Androidのアプリセットアップの苦労
おはようございます。
今、しばらくいろいろとAndroidのアプリをセットアップしようとしてたんですけど、ちょっと動きがいかなかったので、一旦ストップして話しています。
何をしていたかというと、AndroidでAlexaというAmazonから出ているアプリをインストールすることができて、それを使うとWindowsの本を読み上げることができたとちょっと思い出したんですよね。
Twitterで見かけて、そういえばやったことがあるなと思いました。
ちょっとやってたんですけど、うまくいかなかったので、どうしようかなと思って、一旦保留にしているところです。
何でやろうかと思ったかというと、
昨日か一昨日に話したんですけど、こうやって時間を使って話をするとか、みんなで時間を共有して何かするというと、必ず何かしらが空っぽにはならない、何かしらが埋まるので進展するんですよね。
話をすることもそうですし、こうやって発話するということですね。
話を聞くということもそうですよね。
話を聞くと、こうやってKindleとかを読むんじゃなくて、ずっと再生されている話を聞くと。
必ず一定の時間を聞いていれば前に進んでいって、それは本とまた違うんですよね。
それがきっかけになって進むと。
それって結構考える作業と違っていいなと思ったんですよね。
考えなくていいというわけじゃないんですけど、必ず一つ二つ進むことがあると。
振り返ってみると、そのときその場で完全に理解していることって意外とないんじゃないかなと思って。
例えば子どもがクックを覚えるというときに、理解してクックを覚えたかというと、
やっぱりずっと何回も繰り返しやって、声に出して覚えるし、
今思い出した話で、昔大学の授業、大学の課程の要件で卒業のために本のレビューを書かないといけなかったんですけど、
それがすごく腑に落ちなくて、一回読んでも何を言いたいかよくわからないと。
その本どうしようかなと思っていたんですけど、5回6回読むことによってあるとき突然何か言いたいことがポンとわかったんですよね。
これって理解しながら進めるというのとすごく相性が悪いんですよね。
多分その本から先に進むためには理解しないといけないんですけど、
その本を理解するためにちょっとずつ分割して読んでたら多分一生終わらないんですよね。
じゃあどうするかというと、わからないまま何回も読むしかなくて、
それってすごく今の理解して何かしましょうというのとは相性が悪いんじゃないかなと思います。
考えるとそうやってわからないまま一定の作業をするというのは最近やってないし苦手に感じることが多いんですけど、
結構効果があるんじゃないかと思っています。
わからないものをわからないなりにそのまま進める?
そうだ、思い出したんですけど、あともう一個、
なるほどと思ってやってないことがあって、これまたツイッターで流れていたんですけど、
教科書を11回読めば勉強がわかるようになるという本があって、
書いたブログなどの投稿があって、これもなるほどなと思ったんですね。
なんていうか、そのわからないまま全体像をなんとなくお腹の中に落としていくことによって最後パツンと分かるタイミングが来るというのは、
こういう学校の勉強でもそうですけど、他のことでも言えるんじゃないかなと思っていて、
そうするとわからないままでも何かするというのをもうちょっと好用として認めた方がいいんですよね。
なんかこう今まで、最近って簡単にポンと分かるというのはすごく重視されていて、
わからないまま何かするというのはすごく悪いことってされているんですけど、
意外とそうでもないんじゃないかなとちょっと思いました。
今日言いたいことは以上です。