1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #224 「こころ」はどこにある..
2024-06-19 47:22

#224 「こころ」はどこにある?心と脳をめぐる実験

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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00:11
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、前回はフロイトということで、今回は心をテーマにいろいろ見てきているんですけれども、
なんかあれでしょうね、今回脳と心について見ていくという話で、前々回と何が違うのかな?
そうですね、前々回は脳と心に対して、心脳一元論というものと、それがある意味、心と脳は同じだというか、あるいはどっちかじゃないという話と、
心脳二元論というのは、心と脳は別であるという話をざっくり分けましたという類型をしたと思うんですけど、
もうちょっと深く切り込んでいって、実際にそういう論文があったんですよ。
坂野昇先生という方がいらっしゃった、脳と心っていう論文があって、その論文を頼りに、
例えばどんな実験でそれって確かめられているのか、脳と心って言ったときに、
どんなふうに、科学的にはその説明というか、証明しようとしているのっていう話をお伝えしていきたいなと。
やっぱり心理学とか脳みたいな話もそうなんですけど、結構いろんな実験を踏まえてそれを確かめようとしてるんですけど、
この実験自体は面白かったりするんですよね。
僕も大学で結構、言っても学部生レベルなんであれですけど、実験を再現してみるとか、
自分でやってみたときに、こんなことやってるんだみたいなところの趣味もあったんで、
そこも含めて心に迫るというときに、こんなことを行われてるんだみたいなことも含めて、
ちょっとお話をしたいなと思って持ってきましたという感じです。
なるほど。そういった科学的な営みで言うと、脳はあるっていうのがわかってるんだよね。
脳はあるよ、脳はある。脳と言われている器官は人間の頭部に存在しているっていう感じだよね。
じゃあ、心という器官は見つかってるのかな?
心は物質的にはまだ見つかってない。
見つかってない。そこが面白いって話なんだね。脳イコールなのかもしれないしってところが一元論、二元論っていう話なんだね、そこは。
そうですそうです。そもそも心っていうものが物理的なものを指すかどうかっていうのが多分問題なんだけど。
だからそこも含めて、科学的にこういう人たちが多分いろいろな実験をしながらアプローチしてるって話なんだよね。
03:02
そうですそうです。
心っていうのも、何ですかって話があるし、脳っていうのも、僕ら脳って簡単に言ってるけど、何なんでしたっけっていう話がなってくるんだよね。
あーそもそもね。脳についてもどこまで分かってるのと。
そうそうそうそう。
っていう話があるんで、そこをね、ある種、心と脳って同じなの?っていう言葉をもうちょっと解像度高く見ていきたいっていうのが今回やりたいことでもある。
おーはいはいはいはい。
はい。なのでちょっと今日もね、どちらかというと心とは何かとかよりは、こんな実験がある中でみんな心とか脳について考えてるんだっていうふうな話って聞いていただければと思うんですけど。
うんうんうん。
はい。そもそもこの論文においてはですね、心と物質、だから心と脳っていうものは基本的に異なるものなんじゃなくって、
脳、同一事物の異なった形式であるんだっていうふうに言ってるんだよね。
おーはいはいはい。
これはどちらかというと心脳一元論の多分カテゴリーで、前さ、ちょっと心脳二レベル一元論みたいなピラミッドがあって、次元が違うんだみたいな話をしたじゃないですか。
うんうんうん。
結構これはそれに近い考え方かなと思うんだけど、心っていうのはあくまでも物質とか脳なんだけど、でも全く同じものじゃないよみたいなことをこれは言おうとしてるような論文なんだよね。
というかそういうような観点からいろんな実験とかを集めたり見返したりするような論文ですよ。
うんうんうん。
どんなふうに心と物質は基本的には同じものなんだみたいなところを掘り下げていくかというと、まず脳に対する考え方として極材論っていうものがあるんですよね。
数字には機能極材論っていうらしいんですけど、ざっくり言うと教科書とかで脳の上に耳とか口とか手とかがそういう絵がいっぱい描いてる絵とかってなかったかな。これはどうからなのかな。ちょっとわかんないんだけど。
どうなんだろうね。あったと思うよ。この部分を担当してますみたいな話だよね。
そうなんです。例えば大脳の中にある特定の領域が話すとか読むとか、そういうふうな機能をある種使っていて、そこに一対一対応されてるみたいな考え方がこの機能極材論っていう話なんですよね。
これは結構、技術的には、例えば事故とかで脳の一部が破壊されるみたいな人がいるんですよ。っていうときに、その人をある種研究に参加していただくと、例えば単語を書いたり話したりできるんだけど意味はわかってないとか、聞くっていうのはできるんだけど話すってところがすごく難しいとかっていうようなことが起きたりして、
06:16
そういうときに、例えば破壊された脳の部位っていうのが話すとか聞くとか、あるいは意味を理解するっていうのを司っていたんだみたいな、そういうふうなことから始まってるらしいんですよね。
ほうほう、なるほどなるほど。
それはある種、純粋に脳ができなかったら、脳部位と機能っていうのはまさに一致してるんだっていう話なんだけど、この反対論っていうのは、いわゆる全体論っていう話で、
実際にはそういう局部的なものじゃなくて、ちゃんと全体が広い範囲に渡って、ある特定の機能っていうのも担ってるんだ。要は協力関係であるんだというか、別にそんな一部が対応するわけじゃないんだっていうふうな考え方もあります。
へー、あー、そうなの。これってまだ質問出てないの?
出てないというか、実際に両方あるらしくて、何度とか見てると、すごい広い範囲に渡って脳が損傷してても、全然障害を現れないように見えるとか、いっぱい症状が出てるんだけど回復するみたいなことがあるらしいんだよね。
本当に一部が、例えば話すっていう機能を全部取ってるとしたら、治るってことはないわけじゃない。
そこが無くなったらもう無理でしょ。
そう、おしまいっていうことがあるから、ある種、素朴に一部の脳部位が一部の機能を持って一体作用するとかっていうふうには言えないんじゃないかっていうところはむしろ主流になってきてるらしいんだよね。
はいはいはい、その単純なものではないぞと。食材論だけじゃないぞっていうことはわかってるみたいな。
見えてきてるっていう話はあるんだけれども、この部分の中で脳の極材論っていう話をした後に、心の極材論っていう話を考えるんだよね。
脳と心がもし一緒なんだとしたら、心も極材してるんですか?
例えば脳のこの前の部分に、心の喜ぶっていう機能があるとかっていうふうに言えるんですかっていう話を考えるんだよね。
結構わかりやすいじゃない。例えば右側が無くなったらどうしたら一生喜ばない人になるんですかみたいな話だよね。
ここ刺激したらめっちゃ笑えますかみたいな話だよね。
そうそうそうそう。
っていうようなことを考えていくんだけれども、この問題に切り込んでいくために、脳と心っていう論文では、もっと多いんだけど大きく3つの実験を扱ってるっていうふうに僕が整理させていただいて。
09:06
さっきまでお伝えしたとおり、なかなか脳科学とか心理学の実験ってなじみがないと思うんで、
それもご紹介しながら、こんなことやってるんだって、今回味わっていただければいいかなっていうふうに思っております。
わー。はいはいはい。いいね。面白そう。
1個目で取り上げられてる実験っていうのが、いわゆる自閉症の人、大人なんだけど、あとは健常というか自閉症ではない人。
単純作業をしてもらって、それを比較しましょうっていうような実験なんだよね。
どんな単純作業かというと、これはアルファベット1文字っていうのが一定時間ごとに提示されます。
2つ前の文字、例えばABCだったら、Cの時はAだよね。
っていうふうに、文字が同じかっていう判断が求められます。
例えばABCだったら違います。だけどABAだったら同じです、みたいな。
報告してくださいっていうふうな話なんだけど。
つまり、いわゆるワーキングメモリーとかっていわゆる短期的な記憶力を司るものがあるって言われてるんだけど、
それをマルチでテストするみたいな実験なんだよね。
これやってみると、実は結果としては、自閉症の人でも健常者でも、性的には違いは実はありませんでした。
どっちもある種の短期記憶ってのはちゃんと動いてるって感じなんだけど、
ファンクショナルMRIっていう機械があって、
よく脳の画像とかで出てくるんだけど、脳の一部が白くなったりして、
この白い部分が血清化しますとかってあるんだけど、
これ、どこに血流が多くいってるかとか、そういうので活発化してるみたいなのを取る機械なんだよね。
これよく脳科学とか深夜部の実験でよく使われるんですけど、
このMRIっていうデータを見てみると、
健常者と言われる人たちが、いわゆる左脳が特に活発に動いたんだけど、
自閉症の方々は右脳が活性化してました。
へー、はいはいはい。
っていう風に、活性化してる部位に差があったらしいんだよね。
で、自閉症の方々の方が全般的に脳全体の活動のバランスが悪いとか、
右脳と左脳の協力が見られないというふうな結果がありましたよと。
ほうほうほうほう。
つまり、この実験では大前提として、
12:05
副材料っていうのは全体的なバランス、協力が大事だっていう前提があるから、
こういうふうな結果を取り上げてるって言ってもあるかもしれないんだけれども、
まさにこの右脳と左脳のバランスっていうものが、
ある程度健常者の方が活発で、
自閉症の人はあまり見られなかったっていうふうな結果を紹介してるんだよね。
ふんふんふん。なるほど。
これで面白いのが、さっきの極材論みたいなことで言うと、
いわゆる短期記憶っていうことが、同じ現象じゃないですか。
ものを覚えてるっていう。
そのときの脳活動はある種結構違ってるっていう話を見てるんだよね。
ふんふんふん。そうね。ほいほいほい。
なので、これが1個目で紹介された実験なんだけれども、
次に取り上げられてるのが、
皮肉とかメタファーっていうものを理解してもらってるような実験なんですと。
ふんふんふん。
ここで皮肉の例があって、若干わかりにくいので、
それも面白かったのでちょっと説明しようと思うんですけど、
もちろん海外の実験なんでね。
名前とかも海外の人なんですけど、
どんな例かっていうと、
アンはパーティードレスを綺麗なものに着たくすると約束したと。
これは彼女かな。彼女は泥で汚して帰宅した。
っていう文が提示された後に、
パンさんは綺麗なままでいてくれてありがとうと言った。
っていう風に言って、
その実験者の質問として、
アンが帰宅した時、服は綺麗でしたか?っていう風に尋ねますと。
これは皮肉が理解できないと、
綺麗だったって答えるってことなんだと思うんだけど、
これがちょっと皮肉なのかどうかはわからなかったんだよな。
皮肉なのかな。綺麗なままでいてくれてありがとうって。
これ皮肉でしょ。
子育てとかで言うとさ、
例えば子供がご飯食べてるでしょ。
新しく下ろした服を着て、
今日は絶対汚さないから、エプロン嫌だ。絶対汚さないからって言ってカレーを食べるでしょ。
カレーめっちゃこぼすでしょ。
ありがとうね。綺麗に食べてくれて。
こういうことか。はいはいはい。
えー嘘?
ヘッド大丈夫?
ダメかな?
ダメかもね。
本当にわかんなかった?
今の例だったらわかった?
今の言い方とかも含めたらわかるんだけど、
本当に泥にね、
泥につくのってことは大変なことが起きたのかもしれないし、
15:03
転んで怪我とかしてるかもしれないけど、
せめて服で汚れたので、
済んでよかったねみたいなさ、
母親の気遣い?
服は汚れたかもしれないけど、
あなたの心は汚れてないよみたいなさ、
綺麗なままでいてくれてよかったねみたいな話?
まあダメだね。
ダメだね。
ダメかな?理解できてないのかなこれ。
もちろん服は綺麗じゃなかったよ。
泥で汚れてるんだからさ、服は綺麗じゃないけど、
話して皮肉かって言われたら、
お母さんのさ、もしかしたらその気遣いかもしれないなとかさ、
ちょっと考えちゃうよね。
そうはね、それなんか、
逆にあらゆる可能性を攻撃すぎなのかもしれない。
変な方向に深読みしてるのかも。
プラットフォームかもしれないですよ。
そうね。
ちょっと皮肉でした。
あの皮肉なんですけれども、
どっちかっていうとこれは、
実験、もちろん専攻結果っていろいろあるんですけど、
専攻研究だと要は、
右脳が損傷すると皮肉の理解ができません。
反応が損傷すると、
メタファーの理解ができませんっていう風に。
損傷された脳の部位によって、
皮肉とメタファーの理解が違う。
要は皮肉とメタファーの理解するメカニズムが違うっていうことが、
専攻研究にもあったらしいんですよね。
なのでそういったものを踏まえて、
改めて実験をしてみたらしいんですけど、
それはまたさっき言ったような、
FMRI、脳のどこが活動してますかっていうようなものを含めて、
分析してみると、
メタファーを理解する場合、
左脳と両方、左右両方の側頭腰なので、
要は脳の外側の部位っていうのが、
有意に活性化してたらしいんですよね。
これに対して皮肉を理解する場合っていうのは、
右側の側頭腰っていうのが強く活性化してましたと。
例えば左側はそんなに活性化しなかったらしくって、
右側の側頭腰が活性化したのはどっちもそうなんだけれども、
細かく部位を見てみると、
実は違った部位、領域っていうのは活性化していて、
ただ言葉を理解することじゃなくて、
皮肉を理解するとか、
メタファーを理解するっていうふうに、
ものとしては近そうな感じなんだけど、
それでも脳の異なった部位っていうのが反応している。
一個の局所的な部分じゃなくて、
いろんな広い範囲によって活性化してるってことが、
18:01
分かったよっていうふうに書かれてるんだよね。
脳損傷だと言えば、それが損傷してるってのは分かるんだけど、
FMRIをとってみると、
どこが活性化してますかってのは分かるから、
要は局部じゃなくて、
全体に広がって理解っていうのが行われている。
しかつその部位っていうのは全然違う。
メタファーと皮肉化。
全然違いますよっていうような結果が出ましたよっていうふうな、
実験が紹介されているわけなんですよね。
なるほどね。
脳の複雑さをただただ、
思い知らされるエピソードみたいな感じがするけどね。
そうそうそう。
次も似たような感じなんだけど、
ちょっと違うのは、
さっきは文字の記憶だったりとか、
言葉の理解だったじゃないですか。
最後に紹介されたのは、
これは自分に対して自分だと気づくみたいな、
例としては、例えば自分の顔と有名人の顔を、
例えば写真で提示されたときに、
自分の顔を、
自分の顔だったらボタンを押してくださいみたいな。
そういうふうな実験をするんですよね。
そうすると、自分の顔を見たときの方が、
右脳の前頭腰が活性化しているという結果が得られるらしいんですよ。
同じ人の顔なんだけど、
これが自分だとなったときには、
違う部位が活性化するとか、
そういったメカニズムが動いていることが分かっているらしいんだよね。
かつそれに加えて、
写真の目を見てその人の心の状態を推測するという課題があって、
目を見てこの人は怒っているとか悲しんでいるとか、
目は口ほどに物を言うから、そういうのってあるじゃない。
これは日本の研究なのかな?
ごめん、これは別に海外の研究。
海外でサングラスをしているから、口のほうが感情を表すけど、
遠い目を物を言うんだね。
そうそう。
当然だとは思うんだけどね、ある程度。
一部切り取れてるかもしれないけど、
目を見て心の状態を推測するというときに、
例えばどっちかの片方だけじゃなくて、
両方の部位が活性化する。
かつ自分だと気づくという部位と、
一部重なりがありましたよというふうな結果が出てるんだよね。
なるほど。
写真を見て自分だと気づく脳の部分と、
目を見て感情を予測するというのは同じような部分が反応していると。
21:02
そうです。
もちろんこれは迷惑にすることはないんだけども、
こうした結果から自分自身にある種、
外からというか自分に対して自分に気づくことと、
ある人の心の状態を推測するというのは密接に関係してるんじゃないかと。
もっと言うと、自分自身を認識する、
自分を自分として振り返るという機能自体が、
脳の働きとして存在してるんだということを主張してるんだよね。
これってもうちょっと言うと、
例えば人の気持ちをそのままわかってるかというとそうじゃなくて、
その気持ちを見て、
自分だったらこう感じるだろうというふうに理解してるんじゃないかということも、
脳科学的な一つの研究みたいになってるんだよね。
なるほど。共感のメカニズムみたいなものね。
そうですそうですそうです。
例えば兄貴が怒ってたとするときに、
兄貴の怒りをそのまま理解できますかっていうのは、
いわゆる普通に考えても難しいわけじゃん。
でも兄貴が怒ってるってことを、
自分が怒ったことと重ね合わせて、
こんだけ怒ってるんだってことを理解するみたいなことがあったときに、
それが本当に脳の活動部位とか、
そういう領域的にもそうかもしれないねっていうようなことを、
これは実験的に言ってるってことなんだと思うんだよね。
そういうと、
これはちょっと考えすぎて僕が勝手に思ってるわけなんだけど、
そもそも自分っていうものを理解しない認識ってありますかってことを想像してて。
これさ、ホワイトヘッドの時にも言ったと思うんだけど、
自我が後だったじゃないですか、ホワイトヘッドの時って。
まずそもそも風に音が聞こえるとか、
だからあってこれはさえずりだ、
で、私がさえずりを聞いている、
そういう私が存在しているっていうのが順番ですと思うんだけど、
例えば何かを認識するときも、
何かがあってそれを私が見たっていう認識がないままに認識することってできないんじゃないかって思ったんだよね。
もちろんね、呆然実装するとか、
自分っていうものと世の中が一体化するっていう感覚はあるかもしれないけど、
そこに対してやっぱ自分がそれを感じるとか、
自分がそれを見てるっていうのはあるわけじゃないですか。
思うとあらゆる認識とか、
物を把握するってことにおいて、
その自分を振り返るとか、
自分というものを認識するっていう脳っていうのが常に動いてるんじゃないかなって勝手に思っちゃったんだよね。
24:09
伝わるかなこれ。
ごめん今話しながら言ってるからまとまってないかもしれないんだけど。
ちょっと今の話はわかるかもしれないけど、
これが今の脳の話とどうつながってるのかっていうのはちょっとわかりづらいかな。
それでいくと、
脳の部位っていうものが自分に対する気づきっていうものとリンクしてますって話があるじゃないですか。
話をしたいと思うんですけど、
っていうときに、
これこそがある種心の働きを、心を生み出す働きじゃないかっていうことが言えるんだよね。
何でかっていうと、
この心ってさ、
自分はこう感じてるっていう感覚があっての心じゃないですか。
つまり、自分のことをある種、
自分というものを認識を対象とするみたいな話って、
本来何だろうな、
何でそんな働きがあるのってことなんですよね。
例えば、いわゆる生物的においても、
自分と相手の距離を測らないと、
例えば食べられるとか逃げられないから、
それを認識するとかってあると思うんですけど、
いわゆる自分を内省するとか、自分を振り返るみたいなことって、
何で人間やってんのって話なんですよね。
これってまさに心の働きじゃないですか。
まさにって言っちゃうとちょっと決めつけっぽい感じはあるんだけれども、
自分を自分と築くみたいなプロセス、
これ自己理解とかだと思うんだけれども、
これも脳の働きによって生み出されているから、
自分を認識するっていう働きが、
まさに心を生み出している働きとも言えるんじゃなかろうかっていうぐらいの話につながっていくんだよね。
これって伝わるかな。
とすると、ごめん、多分わかってない中で質問みたいになっちゃうんだけど、
ということはさっき鳥のさえずりが聞こえる、ホワイトヘッド的な話で言うと、
鳥の何かが聞こえる。
何かが聞こえているのは自分であるっていう順番で自我というか、自分が見えてくる。
それが例えば脳で言うと、
耳を通して脳が何か聞こえて判断した時点で、
27:00
まず音として判断されて、
その後、それは自分であったというのを何かしらの方法で発見する。脳のその部分で。
それは自分だということを発見するみたいな感じだと思うんだけど、
例えば心。自分が今喜んでるとか、
もしくはすごい何か心地よいみたいなものがあった時に、
まず心地よいっていうのがあって、
それを感じているのは自分であったみたいなのって、
今のハヤトの話で言うと、
何かが聞こえたっていう物理的なものと、
心的な働きである心地よいみたいなもので、
やっぱり別なものであって、
順番はあくまで物理的なものがあって、何か聞こえた。
それを自分フィルターみたいなものを通すと、
そこを通して初めて心地よいっていうものはその後で生まれる。
だから心地よいというものが先にあって、
それを捉える心センサーみたいなのがあるんじゃなくて、
そういう理解の仕方をしてるみたいな話。
はい、えっとね。
ハヤトありがとう。
今いきなり言ってくれたと思うんだけど、
実は今聞こえたっていうことが物理的なことって言ってくれたじゃない?
言った言った。
でも実はこの聞こえたっていうのも、
物理的なことじゃないんじゃないっていうのをここで言って話したんだよね。
むしろ、ほうほうほう。
むしろ。つまり、なんだろうな。
例えばさっきの機能極材論で言うと、
何かを聞くっていうふうな働きをある特定の脳の領域があって、
そこが動いたら聞こえるということが起きるっていうふうなのは、
すごく機械的じゃないですか、まさに。
でもよくよく考えてみると、
聞くって何かって言うとすると、
ただなんか音が聞こえたということではない。
もっと言うと、例えば雑音とかって脳というか体をキャッチしてるはずなんだよね。
今例えば外で仮に車が走っているとか、
何か風の、夜風の音が聞こえるっていうのはキャッチしてるはずなんだけど、
それを聞いてないじゃないですか、僕らって。
なるほど、なるほど。
自然なノイキャンが働いてるとね。
自然なノイキャンが働いてるから聞かせる。
なので、何かを聞くっていうふうなことはやっぱり、
それを自覚するとか、聞いたということに自分が気づいたっていうことと絶対分けられないんだよね。
そういう意味でも極材論的に、聞くという行為が一つの領域に対応しているというところが、やっぱりちょっと違うんじゃないかと。
30:08
なるほど、だったらノイキャンが働くわけないじゃんって話になるもんね。
例えばね、そうそうそう。
さっきヤンキーが聞こえた心地よい、それに気づいたっていう3ステップで言ってくれたんだけど、
聞こえたっていうことと、やっぱりその自分が聞いたということを感じたっていうのは多分分けられないし、
聞いた音が心地よいっていうのは多分分けられるんだけれども、
その心地よさっていうものに気づくっていうこともやっぱり分けられないっていうことでいくと、
脳がある種脳の働き的にも聞いたっていう働きと、私がそれを聞いたっていうことは、やっぱり同時に起こってんじゃねって感じなんだよね。
どういうことだ?
聞くっていうのは物理的な現象っぽいじゃん。何か音がドナミッとして伝わってきたっていう話だと思うんだけど、
それもやっぱり完全な物理的な現象とか、ただ単に脳が動いたってことじゃないんだぜと。
いろんな部位がちゃんと協力してバランスよく動いて始めて、私が何かの音を聞くっていうことが生まれている。
なるほど。無限にある音だけでいっても、さっきのノイズみたいなものがいろいろな中で、何なら風の音とかも一緒に聞こえてるはずなのに、鳥の音を聞こえたっていうのは、今言ったハヤトが言ってるのは働きなんだよと。
そこにはもう私が聞いたみたいなことっていうのは取り除けないから、そこに対してそういう働きを心と呼んでるんじゃないか我々はっていうふうな感じかな。
なるほど、その処理のことをね。
脳部位的には確かに音を処理する脳部位はあるんだけど、そことさらにやっぱりそれを自分が認識したというふうに処理する、例えば部位があったとして、両方がちゃんとバランスよく動いてないと、私が何かの音を聞いたっていうふうな認識にはならない。
うんうんうんうん。
だからその、かつてそのやっぱり私が聞いたっていうふうな働きとか認識が生み出すものっていうのを、僕らは心と呼んでるんじゃなかろうかみたいな。
そこを心か。はいはい、私が聞いたっていうところね。
心っていうのはもちろん世の意味があるからそれだけじゃないんだけれども、物事に自分が何かを認識するとか、自分っていうものを生み出している働き。
33:04
はいはいはいはい、なるほど。
うん。
うわー、ちょっとね、これ聞いていただいてる方、こいつら何の話してるんだろうみたいな、よく分かってないやつが。
確かに。
と思うんだけど、今ちょっと惜しいとこまで行ってる気がするんだよね。
ほうほうほうほう、言ってみよう言ってみよう。
だからそうだ、たぶん一つ大きな勘違いを自分はしていて。
大きな勘違い。
心って言った時にさっき言ったような心地よいとか、感情みたいなものしか引き出しに入れてなかったなと思って。
はい。
だからハヤトが言う意味で言うと、鳥の音が聞こえたっていうのも心なんだよねっていう。
うん。
そこがたぶんね、あの。
あーそうだねそうだね、確かにそうだね。
その概念がなかった。
はいはいはいはい。
だからハヤト的に言うと、もううちらが何かを見てる、例えば目の前にマイクがあるって言ってるのもこれも心の働きであって。
そうだそうだね。
このマイクが欲しいの欲しいの部分だけが心なんじゃなくて。
はいはいはいはい。
もうマイクがあるって言ってるのも心の働きで。
うんうん。
本来目が捉えてるのはパソコンも捉えてるし、机も捉えてるし、壁も捉えてるし、いろんなものを捉えてるはずなのに、自分はマイクを見たって言い張ってると。
それはもう心の働きだよねっていう話をハヤトはしてると。
そうですそうですそうです。
そういうとこだね。
そうですそうですそうです。
うん。
ごめんごめん。
あーそこだわ。
うん。
感情みたいなとこだけしか捉えてなくて。
そっか。
そういう意味で心って捉えるとそうだね。
うんうんうんうん。
ごめんごめんそうだね。まさに台本に書いて言えてなかったんだけど、ここで心っていうのは僕としてはもう、いわゆる捉えても自分が好感性いるよねっていう感覚ぐらいに広い意味で使っちゃってて。
うんうんうん。
例えば嬉しいとかっていうまさに心情的なものもそうだし、まさにマイクを見たみたいな感覚的なものも含めて、自分はマイクを見たと感じているとか、マイクを見たというふうに思っているとか。
うんうんうんうん。
それも含めてごめん心って言っちゃってるわ。
あーそこはそうだね。
ごめんごめんごめん。
いや、そこは確かに面白い定義の違いというか、そこまでの定義ないもんね、心に。
あーでもそうだよね。普段考える中ではね。
そういう心っていうものをすごく広く土台として捉えたときに、いわゆるいかある喜怒哀楽とかも含めてだけど、やっぱりその喜怒哀楽を自分が感じているっていうのは常にあるじゃない。
36:03
うんうんうんうん。
何々を常に感じているという感覚が、この脳の働きと一致するんじゃなかろうかっていうのは今日ちょっとお伝えしてきた話なんだよね。
はいはいはいはい。
脳っていうのは、いろんな政権に対して幅広い領域というのをバランスを取りながら活性化をしていくんだけれども、
その中である種、自分はこれに気づいたのか、こう感性ってことを働くからこそ脳が正しく機能しているとも言えるというか、
そうじゃないと、さっき言ったみたいに、音が入ってきているけどそれを認識しないということは、もちろん僕らの普段の生活でもあるし、
もしそれが続くとしたら、何かを見ているけど見ていると感じられないとか、何かを聞いたということはわかるんだけど、
それが自分が聞いたとは感じられないというふうに、それこそちょっと神経の病気的な、精神の病気的なことになっていくと思うんだよね。
そうするとたぶん脳っていうのは必要な活動が行われずに、ある時正常に動かなくなっちゃう。
いう風になってきますよと。
なるほど。はいはい。それがいわゆる正常の範囲外とかじゃなくて一般的な話で言っても、
例えば目で文字を読んだほうがわかりやすい人と、耳で聞いたほうがわかりやすい人とかいろいろいると思うけど、そういうのにも近いみたいな感じなのかな。
それはあるかもしれないね。やっぱりどこが得意か苦手かとか、どういうバランスで動き入れるのかとか。
そこが個体差みたいな話にはなるだろうけどね。共通の脳の働きというよりは個体差みたいな話になっちゃうんだろうけど。
それがどこまであるかとも正直わかんないんだけど、言えるのは脳ってさっき一句言ったけれども、冒頭のストーリー脳っていうのも大脳小脳官脳とかいろいろあるし、脳の部位においてもやっぱり、
分かりが違うってこと自体はいってわかっている中で、やっぱり脳っていうのもこんなざっくり掴めない。
心っていうのもさっき何か言ってくれた通り、いわゆる心情的なものを指すこともあれば、意識みたいなものを指すこともあるとすると、
やっぱり心っていうのも、第1回もさせたんですけど、すごいいろんな意味を含むから、単純に脳と心は同じだっていうふうにやっぱりなかなか言いにくいんだけれども、
少なくともこの論文の結論としては、脳と心は同一事物のあった形式だと。
39:00
つまり脳の働きというところから、心っていうのはある程度見出せるんだけど、
心っていうものがないと逆に脳っていうものもちゃんと働かないっていうふうに、
ある種の協力関係というか、こういうものが働いてるんじゃありませんかっていうふうなのが、この論文の立場なんだよね。
ハヤト的にはどうなの?この心脳難言論みたいな話をすると。
やっぱりここが、今のところハヤト的には納得いく部分がいいなって感じなの。
まあそうね。だって心だけが脳というか物質的じゃないものとしてあるって言われても、
なんか信じくらい魂みたいになっちゃうじゃん、そうなると。
うん、なる。
だからやっぱりそれを信じろって言われるのは結構苦しいかな。
それみたいに単純に脳は脳だとかって言われるよりは、脳のネットワークから生まれてくる自覚する働きというものを、
我々は心と呼んでいるみたいなほうが、まだ納得感高いなとは思うよね。
はいはいはい、なるほど。その中の一形態としてただマイクは見えたもあるし、
このマイク性能がいいから好きだみたいなのも同時にその中で起こり得るよみたいな。
そうそうそうそう。それを無くしてしまったとしても、悲しいとかっていうのも全然その中にありそうだなっていう。
悲しみを感じる脳部位と自覚する脳部位っていうものが仮にコラボレーションしたとして、
そういう認識を我々は感情的に心と呼んでいるとかっていうのは、一定説明がつくというか納得感が高いよね。
心っていうものは身体とは全然別のとこにあるんだとかって言われるよりは、やっぱり比較しちゃうとね。
わーごめん、今回ちょっとこの心の認識の定義の差でだいぶ交換もつれたんだけれども、
ちょっと聞いてる方には申し訳なかったんだけど。
でもありがたいですし、やっぱり心って第一回も言った通り本当にいろんな意味があるから、
皆さんの中での心とイメージがあると思うんですよ。
ある種それを擦り合わせることなんてもちろんないし。
いやーそうね。
だからせめてはやっぱり第一回で後悔したって言ったと思うんですけど、僕がね、心って何?っていうのを考えたとしたときに。
そのぐらいやっぱり心っていろんな意味もあるし、皆さんの中でもいろんなイメージがあるし、やっぱり一口では言えない。
いやーむずいなー、でもこれね、なんか会話が、一話があった時にね、
42:03
心とかそれどういう意味で使ってるって言ってもさ、本人も説明できないよね。
そうなんだよね。
できないというかしづらいよね、とても。
そういう言葉がないから、それこそ前回のフロイドじゃないけど、そういう概念があって初めて語れるとかもあるし、
心っていうものをいわゆるこうやって何時間も話してるからこそ、
もしかして今自分が捉えてる心ってこういう心かもしれないみたいなことが働くようになるというか。
それやっぱ間違いなくあるよね。
いやーそうだね、確かに。
そういう意味ではね、今回そういう論文をご紹介させていただいたんですけれども、
心っていうテーマでやっただけでもいろんな話が出てくるという中で、
前回フロイドも神経学者でしたよみたいな話をして、八つ目なりとか神経とかを勉強してた話もしたし、
今回は結構脳と心みたいな感じで、脳のある種実験みたいな話をしたと思うんだけれども、
ちょっとね、心からは少し離れて、脳って何?みたいなものとか、脳って結局どんなふうな働きだというふうに今言われてるのっていうところを、
ちょっとね、光を当ててお話ししてみたいなと思ってるんですよね。
ぜひぜひ。今回の話からいくと、だいぶ脳の方に心もあるというか、違う発露だみたいなさ。
脳の話知らないとこの話できなさそうだもんね。理解できなさそうだもんね。
そうそうそう。僕も一時期、実は心って脳が根っこなんじゃないかと思って、そういう脳科学的な本とかを読み始めた時期があって、
もちろん単純には行かないんだけれども、自分の中では興味はあるんだけど、なかなかそういう哲学者は扱いにくいというか、
じゃあ一回脳科学をテーマにして4回目やりますかって、なかなかちょっとやりにくいじゃないですか。
哲学じゃなさそうだしね。
こういうふうな心っていう大きなテーマがあるからこそ、使えるということもあっていいかなと思ってて。
結構好きだというか面白かった本があるんですけど、予測する心っていう、これは日本では2021年に出てる本なんですけど、
ジャコム・コービーさんという人が書いた結構厚い、なかなかいかつい本なんですけど、
この人が言っている自由エネルギー原理っていうのがあるんですよ。
他にもいろいろ提唱してる中での自由エネルギー原理っていうふうに言われている脳科学。
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それを結構説明してくれてる本なんですよね。
この自由エネルギー原理めちゃめちゃ面白くて、僕が時々言う脳って楽したがってるからとか、
そういうことを言うのは大体この本に基づいて言ってます。
それをもうちょっと物理学的にとか道学的に言ってる本なので、この本をぜひご紹介したい、次回は。
確かにここまで心の話は定義広すぎるから、脳からアプローチしたいっていう気持ちはそこはわかった気がする。
手がかりすぼしかないじゃんっていう物理的な今のところね。
脳から出発しますかみたいな話になってるから。
ちなみに実はこのジャコム・コービーさんなんですけど、
Amazonの説明を見るとちゃんと哲学者なんだよね、ちゃんとっていうか。
そうなんだ。
神経科学とか認知学の心の哲学っていう分野の哲学者なんですよ。
じゃあ哲学だね。
そうそう、哲学でもあるんで。
その辺も含めてぜひ次回、脳とは何かというか、脳って今の、もちろんいろんな理論もあるんですけれども、
現代の中でも言われている自由エネルギー原理ですね。
なんでなんでって話をちょっとしたいなというふうに思っておりますという感じですね。
わかりました。
今回だいぶごちゃごちゃしたので、ぜひ脳の方に焦点を当てて、そこからまた見えてくる景色もあるんだろうなとすごい感じたので、
ぜひぜひその辺り楽しみにしていきたいと思います。
では次回も脳の仕組みというか脳科学の話を楽しんでいきたいと思いますので、引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
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