと、うちらがそういうのを怪しいって感じるってことは、そういう人の感情を逆手に取った悪徳ビジネスだったりとか、そういう怪しいものがあるから実際そう考えてるんだよと。
そうだね、そう思う。
こういう冷静に官法とは何だろう、宗教とは何だろう、哲学とは何だろうみたいなものを、割とフラットな角度から見られるような感覚だったり知識があるだけで、そういった頭から否定したくなるような怪しいものにもある程度冷静に触れることもできるし、
逆に、これが正解だと言われるものではない。そっちを信じている価値観というものも、少しフラットに持ってこれるんじゃないかみたいな話だよね。冷静さみたいなところで。
本当そう、本当そう。さっき言った官法の本でニーミー先生という方が書いてらっしゃるんだけれども、この方はもともと西洋のお医者さんの下界なんだよね、もともと。
でもその官法というのに出会って、最初は疑い半分というか、どんなもんやろうと思ってやってたんだけど、まさに自分も聞いてよかったし、家族とか子供とかも含めてよかったよみたいなところから、そういうのをいろいろ、むしろ西洋的な感覚も含めて捉えようということをされている方らしいんだけど。
その方の本で面白かったのが、いきなり官法の昔の本を読むのはやめましょうって書いてて、そうなると予算臭さがあまりにも高すぎて、逃避の方がやっぱり強くなっちゃうから、いきなり官法を知ろうと思って原理を知ろうとか言って、昔の本だとかっていうのはやめた方がいいよとかっていうのをさらっと書いてるんだよね。
東中華僧が何とかとかいきなり言われてもみたいなね。
例えば、そう、そう、そう、とかなんか、虚とかなんか、実とか、いろいろそういう官法的な世界観とか概念があって。
そうなんだね。
ベイズ統計と漢方薬
またその五行思想があるらしいんだけど、中国のね。その思想から理解しようと思うと、やっぱり現在の価値観ではどうしても受け入れにくいとか、明らかに間違ってると言わざるを得ないみたいなものって出てきちゃうんだよね。
なるほど。独特の世界観があるんだね。
そうそうそう。
五点から入っちゃうと。
特有のね。
うん。
官法に関しては。
そうですそうです。だから、それこそ僕らがさ、プラトンとかの話を聞いて、いや、イデアってなんだよみたいな。
うんうんうん。
そんなこと言ってる奴の話に聞く価値ねえよって思っちゃうのに多分近い。
まあ同じだろうね。確かに確かに。昔の外科手術、7世紀の外科手術をそこから入るかみたいな話だよね。外科医が。
そうなんですよね。
そこは最新の方から行こうよみたいな話だよね。
そうそうそう。とか少なくとも僕らの価値観とか世界観で理解できる話でもあるよってことだね。
うんうんうん。
だからなんかその辺りの捉え方とか、まさにアイキー言ってくれた、なんだろうな、その背後にある感覚ってやっぱりどうしても理解できないものも多いから、そこまでは踏み込まなくていいよっていう風な話だね。
うんうんうん。
っていうのがその漢方とかを、まあこの本当1、2週間くらいなんだけど、ちょっと足を踏み込んでみたらやっぱり新しいいろんな話が出てきて面白いなと思ってるみたいな感じなんですよね、今。
なるほど。まあ面白いね。確かにその西洋医学と東洋医学というかさ、漢方だったり、芸科手術と漢方とか、結構比べられるイメージがあるけど、確かに二言論だもんね、なんかそれって。
ああそうそうそう。
だからさっきの哲学なんだ、正解があることと占いだったりとかそういう酸臭さも二言論ではあるからね。
うん。
思った。そこを結局どっちかに偏ることは、全く裏表で一緒だからね。
ああそうそうそうそう。
人生危ないよっていうね。
危ないよっていう。だからね、よく言われた科学信仰主義みたいな、科学を新しい宗教にしちゃったみたいな言葉が出たりするのもそうだし、
もちろん根拠とか原因は大事なんだけど、さっき言った通り、やっぱりみんなに当てはまっても自分に当てはまるかわからんみたいな世界においては根拠とか持ち出しようがなかったりするから、
そういう時のある種考え方とか思考の仕方っていうのは、それはそれで大事だなって思うっていうのが結構共通してる。
偶然とか確率とか運命もそうだし、ベイズみたいなのもそうだし、占いとか漢方とか。そういうのは結構僕の中では全部繋がってるよみたいな感じの雑談をしたかったっていうところなんですよね。
冒頭のベイズに関しては、もうちょっと中身を見ていかないとなるほどとはならないけど、そういう生徒の最近の漢方とか、それと繋がる部分があったって話だったね。
西洋医学と東洋医学
そうですそうです。漢方も一回飲んでみて効かなかったって言ったら効かなかったっていうふうな決断をすればいいし。でもやっぱり飲む前とかやる前からこんなものに根拠がないって言って捨てちゃうっていうのがやっぱりちょっともったいないというか、
それは別に個人の態度としてはいいんだけど、その根底にある根拠がないと何も信じられないとかってもしあるとしたらそこはちょっと緩めてもいいかもねみたいな。そのぐらいの感じ。でも別に西洋の捨てる必要は全くないし、医学は大事だから。
まあそうだね確かに。昔頭痛に悩まされてる時に漢方を飲んでたんだけど治んなくて、結局あれだった。結局無呼吸症候群的な方だったっていうね。
なるほどね。睡眠の時とかもね。 睡眠の質が悪すぎたってことだけどね。 そういうのもやっぱり大事だし、それは原因があった方だからね。 そうそう、あった方だからね。これは面白いなと思ってね。
ずっとロキソリンとかイブみたいなの飲んでたんですよ。朝起きて、今日痛い日かーとかうついなりながら飲んで、治る日もあれば飲んで別に治らない日もあって、ああ嫌だなーみたいなのが結構ついてたんだけど。
寝てる時に呼吸を補助してもらう器具があるんだけど、それを貸してもらうほどではないみたいな、もう一目盛りか二目盛り大丈夫みたいな、でも結構いびき質一数みたいな。
はいはいはいはい。 マジか、これあったら早期のクレヨンぐらいの感じだったんだけど、しかもそれである程度自分の睡眠の質ってめっちゃ低いんだってことが分かってたら枕替えたりとか寝る体勢変えたりとか、鼻にテープつけたりとか。 あるよね。
やったらかなり改善されたんだよ。 大事大事。検査とか大事なのよ、それは本当に。 でも特に偏頭痛っていうか頭痛って、原因わかんないのもつらいみたいなのもあるじゃん。
今回話してるとね、結局漢方ではなかったんだけど、その難しさと面白さもあるよなーって。 そうそうそう。それで言うとちょっと教えたいのは、うちの奥さんの場合もすぐ漢方に行ったんじゃなくて、ちゃんと病院いろいろ行ったのよ。
そういうことで婦人科も行ったし、大学病院でまさに一泊して検査とかもしたし。でもやっぱり病気じゃないっていう決断になっちゃって。 あれは精神科的なのが行ったの? 精神科も行ってた。
だからそういうふうに全部行って、でもやっぱり生活がうまくいかないみたいな状況だったんだよね。 だから漢方にある種頼ってみたっていう感じなので、ちゃんと根拠がずれちゃうと結局、突き止められるものは突き止めるのが絶対にいいに決まってるからさ。
そうだね、そこの態度だね。じゃあそれダメだったから何かを信じるかってのもおかしいし。 おかしい。だからやっぱりそこでいきなり神頼みっていうのもちょっとステップが空きすぎるから。
せめて漢方とかで一回試してみたらっていうところに着地して、実際それがうまくいったよっていうケースだけなんだけど。だから別に病院も行かずに漢方にある種縋ったわけでもないし、っていうところは確かにちゃんとお伝えしておかないとね、ちょっと今の話が全部変なことになってるから。
原因と根拠の複雑さ
今回ハヤトがあえて具体例を出してくれたから、そこら辺まで突っ込んだ回答ね。多分聞いてる人は序盤、あれ精神科行った方がいいんじゃないかと思ってる人もたぶんいっぱいいると思うから。ちゃんと減った上で。
個人情報的なのだけど大丈夫なの?奥さん的に。
奥さん聞いてないから大丈夫だと思う。ちょっとやっぱり病気とか体のことはなかなかセンシティブではあるんですけど、しかてとこの話の趣旨としてはそういう西洋医学、東洋医学がどうのこうのというよりは、その根底にある原因とか根拠っていうのはもちろん大事だし、それを突き止めるには突き止めるに越したことはないんだけど、
ある種それがないっていう世界とか、そこを突き止めた時にやっぱりどうしてもぼんやりしちゃうようなことっていっぱいあるから。
そうだね。本当にハヤトが言う通り原因を突き止められないっていう時に、例えばさっき自分の話で頭痛の話をしたけれども、これも本当の意味で原因が睡眠じゃない可能性もあるじゃん。
あるある。 自分の中であ、睡眠なんだっていうプラスセボかもしれないじゃん。思い込み。もうそれが原因だったんだ。で、睡眠の質を改善したことによってプラスセボ的に改善されたっていう可能性もあるわけで、そこはもう分かんないもんね多分ね。
わかる先生とかもいるのかもしれないけど、普通に生きててそこって確率にさ、この病気の原因とかさ、今回の風邪の原因、あの病原菌だったとかあのウイルスだったとかってもう分かんないじゃん。
まあね、普通に生きてたらね。 風邪反射だけどさ、あれ見た?アニメでさ、釣り屋の独り言。 あーあれはね、漫画で読んだ。
あ、そうか。漫画にもなってるんだってか。もともとライトノベルだよね。 もともと小説で今アニメとか漫画出てるね。 あ、漫画で見たんだ。あれね、今薬局行くとあれのポスター貼ってるもんね。 そうなんだ。
あと聞いた話で厚生労働省とかが出してくる血管紙みたいなものの表紙にもなったみたいな。 えーすごいね、薬とかやっぱりそういう観点でコラボとかしてるんだ。
意外と大財産として薬剤師とかでやると良かったのかなーって思う。 確かにね。わからない方向けに話すとあれです。中国の宮廷?いわゆる三日堂とかの時代の中の薬の知識を持った女の人の節約犯みたいな感じだよね。
そうだね。ある意味当時薬とか医学とかに関する知識とか経験というのがすごくレアな時代に知識を持った女性の話みたいなね。 確かにね。やっぱりそれを知ってる時代もそうだし、逆に僕らはそれをなんとなく知ってるが故に薬とかに足りすぎちゃうとしたらそこのバランスがっていう話が今日の話だね。
っていう感じで本当に日々過ごしてるだけでもね、そんな風にいろんな人生の価値観とか世界観って影響してるなと思うので、それは今後もぜひこういうストレッチラジオの話を通じて皆さんにもお届けしていきたいと思っているんですけれども。
次回ですね、ついに。ついにでもないんだけど200回であるのかな?今回199回目だと思うので。なので次回も雑談っぽくなったらかもしれないんだけれども、改めてそろそろ2周年とかっていうのもあるので、ストレッチラジオの歩みを振り返りつつ、別にそんなに何か用意したわけじゃないんですけど。
今後のことをどうしていくかっていう話もしたいとか、あとはマークお便りしようかなと言ってなかったんですけど、お便りも少し紹介しながら、今後こんなこともやりたいと思ってますみたいな話をちょっと皆さんにもお届けしたいなと思っているので、それをぜひ次回は皆さんにお届けしたいと思っているという感じでございます。
分かりました。では次回は200回記念というには多分ライトな感じになるけれども。ということでやっていきたいと思いますので、次回も楽しんでいきたいと思います。では引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
52:00

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