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はい、こんばんは、粗茶です。
1月10日、今日の日記を収録していきます。
今日はですね、個人的に面白かったことというか、楽しい話ではないんですけれど、
今ですね、通っている病院で、カウンセリングみたいなことを受け始めて、
で、今回は実質的な第一回のはずだったんですけど、
一応プログラムが決まっていて、大体何回くらいって言われたかな?
9回だか10回だかくらいで、一通りのプログラムをやりますよって言われてて、
それは、メタ認知トレーニングっていうやつ。
何をするかっていうと、認知行動療法とかは割と、
割ともう市民権がある言葉なのかな?わかんない。
自分も別にそういうジャンルに詳しいわけじゃないのであれなんですけど、
思考が偏っているというか、要は自分はこうだとか、自分とはこうあるべきだとか、
人とはこうあるべきだとか、友人とは家族とはみたいなのの、
自分の中での定義づけというか、こうあってほしいとかこうあるべきであるみたいなのがすごく頑なすぎると、
生きづらい。
よくある、すごい教育ママとかが、100点じゃないと意味ないよみたいな。
90何点でももうそれは100点じゃないからダメだよとか、
運動とかでも絶対1番にならんと意味ないよみたいな。
2番以下をもう全部一緒よみたいな風に言われたりするみたいな、よくある話じゃないですか。
すごく完璧主義とか、なんだっけ。
全か無か思考みたいな。
言われると思うんですけど、そういうのってすごく自分の中の信念というか、
こうあるべきだみたいなのが頑なすぎて、
いつでもいつでもその1番を取れないし100%じゃないじゃないですか、だいたいのことはね。
なのにそれがね、なんていうの、満たされないたびに落ち込んだりとか怒ったりとかしてると、
もう人生やっていけないから、
そういうのを和らげましょうみたいな話なのかな。
そういう同じ出来事があった時にそれに対して怒りを覚えるのか悲しむのか、
何とも思わないのかっていうのがそういう本人の持ってる信念に基づいて変わってくるから、
そこに気づきましょうみたいな。
自分がどういう信念を持ってるかっていうのも、
自分ではあんまり自覚がないケースもある。
例えば家族がね、こう思ってるから自分もそう思うように知らない間になっていて、
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自分の中にちょっと極端すぎる信念があるっていうことに気づいてないケースもあるから、
それを自覚したり、そういう頑なすぎる信念がもたらす弊害というかね、
苦しさみたいなことを勉強してみたりとかね、
いろいろシチュエーションスタディみたいなのをやって、
思考を柔軟にして、
まあ人生そういうこともあるさみたいな、
それはわかんないけど、
ことをね、やっていきましょうみたいなプログラムなんですけど、
今日それをやったわけじゃなくて、
今3分ぐらいかけてメタ認知トレーニングの説明をしたのに、
今日ね、それをやったわけじゃないんですよ。
カウンセリング室に入って一番最初に、
最近なんか悩んでることとか、気になってることとかありますか?みたいな話が始まって、
そこから全然プログラムとは違う話をしてきて、
コミュニケーションの話なんですけれど、
コミュニケーションがね、すごくね、下手なんですよ。
まあね、なんか、
それこそね、アンケートみたいなのを、
いろんな人にアンケートを取ったら、
コミュニケーション自分はあんまり得意じゃないなとか、
苦手だなとか下手だなと思うみたいな人は、
50%超えるんじゃないかな?
多分いろんな人がね、
自分はコミュニケーションあんま得意じゃないぞって思ってる気がするけど、
それでもね、その中でもね、
なかなかに自分はコミュニケーションが下手な方だとね、
思っていて、
もう何がその核心的な問題なのかっていうのは、
正直よくわかってない。
まだよくわかってないんですけれど、
わかる日が来るかどうかもわからないんですけれど、
その、
一つ、
まあ自分の中で問題だなーって思ってることをあげるとすると、
思ってないことを言えないっていうのがあるんですよ。
なんか逆に言いたいことが言えないみたいな、
これを言ってしまったら相手を傷つけてしまうかもとか、
思って言いたいことが言えないみたいな話は、
よくね、あると思うんですけど、
思ってないことが言えない、
もっとわかりやすく言うと社交辞令だとか、
お世辞だとか、
そういうことを言うのが、
なんていうんだろ、
すごく不誠実に感じてしまうというか、
そんなことないんですけどね、
むしろそれはホワイトライじゃないけど、
相手への思いやりだっていう説もあるし、
その一種の処世術というか、
無難なことを言っておけば、
まあ本人のためだよみたいな説もあったり、
いろいろね、
そのお世辞とか社交辞令とかを正当化するって言ったら、
なんか悪いものみたいだね。
よくないけどなんだろうな。
でもそれには一定の価値というか、
合理性があるからこそやっぱ、
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コモンセンスとしてね。
いろんな人が、
世間一般にみんなが使ってるものであって、
それはそんなにね、
非難すべきものじゃないはずなんだけれど、
自分の中ではすごくもうそういう、
自分が思ってないことを口にするっていうのが、
すごく、
なんだろうな、
自分の中でも許せないし、
相手に対しても、
なんか、
それって不誠実じゃないって思っちゃうんですよ。
それはそのなんだろうな、
考えすぎってよく言われるんですけれど、
社交辞令とかお世辞ってやっぱりなんとなくわかるじゃないですか、
言われた方も。
これってまあお世辞で言ってるだけだなとか、
あくまで社交辞令だなって思うけど、
それはそこまで深刻に捉えてないというか、
それはそのまま額面通りに受け取る人っていうのも、
いくらかはいるだろうけど、
多分大抵の人はまあまあぐらいにしか受け取らないし、
なんて言うんだろう。
少なくともその社交辞令とかを言って、
お互いの関係をこう、
なんて言うのかな、
穏やかに、
穏やかに保とうとしてるんだな、
みたいなことを感じ取って、
なんていうか、
いい感じになるみたいな。
よくわかってないから、
うまく言語化もできないんですけれど、
なんかそういうね、
働きをするものだと思うんですけど、
なんか自分はそう思えないというか、
逆に自分は結構言われたことを額面通りに受け取っちゃうんですよ。
相手からそう言われたら、
あ、その人ってそう思ってるんだってもう思っちゃう。
それがいいことでも悪いことでも、
あ、その人はそう思ってるんだなって。
そこに何か意図があるとか、
それはあくまで、
なんか今この場においてそういうふうに言っただけだよとかいうふうに、
あんまり思えないところがあって、
だからこそなんか言ってしまったことってもう、
それに対してすごく責任を持たなきゃいけないというか、
相手もそういうふうに感じてるというか、
認識しただろうし、
言ったことを取り返しがつかないみたいなのもすごく、
なんというかプレッシャーを感じてしまうタイプだから、
なんとなく今この場をうまく取り成すために、
そんなにそういうふうに強く信じてるわけじゃないけど、
こう言っておこうみたいなのが、
全然言えないんですよ。
今こういうふうに言っといたほうがいいかもしれないと思っても、
実際言おうとするとすっごい言葉に詰まっちゃったりとかして、
なんか出てこなくなる。
声が出ないとか言うほど深刻じゃないけれど、
なんかすごい詰まっちゃって、
妙な間が生まれて、
なんだ今のはみたいな感じになるとかいうことがすごくあって、
これはね、なんか問題なんだろうなって思う。
本当に強く思ってることしか言っちゃいけないみたいな価値観があると、
何気ないコミュニケーションとかすごく難しくなっちゃうから、
何もかも正直に言えばいいってもんでもないじゃないですか。
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これを少しは自覚してるっていうのもまた問題なんですよ。
逆にそういうのを全然気にしてないとか、
自覚がなくてもう思ってることをストレートに言っちゃうってなると、
周りの人もなんかあの人ってそういう人だよねみたいな。
あの人ってなんか全然お世辞も言わないし思ってることをなんか、
割と批判的なことでもストレートに言っちゃう人で、
確かにちょっと疎まれるかもしれないけど、
もうそういう人だよねみたいな風になりがちというか。
自分はそこまで無自覚なわけでもなくて、
なんか自分で気にしちゃうんですよね。
人がね自分のことをどれくらい、
あいつは全然コミュニケーションができない奴だなって思ってるかはわからないけれど、
でもそのダイレクトに指摘されたからどうっていうよりは自分の中で、
全然なんか自分はいい感じのこと言えないなみたいな。
言えないなって思ってるけど、
じゃあ頑張って言おうっていう意思で言えるようになるかっていうとまたそれも違うみたいな。
謎のね、謎の状況で一人で思い悩むみたいなことがね、あるんですよ。
もうね全然そういうの気にしない人、気にしないっていうか、
もっと上手いこと立ち回れる人だったら何をうだうだ言ってるんだっていう感じだと思うんですけど。
自分はねそういうタイプで。
それ以外にもいろいろ問題はあるんですけどね。
めっちゃ人によく言われるのは、
全然あんた人に興味がないよねって言われて、
確かにねそれもなんか問題なんだろうなーっては思うんですよね。
会話を、例えばその2人で会話をするっていう時に、
やっぱりお互いがその会話に対して持っているイメージというか、
相手に対してでもいいけど、相手と自分はこういう関係性で、
なんとなく自分がこういうふうに言ったら相手はこういう温度感で返してくるだろうなーとかいうイメージみたいなものが、
完全にじゃないけど、こう緩やかに一致してないと円滑に進まないというか。
例えば一方はすごく相手に興味があって、すごく距離を縮めたいと思ってるけど、
もう一方は相手のこと苦手だと思ってて、あんまりお近づきになりたくないなーみたいなって思ってたらやっぱりちょっとギクシャクする。
もしくはその表面上はうまくいってるけど、どっちかがすごくストレスを感じてるとか、
そういうふうになっちゃうと思うんですよね。
多分。
で、自分はやっぱりその人に興味がないみたいで、
それもわからないんですよ。
自分からすると、じゃあ人に興味があるってどういう気持ちなんだろう?みたいなことがよくわからない。
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けど、いろんな人から何度も言われたことがあって、人に興味がないよねって。
それは、それこそね10代の頃とかから、中高生の頃とかから繰り返し言われていて、
違う人からも言われるし。
だからその自分が本質的に人に興味があるかないかっていうよりかは、
相手にこの人って自分に興味がないなって思わせる部分があるっていうのは多分間違いないんですよね。
やっぱり会話をするときに相手が全然自分に興味がないっていうのは、
なんていうかコミュニケーションをうまくいかなくさせる要素の一つなんだろうなーと思っていて。
でもなんかどうやったらその興味があると思ってもらえるのか?
思ってもらえるのか?
実際興味が出ればそれが一番いいのかもしれないんですけど。
うーん、なんかわかんないんですよね。
多分今までずっとその人に興味があったことがないんだと思う。
わかんない。
なんかその人?人っていうか人類みたいな。
人間ってこうだみたいなニュアンスで言う時の人に興味がないかって言われたらそういうわけではないんですけれど、
多分周りの人が言う人に興味がないっていうのは、もっと個別のケースにフォーカスしているというか、
自分自身の人となりとかバックグラウンドとかそういうことに対して興味を持ってくれてるかな?みたいなことだと思う。
自分は個々の事例にはあんまり興味がなくて、人ってこうだよねみたいなことには少し興味があるっていう感じなので、
なんかそれも噛み合ってないんだろうな。
でもなんか人って変わるじゃないですか。それは自分自身もそうだけれど、
でもやっぱり人って状況によったり、もしくは時間経過とかね、その時の気分とかでもすごく変動するから、
そういう変化するものに対して興味を持つっていうのが難しいというか。
この時点、この瞬間のそれには興味があったけれど、
次に見た時にはその性質が変わるっていうと大げさだけれど、やっぱりちょっと違うものになってるから、
それに持続的に興味を持つっていうのが難しいというか。
なんて言ったらいいんでしょうね。待ってってかもう14分半経ってるので。
で、何がじゃあ面白かったのっていうと、
それで話をする時にすごく困るんですよみたいな。
相手はなんとなくこういう距離感で喋ってほしいのかなみたいな想定とかが自分の中で少し思いついたりする時もあるんだけれど、
自分はなんか思ってないことを言いたくないという気持ちが強かったりとか、
そもそも相手の望むところっていうのがうまく推し測れなかったりして、
全然上手いことやれないんですよねみたいな話をしたら、
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なんかニュートラルな反応をしたらどうですかって言われて、
要は相手がこういうふうに言ってほしいんだろうなっていうものを勝手に想像して、
その通りにやれないなみたいなことで思い悩んだり、
逆にもう嫌だ誰とも喋りたくないみたいな感じですごい両極端になるんじゃなくて、
相手が何か言ったことに対して単純なうなずきとか、
あ、そうなんだみたいな、なんていうの?
大して深くもない共感、共感なのかな?そうなんだって。
受容かな?そうなんだって言ってるだけだもんね。
受容とか、ふーんっていうリアクションとか、中立?中立っていうのかなこういうのって。
ニュートラルな反応を返すように意識したらいいんじゃないですか?みたいなことを言われて、
確かにずっと上手いこと返さなきゃいけないっていうのがベースにあって、
それで一喜一憂するよりも、とにかくニュートラルに返そうっていうことを意識して、
それでね、リアクション薄いよとか言われるんですけどね。
リアクション薄いよとか、なんかもっとあるでしょとか言われるんですけど、
でも毎回毎回ね、言われるわけじゃないじゃないですか。
大抵のことはね、ふーんって言っとけば過ぎていくっていうこともあるから、
ベースラインを相手の、なんだろう、望むところじゃないけどいい感じに返そうじゃなくて、
とりあえずニュートラルで一手目をね、一手目を打とうっていうふうに決めると、
今よりもね、喋ることに対する、会話することに対する精神的負荷が下がるんじゃなかろうかみたいな話になって、
まあ確かになと思って。
なんか今まではその、どうせ上手いこと返事はできないのに、なんかそういう単純なあいづちとかを返すのは良くないみたいな、
それじゃダメだみたいなことをすごく思っていて、
でも別になんか言われてみたらそうでもないなみたいな、単純なあいづちでも。
だいたいの人がね、自分が喋りたいっていう方が強いですからね。
聞く方が好きっていう人は多分、その人と二人になったら何も話さないもんな。
自分も話さないし相手も話さないで、そこで終わるっていうだけだから、
喋りたい人には喋ってもらって自分はふーんって言っとけばいいんじゃないかっていうことに今更、
今更気づいたというか、なんか言われてみればそうだなって今日思って。
これからはちょっとニュートラルな対応をベースでいけるように考えてみようかなーみたいな。
絶対リアクション薄いって言われると思うけど、
いやそんなこと言われてもね。
ていうか、そもそも喋ってる時点でなんか、
あんた人に興味ないよねって割とすぐ指摘されるから、
多分相手は喋ってて、この人興味ないんだなってこと気づいてると思うから、
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自分のリアクションが薄くても、まあそうだろうなって思うんじゃないかな。
そんなに多分高いレベルの返答を自分に要求してないんじゃないかな、相手も。
こいつは望み薄だぞって思われてるかもしれん。
だから、こう思い悩まないようにしようって思ったっていう、そういう話でした。
長。長すぎ。すいません。
土日はね、休むかもしれない。投稿を。
わかんないです。なんか話すことがあればですけど。
なんやかんやね、今週は割と毎日録っちゃってたんだよな。
録っちゃってたっていうのも、なんかダメなことみたいに言ってるけど。
まあまあまあ、ぼちぼちと続けていければと思っております。
ということで、今日はこの辺で失礼いたします。