1. その、帰り道に振りかえり。
  2. 朝の散歩から。当たり前すぎる..
2019-09-14 12:01

朝の散歩から。当たり前すぎるけど新しい孤独の話 from Radiotalk

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はい、そのです。おはようございます。朝の散歩から久しぶりに、えっと、はんせい会です、というわけで
そうですね、ちょっと夜撮れなくて、朝も最近起きれてなかったんで、結構
久しぶりになっちゃいましたね。たぶん水曜日の次の日から撮ってないはずなんだよな。
前半が一日の振り返りで、後半が考えていることで、今日はちょっと前の話だけども
水曜日に島園先生にお聞きしたグリーフケアの話をちょっとしようと思って、話そうと思ってずっと撮れてなかったんで
とはいえ、昨日の振り返り、ちなみに水曜日はラボに行って、木曜日はコルクラボの人とおいしいお肉を食べる会みたいなので、ちょっとゴージャスなディナーに行って
昨日はね、朝は普通に起きてギリギリで出社して、朝の面談の予定は午後に移ったから、結構落ち着いてプランニングができて
会社の目標設定時期でお客さんからもヒアリングを新しい体制での期待みたいな役割ってどうしますかねみたいな話を聞いて
それをみんなの目標設定に展開しようというので、自分が常駐しているとこのうちの会社のPMをやっている人たち、何か過半数までいかないんだけどね
ほとんど一対一で人がひも付くぐらいのレベルで今PMがいるんだけど、4人で話すって時間があったかなっていうところかな
あとちょっと最後昨日はどうしてもやっときたいというか遅れている作業があったんで、それを何とか出してお迎えに行き、息子とご飯食べて寝るという感じかな
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昨日届いていた電化製品をわりとパカパカ、息子が少し休んだりとかご飯をゆっくり食べている間、テレビとか見ながら開けて
iロボットを設置して、あとグーグルネストハブってディスプレイ付きのホームスピーカーを置いて
ついでに何か昔買ってたんだけど、何ヶ月か前には買ったんだけど、開けてなかったChromecastも開けて設置して、それを設定したりとかしてたかな
グーグルネストハブ面白いよね、それにディスプレイがついてるから、軽くミュージックビデオぐらいまでは再生ができて
OK、グーグルおはようって言うと、今はデフォルトで設定されているルーティンだから、朝の時刻と天気と適当なニュースを4つぐらい出してくれる感じかな
ニュースの内容がね、日本のニュースだと偏るしみんな一緒になっちゃうんで、違うものにしたいと思うけど
個人的にはラジオっぽいやつ、映像は出なくてもいいからラジオっぽいやつで音声で案内してくれるようなニュースに変えていきたいかな
でも結構遊べるなっていう印象があるかな
家にグーグルのプロダクトがいっぱいあって、息子のスマホがピクセル3だし、あとWi-FiもグーグルWi-Fi使ってるんで、なんかねおしゃれだよね
グーグルもデザインセンター、デザインのトップに有名なデザイナーの人を迎えていて、スピーカーとかやり始めた時にすごいプロダクトのデザインをきれいにしていて、それがすごいいいよね
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あと技術的には一つ飛び抜けてる感じで開発してるから、ちょうどそれがユーザーまで届いているのがいいなって思った次第です
もう少しスマートフォーム、グーグルの作るスマートフォームの探求なのかもしれないけど、スマートフォームは取り組むというか利用していきたいなって感じかな
今日は時間が経っちゃったから話がそんなに連続はしないんだけど、水曜日にコルクランボのゲスト会で島園先生という、今は城地大学で特任教授をやられていて
その前は東京大学で宗教学の居住をやっていた、尋問一類とかかな、なんかよくわかってないけど
今の時代は宗教からグリーフケアというのが、宗教の次としてグリーフケアが出ていて、結構違うのはグリーフケアというのは悲しみに寄り添うというようなことが結構、ケアっていうぐらいだからね
孤独とか寂しさ悲しみに寄り添うっていうのになっていて、宗教との違いというのは、宗教っていうのはみんなが集まって愛によって人が救っていこうとか、その次に立ち向かうための準備をしようとかっていうものだよねと
それは僕の個人的な理解だから先生が言っているわけでもないし、宗教も当然幅があると思うんだけど、ただそうは言っても今っていうのは個人に分断というわけでもないけど、個人がよりパワーを持つというか、個人として生きることが多くなったと同時に
その悲しみとか孤独っていうものを宗教では癒せなくなっていると、宗教っていうのは集まって同じことをして同じ愛のもとに団結していくっていう、それによって乗り越えるっていうのが基本的なものだから、個人として生きるっていうのは入れないよね
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で、そうなってきた時に同時に人が集まって、例えば仲間が死別するとかいなくなるとかっていうことによって悲しみが起きるっていう仲間の中でのイベントとしての悲しみだとか、そういうのは昔からあるんだけど
そういうのを抜いても、一人の人に寂しさとか孤独っていうのがあるよねと、それが結構大きなものだよねっていうのが割と現代の発見だみたいなところで
それはなんかギリシャ哲学とかまでいくと、多分多神教っていう宗教の場合はあんまりそこはないわけじゃないんだけど、今は多分ね、世界がメインが一神教だし宗教っていうとなんとなく一神教のイメージがあるけど
一神教の場合にはそれがないというところで、それが故にアリストテレスとかも現代になってまた再評価されたりとか、前から評価されても今の方がより重く評価されたりとかもするし
人っていうものとか、あとは悲劇の研究みたいな形で、悲しみっていうものを研究しているとしてね。
で、悲しみ・孤独を人が持っているっていうことに対していろいろ考えたりする。それに対応するというか、その領域としてグリフケアもあるのかなっていう理解だったんだけど
ただなんだろうね。それで言うと文化的にも、もしかしたら進化的にも、個人が悲しみを持っているっていう概念を理解しているっていうのは現代の人なのかな。
逆に言うとその一世代、二世代、上の人たちにとってはあまりなじまないのかなみたいなところで、そこにも世代の断絶があるのかなみたいなことを思ってた。
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