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2023-11-09 15:05

#024 駆け抜けて10月 / 花のある暮らし

【お久しブロードキャスト】便りはあった方が良い/ すみだ向島EXPO2023を駆け抜けた / 31連続日記は語彙が追いつかない / アウトプット出汁ガラ / 深夜のうどんで〆 / 夏休みが終わったみたいな虚脱感 / お花が出てくる1ヶ月 / 長居できる花屋 / 銭湯に101本の花を / しおれていく時間とともに / もてなしのマインドを /


◆参考リンク

京島の10月|7. 右手に花を左手に石を(note)

京島の10月|10. 美味しいご飯、ポカポカお風呂(note)


◆ おたよりはこちらから

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サマリー

近所の花屋さんは定期的にイベントを開催し、人々を楽しませています。彼らとの関わりを通じて、私は花を買うことが生活に含まれるようになりました。祭りの終了後の虚脱感や日常の戻りについて話し合っています。また、花屋さんのオープンについても話題にしています。

イベント終了後の虚脱感
頼りがないのがいい頼りということわざがあります。英語で言うと no news is good news っていうらしいんですけど
まあ平穏無事でいる時には、人はあえてお便りを書かないから、連絡や頼りがないのは無事な証拠であるという表現らしいんですけど
まあそんなことはないというか、何かがあると連絡は途絶えるにほかならないかなーってことも思い
ました。そんな何かあった朝のが1ヶ月ぶりにお届けします。そぼろげ!＀色丼ラジオ
改めましてこんにちは。この番組は1週間のちょうど真ん中、木曜日の正午にお届けしている一人語りのポップキャストです。
ライターで、ものづくり工房の管理人であるアサノが、仕事のことや遊びのこと、真面目なことや変わったことなど、毎回2つのトピックについて取り上げ、2色丼のように味わっていく番組です。
はいえーっと、前回の配信から1ヶ月ほど空いてしまいました。自分でもどんなこと喋ってたっけなーというふうに忘れてしまうぐらいで
聞き直したら、お米を炊いたらうまいみたいに話していて、すごい平和だなというふうに思いました。他のポッドキャストとかも久々にまた聞けるようになってきて、ようやく日常が戻ってきたかなという感じがしております。
そんなわけで、今週からまたやっていきたいと思います。この1ヶ月間ですね、アサノが何をやってたかというと、地元のイベントにどっぷりと使っていたというのが事実かなと思います。
積み田向島エキスポという地域でやっているまちぐるみの1ヶ月間かけてやるイベントがあって、僕はその中でそのものづくり工房の展示だとか、そこでワークショップをやったりとか、あとは1人の1住人というか、1事業者というか、暮らしている人として毎日このイベントに関する日記を書くみたいな企画をやってたんですね。
前回の放送では、だいたい午後6時ぐらいに書き始めて、午後8時ぐらいには仕上がってみたいなことを言ってたんですけど、そのエキスポというイベントがですね、1ヶ月間もやるもんだから、街中でいろんな人が作品を展示したり、あるいは作りながらやったりみたいなことをやっているので、回の後半に向けてですね、なんかどんどんいろんなことが増えていくんですよね。
1ヶ月かけてセブンイレブンの横に海の家を作るみたいなイベントがあったりとか、最初には予定されていなかった芋煮パーティーみたいなこととか麻婆豆腐を作るぜみたいなこととかが起こるし、しかもそれが一応公式には午後6時までが一旦そのイベントの時間なんですけど、その後いろんな人が自分のお店とか場所を持っているので、そこでじゃあ今日ここで何時から何々やりますとか、来たい人よかったら集まってくださいみたいなことがたくさん起こるので、
さっきも言った芋煮みたいなこととか、まあ街の今後の使われ方を話すイベントだとか、トークセッションみたいなものからコンサートまで、そういうのがですね、もう大体やっぱ楽しいことっていうのはなんか放課後に起こるような感じがするんですけど、大体なんか夜6時過ぎ7時から8時からとか、遅い時には9時からスタートしてみたいなこともあって、まあそうなってくるとですね、当然午後6時に書き始められるわけもなく、1日の中に収まりきらないような出来事がたくさんありました。
で、そういうのを見に行ったり体験したり、なんかいろんな人が関わっているので、それを言葉にするのも結構パワーが必要で、ようやく会期が終わって、まあ今日島の10月という日誌が31日分書き終えられたかなというのが今の状態です。
なんかあんまり仕事でなくというか、自分でこんなにとどっぷりとテキストを書き続けて発表したっていうのが結構あまりない経験だったので、すごい新鮮でした。
自分の感じたことを書くのはいいんですけど、だんだんこの表現が似通ってきてしまったりとか、なんかまたチープな文字になってしまったなみたいなことを思ったりっていうので、
まあただの日記というかエッセイというかといえども、全然やっぱこのインプットというかアウトプットというか両方いろいろまだまだ突き詰めるべきことはありそうだなみたいなことを思えて、いい経験になったかなというふうに思います。
やっぱそのお祭りイベントに関わってる人だったりとか、あとはその近しい友人だったりとか、あと近所のカレー屋さんとかにもあの日記読んでるよとか言われたのがすごい嬉しかったですね。
今はノートのアカウントに31日分の日記がボワーッと並んでいるみたいな状態なんですけど、もしよかったら読んでみてくれると嬉しいです。
なんかまだ自分も走り切ったという感じで、まだ自分でも読み返したりとかはできてないんですけど、ちょっとじわじわと振り返っていくみたいなこともしてみたいなというふうに思っております。
日常の戻り
で、この企画をやってない時に自分から発信している、自分名義でやってるものっていうのが多分このポッドキャストだったんですよね。
で、週1回のこのポッドキャストが日常であったこととかを喋って生活のリズムを刻んでいたんだなと思うんですけど、なんか日記を書いてる時は毎日いろんなことが起こって出来事を噛み砕いて咀嚼してそれをテキストにしてアウトプットすると、一旦なんかその日の心が落ち着くっていう感じがありました。
逆にその日付を超えてもちょっと下書き状態でしか公開できてなかったりすると、次の日もモヤモヤしてしまうみたいなことがあって、なんかそのロケット鉛筆みたいな、後ろから入れたらどんどん出てくる。
で、なんか前が詰まってるともう弾けちゃうみたいな、そういう感覚がすごいあった1ヶ月で、そういうこともやってたのでちょっと単純に時間が割けなかったっていうほどではないんですけど、自分にとってのそのアウトプットが間に合ってしまった感というか、
ああ、なんか感じたこと出たなぁみたいなそういう感じがあって、でもそんなこと言いつつ毎日日記を書いて、かつポッドゲストとかを続けている人もいるわけですから、なんかそういう人たちの新陳代謝のサイクルというか、
ってのがやっぱすごいものがあるんだなぁということも思いました。あとは毎日続けるって本当体調管理との戦いでもあるなぁと思って、1日でもちょっとダメだもう寝なきゃみたいなことになるともう空っぽになっちゃうわけですよね。
なんか一応その産業で終えるみたいなことはしたくないと思っていたので、何かしらその書くことを探していたんですけど、家の中にいるだけの時と外に出た時でやっぱり全然内容が変わってくるので、できるだけ外を歩きたいとか、いろんな人と喋りたいってなるんですけど、
まあなんか時にはそれは1ヶ月もあれば人と喋りたくない日があったりとか、あんまり元気がない日もありますよね。なんかそういうことも踏まえた上で毎日更新っていうのがあるんだなぁと思って、
世の中でそういうことをやっている人たちの凄さ、根気の強さということを感じて、いやーすげーなぁと思った次第です。僕は普通にちょいちょい休んだりしてましたからね。
でまあそれから10月が終わって1週間ぐらい経ったんですけど、なんか祭りが終わった後の虚脱感というか、なんか力が抜ける感覚がしばらく続いてました。
ほんとバーッと駆け抜けて、でなんか最後の日とか、まあ打ち上げってほどじゃないですけど、クロージングセレモニーみたいなやつがあって、それぞれがまた好きな場所でちょっとワイワイ喋って、なんか最後日付を超えてうどんを食べて締めるみたいな、すごいいい終わり方だったんですけど、なんか本当学生時代の文化祭の後みたいな感覚なんですよね。
すごいみんなでパワーのあるイベントをやって、その後終わって楽しかったねーみたいな感じを噛み締めるみたいな。大人31歳にもなってこういう感覚に味わえるとはあんまり思ってなかったのですごい嬉しいことだったんですけど。
でまあその祭りが終わった後になると、やっぱ結構街の雰囲気が変わるというか、昨日まであんなに人がいたところが、あ、なんか片付け普通に始まってるなーとか、まあ当たり前なんですけど、なんかそういう光景だとか、
今日はもう頑張って日記を書かなくていいんだーみたいな感じで、ちょっと気を抜いたというか感覚が変わったこともあって、若干体調を崩したりとかもしてて、なんかねこれね文化祭とか運動会やった後もそうだったんですよね。すごい力を入れたというか頑張って、で終わって片付け終わったらなんか虚脱。
人と喋らない、ぼーみたいなのが多分1週間ぐらいは続いて、家にいるのも暇になってちょっと元気になっていくみたいな、そういうなんていうかアップダウンというかダウンタイムみたいなやつがあって、まあそれが今も続いてきてようやく回復に至るみたいな感じが今です。
食事とかも別に食べるんですけど、なんかすげー美味しいものとかあんまり興味なくなって、なんかただお腹を満ちればいいやみたいな、カロリーメイトとなんか野菜つまんでればいいなーみたいなとか、美味しいお店いっぱいあるけどそんなことよりなんかただただジェネリック家系ラーメンみたいな、あの情報量のない食べ物を食べたいみたいなシーズンとかがあったりとかして、なんか別にそんな元気がないってわけじゃないんで心配しないでいいんですけど、まあそんな感じの1週間、いや1ヶ月かな1ヶ月と放送を過ごしておりました。
あのすごい喋っていて、なんかほんと日常が戻ってきたなという感じがしているので、また頑張っていきたいかなというふうに感じです。
しばらくなんかその普段見ているウェブサイトとかポッドキャストを聞くみたいなこともちょっと習慣から抜け落ちていたぐらいの1ヶ月だったんですけど、なんかそういうのが戻ってきて、ようやく暮らしが帰ってきたみたいな感じがしておりますので、またお付き合いいただけると幸いです。
新しい花屋のオープン
10月の日記の中に、まあ普通にそのイベントのこともあるんですけど、そうじゃない普通の暮らしのことも入ってて、なんかね結構お花が出てくるんですよ。お花?朝の花?みたいなイメージあるかなと、人もいるかなと思うんですけど、あの家のすぐ近く、ほんと歩いて2分3分ぐらいのところに最近花屋さんができて、まあ今年の2月ぐらいかなにできて、そこがすごい良い場所なんですね。
長いできる花屋にしたいっていう思いで作られている場所で、その古い建物、昔なんかお店だった場所なのかな?をちょっとリノベーションして、家の広間にお花がぐわーっと囲むように置いてあって、そこの中にはベンチがあったりとか座ったりカウンターがあったりみたいな感じで話を楽しんだりとか。
あと結構その身内の人というか仲間を呼んでイベントをすごいたくさんやってて、なんかジャズライブみたいなものだとか、ご飯を売るだとか、ジュースを配るみたいなものとかっていうのがすごいたくさんあるんですね。たぶん1ヶ月に2回3回じゃ収まらないくらいで、花を買いに行くぞみたいなことがない人にとって、ちょっとその習慣がないところにいきなり行くって難しい部分があるかなと思うんですけど、なんかそういう家の近さとかそういう関わりやすさみたいなやつもあったおかげで、
僕も結構そこに行く機会が多くて、そこで知り合いが増えたり友達ができたりってこともあって、すげー楽しく過ごしてるんですけど、なんか僕はイベントがある度に来る人みたいな認識になってるみたいで、まあまあ間違いないんですけど、なんかでもそういうおかげでその花を買うことが生活にちょっとずつ含まれ始めたっていうのが面白い変化だなというふうに思っています。
なんか10月のイベントとかでも、新しく自分の拠点をオープンした人のところにちょっとオープン祝いですって言って私に行ったりだとか、あとなんか10月10日が銭湯の日だったんですけど、その近所の銭湯でその花屋さんの店主さんがなんとその銭湯の受付をやって、で待合室とかに100本?101本かな?その101周年だったので101本の花を配るみたいなことをやって、
すごいいつもの銭湯の受付の風景が、それこそ牛乳瓶とかガラナの空き瓶とかも活用して、そこに1本ずつお花がわーっと広がっているみたいな光景で、めちゃめちゃいい風景だったんですよね。で、お風呂入った人で欲しい人はそれを1本ずつ持ち帰るっていうなんかことで、もうお風呂上がりでポカポカであったかいし、牛乳飲んでリラックスして最後お花もらって持ち帰るみたいなめちゃめちゃいい光景が流れていて、
なんかこんなことができる街というかの関係性すげーいいなぁと思えた。そういう感じで、そこの以外にもなんか結構花屋さんが商店街とか近辺にたくさんあって、なんか僕のその近くの人たちがこう何かを始めるよって時とかにそっとお花を渡すシーンみたいなとかを見たりしてたんですよ。
お店のオープン祝いですとか、誕生日の人にすって渡すみたいな。で、なんかあんまり自分の生活にそういうこと関係ないかなと思ってたんですけど、いざもらってみたら嬉しいし、人にこうやって気楽に渡していいもんなんだみたいなことがなんか自然と馴染んできてというか、ああそういう時に使うんだみたいなことが解釈に入ってきたのがちょっと面白い変化かなというふうに思っています。
前に印象に残っているのは、あの前職の大学を離れた時に先生たちからすごい大きな花束をいただいて、で当然、当然というか家に立派な花束なんてないんで、ちょっとパセツ的に2リットルのペットボトルを切って、若干申し訳なさを感じながら花瓶として使っていたんですけど。
で、放ってもらってからしばらく持続するというか、もちろん元気な状態ではあるけど、1日2日1週間1ヶ月とさすにつれて若干こうしおれていくというか弱っていくじゃないですか。それをなんか悲しいなというかどう捉えたもんかみたいなことをその時思ったんですけど、結論というかでもそのちょっとゆっくり時間をかけて変わっていくみたいなところも含めて、なんかそのお花が持つ良さなのかなってことをその時思ったんですよね。
仕事を辞めました、じゃあねバイバイバツンって切って01で終わるんじゃなくて、その仕事は完了してお別れになるけど、まあ次も頑張ってねみたいなそのなんか移行の期間とかにそのお花が寄り添ってくれるみたいな、ちょっとずつじわじわと変化をしていって、その花束を見るたびにちょっと昔のことを思い出すとかありがたいなって気持ちになったりしながらちょっとずつ生活が変わっていくみたいな、そういう付き合い方ができる。
時間の変化と共にあるっていうことが良さなのかなっていうふうにその時思ったんですね。
で、近所のお店とかにその植栽としてとかシーズンごとにお花を買えたりみたいなこともそのお花屋さんの仕事としてやってみたいなんですけど、僕も工房に例えばその先頭でもらったお花を置いてみたりとかしてみると結構すっと馴染むというか、いいじゃんみたいな気持ちになることがあって、
なんかじゃあそれを1週間、今週末だけの運営ですけど、1週間ごとに様子を変えてみるとか、普段来てくれる人もちょっと見るたびに若干イメージが違うなぁとかなってくれたらすごいちょっとした変化というかそういう楽しみもあるだろうし、
あと場所を運営する側としてはなんかそういうもてなしというか、人を迎え入れる仕掛けとしてそういうのはきっと大事なんだろうなってことも思ったんですね。
中学のイベント中にも別に工房を利用しない人もちょっと見学というか展示会場として足を運んできてくれたりとか、別のイベントに参加している子どもとかがキーホルダーを作るみたいなこととか、
ワークショップに参加してくれる初めてこの街を訪れる人とかたくさんいらっしゃったんですね。
で、やっぱりなんかそういうものを作る以前にその場所が心地がいい場所であるとか、ちゃんと受け入れられているみたいな場所であるっていうことを整えるのはすごい大事なことだなというふうに思ったので、
なんかまあそういう装飾というか、人が居心地を良いと思えるような場所にするための努力というか工夫をしていく必要があるかなというようなことも思ったこの1ヶ月でした。
お花のある暮らし。なんか自分がそんなことを口にするのみたいな変な読みというかがなくはないんですけど、なんか素直に良いと思えたことなので、
なんか生活に花を取り入れてみるっていうのはすごい良いポジティブなことだなというふうに思えた次第です。
1ヶ月ぶりの収録ということでどうなることやらと思いきや、まあ喋り始めてみたら意外と大丈夫かなぁという僕は思ってるんですけど、聞き直したらどうなってるかはわからないです。
はい、えっと、あといまに11月ですね。今年も残り2ヶ月ですけども頑張っていきたいなというふうに思っております。
そぼろげ二食丼ラジオは毎週木曜日って言ってたんですけど、ちょっと疑わしくなってきたところがあるんですが、頑張ってできるだけ毎週木曜日に続けていきたいと思っております。
概要欄のお手紙フォームなどからコメントいただけると幸いです。それではまた次回お会いしましょう。さようなら。
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