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2023-07-20 22:53

#014 お耳に合っていました / 予告編は人生のスパイス

【時を超えた感想スレ】デンタルフロスとの別れ / ボクシング向きの番組 / 懐かしのPrimeVideo / 『お耳に合いましたら。』/ 好きを死なせないために / コロナの閉塞感と焦燥感 / テイクアウトのやさしさ / 東京マーブルは名曲 / 2年前でも良いじゃない / 『君たちはどう生きるか』 / 宮崎駿のリンボーダンス / 期待も絶望もない状態で / ゼロからコンテンツを受け止める / 予告編との付き合い方 / 面白いってなんなんだ / 星がついて嬉しかったです


◆参考リンク

⁠お耳に合いましたら。⁠(テレビ東京)

『お耳に合いましたら。』 のちょうど良さと、欲望不全への抗い方(note)


◆ おたよりはこちらから

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://forms.gle/FaCDP4aKZr1kq4TWA

サマリー

デンタルフロスが突然切れることで、大切なものがなくなってしまうことが教えられました。ポッドキャスト番組『お耳に合っていましたら』の魅力を改めて話します。座組と全体通した優しさと考えられる夕座今回、その心が動くようなことはありませんでしたが、座組の優しさと踊りが良かったと感じました。テイクアウトの現実とフィクションのバランス感覚も素晴らしいです。映画の感想を共有したり、映画を見た時の不思議な体験を考察することが楽しいです。

デンタルフロスとのお別れ
歯磨きした後にデンタルフロスを使っていて、いわゆる糸用紙みたいなやつなんですね。
個別になっているものじゃなくて、なんていうかロールタイプ、セロテープみたいにぐるぐる巻きになって、それを毎回引き出して使うっていうタイプのものを使ってるんですけど、
なんかそれがすげー無限にあるような、結構毎回使うんであるんですけど、
引いても引いてもなくならない、切っても切ってもなくならない、
実際たぶん1年前ぐらいに買ったんじゃないかと思えるぐらいのボリュームでずっとやってて、なくならないなーって思ってたんですけど、
ついにさっき急にフッと切れて、その終わりがすごい切なかったです。
大切なものはいつだってそばにあると思うなよと、当たり前じゃないんだぞと、そんなことを教えてくれたデンタルフロスとのお別れでした。
そぼろげ!!＀色丼ラジオ
改めましてこんにちは。この番組は毎週のちょうど真ん中、木曜日の正午にお届けしているひとりがたりのポッドキャストです。
ライターでものづくり工房の管理人である朝野が、仕事のことや遊びのこと、真面目なことや変わったことなど、毎週2つのトピックについて取り上げ、2食丼のように味わっていくラジオです。
そのフロスは本当そんなに別に大きいものじゃないというか片手に収まるぐらいの箱に入っていて、手ぐすみたいな感じの細いやつがリール状になっているみたいなもので、引き出しては切り、引き出しては切りってずっと使ってて、毎回使ってるけどいつなくなるんだろうみたいなことを思ってたんですけど、お別れはすごいあっさりでしたね。
切なさを感じる間もなくというかちょっとまだ気持ちが追いついてない。
愛情が芽生えてるみたいになってますけど、そんな感じのものがありました。
はい、今週も行ってみたいと思います。
先週の放送で流石に夏が本格化し始めていて、1日1万歩歩くっていう散歩の目標はちょっと達成しづらくなったなーって話をしたんですね。
で、その代わりに何をやってるかというと、テレビドラマとか配信を見たりしながらNintendo Switchのフィットボクシングっていうゲーム、前後左右に動きながらリズムに合わせてボクシングをするっていうゲームをやっているによって歩数を稼ぐみたいなことをやってるというお話をしたんですけど、
やりながら見るものって何がいいかなとか思っていろいろ見て回ってて、
久しぶりにAmazonプライムのプライムビデオの配信の一覧とかを見てて、こんなんあるなーっていう風に見てて、
で、あ、これそういえばやってたじゃんって思い出したのが、お耳に合いましたらっていう番組があったんですね。
2年前ぐらいに僕もそれを見ていて、すげー楽しく見てたんですけどすっかり忘れてて、ちょっと今日はその話をしたいなと思いました。
簡単に概要を説明すると、これはあらすじをWikipediaくんから引用すると、
ミソノがあるきっかけからポッドキャスト番組を始めていくパーソナリティ成長期を描く、
劇中でポッドキャストで配信する番組のテーマはミソノが愛してやまないチェーン店グルメ、通称チェーン飯。
前話ごとに実在する人気チェーン店が登場し、ミソノがそこのメニューを食べながらそのチェーン飯屋を語る。
はい、えーという感じでですね、2年前ぐらいですね、ちょうど2年前にやってたドラマで、
それを僕はリアルタイムでは見てなかったんですけど、その後プライムビデオとかで見てました。
で、どんな話かっていうと、普通のサラリーマンの人なんですけど、生活の中であるきっかけがあってポッドキャストを始めてみようと。
で、そのポッドキャストでは松屋とか餃子の王将とか吉野屋みたいなそういうチェーン店のご飯がいかにうまいか、
いかに自分にとってすごい素敵な好きなもので、それにまつわる思い出とか今の話とかっていうのをどんどんやっていく。
それによって会社の仲間と一緒に取り組んでみたりとか、昔の友人と話をしてみたりとか、
そういうふうに話が進んでいくっていうドラマなんですね。
ポッドキャストの魅力と当時の背景
で、その中で応年のラジオDJのレジェンドみたいな人とかがちょいちょいゲスト出てきたりするっていう感じで、
結構マグチは広いというか、ポッドキャストに興味がありますだとか、そういうご飯が好きですとか、
あとラジオが好きですみたいな人とか、いろんな人がいろんな視点で見れるし、
毎回30分以下で終わるんですよ。30分もしないで終わるので、僕の運動をしながら見るにはちょうどいい塩梅なんですね。
1時間を超えると見続けるのは僕ちょっと疲れちゃうんで、
簡単に見れるし、そんなに気負うことなく見れる軽妙なものとして、すごい楽しく見てたってことを思い出しました。
で、今自分がこのそぼろげに食どんラジオとか言いながら食事っぽいタイトルでポッドキャストの配信をしてるってなったときに、
これを紹介せずに何を紹介するんだみたいなことを配信中何回目にしてちょっと思い出したので、
ここでちょっと改めて話しておきたいなということを思った次第です。
当時は僕はポッドキャストをそんなにたくさん聞いてなかったと思うんですね。
当時このお耳に合いましたらというドラマがどれほど反響だったのかというか、
そのポッドキャスト界隈というか人たちがどんなことを話してたんだろうっていうふうに思って、
リッスンという文字起こしサービスとかで調べてみたら、
やっぱりその2年前ぐらいとかにみんなこれ聞いてるみたいなことで話してる人っていうのがたくさんいて、
ああ、やっぱ一定数にはちゃんと響いていたんだなみたいなことをちょっと確認したりしたんですけど。
でね、僕がこの番組がめちゃめちゃいいなと思ったのが、
第1話がすごいなんか刺さったというか良かったんですよね。
さっきあらすじもちらっと話したんですけど、
主人公は普通の漬物会社に勤めているOLの人で、
毎日毎日日川清のポッドキャストを聞いてそこからエネルギーをもらってるみたいな。
もともとラジオが好きで、学生時代からそれをMDに収録して、
なぜか冷蔵庫に冷やして撮っておくみたいなちょっと変わった人なんですけど。
それと、あとそのチェーン店のご飯が好きっていう趣味というか嗜好というか、
誰に共有するでもないみたいなものをしながら普通に生活をしていた。
ただある日、自分が聞いていたラジオの中で、
自分が好きなこととかハマっているものっていうものを口にしないでいると、
好きが死んでしまうんだよってことを問われるラジオDJ、吉田照美だったんですけどが言っていて、
それを聞いた時に、え、そうなの?私が好きなこのラジオへの愛とか、
チェーン飯への愛って消えちゃうの?みたいなことを不安に思って、
でもそれをいきなり受け止めてくれるほど会社の同僚も暇じゃないし、
知らない人にいきなりそんなことを話すのもちょっと変わった人と思われるよねみたいなことで、
その高まった欲望を出す先として選んだのが、
自分も好きだったラジオに近いポッドキャストっていうものだったっていう描写なんですね。
それでiPhoneを一つで始められるっていう手軽さもあって、
かつ面白いのが、その番組中で収録した音声っていうのが、
Spotifyの中でも実際に配信されているっていう、
リアルタイムというか体験と連動したみたいな仕組みになっているっていう、
多分結構挑戦的なというか、すごいメディアミックスの具合がめちゃめちゃ上手いようなドラマだったんですね。
僕はその仕組みも面白いなと思いつつ、
好きが死んでしまうみたいな表現がちょっとゾクッとしたというか、
当時って本当コロナが始まってというかずっと続いているような陰鬱なムードの中で、
家の中にいなきゃいけないとか、多分人に会いに行ったりとか、
それこそ外食に行こうなんて、なかなかはばかれる時期だったと思うんですよね。
結構今も続いているポッドキャストの番組とかって、
その時期がきっかけで始めた人っていうのが結構な数いると思うんですよね。
多分今100回越えとかをしているようなものとかってその当時ぐらいから続いているだろうし、
みんなが生活のスタイルが変わって聞き始めたりとか、
何かを話したい、今まで別の場所で喋ってたけど、
これをどうにかせねばならんっていう感じで始めていたっていうことが、
今振り返れば多かったんだろうなと思って、
そこでみんなやっぱり興味について喋ってたりすることがあると思うんですけど、
当時僕はライターの仕事は副業的に続けながら大学で働いていて、
それも途中からほとんどリモートワークになって、
週に1回必要な時だけ行くみたいな感じだったと思うんですけど、
なんか個人的に突き詰めてやってることとかあったっけなみたいな、
そういう焦燥感じゃないけど、なんかどっかに向かってるのかなみたいな、
漠然とした不安みたいなのが多分あったんですね。
で、そのご時世的に仕方ないけど、
毎日を淡々とこなしていかなきゃいけないみたいなシチュエーションの時に、
なんかただ生きてるだけ、生きてるだけで精一杯だったっていうのもあるとは思うんですけど、
そうなった時になんか自分の好きだったものってなんだっけみたいな、
そういうことをちょっとウッと言われた気がして、
なんか僕の場合は曲がりなりにも文章を書いていたので、
なんかそれをちょっと自分の中でなんか噛み砕かないと、
この感じた衝撃って何だったんだろうみたいなことを、
なんというか珍しく熱弁じゃないけど、
なんでこんなに僕がこの前話を通してドラマに惹かれたんだろうみたいなことを言語化したいな、
みたいな欲望がすごい浮かされてというか、刺激されて、
なんかそんなところからこのドラマが今でも結構好きだなっていう風に思ってるっていうような背景があります。
すごい5000文字ぐらいの誰に向けたわけでもない文章みたいなやつをノートに書いたりして、
そこですごいフッと自分が惹かれたものを文字に起こして、
めちゃめちゃ良かったなっていう完全な自己満足ではあるんですけど、
そこにも書いたことなんですけど、
なんかそのドラマがめちゃめちゃいいなって思ったのは、
なんかそういう隠うつな空気、誰にも外にも出れないみたいな現実に対して、
それを真正面から受け止めすぎないというか、
お店で食べれないからテイクアウトのものが始まりましたっていう、
その変わりつつある現状に対して、
座組の優しさ
なんかそのテイクアウトのものを家で食べて黙々と食べましょうみたいな、
なんかそういう寂しい現実ではなくて、
生活のスタイルとか変わりつつあるけど、
それをちゃんと家に持ち帰って食べる。
食べるが、そこはドラマなりのフィクションとして、
蓋を開けるといつも食べているチェーン店の絵面がイメージとして広がって、
そこで思い出と混ぜ込みながら一緒に食べるみたいな、
そういう優しさというかどうにもならない現実なんだけど、
それをフィクションの中に無理に装飾もせず、
無理に現実のままに受け止めすぎることもせず、
本当にいいバランス感覚で描写しているなということが感じられて、
その爽やかさみたいなやつっていうか、
優しさみたいなやつっていうのがめちゃめちゃ素晴らしいなと思ったんですよね。
ストーリーは毎回、本当30分くらいのドラマなので、
めちゃめちゃ心が動きましたとか、泣いちゃいましたみたいな、
ってほどまではいかないんですけど、
その座組というか、全体通した優しさと、
それを軽妙に明るく伝えていくみたいな雰囲気が、
多分当時の僕にはぴったりと合っていて、
伊藤真理香と東京マーブル
主演の伊藤真理香さんが東京マーブルっていう曲と一緒に、
毎回エンディングで、その回のテーマになったチェーン・テンを舞台にして踊るんですけど、
それがめちゃめちゃ良くて、
もともとバレエを習ってたみたいな方らしいんですけど、
それも含めてそのリズムと合わせて、
コミカルにというか、エモーショナルに踊る姿がめちゃめちゃ良くて、
完全にエンディングまでは見ないと、見終わった気にならないっていうような、
そういう楽しみもあって、毎回ちゃんとしっかり見てましたね。
終わった後の要因というか、
なんかいい日だったなぁみたいな気持ちになれるっていうので、
毎晩1話ずつ見て、すごい楽しかった記憶が残っています。
自分が今こうやってポッドキャストとかをやっている立場になって、
食事のことたまに喋ってるみたいな、全然内容違うんですけど、
そういうことになっていくと、
今更ながらこれを追体験しているみたいな気持ちになって、
そういう後追いの楽しみ方みたいなことが、
今自分に起こっているのかもしれないですね。
ドラマの中では、ポッドキャストを始めたことによって、
職場の人と仲良くなったりとか、一緒にやりましょうよって、
ジングルを作ってもらったりみたいな展開があったりしたんですけど、
僕もなんかね、これをやったことで、
いずれ何か広がりとかあったらいいなとか思いつつ、
まずは自分のために、自分が経験したこととか、
良かったなって思ったことを言語化するっていう、
一つの役割は果たしていると思うんですけど、
なんかもっと展開できたらいいなとかも、
改めて思ったという次第です。
お耳に合いましたら、ちょっと今更かよって思う人いるかもしれないですけど、
ぜひ見てみてください。
調べてみたら、スポティファイ連動ドラマ第2弾として、
真相は耳の中っていう、
今度はミステリー系のドラマもやってたみたいで、
ちょっとこれもまた見てみたいなというふうに思っております。
映画『君たちはどう生きるか』の体験
ジジネタなんですけど、
君たちはどう生きるかですよね。
大丈夫です、ネタバレはそんなしないですというか、
話の核心とかは多分喋れないし、
喋れないと思うからあれなんですけど、
公開初日の夕方か夜の回に見に行ってきました。
Twitterに僕は、君たちはどう生きるか初日、
宮崎駿のリンボーダンスが始まる可能性すらあるスクリーンを、
何百人も眺めている構図に興奮した、
ってちょっと冗談めかして書いたんですけど、
意外と穴がち冗談でもないというか、
こんだけ前情報がないものに対して、
映画館の構造上、何が始まったとしても、
そこから我々は逃げられないんだみたいな、
絵面がちょっと面白くなっちゃって、
別にそれはわかってますよ、
そんな変なことが始まるわけはないと思うんですけど、
何を期待しているのか、何を見せられているのか、
みたいな状態がないところで、
始まったものに対して、
人たちはどんな感情を持つんだろうみたいな、
こんな特殊な環境ってほぼほぼないよねっていうことを、
その映画館の待ち時間で思ったんですけど、
これほど予告が一切ないみたいな状況で、
初日にこんだけ人が来てるって、
なかなか多分10年、
へざすら何十年先にもないシチュエーションかもなと思って、
これは体験せざるを得ないと思って見に行ってきました。
僕は元々、映画の予告編とかって、
その映画を見るぞって決めたら、
一定以上は見ない立ちなんですね。
で、それは何でかっていうと、
別に深い理由はないんですけど、
アホのフリをするというか、
知らない状態で触れてみたいっていう、
ただそれだけなんですよ。
これは別に映画に限らず、
ゲームとかドラマとか、
何でも良くて、
この前ゼルダの伝説の新作が出たんですけど、
それも僕絶対買うだろうと思ったんで、
ほんとほんと予告編の映像、
トレーラーの映像とかも、
多分第3弾ぐらいまであったんですけど、
第3弾は見ないまま買ったんですね。
で、そこでなんか、
実はゲームの中の楽しい仕組みとか、
紹介されてたんですけど、
それを観て期待感を膨らませて遊ぶっていうのは、
めちゃめちゃいいと思うんですけど、
その期待感を膨らませるっていうのは、
購買意欲を高めるってことじゃないですか。
それで今までそんなに興味なかったけど、
そこを楽しみたいって人に対してリーチしたから、
それを買うっていう風になるはずで、
映画化とかも予告編を見せることによって、
期待値が高まって、
見るってなったらOKじゃないですか。
逆に言うとなんか、
僕の中ではもう買うとか見るって決まったら、
それ以上の情報は必要ないですと。
あなたたちが作ったその作品の中で、
本当に初めてのこととして体験した方が、
それが本当にそうなんじゃないですかみたいな、
そういう感覚があって。
なので、いいんですよ。
普段から別にその予告編とか見ないような立ちで、
自然にというか、
作品のその順度と言ったらいいのかわからないんですけど、
こういう風に初めて体験した人、
初めて見た人が感じるような順序で楽しむ
みたいなことができるといいなってことを
思っているので、
そういう性質があるんです。
だから今回の君たちはどう生きるかについても、
ある種、期待もしないというか、
楽しくもつまらなくもないだろうなというか、
これはちょっと特殊で、
普通、買うぞとか見るぞって決めた時には、
これは絶対面白いから買うとか、
この人が手掛けてるから買うみたいな、
プラスの方の期待がある状態で行ってるんですね。
でも今回って、
こんな珍しい受験はないよみたいな、
ある種、矢島根性みたいなところから行ったので、
作品に対してこうだろうみたいな予測とかも
一切ない状態で行ったんですよ。
そこはちょっと今までと違ったのかな
みたいなことを思うんですけど、
それで始まってみて思ったのは、
なんかね、超不思議。
始まる前はその冗談めいて、
何始まるんだよ、みんな分かんないけど、
座ってんのおもろみたいなこと思ってたんですけど、
実際始まってみると、
そのストーリーの展開とかに対して、
なんかどう受け止めていいか分かんない
って感じになったんですね。
これは多分、ちょっとでも前情報があったりしたら、
きっと話はこういう風に展開するだろうとか、
自分の思ってたのと違うとか、
逆にそうやっていくんだ、意外だわみたいな、
自分の気持ちに対する揺さぶりがかかってきて、
それに対して面白いとかつまんないとか、
もっと早くいけよとか思うと思うんですけど、
前情報がゼロ、期待も失望もゼロの状態だと、
これがこの後どう転んでいくんだろうとか、
分かんないというか、
ただ目の前にあるものを受け止めるほかないんですよ。
それが短い楽曲とかだったら、
4分とか10分とかだったら、
すげえインパクトあったわみたいなのがあると思うんですけど、
映画って2時間ぐらい近くあるから、
この展開してる話が全体の中で、
どの辺に位置づけられてるんだろうみたいなことも分かんなくて、
そこに自分が乗り切れてるのか、乗り切れてないのか、
我慢すればもっと面白くなるかみたいなことが全然分かんなくて、
面白いのかどうなのかの判断ができないっていう、
すげえ不思議な感覚になったんですね。
これはなかなか経験したことがないというか、
あんまり日常でないことだと思うんですよ。
何かを体験しに行く時って、
人に誘われたり自分で行くこともたくさんあると思うんですけど、
なんか家族に連れられて行ったけど、
意外と楽しかったとか、
楽しそうだと思って行ったけど、
いまいちだったみたいな、
そういう何々だったけどA、
何々だったけどBみたいな、
そういう逆説で繋がれるみたいなこと結構多いじゃないですか。
気持ちを煽られるとか、
期待していくとか嫌がりながら行くみたいな、
そういう状態って、
その後の感情の揺さぶりに対しては、
ちょっと必要な助走というか、
何かよく機能しているものなんだなってことを感じたんですよね。
うん、何か本当無の状態で行った時に、
そこで起こっているものに対して、
これは何だみたいな、
何かそれって相当なインパクトというか、
短期的なパワーがないと、
映画の感想と不思議な体験
なかなか急には心を動かされないんだろうなってことをちょっと、
これはまあ映画見終わってから感じたというか、
そこに描かれているものを、
本当そのまま受け止めることって結構珍しいというか、
楽しいだとか、つまらないだとか、
意外だみたいなことを感じるための
センサーが塞がれているような状態だったから、
ちょっと反応に戸惑うみたいなところが、
何か前半、多分30分か1時間ぐらいは、
ずっとそんな感じだったんですよね。
予告編を見ないみたいな話をしたんですけど、
それにしてもそういうちょっと期待を持たせるというか、
全体を見通し持たせるみたいなことって、
過度な予告とか、
何か嘘予告みたいな話もあったりするんですけど、
期待を持たせるみたいなことって、
その後の人間の感覚を英弁にするためには、
決して悪いものじゃないというか、
必要なことなのかもなってことを感じました。
そんなにうだうだ言わなくても、
めっちゃ面白かったっすって一言で言えるような感じであればいいんですけど、
今は見終わって、
あれは何だったんだろうみたいな、
その鑑賞する時の不思議な体験性も含めて、
見てよかったよねとか、
そこ分かんなかったよねみたいなことってのを、
インターネットで感想を見たりとか、
考察を見たりみたいなことをしたくなっているっていうような状態が今です。
終わった後とかに、
これをどう受け止めていいんだみたいな戸惑いがあって、
面白かった、面白かったけど、
面白いって何?みたいな不思議な混乱があって、
自分の中で評価軸がそもそも持ててないみたいな感じがあったのが、
すげえ不思議な感じで新鮮だったですね。
何なんですかね。
面白いものを面白いとか、
つまらないものをつまらないって思った時に、
それを断じるほどの自信がないというか、
戸惑いがあるというか、
面白いと思ったものを面白いと断言する。
ここは良かった、ここはつまらなかったみたいなことを、
自分の中で納得できたらいいんですけど、
それを話したくなるっていうのは何なんですかね。
自信がないからなのか、
それとも人と共有したくなるっていうのは、
自分の中における期待してたけど何々だったみたいなこととか、
楽しそうだったけど何々だったみたいな、
差分を味わうことこそ、
実は作品を見るとか楽しむことの本質というとあれだけど、
作品を見ることの楽しさの一つなんじゃないかなっていう気がしました。
自分の中だったら予告を見てワクワクしたとか、
期待したときと実際のギャップ。
他の人だったら自分が感じたことと、
他の人が感じたことのギャップみたいな、
そこをすり合わせていくことが結構、
エンターテイメントというか、
作品の評価と共有
体験の質を握っているのかもしれないですね。
こんなことを映画を見て思ったのは初めてだったので、
すごい不思議な体験で、
いやー、行って良かったなって思います。
さっきも言ったんですけど、
こんな異常な光景ってあんまり多分ないし、
今後もないと思うので、
こういう流星群的な体験の機会として、
めちゃめちゃ貴重なものっていうのは、
ぜひ一度味わっておくのがいいだろうなっていう風に考えちゃうタッチなので、
ぜひ皆さんもまだだよって人が言ったら、
行ってモヤモヤしたり、ワクワクしたり、
宮崎駿のリンボーダンスの代わりに何が流れていたのか、
確かめていただけたらなという風に思います。
今までこういう作品の感想とか言ってこなかったんですけど、
心見ては失敗してたんですよね。
意外と、というかちゃんと話をする時には、
割と番組の情報だとか段取りみたいな、
背景まで調べて言わないといけないので、
毎週ばーっと内容を考えて、
一人で語り続けるみたいなスタイルだと、
行き当たりばったりだとごちゃごちゃしてしまうので、
避けていた部分はあるんですけど、
今回は自分の中ですごい良さとかをちゃんと噛み砕けているものと、
逆にめちゃめちゃ体験したばっかで、
よくわかんないけど何これみたいな、
そういう2つのものについて、
ちょっと喋ってみました。
そんな形でですね、
そぼろげ二食丼ラジオは、
毎週木曜日の正午にお届けしております。
概要欄には、
応募フォームというのがあって、
そこからは感想とか要望みたいなやつが送れるんですって。
最近気づいたら、
教科欄みたいなところに、
星5個がいっぱい付いていたみたいで、
めちゃめちゃ嬉しかったです。
本当に励みになります。
普通にそれを見たとき、
嬉しかったなっていうご共有です。
いつもありがとうございます。
ということで、また来週の木曜日にお会いできたら幸いです。
それではさようなら。
22:53

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