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2024-09-10 15:53

75 内的集中と外的集中(前編)

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サマリー

このエピソードでは、サッカーにおける内的集中と外的集中の重要性が考察されています。特に、サッカー選手は試合中に外的集中が多く必要とされ、内的集中は技術の向上や修正に役立つことが取り上げられています。内的集中と外的集中に関する議論が展開され、各人のタイプに適した理解の仕方に焦点が当てられています。また、外的な認知力と内的な理解力のバランスが、物事に対するアプローチに影響を与えることが語られています。

集中の概念理解
こんにちは、上水優輝です。 永里優輝です。
さて、今日は外的集中と内的集中ということでお話しできたいんですけども、
何ですか、これは。 これはですね、サッカーっていうスポーツを
分解していくと必要な集中の要素というのがあるんですけれども、
で、大体その試合中とか練習中とかの時に必要なのって、外的集中がほとんどなんですね。
なんですけれども、その動きを作ったりだとか、新しい技術を見つけたりとか、その後、修正したりだとかっていうことをする時に必要なのって、内的集中になるんですよ。
内的集中っていうのは、自分の体をスキャンするっていうか、どういう感覚で自分がその時の行動を行っていて、じゃあどういうふうに動かしたら、その動きができるようになるかみたいな感じですね、大雑把に言うと。
なるほど。自分の中にフォーカスするか、外側にフォーカスするかのことを外的集中になるっていうんですかね。
はい。で、外的集中っていうのは、相手だったり味方だったり、ボールだったり、スペースだったり、自分の外にあるものに対して集中力を発揮することが必要とされるスポーツなんですよ。
で、この2つが根前的にサッカーという競技に関わってるんですけども、じゃあサッカー以外ですね、一般の方たちはこういうふうな集中っていうのを普段どれくらい使ってるのかなっていうのがすごく気になりまして。
いや、そんな意識していくことないですよ。外的集中と内的集中と。
集中って言われると難しいですね。自分の体とか、自分の心とか、何を感じるかみたいなことに意識を向けるみたいなことは当然しますけど、なんかそんな、逆にサッカーの中でやってるっていうのは、今言ったみたいなところで切り替えてるって感じじゃないですか。何かを改善しようと思うときに内的集中だとか。
ビジネスにおける集中
チームでトレーニングするときに内的集中を使ってる時間ってないんですよね。
要は考えてやらなきゃいけないじゃないかな、内的集中を使ってる状態って。
で、自分にフォーカス当ててしまうと、自分だけで自己完結する動きになってしまう。
外の情報を無視した状態。
なので、ボールを蹴るときとかボールを止めるときとかにわざわざ、いちいちこうやって止めて、こうやって蹴って集中してやらないじゃないですか。
もうそれが自然とできてる状態だから。
だから、そういうことに集中しないで、自分の外にある敵だったり味方だったりっていう情報を入れながら、自分の技術を発揮するっていうことが求められるんですけれども。
その比率っていうのが外的集中の方が多いのがサッカーっていうところで、
動きの中で集中の使い方を意識して分けてるわけではないんですけれども、
噛み砕いて考えたときにそういう集中力が存在するのがサッカーで、
じゃあ普通のビジネスパーさんの方はどういう集中を使ってるのかっていうのがすごく気になるんですよ。
これメジャーな言葉なんですか?サッカー業界ではメジャーな言葉?
どうなんですか?スポーツの世界だと結構メジャーな言葉かもしれません。
そうなんだ。あんまりね、分かんない。僕の勉強不足の中でかもしれないですけど、
ビジネス界隈で外的集中と内的集中って言葉とかあんまり聞いたことないかもですね。
どういう集中力?
普通に集中って多分すごく解像度が荒いんだと思う。
気が散ってるか散ってないかの違いみたいなことをただ集中してるか集中してないかみたいな、
そういう荒さで言ってて、その集中してるものが外的なものなのか内的なものなのかみたいな、
それが何パーずつになってると最適なのかとかを意識して望んでない気がする。
どうなんだろう。
僕の印象では、そのバランスが悪い人って仕事できないイメージがある。
例えば、なんだろうな、内的集中しすぎやろみたいな人とかいるんですよ。
それはすごい内的に集中してて、やっぱ自分になっちゃうというか、自分のよくわからないというか、
仕事上においてはよくわからない、こだわりのところに引っかかっちゃって、
仕事がうまく、ブレーキ踏みながらアクセル踏んでるみたいなことになっちゃってる人とかもいるし、
そのバランスが崩れてると極端だとうまくいってない印象があるなと思った。
でも外的集中必要としない仕事もあるじゃないですか、逆に。
集中の改善とアプローチ
緊急車みたいなやつとか。
集中してる自分みたいな感じでもあって、
仕事にもよると思うんですよ。
もちろんもちろん。
人を見てると、ミスを何回もする人っていうのがいるんですけどね、同じミスを。
私からしたら、1回のミスはOKとするんですけど、同じミスを2回目することに対してすごくストレスを感じるんですね、人のミスに対して。
何も言わないんですけれども、そういう人たちを見てると、外的集中も回ってないし、内的集中も回ってないみたいな感じなんですね。
要は、周りの情報もしっかりと集中して認知できてないのと、プラス自分の技術をそれに対して発揮することもできるみたいな状態。
なんでこの状態に陥っちゃうのかなっていうのがすごく疑問に思ってしまうんですよ。
ぼんやりしてる人がいるんですね。
ぼんやりしてるのかどうかはわからないんですけど、ぼんやりしてるわけでもないと思うんですけど。
そういう人たちを見ていると、どこを改善したらいいのかなっていうのをすごく考えるんですよね。
外的にも集中できていないっていうのは、捉えられていないっていうことって言うんですかね、状況を。
情報を正確に捉えられていない。
なるほど。
内的集中ができていないっていうのは、自分がどういう。
情報に対してリアクションする仕事じゃないですか。
そのリアクションの部分も、正確にリアクションできない。
なるほど。
を繰り返し。
繰り返ししてしまう人への、人がどうしてそういう状態に陥ってるのかっていうのと、
どういうアプローチをしたら改善するのかっていうのを考えてるんですけど。
これがわかったら、相当な発明なんじゃない。
仕事でも同じような想像がつきますもんね、ビジネスでも。
つきますか。
状況を正しく捉えられていない人。
正しくってのは難しいけど、なるべく外的なもの、情報をしっかりキャッチできてるかできてないねって人もいるし、
仮にそれができていたとしても、全然内的集中ができてなくて、
その得た情報とそのリアクションとの矛盾みたいなのが全然理解できない人とかもいる。
そのフィードバックしても。
とかあるから。
そうだね、どっちも別物として議論した方がいい気がしますね。
どうなんだろう。一緒なんかな。
ああ、別物だけど別物でもない。
最終的には双方向で、両方が融合するんだと思うけど、
どうだろうな。内的集中ができる人は外的集中もできるのかな。
内的の集中のレベルが高い人って、割とやっぱり正確な技術を発揮する力を持ってる。
と思うんですよ。
ということは外的集中もそれなりにできているってこと?
いや、その外的集中も、それは相手がいるけれども、
要は相手がいない状態で、その正確な技術を発揮できるっていうところになりますね。
外的集中を必要としない状況において、
その内的集中レベルの高い人っていうのが、
その状態だと正確な技術を発揮できる能力を持っている。
けれども、それに外的集中が必要な場面が来た時に、
その技術がぶれるっていうこの状態は、
恐らくその外的集中のレベルが追いついてないから、
そういう現象が起きてしまうんではないかっていう。
結局、外的集中をしながら技術を発揮しなきゃいけないから、
結局両方の集中力の高さって求められる。
最終的にはね。
最初から両方を同時に求めた方がいいのか、別々分けて考えた方がいいのかっていうやつですね。
訓練するといった時に。
両方を一緒に求める場合って、結構実践的なものが多くなる。
多くなると思うので、それはそれで必要だと思うんですよね。
実践に必要なことっていうのをそこで学べるわけだから。
じゃあそこで足りないものっていうのを別々に分けて、
それを構造的に組み立てていって、その動きを作っていくみたいな作業をする時には、
内的集中と外的集中の理解
別々なものが必要になるのかもしれないですね。
これあれだよね。その人のタイプが超感覚派なのか、
頭で理解してから体に落とし込みたいなのか全く分かれそうですね。
確かに分かれますね。
どっちのアプローチも必要な気がするんですよね。
頭で理解したい、先に理解したものを体にっていうタイプは多分分けて考えて、
これを統合するとこうだよみたいな思考の方がしっくりくる気がする。
感覚派の人は両方実践の中でやったものを体験して、
かなり自分の中では感覚として持っているものを概念として分けていくのが理解しやすい気がするし、
かなり人による気がするな。
それは仕事の職業的なものによる、じゃなくて人によるっていう感じのほうが強いですか?
いやー、でもごめんなさい。人によると言いながらも、
先に両方が統合された実践みたいなものを一定やってないと言われても分かんない気がする。
分かんない。でもイメージが分かんないですよね。
やってきたことを、こちゃーってなってるものをクリアにしてくれたって意味で分けて説明されるとかがしっくりくる気がする。
なるほど、みたいな。自分はここが弱いかもしれない、ここが得意かもしれないとかが、
やってないのに最初からパーツで説明されても分かんない。
車ってことは分かんないのに、いきなりホイールガーとかエンジンってのがあって、
なんの話かなってやっぱりなっちゃうっていう気がするかも。
そうなんですよね。ロジックで説明しすぎても、なんかダメだなって思う時があるんですよね。
頭で理解するよりも、やっぱり体が理解するほうのほうが、やっぱり腑に落ちるっていう感覚になるじゃないですか。
なので、いくら動きが必要だって言われても、どの場面で必要なの?っていう。
のが、やっぱり先に来ないというイメージとして。
これも人の性格によると思うんですけど、
これ何のためにやってるの?っていうのが、分かった上で力を発揮する人と、
別にそういうのが分かんなくても、ただ機械的にやる人もいるじゃないですか。
いるね。いる。
それマジでタイプ分かれますよね。
あれ不思議なんだよな。
あれ不思議だなって思うんですよ。
僕も目的分かんないとできないもん。
私もできないんですけど。
目的分かんない。でも、そうやってやっちゃう人がいるじゃないですか。
いる。すごいですよね。現れて。
あれはすごいなって思うんですけど、現れて。
でも、やってる意味は分かってないと、身につくもんも身につかないんじゃないかって思っちゃうんですよね。
僕もそっち派ですけどね。
でも身につく人は身につくんですよね、それで。
自然と考えてなくても。
身につくけど。
でも、あれに弱いんじゃないかな。
新しいやり方が通用しなくなった時に、
変えていこうって時に弱い気がするな。
作家の世界だと、それができない人が結構早めに引退していくなってイメージです。
あ、じゃあ適応できなくなっちゃうみたいなやつかな。
結構早いでしょ。
トレンドじゃないけど、こういうふうにやっていこうみたいなのが変わっていくと思うから、戦術とかも。
4,5年周期で変わっていきますよね。
そのままの年齢も変われば立場も変わってスタイルも変えていかなきゃいけないっていう。
頭打ちが来た時に変えられる力を持ってる人って結構考える力がある人。
だなってのがあるから。
何が起こってるかを考えられるんだと思うんですよね、考えられる人は。
たとえば4,5年でこういうことがこう変わった、ここからこう変わったから、
求められるものはここからこう変わったみたいなのは、頭でまず理解できるみたいなのがあると、
腑に落ちるじゃないですか。だからどこを変えていけばいいかも、なんとなく見当がつくけど、
そういうふうに考えずに、まあ分かんないけどやりますって言ったら、
変わってんのに何が起きてるか分からない。
なんか昔のやり方一生懸命、頑張り方を間違ってるゾーンに突入し始めるみたいな。
パシッとハマってる時はめちゃくちゃ頑張り方と状況っていうのはハマってて、
規制感も出るんだけど、環境がちょっとずれた時に、
全然頑張っても意味ないこと頑張ってるみたいなことになりうるっていうのは、
考えずにやれるタイプの人かもしれない。
逆にそうなっちゃう人って外への認知の幅がすごく狭いじゃないですか。
その外で起こっていることが認知できずに、
そのまま自分がやってきたことをやり続ける。
で、朝星が来てるのにも気づかないみたいな。
だから要は外的なところに対する認知力っても、
あれですけど情報収集力だったらそこの意識がそっちに向いてない。
なるほど。そういう人は内的収集力がめっちゃ高くて、
外的収集が低いっていうことになるの、そういう人は?
いや、どうなんでしょう。
なんかそこは収集ではない感じがしますね。
また別の話か、それは。
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