内的集中と外的集中の違い
そうなっちゃう人って、外への認知の幅が すごく狭いじゃないですか、その外で起こっていることが認知できずに、そのまま自分がやってきたことをやり続ける。
で、朝本氏が来ているのにも気づかないみたいな。
だから、要は外的なところに対する、その、なんて言ったらいいの、認知力っても、あれですけど、情報収集力だったら、そこの意識がそっちに向いてない。
なるほど、そういう人は内的集中力がめっちゃ高くて、外的集中が低いということになるの、そういう人は。
いや、どうなんでしょう。なんか、そこはなんか集中ではな違い、感じがしますね、なんか。
また別の話か、それは。
うん。要はその、自分にしか矢印が向いてない状態。
はいはいはいはい。
って言うんですか。自分に矢印向いてるのに、その自分、その成長の度合いがあまり感じられない人とかっているじゃないですか。
いますね。
そんだけ自分に矢印向いてるのに、なんで気づかないのって思うんですけど、だからその矢印の向き方っていうのが、なんか違うんだろうなっていうのがあって、そういう人たちって。
その違うのが何かっていうのは、いまいち分かってないですけど、私も。
行動のアプローチ
あれじゃない?自分を守りに行ってるかどうかみたいなやつなんじゃないですか。
そっちになってくるんですね。
自分に意識が向いてて、でもそんなに守りに入ってない人っていうのは、どうなってもいいやって、割とこうアクションしまくれるっていうので、さっき言った目的とかなんかわからんけど、やれって言われてるからやるわっていう。
いや、死ぬかもよとか、そういうとこあんま考えられてなくて、もうやる、やる、だってやるからやるよみたいなことが、なぜやるのか、やるからですみたいな謎の状況になれる。
のは、たぶん守りに入ってない人なんだと思うんですよ。
あの、別にその、バカにする意味じゃなくて、本当にあれで言うけど、飛び込み営業とかテレアポとか無限に荒れる人ってたぶんそういう人だと思うんですよ。
なるほど。
ふ、ふつう心折れるんで、それ折れずに荒れるのは。
折れますよね。
そうそうそうそう。そういう、死ぬかっていう。100件かければ1件は繋がるんだ、みたいな、なんかそういう、ただただ、なんでその99件のこと考えなくていいんですか?とか思うけど、
もう1件繋がるんだから100件やればいいじゃん、みたいな、数こなせばいいじゃん、みたいな、なる、みたいな、マインドじゃないとたぶんやれないんですよね。
うんうん、確かに。
で、一方で、内定に集中してるけど、なんかうまくアウトプット出てこない、みたいなのは、その99件にめちゃくちゃ目が行っちゃって。
あー。
これかけても、すごいやっぱ目がかかるし、え、いっぱいですよ、いっぱいのために、とかいろいろ考えて、やらなくなっちゃうみたいな。
そっから出ないみたいな。
でも、もっと外側のいろんなこと考えたら、いやその99確かに落としてるのは事実だけど、じゃあ別のやり方を考えるとか、もっとやらないと、そのまま何もしないっていうのはゼロですよ、みたいなこととかが、なんかゼロですよ、みたいな。
内側、自分に矢印が向いてても、守り度合い、自分が傷つきたくないとか、自分が失敗したくないとかってなると、そうなるからさ。
あー、そういうパターンになるのか。
じゃあ、例えば、サッカーで例えると、じゃあここにパスを出そう、出したいです、出します、で、じゃあ相手の足が出てきてます。
はい。
で、これそのままパスを出したら確実に相手の足に当たります、っていう状況で、自分のパスにだけ集中して、その相手の足引きが出てきてるのを無視して、そのままパスを出して、案の定パスを取られる、みたいなパターンがあるんですよ、結構。
うんうんうん、それ100回パスを出せば1回通るって考え方じゃないですけど。
やっぱそれに当たりますよね。
偶然また抜けていくとか。
そういう思考なのか、そのミスで押しする人達って。
うーん、どうでしょうね。そういうもんって思ってる可能性ありますよね。
出してみた、通らなかったな、みたいな。通るかどうか考えて出そうよ、とか思うけど、なんかそういうパス出せばパスは通らんやろ、みたいな思考かもしれないですね。
1本ぐらいミスしてもいいか、みたいな感じの思考とかもあったりするんですかね。
してもいいかもあると思うし、するもんだろって思ってる可能性すらあるっていうか。
瞬間的な集中の評価
そうだね、考えないようにしてるのかな、どうなのかな。
うーん。
なんかすごいそういうの気になっちゃうんですよ。
いや足出てきてるよ、それ出すの?え、出した?みたいな。
取られた?
それ魔法にまあいっか、みたいな感じの感覚だから。
うーん。
考えてないんでしょうね、そのパスについて。
だからその外、じゃあその足が出てきてることを認知できてないのか、認知してるけれども気にせず出してるのかってのもまた違ってくるじゃないですか。
後者じゃないですか。認知してるけど出してるんじゃない?
えー、嘘?
多分認知してなくて出してる人は、本当にもっと手前で淘汰されてる気がする。
あー。
プロになってないから。
うんうん。
なるほど。
足が出てましたよね、出てた出てたって言いそうな気がする。
でもパス出さないとパス通らないじゃん、みたいな。
そうなの?
ごめんなさい、そうじゃないかもしれないけど、僕ちょっと今かなり単純化してますけど。
でもありそうですけどね、普通に。
考えたらそこはそうじゃないだろうみたいなことって世の中いっぱいあるけど、
なんでやるんだろうみたいな人いっぱいいるから、いろんなことにおいてね。
いろんなことにおいて、はい。
っていうのと、さっきもう一つ、自分に矢印が向いててもっていうので、
そういういろんなことを考えたら何もできなくなるっていうタイプの人もいるなと思うんで。
自分の矢印に向いてても、パス別に失敗してもいいや、いいやとか開き直ってるのと違うと思うんですよね。
何だろうな。
そこは何か美徳とか価値観の違いなんですかね。
そうそうそう、そうだと思う。
私的には何か100本パスあったら100本とも通さないと気が済まないっていう感じなんですけど、
だからそこの価値観の違いがあるからそういうミスの仕方とかもまた違ってくるんだろうなってのは思うんですけど。
うんうんうん。
でもやっぱりそこもどうなんだろうな。
結局はそのようなチームをマネージしてる監督の方針次第な感じがしますよね。
その失敗してもトライするほうが大事だから、もうごちゃごちゃ考えずにどんどん失敗して、
失敗したら取り返す、取り返す、このリカバリが大事なんだみたいな感じで、
ただただ失敗し続けて試行回数を上げるみたいなことに重きを置いてますっていうやり方もあるはあると思うんですよ。
ビジネスもまさにテレハポしかしないみたいな会社もあるんで、
500回かけたら何件か取れるんで、
だからそれでいいんだっていう考え方もあるから、
僕は嫌ですけどね。
僕は嫌だけど、それを良しとしてる会社もあるし、そこで働いてることを良しとしてる人もいるから、
これはもう戦い方の問題で、その指揮官が何を良しとするかっていう、
まさにその価値観というか美徳の問題もあるし、戦術であるみたいなところだと思うんで、
それがみんなが揃ってないみたいなのがやっぱり一番怖いんですよね。
そこですよね。
きついですね、文化的に。
きついですよね。
そっか。
ちょっと待って、外的集中と内的集中、僕あんまりまだ理解できてない気がするんですけど、
今ちょっと話したやつは、集中とはまたちょっと違う話になってるじゃないですか。
全部違う話ですからね。
外的集中と内的集中、もう一回聞きたいかもしれない。
もうちょっと瞬間的なものなんですか、それは。
もっと瞬間的なものですね。
今言ったようなものですよ。
そのパスの話。
足が出てきてるのを認知しながら、それが外的集中なんですよ。
ここで足が出てきてる。
で、そこで自分の動きを変えなきゃじゃないですか、瞬間。
そこが一旦内的集中に戻るんですよ。
動きを変えなきゃ、キャンセルしなきゃいけない。
その動きを。
で、そのキャンセルした後に、また外の状況を認知しながら、
次のアクションに切り替える。
その時の頭の中でどうなってるんですか。
内的集中と外的集中の理解
感覚的には10-0はないじゃないですか。
10-0もあるんですか。
ないです。
ないですよね。だから、今どこにパス出そうかなって見てる時に、
足が出てるなとか、味方があっちに走ってるなとか、
いろいろあるわけですよね、外的の時は。
で、パス出せないな、キャンセルしようで内的集中する時に、
内的集中のパーセンテージが上がって、外的集中のパーセンテージが下がるっていうことでいいんですよね。
一瞬。
それも違う。
どうなんだろう。
その時、考えてはないんですよね。
足が出てきたことに対して自然と体が反応してる状態っていうのがほとんどなので。
外的なものに集中しているだけでも。
体が勝手に反応する状態までに持っていくために必要なのが、
内的集中っていう感じですね。
日頃のってこと?
日頃ですね。
日頃ですよね。
試合中ってほぼ外的集中の割合が高い状態がずっと続いてて、
あんまりそれを調整してるとかいう感じでもない。
試合中の中でそれが動きまくってるというよりは、
外的集中メインみたいな感じじゃないの?
ミスをした後とかに、
自分の体の調子がちょっといつもと違うなって。
試合中に感じる時はあるんですよ。
それが内的集中に意識が働いてる時で。
そうなった時に、
それを感じないのが一番いいんですけれども、
そう感じてしまうっていうことは何かを変えなきゃいけない。
そこで初めてそこでの持ってる引き出しを
スマホの影響と現代の病
開けまくってそこを改善していくみたいなことを
瞬間的にやることはありますけど。
さっき言った改善というか不具合があったりとかした時に
直すために一旦内的に集中して
セットし直すみたいなのが必要ってこと?
っていうのはやったりしますね。
じゃあめちゃくちゃ調子いい時はずっと外的集中ぐらいの感覚ってこと?
それでもずっといきます。
そうなんだよな。
仕事も多分実際そうなんだよな。
実際の商談だとか現場で接客してる時に
内的集中してる場合じゃないっていうか。
もちろんこの提案刺さってないぞとか言う時に
不具合の時にちょっと違う方針を展開しないといけないとか
落とし所を変えないといけないとかっていう感じで
一回集中して、内的集中して
見直すとやり方を考えて
もう一回外的集中するとはあり得るけど
順調な時はやっぱりもう外的集中だと思う。
実践の場は。
ですよね、やっぱり。
休憩とかの時はやっぱり内的集中して
ちょっと時間がある時ですよね。
ちょっと一時期過ぎる時とか。
逆に外に集中向いてないと
ゲームに入れなくなる。
空気になっちゃうみたいな。
多いんですって。
最近それはよく見かける。
自分にばっかり意識は向いて
状況を何も分かってない人ってやっぱ
結構見かける気がしますね、最近。
でもそれだったらうまくいかないじゃないですか。
いかないですよ。
それも現代の人にすごく共通してるなと思うんですよ。
特に若い子たちの先週に。
で、結構自分の世界に入っちゃって
外のことが全く認知できてない状態で
プレイをしてしまうみたいな。
これ前に話したと思うんですけど。
それも前も話したけど
やっぱりスマホの影響ありそうですよね。
外的環境を自分の手のひらで
指一つでスワイプして
これ違う、これ違うって言って
環境がコントロールできちゃうじゃないですか。
自分の内的なものにかみ合うものだけを
見ればいいってなっちゃってるから
見たくないものを見ないみたいなのが
デフォルトのマインドになりやすい
スマホに増えてる時間が長いと。
だから街歩いてると耐えられないんじゃないかな。
耐えられないというか、街を歩いてるときに
街の外的環境に多分意識が向いてないと思うんですよね。
スマホですもんね。
そうそう。意識向いたらもうちょっと
具合悪いと思うんですよ、そういう人って。
具合悪くなりますね。
突然見た世界はグロテスクだみたいな話だから
全然美しくないみたいな。
なりますね。
現代の病な気もするね。
外的集中力がちょっとそがれやすいみたいな。
かかといって内的集中力が高いかって言ったら
そうでもないなっていうのも思ったりしますけどね。
やっぱりそうだ。
長里さんが言うように両方双方向だから
外的なものを見れてない上での
内的な集中力って
本当にそういう内的集中力なのか
みたいなところがあるというか
ただの自分に意識が向いてるだけみたいな。
だけじゃんっていうふうになるんですね。
確かにそうだね。
相互作用みたいなのの中で
こういう外的な状況の中で
自分がどうするのかみたいな
ことではないっていうかね。
集中できない、夢中になれない
没頭できないみたいな人は
どっちの能力も使えない気がします。
最後の最後で。
残酷な結論を思うんですよね。
はい、番組のご意見ご感想
こんなテーマでも話してほしいなと
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それではまた来週。
さよなら。
さよなら。