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こんにちは、上水優輝です。
長谷 優輝です。
さて、今日は、何のために戦うのか、という話をしたいと思ってます。
戦ってますか、日々。
日々ね、なんか最近戦ってるって感じしますよ。
おー、いいっすね。
戦ってる感じする、まじで。
いやね、そう、前回の話につながるんですけど、なんかこう、前回、やっぱ負けがね、ずっと続いていてね、すごいつらい状態が続いている中で、
なんとか、負けそうになる自分に対して、何かを燃やして戦ってる自分っていうのをすごく感じるシーズンだったんですね。
で、最近、ここ数週間は足首をねんざしてしまって、人体をちょっと損傷して、それでもプレーはし続けてたんですね、ずっと。
で、それとかも重なって、そういう、痛いんですよ。
痛いよね、ねんざしてたら痛いよね。
すごく痛いんですけど、なんで私はこんな痛みを我慢してまで、こうプレーしよう、し続けようとしているのか、
なんでこんなに負けが続いているのに、諦めずにこうやって歯を食いしばって戦おうとしているのかっていうところで、
自分自身に問いかけたんですよ。何のために私は戦っているんだろうって。
いいですね。
で、問いかけた結果、やっぱり自分の中では、仕事に対するリスペクトっていうのがものすごくあって、
この仕事が好きだし、リスペクトしているからこそ、やっぱり手は抜けない。
どんなに痛くても、どんなにつらい状況でも、ちゃんと向き合わなかったら、バチが当たるみたいじゃないですけど、
そういう感覚があって、プラス、一緒に仕事をしている人に対するリスペクトっていうのも含めて、
自分のベストを常にそこで出さなきゃいけない。
それを出すことが、その人たちへのリスペクトになる。
プラス、サポートしてくれる人ですよね。
仕事だけじゃなくて、家族だったり、友達だったりっていう周りで、何かしら応援してくれる人たちがいるっていうところで、
その人たちに対するリスペクトもしなきゃいけない。
それプラス感謝の気持ちですよね。
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それを示す方法って、自分がどんな状況においても、ベストを尽くさなきゃいけない。
その方法が、私の中では、どんなに怪我をしても、どんなに痛い状況でも、どんなにチームが苦しい状況でも、やり続けなきゃいけないっていうところで、
そこが戦う理由になっているのかなっていうのを、自分の中でちょっと答えを出したんですよね。
何のために戦っているのかって、最終的な理由は自分のためじゃないんだなっていうところが先に来るんですけど、
最終的には自分のために戦っているんだなっていうところにもつながるっていうところで、
自分のためだけに戦っていたら、戦いきれないなっていうのは思ったんですよね。
もとからそういう感じだったのを、改めて考えたら言語化できたってことなのか、最近の感覚っていう感じなんですか?
最近の感覚ですね。
戦う理由が昔は違った気がするんですよね。
それなりにね、辛い時期とかもやっぱり乗り越えてきたつもりではあるので、戦ってた感覚とかもものすごいあったし、
でもその時の戦ってた理由っていうのが、結構自分に対するプライドの方が多かったんですよ。
そこに負けたくないっていう一心で戦ってたものが、今ちょっと変わったなっていうのは、
通ってみて思ったことではあるんですけど。
いいですね。
何のために戦ってましたか?うめじさん。
そうね。
一部重なる部分があるなと思ったのは、やっぱりポッドキャストとかね、
応援される機会が増えてきたんで、やってると。
なのでやっぱりそういう人たちに答えたい気持ちもあるし、
答えるというか期待にね、面白いことやってくれそうだっていう期待を持ってくれている方が一部いるんで、
やっぱりこの活動はしっかり精力的にやっていかないといけないなみたいな責任感とかが芽生えたりしてますし、
もうちょっと別の難しさも出てきてるんですけど、それはポッドキャストをやりすぎている、
要は頑張りすぎているみたいな問題があって、
今十何番組があるんですけど、
で、プラスそっちは楽しいからやってるみたいなところで、
本丸は公演みたいなところなんで、公演になりますみたいなところなんで、
ちょっと話がややこしくなりますけど、自分自身を公演のような存在として、
公演パークですよね。
そうです、パークですパークです。
中堅8校みたいになりたいっていうのが最近思っていることで今年。
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中堅8校像ですね。
渋谷の。
そこでみんな集合場所にしたりするわけじゃないですか。
8校前でっていう。
僕自身に対するあんまりいらないんですよ、注目は。
ただ、存在を知っていて、そこには集合場所になるみたいな、
なんとなく僕が存在することで集える場所になればいいなみたいな感覚がすごいあって、
カリスマ性で集めていくみたいなモデルってよくあるけど、
別にカリスマ性とかじゃなくて、
ただのシンボルでしかないみたいな状態を目指したいみたいなのがある。
そうするとその場が公演になり得るので、
物理的に例えば何、代々木公演ですみたいな公演ではなくて、
僕が移動する先が全部公演になるみたいなことができると、
コミュニティをつなぐことができるというか、場所を越えて。
今インターネットがあるから、存在としては常に頭の中にあるけど、
たまに大阪に行く、東京に行くみたいなことで、
公演が移動して、移動式公演みたいなことができるんじゃないかみたいなテーマで活動してて、
それでいろいろやってると、レンタルキッチンに集まって晩餐会やったりとか、
公演にそよこそいたりとか、いろんな活動してるのは、
それぞれにフィットするような、何者でもなくいられる場みたいなのを、
いろんな形で作ってるんだよ。
クローズド、オープン、対面オンラインとかいろんな形で作ってるっていうので、
公演的であろうとしてると。
そこがメインなんですよ実は、最近今年。
でもポッドキャストやりすぎてるから、どこがメインかわかんなくなってるよねみたいなのが、
ちょっと課題として上がってきてるんで、
それこそね、もうポッドキャストを少し配信ペースとかもしかしたら下げるかもしれない。
下げたいかもしれない。
そうですよね。
要は、やりたくないとかじゃなくて、見え方として何してるかわかんなくなっちゃうみたいなやつが、
ちょっと今課題に上がってきてるみたいなとこ。
長谷さんで言うと、例えばYouTubeやりすぎてる、みたいな状態だったりとかすると、
YouTuber?作家選手?みたいな、わけわかんなくなったら、
いやちょっとなってなったりするじゃないですか。
確かに。
だから、たまに自分がプレイしてる動画も上げるようにしてます。
私も一応、作家やってます、まだっていうところで。
そこの、なんていうの、バランス?
メインは作家選手ですよ、みたいな。
そことかが、ちゃんと保てないと、
かえって作家にも支障が出たりとかするみたいなことが起こるから、
僕が今、後編ですってことをやりたいけど、
ポッドキャストみたいになっちゃったら、
ちょっとそれが何してるかわかんないって複雑さになってるみたいなのは、
最近課題ですね。
でも、ポッドキャストを増やしたことによって、
応援してくれる人も増えたわけですよね。
ポッドキャスト辞めるとかではないんですけど、
順番としては、ポッドキャストがあって、
そこで応援してくださる方が増えてきて、
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僕が、何が自分として貢献できるかなと思ったときに、
あんまり、オピニオンリーダー的に、
こうですよね、とか言いたくないんですよ。
めっちゃ言ってますよね、ポッドキャストで。
いやいや、一意見として言うのはいいけど、
トレンドを示して、方向性を示して、
みんなそうあるべきだって、
先導するようなことをしたいわけではないから、
一意見でしかないってスタンスが強いので、
あんまり迷っている人たちを導くとかいうことに全く興味がないし、
ぶつかってたら迷っている人たちが集まれるとか、
迷ってなくてもいいんですけど、
資本主義疲れたな、
今日休みたいな、みたいなのが、
そういう、本当に講演として、
何者でもなく意味のない時間を過ごせる場作りをできたらな、
大事ですよね、意味のない時間を過ごす。
あまりにも意味にまみれているじゃないですか、今。
自分の中でも、行動することが意味がなかったら、
やる意味がないって思っちゃってる、自分のところもやっぱりいて、
意味のないことをすることに対する抵抗感がまだ少しあるんですよ。
そういうのも取っ払いたいなとは思っているんですけど、
そういう場があると、少しずつそれが排除されていくのかなと思って。
そうですね、やっぱり日常、意味に追われたりするから、
そこから離れるというか、
本当に一時的だけど、バケーション的な感覚にもなれるというか、
日常から離れられる、離れられる、意味から離れられるから、
なんかそういう感じで、要は遊んでるんですけども、
公演で遊ぶ時間っていうのを持ってもらえるようにっていうのを、
で、せっかく応援してくださっている方がいるから、
そことうまく、そういう形で貢献できたらな、みたいなことを思い始めた今年で。
そっちに振り始めてて、なんかポツキャストとコンフリクトし始めた、
みたいな状況が今って感じですね。
いろいろなんか進んでますね。
ね、なんだかんだいろんなことが進み始めてて、
バランスを取るのが今はね、
どうバランスを作っていこうかなっていうので、日々頭がかかってますね。
楽しいじゃないですか。
楽しくはある。
そういう方が、何もすることがないよりは。
何やっていいかわかんないとか、やることがないは一番きついですね。
退屈に耐えられない。
耐えられない。
そう、だからあとそう、
長谷さんの話に戻すと、
戻すとてか、
一部って言ったのは、
仕事に対するリスペクトって話だったじゃないですか。
サッカーに対するリスペクトとか、
サッカー選手があるということとか、
いろんな。
僕は、
すでに積み重なっているところで、
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求められる振る舞いみたいなのをすごく、
プレッシャーに感じちゃうタイプなんですよ。
だから、やっぱりないものを、
築き上げていくって方が、
自分は性に合ってて。
そうっすね、確かに。
価値でも意味でも何でもないものに、
意味とか価値を、
作っていくっていうことに、
自分は振ってるって感じですよね。
結局でも自分の仕事を、
自分がその仕事をやってるってことは、
この仕事をやってる自分が、
この仕事の価値を、
一部の価値を作ってるっていう感覚はあるんですよ。
なので、
元からある仕事を、
に対するそういう、
そういう感覚っていうよりも、
少なくとも、
一部の価値を、
に対するそういう、
そういう感覚っていうよりも、
少なからず01を作ってるっていう感覚もあるんですよ。
ああ、なるほどね。
新たな価値をね、その中に。
そうですね、はい。
ちょっとですけどね、それは。
いやいやいやいや。
だから、
イメージだからあれですよ。
あの、
プラットフォームの中で、
アカウント作って、
そこでものすごい価値を出してるアカウントになるのか、
プラットフォーム作りますみたいな感じなのかの、
なんか違いで、どっちも価値は作ってるんですけど。
確かにそうですね。
なんかその感じなのかなってちょっと思ったりしましたね。
公園です。
プラットフォーム公園です。
あ、そう。なんでプラットフォーム公園なのかっていうと、
あの、
まあ、
現体験的な話もあるけど、それはちょっとさておき。
結構これは、
理にかなってるなって僕の中で思ってるのは、
インターネットのその、
関わりって、
インターネット上の、
対面じゃ絶対やらんようなことやるじゃないですか。
酷いことを言ったりとか、
失礼なことをしたりとか、
なんか起こるじゃないですか。
パッといなくなったりとか。
対面でももちろん突然失踪する人はいますけど、
その、
レアじゃないですか。
インターネットの方がなんか、
パッとブロックとかいなくなる。
あり得る。
なんかそういうのって、
なんでできるのかなって思ってたんですけど、
特命だからだとかっていう、
論調もあったりとかするけど、
僕、あんま特命関係ないと
思っているんですよ。
なぜなら、
僕がこう、ポツゲストを通じて
出会う人たちとかって、
ツイッターの名前とかだったりするんですよ。
だから本名わざわざ聞いたりしない。
だからわからないけど、
パトリシアさんって人がいたら、
パトリシアさんって呼んじゃうんですよ。
明らかにパトリシアじゃないだろっていう人があっても、
もしパトリシアだったらパトリシアと呼ぶ。
だからその人の僕の中では名前だから、
特命、それは特命ですよね。
確かにそうですね。
本名を押せてるかどうかは
重要じゃない。
特命にももう人格がついてますもんね。
インターネット上で。
結局。
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だから結局関係性の問題だと思うと。
その関係性も、
例えば発信者と受け手みたいな
関係性で、インターネットだったときに、
あまりにも、
無限にありすぎて、
無責任になり放題じゃないですか。
そうですね。
だからオンラインのコミュニティとかも好きじゃないし、
なんとなく
カリスマ性がある人の
権威で、
それをイエス
と言うことで、
なんか宗教的な感じですよね。
あれがすごく僕は
嫌で、もうちょっとその人のまま
いられるけれども、
バリゾーゴン飛び交わないみたいなことをしたい。
って思ったら、やっぱね、
担保が必要なんですよ。