(音楽)
はい、それ鉄ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、今回は前回引き続き、100回記念ということで、特定の哲学者ではなく、
ハヤトのオリジナル、ハヤトが課題感として持っている意味って何?みたいな話をしていくというところでした。
そうですね。今回はですね、純粋に意味そのものみたいなのを考えるのは普通じゃないというか、いきなりとっつきにくいかなと思うのと、
あんまりそこやっても何言ってるんだってなりそうだなって思うので、前段階として言葉の意味っていうものを考えていきたいなと思います。
なるほど、なるほど。私、前回まではあれだよね、とりあえずハヤトは何でそもそも意味みたいなものに課題感だったりとか、
面白いと思ったのかみたいな話あったりとかしてもらったんだけど、あれだよね、前回の話を踏まえると思ったのが、
例えば哲学とかってさ、そもそも真偽とはとか、神とはとか、絶対的なものとはとか、一旦問いを行くと無とは、空とはみたいな話があるんだけど、
それをめちゃくちゃ何千でもやってきたんだけど、そのとはの方だよね、無とは何のとは何っていう方が、無の意味って何だったりとか、
神の意味って何とか、絶対的なものの意味とは何の、そっち側だよね、対象となっているものの意味とはってのが意外とそこ論じられてないじゃんみたいな、
どこに気づいてしまったんじゃないか俺はっていう話だよね。
(瀬尾)まあまあまあ、もちろん過去にも出ている人とか、それを指摘している人もいるんだけど、それは自分にとっての面白ポイントなんだなって気づいたっていう感じですかね。
(岡田)前回の話を取ってからね、そういえば確かにそうだなと思ってね、
なんとなくね、その何とかとは何かって言われると、その何とかの方に目線というか頭行っちゃって、とはの方って確かに意外と厳密に考えていないで、みんなでああだこうだ言っちゃうよなーみたいなね。
(瀬尾)そうそうそうそう。で、やっぱ考えるとか物事を問うみたいな話って、本当同じことなんでしたっけみたいな話も出てくるから、さあこの文脈からは。
(岡田)うんうんうん。で、まあそれを踏まえた今回が言葉の意味って話だよね。
(瀬尾)そうそうそう。本当は、本当に話したい意味とは何かみたいな話っていうのは、言葉とか言語を超えるんですよね。
(岡田)そういう意味とは言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、言葉を超えるっていうのは、
あと普段はそういう風には考えるじゃないですか。どっちかっていうと、どういう意味で言ったの?みたいな意味。言葉としての意味とか、その意味って何?って聞くときの意味っていうものに僕らは指しんでると思うので。
(岡田)うんうんうん。そうね。はいはいはい。
(瀬尾)そう。でもただその意味ですら結構深く考えていくと混乱するぞとか、意外と言葉の意味って、何かこんな風に考えられるぞっていうところがまずそもそも面白かったりするので。
(岡田)はいはいはい。
(瀬尾)そう。ちょっとね今日は哲学っていうより言語学っぽい話なんですけど。
(岡田)うんうん。なるほど。その言葉を超える前の話はね、まずは言葉のところから考えていこうと。はいはいはい。
(瀬尾)そうそうそうそう。まずはね。それも結構意味があって、まず構造主義とかポスト構造主義って言葉が大事よ、言語が大事よってあるじゃないですか。
ただやっぱりそこからも、本当に78年経ってきた中で、わりとそういう喚起的、要は意味を広がりを持たせるみたいな、そういうところにもどんどん言語学の領域自体が広がっているみたいなのがあったりしますと。
それはこの本の中で書かれてるっていうわけだけじゃなくて、この本以降をさらにその喚起的な方にも広まっているよみたいな話。
最初は象徴的な方からどんどん広まっていくとか深まっていくんだけど、それだけじゃないよねって言って広まっていくみたいな感じなんだよね。
例えば、いろんな例を出すんだけど、最初の例として、例えば「あそこに鳩がいる」みたいな文章があったりしますと。
これだけを聞いたときに、例えば「あそこ」っていうのがどこかわかんないし、「鳩が何匹か」とかわかんないんだけれども、なんとなく公園の中、屋根の中、そういうところに鳩がいるだろうみたいなことはわかりますよねと。
これは例えば日本語を話す人とか、あるいは日本語を勉強してる人だったら、誰でもある種理解できるっていう意味では客観的な言葉ですよねと。
あるいは、逆にちょっと理解が難しくなるのが、要は「鳩は平和の象徴である」みたいな言葉。文章をあったときに、これは鳩が平和をそのまま表すわけじゃないんだけど、ある種僕らのイメージにおいて、鳩が平和をまさに象徴するみたいなことってありますよねと。
これも、いわゆる日本文化全く知らない人からしたら理解できないかもしれないけど、そういう風な文化に住んでいるとか、そういうことを知った人だったら、ある程度客観的に理解できますよねと。
そうだよね。「そもそも鳩は平和の象徴だよ」って教えてもらうって時も、「あ、そうなんだ」みたいな意味では理解できるってことだよね。
そうそうそうそう。実はこれ面白いのは、つまり「鳩」っていう言葉は、鳩そのものを指していて、「鳩は平和を指すのはイメージや象徴だ」っていう風なことに僕は言ったんだけど、そもそも「鳩」っていう言葉は「鳩」じゃないんだよね。これ分かる?
「鳩」っていう言葉は実際に目の前を歩いて動物として存在している「鳩」そのものではないじゃないですか。
例えばこの「平和の象徴である」っていう場合の方は?
違う。違うんだ、実は。
例えば「赤」っていう言葉自体は「赤くない」みたいな話とちょっと似てるんですけど。
前回チラッとあったよね。
「鳩」っていう文字とかその言葉そのものは別に「鳩」らしくないんですよ。「鳩」っていうものと別に何にも似てないじゃないですか。
これはあれか?前言った「標音文字」と「標記文字」みたいな話に近いのかな?理解としては。
に近い、うん。
「鳩」っていう動物がいたときに、本来であれば色んな色があるけれども、例えば日本ではグレーで首を動かしながら歩く鳥みたいな風に言えばいいものを「鳩」っていう風に呼んでいるっていう意味で、
「鳩」を文字に近いような、全く本体と関係ないよねっていう意味で表してないよねっていう感じかな?
そういうこと、そういうこと。ごめん、解読してくれてありがとう。
うん、なら大丈夫。
そうそうそう。だから例えば子供と話してるときに「クルクだよ」って言ったら「クルク」っていうのは別に「鳩」と言葉ではないんだけど「鳩」っていうものを象徴できるとか、示すことができる。
「クルク」か「ポッポ」とかでいいんじゃない?
「ポッポ」か。
「クルク」って英語っぽいよ。娘に「クルクだよ」って教えてたのは、公園で。あれはね「クルクさんだよ」って言ってたかな?
「鳥さんだよ」とか言ってたかもしれないけど。
まあ確かに確かに、そっかそっか。
だからね、車とかわかるっすよね。「ブーブーだよ」とかさ。
言ったときに、だから車は別に「ブーブー」ではないし、でも実は車でもないんだよね。
はいはいはいはい。
みたいなこととかっていう意味では、実は「鳩」っていう言葉が、生きている鳥としての「鳩」を示すのも、「平和」っていう意味を示すのも、実は根本としては同じような働きだって言えるんだよね。
なるほどね。はいはいはい。
あとはどういう風にこの文章は構成されているのかみたいな文脈っていうのが言語学ではまずは発達していきます。
一応それが例えば、これは言葉だけですけど、音韻論っていう、まずは発音とか単語の繋がり、音として言葉を分解していくような考え方とか。
あと統合論っていわゆる文法、英語で言うとSVとかSVOCとかだったと思うんですけど、
ああいう文法っていうのはちゃんと定まってないと意味って伝わないですよねみたいな話とか。
なるほど、そういう意味で言葉とは何かっていうのを考えてきたってことなんだね、最初は。
そうそう。あとは一応、その中に意味論っていうのもあって、まさにこの意味論っていうのが意味を扱ってると思って、
僕も意味論あるじゃんと思って勉強したんだけど、全然自分のやりたいことと違うってなったのは、
まさにこの象徴的な機能としての意味についての扱う学問なんですよね、これって。
ああ、そういう意味で限定的だったんだ。
そう、限定的。だから人の感情とか気持ちとか思いとかっていうのはこういうの扱ってこないので、
いわゆる言語学の意味論っていうのは、すごくある種限定されているように僕には感じたんだよね。
実はそれを超えてるのが語用論っていう、まさにこの学問領域があります。
あったんだ、語用論。
語用論、言語の語に用いるね、用途の用。
だから言語をどう用えるかっていうことがまさに学問領域としてあって。
それが感知的な意味での言葉っていうのを領域として相談みたいな感じだったのかな。
もう扱いかけているみたいな感じかな。
かけている。
かけている。やっぱりそれを学問で扱うってめちゃめちゃ多分大変なんだよね。
だってさ、まさに主観的だから共通の議論ができないとか客観的に分析ができない。
なるほどね。
本当に作者の気持ちを答えようみたいな話をマジでしなきゃいけないみたいな、その本当の正解を見つけるみたいな話だね。
そう。今まさに本当の正解って言ってくれたじゃん。
それはないんじゃないみたいな話になってくるんだよね。
言語学的な観点からその感知的言葉とかその語用論みたいな話をしていくと、結局ないんじゃないみたいな話にそっちからもなっちゃいそうな感じだ。
そうそう。
そうなんだ。
っていうのがまさにこの言葉の面白みなところで。
もっと言うとやっぱりその語用論っていうのは文脈?文脈から規範された言葉とか言葉そのものじゃなくて、やっぱり人間があるでしょ、会話をするとか何かを喋るってなった時には、当然何らかの状況とか意図を持って話すわけじゃない。
はいはいはい。
そこも含めてちゃんと言葉っていうのは理解しないとダメだよね。
もっと言うと理解というか推論とか予測みたいなものがそこには含まれるよねみたいな話を扱ってるんですよね。
はいはいはい。
おーなるほど。
ちょっと面白くなってきたでしょ。
だいぶなんかその哲学チックというか、すごくあれでもね、やっぱ言葉って前も多分あったけどさ、頭の中のイメージを伝える手段でしかないというかある意味ね。
うん。
その頭の中のイメージそのものだよね。言葉を超えたって早藤最初言ってたけど、その言葉を超えた部分へのアプローチみたいな雰囲気がしてきたね、なんかね。
あ、そうね、少しずつ少しずつ。
なんとなの、例えばじゃあ過酷な労働を強いられてとか言われると、
なんか働きすぎて白髪が増えちゃったのかなとか、
そう、なんともあるいは、
突然の出来事でとかって言われると、いわゆる別に物理的な頭じゃなくって考えが浮かばないっていう、その頭の中がなんだ、空乱だみたいな意味として、
その言葉を理解できますと。
はいはい、まあそうだよね、確かに真っ白だって言われるとそういう感じの、うん、なんかあるよね、確かに確かに。
だから、いわゆる象徴的な意味だと、なんか頭が白いよねっていうものしか出てこなかった情報が、こういう文脈が備わることで全然違う意味。
頭が白いっていうことにも、雪が積もっているとか、白髪になったとか、頭の中考えが浮かばないとかっていう、いろんな意味が出てくるっていうのが、その言葉の特徴ですと。
はいはいはい。
で、かつこれは言った人の意図もそうだし、あとは聞き手とか読み手がどういう風に受け取るかっていう話もあって、
そこにはやっぱりすごいコミュニケーションにおける、なんだろうな、積極的な意味付けとか無意識なんだけど、そこにめちゃめちゃ意味を見出している勝手に。
とか、間違った意味で受け取らないように、人っていうのは調整されているっていうことが見えてきますと。
はいはいはい、なるほどね。
確かに、本来的な言語の機能を考えると、確かにそうだみたいな話だよね。
しかし、まあ、違うな、ちょっと違うな。結構日常でありそうな話だもんね、なんかそういうコミュニケーションミスというかね、すれ違いみたいな。
なんか、やっぱり何かを伝える時にも、背景を教えてとかさ、どういう状況で起きたのとかって、例えば仕事だから聞いたりするじゃない。
例えば、やっぱりそれが分からないと、その人が言っている意味とか、なぜそれを言わんとしているのかっていう意図が、分からないってすごく日常的な話だと思うんですよね。
そうね、うんうんうん。
で、例えば、今言った3つみたいにさ、状況とか文明から一発で分かる意味っていうのがあって、これを実は明意、明るい意味っていう風な言葉で言われるらしいんですけど。
おー、はいはいはい。
真っ白だって言われて、雪が降ったら白い、雪だみたいなのが、まあ明確に分かるから明意、明るい意味って呼ばれていて。
例えばさっきの3番目で、何も浮かばないで、あいつの頭が真っ白だとかって言った時に、
例えばね、僕が言った時に兄貴がさ、ちょっと悪い人にしたけど、いや本当いい君だよねって返しますと、例えば。
はいはいはいはい。
したとすると、これはもう前提として、なんとなく鼻を持ちならないちょっと嫌味な奴がいた時に、その人が何も言えない状況になっちゃって、ちょっとテンパっているみたいな。
はい、なるほどなるほど。
そう、例えば青木の時に、何だろうな、本当いい君だよねとかって言ったっていうのは、僕、すいません、あいつの頭真っ白だよって言った相手もそういういい君だって思っているってことを推測してるんだよね。
うんうんうんうんうん。
なるほどなるほど。
でもこの推測っていうのは、言葉だけからは絶対出てこないんですよ。
うん、確かにね、そのやりとりの2つだけ見せられた時に、分かんないよねってなっちゃうってことはね。
そうそうそうそう。だから、彼の頭真っ白だって言われて、本当いい君だよねっていう会話は、言葉だけだと理解不能とか意味不明なんだよね。
うんうんうんうん。
でも、今みたいな状況とか、あるいは僕らその状況を推測するから、きっとなんか嫌なやつがいて、その人が失敗したっていうのをこの2人は、ちょっと皮肉ってるんだろうみたいな、そういうことを自然と推測しますと。
なるほどね、それが1つのパターンかもしれないし、5個のパターンかもしれないし、それは人によるけど受けては、そうやって想像するよねって話だね。
そうですそうですそうです。
それだけを見せられたとしてもっていうね。
うん。
はいはいはい。
相手はやっぱ埋めちゃうんだよね。だからそれがいわゆる皮肉とか、あと皮肉とかに繋がってくるんだよね。
うんうんうんうん。
例えばさ、頭が真っ白だっていうのも皮肉表現チックなんだけど、例えばさ、彼は天使だみたいな、あの人は天使だとかって言ったときに、別に僕が天使と友達になったわけじゃないですよね、それは。
伝えたいのは、あの人っていうのは天使のように清らかでとか、愛情に満ちているとか、そういうような属性を持った人だよっていうのを伝えたくて、あの人は天使だっていうふうに言ってるんだけど、それも象徴的な言葉の使い方を超えてるんですよね。
うん、まあそうだね、なるほどなるほど。
うん。なので、まあその意味で言うと、言葉っていうのはすごく限定的に考えると、例えば鳩っていうのは動物としての鳩を指し示しますとか、平和っていうものを一対一で対応させますみたいな感じなんだけど、
そうじゃなくて、いろんなイメージだったりとか、あるいは推測を呼び起こすとか、あるいはいろんな文脈に影響されてるとか、そういうふうにして初めて意味っていうのが特定できたりとか理解できたりする。
あー、なるほどね。これがそうだよね、多分人間の場合、もう言葉で生きてるから、自然とやっちゃってるから、こういうふうな、それこそ人間が言葉を操ったりとか認識したりとか、文脈を勝手に想像するとか勝手に埋めちゃうみたいな。
物を無意識にやってるよねっていう意味で、これは確かにいいって感じだね。
そうすると確かに動物も言葉使ってるよねっていうのにも、説得力が出てくるというか、確かにと思うかもね。
そうそう。やっぱりさっきの人間の面白いところというか、これもちょっと昨日台本作るとき考えてて、この例とか面白いねって思ったんですけど、
例えば朝の慌ただしい生活で夫婦でバタバタ準備してましたと。
っていう時に、例えば僕が「あ、ゴミ」って言ったりしますと。
それは別にゴミの存在を何か知らしめたいんじゃなくて、ゴミの日だったのにバタバタして出すの忘れた、まだ間に合うかなみたいな、そういうことを伝えるわけだよね。
そうだね。
なんとったら出してくれみたいな。でも「あ、ゴミ」っていう言葉からは、絶対その意味は本来出てこないのよ。
まあそうだよね。確かに本書いてあってさ、それ「あ、ゴミ」だけ見せられたときに、そこまで想像しろっていう方が無理だよね。
そうそう。そのシチュエーションとして、今朝も気ざたましくなる目覚まし時計とか、今日は朝早くから大事な会議があるとかっていう状況で目が当たった中で、
「あ、ゴミ」っていう言葉があったら、余裕の差が伝わるみたいな、そういうのがある文章的な表現なわけなんだけど。
あそこの言葉としての豊かさとか、意味の、よく言えば豊かさだし、悪く言うと曖昧さ?
はいはいはい、そうだね。話し手にも受け手にもどっちにも揺らぎがあるじゃんみたいな話だね。
だから「あうん」の呼吸みたいな話も出てくると思うんだけど、状況を共有していったら、言葉がある種少なくても済むよねみたいな。
そんな話があって、ただここまで行くと「あ、ゴミ」っていうのは、どういうふうに学術的に研究できるかってなったら、めちゃめちゃ難しいわけですよね。
そう、だからそれによると、言葉の問題というよりは人と人のコミュニケーションの関係性の問題とか、社会の問題とか。
そうだね、それこそ限定できないもんね。シチュエーションが多すぎてみたいな話だもんね。
例えば「あ、ゴミ」っていうのも、道路にゴミが落ちて車が走ってきて、このままぶつかったらスリップしちゃうっていう時に言った言葉かもしれないとかさ。
全然そこの状況っていうのは変え得るし、そこによって置かれた言葉の意味って変わってくるんだよね。
そうか、研究しようという時にどういうふうに持っていくかって難しいんだね。
なので実際の語用論っていうのは、もうちょっと範囲を限定したりとか、状況を切り分けて、こういうシチュエーションの言葉について、例えばシチュエーションというか、こういう範囲における言葉の機能について考えますよとかっていうのはもちろん、定めながらアプローチをしてるんだけど。
もうちょっと係数スタディ感があるみたいな感じかな。この場合はこういうふうなことが起こってるよね、みたいな説明をしていくみたいなのに近いって感じなのかな。
具体的に係数スタディやっていくっていうよりは、もうちょっと抽象的に、言葉のこういうケースってなんだろうな。
もうちょっと言葉の機能ってちゃんと切り分けていって、この機能における活用においてはここまでの意味を含みうるみたいな、上からいく感じ。
そうそう。
はいはいはい。
一回ゼロになるっていうね。
うん。
やっぱりそうすることによって、普段はそうは考えないけど、確かに言われてみたら意味ってそういうふうに言えるかもしれないとか、そういうふうに言っていることもわかるみたいな。
はいはいはいはい。
ところがね、ちょっとあるかどうか。
うんうん。なるほど。そこまでハエトがちゃんと説明できるかどうかって、語れるかどうかって。
できるかどうかだし、正直僕も同意ちょっとしかねるみたいなところはあるんだよね。そう言われてもみたいな。あまりにも抽象的すぎてわからんみたいな。
はいはい。そのドゥルーズって方が話していることの内容に対してって話?
そうそうそうそう。でもなんか、確かにそうとしか言えないっていうのもわかるっていうのは、ちょっと次またちゃんとお話ししていくので。
うんうんうん。
そういった意味で、まさに意味って使っちゃったでしょ?
うんうん。使ってる。
そういった意味でとかって言っちゃうんだけど、そういう文脈から是非ですね、この意味っていう言葉についてもっともっと皆さんに伝えていけないというふうに思っておりますと。
はいはいはい。
ややこしいなよ。
そうだね。でもまぁ、そんだけね、無意識に操ってるというか使ってる。言葉でもあるし、技術でもあるしというか、話なんだね。すごい面白い。
そう。
はいはい。ただそれを一回ね、もう一回次ゼロからっていうところなんで。
はい。ゼロから探索していって、一緒に意味とは何かっていうところを是非次回2回分くらいかな。でやって、最後ちょっと、これ前回言ってなかったんですけど、やっぱり前をね、ちょっとやっぱり挟むというか入れ込みたくて。
はいはい。繋がるみたいな話してたもんね。
うん。意味を超えるっていう感じかな。
はいはいはい。
次回2回分はまさに西洋哲学的な流れの中で意味とは何かっていうのを考えていくんだけど、東洋というかやっぱり仏教とか禅においては意味をそもそも超えるとか、意味っていうものから離れて言葉を扱うみたいな話が出てくるので、そこまで行ってちょっと意味について話すみたいな感じにしようと思ってまして。
僕は今からもうめちゃめちゃ楽しみなんだけど、皆さんにそれを話すのが。
そうだね。それを2回するための土台がさらに土台というかね、たぶん今その次の話もあるってね、踏まえてってことはね、その文脈を踏まえてってことか。
踏まえてお伝えしていきたいなというふうに思っておりますと。
わかりました。じゃあちょっと楽しみだね。ちょっとどんな感じになっていくのか。
そうだね。
うん。わかりました。
でも今日の言葉の意味とかも結構どうですか?面白かったんじゃないかなって思ってもらえたら嬉しいんですけど。
いや本当に面白い。だから言ったけどさ、やっぱ本当にやっぱ無意識で使ってることなんだなと思ったね。
実際こういう営みだったんだってのは、すごい発見な感じがするし、改めて自分が喋ることもだしは、正しく表現しなきゃいけないなと思うし、
やっぱり人が話したことは自然などに受け取らないって大事だと思うんだけど、そこもちゃんとこういうふうに気をつけるんだっていう、ちょっと具体的な、
あんまり具体的に使っていいのかどうかは別だとは思うんだけど、なんかすごい指標になるようなとは思ったね。
はいはいはい。
やっぱ難しいじゃん。自分の価値観の中で理解しちゃったりとか、価値観の中で表現しちゃったりすることって多いと思うんだけど、
改めてこうやって、それこそ客観的に言ってもらうと、確かに文脈って大事だなと相手がこう言ったけど、自分はこの文脈を確かに理解してないかもしれないとか、
自分の中の存在する文脈が理解するとこうだけど、相手はそう言ってないかもしれないという可能性があるんだっていうところだけ、せめてそこだけに気づくだけでも、
なんかコミュニケーションとか、人との付き合いづらさだったりとか、なんか話噛み合わねえなとかって思った時に、とかあいつ嫌いとかね、
あの上司の話よくわからんとかって言った時の、なんかこう処方箋になるなあっていうね、そういう意味での具体的な面白さもあるなと思った。
そうね、そうね。本当にそれは、改造とか言葉の改造があるっていう意味ではすごく大事だと思うし、